春の雪 外伝

帝都は薄曇りのまま夕闇に包まれ、日中からずっとぐずついていた時雨はいつしか止んだ。雲間には冷え冷えと星がまたたきはじめた。

濡れた石畳は黒光りして滑りやすそうに思われ、車夫は用心しながら神楽坂を登り、途中小路に折れ、こぢんまりとした料亭の前で停まる。
「もう着いたのかい?」
「はい。お坊ちゃま。」
初めて来た舗(みせ)であったが、清顕(きよあき)は番傘を人力車に残して、一人で門をくぐる。
枯淡、というより、あばら屋とさえ言いたいほどの、一見みすぼらしい屋敷だ。露がたまった熊笹の葉を両手で払いながら窮屈な庭を玄関まで歩かされる。芭蕉の葉からもぽたぽた雫がしたたり落ちてくる。間口が狭い分、奥行きはずいぶんとありそうに思われる。いわゆる鰻の寝床という作りであろう。人の気配がないが、今日は貸し切りなのだろうか。

「お待ち申し上げておりました。」
格子戸を開けると玄関先にすでに一人の女将が呉服に身を包み、三つ指をついて待っている。
「今日は何が出るのだろう。」
「お坊ちゃまの十八の誕生日を祝ってやってくれ、松枝(まつがえ)侯爵家の跡取りとして、ふさわしい仕儀で、そう伺っております。」
四十過ぎの女将の目が訳ありげに光る。
「父の手配か。」
「はい。そう聞いております。」
「父から直接聞いたのか。」
「いえ、飯沼(いいぬま)様から。」
飯沼は一年前から松枝家に住み込んだ、清顕附きの書生である。
「飯沼?あいつがいるのか。」
「いえ、おりませんが、お呼びしますか。」
「いやいい。父は。」
「いらっしゃいません。お客様は清顕様お一人です。」
ずいぶん変わった趣向だなと思いながら、清顕は首まで厚化粧した女将に連れられて、狭い階段をぎしぎしと登り、人がすれ違うのも困難なほどの細く長い廊下をたどって、いきなり三方が庭へ開けた、六畳ほどの間に通された。
「こんな狭い家がこんな見晴らしの良い部屋につながっているとは意外だ。」

「ええ、ここへ初めて通されたお客様は、みなさんそうおっしゃいます、」と女将は笑った。
目を引いたのは真正面の芝生に設(しつら)えられた色とりどりの豪勢な菊花壇である。良く手入れされた大輪の花が、雨に洗われ、篝火(かがりび)に照らされていっそう華やいでみえる。
「これほどみごとな菊花壇は、おそらく皇室御用達の庭師によるものであろう。」
清顕は思わずひとりごちた。これが父の、私への誕生日の祝儀なのか。
「御酒(ごしゅ)はお召しになりますか。」
「では少々。」
女将はやがて燗(かん)を付けたお銚子と杯(さかづき)、そして箸休め程度の酒肴を持ってきた。
「暫く菊を御覧になり、御酒をお召し上がりになってお待ちください。」

・・・僕はこうした優雅を喜ぶ心を持ち、優雅と戯れることのゆるされる家に生まれてきた。しかし僕にはその優雅に耐える免疫がない、清顕は一人、杯に口をつけながらそう思う。粗雑を忌み、洗煉(せんれん)を尊ぶ彼の心が、根無し草のようなものであることを、彼はよく自覚していた。
渋谷の郊外に十四万坪を占める松枝侯爵邸は母屋と庭園は和風だが、洋館、離れの撞球室などを備え、鼈(すっぽん)が棲む池には西洋趣味のボートを浮かべてある。清顕は父とよく撞球室でビリヤードを楽しんだが、ボートには関心を示さなかった。自分の美しい白い手を、生涯汚すまい、オールを漕いで、手のひらに肉刺(まめ)一つ作ることさえしまい、ただ旗のように、風のためだけに生きよう、そう決心していたから。

堂上公家は千年の時をかけてその優雅を血肉化している。彼らの優美には実体があってしぶとい。しかし、つい五十年前まで、素朴で剛健で貧しかった西国武士の家に優雅が忍び込むやいなや、その雅(みや)びは劇薬に変じて、免疫を持たぬ子弟らはたちまちに蝕(むしば)まれ、苛(さいな)まれる。蟻(あり)が洪水を予知するように、清顕は漠然とそのことを感じていた。
清顕は美少年に育った。誰もが清顕の美しさを褒め、父の松枝侯爵は、皆に言われて、その果敢(はか)ない感じのするような美貌に、初めて目覚めた。侯爵の心に不安が兆(きざ)した。侯爵はしかし元来楽天的な人だったので、そんな不安は忽(たちま)ち忘れてしまった。むしろこうした不安は、一年前からずっと飯沼の胸の底に澱(よど)んでいた。

