借金

銀行口座を開設しようとしたり、クレジットカードを作ろうとするといろいろ個人情報を聞かれる。まあそれはいいんだけど、そのとき、今借金はありますか、ただし住宅ローンは除くっていう質問があって、ははあ、住宅ローンは普通の人でも借りる健全なローンだと一応世の中ではみなされているのだなということがわかる。

しかしアメリカではクレジットカードの支払いが滞った人の借金を住宅ローンに組み込んで、一見借金がなくなったみたいにするのが流行ってるらしい。これをやり始めたら、借金をいくらしても大丈夫みたいに錯覚するのじゃあるまいか。これでまた、サブプライムローンみたいに破綻したら、世の中にはもはや、健全でまともなローンなど何もない、ということになるだろう。アメリカはその行きつくところまで突っ走っているように見える。

円安のせいか今日は株が上がってる。

アメリカは金利をどんどん上げて、インフレもどんどん進んで、ドルがどんどんあがっている。金利を上げるということは、預金が増える要因にもなるが借りている人の借金がどんどん膨らむということだ。アメリカの銀行は破綻までの時間を先延ばしにしているようにしか見えない。

アメリカの預金者は保護されるかもしれないが、日本の投資機関は守られないから、そろそろ日本のいろんなところがアメリカから投資を引き上げるという話もある。アメリカにはまだ全然余力があるからどうせまたもとにもどるんだろうけど、大きな混乱が近い将来くるのは間違いあるまい。そうしたとき資産家は何年か辛抱すればよいのだろうが、貧乏人はますます増える。それでもなおアメリカにやってくる移民は止まらない。地獄だな。

ヒストリエ新刊

『エウメネス』が急に売れ始めたので何かと思い調べてみたら、五年ぶりくらいに『ヒストリエ』の新刊が出たらしい。

『ヒストリエ』と『エウメネス』は主人公がエウメネスというだけで中身はまったく違うものであり、『エウメネス』を書いたとき私はすでに『ヒストリエ』の存在はなんとなく知っていたかと思うが、主人公がエウメネスとは知らなかった。もし知っていたらエウメネスを主人公にすることはなかったと思う。何度もここに書いていることだが、最初は「megas basileus (大王)」というタイトルで、当初エウメネス役の名はニコクラテスという名であった。ニコクラテスはアレクサンドロスの東征とは何の関係もない架空の人物でただひたすらアレクサンドロスを観察する役回りでしかも最初は一人称でもなかった。完全な脇役としてでてくる。良く覚えていないが、ニコクラテスという名はアテナイのアルコン(名親執政官)にいるらしいので、それで適当に見繕ったのだと思う。エウメネスを主人公にしたのは、書記官という立場が私には描きやすかったからだ。一人称にしたのは、そのほうが書きやすかったから。というか、最初の頃は三人称の小説も書いていたのだが、だんだんに一人称のものばかりになっていったのだけど、それはまずもって、一人称のほうが没入感が高いからだ。

エウメネスは一人称だが、本当の主役はアレクサンドロス。読者をエウメネスに感情移入させて、エウメネスの視点からアレクサンドロスを観察させる、という意図でそうなっている。ただしただの地味な書記官に感情移入する読者は少ないと思う。王自身とか剣術使いなどを主人公にしたほうが入り込める読者は多いのだろうが、しょうがないことに私はあまり読者のことを考えて小説を書いていない。自分が面白いように書いている。

だがだんだん長編になってくると一人称のエウメネスのことをいろいろ書くようになって、結局エウメネスが主人公になってしまったのだが。

私が書きたかったのは、大王とはどんな人か、ということだった。だからアレクサンドロスを描いた。アレクサンドロスを観察して分析する主体としてエウメネスという学者がいる。王とは何か、どう考えてどう行動する人かということを考えるというのがこの話の趣旨だ。

トゥキディデスは将軍であると同時に本人がたぐいまれに優れた歴史家であった。クセノフォンもおそろしく優れた戦術家であると同時にトゥキディデスに劣らぬ優れた歴史家であった。しかしながら、当然のことながら、アレクサンドロスは著述家ではない。プトレマイオスはかなり詳しい伝記を残しているらしい(読んだことはないが。おそらくアリアッノスの書いたものの中に断片的に残っているのだろう)。もしアレクサンドロスの側近に優れた著述家がいてくれたら、という私個人の願望がエウメネスというキャラクターを生んだのである。

