太宰春台

上田秋成『胆大小心録』に

聖人もだんだんご身代が大きうならしゃまして、悪人がたを加へねば、芝居がうてぬやうになつた事じゃ。ある儒者が、聖人とはなんでも国の乱れを治めたのが聖人じゃといふたは、末世の早算用なり。国を盗める候となる。候の心に仁義とはくだくだしいて聞こえにくい。その儒者どのが其の心ゆゑ、身持ちが悪くて、徂徠学じゃといへば、今の俳諧師のやうな相場じゃあったげな。太宰といふが力まれても、とかくに本家の評判が悪いから、とんとあとがない。

また頼山陽『山陽先生書後』「書徂徠集後」に

南郭の如きは王李に克肖し、其の師を踰ゆる有れど、而して観るに足らず。春台の能く其の師の非を悟るは豪傑と謂ふべし。

などとある。秋成の秋成節は何を言っているのかいつもながらよくわからんが、徂徠よりも春台のほうを高く評価しているようにもみえる。山陽も徂徠よりは春台のほうがまだましだと言っている。

しかし私が徂徠の書いたものと、春台が書いたものを見比べるに、春台は徂徠のおかげで名は売れて、文章も達者で、相当世間を騒がせたようだが、結局は徂徠の焼き直しにすぎず、徂徠と違うあたりには頭のおかしなことを言っているだけのようにみえる。それが「太宰といふが力まれても」という評になったか。

当時の人々にとって徂徠が有名だったのは間違いないが、何かしら徂徠はうとましい存在だったのかもしれない。春台のほうがなぜかしら好ましい人に見えたのかもしれない。しかし春台はろくに就職もしてないし、宮仕えなどできるような人でもなかったようにみえる。

要するには私には、山陽や秋成が春台を高く買っているのが不思議だということで、漱石も春台が嫌いではなかったし、春台がなぜそんなに評価されているのか、わけがわからないのである。

『山陽先生書後』なんだけど国会図書館デジタルコレクションには天保時代の木版本しかない。ふざけんなと言いたい。かっちりとした楷書で書かれているから読めるっちゃ読めるんだが(和文で、くずし字で書かれてたら死んでた。漢文だからまだ読めたのだ)、活字に起こして読み下し文とか現代語訳とか付けてほしい。ならおまえがやれ、と言われそうだが(追記。よく探したらあった)。

『徂徠集』にしてもいつの時代のものかしれぬ、出版者が松村九兵衛とかになってる木版本しかない。これはさすがに怒ってもいいんじゃないのか。国文学者らの怠慢ではないのか。

釈迢空

釈迢空はなぜ釈などと僧侶のような名にしたのでしょうか。

国文学者・民俗学者として知られる折口信夫(おりぐち しのぶ)が、歌人・詩人として活動する際に名乗ったのが「釈迢空(しゃく ちょうくう)」です。

なぜ彼が「釈」という、まるで仏門に入った僧侶のような名字を名乗ったのか。これには彼の生い立ち、独自の思想、そして終生抱き続けたある「覚悟」が深く関わっています。理由は大きく分けて3つあります。

1. 少年時代の「出家願望」と浄土真宗の影響

折口信夫の実家(大阪の薬種問屋)は、熱心な浄土真宗の門徒でした。そのため、幼い頃から仏教の文化になじみがありました。

彼が10代半ばの多感な時期、実家の家業の衰退や、自身の複雑な精神的苦悶(同性愛への目覚めや自殺未遂など)から、激しい出家願望を抱くようになります。13歳の頃には、奈良の大和巡礼の旅に出ており、その途中で出会った僧侶たちに強い憧れを抱きました。この「俗世を捨てて仏門に入りたい」という若い頃の思慕が、のちに「釈」を名乗る心理的な土台となりました。

2. 生涯「子孫を残さない」という決意の表明

「釈(しゃく)」という姓は、仏教(特に浄土真宗など)において出家した者が、俗世の姓を捨てて「釈尊(お釈迦様)の弟子」となった証しとして名乗るものです。

折口は、自身のセクシュアリティ(同性愛者であったこと)や、父親の放蕩に対する反発などから、「自分は生涯結婚せず、血のつながる子孫を残さない(=家系を自分の代で終わらせる)」という極めて強い覚悟を持っていました。

