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思うにかつて新風営法でアーケードゲームが殺されて、
かたやパチンコは換金とかより悪質なのに未だに野放しなのは、
要するにパチンコが好きなおじさんおばさんたちの方が、
アーケードゲーム好きなにいちゃんねえちゃんよりも政治力を持っていた、という、
ただそれだけのような気がする。
つまり偉い政治家や財界人にパチンコ愛好家が大勢いるということだ。
ただそれだけだ。

コンテンツ的にパチンコが面白いはずがない。
もし、換金できればビデオゲームの方が数億倍面白いに違いない。
ただ、博打というのは丁半とかちんちろりんと同じで別にルールが複雑である必要はない。

今のソーシャルゲームの課金にしても、まあ、
あれは携帯の通話料金にいつの間にか加算されてしまうのがいけないのであり、
それを経済力のないこどもでも安易に、無意識のうちにできてしまうのがいけないのであり、
あれをダメだといえばゲームセンターもダメということになろう。
良質のゲームに金を払うのは当たり前だし。

ソーシャルゲームは世界中に開発者や顧客がいるわけだから、無料でも結構クオリティが高い。
それは広く薄く、アップグレード課金とかアイテム課金で金を払いたい人から徴収しているからだ。
開発費が集まれば集まるほど良いコンテンツができる。
良いコンテンツが生き残る。
このシステムは決して間違っていない。
それを、ソーシャルゲームの課金は何でもダメみたいな風にするのは、
かつての新風営法と同じだ。
無限(?)の発展姓を秘めていたアーケードゲームを殺し、
総量規制でバブルを殺したのと同じで政治的誤りだと思う。

たぶん、雰囲気的に言えば、
昔のインベーダーハウス的な扱われ方だよな、ソーシャルゲームは。

忠臣二君に事へず

ドコモがシニア向けスマホを出したというのを、NHK などが報道しているのだが、
相変わらずのガラパゴスっぷりであきれる。
というか、docomo 的に iphone はやだから何か独自路線はないかと苦肉の策でこうなったのだろう。

もしシニア向けスマホに需要があるのならば、
nokia といわず apple といわず、すでにどこか海外の企業が手を付けているのではなかろうか。
docomo が世界に先駆けて新機軸を出してくるとは、誰も期待してないと思う。
老人がスマホを好むだろうか。それがどのくらい需要があるのか。
重役会議の面々の顔が思い浮かぶよな。そしてそれを報道しようというマスコミの重役。
そしてそれらの重役どうしはつながってる。
コネだよなコネ。

ていうか、あきらかに、スマホって老人層を切り捨てて若者に特化したから出てきた発想だよね。
古い物をぶっちぎって新しいことをやろうという姿勢なんじゃないのか。
古い物も新しい物もよく、老若男女だれからも受け入れられる、そういう発想から生まれたものではないよね。
水と油な気がする。
いや水と油を混ぜようという努力はあっても良いと思うが。

個人的には水は水油は油路線の方が気持ちいいんだが。

ていうか、そうやって、docomo が新製品だしたからってマスコミがいちいち取り上げるから、
いつまでも docomo は docomo なんじゃないの。
docomo ほど知名度があれば、そしてほんとに世界が必要としているのであれば、
マスコミがほっといても世界がほっとかないんじゃないの。

むしろ日本固有のガラパゴス現象の事例としてドキュメンタリー仕立てにすると、
マスコミ的におもしろいんじゃねーのか。
そういうことはできないんだよなー。

それはそうと忠臣二君にまみえず、は間違いなんだな。まみえるのは貞女で、
忠臣は事えずというらしい。

まみえるは、大和言葉的には男女どちらでも使えるが、漢籍由来しばりがあるということだな。

最近のCMではホンダの「負けるもんか」が好感度高かった。
さすがホンダだなと思った。

霊元院御製集

霊元院御製集を読んだのだが、
時代の順序がばらばらで、肝心の正徳年間の歌は七夕の歌が七つしかない。
歌の分量は多いけれども、おそらくは公式の場とか、あるいはたまたま書記がいて、
死後に残ったものをとりあえず一つにまとめたという感じだ。
ひとつの私家集を作ろうとした形跡は皆無だな。