ちなみにトゥキディデスとクセノフォンについてもわりとしつこく書いた箇所があるから見つけて読んでみてほしい。

小説を書くためにいろいろ調べていくうち、だんだんと興味はセレウコスに移ってきた。セレウコスこそはディアドコイ戦争の最終的な勝利者であり、アレクサンドロスの継承者であり、ローマに滅ぼされるまで続くセレウコス朝を建てたほんものの王者である。

セレウコスは1, 2, 3巻には出てこない。後から1にも書き足したが、4, 5, 6に出てくるキャラである。後半4, 5, 6は私が勝手に書いた創作の要素が多い。かといって前半に少ないというわけではない。4, 5, 6 を書くにあたってさかのぼって1, 2, 3 に伏線を仕込んだりしたからだ。

セレウコスはプトレマイオスの従弟で、ガウガメラから参戦した、オレスティスの若い領主、という設定になっているが、おそらくほぼ史実に沿っていると思う。セレウコスに関する記録や史料はほとんどなく、フィクションで描かなくてはならない部分が多い。

アレクサンドロスには逆に逸話が多すぎる。プルタルコスなんてみんなでまかせの嘘っぱちだ。セレウコスには華やかさはないが優れた治世者だったのは間違いあるまいと思う。セレウコスが再びインド遠征してチャンドラグプタと和約を結んだなんて話はとても面白いのだが、なぜかそういう話を面白がる人は世間には皆無だ。ヨーロッパにもいなかったし当然日本にもいない。

セレウコスの父はアンティオコス。アンティオコスの名はセレウコスが建設したアンティオキアという町の名に残る。セレウコスが作った都セレウキアは今はバグダードと呼ばれている。セレウコスの妻アパマの名をとったアパメアという町も昔はあった。

セレウコスとプトレマイオスが親戚だったことはほぼ間違いない。なぜならセレウコスとかプトレマイオスという名の人物はオレスティスに何人もいて、セレウコスの子がプトレマイオスという名のケースが見られるからである。ギリシャ人は父、祖父、もしくは叔父の名を息子につけることが多かった。しかし自分の名を子につけることはない。

『エウメネス』ではプトレマイオスの父ラゴスと、セレウコスの父アンティオコスは兄弟で、二人ともアロロスのプトレマイオスの子という設定になっている。アロロスのプトレマイオスはペルディッカス三世の摂政で、あった。

これも何度も書いていることだが、このいとこどうしのセレウコスとプトレマイオス朝エジプトの始祖となったプトレマイオスがディアドコイ戦争の真の勝利者である。シリアをセレウコスが治め、エジプトをプトレマイオスが治め、おそらく両者は同盟関係にあった。

ディアドコイ戦争ではアンティゴノスやアンティパトロスやカッサンドロスが注目されることが多いのだが彼らはみなギリシャ残留組であって、アレクサンドロスの後継者でもなんでもない、ただギリシャ本土で彼らの事績が残りやすかったというだけのことだ。西洋史観ではそのあとはすぐにローマ共和国につながっていて、日本人にもその視点しかない。このことがアレクサンドロスの偉業を、西アジアの歴史を非常に見えにくくしている。

ついでに『ヒストリエ』のことを書くと、エウメネスの扱いはまああれでよいとして、アレクサンドロスが予知能力者で、ヘファイスティオンはアレクサンドロスのドッペルゲンガーということになっていて、アレクサンドロスによく似た顔つきの男というのがほかにもでてくるが、これでは歴史を描きようがないと思う。オカルトかファンタジーか。ダンテの『神曲』みたいなものにはなるかもしれないが、いわゆる歴史小説にはなりようがない。そこが『ナポレオン 獅子の時代』とは全然違う。

『ヒストリエ』はいまだにカイロネイアの戦いとかフィリッポス暗殺、アレクサンドロス即位あたりを描いているようだが、そういうマケドニアのローカルな歴史をなぞっている分にはよかろうが、そこから先どうやって世界史につなげていくのか。たぶん作者もまったく見当つかない状態ではなかろうか。

