エウメネス

太宰治賞に「エウメネス」という小説を応募した。割と短編。
「新井白石」以来何を書いてよいかわからず、募集〆切がどんどん近づくので、
以前書いた「セルジューク戦記」というやつの中でエウドキアという東ローマの女帝が小説を書くという設定だったので、
彼女がアレクサンドロス大王と王妃ロクサナについて書いたらこんな小説になるのではないかというのが、
最初の構想だったのだが、
結局、アレクサンドロスの側近エウメネスの主観視点でアレクサンドロスを間近に観察する、
といういつものパターン(?)に落ち着いた。
たぶんエウドキアはこんな小説は書かないと思う。
アレクサンドロス目線で小説書いても面白くないと思うのよね。
歴史書みたいな書き方も嫌いじゃないが小説っぽくならないしね。

結局、「新井白石」と「エウメネス」は同工異曲、主人公とヒロインの立ち位置もだいたい同じ、
なんか同じだなと言われそうだが、
同工異曲を恐れていては書けないよ、旧作の再利用はある程度仕方ない。

「新井白石」も「大塩平八郎」もまあ、細かく見ていくと、
小説に書いたような人じゃなかった可能性が高い。
脚色とか思い入れというものはあるんですよ。
「セルジューク戦記」のオマルハイヤームは、もともと伝記の少ない人だから、
キャラ的にはだいぶ自由に作ってある。

まあ、おんなじように、「川越素描」の主人公が山崎菜摘というのだが、彼女も小説家志望で、
彼女がもし小説を書いたらというので、
「アルプスの少女デーテ」とか「スース」とか「超ヒモ理論」を書いたのとだいたい同じ。
作者が女性だったらとか、中世ヨーロッパの人だったらとかいう想定で、
そういう作者になりきって書くのは少し面白い。

しまいにはロクサナの妹アマストリナ(実在)とか、
アマストリナの侍女アパマ(侍女だったかはともかくとして実在)とか、
ロクサナとアマストリナの父ヴァクシュヴァダルヴァ(オクシュアルテス、実在)とか出てきて、
いつものように複雑な人間関係に。
ヴァクシュヴァダルヴァとダーラヤヴァーシュ(ダレイオス)三世とアルタクシャタ(アルタクセルクセス)五世が兄弟というのも、おそらくは史実。
その他もろもろ適当に補完した。

ペルシャ語の「ヴァ」はギリシャ語では「オ」となるようだ。
ヴァクシュヴァダルヴァはだからオクシュオタルオとなり、オクシュアトレスとなり、
オクシュアルテスともなった、のではなかろうか。
なので、オクシュアルテスとオクシュアトレスでは微妙にオクシュアトレスの方が原語に近いか。

ダーラヤヴァーシュはダーラヤオースとなりダレイオスとなりダリウスとなったのだろうと思う。

アパマはスピタメネーの娘ということになっており、スピタメネーは妻に殺害されたことになっているが、
そこんとこだけ都合上史実(伝承?)をいじった。

あと、ガンダーラに出てくる町の名や人の名、アマストリナなどのペルシャ女性の名前が、
ギリシャ語臭くて嫌だったので適当に変えた。
調べてて思ったが西洋人はほんとアレクサンドロス大王とか好きよね。
日本人と比べると知識量がまったく違うと思う。
当時の世界観ではアメリカやオーストラリア、南極大陸だけでなく、
シナもインドシナもシベリアもなかったのよね。
アフリカもナイル川より南は存在してない。
彼らはヨーロッパの大きさだけはだいたい把握してて、
ペルシャとかアラビアもだいたい把握してた。
で、アジアの外に、ヨーロッパと同じ大きさくらいのスキュタイとインドとアフリカがくっついたものが世界だと思ってたわけで、今日知られている世界より十分の一くらい小さかったのではなかろうか。

[エラトステネスの世界地図](http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Mappa_di_Eratostene.jpg)
を見るとスキュティアというのが非常に貧弱で、アフリカも貧弱で、
ヨーロッパより狭い。
インドは少しでかい、ってくらいの認識はあったようだ。
しかも北極海とカスピ海がつながっている。
だから、アレクサンドロス大王は、
北インドからガンジス川をくだって北回りでカスピ海にすぐにもたどり着けるのだと思っていたらしいのだ。

オクシュアルテス

この
[Oxyathres](http://en.wikipedia.org/wiki/Oxyathres_of_Persia)
(Vaxšuvarda)
と、
[Oxyartes](http://en.wikipedia.org/wiki/Oxyartes)
(Vaxšuvadarva)
は同一人物なんじゃないかと思うのだが、どうよ。
日本語版の
[オクシュアルテス](http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%82%AF%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%86%E3%82%B9)
によれば娘にロクサナとアマストリネがいたことになっている。
英語版 Oxyartes にはアマストリネの記述がないのだが、
Oxyathres には [Amastris](http://en.wikipedia.org/wiki/Amastris)
(または Amastrine)という娘がいたことになっている。

まあ、混同されても全然おかしくないレベル。
ていうか同一人物だと考えるとすっきりする。
ダレイオス三世、ベッソス(アルタクセルクセス五世)、オクシュアルテスは、
もともと王族ではあるがバクトリア太守の家系の兄弟なのであり、
ダレイオス三世はアルタクセルクセス四世の血筋が絶えたので、
ペルシャ王となった、
その後アレクサンドロスに敗れて故郷のバクトリアに逃げようとしたが、
弟のベッソスに裏切られた。
さらにその弟のオクシュアルテスがベッソスをとらえてアレクサンドロスのもとに送ったのではなかろうか。

