エウメネス再考

10年以上続けてみないと見えてこないものはあるわけで。2013年にkdpで『エウメネス』を出して、以来、なぜか私が書いたものの中で『エウメネス』だけが読まれ続けていて、なぜかなと思って調べてみると、エウメネスを主人公とする漫画『ヒストリエ』があり、ああ、『ヒストリエ』を読んだ人がついでに私の小説にも興味を示して読んでくれているのだろう、とそのときは納得していた。
そのままずっとそれで納得してたのだが、最近は、必ずしもそれだけじゃないんじゃないかと思い始めた。
私が書いたもので比較的継続して読まれているものには、カクヨムで出している『伊勢物語』がある。この『伊勢物語』と『エウメネス』に共通しているのはどちらも娯楽ものというよりは教養ものという性質の読み物であるということ、学習参考書的な性質を持っているということだと思う。
思うに、『ヒストリエ』を読んでアレクサンドロス大王に初めて興味を持った、という人はおおぜいいるに違いないが、そうでなくとも、アレクサンドロス大王に興味を持つ人はいるに違いない。世界史を学んでいて、『ヒストリエ』を参考にしようとしても、『ヒストリエ』は時代考証的にはかなり怪しいので、楽しみながら読めてもう少し役に立つ読み物はないかと探すと『エウメネス』にたどり着くのではないか。
あとはやはり、アマゾンでポジティブなレビューがついているのはやはり大きく、ときどきランキングで浮上して目に付くというのもかなり効いていると思う。
古代ギリシャものというのは古代ローマものと同じくらいに日本人には人気が高い。ギリシャものを読みあさっていくと、アレクサンドロス大王についてしっかり書いたものはそれほど多くはない。塩野七生も『ローマ人の物語』の二番煎じで『ギリシア人の物語』というものを書いた(書かされた)が、このできがあまり芳しくない。いろんな意味で不満が多い。少なくとも私としては。
これが英語圏の書籍であればアレクサンドロス大王について書いた本はゴマンとあって無名の作家が書いても埋もれてしまうのかもしれんが、日本語だとあまりない。あったとしても、断片的で、全体をざっと俯瞰し網羅するのに向いてなかったりする。あるいは逆に、概要だけで詳細がつかめないとか。
日本語でギリシャものといえば、神話とかアテナイとかあのへんのやつばっかりで、アレクサンドロス大王とかマケドニアあたりは案外手薄だ。
今はウィキペディアがあるから手間をかけて調べようと思えば別に小説を読む必要はないのだが、時間かけてあちこち調べるよりも手っ取り早くまとまった本を読みたい、という需要はやはりあるはずだ。
つまり、需要はあるが供給がない状態、ブルーオーシャンになっているのだろうと思う。
『伊勢物語』に関していうと、たぶん、これは高校生や受験生が見に来ているのだと思うが、ほかにも似たようなサイトはいくらでもあるのだけどたまたま、カクヨムだと検索の上位に来やすいとかそういう理由で見にきているのではなかろうか、と思う。極めて残念なことながら『伊勢物語』を読んだあとにカクヨムにおいてる他の私の作品も合わせて読まれているという傾向はほとんど無いと言って良い。
カクヨムでいうと『六波羅殿御家訓 現代語訳』もなぜかかなり読まれていて、といっても『伊勢物語』に比べると1%くらいだが、こういうものにはある一定の需要があることがわかる。

『エウメネス』を読んだ後にたとえば『エウドキア』などを読んでくれていることは、まったくないわけではなさそうだが、しかし、私の著書を一通り全部読んでみようという人は、まだおそらく、ごくわずかしかいない。
つまり私は、教養ものとしてはまあそこそこ読まれてはいるものの、娯楽ものとしてはほとんど需要がない、という状態にある。カクヨムだとあるところまでは読まれるが、それ以後ピタリとPVが止まる。それはkindle本でも同じように言える。読まれないものは永久に読まれず、埋もれてしまい、存在しなかったことにされてしまう。
10年近く小説を書いてみてわかったのはそういうことだ。また、10年続けてて少しずつ認知はされてきているのだと思う。

いつかパタッとPVが止まるのではないか、というのは恐怖で、逆に、今後もじわじわPVが続く、というのはとても心強いものだ。
とはいえ、一番売れてる『エウメネス1』でさえ、実売は500冊くらい。しかし、これが今後1000冊、2000冊となったらどうか。出版社に持ちかければ書籍化してくれるかもしれない。
まったく無名の作家が広告費もかけずに500冊売ったということにどれくらいの可能性があるものだろうか。

eumenes english edition

人に言われてその気になって、『エウメネス1』を英訳してみたものの、ほとんど誰にも読まれないってことがわかっただけだった。英文ならどんどん読者を獲得できるのではないかと期待したが、そんなことはなかった。

和文と英文を分離して、和文は縦書きに戻すことにした。やはり縦書きのほうが全然読みやすい。

今回書き足してしまってずいぶん長くなった。短ければあっさりしすぎていると思われ、長いと飽きられる。簡潔で読みやすく、気がつけば次々に読んでしまって、長さを感じさせないというか、長さが気にならないようなのが良い文章なのだろう。誰も別に長編を読みたいわけではないのだ。面白い作品なら、長ければ長いほどうれしいだけなのだ。

英文もせっかく書いたからどこかにタダで公開しようと思うのだが、英文の小説投稿サイトはもちろんたくさんあってそっちに投稿すりゃ良いのかもしれんが、そこにもまた有象無象の小説があって、結局は埋没してしまうのに違いなかった。

日本語の投稿サイトもいろいろ検討してみたものの、どこも英語の匂いがしない。小説サイトなのに学問の匂いがしない、というのは変な言い方かもしれんが、ああいう文芸サイトというものには、結局、私は受け入れられない気がする。