私はやはり、アレクサンドロスとは、ヨーロッパからアジア、インドにいたる、壮大な世界史を描くことに意味があると思っている。ギリシャのちまちました歴史には、興味がないわけじゃないが、インドやペルシャやエジプト、バビュロンやスーサ、ソグドやサマルカンドの話をまんべんなくやらなくてはアレクサンドロスを描く意味がないと思う。

『エウメネス』は最初の1, 2, 3 はほぼ史実通りに書いた。4, 5, 6はかなり脚色した。架空の人物もかなりいるし、史実が残ってないので空想で補わざるを得ないところは作者の特権として好き勝手書いた。しかしながら一応史実を私なりにできるだけ忠実に復元しようと思って書いた。オカルト的要素は(古代史なので皆無ではないが)まったく交えず書いている。そういうものを入れてしまうとなんでもありになってしまい、歴史考察以外の何かになってしまう。

エウメネスがアリストテレスの後継で、アリストテレスはヘルミアスの、ヘルミアスはエウブロスの後継で、ヘルミアスは失脚して、エウブロスの後をメントルが継ぐ。メントルはバルシネと結婚し、バルシネの父アルタバゾスから提督の地位を引き継ぐ。メントルはが死ぬとバルシネはメントルの弟メムノンと再婚する。メムノンが死ぬとアルタバゾスの子ファルナバゾスが継ぐ。ファルナバゾスの後はバルシネの娘と結婚したネアルコスが継ぐ。こうした中で、エウメネスも、アルタバゾスの娘アルトニスと結婚することで、アルタバゾスの閨閥に組み込まれていく、という非常にややこしい話を『エウメネス』ではしているのだが、これも読者が読みたいだろうから書いているのではなく、私が書きたいから書いている。このややこしい話をどう小説に仕立てるのか。ほんとに仕立てられるのか。単なる史実の羅列ではなく面白い読み物に仕立てられるのか。そもそもこんなややこしい話を理解できる読者がいるのか、作者ですら理解できないのに。まあしかしやれるところまでやってみるか。というところが私が今もこの話をリライトし続けている動機といえる。もちろんある程度読まれているからこそリライトしようという意欲もわいてくるのだが。それがたとえ『ヒストリエ』のついでに読まれているとしても。そのうちいつか私の書いたものを単独で面白がる人が現れるかもしれない。

しかし今のところそんな人はほんの数人しかいないことはわかっている。もし私の小説が面白いと思うなら私が書いた『エウメネス』以外の小説も読んでくれるだろうから。しかしそんな人はめったにいない。

エウメネスは「カルディアのエウメネス」と呼ばれるが、実はカルディアの領主だったかもしれない。だとすると、トラキア人かフリュギア人の一領主で、マケドニアがトラキアを征服していく過程で、マケドニアの家臣の一人となり、人質となってペッラに送られ、ミエザで学問を学んで、書記官になった。というのが一番あり得そうな話だ。カルディアはアテナイやスパルタの領地になったこともある。だがそうした場合、本国から執政官が送り込まれるから、その人がカルディアのエウメネスなどと呼ばれるはずがない、と思う。地名を冠するのは領主だからだろう。

ただヘルミアスの例のように、ペルシャでは庶民や奴隷が僭主となることは普通にあったから、エウメネスもそうしたたぐいの庶民であった可能性も全然あるわけである。もしかするとエウメネスは最初からヘルミアスの部下で、カルディアは出身地でもなんでもなく、ヘルミアスにカルディアの統治を任されただけかもしれない。

セレウコスは 358BCくらいに生まれたとされる。アレクサンドロスは356BC生まれなので3才くらい年上ということになる。しかし『エウメネス』ではセレウコスはもっと若く、ガウガメラの戦い(331BC)が初陣でこのとき15才、つまり346BC生まれという設定になっている。セレウコスは 281BC に親戚のプトレマイオス・ケレウノスに暗殺された。また『エウメネス』ではアンティオコスはカイロネイアの戦い(338BC)で死んだことになっているがそういう記録はない。

