マネージャー希望

近頃はこれ以上仕事が増えないようにすることが一番大きな仕事になりつつある。新しいネタはもはや仕込まず、去年仕込んだネタの使い回しで済ます。

やらされる仕事に対するやりたい仕事の比率がどんどん減っていく。世の中にマネージャーという仕事があるのはもっともだなと最近思い始めている。金があるならマネージャーを雇いたい。仕事を選べるのならやりたい仕事だけやっていたい。人生は短いしそもそも疲れるし、やっても何も楽しくない。とにかくスケジュールを完全に把握していて全部丸投げできる秘書が欲しい。

来年は今の二倍くらい忙しくなる確率が七割、今年と同じくらいが二割、今年より減る確率が一割くらいだろうか。もうそろそろ楽にしてほしい。とにかく来年のことを考えて戦々恐々としている。

浅草地下商店街マップはこれも実益をかねた(かねたい)趣味のようなものだが、日本人がいくら見ても収益化はたかが知れていると思っている。私としては英語版でがんがんアクセスがあって広告収入が入らないかなと期待している。

太宰春台と黒田大和守

『蘐園雜話』に

春台、黒田大和守殿より廿人扶持出入扶持を賜はる。大和守殿物故後、勝手あしくとて十口減じ、其の後又五口減ぜしかば、春台腹を立て、残りの五口共返上致され、一生処士にて終れり。

とある。黒田大和守を黒田直純とすると時代が合わないので、その父の黒田直邦であろうと思うが(直邦1735年没、春台1747年没)、直邦は大和守にはなっていない。豊前守であるが、おそらく直純が大和守で、以後黒田家は代々大和守に任じられたようなので、それで間違っているのであろう。

黒田直邦は柳沢吉保の養女を妻とし、吉宗の奏者番となり、また徂徠の弟子でもあったから、徂徠が1728年に死んだ後も、直邦が春台の面倒を見てやったのだろう。春台はその援助を受けながら、徂徠の遺稿を整理出版するなどしていた、と考えられる。しかしその直邦が死んで代替わりして直純が継ぐと、もう春台を養っておく義理もない。だんだんに扶持を減らしていって、自分から致仕するよううながしたのだと思う。春台が私塾を開いて門人を育て、また何人かの大名から支援されたとウィキペディアにあるのは、仕官したのではなく、援助を受けていたという意味であろう。ならば五人扶持でももらえるものならもらっておけばよかったのではないかとも思う。かなり短気な人だったか。

春台は徂徠の弟子として名声は高かったが、徂徠の場合の、柳沢吉保や徳川吉宗のようなパトロンはいなかった。気位ばかり高くて扱いにくい人だったかもしれない。

太宰春台は太宰純ともいう。太宰純ではまるで太宰治の兄弟かなにかのようだ。というより太宰治がわざとそんなペンネームにしたのだろう。

浅草退去

浅草に1年半住んでみて思ったのは、浅草に限らないが、都心で(一部の住宅専用区画を除く)、どんなに閑静な、車通りの少ない、新築工事のなさそうな辺りを選んで住んだとしても、どこかしらのビルで外装のメンテナンスがあり、どこかしらの道路を補修する工事をしている。犬を散歩に連れ回して、吠えないわけがない。やかましいのが嫌いな人にはとうてい住めないところだ。また、人が多すぎる。年を取るとどうしてもそういうのが嫌で我慢できなくなる。若いうちは私も平気で三軒茶屋のど真ん中あたりに住んでいたんだけど今ではもう無理。

古くて安い部屋はある。一人暮らしで狭くてもかまわんというのであればどうにか住める。しかし家賃その他を考えれば、月に数回、山谷の安ホテルかカプセルホテルにでも泊まったほうがずっと安上がりだ。原稿料だか印税ががっぽがっぽ入ってきて事務所代わりに借りるというならともかく住もうとはしないのが吉だ。

吉原の近くに部屋を借りていたのだが、もし今度住むとしたら新御徒町の佐竹商店街あたりに住みたい。私にとっては通勤に便利だし、上野にも近いし、浅草にも近い。とても便利なところだ。今の仕事がますます忙しくなれば、定年までのあと五年間、ここらに部屋を借りることもまあ悪くはないかもしれない。吉原あたりは悪くはないが地下鉄の駅がどれも遠くて不便だ。