まだハテナブログのほうが、英文に関心を持つ読者いるのではなかろうかと思われたので、とりあえずこちらに公開することにした。

一度に公開しないのはもったいぶっているせいではなく、マジで最近時間が無いからだ。私の場合、趣味と本業が分離してしまって久しい。もう10年以上そうだ。しかし、少しばかり、本業にも身をいれようと思うようになった。

本業と趣味を分離してしまうと趣味ばかり本気になってしまい、それはそれで疲れる。

やはり学閥というものはあるのだと思う。大学の同期や先輩後輩、師匠はやはり頼りがいがあるものだ。自分の実力だと思っていても、実は学閥というマーケティングないしは広報が効いているからこそ、社会に露出し、世間に認めてもらえるのだ。

つまり学者になりたければアカデミアのコミュニティに属しなくてはならず、小説家になりたければジャーナリズムのコミュニティに属さねばならぬ。そのためには大学に入るのが一番良い方法だ。だからあんな一見何の役にも立たない大学というものが存在しているのだ。

自分が属する世界に飽きてしまってその外の世界で活路を見いだそうとしても、うまくはいかない。逆に自分の学閥の中でぬくぬくと活動していて、良い気になっていても、それはほんとうの実力ではない。ホンモノでなければいずれ遠からず忘れ去られるだけだ。

二足のわらじというが、単に本業と副業があるというだけではないのだ。複数のコミュニティに属するにはどうすれば良いか。一つの大学を出て、年を取って他の大学も出ればよいのか?なるほど、それもありかもしれない。しかし今更他人の弟子になって頭を下げる気など起きない。そこまでして他人に搾取されたくない。

世の中は実に馬鹿げている。身内で盛り上がっているだけではないか。そんなものは死んでしまえば何も残らない。学者ならば常日頃学者を観察しているはずだ。そこから導かれる結論は学者は馬鹿だという以外無いはずだ。それなのに、学者のくせに学者を擁護する。そういう学者ばかりだ。

メガス・バスィレウス

『エウメネス』の一番初期の草稿を読んでみたのだが、まず、タイトルが『エウメネス』ではなく『メガス・バスィレウス(大王)』になっていて、一人称ではなく三人称になっていて、エウメネスではなくて、アテナイ出身の貴族ニコクラテスという人が主人公になっている。いやそもそもこのニコクラテスなる人物は主人公というほどでもなく、王の次くらいに主要な登場人物というにすぎない。 アマストリーもまだ出てこない。 拙い、5000字足らずの草稿のようなものだが、『エウメネス』のエッセンスはとりあえず最初からここにそろってる。沙漠の話しかしてない。アッリアノスの『東征記』を読んで一番面白かった箇所を抜き出して小説風に脚色しただけ。これを多少膨らまして中編小説としてどこかの新人賞に応募したが、何の反応もなかった。

※追記: 今は全6巻、文字数は、1巻平均10万字として、50万字は軽く超えてるだろう。よくまあ書いたものだ。もはや自分でも読もうと思っても読めないくらい長い。

以下にその最初期の草稿全文を公開する。

メガス・バスィレウス

田中久三

アフガンの山岳地帯を抜け、ペルセポリスへ向かう途中に、ペルシャ高原でも一番に過酷な砂漠が横たわっている。その東半分は塩の平原。太古の昔、カスピ海やアラル海のような、閉ざされた塩辛い海が広がっていたのだろう。さらに西へ進めば、砂の砂漠。塩と砂の他には、不毛の岩山がそびえているだけ。あとは何もない。

「ところどころにオアシスくらいあるだろう。砂漠というところは、要するに、飛び石のように点在するオアシスをたどってゆけば越せるはずだ。」

王は砂漠の案内人らに尋ねた。

「この砂漠には、十日もの間一つの水場もない箇所があります。越えることはできません。」

「なんだ、たったの十日間か。キュロス王であればこの砂漠を越えただろう。」

案内人の一人が遠慮がちに答えた。

「我がペルシャ帝国建国の祖キュロス王とて同じです。」

「ではダレイオス大王ならば越えたであろうか。」

「いいえ。この砂漠は誰一人として生きては返しません。この砂漠を越えられぬことを、我がダレイオス大王自らが立証したのです。」

「ほう。おまえたち、どう思う。」

幕下に参集した指揮官たちは、一様にうつろな眼をしていた。打たれ強い、というよりは、あまりに打たれすぎて惚けてしまったようだ。 ニコクラテスという男がたまらず口を挟んだ。彼はマケドニア人ではない。アテナイ人である。彼はたびたび王に諫言をなした。王もそれを許した。

「おお、我らが王よ、バスィレウスよ!沙漠行は確かに我ら自らが望んだことでありました。一日も早く故郷に西帰するために。しかし今一度お考え直しください。」

かつて王は聖なる川ガンガーの岸辺でマケドニアの将兵らを集めて言った、

「ヘタイロイたちよ。我ら全員が乗れるほどの船を調達し、この川を下ってそのまま東の海へ出でて、アジアの海を一巡りして、カスピ海に戻ってこよう。船旅もまた面白そうではないか」、と。

いつも従順なマケドニア兵たちも、このときばかりは抵抗した、首に縄を付けられ、岐路で嫌いなほうへと導かれる散歩途中の飼い犬のように、身をくねらせ足を踏ん張って。

王は考えた。ニネヴェのアッシュールバニパル図書館で見た世界地図によれば、ガンジス川の河口からシナの海とカスピ海はつながっていた。シナもアフリカの奥地もカザフ平原もきわめて矮小に描かれていた。我らは苦も無くそれら全世界を経巡ることができる、と。しかし、兵卒らの本能は察知していた、「世界がそんなに小さいわけはない。海や大陸はどこまで続いているかもしれない。生きてマケドニアまで戻れる保証はない。」