出家して仏門に入ることは、俗世の「家」制度から離脱することを意味します。彼は本名である「折口」の血筋を絶やすという自らの運命を、生前から「出家者(=釈)」の偽名を名乗ることで表現したのです。

実際に、文芸評論家の富岡多恵子らの研究では、この「釈迢空」という名は、彼が生前に自ら付けた「戒名(法名)」のような意味合いを持っていたと指摘されています。

3. 名付け親である僧侶・藤無染との関係

「迢空」という号の由来には諸説ありますが、折口が青年期に深く憧れ、精神的・文学的な影響を受けた浄土真宗の美貌の僧侶、藤無染(ふじ むぜん)から与えられた愛称、あるいは彼との交流の中で生まれたものと言われています。無染への強い情愛と、彼が象徴する仏教的な「世捨て人」の世界観への憧れが、「釈」という一字に集約されていきました。

まとめ

折口信夫にとって「釈迢空」とは、単なる文学的なペンネーム(雅号)ではありませんでした。

それは、「自分は俗世の家族制度には縛られず、血脈を残さずに生き、学問と芸術の道に殉ずる」という、一種の“生前葬”のような覚悟を込めた、彼にとって最も本質的な「仮面(アイデンティティ)」だったと言えます。

折口信夫は神道家ではないのですか。

結論から言うと、折口信夫はきわめて重要な「神道研究者(神道学者)」であり、國學院大學で神道や国文学を教えた人物です。しかし、いわゆる神社に奉職するような「神職」や、特定の教義を布教する「信仰家」という意味での神道家かというと、少しニュアンスが異なります。

彼が「釈」を名乗りながら神道を深く研究した背景には、折口独自のユニークなスタンスがあります。

1. 研究者としてのスタンス:神道の本質を追究した

折口信夫の学問(折口学)の核心は、「日本人の信仰の根源(神道の原型)は何だったのか」を突き詰めることにありました。

彼は、現在の神社神道のように制度化される前の、古代日本人の素朴な信仰心や、目に見えない精霊(カミ)との関わり方を、民俗学や国文学(万葉集など)のアプローチから解き明かそうとしました。彼が提唱した「マレビト(常世の国から時を定めてやってくるまれなる神)」の理論などは、神道思想の枠組みを大きく広げた研究として、現在の神道界や思想史でも決定的な重要性を持っています。

2. 仏教と神道の「折口流」の同居

先述の通り、彼は歌人として「釈」という仏教的な号を名乗っていましたが、同時に神道の実践者でもありました。

  • 祝詞(のりと)の重視: 折口は国学の伝統を引き継ぎ、独自の美しい祝詞を作って熱心に奏上していました。
  • 神道的な直感: 彼は論文を執筆する際、実証的なデータだけでなく、古代人の心に同化するような「霊感(インスピレーション)」や「神道的な直感」を非常に大切にしていました。

彼にとって、日本の固有信仰である「神道」と、のちに外からやってきて日本人の精神に深く根を下ろした「仏教」は、対立するものではなく、「日本人の心の古層」を形成する地続きの両輪だったのです。文学の世界では仏教的な「世捨て人(釈)」の孤独を生き、学問の世界では「神道」の根源を掘り起こすという、二面性が同居していました。

3. 国家神道への批判的眼差し

戦前・戦中、国によって管理された「国家神道」が軍国主義と結びついていく中、折口はこれに対して明確な違和感や批判的スタンスを持っていました。

彼が愛したのは、国家のための制度としての神道ではなく、地方の村々のお祭りや民間伝承の中に生き続ける、泥臭くも清らかな「民衆の信仰(神道)」でした。そのため、当時の政府やアカデミズムが推進した公的な神道界からは、やや距離を置いた独特の存在(孤高の学者)と見なされていました。

