四月病

某アメリカ中華チェーン店に行ってみたのだが、アホみたいにまずい。チャーハン、焼きそばも縁日の屋台以下のレベルだし、白米がごまかしようがなくまずい。近所のドラッグストアで売ってる5kg 2900円くらいの国産ブレンド米なら銘柄米と比べてもほとんど遜色なく食えるのに、どういう調達をしてどういう調理をすればこんなにまずいコメができるのだろうか。すべてが安っぽいのに値段は高い。水も出ない。日本人をなめてるとしか思えない。店の雰囲気もスタッフもやる気がなく、一度食えばもう十分、早々に淘汰されるだろうと思う。名物の鶏のから揚げ甘酢あんかけオレンジ風味のアレだが、まずくはないというだけのことで、わざわざ食おうとは思わない。鶏肉なら町田のハマケイのほうがはるかにうまい。すき家のバッファローチキンのほうが百倍まし。

久しぶりに小室直樹のカッパ・ブックスなど読んでみたのだが、今からみるとひどい。真面目に書いているものもあるが、中には推敲もなし、下調べもなしに書き殴っているようなものもある。それはそれとして読んで面白いといえば面白いのだけど、流行作家になって、年に何冊も本を出しているとこうなるのかな。当時高校生だった私にはしかしちゃんと書かれたものと書き殴ったものの区別がつくはずもなく、ほぼ全部買って読んでいた。

特に栗山潜鋒の『保建大記』について書いたものなどはひどい。これは予備知識なく読まされた側は良いのか悪いのか嘘なのかほんとなのか判断しようがない。天皇論なども今からみるとかなり雑だ。小室直樹という人を知ったうえで面白がって読むならともかく、判断力の無い若い頃に読んで良い影響もあるかもしれないが悪い影響も無視できないと思う。

とはいえこのくらいおもしろおかしく書かないと本というものは売れないのだろう。これくらいひどくても面白ければ本は売れるものなのだろう。実際高校生の頃の私はこういうものを面白がって読んでいたわけだし。今私が書いているものを高校生の頃の私に読ませたらどう思うだろう。

五月病と言うが、私の場合はだいたい毎年三月くらいにそういうのが来ていた。今まさにその気分なのだと思う。とにかくやる気もでない。やりがいもない。何もしたくない。あれほど楽しかった浅草も今はどうということもない。

早く定年退職したい

もうじき61才になるのだが、今はもう65才で定年退職するのが待ち遠しくて仕方なく、今の仕事はもうとっくに飽き飽きしていて、何の興味もない。

最初の仕事は4年で転職した。次の仕事も4年で転職した。今の仕事はしかしもう25年近くやっている。転職したくてもしようがないからずっとやっているだけだ。私は多分、同じところで同じ仕事をすることに耐えられないのだと思う。どんなくだらない仕事でも、4年おきくらいに転職していればモチベーションは保てると思う。ただ単に飽きっぽいのだと思う。或いは、どんな仕事でも、ずっとやっていたいと思えるほど面白い仕事など存在しないのだろう。どんな仕事でも最初のうちはいろんな新しい刺激があり、未知の世界に触れられて楽しいのだ。

同じように、同じ所に住み続け、同じ町で遊び続けることが私には苦痛だ。どこに引っ越そうと、浅草に暮らそうと大阪に移住しようと博多に住もうと、あっという間に飽きてしまうってことはもうわかってきた。私にはどこにも居場所などないし、これ以上長く生きたところでどうってことはない。

筒井康隆や丸谷才一などを見ていると、年寄りが文章を書いたところで何の意味も無いと思う。年寄りが死ぬまでにどんなことを書くか、年齢に応じて文章がどんな変化をするかという実験にはなっているかと思うが、長く生きたからどうということは何もないように思う。

今書いている本は大きな路線修正があったが、割と好きだ。書いていて思ったのだが、私はたぶん10代の若者に向けてこれを書いている。彼らを読者層として想定して書いている自分がいるがそれは私が年寄りになったせいかもしれない。頼山陽、栗山潜鋒、樋口一葉、或いは内村鑑三、本居宣長。彼らが若い頃どういうことを考えていたかということをいつの間にか熱く語ってしまっている。

10代の頃、私とよく似た友は私の周りにはほとんどいなかった。まったくいなかったと言って良い。しかし私とよく似た人間はたぶん、日本中に、あるいは世界中に散らばって、直接出会うことなく孤独に生きていると思える。本を書けば、そしてそれが世間に知られれば、それらまったく没交渉の、私とよく似た人間どうしで知識を共有でき、経験を分かち合えるように思える。ごく身近な、普段いつも顔を合わせる人とコミュニケーションを取りたいという気持ちには私はなれない。文芸活動とか、最近のSNSなどはもっと私のやりたいことに近いのだが、私の書いたものはなかなか世の中に広まっていかない。

私に近い人たちに私が書いたものを読んでもらうには、私と必ずしも近くはない人たちにも広く読まれる必要がある。そこが難しい。

出版計画変更

3年前からずっと書いている本なのだが、だいたい秋くらいには出ることになった。しかしながら3年間でじわじわ文章が増えてきてすでに40万字近くあり、内容もあまりに複雑すぎるので、いくらなんでも長すぎるので二つに分けようという話になった。

出版社から紙の本で出すほうについては念のためもう少しの間、内容は伏せておく(私一人で出せるわけではないからだ)。もう一方は私が勝手にKDPで出すことになると思う。もともとこの本は『孤独な歌人 明治天皇』というタイトルで出すはずだったのだが、このタイトルはそのままKDPで出す方に使う予定である。KDPのほうは、自分で勝手に表紙絵とか挿絵なんかを決めることになる。なんかもう好き勝手写真などを入れようかという気分になっている。