百人一首への招待2

「百人一首への招待」の後の方を読んでいると、定家と為家の合作説というものも提示されていて、まあそうかもしれんしそうでないかもしれん。

定家が天智天皇の凡庸な歌を好きなのは、確かに、天智天皇が藤原氏に非常に関係が深いからかもしれないし、その歌が、ある意味不自然なまでに牧歌的で、おおらかなのも、政治的意図(理想の君主像とか)がそこにあるのかもしれない。いずれにせよ、定家が藤原氏でなければ天智天皇を最初にもってくることはなかった。「秋の田の」が天智天皇自身が詠んだ歌でないことは明白であって、従って聖武天皇とか文武天皇とか桓武天皇が詠んだことにしたってよかったわけである。定家は「秋の田の」が天智天皇の真作だということにしたかった。そう信じ込みたかった。

陽成院が定家に評価されてないってことも指摘してある。

相棒

今水谷豊主演の「相棒」という刑事ドラマがばんばん流れているので自然と目に入るのだが、割と見れる作品だ。税金でまかなわれている警察という組織、そして警察官という公務員が、法律の範囲内で、事件にどこまで踏み込めるか、そもそも「刑事事件」とは何かということを、きちんとわきまえた上で作られているからだ。単なる娯楽番組ではない、教養番組になっている。

かつて踊る大捜査線に感じたような不愉快さがない、ということだ。むろん、わかっているつもりだ、制作側は。悪いのはそれを流行らせた一般視聴者だ。

その昔の西部警察なんてのは日本の警察官がショットガンやスナイパーライフルぶっぱなしたりして、あれだとまああきらかに虚構だとわかるからまだ害はないのかもしれない。

まともかく世の中は少しずつまともな方向へと進化しているんだと思う。

酒のほそ道

風邪引いてだるいので気を紛らすため、例によって駄文を書くことにする。私はこの、『酒のほそ道』の主人公の岩間宗達のキャラ設定が不思議で仕方なかった。居酒屋や寿司屋を食べ歩き、飲み歩くばかりではなく、一人で家で晩酌したり、山登りして景色を眺めながら飲んだりする。年は29歳、独身。恋人未満の女友達がいる。

自分もそうだったが、普通に仕事していて独身の男で飲み歩きが好きならば、自宅で一人で晩酌するなどもったいない、一軒でも多くの店を開拓したいと思うのではなかろうか。 またたった一人で旅行して酒を飲んだりするというのが解せない。

でまあ今回この第三巻を読んでみて思ったのだが、作者のラズウェル細木という人は、すでに嫁がいて子供がいる人なのである。妻子持ちならば、一人で酒を飲みたくなることは十分ある。つまみは缶詰でたった一人の晩酌でもいいから飲みたいというのは人間関係から逃れたいから。とにかく家庭や仕事、妻子から逃げ出して一人きりになりたいのだ。その自分を独身男性に投影するからキャラがなんか不思議なことになっているんじゃないか。

ラズウェル細木自身はメタボでもなくハンサムな男だそうで (追記。つか、youtubeに露出してるじゃんか。ハンサムかどうかはともかく、痩せてるな)、だからこそ彼は、メタボで独身でどちらかと言えば三枚目で、独り飲みが好きな架空の男を作り出したのだろう、という結論に達した。彼はアシスタントの女性と結婚して離婚している。育児マンガも描いている。離婚した妻は今もアシスタントとして働いているという。独りで飲み歩きたい気持ちが伝わってくるよなあ。

というかもともと自分とはまったく別のキャラを描こうとしたのだが、キャラというのは自然と自分に似てきてしまうので、連載しているうちにあんなふうになってしまったのかもしれん。

元妻のブログというものもある。

デブ・読書

popular posts 見てるとかなり変なところを読まれている。

デブ。

食べじとて 耐へ忍べども 朝ごとに 計りて増ゆる 我が重さかな

いつごろ詠んだのだろう。和歌というのはすぐ詠めと言われても詠めないですよ。
毎日詠んでないと詠めなくなる。読書。これは宣長の歌ね。

書読めば 昔の人は なかりけり みな今もある 我が友にして

ドゥカス王朝の皇帝交替問題

[ドゥカス王朝の皇帝交替問題 という論文を見つけたのだが、なかなか興味ぶかい。ま、エウドキアはフィクションなんで脚色してて別にかまわないわけだが、この論文を読んでもらえば、だいたい史実に沿ってる、ってことはわかってもらえるだろう(めんどくさいから誰も読まないと思うが)。

ローマノスとヨハネスの間のマラズギルト敗戦後の関係が少し違うといえば違う。確かにWikipedia英語版読むとそう書いてある。だが結局これらの話はすべてはミカエル・プセロスという人の伝記がソースであり、おそらく相当正確ではあろうが、ただ彼がそう書いているというだけであり、彼は単にエウドキアに比較的近かった学者というだけで、政治の駆け引きというものが実際にはどうだったかなんてことは結局はわからない、と思う。 だからこそ状況証拠という名の補助線が必要になってくるわけだが。

ミカエル・プセロスの原典を当たってみないとわからんことではあるが(それはたぶん私には無理)、上掲論文ではイスタンブルのことをコンスタンティノープルではなくコンスタンティノーポリでもなく、ちゃんとコンスタンティノポリスと呼んでいる。

おんなじようなところに疑問を持ってるわな。なぜイサキオスはコンスタンティノスを後継者に指名したか。なぜ帝位は再びコムネノス家のアレクシオスに戻ったか。なぜエウドキアはローマノスと再婚したのか。伝記だけではわからんのよね。論文は仮定以上のことは書けない。小説だから大胆に創作して書ける。

