ちまちました研究

例によって吉原ビッグエー。イオンのカルローズ米「かろやか」4kg 2680円と、あかふじ「いつものお米」5kg 3480円の選択肢があり、今回は「いつものお米」にしておいた。普通の「こしひかり」が 5kg 3980円で売ってあったんだが、まあずいぶん安くなっては来たけれど、銘柄米とミックス米食べ比べても私は大した違いはわからない。今後は押し麦なんかを混ぜて食べようかとも思っていてそれだとなおさら違いはわかるまい。なんならオートミールを食べても良い。世の中の人はまだまだ旨い国産米というものにこだわり続けるらしく見える。しかしなぜ?

Youtube や twitter を読むのも無駄だが、このブログを書くのも時間の無駄には違いない。このところちと久しぶりに研究というものをやってみたが、論文書いたり実験したりしているとあっという間に時間が過ぎていき、おかけで youtube や twitter なんぞをだらだらみたり書き込んだりしなくて良い。

テレビに比べれば youtube はまだましだが youtube もみすぎるともう見たくなくなる。たぶん1週間に1度くらい、あるいは移動中にスマホかなんかで見る程度にしたほうが良い。部屋の中にいてだらだらみてるのはよろしくない。

都議選とか参院選とかみてると、NHK党が一番まともな政党に見えてくる。ましかしこの年になって政治に何か期待してもそれもまた時間の無駄だ。無駄をなくして時間を節約したからといって定年過ぎればその時間も持て余すのだろうが、死ぬ日が来るまで何もしないのが一番良い生き方な気がする(時間があるからと無理に何かしようとするのが良くない)。

住んでみてわかったが吉原のあたりはほんとうに交通が不便だ。雷門か蔵前、新御徒町あたりに住むべきだった。家賃も大した違いはない。新御徒町はつくばエクスプレスにも乗れるし、大江戸線にも乗れるし、御徒町か上野まででればどこへでもいけるし、とにかく便利だ。ただ定年後まで東京に住む気はまったくないが。

都会はなんだかんだでうるさくて困る。人も車もビルも多すぎる。ビルは建て替えたり修繕したりでうるさい。車はうるさい。普通の家とみせかけてときどき工務店みたいに騒音を出す家がある。自転車も多い。ランニンガーも多い。ほんとうに邪魔で危険だ。マフラーを改造した原付が真夜中走り散らかしたりする。とにかくいちいち気に障る。便利なのは良いが不快でもある。そんなわかりきったことを言っても仕方ないが。実は、新しい建物も立たず、新しい人も入ってこず、しかし昔作られた社会的インフラがまだ機能している地方都市なんかが一番快適に住めるのではないか。いや絶対そうに違いない。仕事をしているときは東京の引力に負けて都心に引き寄せられてしまうが、定年後はわざわざ東京に住む必要はない。今のうちせいぜい東京の娯楽を楽しんでおき、東京を離れよう。

私はもう30才くらいに自分の研究者としての才能を見切ってしまった。私は研究者としてアカデミズムの世界で一定の地位を保てる程度の研究はできる人間だろうと思う。ここはまあまあ居心地の良い世界だから、定年まではここに居続けるだけの努力はしてもよい。しかしそれ以上の努力をしたとしても、私の研究が世の中を変えたりすることはまずない。特に私の専門分野はCGなので、CGなんてものは個人の研究者がああだこうだする時代はとっくに過ぎてしまい、GAFAMみたいな大企業が、日本でいえば任天堂とかソニーなんかが大金を投資してよってたかって研究する時代になってしまった。恐竜が闊歩する時代に蟻ごときが何をしても無駄だ。企業にはできぬ、個人にしかできぬような基礎研究をやる才能が私にあるかといえば微妙だ。そういう研究は、もしかしたらできるかもしれないが、成果が出る保証がまるでない。

たとえばアインシュタインみたいな天才的な科学者がいたとしよう。しかし1年間南の島にバカンスにでかけて、再び研究の世界に戻ってきた頃にはもうとっくに別の誰かが相対性理論を発表し、別の誰かが「アインシュタイン」というアイコンになって世の中でもてはやされていたはずだ。アインシュタインという人がもしいなかったとしても、1年かそこらで同じようなことを思いつく人はいたはずだ。あの天才数学者ガウスにしても、せいぜい10年も待てば彼と同じことを思いつく人は出たはずだ。

自然科学にはそうしたむなしさがある。芥川龍之介もなんか同じようなことを言っていたような気がする。自分が書かなくても近い将来同じようなことを書くやつは出てくるに違いないと。

ま、ともかく今回、ちょっとばかしの業績が業務上必要になったので研究をやってみたけど、さらにその研究を進めるつもりはない。私がやらなくても誰かがいずれはやるに違いないからだ。そんなちまちました重箱の隅ほじるような研究に時間を費やすくらいなら、何もせずぼーっとしていたほうがいさぎよい。科研費当てたとか外部資金とか助成金をいくらもらったとか。そういうのは所属している機関には評価されるかもしれないが、自分にとっては別段面白くもなんともない。そういうのが面白いと思う人は単に自分が属している組織や学会や世間に評価されるのがうれしくてたまらないのだろうけど、私は全然うれしくない。

