ポントスとボスポロス

へレースポントスにポントスは固有名詞なんじゃないかと書いたのだが、 昔黒海にはポントス王国というものがあったようだ。 またアゾフ海からクリミア半島あたりにボスポロス王国があった。 イスタンブルの海峡をボスポラスというのだが、どういうつながりがあるのだろうか。

wikipedia

ボスポラスとは「牝牛の渡渉」という意味で、ギリシャ神話の中で、ゼウスが妻ヘラを欺くため、不倫相手のイオを牝牛の姿へ変えるが、ヘラはそれを見破り、恐ろしいアブ(虻)を放った。そのためイオは世界中を逃げ回ることになり、牛の姿のままこの海峡を泳いで渡ったとされる。

bous βοῦς ‘ox’ + poros πόρος ‘means of passing a river, ford, ferry’, thus meaning ‘ox-ford’,

よくわかんねえ。 英語の ox-ford と同じとか言ってる。

また、ポントスというギリシャ神話の海の神がいるようだ。

クリミアという地名はロシア語で、ギリシャ語ではタウリカというようだ。 またケルソネソスという言い方もある。 c.f. パンティカパイオン、スキュタイ。

へレースポントス

『エウドキア』に「ヘーレスポントス」と書いていたのは「へレースポントス」の間違いだった。 修正せねばならない(※追記 より正確にはヘッレースポントスだろう)。 へレースポントスは海峡に名付けられた名ではなく、あの細長い海に付けられた名のようである。意味はずばり「ギリシャの海」。ヘラス、ヘレニズム、ヘレニカなどはすべてギリシャ人が自分らの国や言語のことを言う言葉だ。つまりへレースポントスという名は、ギリシャ人にとって非常に重大な意味を持っている。

黒海は単にポントスと呼ばれたらしい。ポントスとへレースポントスの間の海がプロポンティスだが、これはポントスの手前の海と解釈できる。へレースポントスからプロポンティスを経てポントスに入る、というニュアンスがそこにはある。っと細かく言えば、ボスポラス海峡は紛れもなく海峡である。プロポンティス海は海である。そして、へレースポントス海峡は、海峡ではなくて、古代ギリシャ人の感覚では、へレースポントス海と呼ぶべきだろう。

ではエーゲ海はなんと呼ばれていたかというと、この海はエーゲオペラーゴあるいはアルキペラーゴと言って、ポントスではない。ギリシャ語で「海」をペラーゴといったりポントスと言ったりするわけだが、もとは両方とも固有名詞であったか。あるいはポントスだけが固有名詞だったか。どういう使い分けか、よく分からない。ギリシャ人がいつから自分たちのことをヘラスとかヘレニカと言い出したのだろうか。その中心的な部族や土地はどこだったのだろう。

いやはや。しかし、昔書いたものを手直しすることの大変さと言ったら。

西行秘伝レビュー

『西行秘伝』にレビュー を書いてくださった方がいて、 その方が書いた他のレビューも読ませていただいたが、 日本史の専門家の方というよりは一般の読者のようにお見受けしました。

非常に的確なご指摘で、感謝しております。 「確かな歴史観に裏打ちされた良質なフィクション」とは私には最高の褒め言葉です。 「歴史に基づかないいいかげんなドキュメンタリー」の逆ということですよね。

私自身は理系なので歴史の高等教育を受けたわけではなくて独学なのだけど (古文と漢文はIIまでやったけど)、 ごく普通の読者が一気に読めてしまったというのに驚いている。 もちろん私も誰にも読めないような難解な話を書くつもりはなく、 「読んで楽しくためになる」ものを書いているつもりだけど、 たぶん一般読者には読めないのだろうなと尻込みしていた。 たとえば和歌や古文に特に現代語訳を付けてないところがあって、 高校古文II程度の学力があれば普通に読めるとは思うが、 世の中そんな人ばかりではないはず。

『将軍家の仲人』なども読めない人とさらっと読んでしまうひとがいる。 読める人のために信じるように書けばよいということだと思った。

追記: 今ちょっと読み返してみたのだが、 最後の、後白河院に頼朝が謁見するあたりが、かなりわかりにくい。 もう少しなんとかしなきゃならないなと思う。 まあ、これはこれで、このまま放置するという手もあるのだが。

陽成天皇暴君説

陽成天皇が暴君だったかどうか、判断するのは難しい。同時代資料としては『日本三代実録』があるが、これには大したことは書かれてないようだ。ぼかして記述してあるというが、陽成天皇に不利な部分がぼかしてあるのか、有利なことがぼかされているのか、どちらとも解釈できる。

私はおそらく、『日本三代実録』は、宇多上皇が編纂させたものであり、藤原時平の関与はさほどなかったように思う。つまり事実が淡々と書かれているだけであって、暴君というのは隠されたというよりは、もともとなかっただけじゃないかと思う。

