小沢蘆庵の歌

江戸時代の知らない人。でもなかなか良い。宣長とほぼ同世代の人で交流もあったらしい。

よしさらば こよひは花の 蔭に寝て 嵐の桜 散るをだに見む

これは良い。

けさよりは 吉野の山の 春霞 たが心にも かかりそむらむ
あともなき 朱雀大路の 古き世を 思ひ出でつつ 雪やわくらむ
何ごとの はらだたしかる 折にしも 聞けばゑまるる うぐひすの声
春雨の 音きくたびに 窓あけて 軒の桜の木の 芽をぞ見る

良い。江戸時代にここまで高いレベルに達し、また公家だけでなく武士や庶民にまで広く普及していた和歌がなぜあれほどまでに無残に破壊されねばならなかったのか。実に悔しい。
なるほど、「ただごとの歌」か。すばらしいなこれは。

行く春を うぐひすの音は 絶えぬるに はかなくもなほ 鳴くひばりかな
鳴くひばり さのみな鳴きそ 暮れてゆく 春は惜しめど かひなきものを
かひなしと 言へども我も 行く春を 惜しとぞ思ふ 泣きぬばかりに
泣くばかり 惜しとはなにか 思ふべき また来む春を 頼む身ならば
頼まれぬ 老いの身をもて 限りなき 春を惜しむも かつははかなし

なかなか良いなこの連作。

今は世に 心とめじと 思ひしを 花こそ老いの ほだしなりけれ

良い。

良寛の歌

良寛の歌は僧侶らしい静かな美しい歌だ。明らかにわかるレベルの差。

あしびきの深山を出でてうつせみの人のうら屋に住むとこそすれ
しかりとてすべのなければいまさらになれぬよすがに日を送りつつ
はなかつみかづにもあらぬしづが身を長くもがもと祈る君はも

はなかつみと数がかけてある。明らかに万葉調が見てとれる。しかし武士のような勇ましさはない。

深山木も 花咲くことの ありといふを 年経ぬる身ぞ はるなかりける
年月の 来むと知りせば たまぼこの 道のちまたに 関据ゑましを

このクオリティの高さはすごい。すべてただたまたま開いた一ページの中にある歌なのだが。すごいな。こういう歌が詠みたいとさえ思う。

賀茂真淵の歌

本居宣長全集を読んでいると、村岡典嗣の評として(やや抜粋)

歌人としての宣長は、遺憾ながら第二流、もしくは以下の評価を甘受せねばなるまい。
文学や詩歌に対する、未曾有のすぐれた理解や見識を示した彼にして、なにゆえにかくのごときであったかは、あるいは不思議としうるくらいであり、学者と作者は必ずしも一致しないとはいいながら、この点賀茂真淵などと比較して、全く違っている