今の生成AIも、あれは暗号資産と同じで、ただひたすら金をかけて計算力を消費すればするほどもうかるからやっているに過ぎない。資本をもっていればいるほど結果が出せる。そんなことやって何が面白いのかと思う。

天長節

天皇も庶民も江戸時代までは数え年で、正月をもって誕生日としていたのだから、明治より前に天長節などというものがあったはずがない。

今の右翼はただ明治政府が西洋の猿真似で始めたことを伝統とか保守とか言っているだけで、ほんとうの保守を知らぬ。夫婦同姓しかり(左翼は左翼で、関東大震災の後に植えた、たかだか100年ばかりしか立たない神宮外苑の銀杏並木を切るのが環境破壊だのなんだのと騒いでいる。中野サンプラザに至っては何が気に入らないのかさっぱりわからん)。

まず、明治政府がやったことで良かったことを復活させ、まずかったことを廃止する。

次に徳川幕府がやってよかったことを復活させ、悪かったことを廃止する。

足利幕府がやってよかったことを復活させ、悪かったことを廃止する。

鎌倉北条氏がやってよかったことを復活させ、悪かったことを廃止する。

摂家がやってよかったことは律令であろうと復活させ、悪かったことは廃止する。

それでやっとなんとかまともな保守と言える。

そこから先は記録が残っていないか曖昧だから、だんだんに手を付けていけばよかろう。

大和言葉だけで日常会話ができるくらいでなければ真の保守とは言えない。

今の右翼の(左翼も)知能はAIレベル。何が正しくて何が間違っているかなんてまるでわかってない。世間一般で信じられていることを事実だと思い込んでいるだけ。

沢庵

沢庵にカビが生えた。冷蔵庫に入れておいたのにカビるとは思わなかった。大根に生える青カビじゃなくてなんか気持ちの悪い白っぽいぶつぶつの吹き出物みたいなカビだった(最初は塩がふいたのかと思ったが違った)。カビが生えたのは一種類だけでほかのは無事だったようだ。どこのメーカーのがカビたのだろうか。今となってはわからない。

沢庵は難しい。真ん中あたりはうまくても端のほうがまずい沢庵もある。試しながらだんだんに商品を絞り込んでいくしかないのか。東京はものがあふれているがまともな沢庵やまともな梅干しを買うのは難しいところだ。

alt und lebensgesättigt

創世記25:8

アブラハム遐齡に及び老人となり年滿て氣たえ死て其民に加はる

明治元訳聖書

アブラハムは長寿を全うして息を引き取り、満ち足りて死に、先祖の列に加えられた。

共同訳

「年満ちて」もしくは「満ち足りて死に」と訳されることが多いようだが、「生きるに飽きて」と訳されることもある。マックスウェーバー著、岩波文庫版『職業としての学問』など。

『職業としての科学』

アブラハムは、あるいは昔の名もなき農民は、「年老い人生に満足して」死をむかえた。

と訳している。この箇所、原文は

Abraham oder irgendein Bauer der alten Zeit starb »alt und lebensgesättigt«, weil er im organischen Kreislauf des Lebens stand, weil sein Leben auch seinem Sinn nach ihm am Abend seiner Tage gebracht hatte, was es bieten konnte, weil für ihn keine Rätsel, die er zu lösen wünschte, übrig blieben und er deshalb »genug« daran haben konnte. Ein Kulturmensch aber, hineingestellt in die fortwährende Anreicherung der Zivilisation mit Gedanken, Wissen, Problemen, der kann »lebensmüde« werden, aber nicht: lebensgesättigt.

となっている。旧約聖書はヘブライ語で書かれているからヘブライ語まで遡ってもともとのニュアンスを調べるべきかもしれないが、それは私には不可能だし、私にとっては、マックスウェーバーがどういう意図でこの言葉(ルター訳か)を引用したか知れば十分である。

lebensgesättigt は leben に gesättigt したということだ。gesättigt は wiktionary では nicht mehr hungrig 「もはや飢えていない」「おなかいっぱい」という意味であると記述している。英語では saturated という。語源となっている sat はおそらくラテン語由来であろう。

「おなかいっぱい」は満ち足りている、満足している、と解釈もできるが、飽き飽きしている、もうこりごりだ、という意味にもとれる。両方だとしてではどちらの意味に近いか。

マックスウェーバーは lebensgesättigt を lebensmüde と対比させて使っている。müdeは飽きたという意味もあるかもしれないが疲れた、眠い、だるいなどとという意味だ。昔の人は十分に長く生きて、つまり天寿を全うして死ぬことができた。しかし現代人は、人生に疲れることはできても、やることがもう無い、すべてやり尽くして死ぬことはできない、とマックスウェーバーは言っている。

なるほど彼が生きた20世紀前半はそうだったかもしれない。世の中には未解決の問題が山積みしていて、自分の一生では、自分の能力では、とうていそれらのすべてに手を付けることもできないし、すべてを解決することもできないし、結論を見てから死ぬこともできない。そもそもすべての事象を把握することすらできない。自分の周りのごく狭い領域の問題を認識できるに過ぎない。