王は言った。 「よろしい。ではアジアの海を航海するのと、ペルシャの沙漠をよぎって帰還するのでは、どちらがよいか。おまえ達が好きな方を選べ」と。

「我らは皆、東の海よりは西の沙漠の方がましです、後生ですから、沙漠に行かせてください。」

王はニコクラテスに向き直り、栗色の縮れ毛の下に光る、その黒い瞳をみつめて言った。

「私はペルシャのキュロス大王よりも偉大だろうか。」

ニコクラテスは答えた、

「もちろんでございます。王より偉大な王はこの世界にはおりません。」

「では我らマケドニア人がはじめてこの砂漠を越えてみせようではないか。キュロス王やダレイオス大王よりも、我らが偉大で強いことを後世に伝えるために。」

ニコクラテスはめまいがした。王はまったくひるまない。むしろ闘志を燃やしていた。

「ペルセポリスはまさしくこちらの方角か。」

「王よ。その通りです。しかし交易路はずっと北を迂回しております。まっすぐに砂漠を抜けることはできません。」

ニコクラテスの父はアテナイの貴族で書記官だった。王の父フィリッポスはアテナイやテーバイからなるギリシャ連合軍をカイロネイアの戦いでうちやぶり、マケドニアが全ギリシャの盟主となった。アテナイはマケドニアの要請に応じて、ニコクラテスを王の旅団に派遣した。以来彼は、いつ果てるともしれぬその大遠征 に従い、王の記録係を司っていた。立場上、王の相談役となることもあった。しかし、彼の意見が取り入れられることはなかった。王は何事も自ら即決するの だった。この王ほど参謀を必要としない王はあるまい。

王はもちろん気が狂っている、と彼は思う。

「四の五の話していても埒があかぬ。そろそろ行こうではないか。」

王は常々、インド人が乗る象ほども巨大な、スィリア産の白馬プケパラスに乗馬していた。しかし今、みずから鞍を外して荷駄を載せ、自分は徒歩で、プケパラス の手綱を引いて塩の海へと歩みだした。全軍が魔法にかかったように、すっくと立ち上がり、王の後について歩き出す。ニコクラテスはもはや驚かない。ただ、 王だけではない、マケドニア人はみな気が狂っている、そう思った。

分厚い岩塩の下には、ときおりコールタールのように真っ黒で腐った水がたまっていた。馬やらくだが塩を踏み抜いておぼれてはたいへんだ。案内役は注意深く、全軍を安全なルートに導く。

「次のオアシスまで、あと5日の行程です。」

日の出とともに進み、日の入りとともに野営する。それを3回繰り返したら、涸れた塩の湖がついに尽きて、標高が1スタディオンもあるかという、砂丘が現れ た。足が熱砂に膝まで埋もれた。一つ砂丘を上るとそのいただきから次の砂丘が見える。その砂丘に上ってもただまた次の砂丘が見えるだけだ。

「今日の野営地はここだ。」

皆は砂丘の斜面をベッドに寝た。王もまた兵士らとどうように直に砂の上に寝た。

王はバクトリアで敵将オクシュアルテスの娘ロクサナを娶った。王の両脇にロクサナとオクシュアルテスが添い寝する。

「ロクサナ。なんとやわらかな砂地だろう。ペルシャ王宮の絨毯や、フラミンゴの羽布団よりも、この砂漠の寝床の方がここちよいではないか。」

ロクサナは飼い猫がそうするように、無言でじろりと主を見ると、あきれかえって眼をそらした。

「叔父上よ。なんと見事な夜空ではないか。まるで星が鼻の先で光っているようではないか。手でつかめそうだ。地平線まで雲一つなく、空気がどこまでも透き通っている。」

王は水もなく飛ぶ鳥さえない死の沙漠のただ中にいて、恐れるどころか、むしろ楽しんでいる。オクシュアルテスは戦慄した。王は艱難辛苦がお好きなのだ。艱難辛苦によって得られる名声や富ではなく、艱難辛苦そのものがお好きなのだ。炎暑の沙漠に焼かれ、酷寒の雪原に凍え、断崖絶壁をよじり大河を渡河する、そういうこと自体がお好きなのだ。

翌朝また出立し、いくつかの砂丘を越えると、眼下に青々とした、小さな湖が見えた。

「オアシスだ。」

兵卒らは砂丘をわれ先に滑り降り、服を脱ぐのももどかしげに、湖の中に飛び込んだ。後から後から兵士らが飛び込み、多くの家畜らも後を追ったものだから、水面に浮かび上がることができず、少なからぬ兵がおぼれしんだ。また、余りにも一度に大量の水を飲んだために、急死するものまで出た。

「なんというざまだ。」

王は死者を砂に埋めて葬った。王は案内役に言った。

「これからはオアシスに着くより20スタディア手前で宿営することにする。これ以上部下を死なすわけにはいかぬ。」

一行は次第に深い砂漠に沈んでいった。日にちの感覚が失せていき、永遠に砂漠の中を彷徨するのではないか、という錯覚に陥る。

「恐れながら王よ。一つだけお聞かせ願えませんでしょうか。私が常々抱いております疑問について。」

「なんだ、オクシュアルテス。申せ。」

「王は何故に、困難なことと簡単なことの二つを選ぶときに、必ず困難な方を選ぼうとなさるのでしょうか。王都に安住せず、危険な世界を経巡ろうとなさる。ひとときも心休まるときはありますまい。」

「ははは。私はそなたたちとものの考え方が違っているからこのように世界の王になれたのである。極めて自然なことだ。そなたたちに困難と思えることが私にはむしろ簡単であり、簡単と思えることが逆に困難なのだ。楽しいと思えることが私には耐えがたい苦痛であるし、苦痛はむしろ快楽なのだ。

