病院の待合室に『ダ・ヴィンチ・コード』があったので読んでみたがわりと面白い。もちろん映画はDVDなんかで何度か見たことあるんだが、原作だとより細かなこだわりが描写されていてそこが興味深い。ただし欧米中心、特にアメリカ人がフランス文化に憧れて書きましたっていうスタンスが露骨で鼻につく(いやそんなふうに書かないとアメリカでは小説が売れないんですよねきっと)。ついつい、いや、欧米ではそうでしょうけどアジアはまた別ですよと突っ込みをいれつつ読んでしまう。世界一の美術館or博物館は、ルーヴルでもヴァティカンでもなくて台湾の故宮博物院だろうと思う。ルーヴルはブルボン家が蒐集した工芸品などの他は世界各地特にエジプトから収奪したもので埋められているが、故宮博物院は清朝が蒐集した中国5000年の財宝が収められている。比較にすらならんと思うのだが誰かちゃんと比較してみてほしい。
エウメネス再考
10年以上続けてみないと見えてこないものはあるわけで。2013年にkdpで『エウメネス』を出して、以来、なぜか私が書いたものの中で『エウメネス』だけが読まれ続けていて、なぜかなと思って調べてみると、エウメネスを主人公とする漫画『ヒストリエ』があり、ああ、『ヒストリエ』を読んだ人がついでに私の小説にも興味を示して読んでくれているのだろう、とそのときは納得していた。
そのままずっとそれで納得してたのだが、最近は、必ずしもそれだけじゃないんじゃないかと思い始めた。
私が書いたもので比較的継続して読まれているものには、カクヨムで出している『伊勢物語』がある。この『伊勢物語』と『エウメネス』に共通しているのはどちらも娯楽ものというよりは教養ものという性質の読み物であるということ、学習参考書的な性質を持っているということだと思う。
思うに、『ヒストリエ』を読んでアレクサンドロス大王に初めて興味を持った、という人はおおぜいいるに違いないが、そうでなくとも、アレクサンドロス大王に興味を持つ人はいるに違いない。世界史を学んでいて、『ヒストリエ』を参考にしようとしても、『ヒストリエ』は時代考証的にはかなり怪しいので、楽しみながら読めてもう少し役に立つ読み物はないかと探すと『エウメネス』にたどり着くのではないか。
あとはやはり、アマゾンでポジティブなレビューがついているのはやはり大きく、ときどきランキングで浮上して目に付くというのもかなり効いていると思う。
古代ギリシャものというのは古代ローマものと同じくらいに日本人には人気が高い。ギリシャものを読みあさっていくと、アレクサンドロス大王についてしっかり書いたものはそれほど多くはない。塩野七生も『ローマ人の物語』の二番煎じで『ギリシア人の物語』というものを書いた(書かされた)が、このできがあまり芳しくない。いろんな意味で不満が多い。少なくとも私としては。
これが英語圏の書籍であればアレクサンドロス大王について書いた本はゴマンとあって無名の作家が書いても埋もれてしまうのかもしれんが、日本語だとあまりない。あったとしても、断片的で、全体をざっと俯瞰し網羅するのに向いてなかったりする。あるいは逆に、概要だけで詳細がつかめないとか。
日本語でギリシャものといえば、神話とかアテナイとかあのへんのやつばっかりで、アレクサンドロス大王とかマケドニアあたりは案外手薄だ。
今はウィキペディアがあるから手間をかけて調べようと思えば別に小説を読む必要はないのだが、時間かけてあちこち調べるよりも手っ取り早くまとまった本を読みたい、という需要はやはりあるはずだ。
つまり、需要はあるが供給がない状態、ブルーオーシャンになっているのだろうと思う。
『伊勢物語』に関していうと、たぶん、これは高校生や受験生が見に来ているのだと思うが、ほかにも似たようなサイトはいくらでもあるのだけどたまたま、カクヨムだと検索の上位に来やすいとかそういう理由で見にきているのではなかろうか、と思う。極めて残念なことながら『伊勢物語』を読んだあとにカクヨムにおいてる他の私の作品も合わせて読まれているという傾向はほとんど無いと言って良い。
カクヨムでいうと『六波羅殿御家訓 現代語訳』もなぜかかなり読まれていて、といっても『伊勢物語』に比べると1%くらいだが、こういうものにはある一定の需要があることがわかる。
『エウメネス』を読んだ後にたとえば『エウドキア』などを読んでくれていることは、まったくないわけではなさそうだが、しかし、私の著書を一通り全部読んでみようという人は、まだおそらく、ごくわずかしかいない。