マックスウェーバーは56才で死んだ。まだまだやり残したことがたくさんあっただろう。

しかるに現代に生きる私はどうだろうか。もう60才になったが、まだ今のところ死にそうにもない。

80才まで生きられるとしてあと20年間でいったい私に何ができるというのか、今までの60年間の人生と比べてこれからの20年間にどれほどの意味があるのか、いったいどんな未知の可能性が残されているのか、残されているとしても、それをやり遂げる気力が残っているのか、と思う。死ぬのは嫌だから生きてはいるけどそのことに積極的な意味が見いだせない。

若者が良く、20年間生きてみたがもう人生に飽きた、などと良く言うのだが、年寄りが、60年間生きてみたがもう人生に飽きたというのとは少し違う。というより、若い頃は人生に飽き、年を取ると人生に終着するのが人間の習性のように思える。

ところでアブラハムはユダヤ人の始祖であるはずが、どうして民に加わるとか先祖の列に加えられる、などと言うのだろうか。ユダヤ教では死後霊魂は復活の日まで封印されることになっている。天国も地獄もない。民に加わるとはそのことをいうか。

定点観測に某ディスカウント店に行った。なんと、「いつものお米」5kg が 200円値上がりして 3680円になっていた。このタイミングで値上げ?どういうことなのか。イオンのカルローズ米も売っていた。こちらも余り気味。どうしてみんなイオンのカルローズ米を買ってあげないのだろう。備蓄米を売り出したら徹夜して並ぶくせに。結局こうした消費者心理のせいで米の値段は上がってしまうのだとしか言いようがない。

コーヒーもトップバリュの ChillBreakはあるんだが 1kg ではなくて 200g くらい?のもので、非常に高い。

コーヒーにせよ玉子にせよ、二度と安くはならないような気がする。国産米ももう二度と昔の価格には戻らないのではないか。

で、結局何も買うものがなく、トイレットペーパーを備蓄用に一つ買っておいた。

追記。某ドラッグストアに備蓄米が売られていた。私は備蓄米が売られているのを初めて見たのだが、販売者のところにシールが貼ってあり、どうもこれは、アイリスオーヤマが売り出した備蓄米の転売のように思われる。安いといえば安いがアイリスオーヤマが 5kg で 2000円で売っているのに比べるとかなり高い。アイリスオーヤマのネット販売は数量制限などかけてないらしく、転売ヤー(?)が買い占めたものを利ざやつけて売っているようにみえる。どうもこれを買うのは負けな気がした。

都議選

いろいろと面白すぎる(笑)

さとうさおりさん。普通にすごい。好きか嫌いかといわれれば微妙。深田萌絵さん的なキャラだよな。二人とも非常にあやうい感じだけど、どんどん世の中を引っかき回せば良いと思う。冷静に考えれば今回たまたま一都議になっただけだ。歴史上都議や府議や県議になった人なんて何万人もいる。まだその一人になったに過ぎない、とも言える。だけど普通の都議よりは期待値は高い。

さとうさおりさんといえばつい最近もクラファンで参院選の供託金集めようとしてたよな。たしか今年、千代田区長選挙で江戸城の天守閣再建を公約にしてたよね。もとはといえば菅義偉が言い出したことらしいが。それについては最近 twitter にも書いたのだけど、

2024年12月5日
江戸城再建(笑)

菅義偉が天守閣を再建しようって言ったのか。それで300億円くらい?
午前2:02 · 2024年12月5日

2024年12月5日
せっかくなので本丸とかもろもろも再建しよう。

2024年12月5日
ていうか江戸城を再建するんなら天守閣は無しのまま本丸だけ再建するのが筋なんじゃないの。
天守閣だけあって本丸は無い状態なんて江戸時代には一切なかったわけだし。

2024年12月5日
ついでに首都高を撤去してお濠も昔通りの姿にしようよ。

2022年8月10日
城(特に華美な天守閣)は贅沢品なので、戦時でなければ、財政負担を減らし領民を慈しむためにも、火事や雷で焼けたら再建しないっていうのが善政、という認識があったからではないかね。
江戸城の天守閣などもそう。むしろあるべきところに無いのが平和と治世のシンボルみたいなところあったと思う。

ま、だから、さとうさおりさんが減税党などというのであれば徳川幕府の精神を受け継いで、天守閣は建てないままにして、本丸などを復元して、博物館代わりにすれば良いと思うよ。天守なんてものは織田信長が発明したただのはったりに過ぎないよ。江戸城の価値はあの壮大な縄張り、内堀に外堀にある。だから本気で江戸城を再建しようと思うなら外堀を復活させないと。

天守再建に300億円かかるとして本丸を再建するにはたぶんもっと金がかかる。外堀復活にはもっと金がかかる。しかしそれ以上の観光収入があれば問題無いわけだよな。これ以上東京に観光客が来られても困るがね。だからまず首都移転を先にやって、首都高もみんな撤去して、外堀を復活させて、江戸城を江戸時代のままに戻す。それがほんとうの保守だよ。

さとうさおりさんみたいに積極的にガンガン選挙に立候補してネットに露出していれば今の時代けっこう効き目があるってことなんじゃないのかな。

自民の票が、大阪では維新に、東京では都民ファーストに流れて、全体的にばらけてきていて、ネットに露出している個人(元NHK党やその他のいわゆるネット政党などを含めて)が当選するケースが増えている。以前は自民がダメだから民主に流れたりしたがそれじゃダメだったことがわかったから、自民がダメなら分散するという傾向になっているように思える。私だって今の自民党には入れたくない(笑)。でもその代替で民主党にはもっと入れたくない。となれば第三の選択肢になる、しかない。自民がふがいなさすぎるのがよくない。自民が割れて政党が再編されるまでいってほしい。