叔父貴よ。これは、そなただけに打ち明けることであるから、他言は無用であるが、私がマケドニアかバビロンの宮廷に戻れば、臣下らは、みな喜び安堵するであろう。しかし、この私にとって宮廷ほど危険なところはない。

今我らは世界征伐の途上にあって、我が旅団も生きるか死ぬかという緊張状態にある。私が真の意味に必要とされている場所は戦場なのだ。私が、このアレクサンドロスが宮廷にいれば、逆に誰も私を必要としなくなってしまう。我が父フィリッポスもまた同じであった。父は戦場で死んだのではない。宮廷の祝宴のさなかに死んだのだ。だから、私もまた祝宴も、宮廷も好きではない。戦場こそが私の安住の地なのだ。我が兵ら、ヘタイロイらもまた、危難の中にあればあるほど私に従順である。宿営地に集めておれば全軍を即座に掌握できる。もし我が故郷へ帰ってめいめいの家の中に入ってしまえば、私の目は届かず、何を企んでいるかもしれないではないか。」

王はそこまで話すとオクシュアルテスの返事を待たずに立ち上がり、尻や腕の砂を払うと、ロクサナの手を取り、砂の中から起こし立たせた。王は娘をバビロンに連れていき、そこで正式に挙式して、王の妃に立てるという。王がそう言うのであるからそうするのであろう。そしてまたどこかの戦場へ旅立つだろう。それまで私も王の軍にいるしかないのである。

王は沙漠の民を案内人として、水場から水場へと行軍した。日の出とともに行軍を開始し、日の入りとともに野営した。翌日も、また翌日も、同じように進軍した。

或いは駱駝や馬を屠ってその生き血をすすり、或いは奴隷のはらわたを割いてのどを潤さねばならぬ。すくなくともロバや羊は沙漠を出る前にみな食われてしまうだろう。

岩陰には夜露がたまっていることがある。夜中のうちに岩に当たって冷えた空気が結露して、わずかな雫が窪地に集まって、人ののどを潤すほどの量になることがある。兵卒らはあらそってそれらの水をすすり岩をなめた。

ある兵士が洞穴を見付け、兜一杯分の水をくんできて、それを王に献上しようとした。

「これだけか。」

「はい。」

「私もまた、マケドニアのヘタイロイの一人にすぎぬ。皆が渇きに苦しんでいるときに、私だけがこれを飲むわけにはいかぬ。おまえが見付けたのだから、おまえが飲めば良い。」

「それはご勘弁ください。」

「我が軍全員の分がないのに私だけ飲んでも意味が無い。捨てるとしよう。」

そう言って、全軍注視の中、兜一杯の水を砂地に撒いた。水はたちまち沙に吸い込まれ、太陽がたちまち乾かしてしまった。兵士らは無言でその信じられない光景を見ていた。まるで、砂が一杯の水を飲み込んだように、全軍が等しく一杯の水を飲んだかのような感覚を共有しつつ。

兜の持ち主は、王の手から空の兜を受け取り、元のようにそれをかぶった。

オクシュアルテスは言った、「ニコクラテス。おまえは、王があの水を飲まなかったことが、きわめて立派なことのように思っていよう。しかしそれは違うのだ。王は用心していたのだ。王は素性の知れない水は飲まぬ。奉られた食べ物も食べぬ。兵士らが食らっている食い物を分けて食い、兵士らが飲んでいる水を分けて飲む。王は自分のヘタイロイの一人に過ぎぬというつもりでそうしているのではない。毒を盛られるのを怖れているのだ。

また、仮に、兵士に悪意なくして、水を献上したとしてもだ。砂漠の案内人が飲んで良いと言った水しか飲まぬのだ。岩山の洞窟にたまっていた水など、得体の知れないものを飲んで腹を壊してはならぬ。遠征途中で病気になってもいかぬ。だから飲まなかっただけなのだ。」

小説の書き出し

> アマストリーにギリシャ語を教えるよう、王は私にお命じになった。

2013年3月17日にKDPで『エウメネス』を出したときの書き出しはこうなっていた。 ずっと最近までこの出だしのままだった。これを私は

> My Lord charged me to teach her the Hellenic language.

と訳してみた。「命じる」だが、command, order, charge, assign, appoint など、いろいろ候補がある。 ここでは王から私に一方的に仕事を課した、という意味合いで charge にしてみた。 discharge だと任務を解く、兵役を終わらせる、というような意味がある。

Greek という言葉は使いたくなかったので、Hellenic とした。 Hellenistic だとさらに意味が違ってくる。 Greek はラテン語由来であり、ローマから見たギリシャを意味する。 ギリシャ人自身は自分たちを Hellene と呼び、自分たちの国を Hellas と呼んでいた。 ローマが勃興する以前の話なのでラテン語由来の単語をできるだけ使いたくなかった。 日本語だとラテン語を使わず、たとえば漢語で代用するってことは割と容易だが、英語だとそうはいかない。 漢語はギリシャとローマの関係に中立だから良いが、ギリシャのことをローマの用語で書くとローマ史観や西洋史観がそこに混入してくるので嫌なのだ。ギリシャ史観が入ってくるのはある程度仕方ないとして、私としてはこれを西アジア史観で書きたいのである。

逆に日本語だと、「ギリシャ」を「ギリシャ」以外の単語で代用するのはほぼ不可能だ。この問題についてはもう少し時間をかけて検討したい。

「王」をどう訳すかも少し悩んだ。King にしようかと思ったが、あまりに唐突なのでここではやめておいた。あきらかに The King ではない。My King か Our King で良いかもしれないが、無難に My Lord にしておいた。以下作中では King と Lord どちらも使っている。

