坑夫

夏目漱石「坑夫」も小林多喜二「蟹工船」も描いている世界は同じ、
作家によって描き方はだいぶ違うがな~と思った。

どうも夏目漱石の「坑夫」というのは、
反小説だとか、
漱石作品中では異質な存在だとか、
取材してたまたま他に題材がなくてうっかり使っちゃっただけとか、
軽視される傾向にあるが、私は夏目漱石の中では一番好きかもしれない
(他を全部読んだわけじゃないが)。
で、ごくかいつまんでいうと
「比較的育ちがよく教育もきちんと受けた自意識過剰な若者が若気の至りで失敗する」という、
「坊ちゃん」「三四郎」「こころ」などと共通のパターンでできていて、
おそらく一連の自画像的作品の一つであって、
特に「坊ちゃん」とはうり二つな構造になっている。
夏目漱石はああいう偏屈な人だから、あまりに小説っぽくないんで、
実は小説のつもりで書いたのでないとか言い訳してるのに過ぎない。
これだけの長編を時間と労力かけてただ埋め草に書くはずはなく、
やはり自分でおもしろいと思い人にも読ませたくて書いたに違いない、と思う。
虚心に読めばただそれだけのことに思えるのだが、そういう読み方をした人はあまりないようだ。

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