自民党は保守とは言っているけども薩長政権がやったことを保守しようと言っているだけで、徳川幕府なんかがやってたことを保守しようと言っているのではない。今のネットウヨなんかはもっと混乱している。何を保守なきゃいけないかってことがわかってないように思える。もちろん明治政府は良い仕事もした。徳川の治世にも問題はあった。どれが良くどれが悪いと取捨選択すること自体が難しい。革新は古いものは全部ダメだといえばそれで済むから簡単だ。わかりやすい。それが良いかどうかはともかく。いっぽう保守は難しい。難しいにもかかわらず、革新と同じノリで、簡単にこれは保守しましょうというのが好きになれない。人は足利幕府のダメだったところしか見ない。室町時代は文化芸能だけが栄えて発展したなどと軽々しく言う。そんなことは全然無い。あの無茶苦茶な後醍醐天皇、南北朝にしても、ある種の、痛みを伴う改革だったと言えなくもないし、その反省から出てきたのが足利幕府で、あんまりうまく機能しなかったけれど当時としてはそれなりに成果は残したと思う。

ていうような話を司馬遼太郎なんかはまるでわかってないし、坂本龍馬好きな連中もわかってないし、いわゆる保守とかネトウヨという連中はみんなそのたぐいだから、保守は好きだけど保守と言われているもしくは自称している連中は好きじゃない。リベラルとかパヨクに対抗するためにネトウヨはある程度いるほうが良いと思うが、ネトウヨとは歴史認識が違うから賛同できない。

ともかく政治資金をクラファンで集めるのが主流になり、ネットで名前を売り人に知られさえすれば議員になれるとしたら、もはや自民党のような政党は不要で、タレント議員みたいにマスコミを踏み台にして有名になるまでもないということになるわな。

世間一般では、きちんと歴史を勉強して、和歌が詠めるようになってから保守になるのではない。そんな保守いるわけない。私だって子供の頃は歴史も知らなかったし和歌も詠めなかった。ただ保守の表面ではなく根っこのほうに興味があって好きだったから続けられたというのはあると思う。

それはそうと和歌についての本を書き終えてもうだいぶ経つ。和歌のことばかり考えていると和歌のことがわかるようになり歌も自然に詠めるのだが、歌にばかり集中してるわけにはいかないし、飽きも来る。他のことに集中し出すととたんに歌が詠めなくなる。詠もうと思って詠めないことはないが時間がかかるし、頭を無理矢理切り替えなくてはならない。良いものも出てきにくい。和歌が詠める人というのは要するに毎日和歌のことばかり考えて毎日歌を詠んでいる人なのだ。作曲も同じで、作曲のことばかり毎日考えているとそのうちそれらしきものが少しは作れるようになる。しかししばらく離れているとまた作れなくなる。研究も同じだな。ずっと研究し続けてないと研究はできなくなってしまう。ブランクが長ければ長いほどリハビリに時間と努力を要する。

ましかし、それで客観的に、冷静に、自分が書いたものを読めるようになるのは良い。

追記: やはりいよいよテレビの影響力が落ちて、ネットがそれに置き換わっていて、自民党はなんだかんだ、マスコミには攻撃されてはいても、与党であるからにはテレビへの露出は一番大きく、それが票につながり、組織票につながっていたのだろう。逆に自民党はネットの基盤がまったくない。今の若者なんて youtube どころか、tiktok や instagram なんかのショート動画しか見ない。タレント議員はノリがテレビタレントなのだろう。そういうものを今の若者は古くさいと感じるのかもしれない。

買い急ぎ

またまた浅草のアジトに戻ってきて、備蓄米でも買ってみようかと吉原のビッグエーに行ったところ、イオンのカルローズ米しか売ってなかったので、仕方なくこれを買った。すでにまいばすけっとで買って食べたことがあるので、他の違うやつが食べたかったのだがしかたない。この「かろやか」だが、普通に旨い。冷えてもそんなにまずくはならない。この品質で、ブラインドテストで品種や銘柄を当てられる人がいたら見てみたいものである。

ただし米粒の色や形が微妙に違うので(左が国産ブレンド米。丸くて少し黄色くて大きい。左がカルローズ米。やや細長く、白く、小粒)。

江藤拓(前)農水相が

ご家庭を守ってらっしゃる主婦の皆様が不安に駆られ、買うコメの量を増やしている。そのためコメの価格が上昇し、品不足になっている

などと発言して更迭されてしまったのだが、これは私が以前、米不足近況などで書いたことと同じだ。江藤氏はさらに米の不作についても否定している。大臣ともあろう人が何も根拠が無くてそういう発言をするはずがない。彼自身は売られている米を買ったことがないという。それは親戚に米農家がいれば普通のことだ。私も、米が余っている年、つまり米の価格が安い時には、30kgの米袋をただでもらったりしたことがある。彼は個人的に親しく農家の実態を知っている上でああいう発言をしたのだ。それをマスコミに揚げ足を取られて、更迭に追い込まれてしまった。農家の実感とマスコミの思い込みは明らかに乖離している。