歌はまあなんというか無難。
面白いものもある。

参考までに後水尾院御製集もちらっと見たが、こちらも似たり寄ったりで、しかもさらに量が多い。
思うに天皇とか院などは公式の場で和歌を詠む機会が多かっただろうから、自然とこのように蓄積したのではないか。
そう、特によくできた歌をえり抜いたとかそのような意図が感じられない。

鐘の音寒き浅草寺

今書いている小説はほぼできあがった。
主役は新井白石。
ヒロインは将軍家継の生母・お喜世の方。
たぶんこのパターンの話は今まで無いはず。
しばらく一人称の話ばかり書いてきたので、リハビリを兼ねて、今回は三人称で書いてみた。

どちらかと言えば短編。応募〆切が直近の新人賞に応募する予定。
余りこてこての歴史小説にしたくなかったのだが、加筆しているうちにやっぱり蘊蓄君がてんこ盛りになってしまった。
ていうかピュアな歴史小説書いたのは久しぶりではなかろうか。
現代小説ばかり書いていて疲れた。
やはり一番書きたい歴史小説でリベンジする。

清元節(?)を使おうと思うのだが、著作権的に問題があると困る(時代的には問題ないのだが、適当にネット検索で拾うと何が混じっているかわからん)のと、
ストーリーにぴったり歌詞をあわせるため、
一つでっちあげることにした。

浮かぶ釣り船 帆掛け船
行き交ふ人や 誰ならむ
むすべば消ゆる うたかたの
一夜うたげの 江戸湊
かなたこなたに 寄る波の
枕さだめぬ ちぎりもや

冴ゆる月夜の 浦風に
さやぐ岸辺の 芳原は
秋のなごりの あともなく
川面に落つる むら時雨
鐘の音寒き 浅草寺
いつしか雪に 降り変はる

ていうか、演歌だな。演歌の源流は浄瑠璃か歌舞伎だわな。
和歌が詠めれば苦も無く作れる。
ていうか、漢詩に比べれば全然楽。

似たような言い回しがあると嫌だなと思ってネットで検索しながらやってるが、
こういうのは案外無いのかもしれん。
一部孝明天皇御製など使わせてもらってる。

白石と家宣

白石は家宣将軍就任当時五百石の旗本だったそうだ。
町奉行の遠山金四郎とちょうど同じ知行だ。
低くもないが高くもない。
旗本だから将軍お目見えはできるが、老中らが執務するご用部屋には入ることができない。
つまり将軍の家臣として直接執務することはできない。
側用人間部詮房は一万石だから大名だ。
後に五万石。譜代で五万石ということは老中クラスということになる。
家宣から間部を通して白石に下命があった、ということだろう。
家宣と白石は、甲府時代はもちろん直接面会をしていたはずであり、
また、綱吉の養子となって江戸城に入った五年間も、白石とじかに会えたのだろうが、
綱吉が死んで家宣が将軍になってしまうと、そう簡単には、少なくとも形式的には会えなくなった、ということだろう。
いやいや、たぶん、白石が職務上正規の手続きを経るにはそのような形式を踏む必要があったが、
白石は家宣が将軍になった後も、直接相談に乗っていた、と考えるべきだろう。

白石はしかし、官位は筑後守従五位下であるから、殿上人であり、御所に昇殿が許されている。
決して低くない。藩主か大名クラスだろう。
浅野内匠頭と同じくらいだ。
つまりは、天皇や朝鮮通信使などの接待の仕事の都合そうなっているのだと思われる。
贈正四位というのは明治に入ってからのことらしい。

元猿楽師の間部ですら五万石の大名になったのに白石は千石の旗本止まり。
何かおかしい。おそらくは白石の希望だったのだろう。

家宣就任時に48才、白石は53才、当時としては、十分に高齢だったと言える。
わざわざ将軍になった後に読史余論などの講釈をしたはずがない。
甲府時代、家宣三十代頃におこなった講義を、家宣が将軍になったあとに清書したということであろう。