中島敦@南洋庁パラオ支庁

割合ひまだったので中島敦をまとまった分量読むことができた。

彼は南洋庁パラオ支庁に居た。第一次大戦でドイツから取った領土だ。そこへ行ったのは、喘息の療養を兼ねてのことだったようだ。小説の評判が良いので帰国したら、横浜で早速風邪をこじらせた。スティブンソンはロンドンで死にかけて、南洋に引き返して命をながらえたが、中島敦はそのまま日本で死んでしまった。日本に帰らなくとも、すぐに戦争が始まって大変な思いをしたことだろう。ただ中島は、

いや、そうではない。お前が南方に期待していたものは、こんな無為と倦怠ではなかったはずだ。それは、新しい未知の環境の中に己を投げ出して、己の中にあってまだ己の知らないでいる力を存分に試みることだったのではないか。さらにまた、近く来るべき戦争に当然戦場として選ばれるだろうことを予想しての冒険だったのではないか。

という恐るべき覚悟を記している。

山月記、名人伝などはもちろん高校生の頃読んでいたのだが、その異常な世界は、中島敦が熱烈な西遊記ファンであるところからきているようだ。彼が生きていた時代が精神主義全盛期だったことも関係あるかもしれんが。文字禍、悟浄出世、悟浄歎異、など、寓意の体裁であるがあからさまに彼自身が投影されていて、私小説よりもむしろ直接的だと思えた。

切腹の起源 2

いろいろ調べ始めたがさっぱりわからん.とりあえず岩波新書「武家の歴史」を借りた.わかったことといえば,平安時代の武家の源氏とか平氏とか藤原氏とか言うのは,かなりいい加減だということだ.あと岩波文庫の日本外史も借りる.頼山陽は,最初に切腹した人が誰か知っていただろうか.そういえば,靖国神社で「日本外史を読む」とか言う講座をやってたような気がする.

ちょっと検索してたら徳川慶喜所有の日本外史の版木で作った火鉢と言うのが出て来た.うーむ.たとえば ここ には「尊皇攘夷運動のバイブル「日本外史」」とか書いてあって,まさにそうなのだが,倒幕された側の慶喜がその版木で火鉢を作って使っていたとは.どういう心境だったんだろうなあ.慶喜が駿府に移って住んだ寺にあったものだというから,ほんとに使ってたんだろうな.昭和 15 年に失火したときに,住職が庭に放り投げて守ったとか書いてある.

ところで上の二つの頁はどちらも ntt.co.jp なのだが,NTT って郷土の歴史に力いれてるのかなあ.

切腹の起源

切腹は日本固有の風習だと言われている. 日本人以外に切腹という自殺方法を発明した民族はいないのである. 十八史略などを読むと, 武人はたいてい喉に刃物を当てて, 前に倒れて自分の重みで自決している. これは西武劇で拳銃で自殺するのと意味的には大した違いはない. 作法として形は決まっているが,極めて合理的な死に方である.

で,誰が切腹を発明したか. 誰が最初に切腹して死んだのだろうか. という疑問が沸いて来た. おそらく戦国時代に何かのきっかけで急に普及したんじゃないかと想像したが, goo で調べても大したことはわからない. 図書館に行って調べてみると, なんと平安時代からあり, 源平合戦のころには既に一般化した, とものの本に書いてある. 1000 年の長きに渡って日本人は切腹して来たのである. 明治政府によって非合法化されたが….

平安時代から,ということは, 日本に源氏,平氏という武家が登場したと同時に切腹も生まれたということだろう. じゃあ最初に切腹した人は? 源氏か平氏か. その原初的形態はどのようなものであったのか. どのような経緯で普及したのか. いつから介錯人が付くようになったのか. まだ何もわからない. もしかすると,もっともっと大昔からあったのだが, 武家が正式の自殺方法として採用しただけなのかもしれん. もともとは宗教的な意味があったかもしれんなあ. 江戸時代の作法については詳しく書いたものがあるようだが, 起源がわからん.

ところで最後に切腹した人は三島由紀夫(の介錯人?)だろうか.