マスコミ向けの記者会見だったからマスコミ批判はしたくてもできなかっただろう。マスコミは真実はどうあれ大臣の発言は叩くのが社会正義だと信じ込んでしまっている。しかしながら、マスコミの煽りが米不足の一因になった、という反省がマスコミ側からまったく出て来ないのは不誠実というべきではないか。国家的な危機においてマスコミがまったく役に立たないどころか逆に危機を増大させていることが今回再び明らかになった。かつ、消費者は自分たちが一番の原因だという反省をすることもない。消費者が、一般大衆が聞く耳持たぬということはあるまい。一部識者による分析が語られていないわけでもない。知識の送り手と受け手が何者かによって壟断されている。これでどうやって今後の対策の検討につなげていくことができようか。マスコミはおそらく薄々わかっているに違いないのに消費者の無知につけ込んで消費者を煽りヒステリックにさせて政治家を陥れて世間の注目を集めようとしている。ジャーナリストが死んだ後に落ちる地獄というものがきっとあるに違いない。

木徳神糧「ステークホルダーのみなさまへ」では米高騰の原因を

記録的猛暑や豪⾬による収穫量の減少や、⽣産コストの上昇、インバウンドを含む消費の増加、ひっ迫感を受けた買い急ぎといった複数の要因が重なり、安定供給に対する不安が増⼤した現象があるものと考えられます。

などと分析している。要するに、主たる原因は、消費者による「逼迫感を受けた買い急ぎ」なのである。それをあからさまに言うと批判を受けるから、しかし事実を伝えようとしてこのような表現になっている。本来無知な(情報弱者、または一次ソースと無縁な生活をしている人たち、とでも言うべきか)庶民が勝手に逼迫感を抱くはずがない。逼迫感を煽った犯人がいるはずだ。「ご家庭を守ってらっしゃる主婦の皆様が不安に駆られ」るようにさせたのは誰か。自明ではなかろうか。

米卸が意図的に値をつり上げたことはなかったのに違いない。単に市場原理に米価を任せただけだというのも事実であろう。消費者が買い急いで買いだめして値段が上がっているのは市場原理によるもので、売り手はできるだけ安く仕入れて高く売りたいに決まってる。それ以外のことはできようがない。

トイレットペーパーだってコロナのときのマスクだって消費者がちょっとでも買い急ぎ、買い溜めすれば流通はあっという間に破綻するのだ。そんなことはこれまで何度も経験してきたことではないか。私の親戚にも一部屋まるごとティッシュペーパーやトイレットペーパーなどの備蓄に当てている人がいるのだが、それが消費者というものだろう。

備蓄米だが、おそらく国に備蓄米として買い取ってもらっているのは、米を作りすぎて、市場に出すと米価格が下がって儲からないからであろう。銘柄米として人気があって高値で売れるような米をわざわざ備蓄米として国に提供するなんてことはないはずだ。

米の品質が良くないので備蓄米に回しているのではないかとも思ったが、そういうこともあるかもしれないが、ごく普通の米を普通に作って余ってしまったから備蓄米にした、というケースが多いのではないか。そうした米は多少古くとも、保管状況が良ければ普通に食べられるのではないかと思う。本当に食べて旨くない備蓄米は最初から飼料用に回すのではなかろうか。そういう本音のところをちゃんと調べて報道してくれるマスコミはいないのだろうか?

日本の米農家はもう、高く売れる一部の銘柄米だけ作るしかないと思う。市場競争力の無い米を作っても仕方ない。私は普通の米の味に満足しているからわざわざ高い銘柄米を買う気はない。日本の農家が普通の米を作らなくなるとしたら外米を食うだけのことだ。国産米にこだわる気など無い。そんなことには何の根拠も必要性もない。

日本食はなるほど旨いとは思うけど、その中で銘柄米と和牛にこだわる気持ちは私にはない。どちらも高級志向だが、別に私は牛肉や米に一定水準以上の品質や高級感、ましてブランド力など求めてない。沢庵や梅干しだって高いから買うのではない。スーパーに売られている普通の梅干しや沢庵が安いから買わないのでもない。

私は、備蓄米を放出して強制的に米の価格を下げる、というのは決して良くないことだと思っている。外米を民間企業が輸入して、市場に流通する米の量を増やせば自然に米の価格は安定したはずだ。しかし日本人は国産米にこだわりが強すぎる。もはやそんなものにこだわる理由などないということは(ツイッターも含めて)何度も書いたつもりだ。結局消費者が、日本人が自分で自分の首を絞めていて、それをマスコミが煽っているというのが現実だ。だから多少高い米を黙って食えばいいのだ。

レギュラーコーヒーの高いのはそれとはまったく違う別の理由だ。これも困ったもんだ。

三社祭のハッピイオン外米米の値段いつもの米ベトナム米

沢庵なのだが、真ん中辺りはうまいのだが端っこが歯ごたえがなくてうまくないというものがある。これは困る。どこの何とはいわないがこれからは買わない。

二宮金次郎の沢庵

内村鑑三は二宮金次郎について「後世への最大遺物」にも書いているし、「代表的日本人」にも書いている。その影響を受けて私も、二宮金次郎が菜種を植えた川の土手に架かっている菜種橋を見に行ったり(正確には油菜(アブラナ)橋かもしれん)、金次郎の生家やら尊徳記念館を見に行ったりもした。金次郎が柴狩りした山に登るツアーにも参加したりした。もちろん小田原城下にある二宮報徳神社にも行ったし、報徳博物館にも行ったのである。