ビックカメラのカレンダー

ビックカメラのカレンダーは便利だが言いたいこともたくさんある。
六曜と九星はいらん。何の役にも立たない迷信に過ぎない。
明治政府が禁令を出したにもかかわらず、ブライダル産業と葬儀屋と田舎者が使い続けている。
月の和名の由来も単なる俗説であり、読むたびいらいらする。
書くなら干支を書いてほしい。これは古代から連綿と続く六十日周期の期日法であって、
たとえば平安時代の公家の日記や鎌倉時代の吾妻鏡、近世では永井家風の日記などを読むとき非常に役に立つ。
google calendar にも採用してもらいたいくらいだ。

販売状況

セルジューク戦記がまた kobo 経由で売れていた。
販売状況を確認できるまで少しタイムラグがあるようである。
まだ3部しか売れてないから印税は150円。

なぜセルジューク戦記だけが売れるのか、
現代ものや和物より世界史ものを書いたほうが売れるのか、
よくわからん。

閲覧数ではアルプスの少女デーテがだんとつ、
川越素描が意外に健闘していて、
セルジューク戦記は三番目。

新井白石を書いてから、大分間があいてしまった。
なかなか書けない。

新井白石

少しヒマがあったので、「折りたく柴の記」を最初から順に読んでみたのだが、
Wikipedia 「新井白石」の記事に

> 先祖は、上野国新田郡新井村(群馬県太田市)の土豪だったが、豊臣秀吉の小田原征伐によって没落したといわれている[1]。

と書いてあるのだが、白石本人は父から聞いてなくて知らないという。
どうやって調べたのだろう。単なる伝説のたぐいか。

> 白石は明暦の大火の翌日の明暦3年(1657年)2月10日、焼け出された避難先で生まれた。幼少の頃より学芸に非凡な才能を示し、わずか3歳にして父の読む儒学の書物をそっくり書き写していたという伝説を持つ。聡明だが気性が激しく、しかも怒ると眉間に「火」の字に似た皺ができることから、藩主土屋利直は白石のことを「火の子」と呼んで可愛がったという。

「火の子」と呼ばれたのは火事の時に生まれた子だから、と「折りたく柴の記」には書いてあるのだが。
それから、三歳で儒学の書(?)をそっくり書写した、などとはどこにも書いてないし、そんなことは不可能だろう。
ただ、「上野物語」という仮名草子を、紙を草紙の上に重ねて、写し取ったもののうち、文字になっているものが十のうち一、二あった。
と書いてある。もしかしてそのことを言っているのか。

どうもこの「新井白石」の記事はおかしくないか。

> 利直の死後、藩主を継いだ土屋直樹には狂気の振る舞いがあり、父の正済は仕えるに足らずと一度も出仕しなかったため、新井父子は2年後の延宝5年(1677年)に土屋家を追われる。

白石の父は、利直から直樹(頼直)に代替わりするときに病気になり、
息子の白石が仕事を継ぐ前に隠居した。
普通武士はそんなことはしない。理由はよくわからない。
何かはばかることがあったのかもしれない。
珍しいことだが、直樹は父利直は不仲だったために、
利直に目をかけられていた白石の父は数年後禄を奪われ、
白石は出仕することを禁じられ、土屋家を追われた。
と、「折りたくしばの記」には書いてあるが、ずいぶんニュアンスが違うのではないか。

> その後直樹が改易されると、自由の身となった白石は大老堀田正俊に仕えたが、

改易したらすぐに自由の身になったのではない。
直樹の子が家督相続して、その子に白石が逵直(みちなお)という名前を選んでやった。
そのことによって白石は再び他家に仕官することを許された。

> 独学で儒学を学び続けた。

どうも独学が好きで好きこのんで師を持たなかったような印象に書いてある。
たぶん戦前の修身の教育でも同じニュアンスなのだろう。
しかし
「折りたく柴の記」には

> しかるべき師といふものもありなむには、かく書に拙き身にもあらじ。

> したがひ学ぶ所もありなば、文学のこともすこしく進むこともありなまし。

> をしへみちびく人もありなむには、今の我にもあらじ。

> 学問の道において不幸なることのみ多かりし事、我にしくものもあるべからず。

などとあって、師をもてれば持ちたかったし、もしもてていれば今よりずっと学問がはかどったに違いない、などと書いている。

ところで、終戦の詔勅に
「耐え難きを耐え、忍び難きを忍び」
というフレーズがあるのだが、「折りたく柴の記」に
「堪えがたき事をも堪え、忍びがたき事をも忍び」というくだりがあって、
はて何か漢籍に出典でもあるのかと思ったが、
それらしきものとしてはおそらく何かの仏典に由来する
「難忍能忍、難行能行」(忍びがたきをよく忍び、行いがたきことをよく行う)というものではなかろうかと思う。
ともかく昭和の人たちは白石の「折りたく柴の記」を熟知していたろうから、
玉音放送にも採った、というのは間違いなかろうと思う。

「折りたく柴の記」は比較的ひらがなの多い和文で書かれていることを思えば、
自分の子孫が(つまり漢学の素養を身につけた男子だけでなく、女子などが)読めるようにと書いたものだろう。
もし儒学者らに向けて書いたなら、読史余論のような文体になったことだろう。
内容も、後半くどくど政治のことを書いているが、普通に読めば新井家の由来、昔話と読めなくもない。