英訳だと Amastri という固有名詞すら出てこない。 で、この書き出しは、自分としては割と気に入ってるのだが、これだと、宮廷のどこかでお姫様が執事か何かに勉強を習う話のように思えるが、先まで読んでみたら違った、みたいなことを言われた。王様とお姫様が出てくると何かディズニーランドかトランプの絵札かチェスの駒のようなものを思い浮かべるのは日本人の悪い癖、西洋の悪い影響なので、わざとそのように勘違いさせておくのが良いと思い、そもそも私がこの書き出しにしたのは読者にそういう勘違いをさせのちに意外な方向へ話を展開させる、という意図もあったのだが、私としては少し思い改めて、出だしを次のように書き換えることにした。

> カイバル峠を過ぎ、ヒンドュークシュの山嶺から下界に降りると、ようやく春が我らを出迎えてくれた。雪が消え残る岩山は新緑に萌える草原に連なり、トネリコの枝にはそよ風が渡り、クロウタドリが口笛を吹いている。王は進軍を駐め、ここを今日の宿営地に選んだ。
> 兵士らが薪を集め火をおこし、幕舎を建てている合間に、私は木の間に天幕を張って日除けにし、テーブルと椅子を出して文房具を並べる。勉強を教えるにはあまり適していないところだ。さっきからずっと彼女は、岩場の隙間に咲いている黄色いスミレソウや、青い空を飛ぶ白い蝶に気をとられている。

> At last the spring welcomes us who now descend the Kaukasos mountains crossing the Khyber Pass. Snowy rugged scenery turns into green grass fields, warm wind blows and black birds are whistling in ash trees. Our Lord stops marching here to fix today’s camp.
> While soldiers are collecting woods, pitching tents and making fires, I spread a sheet between trees to avoid sun exposure, place a table and chairs under the shadow, prepare for writing. This is not a good place to study something, for the yellow primroses blooming in rocky meadows and white butterflies flying over the blue sky constantly attempt to attract her attention.

一箇所に定住していれば住民が春が来るのを迎えるのだが、逆にここでは、遠征軍が山から下りたので下界で春が出迎えてくれた、というわけで、そこは少しひねった。出だしをひねろというリクエストがあったので。 トネリコやクロウタドリや黄色いサクラソウや白い蝶というのは『フローニ』の使い回しだ。 英文中ではヒンドュークシュを Kaukasos と書いているのだが、これはアッリアノスなどがそう書いているからだ。当時この山がアヴェスター語もしくはサンスクリット語でなんと呼ばれていたのか、よくわからない。

カイバル峠やガンダーラを知ってる人にとってこの序章はある種の旅情を喚起させるのだろうが、知らない人にとってはいきなり未知の地名がわらわら出てきて読む気が失せるのだろう。私がトールキンのファンタジーを読むときのように。これはもうしょうがない、想定する読者ではなかったと諦めるしかないと思う。

クレイトス殺害

アレクサンドロスがクレイトスを殺害する場面、簡単に描けるかと思っていたが、なかなか難しい。 一番の難所かもしれない。

アレクサンドロスのザグロス山脈越えは、まあわりとどうでも良い。 森谷公俊著『アレクサンドロス大王東征路の謎を解く』を読んだのだが、 結構高齢になってから、科研費もらってザグロス山脈の現地調査したというのはすごいが、 実際どのルートを通ったかというのは大した問題とは思えない。 別にどのルートでも結果に大差ないように思える。 アリオバルザネスというペルシャの将軍との戦い、いわゆるパールサ門の戦いだが、これも大したものだったとは思えない。

だが、アレクサンドロスがクレイトスを殺す。 簡単なようでこれがなかなか書けない。 ただ酒に酔って勢いで殺したのではない。 アレクサンドロスという人がどんな人だったのかを正確に把握してないと書きようがない。

森谷公俊氏はアレクサンドロス研究に関しては日本の第一人者と言える人だろう。 だが私は彼といくつかの点で見解が異なる。 アレクサンドロスのバビュロン入城や、パールサプラ略奪に関しては、私はギリシャ人がペルシャ人に報復したのではなく、 バビュロニア人がペルシャ人に報復したのであり、アレクサンドロスはバビュロニア人に加担、あるいは譲歩したのだ。 パールサ侵攻はバビュロン入城の交換条件のようなものであったろうと思う。 バビュロニア人だけでなく、アッシリア人も、スーサのエラム人も、ペルシャに恨みを抱いていた。 パールサを焼かねばならぬと考えたのはマケドニア人というよりは、それらの諸民族であったはずだ。 パールサ侵攻はそれゆえにアレクサンドロスが自ら望んで行ったものではないと思う。 パールサはアレクサンドロスにとって寄り道にすぎない。 パールサに長居したのも、ペルシャ高原を冬に移動するのは困難だったというだけのことだろう。

マケドニアやトラキアやオレスティス、エペイロスには山が多く、山羊や羊を飼う遊牧民が多く住んでいたはずだ。 ディオドロスの逸話は面白い。ザグロス山脈を越えたときに現地の羊飼いに道案内を頼んだ。 身軽な羊飼いにしか通れない山道を通ったというのは、つまり、マケドニア兵はもともとそういう山岳地帯に慣れていたということだろう。 だからイリュリアやゲタイなどトラキアの奥地に住む原住民とも互角に戦えたのだ。 アレクサンドロスにとって、ペルシャ王と戦うよりも、ザグロス山脈に住む山賊と戦うほうが面白かったかもしれない。

スーサも書こうと思ってなかなか書けない。スーサはいかなる町であったのか。 スーサについてはドイツ語のウィキペディアの記述がやや詳しい。スーサには城壁がなかった。 ダレイオス大王の王宮があり、城下町(Künstlerviertel)があっただけだ。 ペルシャに征服される前には当然スーサにも城壁はあったのだろう。

