酒を飲みたいという欲求が減ってきた

今年度に入っておおかれすくなかれ気負いがあったのは確かだ。未知の要素がだんだん減ってきて自分の状況が見えるようになってきた。あれもやろうこれもやろうと思っていたことを、しないことにした。そうしたら明らかに仕事が減ってきた。心配することが減った。昨年度までやってきた役職と比べても減った。

それでストレスが減ったので酒を飲みたいという衝動があまりなくなったのだと思う。

酒を飲むことに飽きたというのもあるし、年を取って酒に酔うこと(酔いが残ること)がだんだん不快になってきたというのもある。明らかになにか美食をしたり飲み歩き、食べ歩きをすることに興味を失ってきている。

20代後半から毎日、夕方になると、飲酒という強制イベントが発生していた。それがなくなると余計に時間があまって楽になる。困るのは新しい出会いがなくなるとか、人付き合いが減るとかそのくらいだろうか。

日によって忙しいと(対人的に)、やはり飲みたくなるけれど、でも惰性で独り呑みはもうこのままやめてしまおうかとも思う。

それはそうとこのブログで読まれる記事とそうでない記事には明らかに偏りがある。なぜこうなるのか。

homeland 8

昼は暑くて明け方は寒い。飯をくうと暑い。暑かったり寒かったり忙しい時期だ。

割と時間的に余裕が出てきたのと、amazon prime で homeland が見れるようになっていたので、homeland の最終シーズン 8 を改めてみてみた。ディテールはだいぶ忘れてたし、飛ばしてみたところもあったようでかなり楽しめた。最終シーズンにふさわしいすばらしい出来だった。

ただ一つ非常に違和感があったのは、アフガニスタンにある米軍に空爆されて死んだ人の墓標に2014とキリスト教暦の年が書かれていたことだ。まさかキリスト教徒の墓ではあるまい。逆に、キリスト教徒に殺された人の墓だ。現地人には現地の言葉をしゃべらせておきながら、うっかりボロを出したなと思った。アメリカやフランスなど、普通のキリスト教国のテレビドラマがそうした間違いをおかしても全然普通なのだが、homeland は違う。キリスト教とイスラム教の軋轢というものをテーマにした話なのに、これは無いよなと思った。

話のもって行き方として少し、いやかなり強引だなと思ったのは、キャリー・マティソンがアメリカ合衆国大統領にアフガンで停戦を宣言するよう提案するところまではよかったが、そこからさらに大統領自身の判断で前線基地まで軍用ヘリで出かけ、そのヘリが故障して墜落し、アメリカ大統領もアフガン大統領も死んでしまう、という、ほとんどまったくあり得ない設定が使われているところか。いくら話を盛り上げるためとはいえちょっと作りすぎという感じがする。副大統領とその側近の設定やら、CIAアフガン支局長の設定もかなり強引だ。作り話に、作りすぎだと批判するのもおかしいといえばおかしいんだけど。いくら作りすぎていても例えば blacklist にはこんな批判はしないだろう。たかがアメリカのテレビドラマに野暮だというだけだ。それだけまあ私はこの homeland というドラマを画期的な、よくできた作品だと評価しているともいえるが。

ま、しかし日本でキリスト教暦を西暦と呼んでいることも変だ。西アジア発祥のイスラム暦も、ユダヤ暦も日本から見れば西暦なのだけれども。

homeland などみていると、CIAやFBIの職員なんかにはなりたくないなと思う。心静かに、人と関わらず余生を送りたい。ああいうものは作り話だと思ってみるからみれるのであって、いちいち感情移入していたら疲れ果ててしまう。

春の雪 外伝。

還暦

若い頃は遥か遠くにあるもののように見えていた還暦というものが間近に迫ってくるとやはり人は誰しも苛立ちとか焦りのようなものを感じるのだろう。また二度目のアブレーションを受けることが決まり、結局私の考えていたことよりも医者が言っていたことのほうが正しかったことがわかって、それもまたいら立つ原因になっていたと思う。