セレウコスが言われているよりもずっと若いのではないかと私が思ったのは、彼の名が歴史に登場するのがインドに入った後からだ。セレウコスはおそらく身内のプトレマイオス勢の中にいたのだろう。ディアドコイの中では影が薄いなどと言われているのは参戦が遅れた、つまりまだ若すぎたからではないか。

クレイトスやパルメニオンなど、フィリッポス2世の頃からいた旧臣を第1世代、アレクサンドロスと同い年くらい、つまり東征開始時に20才くらいだった連中を第2世代とすると、カッサンドロスやセレウコスは第3世代という具合に、かなり年齢差があるように思われる。

おそらくセレウコスは、人民に慕われるタイプの、やたらと派手な戦争をするのではなく、調整型の君主であった。父や妻の名を冠した都市をいくつも建設したのも同じ理由だろう。家族を大事にし、領民を大事にする。それゆえに自然と人望が集まり、アレクサンドロスの、そしてペルシャの旧領を回収することができたのだろう。そのセレウコスが身内に殺されたのは皮肉だが、アレクサンドロスも、フィリッポス二世も同じように身内に殺されたのだった。

東京銭湯共通入浴券

入浴券の期限があと少しで切れてしまう。期限はまだまだ先だなと思っていると案外使わずに過ぎてしまう。使わないのはもったいないが無理に使うのも面倒だ。それで、まだ行ったことがないところへ試しに行ってみようと思うのだが、歩いて行ける近場はもう全部行ってしまっているので、電車で数駅くらいのところへ行って、銭湯入って、適当に近くの安い居酒屋で飲んで、それでまた電車で帰ってこようと思っている。中央線より北側に広大な未開拓ゾーンが広がっているのでちまちまやっていく。

しかしこの共通券だけど、期限が切り替わるのが年に6月30日一度きりらしい。

7月に買っても6月に買っても期限は6月30日。ふだんしょっちゅう銭湯に行く人にとっては誤差のようなものかもしれないが。

たいていどこの銭湯もちょっとずつちょっとずつ使いにくいのだがそれは個人経営の銭湯なんだから仕方ないとあきらめてこちらから合わせていかねばなるまい。

人の悪口

サイトを再開して1年経つと最近は以前よりもかなりグーグルで検索されるようになったようだ。というより、グーグルは1年未満のサイトを検索結果に極力出さないようにしているようだ。そういう日の浅いサイトを信用しないというのはある意味かなり効果のあるフィルタリングかもしれない。

そうして検索されたからといってブログ村のPVが増えるわけでもない。いずれにしても今は誤差の範囲ということだろう。検索されたりバズったりすることは悪いことではないと思うが、ただ単にそれで目立つことが目的化して、書きたいことではなく、目立つため、書きたくもないのにインプレッションを稼ぐための記事を書くようでは、何も書かないのと同じか、むしろもっと悪い、人生の無駄遣いに等しいことだと思っている。それを本腰入れて商売にするというのであれば、少なくとも生計のたしになっているのだから意味が無いとはいえないのだろうが。

エゴサするのが好きな人がいて、自分の悪口を言っている人はとりあえずブロックし、自分のことを良く言っている人の言葉だけ聞いていたいという人はいるのかもしれない。まったく絡みもしてこない相手をブロックする理由というのはそれしか考えられない。とにかく目障りなものは見ない、自分のファンの反応だけを見て承認欲求を満たす。そもそもエゴサしない人は赤の他人をブロックすることはあるまい。

私はどうだろうか。なにかバズっていろいろ私のことを世間で良く言ったり悪く言ったりしていて、悪口はみたくないからブロックするだろうか。そもそもエゴサしたりするだろうか。わからん。なってみないとわからないものなのかもしれない。しかしまあ、人の悪口というのはかなりメンタルにくるだろうか、できるだけ見ないようにするのが精神衛生に良いのだろうということはわからんではない。

フォローされたりリツイートされたりしたというのなら話はまた別だが。

田舎暮らしは嫌だ

多少不便でも良いから田舎でのんびり暮らしたい、とは誰しも思うことかもしれない。最初のうちは物珍しさで毎日楽しいかもしれないが長期滞在しているとだんだん嫌なところが見えてくる。