飯沼は清顕が料亭を訪れる前から、一階の厨房横の仏間に伺候していた。
彼は郷里の鹿児島の中学校から推薦を受け、学業にも体格にも秀でた少年の誉れを担って帝都に送られ、第一高等学校大学予科生、東京帝国大学生として合わせて六年を学び、さらに駿河台の夜間の法科大学院に進学してからは、住み込みで昼は清顕の家庭教師兼執事を勤めた。ゆくゆくは松枝侯爵の肝煎りで、高級官僚にも、国会議員にも出世していく身であるが、今は貧相な一書生というに過ぎない。この神楽坂の料亭は予科の先輩に紹介された、いわば飯沼の隠れ家であった。
郷里では、松枝家は豪宕(ごうとう)な神と見做され、飯沼は松枝家の生活を、学校や家庭で語り伝えられた先代の面影を通してだけ想像していた。それはまさに、上京したての飯沼が上野の丘に登って目にした、薩摩藩有志らによって建立された勇然たる銅像のイメージであった。しかし彼が侯爵家に出入りするようになり、つぶさに観察したその奢侈は、彼の幻想を打ち砕いた。また飯沼にとって清顕は薩摩男子のあるべき姿からかけ離れた、真逆な存在であった。なぜこんな、女子のように繊細で柔弱な男が、どのような教育を受けて、松枝家という土壌に生まれ育ったのだろうか。
薩摩健児は、ボートを買い与えられたならば、手のひらがすり切れて血にまみれて、やがてごつごつとした厚皮が被覆するまで、漕いで漕いでこぎまくるだろう。そうして薩摩隼人にふさわしい手になるのだ。飯沼がボートを勧めると、しかし清顕は「ボートに乗るのはかまわないが、ねえ、じゃあ君が漕いでくれないか。」と飯沼に命じるのであった。
「二人で乗るのはよいが、漕ぐのをもっぱら私に任せて、何が楽しいというのか。」そう飯沼は心に思った。しかし自分から言い出した手前、拒否するのもおかしな気がするし、「少しはスポーツもなさったほうがよろしいですよ」と忠告するのも分不相応な気がした。
飯沼は清顕を舳先に乗せて、ボートを漕ぎ出した。松枝邸は女の多い邸だ。今も庭に何人も女性客が逍遙している。誰一人として、主の一人息子と面識のない者もないはずだが、彼はそれらの女性に声をかけたり、一緒に乗せてやろうとはしない。衆人の前をただの漕ぎ手として通り過ぎるのは、飯沼にとって屈辱的であった。彼は誰とも目を合わさぬように顔を伏せた。
実際飯沼は清顕の良い引き立て役であった。飯沼は帝大生の習いとして、いつも紺の久留米絣(くるめがすり)の着物に小倉袴を着古している。当時としてはハイカラだが、清顕と比べるとあまりにも地味だ。清顕は頭をきちんと七三分けになでつけて、洋装でないということがない。品のある、銀座仕立ての、きちんと糊付けされアイロンがけされたワイシャツにチョッキ、ズボンは、この時代、学習院に通う子弟くらいしか身にまとわぬ装いであった。
松枝家の忠実な僕(しもべ)であろうとする気持ちと、松枝家に裏切られたというやり場の無い憎悪が、飯沼の胸中に渦巻いた。が、そうした飯沼も、いまやすでに二十三歳。上京以来八年目。自ら進んで鈍感になり、粗雑になろうと心がけるようになっていた。とにかく世の中にとって「有用」な人間になろう、帝国の能吏たらんと決意した青年になっていた。