つまり私は、教養ものとしてはまあそこそこ読まれてはいるものの、娯楽ものとしてはほとんど需要がない、という状態にある。カクヨムだとあるところまでは読まれるが、それ以後ピタリとPVが止まる。それはkindle本でも同じように言える。読まれないものは永久に読まれず、埋もれてしまい、存在しなかったことにされてしまう。
10年近く小説を書いてみてわかったのはそういうことだ。また、10年続けてて少しずつ認知はされてきているのだと思う。
いつかパタッとPVが止まるのではないか、というのは恐怖で、逆に、今後もじわじわPVが続く、というのはとても心強いものだ。
とはいえ、一番売れてる『エウメネス1』でさえ、実売は500冊くらい。しかし、これが今後1000冊、2000冊となったらどうか。出版社に持ちかければ書籍化してくれるかもしれない。
まったく無名の作家が広告費もかけずに500冊売ったということにどれくらいの可能性があるものだろうか。
バック・トウ・ザ・フューチャーに出てくる日本製品
ビデオカメラはJVC。
ラジコンはfutaba。
カセットテープレコーダーは AIWA。
ラジオ付デジタル時計は Panasonic。
腕時計は CASIO。
ピックアップトラックは TOYOTA。
ストップウォッチは SEIKO と CITIZEN。
Wikipedia > 映画バック・トゥ・ザ・フューチャー PART3の劇中、1955年のドクが「安物を使うからだ。見ろ、Made in Japanと書いてある。」と言ったのに対し、マーティが「なに言ってんのドク。最高のものはみんな日本製だよ。」と返し、「(敗戦国の日本とは)信じられん。」とドクが驚くというシーンがある。
まあ、アメリカ人としては、一種の自虐ネタなんだろうけど。時代設定としては1985年。私は大学一年生だった。電気電子工学科入学。あの頃は、バブルへと駆け上がっていく途中。NHKなんかも電子立国日本って煽ってた。私も煽られて電気電子の世界へ飛び込んでしまった。今なら絶対あり得ないと思う。工学部に行くにしてももちょっと違うほうへ行くと思う。バック・トウ・ザ・フューチャーも、日本が景気が良すぎてアメリカは不況で日本がアメリカを買っちゃうみたいな設定だった。あの頃の日本の電機産業って今からおもうとほんとすごかったな。
華冑会。三島由紀夫について
私は三島由紀夫の著作をすべて読んだわけでもなくまたこれから読破してみようという気力もおそらくないのだが、今のところのざっくりとした予想を書いてみようと思う。
三島由紀夫の家系というのは平民出身の官僚だ。彼の父、平岡梓は開成中学から旧制一高、東大法学部に進んでいる。平民に与えられたごく普通のエリートコースだ。しかし三島由紀夫はなぜか学習院から東大へ行く道をとった。
彼の最初の長編『盗賊』は副題に「華冑会の一挿話」とあるが、つまり華族社会のことを彼は書きたかったのである。彼は官僚の息子だし学習院にいたから、平民の中でももっとも華族階級に近いところにいて彼らを観察しえた。そのいわば、上流階級のスキャンダラスな暴露話を書きたくて仕方なかったらしい。
この『盗賊』は川端康成に絶賛されたらしいがほとんど反響がなかった。実際長くて退屈な話である。三島由紀夫にとってはしかしこの長く退屈な話を書く必要があったしこの体裁でなければ華族のアンニュイな暮らしは表現できないのだ。またそこを川端康成は高く評価したが同時に世間に受け入れられなさそうなことを惜しみもしたのだろう。
私は、『仮面の告白』ではなくこの『盗賊』にこそ、三島由紀夫のすべてのエッセンスがすでに内包されていると思う。
『仮面の告白』は自分自身を描いた私小説と言える。当時としてはセンセーショナルな内容だったから、たちまち世間に認知されるに至った。しかしながらこれもまた長くて退屈な話には違いない。
『金閣寺』に至っては単に金閣寺を焼いた男というこれまたセンセーショナルな話題を小説にしたというにすぎず、まあ、一般受けはするかもしれないし、外国人にも面白がられるかもしれないが、しかしやはり、退屈で長い話に過ぎない、とも言える。
その他の小説はおおむね売れっ子作家になったあとの頼まれ仕事のようなものだろう。いちいち読むほどの価値があるものがそれほどあろうか。
