中島敦@南洋庁パラオ支庁

割合ひまだったので中島敦をまとまった分量読むことができた。

彼は南洋庁パラオ支庁に居た。第一次大戦でドイツから取った領土だ。そこへ行ったのは、喘息の療養を兼ねてのことだったようだ。小説の評判が良いので帰国したら、横浜で早速風邪をこじらせた。スティブンソンはロンドンで死にかけて、南洋に引き返して命をながらえたが、中島敦はそのまま日本で死んでしまった。日本に帰らなくとも、すぐに戦争が始まって大変な思いをしたことだろう。ただ中島は、

いや、そうではない。お前が南方に期待していたものは、こんな無為と倦怠ではなかったはずだ。それは、新しい未知の環境の中に己を投げ出して、己の中にあってまだ己の知らないでいる力を存分に試みることだったのではないか。さらにまた、近く来るべき戦争に当然戦場として選ばれるだろうことを予想しての冒険だったのではないか。

という恐るべき覚悟を記している。

山月記、名人伝などはもちろん高校生の頃読んでいたのだが、その異常な世界は、中島敦が熱烈な西遊記ファンであるところからきているようだ。彼が生きていた時代が精神主義全盛期だったことも関係あるかもしれんが。文字禍、悟浄出世、悟浄歎異、など、寓意の体裁であるがあからさまに彼自身が投影されていて、私小説よりもむしろ直接的だと思えた。

サダト

僕は今までサダト大統領というのは良く知らなかったのだが,今回映画を見てよーく,わかった.アラブとイスラエルの戦争の歴史もついでにかなり把握できた.僕が今まで知ってたことといえば,六日間戦争くらい.イスラエルのいわゆる電撃戦で,アラブ連合軍に対して圧倒的な勝利を収めたということ,イスラエルは少数だが強く,アラブは多数だが弱い,という見方が定着した戦争のことだ.

ついでだから中東戦争のおさらい.第一次の発端は,1948 年のイスラエル共和国宣言.24時間以内に,エジプト,シリア,ヨルダン,レバノン,イラクの,アラブ連盟諸国がパレスティナに進軍.1949 年に停戦協定成立.このとき,Judea と Samaria (ヨルダン川西岸)がヨルダンの支配下になり,Gaza (地中海沿岸エジプト寄り)がエジプトの支配下に入り,エルサレムは分割され,旧市街を含む東半分がヨルダンの支配下に入った.

第二次は,いわゆる 1952 年のスエズ動乱で,エジプトのナセル大統領がスエズ運河を国有化したことに始まる.ナセル大統領は,ユダヤ人にスエズ運河を使わせないつもりだったので,イスラエルがシナイ半島に進軍,続いてイギリスとフランスが介入.アメリカの仲介で停戦.

第三次は,1967 年のいわゆる六日間戦争.

第四次は,1973 年で,これはエジプトの失地回復のための報復戦のようなもので,サダト大統領が総司令官だった.贖罪の日を選んだ奇襲攻撃,大敗はしなかったものの,アラブ側が相変わらず劣勢だった.サダト大統領はこれ以後単独でイスラエルと和平交渉を始め,1978 年のキャンプ・デービット合意を経て,イスラエルと平和条約締結.シナイ半島がエジプトに返還された.イスラエルのベギン首相と一緒にノーベル平和賞をもらったりしている.しかし,単独講和を認めないアラブ過激派によって,サダト大統領は 1981 年に暗殺される.

僕が見た映画は 1983 年にアメリカで作られている.シナイ半島がエジプトに返還された直後に制作されたということで,歴史映画というよりドキュメンタリーのような性格のもの.アメリカ映画とは思えない(笑),スピルバーグとキャメロンに毒されたハリウッド映画とはまったく違う,とてもきっちりときまじめに作られた,感動的な映画だ(スピルバーグも歴史物は作るけどね…).