「清顕を、松枝侯爵家の嫡男を堕落させてやりたい。」今日の饗宴の演出は彼のそんな屈折した心理に染められていた。
正面に仏壇があり、灯明もともされているから、ここは仏間ではあるのだが、縁側に増築した物置のために、この一階の一間は一日中日の挿さぬ、かび臭い女中部屋か楽屋のごとにものに化していた。部屋の中央には掘りごたつ、辺りは床の間さえも雑然と着物入れが積まれた荷物置き場となっている。そこで三人官女もかくやとばかりに、きらびやかに女たちが装(よそお)い変化(へんげ)していくのを飯沼はちびちびと酒を嘗(な)めながら見ていた。彼女らは飯沼が板橋宿から拾ってきた娘たちだ。
「飯沼さん、では行って参ります。」
「ああ、首尾良く頼む。おまえたちの手練(てれん)手管(てくだ)で、せいぜいお坊ちゃまをかわいがってやってくれ。」
「何のことはない。上京して帝大まで出たこの俺のやっていることと言えば、所詮はただの女衒(ぜげん)ではないか。召し使われている主人が華族様であるというばかりで。」飯沼はひとりごちた。遊びもまたすべて計算尽く。自分の世渡りのうまさに嫌気がさす。
松枝家では一向目立たぬ飯沼も、街道筋の茶店に学士様のなりをして立ち寄ると、根岸や入谷あたりの百姓家から奉公に出ている芋娘たちにはひどくもてた。飯沼はしかし彼女らと一度も情交に及んだことがなかった。飯沼自身不思議であったが、彼は肉欲や愛情に溺れることがない。いつもどこか醒めていた。言い寄ってくる女たちを適当にあしらって、奥の方で、自分を気にしながら、もじもじしている女を、たまたま二人きりになったときに口説く。飯沼は容姿よりは頭の良さで女をみつくろった。彼の見立ては外れたことがなかった。磨きをかけて、言葉使いと訛りを直し、教養を与え、没落士族のご令嬢に仕立てあげると、女たちは高く売れた。良い嫁ぎ先を見つけて感謝されることさえあったのだ。
「つくづくあんたは周旋屋に向いているよ、」飯沼は料亭の女将にも一目おかれていたのである。

二階の清顕の座敷では、女給らがすでに配膳を終えていた。三人の芸妓は清顕の前にかしこまり、お辞儀したあと、菊の花壇を背景に管弦を奏で、舞を舞い始めた。二番ほど演じた頃合いで、
「庭へおりてみたい。」
そう清顕が言うと、女たちも裳裾(もすそ)をからげ、嬌声(きょうせい)をあげながら、下駄履きで後に続き、湿った苔の上に渡された飛び石を、滑らぬように用心して渡りながら、菊の周りを巡った。女たちはみな脂(あぶら)の乗った、二十代半ばくらいの玄人女である。その中の一人になぜか清顕は強くひかれた。なぜこの女の横顔に心惹かれるのか。自分の心中を探ってみて、はっと思い当たった。昨年宮中でお裾持(すそも)ち係としてお仕えした、春日宮妃殿下の面影を想起させたからであった。

学習院中等科の華族の子弟のうち、学業品行ともに優秀な二十人が、新年の三が日、宮中で皇后陛下以下各宮家の妃殿下がお召しになるローブ・デコルテのお裾持ち役となる。皇后のお裾は四人で持ち、そのほか妃殿下のお裾は二人で持つ。清顕は十七で春日宮妃のお裾持ちの担当となった。春日宮妃は三十そこそこのお年頃で、お美しさといい、気品といい、堂々としたお体つきといい、花の咲き誇ったようなお姿だった。黒い斑文(はんもん)の飛ぶ大きな白い毛皮の周りに無数の真珠をちりばめたそのお裾には二つの把手(とって)がついていて、清顕ら侍童は何度も練習を重ねていたから、一定の歩幅でその把手を持って歩くのに難儀はなかった。
謁見の間に続く廊下は舎人(とねり)らによって麝香(じゃこう)が焚きしめられていた。しかし春日宮妃はローブ・デコルテにふんだんに仏蘭西(フランス)の香水を染みこませておいでであったから、その薫りは古くさい麝香の香(か)を圧した。廊下の途中で清顕がちょっとつまずいて、そのために一瞬であったが、お裾が強く引かれた。妃殿下はかすかにお首をめぐらして、少しも咎める気持ちはないというしるしの、やさしい含み笑いを、失態を演じた清顕少年のほうへお向けになった。