一言で言えば 折口信夫は、神社の神主(神職)ではありませんでしたが、誰よりも深く神道の根源を愛し、その本質を同時代に蘇らせようとした**「異端にして正統な、最高峰の神道学者」**です。

歌を詠むときは、俗世を捨てた「釈(僧侶)」の心境。 学問に向き合うときは、古代の「カミ」の声を聴く「神道家」の心境。

この一見矛盾するような二面性こそが、折口信夫という巨人の、最大の魅力であり複雑さです。

子孫を残さないという決意の出典はなんですか。

折口信夫が「結婚せず子孫を残さない(生殖を忌避する)」という強い意志を抱いていたこと、そしてそれが「釈迢空」という法名(戒名)のような筆名に繋がっているという指摘の、主な出典・研究ベースは富岡多恵子(詩人・小説家・文芸批評家)の評伝『釋迢空ノート』(1972年 / 現在は岩波現代文庫などに入手可能)です。

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富岡はこの著作の中で、折口の残した短歌や小説、ノートなどの記述、および彼の生い立ちを精緻に読み解き、彼の精神の核心に迫っています。

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具体的にどのような背景や記述が出典の根拠となっているのか、その内実を紐解くと以下のようになります。

1. 富岡多恵子『釋迢空ノート』による指摘

富岡多恵子は、折口信夫が「釈迢空」という、いわば死後の名前(法名)を生前から名乗った心理的動因を分析しました。 そこには、折口の父親の激しい放蕩(女性関係)を見て育ったことに対する嫌悪感や反発から生じた、「生殖嫌悪・生殖忌避」の思想があったと指摘しています。つまり、「自分は父の血を次世代へつながない」「家系を自分の代で終わらせる」という断絶の覚悟です。

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富岡は、折口が自身の同性愛的な傾向(男色への傾倒)や、そこから派生する孤独、そして「子を残さない」という選択を、世俗の家制度から離脱した「出家者(=釈)」の姿に重ね合わせていたと論じました。

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2. 折口自身の言葉(歌や文章)にみる出典

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折口信夫自身が「私は子孫を残さない」と直接的なスローガンのように書いた公的な宣言書があるわけではありません。しかし、彼の文学作品や随筆には、その強烈な意志が事実上の「出典」として刻まれています。

  • 小説『死者の書』や『身毒丸』のテーマ 折口の代表的短編小説『身毒丸(しんとくまる)』などでは、血縁や家族のグロテスクさ、あるいはそこからの解脱が色濃く描かれます。家脈の存続という世俗の幸福を拒絶する姿勢が、彼の創作の底流にあります。
  • 「血のつながり」ではなく「学問の紐帯」を選んだ事実 折口は生涯独身を通し、自らの血を分けた子供を作ることはありませんでした。その代わり、彼はお気に入りの教え子や弟子たち(藤井春洋など)と実質的な家族として共同生活を営み、のちに藤井を養子に迎えています。これは、「生物学的な子孫(血脈)を残すことを拒み、学問や芸術を通じた精神的な子孫(文脈)を残す」という、彼の生き方そのものが最大の出典・証拠となっています。

このように、折口が抱えていた生殖への忌避感と「家を断絶させる」という決意は、彼の人生の歩みそのもの、そしてそれを丹念に実証・分析した富岡多恵子の『釋迢空ノート』によって、近代文学史における定説として広く知られるようになりました。

退屈に耐えるテスト

ある知り合いが定年退職後に延々と書いている趣味のブログ(国内海外を旅行したというような)をみていると、人は何かやっていないと退屈で死んでしまうんだなと思う。

私の場合は定年まであと五年なのでもう新しいことはいっさい始めず、いままでの蓄積だけであと五年仕事しようと思っている。今私がやらされている仕事のほとんどは組織のマネージメントのようなものだが、正直私には何の興味もない。こんなことをいくらやったところで私が仕事を辞めて死んでしまえば何にも残らない。給料がもらえるからやっているのだけど、しかし、現役時代ずーっと組織のために仕事をして、定年後は誰のため何のためだかわからないブログをずっと書いているのは結局何かやってないとダメだからなのだろう。

