癸丑歳 偶作

十有三春秋   十有三春秋
逝者已如水   逝く者は已に水の如し
天地無始終   天地始終なく
人生有生死   人生生死あり
安得類古人   安んぞ古人に類して
千載列青史   千載青史に列するを得ん

癸丑歳とは寛政5年、1793年のことであり、
安永9年12月27日(1781年1月21日)生まれの頼山陽が、満で言えば12才の時の作であると推測される。
数えでは14才。
その最初の形は安藤英雄『頼山陽詩集』によれば、

十有三春秋 春秋去若水
何時吾志成 千古列青史

という五言絶句であるという。
あまり面影がないよなあ。
ていうか全然違う詩だよな、ここまでいじってしまうと。

私が初めてこの詩に出会ったのは、中学三年生の時、中学校の図書館で、内村鑑三の『後世への最大遺物』を読んだときだった。
私は最初、内村鑑三を通して頼山陽という人を理解し、彼と同じ気持ちで、
日清戦争前夜の日本人の気持ちで、山陽の詩に感動したのだった。
戦後民主主義は頼山陽を完全に否定し、子供の目に付かないように隠蔽していた。
今でも或る意味ではそうだ。
内村鑑三は反戦主義者だったから戦後も生き残った。
その内村鑑三を通さなくては、私は頼山陽に出会うこともなかったわけで、
内村鑑三はたまにしか読まないが、頼山陽は未だに良く読んでいるので、実に不思議な偶然とも言える。

岩波文庫には、頼山陽の著作に『日本外史』と『頼山陽詩抄』があって、
頼山陽が1781年生まれのために、生誕200年というので、『日本外史』も再版となって、だいたい1980年代からしばらくは入手が容易だったのだけど、
今では絶版となって、なかなか手に入らない。
もちろんアマゾンなどで中古で手に入らないこともないが、やや割高である。
それに比べると、『頼山陽詩抄』の方は、戦前の復刻版であるのに、未だ絶版ではなくて、
普通に書店で買うことができる。
というのは、つまり、頼山陽の詩は詩吟などで参照され、細く長く人気があるのかもしれん。

山陽は杜甫や陶淵明を好んだという。

『頼山陽詩抄』の編者の一人である頼成一は、頼山陽から数えて五代目、
『日本外史』編者の一人である頼惟勤は六代目に当たり、1999年没、お茶の水女子大学名誉教授、と見延典子『頼山陽にピアス』にある。

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