で、三島由紀夫は死を覚悟した。そこでもう一度、「華冑会」の話を書いてみたくなったのではないか。自分が死ぬ前に、自分が売れる前に書いた小説をもう一度リメイクして、広く読んでみてもらいたくなったのではないか。『豊饒の海』、特にその第一部『春の雪』は『盗賊』に題材が酷似している。そしてこの『春の雪』こそは、私が見た限り、三島由紀夫の作品の中ではとりわけ面白いのである。
作家が最初に書いた長編小説ほど、作家自身がほんとうに書きたかった作品に違いない。その上彼はそれを再び書いて彼の最後の作品にした。よっぽど書きたくて仕方なかった。よっぽど人に読ませたかった。よっぽど後世に残したかったのだ。
三島由紀夫はほんとうは何を書きたかったのか。
三島由紀夫は自決にあたって輪廻転生を信じたくなったのだろう。だから『豊饒の海』はああいう構成になった。しかしながら、彼がほんとに書きたかったのは、彼がほんとうに愛してやまなかったのは、「華冑会」の退廃した世界、もはや二度とよみがえることのない虚構の世界だったのではないか。ああいう世界は奈良時代にも、平安時代にも、鎌倉時代にも、室町時代にも、江戸時代にもなかった。日露戦争の勝利から第二次大戦の敗北まで、わずか40年ばかりしか存在しなかった。彼の文体、彼の文章の美しさというのはその世界を描くときにもっともしっくりとくる。なぜなら三島由紀夫が彼の青春時代に憧れてやまなかった世界だから。彼そのものが作られた世界だから。
この華族というものは明治政府が生んだ虚構社会だ。人工的に作られたフィクションの世界だ。そして彼はもともとその外の世界の人だ。しかしながら、いや、だからこそ、外側から、マジマジと、その世界を客観的に観察し得た。もし彼が最初から華族だったらあんな屈折した小説を書くはずがなかった。中にいた人ならその虚構に最初から気づいてしらけてしまうだろう。だがその「華冑会」の外にいて、いわばセレブに憧れるマニアであったから、あんな小説が書けたのである。
おそらく彼が守りたかったのは天皇ではなく華冑会なのだ。
明治政府が作り上げた戦前の皇室制度というものが華冑会を作った。その制度が失われれば華冑会もまた失われる。だから天皇は人間宣言などしてはならなかったのだ。「華冑会」がよみがえらなければ生きていても意味が無い。そうも思ったかもしれない。
彼にどうして天皇などというものが理解し得ようか。天皇の実態を想像し得ようか。彼に見えていたのは、目の前の現実であったのは華冑会だったのだから。
評伝 小室直樹
たまたまアマゾンを見ていて、『評伝 小室直樹』という本が2年前に出ていたことを知った。しかるにその上巻はすでに品薄状態で中古でもかなりのプレミアがついている。仕方なく、とりあえず上下巻とも図書館で借りて読むことにした。
著者の村上篤直氏は橋爪大三郎が編んだ『小室直樹の世界』という本に付録された目録を執筆したというから橋爪氏のお弟子さんか何かなのだろう。橋爪氏は当然小室直樹について熟知していた。そしてそれを村上氏にもたびたび語っていただろうし、村上氏も橋爪氏に小室直樹のことについてたびたび質問していただろう。その過程で村上氏は、橋爪氏がどうして小室直樹の本当の姿を書かないのか、小室直樹の評伝を執筆して世に広めないのか、橋爪先生が書かないのなら私が書きますよ、もちろん推薦文くらいは書いてくれますよね、くらいのことは言ったのではないか、と想像されるのである。
私が読みたいと思うのは小室直樹全集であり、その一つ一つの著作に対する解説であり、また校注である。しかしどうも橋爪氏はそのようなものを書く気はまったくないらしい。橋爪大三郎が副島隆彦と共著で書いた『小室直樹の学問と思想』ではただ、小室直樹は偉い学者だったとしか書かれてなく、その著作についてはほとんど触れられていないと言って良い。
で今回『評伝 小室直樹』を読んでその謎が氷解したような気がした。橋爪氏は書きたくなかったのだ。なぜなら小室直樹が出版した著書のほとんどすべては小室直樹が直接執筆したのではなく、出版社のプロデュースとリライトによって書かれたものであり、中にはほとんどゴーストライターが書いたとしか言いようが無いものも含まれているからだ。そのほとんどすべては小室直樹が自分で書きたいと思って書いたものではなく、周りがお膳立てして書かれたものだ。そんな著作群について橋爪氏が言及したくないのは当然であろう。村上氏は橋爪氏が書かないのであれば自分が、という半ば義務感で、この暴露本を書いたのだと私は推察する。
下巻256p、ある日、橋爪、白倉、志田が集まったとき、「小室直樹とは何者か」が話題になった。「最高のティーチャー」との結論で意見は一致した。