が紹介してあり、では賀茂真淵には秀歌があるかと思って、岩波書店日本古典文学大系「近世和歌集」を読んでみる。確かに面白い歌もある。

大魚(おほな)釣るさがみの海の夕なぎに乱れていづる海士小舟(あまをぶね)かも

いにしへのしづはた衣きし世こそおりたちてのみしのばれにけれ

沖つ舟手向けすらしも岩浪のたてるありそにかかるしらゆふ

雲のゐるとほつあふみのあはは山ふるさと人にあはでやまめや

故郷にとまりもはてず天雲の行きかひてのみ世をば経ぬべし

もののふの恨み残れる野辺とへば真葛そよぎて過ぐる秋風

見わたせば天香具山うねび山あらそひたてる春霞かな

むらさきの芽もはるばるといづる日に霞色濃き武蔵野の原

つくば山しづくのつらら今日とけて枯生(かれふ)のすすき春風ぞ吹く

さくら花花見がてらに弓いればともの響きに花ぞ散りける

山ふかみおもひのほかに花をみて心ぞとまるあしがらの関

かげろふのもゆる春日の山桜あるかなきかのかぜにかをれり

しなのぢのおきその山の山ざくらまたも来て見むものならなくに

しかし特に驚いたのは次の二首

うらうらとのどけき春の心よりにほひいでたる山さくら花

もろこしの人に見せばやみよしののよし野の山の山さくら花

「うらうら」の方は「敷島の大和心を人問はば朝日に匂ふ山桜花」の本歌ではないかというくらい似ているし、「もろこし」の方も「もろこしの人に見せばや日の本の花の盛りのみよしのの山」にクリソツ。 もちろん、真淵は宣長の33才の年長であり、宣長が39才のとき(1769)に真淵は亡くなっており、先に詠んだのは真淵である。宣長も、わかった上でまねて詠んだのだろう。

世の中によしのの山の花ばかり聞きしに勝るものはありけり

みよしのをわが見に来れば落ちたぎつ瀧のみやこに花散り乱る

これらも真淵が吉野山を詠んだ歌。

宣長は43才のとき(1772)吉野に桜を見に行っている(菅笠日記)。猛烈に桜の歌を詠み出したのは44才の時からだ。思うに宣長の山桜好きは真淵から受けた影響(あるいは師・真淵を慕う気持ち)と、実際に吉野山を訪れたことによるのはほぼ間違いないし、「敷島の」の歌が真淵へのオマージュであることも確かだろうと思う。

真淵の歌を全体としてみれば、宣長と大した違いのない古今調だが、中にはわざと万葉調に詠んだものもある。田安宗武ら武士の師となったこともあり、武家の影響もみられる。一方、宣長は青年期から老年まで歌の傾向はまったく変動がない。二十台後半に書いた「おしわけをぶね」において彼の思想と学問の方針は完全に完成されているのは見事である。しかしゆえに十年一日のごとく「ほとんど生長も発展もみられないことも、やがて彼が真の詩人でなかったゆえとすべき」などと言われる始末だ。

「近世和歌集」の真淵の歌は抜粋なのでこれ以上なんとも言えないのだが、宣長に比べて真淵の歌が優れているとするのは単なるアララギ史観に過ぎないと思う。

酒を詠んだ戯れ歌

飽き果てぬ 酒に心の 失せぬ間に 酒なき里に うつり住ままし
あさか山 かげさへ見ゆる 山の井の 浅くぞ酒は 飲むべかりける
ゑはばとて 秩父の山の いはが根の いはずもありなむ よしなし事は
雨降れば 湯気にくもれる 窓の戸の ゑひて心の などか晴れざる
春の日に 酒てふものの なかりせば 花は咲くとも のどけからまし
いづこにか 酒をのがれむ みよしのの 奥にも酒は ありてふものを
けふも酒 明日もさけさけ むらぎもの 心のぬしは 酒にこそあらめ

プーさんの鼻

俵万智「プーさんの鼻」をさらっと読む。そうかあ。かつての学生歌人が20年経って今はこんな歌を詠んでるのか。我が子を「みどりご」と呼ぶシングルマザー。贈り物が

いるけどいないパパから届く

このあやうさがやはり俵万智なんだよなあ。ある意味20年前となんら変わらず歌を詠み続けているんだなと思った。

記念写真撮らんとするにみどりごは足の親指飽かず舐めおり

うーん。「それぞれの未来があれば写真はとらず」からこうなったんだなあ。大きなお世話だがけっこう高齢出産だな。

ねぢけゆくわが心

木の花の 咲くがなどかは めづらしき よそぢとしふる 我が身なりせば
木の花の うつしゑうつす はかなさよ よろづの人も ならふてぶりに
ねぢけたる 老い人なれや わこうどの いはふ日なれど たのしくもなし
春の日に ねぢけゆくわが 心かな おくりむかふる 人の世ぞ憂き
いはふとて 飽かざらましや 千とせふる つるかめの身の 我ならなくに
いはふべき 春の良き日に しかすがに ふさがりとざす 我が心かな
ねぢをれて ひねまがりたる 老いけやき 憂き世に長く ふればなるべし
浮かれ女や 浮かれ男つどふ 春の野辺 たまゆらにこそ 浮かれやはせめ