永井荷風も「浅草。アリゾナで昼食」とかいうような日記を延々と書いている。永井荷風だからアレにも多少の価値はあるのだろうが、一般人が書いてもほとんど何の意味もない。それでも書く人は書くわけだ。ま、確かに鎌倉時代の公家の日記なんかはなんかの役に立つのかもしれんが、SNSで記録が溢れている今の世の中ではほとんどがむなしい。まあ、中にはそのうち歴史的価値が発生するものもあるのかもしれないが。

私はもうあまりにも今の仕事がばからしくて、仕事を減らすことばかり考えているのだが、それは今私がやらされている仕事のせいであって実はとても時間を無駄にしているようにも思えてくる。でもたぶん私が定年後にやらなきゃならないことはひたすら退屈に耐えて何もしないことだろうと思う。年寄りは何かやろうとして必ず周りに迷惑をかける。何もしなければ誰も気にしないし、自分がただ退屈で死にそうなだけで済む。つまり退屈に耐えることに今から慣れておかなくてはならない。

仕事が無いはずでもいきなりメイルが来て会議やるから日程調整しろとか言われて、気の休まる間もない。そういうのが好きな人は良いが私は嫌いだ。しかし五年後、いっさいそういう仕事から解放された後の私はどうなるのだろうな。確実に言えるのは今の仕事を続けてくれと言われても絶対に断るってことくらいだ。全然別の仕事なら暇つぶし程度にやるかもしれないが。

毎日毎日誰が読むともしれないブログを書く人もいれば、ある時間間隔で定期的に書く人もいる。私はどちらかというと無性に何かを書きたくなったときにまとめて吐き出すような書き方をする。ともかく何かものを書く仕事をしていた人は定年後も何か書いていないと落ち着かないのだろう。

新御徒町の佐竹商店街あたりに住んでみたいなと思う気持ちはある。あそこなら浅草にもすぐいけるし、上野も近いし、東京の西半分にはいい加減住み飽きたが、上野浅草あたりにはまだ未練もある。しかし部屋を借りるのはそれはそれで金もかかるしめんどくさい。本が売れて事務所代わりに借りられればありがたいがそんなに売れるはずもない。

削りしろ

削りにけずって11万字くらいにした。削った分は、この本が売れれば次の本を書いてそこに入れることもできよう。売れなければそもそも出版する意味もなかろう。けずった分を活かすためにも次の本は売れなくてはならない。私が億万長者でいくらでも自費出版できる身分だったら勝手にどんどん本を出すだろうか。わからない。やはり何か緊張感がなくてはならない気がする。書けばそのまま出版できるというのであれば kindle でもうやったわけだしな。問題はただ書いただけでなく、読者を獲得することなんだろうな。読者が今の世にいなくても良いんだけど、そのうち現れば、でもそういう問題とも少し違う気がする。私の本を読みたい人はたぶんこの世に一定数存在していると思うんだ。しかしそういう人たちとの接点がない。マーケティングしようにもできない。そこがもどかしいんだと思う。正直私の本を読む気が無い人には私も興味がない。私の本を読もうという人がいるとしてそんな人がどこにいてどんな人かはすごく知りたい。そんな人に出会うことはこれまでほとんどまったくなかったのだが。

新しいことはやらない

定年退職まであと五年なのでもう新しいことを探索して、未来の自分のために仕込むのはやめようと思っている。もう未来の自分のためのことなんて気にする必要はない。去年仕込んだネタをできるだけそのまま使い回して新しいことはしない。

去年までは少しヒマがあれば浅草に泊まりに行き、上野をぶらつき、博物館を見て回ったりしたのだが今はそれもしない。何もすることがなければ何もしない。今までは何かしなければならないという強迫観念があったように思う。まずそれを消す。それが最優先。

年金を頼りに、あとは株やったりブログ書いたりして死ぬまでの時間を適当に潰す。ほかに何かすることがあろうか。実は何もない。何も無いのに何かをしようとするのがよくない。今までそれを認めることを拒絶してただけで、それを素直に認めることにする。

