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最近ツイッター見たり書いたりしてるとすごくイライラするようになってきたので、もうやめようかと思っている。ツイートしたデータはダウンロードして取っておくとして、現状のまま放置しつつ、そのうちフェードアウトしようかなと。facebookとかカクヨムとかハテナとかいろいろSNSに手を出したもののどれも気に入らないので、サーバー再開したついでにここのブログにすべて集約しようかなと思っている。

昔は(高校生の頃とか)マスコミって馬鹿だなって思っていたが、一般人もマスコミと同じことができるツールを与えられるとマスコミとまったく同じことをやり始めた。要するにマスコミが馬鹿なのではなく人間が馬鹿なのである、ということを再認識した。

土屋文明が、俳句や和歌は誰でも鑑賞しまた自分も作るが、映画はそうはいかないと『短歌入門』で言っているが、今や映画だろうとなんだろうと自分で作ってユーチューブで公開できる時代となり、いまさら俳句や短歌なんぞという辛気くさい媒体で自己表現しようとする者など昭和生まれの年寄りだけになってしまった。

青空文庫を最近非常に良く読むのだが、世の中はずいぶんいろんな文人がいて、中には面白いことを書く人もいるんだなとすごく感心したりもするが、一方で九割以上の文人はゴミだとしか思えない。共通一次やセンター試験の現国の問題がわけわからないし面白くもなんともないと思っていたが今もまったく同じ感想しか持たない。なんで世の中の人たちはあんなものを好き好んで読むのだろうか。

魯山人の書いた食べ物や骨董の蘊蓄とか、谷崎潤一郎の陰影礼賛なんかは面白いなと思ってはいたが、ああいうのよりも、夢野久作が書いた随筆などがすごく面白いと感じる。他にも専門の文筆家ではない人、例えば画家などが書いたものですごく面白いものがあったりして、それについては今はまだ書かずそのうち書こうと思うが、非常に不思議な気がする。中学とか高校生くらいまでは内村鑑三とか小室直樹などを面白がって読んでいたが彼らがものを書いていたのより自分が年を取ってしまって改めて読んでみると、内村鑑三なんかは科学者ではないから当たり前なのだが、科学的にかなりあやしげなことを書いている。小室直樹も当時としてはすごかったが、今読むとまあこんなものかなと思う。

現代の人だとたとえば山形浩生は面白いが、しかし私とは専門性がかなり離れているので、ある程度までしか共感できない。

誰が書いたものがつまらないかといえば、たとえば折口信夫とか、寺田寅彦なんかはまったく面白くない。昔は面白かったのかもしれないが、今改めて読むようなものではないと思う。海野十三とか中谷宇吉郎とか宮本百合子とか和辻哲郎とか。全然面白くない。小林秀雄の『本居宣長』はまあ面白いんだが、中根道幸の『宣長さん』などと比べてしまうとかなり落ちる。八時だよ全員集合を今見るとつまらないと同じで、そういう見方をすると昔のものはだいたいにおいてつまらない。まだ宣長の『玉勝間』や白石の『折り焚く柴の記』など読んだ方が楽しい。

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