ある立ち飲み屋のおばさんは、確かな年齢は知らないが私よりたぶん10才くらい年上だろう。一時期大病を患って店を閉めたり開けたりしていたが、普段からテニスやスキーなどをやっているせいか今は極めて健康であるという。

私の周りの60過ぎたおっさんおばさんたちは、健康な人も病気がちな人も、みんなあっけらかんとしていて、私だけがくよくよ気にしているような気がしてしかたない。私の場合46才から今までずっと入院したり退院したり通院したり、また入院して手術を受けたり、薬を毎日飲まなきゃならなかったりで、病気と常に真正面に向き合っていなくてはならず、体はともかくとしてメンタルをやられてしまった。若くして癌にかかってしまい闘病生活を続けている人も同じような気持ちなのだろうと思う。定年後時間が有り余るようになって病院に通うようになるのはもう覚悟も決まっているしそんなにストレスにはならないのではなかろうか、などと考えたりもする。

私の場合、拡大性心筋症というやつなので、心臓にはできるだけ負担をかけないようにしなくてはならないし、そもそも運動とかスポーツというものが嫌いだからやる気もないのだけど、これからは心臓に負担をできるだけかけないようにして、心臓をできるだけ長持ちさせて死ぬまでだらだら生きていくしかない。私の場合自覚症状はないし日常生活には何も困っていないのだが、でも重症であることには変わりないわけで、運が悪かったとも言えるし、この程度ですんでよかったということもあるのかもしれない。ともかく問題は体というよりは気の持ち方だと思う。考えすぎるのが良くない。だが考えないというのがこれがまた非常に難しい。こういうふうにブログに吐き出したほうが楽になるともいえるし、書けば書くほど考えてしまうからよくないともいえる。なんとも言えない。

私の祖父は75才くらいで死んだのだが、最期の頃は足がむくんでいた。つまり心臓が弱っていたのだが、ある日突然心臓が止まって死んだ。まあそんな感じで死ねたら別に悪くもない。むしろあまり長生きして家族に面倒をかけたり、老人ホームに入って無駄飯を食うのは嫌だ。しかしぼけてしまった方が自我がなくなって楽に死ねそうだから、そうなりたいという気持ちもどこかにある。

いずれにしても今後年寄というものはどんどん社会のリソースを食ってしまう。どうにかすべきではなかろうか。できるだけ社会に負担のかからない方法で年寄を本人が気のすむまで生かしておく方法というものはできないものなのだろうか。正直私は定年後は、遊んでも良いが仕事はもうしたくない。こりごりだ。

話は全然違うんだけど、普通の人にとって読書とは、今日はどこそこのレストランで食事したとか、どこそこの温泉に泊まったとか、そういうイベントというか、趣味というか、余暇の過ごし方の一種のように思える。

若いうちは、本をかたっぱしから乱読するのも良いかもしれない。

しかし今の私にとって、ゆっくり本が読める喫茶店とか、ファミレスとか、あるいは図書館などというものはまったく必要ない。むしろ、図書館にいると本が読めなくて困る。東京都立中央図書館とか国会図書館で紙の本を読むのが一番苦手だ(この二つの図書館は本の貸し出しをやってないので館内で読むしかない)。

私にとってはすべての本がデジタル化されていて、読みたい箇所がただちに検索できればそれでよい。ゆっくり本が読みたいと思うことはあるが、読み始めるとすぐに読み続けるのがつらくなる。基本的につまみ食いしかできないたちなんだと思う。

昔の人はLP盤のレコードを擦り切れるまで聞いたとかいうけど、ほんとかどうか知らないが、そういう読書をする人が案外多いのだろう。レコードや本の蒐集家にはそういう人が多そうな気がする。私はもちろん蒐集家ではない。手元に置いておいたほうが便利な本だけを身の回りに置いている。ただそれだけだ。