黄砂襲来

もろこしの 砂も降り来る 春の日の 夜半は嵐を 聞きつつぞ寝る
雨風はきのふの夜こそはげしけれけふはしづけく春ぞ更けゆく
をちこちの花咲く野辺にうたげせむ日どりばかりぞまづ決まりゆく
惜しまずやあたら月日を春さればつとめもしげくなりゆくものを
いにしへの大宮人よわれもまたいとましあらばうたげせましを
わが宿ののきばに出でて草まくら旅寝ごこちの春を楽しむ
ぼんやりとけふも暮らしつかかる日のあはれこのまま続かましかば
なりはひのわざにつとめばなかなかにいとまなくとも歌は詠ままし
うららかに晴れたる春を惜しむべしけふぞ過ぎなばいとまなからむ
つのぐみて咲かむとみゆるこずゑかなをみなをのこら日を数へてぞ待つ
ことしげき日々ぞ待ちぬる春過ぎてあはれ浮き世の夢も醒めなば
おもひやれ四十ぢのをのこいかばかり国に貢ぎて世を支へてむ
あしびきのやまどりのをのしだりをのしだれ桜をけふこそは見め

ますらを

和歌語句検索がおもしろい。

「ますらを」で検索すると一番古いので金葉集。つまり万葉集はともかく古今集辺りでは「ますらを」は一切歌に詠まれなかったということだ。

雨降れば小田のますらをいとまあれや苗代水を空にまかせて

勝命法師という人の歌。新古今集。苗代に水を引く農夫が、雨がふったので、その手間がいらず、ひまなのだろうか、というのんきな歌。

ますらをは同じふもとをかへしつつ春の山田に老いにけるかな

俊成の歌なのでだいたい新古今時代。同じ山のふもとを耕しつつ農夫は春の山田に年老いていくのだなあ。これまたのんきな農夫の歌。新古今時代は「ますらを」とは「農夫」「山人」「狩人」などを意味していたようだ。

ますらをもほととぎすをや待ちつらむ鳴くひとこゑに早苗とるなり

藻壁門院但馬(知らん人)。農夫もほととぎすの声を待っていたのだろうか、一声鳴いてから早苗をとった。これまたのんきな話だわな。

ますらをの海人くりかへし春の日にわかめかるとや浦つたひする

「ますらをのあま」で漁師。まあ「あま」だけでも大差ない。

ますらをも月漏れとてや小山田の庵はまばらに囲ひおくらむ

誰の歌かよくわからん。農夫も月の光が漏れるようにと小山田の庵はすきまだらけに作るのだろうか。ふーむ。どうも、「ますらを」「しづのを」「やまがつ」「あま」などは同じような意味だったようだな。農業や狩猟、漁労などの第一次産業に携わる男たち。万葉時代とはかなり違う使われかたのようだ。


追記20260927

「ますらを」は万葉集の時代からある。

語源は「増す」「勝る」「益々」などと同じ。「ら」がついて、勝った有様を言うのだろう。他より秀で優れ勝った、立派な男、「丈夫」という意味。

ますらたけを(勝ら武男)、ますらがみ(勝ら神)と言う言い方もあった。

しかしながらおそらく「古今集」辺りで歌語から外れた。「丈夫」という概念が少なくとも宮中から失われたのだろう。しかし言葉自体は残っていて、源俊頼の時代になって、農夫が農作業するようすを叙景として詠むようになり、「ますらを」が歌語として復活した、というような経緯であっただろう。和歌語句検索にひっかかりにくいのもそのためだ。


追記20261005

ますらを。ますらを。同じようなことを重複して書いている。

反実仮想まとめ

「まし」「ましものを」「ましを」の使い方だがいろんなバリエーションがあることがわかったので、まとめてみる。

まず、一番確実でわかりやすいのは「AましかばBまし」または「AましかばBましものを」というパターンで、「もしAだとしたらBなのだが」となる。 Aは今の現実をあえて否定し無視した別の仮定。つまり反実仮想。 現実はAではないので、Bが導かれることもあり得ない。

