退屈に耐えるテスト

ある知り合いが定年退職後に延々と書いている趣味のブログ(国内海外を旅行したというような)をみていると、人は何かやっていないと退屈で死んでしまうんだなと思う。

私の場合は定年まであと五年なのでもう新しいことはいっさい始めず、いままでの蓄積だけであと五年仕事しようと思っている。今私がやらされている仕事のほとんどは組織のマネージメントのようなものだが、正直私には何の興味もない。こんなことをいくらやったところで私が仕事を辞めて死んでしまえば何にも残らない。給料がもらえるからやっているのだけど、しかし、現役時代ずーっと組織のために仕事をして、定年後は誰のため何のためだかわからないブログをずっと書いているのは結局何かやってないとダメだからなのだろう。

永井荷風も「浅草。アリゾナで昼食」とかいうような日記を延々と書いている。永井荷風だからアレにも多少の価値はあるのだろうが、一般人が書いてもほとんど何の意味もない。それでも書く人は書くわけだ。ま、確かに鎌倉時代の公家の日記なんかはなんかの役に立つのかもしれんが、SNSで記録が溢れている今の世の中ではほとんどがむなしい。まあ、中にはそのうち歴史的価値が発生するものもあるのかもしれないが。

私はもうあまりにも今の仕事がばからしくて、仕事を減らすことばかり考えているのだが、それは今私がやらされている仕事のせいであって実はとても時間を無駄にしているようにも思えてくる。でもたぶん私が定年後にやらなきゃならないことはひたすら退屈に耐えて何もしないことだろうと思う。年寄りは何かやろうとして必ず周りに迷惑をかける。何もしなければ誰も気にしないし、自分がただ退屈で死にそうなだけで済む。つまり退屈に耐えることに今から慣れておかなくてはならない。

仕事が無いはずでもいきなりメイルが来て会議やるから日程調整しろとか言われて、気の休まる間もない。そういうのが好きな人は良いが私は嫌いだ。しかし五年後、いっさいそういう仕事から解放された後の私はどうなるのだろうな。確実に言えるのは今の仕事を続けてくれと言われても絶対に断るってことくらいだ。全然別の仕事なら暇つぶし程度にやるかもしれないが。

毎日毎日誰が読むともしれないブログを書く人もいれば、ある時間間隔で定期的に書く人もいる。私はどちらかというと無性に何かを書きたくなったときにまとめて吐き出すような書き方をする。ともかく何かものを書く仕事をしていた人は定年後も何か書いていないと落ち着かないのだろう。

新御徒町の佐竹商店街あたりに住んでみたいなと思う気持ちはある。あそこなら浅草にもすぐいけるし、上野も近いし、東京の西半分にはいい加減住み飽きたが、上野浅草あたりにはまだ未練もある。しかし部屋を借りるのはそれはそれで金もかかるしめんどくさい。本が売れて事務所代わりに借りられればありがたいがそんなに売れるはずもない。

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