ところで二宮金次郎と沢庵の話なのだが、ある若者がやっとのことで金次郎に弟子入りして、金次郎の下で修行を始めた矢先、金次郎が彼に沢庵を切らせたところ、ちゃんと切れてなくて一つながりになっていたので、金次郎はこの若者を無慈悲にも破門にした、というのである。

どうもこれはおかしい。苦労人の尊徳翁ともあろう人が、弟子入りしたばかりの若輩者で、まだ世の中のことを右も左も知らないうちに、いきなり問答無用に、沢庵ごときで破門にするというのは、ちょっと考えにくい。厳しく叱り、教え諭すということはあっても、たかが一度の失敗でおまえはダメ人間だと決めつけ、いきなり前途ある若者からチャンスを奪うなどということはあり得ないと思う。おそらく二宮金次郎に対して悪意あるものが話をねじ曲げているのではないか。金次郎は厳しい指導者ではあったかもしれないが、尊大で傲慢な権威主義者、専制君主ではなかったはずだ。

それでいろいろ調べていくと元ネタはおよそ二つに絞られてきた。一つは明治41年8月に出た「二宮翁逸話」、そして同年11月に出た「報徳之真髄」。いずれも留岡幸助 編で警醒社から出ている。なんとこの人、同志社を出たキリスト教徒である。二宮金次郎はキリスト教徒に人気が高かったのだろうか。

柴田順作(権左衛門。堅節とも)という人がいた。金次郎の27才年下である。順作は駿河国で製紙業を営む富豪の息子で取れ高八百石の田を持ち、五万両の金も貯めていたが米相場に手を出して破産した。それでも貸した金が八百両ばかりあったのでそれを取り立てようと親類が世話をしてくれたのだが、貸した相手が百八十人ばかりもいて、彼らから貸金を取り立てるとどうしてもその中から二人や三人は自殺者が出るだろうと思って、親類には猶予を願い出て、小林平兵衛という知人を訪ねたら、この人が熱心な報徳主義者で、二宮翁のところへ連れて行かれたのだそうだ。それで「二宮翁逸話」によれば

順作はつらつら思ふのに一旦国に帰らば決心が崩るるに相違ないといふので、二宮翁の台所に居る浦賀の宮原瀛洲といふ人の助手となって、翁には内緒で三年の間炊事をしつつ報徳の道を学んだ。さうして遂には翁の黙許を得て時々その給仕に出たことがある。で或る時、翁の言はれるのに「お前はかういふ人間だからいけない」と言ふて香の物の切れかかったのを箸で挟んで「この通り全く切れて居ない。切るならばシッカリ切るがよし、切らぬならば切らぬがよし、切ったでもなく切らないでもなく中ぶらりして居るから失敗するのである」と言はれたことがある。その後順作は当時のことを思ひ出しては「あの時くらいつらかったことはなかった」と一つ話にしたと言ふことである。

また「報徳之真髄」によれば

さて柴田氏は陣屋の炊夫となって居った事が四年、その間にひどく叱られた事が一つある。それは或る日食事の時、香の物の切り方が悪かったことで、翁がその香の物を食べやうとして箸で挟みあげると、切り方が充分でなかったので、一切れつながって釣り下がった。翁は大そう立腹して、「権左衛門、この切り方はなんだ、切ったのか切らないのか、こんなふうだから貴様は財産をなくしたのだらう。この切り方には心が入って居ない。こんな不親切な切り方をしては食べない」ときつく叱られた。氏は平身低頭詫びたけれども、到頭翁はこの時食事を中止してしまったさうである。

だからもともと若者をいきなり破門にした話ではなかったのだ。そして「沢庵」で検索してもなかなか出てこない。「香の物」でなくてはならなかったのだ。

最初から切って売られている沢庵はたいていうまくない。だから私は切れてない沢庵を買ってきて自分で切って食べている。沢庵を切るときは二宮金次郎の逸話を思い出し身の引き締まる思いがする。切れてない沢庵だからといってうまいとは限らない。沢庵はほんとうにむずかしい。

金次郎は、沢庵は三年ものの、すっぱい古漬けしか食べなかった、などとも言われる。しかしながら夏に茄子を食べて秋なすの味がするので冷夏が来ることを察したなどという逸話もあるから、沢庵だけでなくて茄子の漬物も食べたのに違いない。漬物はなんでも食べたに違いない。漬物は三年物の沢庵しか食べない、などというはずがあろうか。古漬けでも浅漬けでも食べたに違いない。