あるいは、Aはほぼあり得ない、可能性がありそうもない、絶望的な希望。 つまり反実希望。 実際にはAはありえないので、Bが実現することもない。

もし宝くじにあたったら遊んでくらせるのに、 もし私が宇宙人なら人間をこらしめてやるのに、 もし私が男なら私は女を捨てないのに(笑)のようなもの。 実際はAは単なる仮定ではなく好悪の感情が込められることが多い。 ファンタジー系の実現不可能な願望とか。
逆に強烈な嫌悪からくる拒絶とか。

山里に 散りなましかば 桜花 匂ふ盛りも 知られざらまし

桜の花が山里に散ってしまったとしたら花の盛りも人に知られることはなかっただろうに。 たわいない例ではあるが、実際には花は山里ではなく人目につくところで咲きそして散ってしまったので人に知られてしまった、ということ。 もちろん桜の花にわが身をなぞらえた比喩であって、 失恋かなにかが人目について知られてしまった、というような意味だろう。

暁の なからましかば 白露の おきてわびしき 別れせましや

暁というものがなければ、別れなどしないのに。実際には暁があるので別れもある。 最後に「や」が付くので反語的に「別れなどしようか、いやしない」と訳すとよいかも。

「Aましかば」だけのパターンもあるが、これは「よからまし」「よからましものを」「あらましものを」「うれしからまし」などが省略されたと見て良い。

春くれば 散りにし花も 咲きにけり あはれ別れの かからましかば

春が来て去年散った花もまた咲いた。別れというものがこのようなものであったなら(よかったのに)。

「Aましかば」の部分が単なる疑問形となった「AばBまし」というものも多いが、「AましかばBまし」とほぼ同じ。 互いに代用がきくと考えてほぼ間違いない。

恋せずば 人は心も なからまし もののあはれも これよりぞ知る

冗長ではあるが「恋せざらましかば人は心もなからましものを」でも意味は同じわけだ。
もし恋をしなければ人には心もないだろう。 ふつうは恋の一つや二つはするので人には心がある、となる。

世の中に 絶えて桜の なかりせば 春の心は のどけからまし

世の中に桜がまったくなかったとしたら、春の心はのどかだろうに。 世の中には桜があるから春の心はのどかではない、という意味。

待てと言ふに 散らでしとまる ものならば 何を桜に 思ひまさまし

待てと言えば散らずにとまるものであれば、桜の花に対する思いがこれほどまさることもないのに。 実際には散るなと言っても散るので思いがまさる、という意味。

うれしくば 忘るることも ありなまし つらきぞ長き かたみなりける

うれしい思いは忘れることもあるだろうが、辛い思いは長く忘れないものだ。

夢ならば また見るよひも ありなまし 何なかなかの うつつなるらむ

夢ならばまた見る宵もあろうが、どうして現実ではとうてい会うのがむずかしいのだろう。 「何」があるので疑問として訳してみた。 小野小町のなかなかおもしろい歌。 上の二例は、自分の当面の関心事とは正反対の場合を仮定しているので、反実仮想という範疇に入るのだろう。 別にふつうに「ありなむ」でも意味は通じるわな。 あるいは「ありやせむ」とか。

「Bまし」「Bましものを」だけのパターン。

ひとりのみ ながむるよりは をみなへし 我が住む宿に うゑてみましを

「ひとりのみながむるよりは」が架空の前提になっている。 女郎花を独りでながめるよりも、自分の家に上でみなで見ればよいのだが。 植えてないので実際には見れないのだが、しかし不可能な絶望ではない。 むしろじゃあ植えればいいだろと思う。 どうしても植えられない理由でもあるかのようだ。庭がないとか、家が狭いとか、借家なので大家さんに怒られるとか(笑)。