ものすごい田舎でなければ田舎が不便ということは最近はあまりないと思う。イオンモールなり、ホームセンターなりスーパーなり、ドラッグストアなど何かしらあって買い物に困るというケースは、少なくとも駅から徒歩圏ならばないと思う。

田舎は案外うるさい。畑や田んぼは例外なくうるさい。耕運機やらなにやら。田舎の家も生け垣などあると刈り込みの音がうるさい。農業がなにもかも機械化されて年寄りがやるようになったからうるさくてしかたない。工務店と同じだ。

あとやはり田舎には、住宅街にはうるさすぎていられないような工務店か工場のようなものが点在していてこれがまたうるさい。いちいち気に障る。

それから、ワゴン販売みたいなのが駐車場に止まってるとこれがまたバックで駐車するときにいちいちうるさい。

田舎に静かな一人暮らしなどというものを求めても結局人が住んでればなにかしらうるさいのである。駅や街道から離れ周りにたんぼも畑もない一軒家などが良いのかもしれないが、私は胸に機械を入れてから免許証をとりあげられてしまったし、そもそも車に乗りたくないし、そんな周りにひとけのない、どんな野生動物が出るかもしれないところは危険な気もする。それで結局静寂な環境を求めるのであれば、きちんと防音されたマンションなどに住むしかないのではないかと思う。

腹八分目、酒八分目

食事にせよ飲酒にせよ、適当なところで止めておくのが平穏無事に生きていくためには必要なんだなと思う。

やはり高いウィスキーでハイボールを作るのはもったいないと思うようになった。シーバスリーガルがホワイトホースくらい安ければロックも炭酸割りも全部シーバスリーガルで飲むのだが、そういうことは超富裕層の上級国民で、伊勢丹の外商通してしか買い物しないような人にだけ許されるのだろう。

玉子ほどじゃないが、ウィスキーも最近だんだん最近高くなってきた。ホワイトホースも1本1500円くらいまで上がったが最近はまた1000円近くまで下がってきたのは喜ばしい。ホワイトホースばかり飲むと飽きるのでいろいろほかのを飲んだりするんだがホワイトホースを超えるウィスキーはなかなかない。特に国産にはない。国産の高価なウィスキーをありがたがる風潮は私にはまったく理解できない。chivas regal とかジョニ黒とかジャックダニエルとか、あとは knob creek なんかを順繰りに飲めればそれでいいかな。

匿名と実名

私はブログやツイッターに匿名で書いているわけだが、その匿名で紙の本を出してもらったり、kdpで個人出版しているので、一応、ただのアノニマスな人間として活動しているわけではなくて、売れているかどうかはともかく、一個の作家としてすでに世の中に存在していると思う。そしてたぶん調べれば私の本名を調べるのはそんな難しくないし、わかったからいまさらどうということもない。多少困ることになるかもしれないし、職場に迷惑がかかるかもしれないが、その程度の発言をしている人は世の中にざらにいるし、問題があるとも思えない。一時期、ツイッターの匿名アカウントが実は某通信社の社員だったことが判明したりして騒ぎになったが、私はそういうタイプの人間ではないと思う。

さらに言えば、7年後定年したら、匿名と本名を区別せずやっていくつもりで着々と準備している。もう私も60才なので、匿名と実名を使い分けてどうこうなどということはせず、書きたいものを書きたいように書こうと思っているわけだ。

それで、ある人にツイッターアカウントをブロックされたのだが、別にこれが初めてのことではないのだけど、私はわりと小心者なので気にしている。いまのところ警告されたり削除依頼が来たわけではないし、まして、相手の記事に返信したりリツイートしたわけでもない。私が嫌いですよ、困ってます迷惑してます、という意思表示ではあり、また私の書いたものが(おそらくこのブログを含めて)相手に読まれているということだ。どういう頻度で詠みに来るのかは知らん。ブロックしてそのまま無視するのか。それともときどきチェックしにくるのか。まったくわからん。なんか怖い。