最初から最後まで著者が書いていることが自分が読みたいことであれば読めるかもしれないが、たいていはそうではない。著者に付き合って読み続けることが苦痛になってくる。どうしようもなく退屈になってくる。だから途中でやめてしまう。若い頃は本に書いてあることすべてが珍しく新鮮で面白く全部読んでしまう。読了した時点ではまだその本のことがわかってない。二度、三度と読んでいるうちにだんだんわかってくる。この本好きとか嫌いとか、この著者好きとか嫌いというのが、5年とか10年後にわかってくる。

そうやって好き嫌いというものがはっきり最初から固まってしまったから、今は1冊読み終わる前に飽きてしまう。いろんな本を読み過ぎたせいで先がだいたい読めてしまう。たぶんそういう状況なんだと思う。

村上春樹は1Q84を最初の1章だけ読んでみたのだが、ははー、こんな文章を書く人なんだなと思い、それで読むのをやめてしまった。私の場合、続きを読んでみたいとか、結末まで読んでみたいという気にはならなかった。

たぶんそんなふうになったのが、40代半ばくらいで、読みたい本がなくなってしまったので、それで自分で小説を書くようになったのだと思う。小説を自分で書くと言うことと、その小説をうまくかけるようになるというのはまた違うのだけども。

これまた全然関係のないことではあるが、世の中には、柳田国男はどうして桂園派にこだわり現代短歌を拒絶したのかとか、江藤淳はなぜアメリカ留学までして戦後に保守派、右翼になったのかとか、最初から結論ありきで論文を書く人がいる。どんな愚かなことを書いているかと思って読んでみると、どうでもよいことをいろいろ調べ上げて、こまかなことをだらだら書き記して、読んでみても結局、だからどうなんだという感想しかでてこない(そういうユーチューブの動画やブログ記事は多い。長いだけで結局何も言ってない。カマラ・ハリスの演説みたいなもんだろう)。そして、柳田国男や江藤淳の考え方を理解しようとか、寄り添おうという気持ちは一切無い。自分の先入観を書き換える気ははなから無いのだ。世の中にはこういうたぐいの研究者しかいないわけではなく、きちんとまじめに地道な仕事をする人もいる、世の中にはそうした当たり外れがあるものだとあきらめるしかない。

サンテFX Vプラス

サンテFX Vプラスっていう目薬をさしてみたら、これがオレの目か、っていうくらい白目が白くなった。

最初から目薬させよって思った。

だがしかし今度から血管収縮剤の入ってない目薬にしようとは思った。見た目だけ充血が消えてもしかたない。

よく見たら使用期限2015年だった。今ではもうこの目薬ふつうに売ってない。

サンテPCなど買えばよかろうか。

カルト

白目が充血しているのは、手で目を無意識のうちにこすっているからではないかという仮説を立てて、意識して目をこすらないようにしてみたのだが、あまり効果はみられなかった。また、夕方よりも、朝起きたすぐのほうが充血が少なかった。

目が充血しているのはパソコンの画面の見過ぎ、目を酷使しすぎているせいだろうと思われる。右目より左目が充血しているのは左目を余計に酷使しているのかと思う。目が疲労して、栄養や酸素が足りなくなり、酸素や栄養を目にどんどん送り込まなくてはならないので、血量が増えその結果白目が充血するのだろうと思われた。

なので、暇な時間にはyoutubeを見るのではなくaudibleを聞くことにしてみた。ところが困ったことにaudible よりもyoutubeのほうが朗読にせよ講演にせよ音源がたくさんある。それでyoutubeで小林秀雄や渡辺昇一などを聞き始めた。

