vivant

最近ホッカイロレンという youtubeチャンネルをよくみるのだが、そこで viviant が紹介されてて、 netflix にも公開されているから、では見てみるかと見てみると面白くて一気見して2度目も見始めている。ドラマにしろ映画にしろあまり私はこういうことはしないので、よほど面白かったのは確かだ。

主人公が半沢直樹にしか見えないのは新鮮さを欠くと言って良いと思う。ちなみに半沢直樹は見てないのだが、印象が強すぎる。じゃあ他に誰を主人公にすれば良いのかと言われても私にはわからんが。たぶん半沢直樹の続編、和製ciaドラマを作ろうというのがおおもとの企画だったのだろう。俳優はみなだいたいはまってる。脇役がよく固めているのだが、二宮和也だけが浮いてる。演技はともかくとして、せめて顔をこんがり日焼け色にして髪の毛をぼさぼさにしてモンゴル人っぽくしてくれればだいぶなじんだと思うのだが、なんだろうこれは。これがいわゆる事務所の都合というやつなのだろうか。役所広司は必ずしもこの人でなくても良かったとは思うがこれも良い演技だった。阿部寛はなかなか良かった。

ciaドラマはよく研究されていると思う。本場アメリカのciaドラマにもアメリカ人固有の偽善というものがあり、それを克服しようとかなり努力した「ホームランド」ですらまだまだその「臭み」は残っている(視聴者がアメリカ人なのだから仕方ないのだが)。日本人にとっては当たり前の、フーテンの寅さん的人情話、浪花節というものが根底にあり、その上にciaものが乗っかっているので、だんだんとじわじわとものすごい違和感がわきおこってくる。「正義感」というベクトルが日本とアメリカでは似ているようで全然違ってて、警察もの、ciaものになるとその違いがよけい目立ってなんか気持ち悪くなってくる。

でも最後までなんとかそれをねじ伏せてまとめあげているから、これはこれで一つの前例として、よくできていると思う(つまり歴史的価値があると思う)。単なる妥協の産物に終わってない、よくできた作品だ。見終わった後にも、ではあそこはこうしたほうが良かったのではないか、というような瑕疵も出て来ない。ああするしかなかったんだろうなあとは思う。

日本でciaものを作るには、陸軍中野学校から三島由紀夫の盾の会みたいなものがどうしても絡んでくるのだろう。その絡ませ方が少し過剰な感じもしたがネトウヨにも多少サービスしたせいかもしれない。この程度であれば特に問題無いか。ただこの三島由紀夫的な方向へ続編をどんどん暴走させるということも可能であって、そうすると評価は分かれてくるんだろうなあ。

アクションものとしては派手さが足りないとか、韓国ドラマやアメリカドラマと比べてつかみが弱いとか映像的魅力が無い、エフェクトに迫力が無いなどという人もいるようだが、別にそんなくどい演出はしなくてよいのではないか。そういうポスプロ的な演出は本来おまけであって、それがシナリオより前に出てくるのは嫌味だ。映像作品なんだから絵で見せるというやり方もあるかもしれないが、どちらかと言えばこの作品の売りはストーリー展開なのだから、このくらい地味でも良いっちゃ良い。きちんと脚本が練れていれば派手なアクションシーンなんてなくて良い。

こういうciaもの特有の間の持たせ方とか焦らせ方とか伏線の張り方とかあるいは見る人間の予想をわざとはぐらかすやり方など、すべてはやり尽くされている手法ではあるので、私は用心しながら見ていったけれども、どれも丁寧に作られていて、飽きさせないのは良かった。

結局浪花節的なきれい事に終わっているのだがテロとか戦争というものはそんなきれい事じゃ済まないだろとも思うし、日本人に見せるだけならこれで良いかもしれんが netflix などで配信して海外からの収入も当てにするとなるとこれでは日本人の自己満足と言われても仕方ないのかもしれない。しかしアメリカのドラマだってディズニーアニメだってアメリカ人の自己満足には違いないのだから、これはこれでもう開き直るしかないのかもしれない。いろんなことを覚悟の上できれい事で逃げ切ったとも見える。