となると私もこれから何を書こうかということを意識せざるを得ない。

とりあえずこれ以上メンションするのはやめておこうと思う。

次に出す本は割と政治的要素が強いのだけど、今までもそういうものをKDPで出したことはあるが、紙で出て、しかも世間で話題になったらなんか言われるんじゃないかという心配は実はあるんだが、まあもう私も60だからそろそろ言いたいことを言わせてもらおうかなと腹をくくりつつあるところだ。

夫婦同姓

梅雨入り直前というところかなあ。

世の中では江戸時代の夫婦同姓と養子縁組をごっちゃにしている、あるいは、ごっちゃにしたがっている人が多いように思う。たとえば、婿取りをして、婿が養子縁組によって姓を変えて、夫婦同姓になる、ということはあったと思う。医者とか、芸能の家の場合には特に多かったようだ。本居宣長も明らかに、婿入りで京都の医者になるのを狙っていた。

婿取りとは要するに女系相続のことだから、漢民族や、ゲルマン法に基づく西ヨーロッパではなかったが、東ヨーロッパや古くギリシャ、ローマでも、或いは東ローマ帝国でも、女系相続というものはごく普通におこなわれていた。しかしふつうそれは夫婦同姓とは言わない。養子縁組だ。

嫁入りにしても、夫婦になると同時に妻が養子縁組して夫と同じ姓になることは、あったのかもしれない。或いはそこまで民間では厳密に姓というものが考えられていなかったか、そもそも姓というものを持たない人もいたかもしれない。

しかし武家や公家は違う。徳川氏に藤原氏が嫁入りしても、嫁は藤原氏のままだったはずだ。徳川氏に皇女が嫁入りするときだって、皇女は皇族のままで、徳川氏になるわけではない。天皇に藤原氏の娘が入内しても、皇族になるわけではなく、藤原氏のままだ。

あるいは、商家の屋号というものが実質的に姓の機能をもっていたから夫婦同姓だといいたがる人もいるようだ。

いろいろ民間の制度はあったかもしれないが、原則として日本は江戸時代まで夫婦別姓だった、というのが歴史的事実だろ。違うんなら違うという理屈が知りたい。

はかもなきこと

youtube でうっかり kpop を見たりしようものなら次から次に kpop を推してくる。お勧めに表示しないボタンを押しても簡単には止まらない。よほど kpop を見せたくてたまらないらしい。

夜でも暑い。

twitter にはめったなことではもう書き込まない。何か書きたくなったらまず紙にメモして、たまってきたらここのブログに書くようにする。

セイコーがすごく値上がりしてて非常に悔しい。時計株は買いたいのだけど将来性が不明なので買わないでいた。特にカシオが低迷している。嘘でも良いからスマートウォッチ出しまーすとか発表すりゃすぐ回復しそうなものだが。そういう流行りものには絶対手を出さないって決めてるのかな。セイコーはなんだろ。将来第二のロレックスになるかもしれん、セイコーのメカニカルなら資産として運用できるかもしれんと思われたのか。

チプカシは資産には絶対ならんしな。G-Shock もしょせん消耗品だし。

このブログを再開してだいたい1年が経過してようやく「はかもなきこと」で検索をかけて google の検索結果の1位に表示されるようになった。休眠にせよ新しいサイトにせよ、1年間は様子をみられるということか。

十郎のソウルフードの旅も、十郎の溶けて流れても、やっとブログ村と並んで本家サイトが上位に表示されるようになった。

夏目書房新社のサイトはしかしまだ浮上してこない。たぶん夏目書房という、ほとんど同じ名前のサイトがずっと前から存在するからだろう。そもそも先に夏目書房という本屋さんが神保町にあったのに同じ名前の出版社を作ったのが良くなかった。あと、このサイトは出版された本を紹介されているだけでそれ以外まったく更新されないので、googleには価値が低いと判断されているのかもしれない。

twitterに書き散らかすのはやはり良くない。後から読み直そうと思ってもどこに書いたかすぐにはわからないのだから。

casio databank 電卓付きゴールド

つい買ってしまったのだが、いろいろ問題がある。

防水ではないので、つけっぱなしで使うことに不安がある。

それでも気にせず使おうかと思うと、重いせいか、ベルトが外れやすい。爪でひっかけるだけの構造なので、そこが問題。

困りましたな。普通のチプカシ使うかな。