新約聖書

新約聖書の中では、福音書よりも、パウロの書簡の方が先に成立したというので、まあ、そりゃそうだわなと思い、パウロの手紙を読み始める。文章として後世に残るというのは、古代にあっては特に、リテラシーのある人たちまで広まってからでなくてはおきなかった。たとえば日本の歴史で言えばだが、源義家の時代、彼の周りには特に、実時間で文書を記録する人がいなかった。だから一次資料もほとんどなく、二次三次資料、後世作られた伝説しかない。しかし、源頼朝までくると、公家らがほとんど実時間に日記に記録している。第三者の視点で記録された一次資料というものがある。平家物語ですら、歴史というにはあまりにも一次資料に欠けている。たまたま琵琶法師の平曲でそう言ってたというだけで歴史扱いされているのだが、平家物語は実時間の記録ではなく、50年近くかけてだんだんにできたものであり、史実とは言い難い。

新約聖書にも一次資料などというものはない。パウロ書簡からがほんとうに後世に残された資料で、福音書はその後に教団ごとに整理されたもの。当時リテラシーがあった人など人口の1%もいたかどうかだろう。初期の使徒らはみな文盲だっただろう。教団ができてから、その中のほんの一部の人が、文字を読めて書けたのだろう。で、パウロという人は、おそらくは、キリスト教団の中で初めて文字を読めて書けた人だったのだろう。

つまり、文書として後世に残った時期にはすでに相当に世の中に広まった後だということ。キリスト教は実はパウロ教だというのもまあわかった気がする。

ウィキペディア英語版では Jesus だけなのに、対応する日本語版には「イエス・キリスト」「ナザレのイエス」「史的なイエス」などと項目が細かく分かれる。ドイツ語版は Jesus Christus と Jesus von Nazaret に分かれていて、やや日本語版に似ている。