外で飯を食ってももうほとんど何の感動もない。うまいものを食ったとして、確かにうまいが、別に大してうまくないものを食ったのとどう違うというのか。

株と本

株を始めてもう4年目だけれども、利益は出せていると思う。人の意見を参考にするよりは、自分の勘だけでやったほうがうまくいく気がするし、これまでそうしてきてだいたい外さなかったのだから、これからも同じようにやったほうが良いと思っている。なぜこのやり方でうまくいくのかうまく説明つかないのだけど、今のところ、失敗して退場する側の人にはなっていないので、やり方を変える理由もないのである。

私の場合定年退職に向けて貯金から株にお金を移さなくてはならないと考えている。いわば老後死ぬまでの資金を貯蓄する延長線上でやっているだけで、安い株を買って高い時に売るだけだ。今高くなりつつある株を買って下がる前に売り抜けるというのはデイトレのやり方であり、他に何もやることがないくらいヒマになったらやるかもしれないが、今はただ安物を買って値上がりするのを待つだけだ。つまり私は、明日はどの株が上がるかなーなどと考えて株を買ってはいない。逆にどの株が下がるかなーってことばかりいつも考えている。

業績とかはほとんどみてない。業績が悪いから安くなっているわけで、そのうち業績が回復すれば上がるだろう、今が底値かどうか見極めて、底値でなかった場合にナンピンするかどうかも見極めたうえで割安な株を買うのみ。業績が悪くなりすぎて上場廃止とかになれば洒落にならんのだがそういう銘柄にはいまだにであったことがないし、またそのリスクを避けるためにも分散投資している。

それでいろんな割安株を100株ずつくらい買っているのでこのやり方はたぶん自分で勝手に個別銘柄を買って投資信託してるようなもんだと思っている。

今回任天堂を買ったのは失敗だった。やはり他人のペースに巻き込まれてはいけない。長期的に任天堂の業績が回復しないということはほぼ考えにくいが(物価上昇に合わせて株価も値上がりするし、任天堂よりヤバい株はほかにいくらでもある)、しばらく塩漬けにしておかなきゃならん。後はフジッコにも困っている。上がったらすぐ売り抜けたい。大抵の場合はあがったりさがったりを繰り返しているだけなので上がった時に嫌なら売る。それでこれまではなんとかなっていた。

note の株が上がっているが、note に書く気はない。note を使ってみたこともあるが自分には向いてない気がする。カクヨムも同じ。ブログ感覚でちょこちょこ書き溜めていってときどき有料版にしたり、或いは広告を付けたりするんだろうけどそういう執筆スタイルが合わない。逆にここのように損得抜きでただ書き散らしているほうがまし。

3年位前から書き続けていたものがやっと今年の秋には出そうなのだが、3年間だらだら書き足したものだから分量がやばいことになっている。新書だと5万字くらいか。さらっとすぐに読める。今小室直樹のカッパ・ブックスなど読み直すとすごく読みやすい。中身もすかすかだ(センテンスごとに改行してるのは笑える。言ってることもいい加減で適当。ちゃんと事実を調べず思いつきだけで書いている)。高校生くらいの頃の私はこういうものを喜んで読んでいたのだと思う。文章の量という意味では『虚構の歌人 藤原定家』くらいがちょうど良いのだが今からこれを読んでみると悪くはないが中身が薄い。言いたいことが全然言えてない。定家の結論にまだ全然達していないうちに書いているから仕方ないのだが(ただ自分としては他人よりははるか先を行っているつもりではいるのだが)。

5万字くらいの新書をコンスタントに出し続けられればそれが一番良いような気がする。それができるには毎回1万部くらいは売れなくてはなるまい。それが難しい。私が書くことはたぶん世の中でそんなに需要がない。需要が無いからまとめて20万字とか40万字の本を、いろんなトピックを一つの本にまとめてだそうということになるが、それはよろしくない。私が今書いて出したいことは2、3冊の本では全然足りないことがわかってきた。