教育者として、学問の本質をわかりやすく教えられる能力は抜群のものがある。
では、学者、研究者としてはどうか、小室先生は何か発見はしたのか。ティーチャーとしては最低でも、大発見を一つでもすれば学者、研究者として名前は残る。たった一本でも、学術論文として意義のあるものを書けば、学説史に名を残せる。
では、小室先生はどうか。結論は出なかった。
ここはいろいろ考えさせられるところで、小室直樹がMITのサムエルソンのところへおしかけてPh.Dを取ろうとして失敗し、帰国して東大で学位を取ろうとして指導教官の京極純一になかなか学位審査をしてもらえなかったとか、いろいろ同情するところはあるが、結局、小室直樹が法学博士の学位をとるにはとったが、橋爪にあてがわれた非常勤講師や特任教授などのアカポスしか得られなかったというのは、厳然とした事実だ。客観的に彼が偉大な学者だという証拠は無い、ということになる。
上巻253p、「小室は、何かをするときに、雑駁だ。大づかみなことは正しいんだが、細かいところに目が届かんから、失敗する。」まさにそうなのだろう。
決定的な学術業績もなく、著書もまたマスコミに踊らされて書いたものだとしたら、では小室直樹に残るものとはなんなのだろうか。
それでも彼に残るものとはやはり、人を感化する力、なのかもしれない。
『評伝 小室直樹』下巻p133から『週刊宝石』に掲載された小室直樹と横山やすしの対談が一部掲載されている。私はこれをリアルタイムで読んだはずだから、それは1984年7月。つまり私が駿台予備校京都校で浪人生だった頃読んだことになる。
『週刊プレイボーイ』だったかと思ったが記憶違いだった。
この対談は非常に面白くて、これを読むだけのためにも、『評伝 小室直樹』を読む必要があると思う。再び読めてたいへんうれしい。結局、世間一般の人からみた小室直樹という人は、この横山やすしが見たようなものなのだ。世間一般の人からみた、世間離れした学者というものの姿なのだ。ようするに、結婚して家庭を持ち、妻子をもっていないと人は学者のいうことを信用しないものなのだ。彼らにとってわかりやすいことを学者が言えば、彼らはなるほどその通りだとなっとくしてくれるが、自分たちの常識に反することを言っても理解してはもらえないんだっていう教訓になった。
栗山潜鋒と三島由紀夫と小室直樹
『評伝 小室直樹』下巻p.395
崎門の学に連なる栗山潜鋒。
これは間違っている。たぶん小室直樹もそうは言ってないはず。でもそんなふうに読者は思うだろう。栗山潜鋒は水戸学とも崎門学とも関係ない。独立独歩。
※追記。栗山潜鋒は明らかに純粋な儒者ではない。徳川期の儒学は、まず幕府直轄の官学を言う。天下国家、経国済民を論じる儒学が官学となるのは必然であり、漢代でもそうだったし、徳川もまたそれに倣った。儒者は幕府に仕官した官儒が偉く、一番偉いのは将軍に直接諮問される立場に一部の奥儒者、顧問であり、尾張水戸紀州など親藩に仕える儒者らが続く。市井の儒者は儒者のようなそうでないような扱い。本居宣長などは、国政に口出しできない市井の学者が儒学を学んで何の役に立つ、とまで言っている。大塩平八郎は大阪町奉行与力ではあったがさっさと家督を養子に譲って自分は陽明学に凝った。儒者ではあるがかなり外れている。栗山潜鋒は水戸光圀に招聘されて彰考館総裁の一人となったが、大塩平八郎よりもさらにエキセントリックである。それを、潜鋒がもと崎門の師を持ったためだと説明付けるのはたやすい。確かに崎門には神道に対する異様なこだわりがあり、これは中国かぶれの儒者(特に新井白石や太宰春台など)とはまったく違う。小室直樹が潜鋒の影響を受けているのは確実だが、その認識はかなりおかしく、おそらく単に、若い頃の小室直樹が読んだ国学書から間接的に受けているのだろうと思われる。
従来、皇位は長氏相続法にしたがって、順に、白河天皇、堀河天皇、鳥羽天皇、崇徳天皇と継承されてきた。
この認識も間違っている。白河院は、天皇家が摂家に対抗するため、院政を発明した。これによってはじめて皇位の直系相続が実現した。藤原氏全盛時代は、さかんに兄弟間で相続している。それは摂家によって皇位をたらい回しにしたから。摂家の影響力を排除するため意図的に白河院は直系相続にした。栗山潜鋒だって当然、長子相続が天皇家の伝統でもなんでもないことは知ってる。問題は鳥羽天皇が白河院がせっかく確立してくれた直系相続を捨て兄弟相続を復活させたことだ。