浅草地下街地図のアクセスが最近増えてきている。注目されようとかアクセス数を稼ごうとか、そういうつもりで描いたわけではないのだが注目されるのは面白い。今までこういうまともな地図がなかったんだからみんな見にくるに決まってる。外人にもためになるだろう。世界的に必要とされるはずだ。それはそうと今はヨーロッパ往復で120万円くらいかかるそうだが、それでよく日本まで来るものだな。むこうの人の感覚だと50万円くらいなのかな。こっちは食べ物でもなんでも安いからお得感があるのかもしれん。

浅草素描というこのブログのタイトルだが、もう少し続けてみようかなとは思っている。

あとやはり、浅草に関わっていたせいで太り気味だったのは間違いないと思う。最近は外飲みがめんどくさくなり、何を食べても別に楽しくもないので、米と卵と野菜ジュースくらいで、腹がすきすぎて困らない程度に食っているのが健康にも良いかなと思っている。

太宰春台と平田鐵胤の墓

根津、天眼禅寺にある太宰春台のお墓にお参りした。享年1747年だから、今から300年近く前の墓にしては、きれいな墓石で、文字もはっきりと読める。手入れもされていて、苔むしたりはしていない。もともとそれなりに良い石を使ってあるのだろうか。

本堂には三つ葉葵の扉がある。松平家ゆかりの寺だが臨済宗なのは少しめずらしい。

今どきの御影石の墓石はきれいだが風情がない。最近はなんでもかんでも御影石だ。

そのあと巣鴨のとげぬき地蔵など行き、それから芥川龍之介、谷崎潤一郎などの墓などもお参りにいったのだが、途中珍しいお墓があったので寄ってみた。平田篤胤の娘と結婚して平田鐵胤(かねたね)と名乗った人だ。つまり篤胤に養子縁組した篤胤の弟子なのだ。このあたりは区画ごとに囲いがしてあって、なかなかたどり着けない。しかも一番奥で藪蚊がひどかった(クモの巣もある。行くには用心したほうがよい)。岡倉天心の墓のさらに奥。

平田篤胤は秋田の出身だが脱藩して江戸に住み、山鹿素行流兵学者の平田家に養子で入り、この墓はその平田家代々の墓であるらしい。平田篤胤の墓は本居宣長の墓の隣、つまり伊勢松坂にあるはずなので、ここではないということでよかろうか。

染井霊園は墓石の形はおおむね普通だが、明治政府が神葬祭地に指定し、東京府が管理したのだというから、ここのお墓はみな仏教徒ではなく神道家だということか。それから東京市に移管され、今は東京都が管理している都営霊園ということでよかろうか。なんかわからんことだらけだ。ウェブサイトなどもしっかりしていて万事ちゃんとしている。

このあたりはどこまでも墓地だが、寺が管理していたり都が管理していたり、その区画ごとに囲まれていて、かなり迷う。

護国寺や雑司ヶ谷霊園にも行こうと思ったのだが、眠いし暑いしで疲れ果ててしまった。荻生徂徠の墓は白金高輪のほうにあるし。正岡子規の墓は田端のほうだし。も少し時間をかけないとちゃんと墓参りはできない。

最近の株

最近の相場はなんか変だな、日経平均は上がるのにソニーや任天堂やNTTなどの優良株は上がらないのは、中国がデフレに突入して売ってるのかななどと想像したりしてたのだが、たぶんAIによる自動売買のせいじゃなかろうか。銘柄や業績なんかを総合的に判断して売り買いしているから人間から見るとなんでそんな値段になるのかまったく予測がつかないのではないか。

たとえば、任天堂とかソニーは、悪くはないんだが、そっちを持っておくよりは今はこっちを買っておいたほうが得するからそっちは売ってとりあえずこっちを買って儲けておく、みたいなことをやっているのではないか。そういうことは人間にはなかなか判断できないと思う。

では自分がAI自動売買に手を出すかというと、それはそれでAIというよりは誰かに踊らされる結果になりそうだからやらんと思うが。

で結局自分は、優良銘柄が安ければ買う、高くなったら売る、という以前からのやり方を続けるしかあるまいと思っている。

google adsense を仕込んでみた

あまりうざくない程度に試してみるのはありかなと思った(老後の楽しみのため?)。適当にはじっこのほうに表示させるのは良しとしよう。全画面を覆って閉じるボタンを押させるような広告はさすがにうざいのでやらないとか、自分で選べるのかな。