書きながら調べて、調べると主張や方向性もだんだんに変わってきて、たとえば最初は宣長の本を書いていたつもりがいつの間にか徂徠に重心が移ってきたりする。これが困る。『読めば読むほどわからなくなる本居宣長』を書いていた頃と今では宣長に対する見方は全然違う。徂徠については何の興味もなかったが今はある。見方も全然違う(そもそも徂徠について書かれたどの本を読もうと徂徠がわかるはずがないのである。ということがわかった。もし徂徠について書かれたまともな本があったら中学生の頃の私でも理解できたと思う。徂徠は難しくないが、その全然難しくない徂徠を書いている本がどれもこれもどうでもよい、バカみたいな、的はずれなことばかり書いている。宣長についても同じことは言える。小林秀雄が書いている本も同じ。あれを読んで宣長や徂徠がわかるはずがない。とはいえ小林はまだずっとまともなほうだと思う)。

小林秀雄のように固定ファンがいればそうやって思いついたことをだらだら書いていても良いのかもしれないが、私の場合は宣長の本を出すなら宣長のことについて、徂徠の本を出すなら徂徠についてちゃんと結論まで到達したあとにまとめて書くしかない。しかしそれが難しい。書いているうちに書きたいことが変わってしまうのだから。

ともかく次出す本はぴしっとまとめて書いて出す。15万字以下にしたかったが結局20万字くらいになるだろう。これくらいの分量の本はいくらでもあるのだが、読みやすい分量とはいえない。読んでがっつり満足してもらえれば良いのだが。

これが売れなければ私が書いた本は未来永劫売れないってことがほぼ確定したようなもので、まだ書き残したことはたくさんあるが、書いても無駄だろう。少なくとも出版することには意味がないから、こういうブログにダラダラ書くか、kindle で出版することになると思う。kindle は嫌いではない。私の本を読まなくて困るのは私ではなくて人類である(笑)。もはや私は自分のやるべきことはやったと思っている。これ以上何かを書いて遺してやる義理はあるまいと思う。

思うにたまに思いつきでしか書かないこのブログでもそれなりのPVはあるらしいから真面目に毎日コツコツ書けばそれなりに読む人はいるのかもしれない。それで課金したければ note 辺りに有料記事を書いてそちらに誘導すれば良いのかもしれない。あるいは youtube で評論とかするかもしれない。定年退職してヒマになったらそういうことを試してみても良いかもしれない。今はそんな余裕はない。

youtube の登録チャンネルを片っ端から削ってみた。そしたら勧めてくる動画がガラッと変わった。今まではあまりにも雑多なチャンネルを登録していたから何を推薦していいか AI が混乱していたのだろう。登録チャンネルを削ることにも効用があることがわかった。

人間の体は一定量カロリーを備蓄しようとする。筋肉がついていれば筋肉にグリコーゲンを貯蓄できる。筋肉が落ちると脂肪細胞にカロリーを蓄えようとする。つまり食事量とか運動量などは本質的な意味がない。人間の身体がある一定のカロリー量を体内に維持しようとすることが本質だ。何km歩けば何kg分カロリーを消費するなど何の意味もない。運動せずただ単に筋トレだけすれば食おうが食うまいが痩せる。もちろん食いすぎれば太る。ただそれだけのことだ。実にバカげたことだ。腹がぽっこりしても気にしなれば何もする必要はない。そして誰も私の腹のことなど気にしてはいない。

戦後昭和史観

荻生徂徠について調べているんだけどいろいろヤバイ。

徂徠については昔からいろんな人がいろんなことを書いているのだが、戦後は吉川幸次郎という人が戦後昭和史観(笑)でちょっと新しいことを言ってそこで止まっていて、まったくアップデートされていない。石川淳もなぜか徂徠好きらしくていろいろ徂徠のことを書いているのだが、結局何が言いたいのかよくわからん。小林秀雄も石川淳と似たりよったり。

たいていの伝記は徂徠が生まれてからどうやって綱吉に謁見したかまでの経緯を書いて、それに『弁道』と『弁名』の解説みたいなもんをつけて終わり。ウィキペディアもそれに毛が生えた程度で、徂徠豆腐の話と赤穂義士の話がついているだけ。