あと書かなきゃならないことは、 パールサ侵攻、ダレイオス三世の死、ベッソス捕獲、バクトリア征服。 このあたりでクレイトスは殺害される。 バクトリアでラオクシュナ、アマストリー、アパマなどのペルシャ王女らを確保する。 それから第一巻に書いたガンダーラ、インダス川、ゲドロシアへ続き、スーサに帰ってきて、ハルパロスらと一悶着あって、結婚式を挙げる。 スーサの合同結婚式より後のことを書く気は今のところない。

アレクサンドロスはなぜバビュロンを王都に定めたのだろう? 当たり前のようだが全然当たり前じゃない。 別にバビュロンにいたかったわけではあるまい。 たまたまバビュロンでアレクサンドロスが死んだので、バビュロンが王都であることになったのではないのか。

ともかく、第五巻までで書くのをやめてしまっても別に大して支障はない。 とはいえ、完結させた方が読者にとっては便利かもしれない。

アンティオキア湖。イッソスからタプサコスまで。

アンティオキアはセレウコスの父アンティオコスにちなんでセレウコスが建設した都市だが、 もともとここにはアララハという古代都市があったが、セレウコスの時代には廃墟になっていたと思われる。

アンティオキアはオロンテス川が流れ込み、流れ出す、アンティオキア湖のほとりにあった。 今は灌漑されて小さくなったが、かつてはもっと大きな湖であったはずで、したがって、イッソスからハルペへ行く途中はこの湖を迂回せねばならなかったはずだ。

google maps で地形を表示すると真っ平らなので、かつてこの平原が湖であったことは明白である。

イッソスからアンティオキア湖まではかなり急峻な山道を通らねばならない。

オロンテス川は大地溝帯の北端に当たっていて、このアンティオキア湖はその地溝帯の谷間にあったのである。 地形的にはイスラエルの死海やガリラヤ湖と同じ。

タプサコスの渡し場のあたりは、地形図で見ると平地ではなくて山地になっている。 エウフラテスの川幅が狭まっている箇所ということだろうと思う。 川の中に中州というか島がある。 ここに舟を並べて舟橋にして渡ったのであろうと思う。

クセノフォンの『アナバシス』に、ミュリアンドス Myriandros という地名が出てくる。フェニキア人が住むシリアの海辺の町。ここはイッソスのアレクサンドリア、今のイスケンデルンである。 商業の中心地とある。

ミュリアンドスを出て行程4日、20パラサンゲス(1パラサンゲスは30スタディア、5.4km)でカロス川についた、とある。 このカロス川というのは、今のアレッポの町の中を流れるクウェイク(Queiq) 川であるという。 従ってこのカロス川が流れる町はアレッポ、古代の呼び名で Khalpe となる。 ハルペの住人は魚と鳩を食べないとある。 これはおそらく魚はダゴンの使いであり、鳩はイシュタルの使いであるからだ。 ダゴンはもともとはフェニキア人の神であり、それもハルペ南西55kmにあったエブラという町の主神であったろうと考えられる。 ハルペ住人がダゴンを信仰していて魚を食べなかったのはほぼ間違いないように思われる。 日本語のウィキペディアには、ダゴンはヘブライ語由来だと書かれているのだが、そんなことはない。 ダゴンはクトゥルフ神話で有名だが、これはラヴクラフトが適当に考えた世界観である。

鳩を食べないというのは、おそらくイシュタル信仰のためだ。イシュタルは鳩が好きで、自らも鳩の姿をしている。 それゆえイシュタルの羽根と足は鳩のものなのだ。

クセノフォンの『アナバシス』はヘロドトスの『歴史』に比べると描写がずっと具体的である。

カロス川から行程5日、30パラサンゲスでダルダス川に着くとあるが、 これは al-Bab という町を流れるDhahab 川 であろう。

エウメネス

『エウメネス』を最初書いたときは、アッリアノスの『アナバシス』しか読んでなかった。 その中の名場面を切り抜いて一本にして、それ以外を書く気はなかった。

連載ものにしたのは、続編が読みたいというレビューが書き込まれていたためでもあるし、 また、『エウメネス』が良く売れるので、一から書いてみようかという気になったのだ。

それで、アレクサンドロスの東征の開始からイッソスの戦いまでを書いてみようとして、これは一本では書き切れないってことがわかって、 二本にわけた。 もともと出してたやつを『エウメネス1 ゲドロシア紀行』とし、 つづいて『エウメネス2 グラニコス川の戦い』、『エウメネス3 イッソスの戦い』としたのだった。

『エウメネス4』と『エウメネス5』では、それまでと違って、 アレクサンドロスの金魚の糞みたいな位置づけだったエウメネスを単独行動させてみた。 わざとアレクサンドロスを登場させず、アレクサンドロスの三人称視点としてのエウメネスを独立させて、 一人称視点のエウメネスを書くことにしたわけだ。 ついでにカッサンドロスやセレウコスなどの若者も登場させてみた。

『エウメネス』シリーズはすべて一人称視点で書かれているのだが、 一箇所だけ、イッソスの戦いでダレイオス三世が敗走するところだけ、 ダレイオスの一人称視点で書いてある。 というか、エウメネスでもダレイオスでもない三人称視点のような書き方になっている。 これは反則技というか、不統一というか、文章の稚拙さともいうべきものなわけなんだけど、 個々の箇所はエウメネスの回顧録のような形で読んでもらえればと思う。 イッソスの戦いの後でエウメネスが知り得た事実を総合したらダレイオスの心理とはこんなふうなものだった。 それをエウメネスが語った、ということにしてほしい。 ところどころ、「今から思えば」とエウメネスが言う箇所がある。 この作品全体が、アレクサンドロス大王がバビュロンで死んだ直後くらいにエウメネスが王を追想して語ったものなのだが、 没入感を出すために、多くは現在形で語られているのだと了解してもらえるとありがたい。

