あさか山

あさか山 影さへ見ゆる 山の井の 浅き心を 我が思はなくに
安積香山の影までも見える澄んだ山の井のような浅い心では私は思っていないのです
小学館の「日本古典文学全集」など

いや、なんか違うんじゃないかなこの現代語訳は。井戸をのぞきこんだとき自分の姿が映って見えるほどに浅い井戸、水鏡の代わりになるほどに浅い井戸、そんなあさか山の井戸のように浅い心で私は思っているわけではないのだが、と言っているのだと思うのだが。
そもそも井戸の水が澄んでいるのは当たり前だと思うが。「澄んだ井戸の水のように浅い心」では意味がわからんだろ。

なんだかなあ。どうしてこう精神論的な解釈をしたがるのか。もっと感覚的・映像的に考えれば良いだけだと思うが、国文学者というのはそういう言語による視覚的表現にうといのではないかとしか思えない罠。万葉時代の歌を新古今的幽玄な解釈をして失敗している典型の一つか。

耕雲

モーニングをだらだら読んでたら「ぶっせん」に「耕雲」というのが出てきた。どうもこれは禅宗(曹洞宗)用語らしいな。「耕雲種月」というのは「(心の)雲を耕し(心の)月に種を蒔く」という意味らしい。私の祖父が昭和 45 年大晦日に「釣月耕雲慕古風」という書を書いたのだが、この「釣月耕雲」と「耕雲種月」は非常に良く似ている。「釣月耕雲慕古風」は中国人の漢詩にしてはあまりに浪漫的で妙に端正なので、私はおそらく日本人の、しかもかなり近世の漢詩だろうとみていたのだが、このたび確信を新たにしたね。

さて、ネットで検索すると武田耕雲斎というのがぼろぼろ出てくる。これは水戸浪士で天狗党という幕末に世間を騒がした連中の首領らしい。また、耕雲という号を使っていた人はほかにもいたようだ。また、耕雲寺という曹洞宗の寺もあるようだ。「釣月」に関しては、まったくみあたらない。「耕雲」というのは江戸後期にはかなり一般的な用語だったので、「釣月」で詩としてのひねりを加えたのだろうか。

梁塵秘抄

「梁塵秘抄」があったので借りてきて読む.

我が子は二十に成りぬらん 博打してこそ歩くなれ 国々の博党に
さすがに子なれば憎か無し 負かいたまふな 王子の住吉西の宮

という歌があり,冒頭の「我が子は二十に成りぬらん 博打してこそ歩くなれ」
の部分なんて,不良息子を持った母親の愚痴のようで面白いよなあ.

山伏の 腰に付けたる ホラ貝の ちやうと落ち ていと割れ
砕けてものを 思ふころかな

これはなんてふざけた歌だろうか.と思ったら,実は山伏の失恋の歌なのだそうだ.
ますますふざけてる.