以下「後世への最大遺物」より。

二宮金次郎氏は十四のときに父を失い、十六のときに母を失い、家が貧乏にして何物もなく、ためにごく残酷な伯父に預けられた人であります。それで一文の銭もなし家産はことごとく傾き、弟一人、妹一人持っていた。身に一文もなくして孤児です。その人がドウして生涯を立てたか。伯父さんの家にあってその手伝いをしている間に本が読みたくなった。そうしたときに本を読んでおったら、伯父さんに叱られた。この高い油を使って本を読むなどということはまことに馬鹿馬鹿しいことだといって読ませぬ。そうすると、黙っていて伯父さんの油を使っては悪いということを聞きましたから、「それでは私は私の油のできるまでは本を読まぬ」という決心をした。それでどうしたかというと、川辺の誰も知らないところへ行きまして、菜種
なたね

いた。一ヵ年かかって菜種を五、六升も取った。それからその菜種を持っていって、油屋へ行って油と取換えてきまして、それからその油で本を見た。そうしたところがまた叱られた。「油ばかりお前のものであれば本を読んでもよいと思っては違う、お前の時間も私のものだ。本を読むなどという馬鹿なことをするならよいからその時間に縄を
れ」といわれた。それからまた仕方がない、伯父さんのいうことであるから終日働いてあとで本を読んだ、……そういう苦学をした人であります。どうして自分の生涯を立てたかというに、村の人の遊ぶとき、ことにお祭り日などには、近所の畑のなかに洪水で沼になったところがあった、その沼地を伯父さんの時間でない、自分の時間に、その沼地よりことごとく水を引いてそこでもって小さい
くわ
で田地を
こしら
えて、そこへ持っていって稲を植えた。こうして初めて一俵の米を取った。その人の自伝によりますれば、「米を一俵取ったときの私の喜びは何ともいえなかった。これ天が初めて私に直接に授けたものにしてその一俵は私にとっては百万の価値があった」というてある。それからその方法をだんだん続けまして二十歳のときに伯父さんの家を辞した。そのときには三、四俵の米を持っておった。それから仕上げた人であります。それでこの人の生涯を初めから終りまで見ますと、「この宇宙というものは実に神様……神様とはいいませぬ……天の造ってくださったもので、天というものは実に恩恵の深いもので、人間を助けよう助けようとばかり思っている。それだからもしわれわれがこの身を天と地とに
ゆだ
ねて天の法則に従っていったならば、われわれは欲せずといえども天がわれわれを助けてくれる」というこういう考えであります。その考えを持ったばかりでなく、その考えを実行した。その話は長うございますけれども、ついには何万石という村々を改良して自分の身をことごとく人のために使った。旧幕の末路にあたって経済上、農業改良上について非常の功労のあった人であります。

この著書の中で

『少年文学』の中に『二宮尊徳翁』というのが出ておりますが、アレはつまらない本です。私のよく読みましたのは、農商務省で出版になりました、五百ページばかりの『報徳記』という本です。この本を諸君が読まれんことを切に希望します。

などと内村鑑三が言っているので、国会図書館デジタルコレクションで見てみると(初期のスキャンらしくて汚くて困る。国書データベースのものが綺麗)、なんと幸田露伴が書いていて、確かに内村鑑三が「つまらない」というのが良くわかる、子供を啓蒙しようとやたらと図版が入ってるが面白くもおかしくもない、やけに堅苦しい、幸田露伴らしい文章だ。「報徳記」の方は、内村鑑三が言っているのは、明治19年に出た「正七位富田高慶述 報徳記 全 農商務省版」のことであろう。しかるにこれは

茲に二宮金次郎尊徳先生の実績を尋るに、歳月久しくして其の詳細を知ることあたはず。且つ、先生は謙遜にして自己の功績を説かず。いささか邑人の口碑に残れりといへども、万が一に及ばす。

といったような文体で、味わいはあるが、今の人にはちと読みにくいのに違いない。しかし現代口語訳がいくらでも出ているのでそっちを読めばとりあえず用は足りるだろう。

大野晋が『日本語で一番大事なもの』で森鴎外を「あんな下手な擬古文はありゃしないですもの。」などと言っているのだけど、鴎外の「舞姫」など見ると、やはり幸田露伴と同じで実に面白くない。つまり、露伴も鴎外も漢文の素養はあるが、和文がからきしダメなのだと思う。大和言葉というものに対する感覚、感性が全然ダメだと思うのだ。文法は正確だけれども砂を噛むように味気ない。漢学ばかりやって和学をやらない武家などにありがちなのだろう。だからああいうとてつもなく退屈でつまらない文章になる。鴎外も「阿部一族」などは基本的に口語で書いているからまだ読みやすく面白い。「舞姫」みたいな文体でドイツ女に惚れられたなんて話を書いたって面白いわけがない。

幸田露伴はしかし大町桂月なんかと一緒に「日本外史」の現代語訳などを監修したりして、そういう仕事は実に立派で面白い。鴎外は東大の医学・文学博士で、露伴は東大の文学博士だからああいう文章になるのだろう。夏目漱石が死ぬまで博士の学位を嫌がったのも、ああいう連中と一緒にされたくないという気持ちがあったからかもしれん。

ところで二宮金次郎が描かれた絵を見ると素足にわらじを履いている。わらじというのは編み上げブーツのように藁の縄で足をぐるぐる巻きにするものだ。国定忠治なんかはみんな足袋と脚絆で足を固めてその上にわらじを履いている。