その振り向いた時の妃殿下の面影を、清顕は目の前で菊を眺める女に見たのであった。むろんその芸妓と妃殿下に、血のつながりなどありようはずはない。他人のそら似というものであろう。
「あなたの名前はなんというのか。」
清顕はまえかがみで菊の花を無心に眺めていた女の手を取り、尋ねた。女は背を伸ばし、清顕に向き直り、答えた。
「清(きよ)と申します。」
「そうか。僕もみんなから清と呼ばれる。」
「お清と?」
「いや、清様と。」
そのとき清顕はふと、自分を「清様」と呼ぶ、綾倉(あやくら)聡子の顔を思い出していた。
綾倉家は由緒正しい公家である。羽林家廿八家の一つで、藤家(とうけ)蹴鞠(けまり)の祖といわれる難波(なんば)頼輔(よりすけ)に源を発し、頼輔の子頼経(よりつね)が綾倉家の初代当主となる。和歌と蹴鞠の家として知られ、嗣子は結髪せぬ稚児の頃から従五位下を賜って殿上人となり、長じては大納言まで進むことができる家柄であった。その二十七代目に侍従となって東京へ移り、麻布の旧武家屋敷に住んでいた。
松枝侯爵は、自分の家系に欠けている雅びにあこがれ、せめて次代に、大貴族らしい優雅を与えようとして、幼いころの清顕を綾倉家に預けたのであった。そこで清顕は堂上の家風に染まり、姉同然の聡子にかわいがられ、学校へ上がるまでは、清顕の唯一の姉弟(きようだい)、唯一の友は聡子であった。
聡子は清顕の二歳年上、今年二十歳になっていた。
清顕に対する聡子の恋心に気付いたのは、ほんの数日前のことだった。聡子は何かにつけて、松枝侯爵邸を訪問する機会を決して逃さない。それも全く不自然でない機会を。ある秋の日、侯爵家の庭を散策しながら、聡子は竜胆(りんどう)の花を見つけた。数本の竜胆を摘み終えた聡子は急に立ち上がって、つややかな絹の袖を拡げて、聡子のあとをついてきた清顕の前に立ちふさがった。よそ見しながらぶらぶらと歩いていた清顕の目の前に、聡子の丸いおでこと、形の良い鼻と、美しく大きい挑むような眼(まなこ)がいきなり突きつけられた。
「私がもし急にいなくなってしまったとしたら、清様、どうなさる?」
聡子は抑えた声で口早に言った。
「いなくなるって、どうして?」
無関心を装いながら不安を孕(はら)んだこの返事こそ、聡子が欲しがっていたものに他ならない。
「申し上げられないわ、そのわけは。」
こうして聡子は、清顕の心のコップの透明な水の中へ一滴の墨汁を滴(したた)らせた。清顕に防ぐいとまはなかった。
清顕は誰とも相談できず、煩悶(はんもん)した。しかし十日ほどして、たまたま父が早く帰宅して、親子三人揃った夕食の際の会話で、聡子に投げかけられた謎はすっかり解けてしまった。
綾倉家は名門ではあるが、経済的には室町時代からずっと傾いていた。父は聡子の結婚相手として、内務省の秀才を綾倉家に斡旋してやったのだ。が、聡子本人がどういうわけか、またしても我がままを言って断った。
「いくら将来有望な秀才でも、身分が釣り合わないという考えがあるのかもしれない。あの家には清顕が世話になった恩義もあることだし、あの家の再興を考えてやる務めがこちらにもある。何か、どうしても断れない話を持っていってやればよいのだ。」
「そんなお誂(あつら)え向きの話がございますかね。」
あの日、聡子はあんな芝居がかったやり方でその縁談をほのめかして、清顕の気を引いてみたかったのである。そして今日になって聡子がその縁談を正式に断ったのは、聡子が清顕を愛していたからに相違ないのだった。
「聡子がそれほどまでに僕を愛していたとは。二十歳過ぎまで、縁談を断り続けるほどに。」
聡子がこれまでたびたび清顕に仕掛けてきた、清顕をいらいらさせ、不快な気持ちにさせた悪戯(いたずら)や謎かけの意味が、今、一度に判(わか)った気がした。
清顕の世界は再び澄み渡り、一杯の澄明(ちょうめい)なコップの水と等しくなった。
「今度は僕が聡子に仕返しする番ではないか。」
そんな嗜虐的な感情が彼の心の内に点(てん)じた。だが彼のそんな心中の変容を察するほど、彼の父母は鋭敏ではなかった。