古代ギリシャのことを書きながら、いつの間にか、結局現代社会のこと、私自身の思想のことを書いているのだけれども、 それは私が書いているフィクションなのだから仕方あるまい。 なんなら他の人はほかのように書けばよいだけだ。

あとは、パールサの戦い、ハグマターナ、バークトリシュの戦いを描くのみとなった。 たぶんこれらは『エウメネス6』『エウメネス7』という形で書くことになるはずだ。 そして時系列的に言えば『エウメネス1』に戻る。

最後はゲドロシアを抜けてスーサに至るまでのアレクサンドロスの帰還を描いて『エウメネス8』としたいと思っている。 『エウメネス8』の主役はカラノスというバラモン僧になる予定だ。 この人はもともと出てこないので、『エウメネス1』に追記した。 『エウメネス1』だけで完結するには要らないキャラだが、 『エウメネス2』から『エウメネス7』まで来て『エウメネス1』に戻って、『エウメネス8』で完結するためには、必要なキャラだと考えている。 アレクサンドロスが死ぬところやその後のディアドコイ戦争を書く気はない。

アレクサンドロスとは何だったのか。 彼にはエパメイノンダス、フィリッポス2世という先達がいた。 ペルシャ帝国が瓦解しかけ、そのコスモポリタニズムを新興のマケドニア王国が引き継いだ。 さらに彼の個人的資質、特殊能力としてはダイモニアというものを仮定している。 ダイモニアはソクラテスが言っていたことで、アリストテレスもエウダイモニアなどと言っている。 ダイモニアは守護神とか守護霊のようなものであるし、バラモン教的に言えば阿頼耶識とでもなろうか。 無意識的自我とでもいえばよかろうか。

『エウメネス5』ではたくさんの神が出て来た。 ダゴン、イシュタル、ナブー、マルドゥク。 占星術、七曜にも多く言及した。 ユダヤ教にもちょっと触れた。 『エウメネス3』ではフェニキア人やエジプト人の神の話も出た。 ペルシャ人の神アフラマヅダは当然出てくるし、 ギリシャ人の神はディオニュソスを初めとしてこれまたたくさん出てくる。

これだけたくさん神様を出したのは単に私の趣味だからでもあるが、 私は、アレクサンドロスがパールサプラを焼いたのは、アレクサンドロス自身が意図したのではなく、 バビュロニア人とペルシャ人の間の宗教的な対立があったからだと思うからだ。 もちろんギリシャ人も、ギリシャに侵攻したクセルクセス王には恨みがあった。 そのクセルクセスが完成させたパールサプラを略奪し焼いたのはギリシャ人自身の復讐であったかもしれないが、 しかし、バビュロンに入城したアレクサンドロスが為政者として市民らに最初に期待されたのは、 ペルシャ人への報復だったと思うのである。 つまりバビュロンへの無血入城には、パールサ征服という交換条件があったのではないか。

ディオドロスの『歴史叢書』も最近になって目を通している。 概要はアッリアノスと、ウィキペディア英語版など読めば十分なのだが、 ディオドロスにしか書いてないディテールなどが割と作品に風味を加えてくれるので、 できるだけ拾いたいと思う。 他にもクセノフォン、トゥキュディデス、アテナイオスなども読んでいる。 森谷公俊氏の本も読み始めた。 しかしプルタルコスを参考にするつもりはない。

まともかく『エウメネス』シリーズは完成させなくてはならない。 そのため『エウメネス1』はだいぶ加筆修正した。 『エウメネス2』にはアンフィポリスの戦いを加筆した。 完成させるまでには、いやもしかすると完成させたあとも、加筆や修正は続くんじゃないかと思う。

エウメネス5

11月30日に出版開始してそれからさらに書き足してしまい、211枚まで増えてしまった。 私の場合どうしても出版した後にも修正したり書き足したりしてしまい、 しかもキンドルは改版するのが難しいから、出ました、とはなかなか宣伝できない。

でも読んでもらいたい気持ちはあるから、ツイッターなどで告知したい気もする。

一応完成はしているが未完成なのだ。

今あらためて『エウメネス1』を読み直すと幼稚だ。 『エウメネス』を最初に書いたのはもう4年前だ。 あの頃はアッリアノスの『アレクサンドロス大王東征記』だけ読んで、イッソスとガウガメラはある程度知っていたが、 その後のゲドロシアのところが面白かったので、そこを切り取って書いたのだった。 今『エウメネス5』を書いているが、これはアリアッノスだけでなく、ヘロドトス、トゥキュディデス、クセノフォンなどいろんな歴史書を少しずつつまみ食いして補完して書いているのである。 もちろんウィキペディアとかペルセウスとかその他の文献も見ているが。 当時と今では知識量がまるで違う。 私は4年前、ほとんど何も知らずに書いていた。 4年前の私に『エウメネス5』を読ませたらどんな気持ちで読むだろうか。 まったく予測がつかない。

『エウメネス1』の頃の私はわりと読者目線に近かったと思う。 ふつう読者はエウメネスを知らないからエウメネスを知ろうと思ってエウメネスの本を読むわけだ。 私もエウメネスを知らずにエウメネスを書いていた。

今の私は読者目線にはなれようがない。著者としてしかエウメネスを見れなくなってしまっている。 どちらが良いともいえない。 著者としては今の私のほうが優れているはずだが、読者にとっては、自分に近い目線の人が書いたもののほうが面白いはずだ。

『エウメネス1』を書いたとき私は傑作を書いたつもりでいたが、今見るとなんとも物足りない。 あの頃はあの80枚をものすごい努力で書いたのだった。 今は200枚くらい平気でかける。 いろんなエピソードを挟んだり、架空の人物を登場させることで、いくらでも分量を増やすことはできるようになった。