これで徂徠がわかったら奇跡だと思う。

徂徠の詩についても、東洋文庫から徂徠全詩という画期的な本が令和になって出てこれが決定版かと思っていたが、よくよく読んでみるとこれは徂徠の詩業のやっと入り口までたどり着いたに過ぎない。徂徠の詩と漱石の詩の関連についてもまだほとんど研究は進展していないと思う。

たとえば吉川幸次郎が徂徠学案というもので徂徠について論じているのだけど、『徂徠集』というものから引用していて、『徂徠集』を国会図書館で調べるとだいたいが抜粋だ。完全なものは明治初期に出版された木版本(笑)みたいなものしかないらしい。『徂徠集』というのはだいたいが書簡なのだけど、これをちゃんと現代語訳したり解説したものはない。『弁道』と『弁名』、『学則』、『太平策』、あとは『徂徠先生問答集』あたりまでしかちゃんとしたものはなく、それ以外は放置されている。『徂徠全集』というのを見れば載っているのかもしれないが。『弁道』『弁名』にしてもこれらが徂徠の代表作だと言われればそうなのかもしれないけど、これだけでは徂徠はただの儒者と大差ないという結論にしかなるまい。徂徠はただの儒者ではないところが偉大で面白いのにその差がわからんというのではどうしようもない。徂徠に儒者の典型を見たいだけの人には十分なのかもしれんが。

先行研究も無しに『徂徠集』をガチンコで読むのは不可能に近いし、吉川幸次郎の解釈などを見てもほんとに正しいのかどうかわからん(吉川以外の人の解釈が無いから比べようもない)。戦前までは儒者の生き残りの中国学者みたいなのがいくらでもいたんだろうが今はほぼ絶滅したよな。

じゃあお前は徂徠をどうしたいんだ、おまえが徂徠の本を書けよといわれても困る。私はたぶんそんなに徂徠が好きなわけじゃない。もすこしちゃんとした解説書や全集があってよさそうなものなのにそれがなくて、もう徂徠は全部終わったことになっているのがヤバイとしかいいようがない。

こんな状況で誰かが徂徠のことを調べて書いたとしてもそれはAIがスクレイピングしたのと同じで何も徂徠についてはわからんということになるだろう。とても気持ち悪い。

そう、私が気持ち悪いとか恐怖に思ってるのはたぶん、近代文学史観とか戦後昭和史観とでもいうしかないものが、永遠にアップデートされないまま、それが当然の事実として世の中に受け入れられて固定してしまうんじゃないかということだ。

「徂徠」という号は、おそらくだが、自称として使われることはまずなかったのではなかろうか。「徂徠先生」のように弟子や他人が呼ぶ名だったのではないか。少なくとも綱吉時代にはまだ使われていなかったのではないか。コトバンクにも「物徂徠と自称」などと書かれているけれども、どうもあやしい。自称は通常公式には「物茂卿」、私的には「荻生惣右衛門」などではなかったか。「徂徠」の初出を調べようと思っても皆目わからん。

たぶん太宰春台や安積澹泊などは敬意をこめて「物徂徠」と号で呼んでいただろう。「物茂卿」と字(あざな)で呼ぶことは失礼に当たったからではなかろうか(号を自称として用いる人がいないと言いたいわけではない。紀峰は私の号のつもりだ)。

「蘐園随筆」というものは徂徠の手紙の中で自分が昔書いたなどと書いているので本人が書いたに違いないが(蘐園というからには綱吉が死んで茅場町に私塾を開いた後に書いたものだろう)、「蘐園雑話」などはほんとうに本人が書いたのか疑わしい。こういった「蘐園なんとか」という本がかなりある。どこからどこまでがほんとうなのか全然わからない。『弁道』『弁名』なども実は徂徠が死んだ後に太宰春台などが校正して出版しているらしくて、もう何を信じてよいのかわからん。

それと比較すると宣長なんかは出版物に関しては生前に本人が出版しているし、死後発見された手稿なんかはそのままの形で全集に収録されているから、宣長本人が書いたものであることはほぼ疑いようがない。