篝火が燃え尽き、庭の菊は、月も無い闇夜につつまれる。
みなで庭から戻ったはずだったが、座敷まで清顕についてきたのはお清一人であった。
お清は庭から折り取ってきた何本かの菊を花瓶に生けた。
「ほら、きれいでございましょう。」
それには答えず、清顕は聞いた。
「どうしておまえ以外は下がったのだ。」
お清はなおも菊を愛(め)でながら聞き返す。
「私の他にお気に召したおなごはおりましたか。」
「いや、そういうわけではないが。」
「では私で良うございますね。」
「何がだ。」
お清は何か怒ったような表情でつんとしている。しばらくすると着物にたすき掛けした女給らがばたばたと膳を片付け始めた。
「もうお開きかな。」
しかしお清だけが黙って座布団の上に座り続けている。
「まさかおまえ・・・。父の祝儀というのは、おまえのことなのか、お清。」
「お坊ちゃま。もう遅うございますし、今日はお泊まりになりますか。」
そう言ってお清は隣の間に続く襖をすっと押し開いた。そこにはすでに蒲団が二つ並べて敷いてあった。
清顕はお清の顔を凝視した。お清はすました面持ちで言った。
「おいやでございますか。」
「いやではないが、しかし。」
清顕は父の魂胆をいまさらながら察した。父は昔から妾を何人も囲っていた。近頃は清顕に、「おまえはあまり遊ばんようだが、俺がおまえの年頃にはすでに幾人(いくたり)も女がいたものであったが。」などともらしていたのである。

「遊女と交わるということは、気が進まぬ。今日がその日とも思っておらなかった。」
「誰か気兼ねするようなお人でも?」
「えっ?」
「もしかして、どなたか好きなおなごでもおられますか。将来を誓いあったような。」
「いや。だが、僕を好いている女ならいる。」
「あなたもそのおなごを好いているのですね。」
「いや、どうだろう。」
「どのようなお方ですか。」
清顕は黙っていた。お清は笑って言った。
「口が軽くては芸妓はつとまりませぬ。私に何でもご相談なさい。一人でくよくよ考えていては良い思案は出てこぬものですよ。」
それもそうかと思い直して、清顕は聡子のことを、適当に曖昧にして、いろいろとお清に相談してみた。
「なるほどね。そのお嬢さんのことはともかくとしてね。松枝侯爵家のお坊ちゃま。あなたはもう十八なんだから、そろそろ女っていう生き物を知らなきゃいけない年頃よ。女というものはね、抱いてみるのが一番さ。頭の中で考えてたってわかりゃしないんだから。
仮にあんたがその人をお嫁におもらいになることがあるとしてもさ。公家のお嬢様なんだから、将来旦那様となる男が芸妓と遊んだことがあるくらいどうとも思わないさね。むしろ多少遊んどいてもらいたいって思ってる。」
「そうかな。」
昔の公家はみなそうしたと聞いている。筆おろしは年増の女に相手してもらうのだと。長年の習慣には、それなりの理由があるのに違いない。
「そうだと思うけどね。そして今日を逃せば、あんたはいつどんな女と初夜を経験するかもしれない。しょっぱなからどんな失敗をしでかすかしれない。その点私なら安心さ。早いにこしたことない。だからね、あんたは今日、このお清姉さんと寝ちまえばいいんだよ。」
清顕は、それもそうかもしれないと思った。それもまた聡子への意趣返しになる、そんな気もした。
お清は行灯の火を吹き消した。二人は枕を並べて横になった。
「私は今のあなたよりも若い頃から奉公に上がった。今年で二十五になる。いろんな男と寝た。侯爵、伯爵。年寄り。そしてあなたのような童貞のお坊ちゃまたち。今夜限りにしてね。情が移るとお互い面倒だから。」
清顕の脳裏から、聡子の顔も、春日宮妃の顔も消え失せた。
濃密な脂粉の匂いだけが清顕の鼻腔をくすぐった。

「お坊ちゃまはお清さんを選んだのか。」
「ええ。」
「あいつは堅物だからなあ。三人とも追い返されてくるかと思って、ひやひやしたよ。」
「私もどう扱ったらよいものやら、途方にくれたわ。」
「あいつは、お清さんのどこが気に入ったんだろうね。」
「さあ。でも、案外ぞっこんだったみたいよ。」
「飯沼さん、あなた今晩は、私たちと遊んでいくんでしょう。お代はもういただいてるし。」
「そうもいかないのさ。」
今頃清顕はお清のふくよかな乳房を哺(ふく)んでいるであろう。そう思いながら飯沼は、両手に女を侍らせて、その襟合わせに手を滑り込ませた。