昔、adsense を一瞬やってやめた形跡がある。2014年くらいのことらしい。その頃のことなんてもう忘れてしまった。ずっと続けていればそれなりの収入にはなったのだろうか。

まあともかくやってみよう。

Kelvin TANAKA Channel

今まで作った曲を Kelvin TANAKA チャンネルに集めているのだが、まあ、人に見せてもいいかなって言うレベルのものから、わりと積極的に見てもらいたいものまであわせると現時点で 31曲ある。2021年くらいから作っているので 5年でこの程度。多いのか少ないのかよくわからん。最初は comptoser という自動作曲ソフト使ってたが一から自分で作ったほうが早いということになり一時期少しハマってた。

これらの曲に何か共通した特徴が分かる人は教えてほしい。作った自分にはまったくわからない。

頼山陽 立志論

男児不学則已、学当超群矣。今日之天下、猶古昔之天下也。今日之民、猶古昔之民也。天下与民、古不異今。而所以治之、今不及古者何也。国異勢乎、人異情乎。無有志之人也。庸俗之人、溺於情勢、而不自知。無上下一也。

男児学ばされば則ち已む、学べは当に群れを超ゆべし、

古之賢聖豪傑、如伊傅如周召者亦一男児耳、吾雖生于東海千歳之下、生幸為男児矣、又為儒生矣、安可不奮発立志以答国恩、以顕父母哉。

古の賢聖豪傑、伊傅の如き、周召の如き者は亦た一男児のみ、吾れ東海千歳の下に生まると雖も、生まれて幸ひにして男児となり、又た儒生となりて、安んぞ奮発立志して以て国恩に答へ、以て父母を顕さざるべけんや。

かな?

伊傅は伊尹と傅説、周召は周公旦と召公奭のことらしい。

これを一から訳すのは大変だなあ。

太宰春台

上田秋成『胆大小心録』に

聖人もだんだんご身代が大きうならしゃまして、悪人がたを加へねば、芝居がうてぬやうになつた事じゃ。ある儒者が、聖人とはなんでも国の乱れを治めたのが聖人じゃといふたは、末世の早算用なり。国を盗める候となる。候の心に仁義とはくだくだしいて聞こえにくい。その儒者どのが其の心ゆゑ、身持ちが悪くて、徂徠学じゃといへば、今の俳諧師のやうな相場じゃあったげな。太宰といふが力まれても、とかくに本家の評判が悪いから、とんとあとがない。

また頼山陽『山陽先生書後』「書徂徠集後」に

南郭の如きは王李に克肖し、其の師を踰ゆる有れど、而して観るに足らず。春台の能く其の師の非を悟るは豪傑と謂ふべし。

などとある。秋成の秋成節は何を言っているのかいつもながらよくわからんが、徂徠よりも春台のほうを高く評価しているようにもみえる。山陽も徂徠よりは春台のほうがまだましだと言っている。

しかし私が徂徠の書いたものと、春台が書いたものを見比べるに、春台は徂徠のおかげで名は売れて、文章も達者で、相当世間を騒がせたようだが、結局は徂徠の焼き直しにすぎず、徂徠と違うあたりには頭のおかしなことを言っているだけのようにみえる。それが「太宰といふが力まれても」という評になったか。

当時の人々にとって徂徠が有名だったのは間違いないが、何かしら徂徠はうとましい存在だったのかもしれない。春台のほうがなぜかしら好ましい人に見えたのかもしれない。しかし春台はろくに就職もしてないし、宮仕えなどできるような人でもなかったようにみえる。

要するには私には、山陽や秋成が春台を高く買っているのが不思議だということで、漱石も春台が嫌いではなかったし、春台がなぜそんなに評価されているのか、わけがわからないのである。

『山陽先生書後』なんだけど国会図書館デジタルコレクションには天保時代の木版本しかない。ふざけんなと言いたい。かっちりとした楷書で書かれているから読めるっちゃ読めるんだが(和文で、くずし字で書かれてたら死んでた。漢文だからまだ読めたのだ)、活字に起こして読み下し文とか現代語訳とか付けてほしい。ならおまえがやれ、と言われそうだが(追記。よく探したらあった)。

『徂徠集』にしてもいつの時代のものかしれぬ、出版者が松村九兵衛とかになってる木版本しかない。これはさすがに怒ってもいいんじゃないのか。国文学者らの怠慢ではないのか。