いや、昔の人は足の皮が厚かったから平気だったのだろうと思うかもしれないが、小田原辺りは山に入ると蛭が多かったはずだ。そんなところへ裸足で入ってはひとたまりもない。素足にわらじ履きというのはとても信じられない。渡世人なんかは多少金がかかっても足回りには万全の対策をしていたのではなかったか。

もしかすると田んぼで田植えというような場合は素足にわらじであったかもしれない。旅に出たり山登りをするようなときは足袋にわらじであったかもしれない。また里山などはよく整備されていて蛭が出ることもなかったのかもしれない。

梅干し

小田原駅前に「ちん里う本店」という店があって、そこに天保5年に漬けた梅干しが展示してあった。

少し調べてみると、日本最古(世界最古)の梅干しは天正5 (1576)年のものであるという。

ちん里うの梅干しはどれもちょっとお高め(とはいえ都内の百貨店の食品売り場よりはずっとリーズナブル)。5年干しのものを買ってみた。

だるまという料亭に行った。ここはたぶん2度目だと思う。おみやげに800円の梅干しを売っていたから買った。これはたぶん、店で食事をした人向けにかなりお得な値段設定になっていると思う。だるまは明治26年創業ちん里うは明治4年創業らしい。

家に帰り、だるまとちん里うの梅干しを食べ比べてみた。ちん里うは、古漬けだけあって味わいが濃く深い。だるまはたぶん去年漬けたものだろう。味わいは浅いがうまい。

単純でさっぱりした味が良いか、複雑でコクのある味が良いか。どちらが好きかとは言えないが、ふだん気軽に食べるには味わいが浅くてうまい梅干しのほうが食べやすいかもしれない。

ともあれ小田原に行ったら、金目鯛の干物やかまぼこよりは梅干しを買うべきだと思う。良い梅干しというものはそんなにどこでも手に入るものではない。曽我梅林は地元では別所梅林と呼ばれている。

水戸の偕楽園にも梅林があって、やはり梅干しを作っているらしい。一度食べてみたい。

浅草古地図

江戸時代と明治の地図はずいぶん違って見えるが、浅草寺の西側に日輪寺や誓願寺のあるのが確認できるので、もともと浅草寺と西隣の寺の間には広い荒れ地があったが、地図の上ではそれはごく小さく狭く、ただ門前と書かれていたのだろうと推察される。なぜ荒れ地だったかといえば浅草寺がその土地を積極的に活用するより早く、回りに町家が開発されたから、であろう。

こうしてみると初音小路などは比較的最近(戦後?)にできたものであり、いっぽうでいっぷく通りなどは明治初期にはすでにあったわけだ。あの一八そばやいっぷく通りがある謎の三角地帯だが、あれは昔はひょうたん池の南側に広がる荒れ地の一部であった。

しかるにこの荒れ地を抜けて西参道へ、また伝法院通りへふたまたに分かれる道というものが江戸時代頃からすでに自然にできていただろうということが察せられるのである。

なぜ浅草寺の辺りを浅草公園というのか不思議だったが、明治政府は浅草寺を接収してし公園として整備したらしいのだ。しかし戦後浅草公園の土地は浅草寺に返された。六区は浅草公園を整備するときに荒れ地を整備してできたものであるという。

ということは、六区、花屋敷を含む五区、また表参道(仲見世)を含む一区の辺りはいまもなお浅草寺の土地、ということなのではないか。第二次大戦で浅草寺本堂が焼け落ちてその再建費用を調達するために四区、つまりひょうたん池と初音小路あたりの土地が売りに出されたのだという。いや、初音小路辺りも実はいまだに浅草寺の土地(つまり寺が地主で大家)であって、ひょうたん池跡に建てられた場外馬券場辺りだけが売りに出されたのかもしれない。

ともかくも浅草寺の東側は割合と昔からああいうふうであったのだが、西側は池を埋め立てたりしてかなり劇的に変わったらしいことがわかる。明治の頃はまだ言問通りもなく言問橋も無い。関東大震災以後ここに道を通して、ここらにあった「銘酒屋」などが向島のほうへ移転して、小梅の里に遊郭ができたというのもおそらくはそれ以降のことなのではないか。白鬚橋が架かったのは大正3年だから、寺島や玉ノ井などはもう少し早く町が開け始めたのに違いない。

明治40年というと日露戦争が終わって好景気に沸いていた頃だ。ホッピー通りはかつて朝鮮部落と呼ばれていたからにはあまり人が住みたがらない低湿地であったはずだ。実際、明治40年の地図を見るとここに南北に水路のようなものが描かれている。ではこの水路は池から水を南の方へ抜くためのものであったろうかと思うが、どうも違うらしい。浅草の標高図を見ると意外なことに浅草寺本堂や伝法院、四区、花屋敷の辺りが窪地のようになっている。もともとの浅草寺の境内は、隅田川の自然堤防に遮られた広大な池のようなもので、その中の島に、弁天池の弁天堂がそうであるように、観音堂があったのではなかろうかと推測されるのである。従ってかつてホッピー通りにあったであろう水路は、南から北へ、池へと流れ込んでいたのではないかと思われるのだ。では池の水はいかにして排水されていたのだろう。よくわからない。

浅草寺の観音像は川から取れたものであるという。そして浅草寺自体が水の豊富なところであったから、神輿が船祭りという形で行われたのもわかるような気がする。