僭主と王

僭主(τυραννος)と王(βασιλεύς)の違いはなんだろうかということをずっと考えていた。

Wikipedia の「僭主」を読んでもよくわからないと思う。英語由来のタイラントだともっとわからない。タイラントには「暴君」という意味しかない。これは一般化するよりは、古代ギリシャ世界における特有の呼び分け方だと思ったほうが理解しやすいと思う。

王というのは、血縁と地縁があって、その族長がなるものである。だから王には血統があって、血筋というものが重視され、才能などはまあどちらでもよいということになる。族長というものはどんな原始社会にもある。王は、歴史に残らぬ古代から現代までずっとある君主の形態である。人の集団は多かれ少なかれ、地縁と血縁、宗教や習俗でできているからであり、それは昔も今も大差ない。

これに対して、僭主はある程度文明が発達した社会にしか生まれ得ないはずである。

たとえば、地縁や血縁が強固なスパルタには僭主は生まれ得ない。王しかうまれない。

いっぽうアテナイやテーバイなどでは、無産階級が生まれ、奴隷や富豪などさまざまな、
地縁とも血縁とも関係のない市民がいた。同じことはペルシャでもいえるのだが、ペルシャのような巨大な国では皇帝独裁というものが発達した。アテナイのようなミニチュアのような国では逆に、市民全員が政治に口出しする直接民主制というものが生まれた。

アテナイでもペルシャでも、一代で財をなしたり、あるいは領主となったり、あるいは領地を相続したり、あるいは武力にうったえて政治権力をもったり、戦争に功績があった将軍が民衆の支持を得て独裁を行ったり、そういう形で僭主が生まれることがあるわけだ。

アテナイでは直接民主制もしくは貴族による寡占政治から逸脱した状態として、僭主が嫌われた。

しかし、ペルシャのように、大昔に支配者と被支配者が完全に分離した社会では、ある日突然、一般人が領主になることがある。それは婚姻によるものであったり、跡取りがない領主が親しい奴隷に領地を相続させたりする。宮廷の官僚や宦官などが王位を簒奪して領主になることもある。

アテナイではペイシストラトスとかテミストクレスが僭主と呼ばれる。ペイシストラトスは貴族の親玉だった。無産階級をたくさん雇って農地や鉱山を開発させて一代で巨富を得た。テミストクレスは戦争の英雄だった。サラミスの海戦でペルシャ艦隊を覆滅させた。
どちらも大衆を扇動して権力を独裁しようとしていると疑われたわけだ。

だけど、同じギリシャ人のポリスでもシチリアあたりだと全然違う。どちらかといえばペルシャ世界と近い。

ギリシャ本土以外では、領主が血縁以外で継承すると僭主と言われる。娘婿でもたぶん僭主扱い。ただそれだけだ。

アテナイでは血縁や地縁が薄れてきたので、王政が貴族政に移行したのだろう。直接民主制に移行したのは直接的にはペリクレスのせいだが、狭いポリスで、アゴラに無産市民が集まって好き勝手いう環境が民主制というものを生み出したのだ。でも同じギリシャ人でも、スパルタではそうはならなかった。無産市民が発生せず、市民はみな農村にはなればなれで暮らしていたせいだろう。


追記: 要するに世襲でない王、一代で成り上がった権力者のことを僭主というのだ。西アジアでは、僭主がその部下や召使い、奴隷に財産と権力を継承することがあった。これは父から子への相続ではないから、僭主から僭主が生まれることになる。実の男子だけでなく、娘婿に継がせる場合は世襲である。ゲルマン法、ローマ法というが、ローマ法(ローマ皇帝の継承法)というのはマケドニア王国の継承法を真似たものであろう。当然、東ローマはマケドニア王国の王制をそのまま引き継いでいる。一方でゲルマン法では不動産(領地)は男子にしか所有権、継承権が無い。

タイラントが暴君か独裁者かなどということは関係ない。単に私有財産制、相続制度の問題なのだ。

著者不在読者万能

私の小説の中では「エウメネス」「エウドキア」がよく売れている方なのだが、比較的マイナーなはずのエウドキアが売れている理由がよくわからなかった。だがオタクの世界では、エウメネスほどではないにせよ、エウドキアはよく知られたキャラであり、エウドキアがどんな人であったか知るために(もしかすると二次創作のための設定資料として)ポチる人が多いのではないか。私以外の全然別の人が全然別の話を書いても同じくらいには売れたのではないか。とすれば私という書き手は不要であり、不在であり、存在するのは読者だけということになる。私が書かなくてはならない必然性がない。

本を売るということは、それを買う読者がいるということであり、ようは読者万能ということである。同じ事はすべてに言える。政治家にしろ君主にしろ、近代・現代は国民万能時代だからどうしてもそうなる。売れっ子ライターやアルファブロガーなどみんなそうだ。ツイッターではそういうよく読まれる人のことは、なんと呼ばれているのだろか。

私は話の中で登場人物を死なせるのが嫌いだ。もちろん歴史小説では死ぬが、それはその人が死ぬことが歴史的に確定しているからだ。私が勝手にこしらえた人物を殺すのは忍びない。ほとんど唯一の例外は墨西綺譚に出てくる乾長吉だが、墨西綺譚は今は非公開にしている。

石原慎太郎、村上龍、山田詠美、村上春樹などの流れをみると、読者はあきらかに暴力やセックスを求めている。ラノベにすらその傾向はある。ミステリー・ホラー小説もつまるところ人が殺されるからおもしろがって読むのだ。人が死なないミステリーなどほとんど見向きもされないだろう。

私の場合、男女が恋愛関係に至る過程を書くことはあっても、恋愛関係そのもの、つまり情事を書くことはほとんどないが、それも一般読者には不満だろう。

村上春樹から暴力やセックスを差し引いたらあんなに売れると思うかね?


追記20260928

エウドキアは今は全く売れてない。エウメネスは kenp で少し読まれている。