皇位継承順位は、天倫の序すなわち長子相続法によって定められるべきである。
その根本規範が、ほかならぬ、上皇と関白によって破壊されたのである。
救いがたい急性アノミー(無規範状態)が全日本を覆い尽くすであろう。
この認識もあり得ない。もしそうなら、藤原道長の時代に急性アノミーが生じていなくてはならない。そんなことはなかった。少なくとも表面上は世の中は平和に治まっていた。藤原基経が陽成天皇を廃して光孝天皇を立てたときにもものすごいアノミーが発生しなくてはならない。そんなことは起きてない。
後白河天皇が義朝に父為義の処刑を命じた。つまり天皇が「父殺し」を命じた。そのため天皇政権が終わり武士政権となった。
これはまあどうかなあ。そういう解釈も一応は成り立つかもしれない(※追記。ともかく摂家が武家に対する扱いははなはだ不当なものであってその矛盾が義朝の時に父殺しという形で可視化されたのは間違いないのだが、むしろ、賴山陽が指摘しているように、義家の時にはすでに、武家の信頼は朝廷を離れて清和源氏や桓武平氏に帰していたとするほうがずっと自然だ)。
ま、ともかく、小室直樹は、山崎闇斎の崎門学や、山鹿素行の『中朝事実』などを重視する一方で、賀茂真淵や本居宣長の国学を軽んじ、真淵や宣長に濡れ衣を着せようとする。これはおそらくは、小室直樹が影響を受けた平泉澄という人がそういう考えの人だったからなのだろう(※追記。平泉澄という人は確かに小室が若い頃影響を受けた思想家の一人だったのだろう。賀茂真淵、本居宣長との関係は要精査)。国学以前日本では、中国と日本とインドの宗教はすべて混在していた。その上で、神道よりも仏教や儒教のほうが優れている、という舶来主義が主流だった。それを、混交したままひっくり返して、実は日本が本家本元だったんですって言い出したのが垂加神道。日本ルーツ説。
国学と他の学派との本質的違いは、国学は日本古来のものとそれ以外のものを切り分ける古文辞的作業をおこなった、ということだ。そこには当然、日本古来のものを尊ぶ思想が付随してくるわけだが。
宣長はきちんと『古事記』を分析して、日本固有のものを外来のものから分離し、その上で神道と仏教と儒教を比較して、神道のほうが仏教や儒教よりも優れている点がある、ということを主張したにすぎない。儒教には儒教の良いところがあり、仏教には仏教の良いところがある。しかし、ここは日本であって、インドに仏教があり中国に儒教があるように、日本には日本古来の神道がふさわしい、そう言っているのにすぎない。その根本にあるのは相対主義であり、日本が世界で一番優れている、というのが本来の主張ではないし、まして、中国やインドにも神道を押しつけようというものではない。同じように、キリスト教徒はキリストを拝めば良いだけのこと。それは、宣長と上田秋成の論争を注意深く読めばわかることだ。日本が一番良い、絶対的に良い、などと言ってるのは崎門学や中朝事実のほうだ。
小室直樹は、アノミーという理論が先行していて実証が伴っていない。歴史を緻密に検証していけば、その理屈では通らない事例がいくらでもある。それらを一つ一つ潰していかないと理論は実証できない。
栗山は天皇の失政を強く激しく批判しながら、それでもなお天皇システムを肯定する。
違うんだな。それは違う。単に北畠親房の受け売りで天皇を批判するだけの安積澹泊とも違うし、天皇を激しく批判しながら天皇を崇拝する三島由紀夫とも違う。栗山潜鋒は朝廷に天皇を補弼し武威を示し天下に敷き行う臣下がいないので、その大権が武家に委任されているのであり、それは太古から連綿として変わらない、ということを言いたかったのである。それはつまり幕府が三度交代してはじめて、栗山潜鋒がその日本固有の歴史を観察して発見した知見だ。つまり、天皇システムを肯定しているのではなく、日本固有の歴史的法則性を発見したのだ。それは北畠親房の時代にはまだ判然としていなかったから、親房には見いだせなかった。易姓革命の原理による儒学でも説明が付かなかった。中国にはない日本固有の必然的歴史的法則が作動した結果、徳川幕府が成立した。潜鋒が言いたかったことはまさにそれ。すなわち栗山潜鋒の理論は佐幕理論なのであり、倒幕理論ではない。あり得ない。天皇は絶対だから天皇は不徳でも良い、なんて言ってない。