それでまあ、状況証拠だけから言えば、清和天皇を子供の頃から面倒見てきたのは藤原基経・高子兄妹なわけだが、清和天皇の皇子・皇女の数というのは、成人してから死ぬまでの間がほんの短いことを考えると、異常なまでに多い。子供が生まれてないケースを考えれば、そうとう多くの女性に手をつけているはずである。天皇の場合、養育費や扶養の費用を天皇自身が負担するわけではなく、女性の親族が負担するわけだが、それにしてもあれだけ遊ぶには膨大な金がかかっただろうと思う。どうように膨大な時間もかかった。政治なんかやってらんない。

天皇のお小遣いを出したのは当然基経なわけだが、すべては、基経・高子としては清和天皇が子供を産んで高子が国母つまり皇太后になるための投資なわけである。つまり皇太子貞明が即位してくれないことには、元手が回収できない。大損なわけである。おそらく実務は摂政である基経がこなしたのだろう。どういう実務だったかは知らないが、律令国家というものが今の法治国家のように法律だけ決めれば官僚組織によって自動的に動く、はずもない。いまの法治国家ですら裏で賄賂が横行するのだから、平安時代に理想的な律令国家があったとするほうがおかしい。となると、全権を委任された基経はありとあらゆる手段を使って日本全国から税金を集め、官僚を搾取し、私有地を開墾し、寄進を募る。そのお金で主君を養い、その遊興費を捻出し、面倒みてあげて、その代わりに自分の懐にもしこたま金を入れる。すべては必要経費に計上。そうやってひたすら金と権力の日々を送る。一方、天皇は外を出歩いてひたすら愛人を作ってきままにくらしている。

ある日とつぜん、清和天皇は言ったかもしれない、基経、おまえもういいわ、俺成人したから全部自分でやる。あるいはこういったかもしれない。高子、俺兄さん(惟喬親王)に譲位して隠居するわ。俺の子供、まだ若すぎるから、後は兄さんに頼む。

いずれにしても基経・高子には許されない話である。これまで一生けんめいにがんばってきたことがすべて無駄になる。特に高子としては、自分の息子を即位させる、ただそれだけのためにしんぼうしてきたのに、今更他人に譲位されちゃこまると。

ま、そんなわけで清和天皇に非があったかどうかしらんが、彼はひどい死に方をした。
兄の惟喬親王もまた、悲惨な末路に。

ところが高子の子・陽成天皇も基経・高子をないがしろにしただろうね。もう成人したから摂政いらんわ、とか、藤原氏の女御なんかいらんわ。そう言った可能性が高い。基経出仕拒否の時期が元服以後で、また女御・后に基経の関係者がいない。陽成天皇ってもしかするとけっこう男気あふれる名君だったのかもしれんが、それは基経・高子には許容できないことだった。今までいくらおまえに金貢いできたと思っているの。どうしてもそうなる。

言い方はいろいろできるがだいたいそういうことだったろうと思う。

嵯峨天皇、清和天皇、陽成天皇と、コントロール不可能な天皇が続いたのだろうと思う。天皇何もしない。陽成天皇が藤原氏を切って親政をしていたら。外戚の紀氏とかがうまく仕事をした可能性もあるが、どっちかと言えば、いきなり国家破綻したかもしれん。しかしまあ、藤原氏に任せても遅かれ早かれ律令制は崩壊したんだけどね。

誰かが何かしないといけないのだが、その仕事を一手に引き受けたのが藤原冬嗣、良房、基経。ある意味、頼朝、頼家、実朝のころの北条氏に似たような立場だっただろう。うまみがなくちゃやってられないという気持ちはあったと思う。

仁明天皇、文徳天皇なんかは割とまとも、コントロールしやすい天皇だったと思う。
そういう系統で光孝天皇が選ばれたのではなかろうか。

人斬り鉤月斎

「人斬り鉤月斎」というものを書いているのだが、またどこかの新人賞に応募すると思う。百枚ぎりぎりくらい。

タイトルどおり普通の剣豪小説、時代小説のたぐいなのだが、自分的に剣豪小説書くのはすごく珍しい。たぶん初めて。書いてみるとわかるが、普通の陳腐な剣豪小説と差別化するのが難しいってのと、膨大な過去の蓄積があるから、やっぱどうしてもそれと比較されるのでやはり書くのがむずかしい。同じことか。これ普通の剣豪小説とどこが違うのとか言われそうで怖い。

自分なりに分析すると、戦前の菊池寛あたりの剣豪小説というのは古き良き体制的な剣豪小説であるが、戦後はそれを否定した反体制的、つまり、幕府とか主君というものに反抗するとか、庶民の目線でとか、個人主義的なとか、そんな剣豪小説が流行った。

しかし今の自分にとってはそういう反体制的な匂いのする剣豪小説というものがすでに、鼻もちならん説教臭のする陳腐な話なのであって、その否定、つまり、反反体制的、みたいな。しかし、反反体制的だからといって体制的でも戦前的でもないみたいな。あれ、なんかポストモダンってもしかしてこんな話なのかな。ポストポストモダン、みたいなもんかな。まあともかく、既存の戦後民主主義的テレビドラマ的時代小説を破壊したくて書いてみました(笑)これまで、時代小説というか歴史小説みたいなの書いて、チャンバラが出てこないのはそういうのに反発感じてたからだと思う。

三月末までにもう一本くらい書けそうな気がしてきた。