疑問の助詞が混じると不可能性が減り、不確実さが増す。 単なる希望や、のぞみのありそうな希望に近づくようだ。

秋の野に 道もまどひぬ 松虫の こゑするかたに 宿やからまし

秋の野で道に迷ったので、松虫の声のする方に宿を借りたいのだが。 宿はあるかもしれないしないかもしれない。

いづくにて 風をも世をも 恨みまし 吉野のおくも 花は散るなり

これも「いづくにて」が付くことによって、不可能ではなく不確定、疑問になっている。 吉野の奥でさえ花は散るのに、いったいどこで風や憂き世を恨めばよいのだろうか。 「いづくにて風をも世をも恨みばや」でも良さそうなものだが、 この定家の歌は、定家というのは仏教的諦念というか無常観というかそういうものが、 西行と同じくらいに強い傾向があるのだが、結局生きてこの世にいる限りどこへ行こうと世を捨てて世を恨むなどということはできない、 というのが結論なわけであり、 不可能の形をとった疑問のような結局は不可能、ということを表したいのだろう。 だから「ばや」ではなしに「まし」が使われている、と考えると納得がいく。

「AともBまし」。 「とも」と組み合わさると「ば」「ましかば」のような単純な反実ではなくて、 逆説的な強い願望と解釈した方が良い用例が少なくない。 つまり、「たとえAだとしてもせめてBであってほしいのだが」と訳すとぴったりくるパターン。 Aは受け入れねばならないつらい現実、或いは譲歩可能な条件。 Bはぎりぎり叶って欲しい願望。 もともとの「まし」の意味合いを考えれば強い意志というよりは、 実現が怪しく疑わしいが切実に望む感じではあるまいか。

梅が香を 袖に移して とどめては 春は過ぐとも かたみならまし

たとえ春は過ぎても形見になって欲しいのだが。

片糸の 思ひ乱るる 頃なれや ことづてすとも あはましものを

六条修理大夫。たとえ伝言を頼んででも逢いたいのだが。

急ぐとも ここにや今日も 暮らさまし 見て過ぎがたき 花の下かげ

たとえ急ぐとしてもここに今日も暮らしたいのだが。 上、三例、いずれもどのくらい不可能性が高いのか、定かでない。 急ぐというのがとても緊急であれば限りなく不可能に近い、とも言えるし、 ことづてするのが事実上不可能なのかもしれない。 いずれにしても不可能性が限りなく強い事案に対してその逆を強く願望する、と理解すべきだと思う。

春浅き 飛ぶ火の野守り 点けずとも 雪間の若菜 まづやつままし

春が浅く、たとえ野守が飛ぶ火に火をつけなくとも、雪間の若菜をさっそくつんでみたいのだが。

散りぬとも 面影をだに 山桜 忘れぬほどや 花になれまし

たとえ散ってしまったとしても、山桜のおもかげを忘れないほどに花に馴れておきたいのだが。

用例探しはこれくらいで十分だろうか。結論として

身はたとひ 武蔵の野辺に 朽ちぬとも 留置まし 大和魂

は「たとえ身は武蔵の野辺に朽ちたとしてもせめて大和魂だけは留めおきたいのだが」と訳すのが正解、ということになろうか。「身が武蔵野の野辺に朽ちてしまう」というのがまだ実現してないが、近い将来確実に来ることの仮定。たとえそうだとしても、とどめ置きたいものだ、ということになろう。「必ずとどめ置くぞ」というような固い決意ではあり得ないだろう。そういう用例は、探せばあるのかもしれないが、一般的ではない。吉田松陰のような人がそんなトリッキーな和歌を詠むとは思えない。もっと複雑で、「CばAともBまし」という形もあって、「とも」が薄まり、上の逆説願望よりも反実的要素が強く、「もしCならばたとえAだとしてもBだっただろうに」となる。このパターンは割と多い。和泉式部とか。

待つ人の なきよなりせば 聞かずとも あめふるめりと 言はましものを

待つ人が居ないならば、たとえ聞かれなくても、雨が降るようだと言っただろうに。 実際には待つ人がいるので聞かれてから言った、ということか。 待つ人のあてがないので振るとは言いたくなかったということだろうか。よくわからん。