さらに本居宣長は潜鋒の理論をいたく気に入って、これを「みよさし論」として完成させて、幕府の最高権力者である老中松平定信が追認し採用する形でオーソライズしたから、大政委任論が成立したのである。そしてそこから自然に幕末の大政奉還論が生まれてくる。何段階ものステップを経て、徳川の250年間にわたる治世の中で徐々に熟成されてできたものだ。国学は決して天然自然が良いとか神様のあるがままが良いなんてことは言ってない。少なくとも宣長はそんな脳天気なことは言ってない。宣長は彼の歌論において、古い時代には古い歌、新しい時代には新しい歌がふさわしい、歌は時代時代で異なる、混同してはならないと明確に言っている。みんな宣長がいかに政治に関心をもち関わっていたかをしらんのだ。宣長の門下にはだんだんと武士が集まってきた。その中には尾張や紀州で幕政に責任ある地位にいる者もいた。彼らは宣長に政論を求め、宣長も応えた。宣長は国学を政治に応用しようとして紀州藩や尾張藩に働きかけ、松平定信ともコンタクトを取ろうとしていた。松平定信は宣長を表面上無視したが、賀茂真淵を師と仰いだ田安宗武の子である松平定信が国学を知らぬはずもない。実は深く宣長の影響を受けて政治に生かしていたのだ。
決して三島由紀夫と栗山潜鋒は同型(アイソモーフィック)ではない。
もっと他にも間違いがある。『禁中並公家諸法度』は摂家が天皇家や公家を支配して公家社会の頂点に立つために家康にお願いして幕府の権威で認めさせたものだ。その張本人は近衛信尹。決して家康が天皇に押しつけたものではない。紫衣事件も、摂家と幕府が結託して寺社を管理しようとしておきたものであり、天皇とは直接関係ない。確かに後水尾天皇は幕府を恨んでるような歌を詠んだりもしている。しかし、後水尾は近衛信尹の甥であり、また後水尾の同母弟は近衛家を継いで信尹の養子になったりしている。じつは天皇と摂家はツーカーなのであり、公家支配は摂家が考えたものであり、公家支配のコツを家康に伝授したのも実は摂家なのである。
鬼平犯科帳
別に『鬼平犯科帳』の悪口を言いたいわけではないが、あれは結局、江戸時代を舞台に今の刑事ドラマを作り替えただけのものであり、だから一般受けするのだ。
元は同じで、そのアレンジ次第で時代劇にもなり、『相棒』にもなる。ただそれだけのことだ。結局人はいろんなものを見ているようでごく狭い限られたものを見ているに過ぎない。
別の言い方をすれば刑事ドラマにしても、今の現実の刑事やら警察官をきちんと取材すれば、全然違う作り方をすることができるはずで、全然違う『亀有交番前』ができるはずだ。だがそのためには一からネタを仕込み、まったく新しいプロットを考えねばならない。そんな売れるかどうか当たるかどうかもわからぬことに労力を費やす人などいないのだ。
eumenes english edition
人に言われてその気になって、『エウメネス1』を英訳してみたものの、ほとんど誰にも読まれないってことがわかっただけだった。英文ならどんどん読者を獲得できるのではないかと期待したが、そんなことはなかった。
和文と英文を分離して、和文は縦書きに戻すことにした。やはり縦書きのほうが全然読みやすい。
今回書き足してしまってずいぶん長くなった。短ければあっさりしすぎていると思われ、長いと飽きられる。簡潔で読みやすく、気がつけば次々に読んでしまって、長さを感じさせないというか、長さが気にならないようなのが良い文章なのだろう。誰も別に長編を読みたいわけではないのだ。面白い作品なら、長ければ長いほどうれしいだけなのだ。
英文もせっかく書いたからどこかにタダで公開しようと思うのだが、英文の小説投稿サイトはもちろんたくさんあってそっちに投稿すりゃ良いのかもしれんが、そこにもまた有象無象の小説があって、結局は埋没してしまうのに違いなかった。
日本語の投稿サイトもいろいろ検討してみたものの、どこも英語の匂いがしない。小説サイトなのに学問の匂いがしない、というのは変な言い方かもしれんが、ああいう文芸サイトというものには、結局、私は受け入れられない気がする。
まだハテナブログのほうが、英文に関心を持つ読者いるのではなかろうかと思われたので、とりあえずこちらに公開することにした。
一度に公開しないのはもったいぶっているせいではなく、マジで最近時間が無いからだ。私の場合、趣味と本業が分離してしまって久しい。もう10年以上そうだ。しかし、少しばかり、本業にも身をいれようと思うようになった。
本業と趣味を分離してしまうと趣味ばかり本気になってしまい、それはそれで疲れる。