渡辺昇一が騎馬民族征服王朝説はおかしい、江上波夫が文化勲章を受けたのはおかしいと言っていて、その根拠としては古事記をはじめとする日本神話には馬が全然でてこない。出てくるのはスサノオノミコトが天照大御神の家に野生の馬の生皮を剥いで放り込んだという話だけだ、それに比べて神様が海からやってきたとか海の神様の娘と結婚したとか、陸を迂回して海を経由して攻め入ったなどという話はいくらでもある。

そもそも騎馬民族が大陸から渡ってきたのであれば、日本列島が島国であることすらわからなかったはずだ。なぜなら、本州の最北端まで騎馬民族が攻め入るまでは、日本が島でできていることはわからないはずだと。

そりゃまあそうなので、縄文時代からずっと日本は島国だってことは日本人は知っていたはずなので、その後に稲作が入ってきて、かなり短い期間で、稲作が広がっていって、その勢力がじわじわ東を圧倒していったということはあったかもしれないが、日本人というものは基本的には縄文時代と弥生時代では違いがないはずだ。

あと渡辺昇一は、小林秀雄という人は、ボードレールがポーなんかを批評していたのを真似して日本語で批評を始めた最初の人だなどと言っていた。なるほどそれ以前の例えば夏目漱石や正岡子規などの批評というのは荻生徂徠や頼山陽などの論説とほとんど連続していて、その根底には漢文の素養があるわけだ。小林秀雄が面白がられた理由は漢文ではなくフランス語の、当時のフランスの文芸批評の口ぶりをそのままそっくり輸入したからなのだ。

その小林秀雄が戦後敢えて本居宣長を書いた。誰も小林秀雄の「本居宣長」を理解できなかった。その理由の第一は小林秀雄自身にある。彼はもともと洋物の文芸批評をするはずの人だったのにそれがこてこての和物の評論を始めたのだ。しかも、敗戦後、国学などが徹底的に批判されていたときに。どうも小林秀雄という人は周りとことさら違うことがやりたい人らしい。戦前には、漢文調の論評が主流な中で欧文調の批評をやって読書人らに大いに受けた。戦後はその真逆をやってみたが、今度はさっぱり当たらなかった。そりゃそうで小林秀雄のファンというものはみな基本的に西洋かぶれで、和風な評論が嫌いなのだ。なのに、小林秀雄がまじめ腐って宣長を論じた。おもしろいはずがない。ただそれだけのことかもしれない。

それで、連載中は誰も話題にもしなかった『本居宣長』が単行本で出ると書いた小林秀雄本人がびっくりするくらいに売れた。これまたわけわからない。戦後しばらくたって、みんな宣長がわからなくなっていたころ合いに出たから、みんな読んでみようかと買ってみた。買ってはみたものの、結局読まず、まともに論評もされず、みんな書斎の飾りにしてしまった。実にばかげている。

それでも小林秀雄という人は恐るべき人で、本居宣長のかなり本質まで見抜いていた。見抜いていたけれどそれをおフランスの文芸批評の文体と論調で書いたものだから、とてつもなくちぐはぐなものができてしまった。小林秀雄はたぶん、ものすごく地頭(じあたま)の良いひとなのだろう。なんでも直感的に一瞬で見抜いてしまう。しかしそれを論理的に説明できる人では必ずしもない。だから彼の文章は悪文と呼ばれる。論理的に破綻している、または、何を言いたいのかわからない、ただのきどった美文だなどと言われ、私もほとんどの文章はそのたぐいだろうと思う。

江戸天保時代に宣長はあれほどの高さまで到達していたのに、今の人は全然宣長を理解できていないと思う。戦前の国粋主義者らもわかったようで何も理解してなかった。まして戦後の左翼には危険思想としか認識できなかった。小林秀雄はかなりのところまで肉薄していたが、しかしまだまだよくはわかっていなかったと思う。

渡辺昇一は宣長というひとはオカルティズムの人、スピリチュアルな人、精神主義な人であるという。小林秀雄が宣長は精神主義と言ったせいで国粋主義と誤解された、宣長や小林秀雄が言いたかったことはようするにスピリチュアリズムのことだ、などと言っていたがそれはそうだと思う。