モンゴル、ロシア、中国(ウィグル)、カザフの国境が集まる地帯にバルカ共和国という架空の国のもうけるという設定も面白いし、そういう国に日本人の諜報部員が送り込まれたら当然そういうことも起きるだろうなという自然な設定になっている。ただ、ラスボスが自分の父親だったというのはスターウォーズを思わせるし、諜報部員が送り込まれて現地のテロリストの親玉になるというのは地獄の黙示録だし、大使館に逃げ込んで綱引き状態になるというのもどこかで見たような気もするし、いろいろと既視感のあるシーンも多いがどれも良く調べてうまく活かしたオマージュと言って良いかもしれない。逆に初めて見る演出やシーン、設定も多くて、どうやってこんなネタ仕込んだのかなとちょっと感心もした。

あと、ホッカイロレンに関して言うと、スターウォーズではマンダロリアンが一番(?)面白いとか言ってて共感したがしかし私はそもそもそれほどスターウォーズのコアなファンではないし、私は少年ジャンプとか特にワンピースみたいなのがまったく面白いと思わないので、感性とか好みにはかなり差はあるだろうなとは思った。ひろゆきと岡田斗司夫がスターウォーズネタで口論する動画など、面白いっちゃ面白いんだが、そこまで細かいことに別にこだわりはないしなーとも思った。

イスラム教がなぜこれほど世界で普及しているのかについて、よく考えるのだけど、思うに、宗教というものはもともと王が主宰者となって、王族や支配階級だけを縛るものだったと思う。祭政一致とはつまり、国というかソサエティというかあるいはコミュニティというか、もっと原始的に言えば人間がシノイキスモス(集住)というシステムを採用するに当たって、作られたものだと思う。

古い素朴な宗教は王とその周辺しか束縛しなかったから、人の集団が持つ力も弱かった。しかしバラバラに暮らす人たちに対して、多数の人の気持ちを一つの方向に向かわせる集団の方が明らかに生存に有利だった。

単純素朴な自然宗教はだんだんと教義を持ち、聖典を持ち、聖職者や教会などの組織を持つようになった。それでも人々を束ねる拘束力はまだ未発達だった。

フランス革命が成功したのは、王族や領主だけではなく、一般民衆、無産階級までも軍事力に編入したからだ。どんなに王軍が強くとも、徴兵制によって集められ組織化された圧倒的多数の国民軍のほうが強いということが証明された。

アリのコロニーにしても、良く働くアリと、普通に働くアリと、サボるアリがいる。古い宗教は良く働くアリだけを国家権力に動員できた。中世の宗教は普通に働くアリまで動員できるようになった。そして一神教は国王の権力から切り離されて民衆の宗教として成立した。社会の少数派の王族ではなく多数派の民衆がコントロールできる宗教が成立した。そうすると軍隊の規模が違うから新しい宗教が古い宗教を駆逐してしまう。民衆が王を排除して、もしくは王を取り込んで国を乗っ取ってしまう。ギリシャやローマの多神教がキリスト教に駆逐されてしまったのはそうしたわけだった。カール大帝がローマ教皇に戴冠されることによって民衆の支持を集めたようなものだ。王は宗教の権威を借りるようになった。

さらにイスラム教はキリスト教をさらに発展させて、日常生活も、心の内なる良心も、金持ちから貧乏人まですべて、民衆を支配することに成功した。宗教が普及するのに重要なことは、一部の力あるもの、一部の頭の良い者たちに支持されることではない。社会を構成するありとあらゆる人種、階層の人間をまんべんなく、その生活から精神までも支配することだ。それまで見捨てられていた、かえりみられなかった人々まですくい上げてメンバーに加えることだ。ホメイニ革命を見てもわかるように王や一部の富裕階級に支配されるよりは、民衆は自分が少しでも参画できる、民衆から出てきた指導者に従いたがる。民衆は王をとりこめなかったから追放してイスラム共和国を作ってしまった。

結局民衆は支配されることを欲しているし、王のような独裁者ではなく、万民に通用する普遍的な慣習に支配されたがる。日本が今や法治国家になったのもそれと似ている。24時間365日完全に支配されることを欲している。そしておおぜいがわーっと暴れればどんな政府も転覆してしまう。暴動にしろ革命にしろ戦争にしろ結局数で世の中は決まってしまうのだ。イスラムは数に強い。清濁併せ飲み、老若男女、異なる民族(特に宗教的にナイーブな、人口も多い民族)をみんな巻き込んでしまう普遍性をもっている。だから普及しているのだ。

キリスト教が2000年経ってもまだまだ平気なように、それよりか600年遅れて成立したイスラム教はまだ何百年も先まで人間社会を縛るだろう。それになによりイスラムは新興宗教の先進地域である西アジアで生まれた。ありとあらゆる宗教が生まれてはとってかわられる激戦地で生き残り繁栄した。強いに決まってる。

