パルティア

パルティア (Parthia) は、ペルシャ (Persia) と同語源であり、現在のファールス (Fars) 州のことだと思っていたのだが、
どうも違うようだ。
ファールス州というのはアケメネス朝とサーサーン朝の故地であり、
Fars == Persia であり、
時間軸で言うと、セレウコス朝シリアとサーサーン朝ペルシャの間にパルティア、つまり、アルサケス(アルシャク)朝パルティアがある。
アルサケスはギリシャ語のアルタクセルクセスに相当するらしい。初めて知った。
インド国内のゾロアスター教徒 Parsi も Fars と同語源。

パルティアは、トルクメニスタン、というかホラサーン北西部を故地とするのであるが、イラン人の王朝にしては、あまりにも外れにある。
パルティアの語源はイラン語の地名 Parthava であると言う。
パルティア初代王は、イラン系の古代スキタイ人だと言うが、
はて、スキタイ人はトルコ系ではなかろうか。イラン人がそんなに北に居るだろうか。わからん。
アーリア人の故地は、そんな北ではなくて、アフガニスタン辺りではなかろうか。
そこから東へ行ったのがインドのアーリア人で、イランのファールスへ行ったのがイラン人。
アフガニスタンに残留したのが、パシュトーン人。そんな感じではなかろうかと思うのだが。
印欧祖語の故地がどこかまではまるでわからん。

ていうか、パルティアは、バクトリアの次に来る王朝だから、王族はギリシャ人だった可能性の方が高くなかろうか。
その方がすっきりする。
「アルサケス朝ペルシャ」と言う言い方は間違いなのだろう。実に紛らわしい。

ついでに現在のトルクメニスタン共和国の首都のアシガバードは「アルサケスの町」という意味らしい。ふーん。

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