ヨハネスとは実際どんな人物であったか、兄コンスタンティノスとの関係はどうだったか、ってとこが難しい。状況証拠的にはそうとう仲が悪かった。仲の悪い理由は不明なのでそこは推測して創作するしかなかった。

旧作

久しぶりにエウメネスを読んでみたのだが、比較的新しい作品なんでたかをくくっていたのだが、すでに相当古びてしまっていて驚いた。新作を書いたり旧作をリメイクしたりするうちに自分の文体というものがどんどん変わっていく。たくさん書けば書くほど変化する。一年もして昔書いた物を読むと他人の文章のように感じる。そもそも乗りが今と違う。自分が書いたものによって自分自身が変わっていく。そりゃそうだわな。書くという行為によって自分は変わる。自分と作品は相対的なもので、自分が作品を作るように作品が自分を作る。どうしたらよかろうか。

ディエンビエンフー

タイトルが『ディエンビエンフー』でなければこの漫画を読むことはなかったと思う。作中にも書いてあるが、ディエンビエンフーは厳密にいえばベトナム戦争ではない。しかし普通の人は(私も含めて)ディエンビエンフーと言えばベトナム戦争を連想するだろう。あるいは、ベトナム戦争の前史であるインドシナ戦争の話を期待するのではなかろうか。

ベトナム戦争を表層的ではなく扱っているという意味では悪くないアプローチだと思う。これよりも浅い戦争漫画ならいくらでもありそうだ。

美少女のヒロインが出てくるところが若干漫画だ。そこは既定路線だと納得できれば抵抗なく(いや、あるが)読めるのかもしれん。

ふと思ったのだが、戦記ものというのは、戦略的には比較的忠実に歴史をなぞり王道を行きつつも、戦術的部分、つまりディテイルはかなり脚色してラノベ化するのはアリなのかもしれん。cat shit oneもある意味そうだ。その逆はたぶん読むに堪えないのではないか。

鬱ごはん

面白い。それはさておき、ここに出てくる食事というのは、すべて、ファミレスだったり、コンビニ弁当だったり、回転寿司だったり、ハンバーガーだったり、牛丼屋だったりピザだったりインスタント食品だったりする。そして酒は出てこない。タバコは一瞬出てくるのに酒がでない。私の小説とはどっこもかぶってないところが逆に面白いといえば面白い。

そして、ファストフードは一通り出てきて、かつ、そばの話は二度も出てくるくせに、富士そばなどの立ち食いソバの話が一切でない。これもある意味象徴的だ。

まあ、たぶん、酒を飲むやつと飲まないやつの違いだろうな。ラズウェル細木だと絶対こうはならんもんな。

食い物の話は好きなくせに、なぜ今までこういうのを書こうという気が一度もおこらなかったのかというのを自問自答している。たぶん自分が20代なら必然的にこうなったのかもしれない。じゃあ50近くのおっさんがファミレスやチェーンの居酒屋や牛丼屋の話を書けばどうなるんだろうか。謎だ。矢口高雄が渋谷や原宿の話を描くくらい何かが違う。

なんて素敵にジャパネスク

氷室冴子はマンガやアニメの原作者としてはすでに知っててまあ好きなほうだから、小説も割といけるかと思ってためしに『なんて素敵にジャパネスク』を読み始めたのだが、いろんな意味で驚いている。

まず、こんな昔からラノベって1センテンスごとに改行してたのな。

第一印象としては人間関係がわかりにくい。官職名がいきなりぽんぽん出て、これ、読むひとほんとに理解して読んでるのかという感じ。権少将とか大納言とか出てくるんだが、官位が書かれてないからどっちが偉いのかもわからん。そんなこと考えなくていいんだろうけど、気になる。むしろ、そうやって、よく分からない単語であふれさせることによって、無理矢理平安時代の雰囲気を出しているのかもしれん。

だがまあこれは明らかにラノベだ。腐る前の時代のラノベ。ドタバタラブコメが主流だったころの、八時だよ全員集合時代のラノベ。あるいは、防腐剤として古典的教養らしきものがふんだんにまぶしてあるが、それらを取り去れば自然に腐って現在のラノベになるのだろう。今のラノベはこんな難しかったら読まれないんじゃないかと思う。

ヒロインの弟が融というのだが、この時代、融と言えば源融。だが、父親は藤原氏。だから、藤原融というのだろうが、これがものすごく気持ち悪い。漢字一字の名前というのはだいたい嵯峨源氏。藤原氏の名前はほぼ例外なく二字。まあそんなことどうでもいいわけだが。

高彬という名もなんとなく変な感じ。幕末ころの武士の名前だろうとか思う。島津斉彬とか。醍醐天皇の皇子のつもりかな。第十皇子に源高明というのがいるわな。

ざっとネットを検索しただけだがこの作品には次のような和歌が出てくるらしい。

瀬を早み 楫子のかじ絶え ゆく船の 泊まりはなどか 我しりぬべき

春立つと 風に聞けども 花の香を 聞かぬ限りは あらじとぞ思ふ

心ざし あらば見ゆらむ わが宿の 花の盛りの 春の宵夢

うーん。どれもダメだ。大人げないが全然ダメ。単なるパロディなら笑って許せるが、割と狙ってるところがダメ。つか、パロディ(蜀山人の江戸狂歌みたいな)作るにはそれなりにわかってなきゃだめだからな。百人一首のうろ覚えプラス歌謡曲レベルだわな。逆の言い方をすれば、普通の人には和歌なんてものはこの程度で良いということだろう。