やはり学閥というものはあるのだと思う。大学の同期や先輩後輩、師匠はやはり頼りがいがあるものだ。自分の実力だと思っていても、実は学閥というマーケティングないしは広報が効いているからこそ、社会に露出し、世間に認めてもらえるのだ。
つまり学者になりたければアカデミアのコミュニティに属しなくてはならず、小説家になりたければジャーナリズムのコミュニティに属さねばならぬ。そのためには大学に入るのが一番良い方法だ。だからあんな一見何の役にも立たない大学というものが存在しているのだ。
自分が属する世界に飽きてしまってその外の世界で活路を見いだそうとしても、うまくはいかない。逆に自分の学閥の中でぬくぬくと活動していて、良い気になっていても、それはほんとうの実力ではない。ホンモノでなければいずれ遠からず忘れ去られるだけだ。
二足のわらじというが、単に本業と副業があるというだけではないのだ。複数のコミュニティに属するにはどうすれば良いか。一つの大学を出て、年を取って他の大学も出ればよいのか?なるほど、それもありかもしれない。しかし今更他人の弟子になって頭を下げる気など起きない。そこまでして他人に搾取されたくない。
世の中は実に馬鹿げている。身内で盛り上がっているだけではないか。そんなものは死んでしまえば何も残らない。学者ならば常日頃学者を観察しているはずだ。そこから導かれる結論は学者は馬鹿だという以外無いはずだ。それなのに、学者のくせに学者を擁護する。そういう学者ばかりだ。
センター・オブ・ジ・アース 2
『センター・オブ・ジ・アース 2』という映画があってこれは『センター・オブ・ジ・アース 』の続編なのだが、全然地底探検になってないのにこの日本語タイトルにした人はどういうセンスなんだろうねしかし。 『サスペリア』と『サスペリア2』の前例もあるしもうどうでもいいんだろうねマーケティング的には。
『センター・オブ・ジ・アース 』は原題が『Journey to the Center of the Earth』で、原作はジュール・ヴェルヌの『地底旅行(Voyage au centre de la terre)』だから、これはいいんですよ。『センター・オブ・ジ・アース 2』の原題は『Journey 2』。まあこれじゃ邦題考えるの大変だったかもしれんね。
で、雰囲気は完全に『ジュマンジ』(新しい方の)なんだけどさ。まあいいんですよ。さらっと最後まで見れたので、嫌いじゃないです。 ヒロインはほとんどララ・クロフトだった。 プロットはほとんど『天空の城ラピュタ』だった。というかオマージュのつもりなのか? 何にも考えずに飯食いながら見るには良い作品で、『ターミネーター』みたいに途中胃が痛くなるような展開もなくて、淡々と楽しく見させてもらえる作品だと思った。 日本でいうところの劇場版ドラえもんみたいなものか。
ツイッター見ているといつも「何言ってんだこいつ」ってリプライかリツイートしたくなって、精神衛生に悪いので、見ないで、あるいはそこはいったんためといて、ブログなぞにグダグダ書くのが良かろうと思う。 学者が馬鹿だというのは自明の理であって、 社会に適合して器用に生きることを諦めて、その代わり、学術的に何か生産的なことをやって、 世の中の片隅に住まわせてもらおう、そういうやつだけが、学者として良い仕事をする。 社会に出ればたちまち無用の長物になってしまう。いや、社会で役に立とうとすれば立たなくもないかもしれないが、そういう宮仕えは死ぬほどいやだ、 だから学術界に引き籠もっているのだ。
いやしかし馬鹿で社会不適合でしかも学才もなく貪欲でしかも世の中に害悪を垂れ流す連中がたくさん淘汰されずにいるのも事実であるが、それは淘汰の仕組みがうまく働いていないのが悪い。で、淘汰がうまく働くようにしようとすればするほどその仕組みは改悪されていくので、手をつけないほうがまだましだ、というただそれだの理由でなかば放置されている。だから、ああいう盲腸みたいなものが出てくるのはある意味仕方ない。 膨大な無駄遣いをしてるのもある程度まではその性格上しかたないと思う。 自然淘汰は無駄を省くこともあるけれど、必要がなければそのまんま放置することも多い。それだけのことだ。
盲腸も別に炎症を起こさないのであれば大した実害はない。わざわざ開腹手術をして摘出するほうが体に害になる。 だから、ほっとけばよいのだが、これが腐敗して、化膿して、体中に毒素をまき散らす状態になったら、そりゃ手術したほうがよい、ということになる。