霞だに 立ち遅れせば 新しき 春の来るとも 知らずぞあらまし

もし霞が立つのでさえ遅れたならばたとえ新しい春が来たとしても知らないでいるだろうに。 実際には霞がたったので春が来たことを知った、となる。

わかるべき わかれなりせば 思ふとも 涙の道に むせばましやは

「やは」が付いているので反語的に訳し、 もし当然別れるべき別れだとしたらたとえ思いつづけていたとしても涙にむせんだでしょうか。 ややこしいな。別れるべくして別れるのであればこんなに泣くことはなかっただろうという意味だろうな。

ときはなる 峯の松原 春くとも 霞たたずば いかで知らまし

これも「いかで」が付くので反語的に訳し、 峯の松原は常緑なので、たとえ春が来たとしても、霞が立たなければ、春が来たことをどうやって知るだろうか。 いやはやややこしい。

補足。
「まし」は助動詞「む」から来ているのはまあ間違いなく、 「む」は単なる推測のようなものから強い願望まで意味する。したがって「まし」が「のどけからまし」のように単なる推測として訳せば良いこともあるが、「やどやからまし」のように願望として訳すべきときもある、ということだろう。 だから「AともBまし」は願望として訳して正解なのだ。

さらに補足。
「ば・・・まし」や「とも・・・まし」などの用例は古語辞典にも載ってない。 少し困った。

さらに補足。
「もしCならば、たとえAだとしても、Bしただろうか、いやしない」などという複雑な文法構造の歌を31文字で詠めるというのは驚異。 高度な修辞技法と重層的なオマージュによって屈折した心理を短い詩形に読み込むのが和歌。 しかし俳句にはそれは無理だ。 俳句は文法をあらかた捨てた。 正岡子規の

敦盛の 鎧に似たる 桜哉

を例に挙げるまでもないが(余談だが、しだれ桜が全体に釣り鐘のように垂れていて、鎧直垂のように見えるという意味かと思ったのだが、須磨で詠んだ句らしく「敦盛の鎧に似たり山桜」「敦盛の鎧に似たる山桜」の形もあり、では山桜を詠んだかとも思うが、題が「糸桜」つまり「しだれ桜」だからややこしい)、 いくつかの名詞、あとは形容詞か動詞が一つかせいぜい二つ。あとは助詞。 俳句には圧倒的に助動詞が少ない。 助動詞の役割の重さというのが和歌と俳句の違い。 助動詞が生きるには17文字3句では足りず31文字5句が要る。

今の短歌というのは俳句をのばしたようなもの、冗長な俳句のようなもので、 17文字で足りないから31文字にしたようなものが多い。 一度、和歌から俳句になるときに捨てたものをもう一度学び身につけるのはおそらく不可能。 俳句のような「単純明快な文形」をただ文字数を増やしただけでは「高度な修辞技法と重層的なオマージュ」には出来ない。 ただ文字数を増やすだけだとリフレインくらいにしかならない。「塔の上なるひとひらの雲」とか「針やはらかく春雨のふる」とかがそう。 あるいは上の句と下の句が別々の俳句になっているがごとき。

さらに追記。
「まし」はもともと事実と反することを述べるが、 「や」「か」「やは」「かは」「いかに」などの疑問や反語の助詞などが付くと意味がそちらにひっぱられて、 もともとは「あるとよいのに」という諦めにもにた境地だったのが、 「ありえるかもしれないよね」「ないといえるだろうか、いやある」のような意味になる。 「とも」がつくと「あるとよいのに」が「ありたいのだが」まで変わってくる。 このように組み合わせによってはかなり本来の意味から離れた使い方をする、 ということが用例を調べることでわかってくる。 おそらく「あるとよいのに」「ありたいのだが」くらいまでが安全圏で、 「きっとあるぞ」とか「かならずある」「ゆめうたがうことなかれ」などと訳すとやり過ぎなのに違いない。