タイトルが決まらない。

新しいことは何も始めない。今やっている仕事を可能な限り中身を薄めていく。今までは退屈が怖くてガチガチに仕事を詰め込んだり新しいことに挑戦したりしていたが、もう六十過ぎて定年まで五年なので、やらんでも良いだろう。そのぶん楽をさせてもらい、退屈を飼いならして、のんきに生きる。

今書いているものは本文はほぼ書き終えたのだがタイトルと前書きがまだうまく決まらない。うまいアイディアを思いつこうと頑張っても出てこないことが多い。ぼーっとしているとアイディアが出ることが多いから、しばらく待つしかないか。

本居宣長

本というものは10代の女子くらいしか読まない。男子は本なんか読まない。大人はなおさら本は読まない。読むとしてもビジネス書みたいな恐ろしく中身のないつまらない本ばかり読むのは呆れる。なぜみんなあんなバカみたいな本ばかり読むのだろうか。まだ、youtubeでも見ていたほうがましではなかろうか。

10代の女子が読んでくれるような本を書くのは、60過ぎのおじいさんにはとても難しい。

本居宣長の本を書くとして、10代の女子に宣長に興味を持ってもらうにはどうすれば良いのだろうか。難しいけれどもなんとか読めると思わせるにはどうしたらよいか。

カードの使い分け

新しいことはもう何もしないことにしようと思うと、朝6時から何もやることがない。youtube もだいたい見飽きてしまった。面白いと思っても1周間くらい見続けるとパターンがわかってしまいつまらなくなる。新しい服もできるだけ買わず今ある古着だけで死ぬまで生きていきたい。靴下や下着やズボンなどは買い替えるかもしれないけど。できるだけ日本経済に貢献しないように生きていきたい。酒を飲まないのが一番だがそれはどうなるかまだわからない。年金ぐらしになったら酒はやめたほうが良いのかもしれない。

アマゾンプレミアムカードなんだけど中身は三井住友カードで、ウェブサイトのインターフェイスがいろいろうざい。現在の設定を確認したいだけなのに照会もしくは変更へいかされて、変更するにはワンタイムパスワードで認証とかもうめんどくさすぎる。たぶん使わないのが吉なのだろうと思い、アマゾンの支払いでポイント付ける以外では使わないようにしようと思う。

これまではパスモと小田急のクレカで支払うことが多かったのだが、今後基本的には楽天カードを使おうと思う。100円で1ポイント付くカードは他にもあるが、私にとっては楽天が一番使いやすそうに思う。ヨドバシは今も明細書が紙でもらえるようにしてて、これは経費で買うときようにしてあって、経費で買ったものと個人で買ったものが明細書でごっちゃになるのが嫌なので、ヨドバシは普段は使わない。

小田急だと 0.5ポイントなのでわざわざ小田急に義理立てする必要もない。小田急からパスモにオートチャージなのだが、楽天カードがパスモと同等に使えればそれでも良いがそうはいかないからとりあえず電車に乗る時はパスモにしておく。

新生銀行のキャッシュカードは現金を下ろすのに使っている。100万円以上預金を入れておけば新生銀行はコンビニのATMなどで手数料がかからないので非常に便利だ。

楽天証券と楽天銀行の間で自動入出金というものがあって、楽天カードから楽天銀行で引き落としをするようになると、この自動入出金というものが銀行の預金残高と楽天証券に預けた金がごちゃまぜになって非常にわかりにくい。なので自動入出金をやめてしまった。楽天銀行のほうは買い物してポイント貯めるために入れておく金。楽天証券は株の売買に使う金。

あとはAEONのWAONカードもマルエツでポイント貯めるために持ち歩いているんだが、これはマルエツカード作って切り替えたほうが良いかも。いや、違うな。楽天カードで楽天ポイントを付けてさらにwaonでwaonポイントを付けた方が良いのかな?

などというようなこまかいことを考えるようになったのはヒマになったせいかもしれない。

あと、デカい長財布を買った。これまではカードが8枚しかはいらなかったが今のは16枚入る。かさばるけどまあ良い。財布は大事だ。