クロール済みインデックス未登録

google search console 見てると、クロール済みだがインデックス未登録、つまり、google様におかせられては、認知はしているが検索対象から外しているページというのが大量にあるんだけど、ある程度までは仕方ないと思うんだ。wordpress の場合、カテゴリーのページとか rss のページなんかが大量にあるからそういうページは検索してもらわんでも良い。普通の記事のページだけ登録してもらえば良い。ところがgoogle 様がインデックスに登録しているページとしないページの判別がよくわからん。

なので、インデックスに登録してほしいページとそうでないページをこちらから明示できて、それが google様に伝わると良いのだけど、そんなごく当たり前の機能がいまだに世の中では実装されてないらしいのが不思議だ。

役職選挙

役職選挙があり、来年度は六年ぶりに役職から外れることになった。これから定年までのんびりと仕事をさせてもらおうと思う。コロナ馬鹿騒ぎの三年間は周りの連中は在宅勤務で楽していたかしれんが、私は役職のせいで毎週馬鹿げたコロナ対策会議とやらに付き合わされて最悪だった。あんなものにはまったく何の意味もないただの時間と労力の空費だった。今はみんなそれに気づき始めたが私は最初からわかっていた。ずっと腹の立ち通しだった。非常に不愉快な三年間だった。

ラウンジ嬢だのパパ活女子だのと世間では騒いでいるようだが、飲み屋ではこれまでさんざん苦労してきたので、ただもう関わり合いになりたくないばかりだ。懐石料理だとかフランス料理だとか高級寿司屋とか、そういう密閉された空間で逃げ場がなくて、ちまちまともったいぶって出されて来る料理を食ってもうまくもなんともない。そういうものに金を使うなんて馬鹿げていると思う。冬の吹きっさらしの風の中、勘定は注文してその都度払いで、その場からいつ逃げ出しても良い、野天の立ち飲みのほうがずっと気楽だ。縄文人だってそういう食事をしていたのにちがいない。

追記。役職選挙をやり直すことになったそうだ。やれやれ。

追記の追記。役職再選挙の結果、また別の役職に選ばれてしまった。これで定年までずっと役職につくことになるだろう。割とプレッシャーを感じている。

中国海外投資

しばらく bing image creator で作った画像をアイキャッチ画像にして遊んでみようと思う。

中国は国内不動産開発をやり過ぎてしまい、深圳や北京、上海などではテナントの入っていないビルや町などができてきているようだ。調整局面に入っているというだけのことだろう。日本だって過疎の村、限界集落、ゴーストタウンやシャッター街、廃墟となった遊園地や温泉郷など、別に珍しくもない。

最近は中国の金持ちは国内不動産を売り払い、その金で海外の資産に投資しているから国内不動産が冷え込んでいる。ずいぶん薄情な連中だが、それだけのことだ。

海外に投資するには人民元をいくら持っててもダメで外貨が必要で、外貨は一般市民はなかなか手に入らないそうだが、中国はまだどんどん輸出しているから国自体は外貨をまだいくらでも手に入れられる状態だ。その外貨で海外に投資しているのは一部の特権階級なのだろう。そうした人たちにとって日本は何かと便利な投資先なのだと思う。

中国共産党としては外貨は国が管理して国内で稼いだ金を人民が海外に移転させたり、海外の資産を買ったりすることを制限したいのだろうが、経済活動としては非常に不自然な話であって、国内にいくらでも投資先があるうちはともかく、すでにある程度飽和してしまうと、より儲けが大きい国外投資が好まれて、国内開発を嫌って人民はこぞって海外に出て行こうとしている。

人民元の価値もまだまだ高く、何かのきっかけで人民元安になり、しかも中国の製造業が割高だということになれば、中国は外貨を獲得できなくなる。そうなると中国は一気に破綻するしかないが、そういう状況にもなかなかなりそうはない。

いずれにしても中国国内の開発は今後消極的になり、経済発展に取り残される人民が増加していく。自己資本を持たない貧乏人、若者、地方などの格差がどんどん広がっていっていくだろう。ただ貧富の格差なんてものは、中国では今に始まったことではなく、中国だけではなくアメリカも同じ状況で、アメリカもなんだかんだ言って全然暴動や革命が起こる気配は無いのだから、中国も、中国人全体が繁栄しているうちはなんとかもつのではなかろうか。貧乏人がいたら革命になるのであれば中国の王朝なんてどれも五十年とはもつまい。