宣長がカルトだったことはもちろん事実に相違あるまい。子供のころから仏教や儒教にはまり和歌を詠んだりするのはもともとそういう素養があったからだし、自分は親が神にお祈りして生まれた子だと宣長は生涯信じていた。この信仰心というものは、真正のものであれば仏教でも儒教でも神道でもなんでもよかったのだろう。

宣長に古事記伝が書けたのは、また、古事記を研究したいと思った動機は、彼がカルトだったせいではある。しかし、宣長も古事記もカルトであり、カルトとは古事記時代の原始神道、アミニズムでありシャーマニズムである、ということにはならない。

宣長は、いわゆる霊感の強い人、オカルティズムな人。古代日本のアミニズムのビジョンを見て、共感できる能力がある人だっただろう。しかし宣長の場合はそこで終わりではない。

宣長はもともと仏教にも儒教にもものすごく詳しい人だった。その彼が古事記を読んでいるうちに、さまざまな疑問がわいてきただろう。だから宣長はまず、日本古来の神道というものは本来どういうものであったかを再構築し、アミニズム、シャーマニズム時代の神道というものを仮定し、そこから、外来宗教の影響を受けずに自国内だけで純粋培養したらこうなったであろうという、本来あるべき、ピュアな、理想の神道を作ろうとした。つまり、キリスト教やイスラム教や儒教や仏教のような普遍性のある世界宗教を、それらとはまったく別にもう一つ、純粋に日本由来の素材から作ろうとした。そのためには理論武装しなくてはならない。理論武装した宗教とはすなわちカルトである。

宣長は、ナイーブな、外来思想と簡単に混淆し、免疫を持たなかった神道を作り直して、外来思想と簡単には混ざらない歯止めのある、理論武装した普遍宗教にしようとした。特に仏教やキリスト教に対抗しうる神学を構築しようとした。世界の原始宗教は、ギリシャローマの神話にしても、キリスト教やイスラム教などの普遍宗教によって駆逐されていった。同じことが日本でも、仏教や儒教の伝来によって起こっていた。宣長はそこに危機感をおぼえて、いつ外来宗教に浸食され滅ぼされるかもしれない弱い宗教である神道を鍛えて強い宗教にしようとした。彼はだから、不本意ながら、無理にカルトへ舵を切らざるを得なかったのである。彼はだから、上田秋成のナイーブさ、寛容さが我慢ならなかった。宗教とは不寛容でなくてはならない、さもなくばもっとものわかりの悪い不寛容な宗教、もっと排他的な宗教が現れたときに、おおらかで物わかりの良い寛容な宗教は一方的に浸食され、駆逐され、いつの間にか淘汰されてしまうからだ。つまり、神道もまた、世界の他の宗教と同じ程度には不寛容で排他的にならねばならない。日本人であるからには日本固有の宗教を最も尊び、他の宗教から守らねばならない。そのためには神道にも独自の神学が必要だ。宣長はそのロジックに初めて気づいた日本人であったかもしれない。逆の言い方をすれば宣長という天才が現れるまで、日本人は世界から隔絶していたおかげでそうした危機感をまったくもっていなかったということになる。今、川口市や蕨市で起きているようなことを宣長は天保時代に予見していたのである。宗教マニアの宣長だったからこそ、いちはやく、誰よりも先にそこに気付いた。

宣長が偉かったのはここまで完成度の高い神学理論を創始しておきながら、自分自身が教祖様になろうとは決してしなかったことだ。マルチン・ルターに似ているともいえる。

ところが、宣長の理論は彼の死後いろんな教祖様に利用され、あまたの新興宗教が生まれることになる。宣長にはそこまで制御することはできなかった。そしていまなお宣長は誤解されたままなのである。もし宣長がみずから新興宗教の教祖になっていたらこんな混乱と無理解は生じなかったかもしれない。