小説の英訳
さて何かブログに書こうかと思っても最近はいろいろ気が散ることが多くて、ツイッターに何か書き込んだり、調べ物をしたりしているうちに、 執筆意欲というものがどんどん消費されていって、他にもいろいろやらなきゃならないことが思い出されてきて、結局書かないってことが多い。 以前はそうではなかった。2010年くらいまでは、twitter や facebook はまだ閑散としていたし、電子出版というものがそもそもまだ普及しておらず、 kdp など影も形もなかったから、何か書きたい衝動が起こってきたらブログに書くしかなかった。
『1984』に主人公の Winston Smith が「さて何か日記を書こうか」と思い立ったときの心境が描写されているのだが、これがいまさらながら少し面白い。 最近は英語の原作をぼちぼち読み始めているのだが、 やはり、日本語訳で読むときと原文で読むときではかなり雰囲気が違う。 この雰囲気というものを訳すのはやはり難しい。 なんで英語の小説を原文で読み始めたかといえば、自分が書いた小説を一部英訳してみようと思ったからだ。 思うに英語を読まねばならぬという義務感のようなもので読み始めても頭に入っていかず、結局途中で読むのをやめてしまうのだが、 自分の小説を英訳したいという動機があり、その自分の英文にはなはだ自身がなく、他人の小説の言い回しを参考にしようという下心があると、不思議と読めてしまうものだ、ということが今回わかった。
He sat back. A sense of complete helplessness had descended upon him.
まあたったこれだけでも、英文と和文では受ける印象が違うのがわかるというものだ。 A sense of complete helplessness。意味はわかる。しかしこれをどう日本語に訳すのか。自然な意訳ならば「完全な絶望感」とでもなろうか。He sat back。これも案外難しい。意味は明解だ。しかし、back をわざわざ訳すと長ったらしくなる。sat すら訳せない。座っているのは自明なのだから訳すまでもない。もとの 3ワードの簡潔な文をどううまく訳すのか?たぶんこれは訳せない。「彼は真新しい日記を見つめながら途方にくれた。」くらいにしか訳せないと思う。
For whom, it suddenly occurred to him to wonder, was he writing this diary?
この言い回しもなかなかしゃれていてかっこいい。まず For whom、と来て、その後に挿入節、というか転置された文が挿入される。しかしこれも和訳すれば単に「誰のためにこの日記を書こうとしているのか、という疑問が突如彼に涌いてきた。」くらいにしかできまい。
For some time he sat gazing stupidly at the paper.
こういう書き方ね。これが George Orwell という作家の持ち味なんだが、これを日本語で表現するのは難しい。「しばらく彼はぼんやりと紙の上を見つめていた。」とでも訳しようがないのだが、それでは元の味わいというものがまるででてこない。 たぶん私ならこの sat は書かない。he gazed stupidly at the paper. と書くだろう。日本語にも特に訳しようがない。stupidly もここで「馬鹿のように」と訳すと直訳臭がするから「ぼんやりと」とでも訳すしかない。でもそうすると明らかに原文の味は失われる。でまあそういう英文の「味」をうまく和文に変換できれば、おそらくだが、村上春樹みたいなシャレオツな文章になるのだろう。この、シャレオツと直訳臭の違いは純粋に感覚的なものだから、誰もが書けるわけではあるまい。村上春樹のパロディみたいな文章は、割と誰にも書けるのかもしれんが。
単に英語の勉強のために英文を読むのではなく、つい私の場合、著作権が切れた作品を英訳してみようという色気が出てきてしまうのだが、別に著作権が切れてなくても、ハリーポッターなんかは読んでみたりしている。 George Orwell の著作権が切れてるかどうかはぎりぎりのところでなんともいえないが、どうも私にはうまく訳せるようには思えない。しかし、うまいかへたかはともかく訳せば少なくとも自分の勉強にはなるし、売れれば多少の収入にはなるわけだ。