お清から与えられた、その一夜の経験は、実際、清顕の女性に対する見方を一変させた。なぜ今まで自分は、十八になるまで、退屈な邸の中に引きこもって、聡子以外にただの一人も女友達を持たなかったのだろう。玄人の女に対する肉体的侮蔑、素人の婦人に対する精神的尊敬。そんなものは幻想に過ぎなかった。

「それではそろそろ退(さが)らせていただきます。」
お清は言いそう残して去った。朝まで一緒に寝ていくだろうと思っていたので拍子抜けした。清顕が料亭の門を出ると、そこには先ほどの車夫と人力車が待っていた。清顕は彼と顔を合わせるのもわずらわしく、ただ「ではやってくれ」と命じて車に乗り込んだ。
闇夜の中を一時間ほど揺られて、車は松枝邸の母屋の前に停まった。玄関脇の書生室には飯沼がいた。片手に数冊の本を抱えている。
「お帰りなさいませ。お坊ちゃま。」
「ただいま。」
「私も今ちょうど、終電で夜学から帰って来たところでして。」
精の出る男だ。朝から邸の雑事をこなし、夕方から夜学。その合間に、飯沼は、父から頼まれた今日の祝儀の段取りをこなし、それから駿河台で夜学に出て、市電の最終で帰ってきたわけだ。
・・・飯沼は父の黒子となって、常に僕の一挙手一投足を監視している、僕が今日料亭で何をしてきたかということも、みんな把握している、僕は丸裸も同然だ、お清の前にそうしたように。どうしてこの男にプライバシーを何もかも晒(さら)さなきゃならないんだ。これまでただの空気のようなつもりで接していた飯沼が、今日なぜか生々しい存在感で清顕を威圧していた。飯沼は二十三という若さの絶頂にあっていよいよその顔立ちに鬱屈(うっくつ)を加え、その体躯は大きな暗い箪笥のようであった。清顕は今日はこの男と顔を合わせずに自分の部屋に通りたかった。しかしこうして飯沼が玄関に陣取っている以上、彼と顔を合わせないわけにはいかない。この男の顔を見たくないからとこそこそ裏手に回るなんてことは、さすがに嫡男の清顕にはできかねることであった。
「僕はまだこれから勉強があるんだ。」
そう一言言いおいて、清顕は母屋の階段を上り、二階の書斎兼寝室に入った。彼は書き物机に向かって腰掛け、アールデコの卓上ランプをともす。引き出しには愛用のモンブランの万年筆とインク壺、鳩居堂(きゅうきょどう)の便箋(びんせん)が入っている。近頃清顕は舶来のブルーインクに凝っていた。彼はインク壺をもてあそびながら、がたがたと風で鳴っている窓硝子(ガラス)の外をしばらくぼんやとり眺めた。月は浮薄なほどきらびやかな光を庭の池の表に投げかけている。その水面から、鼈が首をもたげてこちらを覗いているような気がした。

「聡子さん。あなたの威嚇に対して、こんな手紙を書かなければならないのは、小生としても甚だ遺憾なことです。」
長い躊躇の末に、清顕はとうとう、聡子に宛てて、物狂おしい侮辱の手紙をしたため始めた。
「・・・小生は今日、あなたの小悪魔的な挑発のおかげで、人生の一つの閾(しきい)を踏み越えてしまいました。父の誘いに乗って、折花(せっか)攀柳(はんりゅう)の巷(ちまた)に遊び、男が誰しも通らなくてはならぬ道を通りました。つまり、社会通念上ゆるされた、公然たる男のたしなみというわけです。これはあの社会の与えるすばらしい教訓だと思いますし、今まで父の女性観に共鳴できなかった小生も、否応なしに、父の息子だということを自分の体のうちにはっきりと認識しました。
芸者と貴婦人、教育のない女と青鞜社(フェミニスト)の連中にさえも区別は一切ない。女という女は一切、うそつきの、「みだらな肉をもった小動物」に過ぎない。あとはみんな化粧、あとはみんな衣装。飼い猫のようにじゃらしてやる生き物だとしか思えなくなりました。あなたのことも、いまやそうした女たちの One of them としか思えなくなりました。あなたがかわいがった、おとなしく、扱いやすく、玩具(おもちゃ)にしやすい「清様」はもう死んでしまったのです・・・」

※これは以前に三島由紀夫の『春の雪』を読んで発作的に書いたものです。

Visited 6 times, 1 visit(s) today