誰がなんのために作ったのか気になるが,アメリカにはユダヤ人勢力強いからユダヤ人の援助もあったかもしれないし,キャンプ・デービット合意はカーター大統領が唯一成功した政治劇だったから,カーターや民主党も手を貸してくれたかもしれないし,そもそもノーベル平和賞をもらったくらいだから,どこかの慈善家がお金を出したのかもしれないね.でも「聖戦」のことを crusade と言ってたのは変だったなあ.アラブ人が crusade って言うわけないじゃん.アラブ人が赤十字なんて言わないのと同じ理屈だよ.やっぱアメリカの砂漠でロケして,アメリカ人を役者に使って,アメリカ人の脚本家が書いたシナリオで作った映画なんだろな.妙に親米的だったり,共産党やソビエトを嫌ってたり,サダトがアメリカのマスコミをほめるシーンがあったり,やっぱどこかアメリカ的な脚色が入ってるんだよね.あと,アラブ語はほとんど出てこない(インシャラーくらい)のに,ヘブライ語の会話はたくさん出てきた.これも,ユダヤ人が映画制作に深く関わってることを意味してるような.そもそも,サダトという題材を選ぶこと自体,ユダヤ寄りなんだよね.サダトの妻はイギリス人だったりして,ものの考え方があまりアラブ的じゃない.
それにアメリカ人やユダヤ人が,サダムやカダフィやアラファトやホメイニを主人公に,
わざわざ映画作ったりはしないだろう.

タルコフスキー

タルコフスキーという映画監督がおもしろいというので,いくつか借りてみた.「惑星ソラリス」はずいぶん前に見たので今回は借りなかった.話せば長いことながら,富田勲の「宇宙幻想」というアルバムを中学一年生の頃聞いた.その最後に富田勲が編曲した「惑星ソラリス」があった.で,スタニスラフ・レムの原作「ソラリスの陽の下に」(のハヤカワの和訳)を読んだり,ビデオを借りて見たりした.原作の方を先に読んだから,というのは,僕が高校生の頃までビデオレンタルというのはほとんどなかったからだが,映画がそれほど優れたものだとは思わなかった.だけど,その映画の監督だと言えば多少は期待がもてるというもの.

さて,「僕たちの村は戦場だった」と言うのをまず見たのだが,これはずいぶんダークな映画だ.12才の少年斥候兵が戦後ドイツ軍に絞首刑になったことがわかるというオチ,少年とその妹が無邪気にみずべで遊ぶラストシーン.みなきゃよかったと思った.それから,「アンドレイ・ルブリョフ」という二本組の長編だが,これは途中であまりにも退屈なのでみるのをやめた.

ポーランドの森を思い出した.僕は1994年くらいにポーランドに国際会議で出かけたのだが,会場が森の真ん中の少年自然の家みたいなところだった.お金がかからないようにと気をきかせてくれたのだが,僕たち日本人ならワルシャワの一番高いホテルに泊まってもぜんぜん平気だっただろう.その方が観光もできてよかったのに,森の中じゃ退屈きわまりなかった.ポーランドの子供たちが屋内プールで泳いでいるところを眺めてもおもしろくない.楽しみは夜パブでビールを飲むくらいだった.毎日,食べたこともないようないろんな種類の雑穀を食べさせられた.森と言っても日本の雑木林のようなウラジロやヨモギやそういった下草がほとんどなくて,白樺みたいな木の幹がすっとのびていて,どこまでもどこまでも歩いていける恐ろしい空間だ.迷い込んだら出られなくなるだろうな.

 防衛庁第4研究所見学

淵野辺に行って, フライトシミュレータを戦車のシミュレータに改造したやつに乗ったり, 9眼のベースラインステレオ(ほぼ実時間で奥行きマップを計測する)やつをみたりした. なんかの写真で見たフライトシミュレータに初めて乗れたのがうれしかった. 戦車で山の上に駆け上り,急な斜面を降りようとしたら, 一瞬宙に浮いて地面に叩き付けられたのが楽しかった(笑). 富士の裾野を模してあるのだが, 富士山がなかなか絶景だったね.

防衛庁の技官の世界というのも初めて見聞した. 要するに,想像通りの世界だね. 地雷にさわったりもした. 火薬は入ってないとわかってても,万一入ってたら!と思うと怖いもんがある. 地雷を100%検出する方法というのはないそうで, 確実に除去するには, 戦車の先にローラをつけて,鎖をたくさんぶらさげて, 地面をばしばしたたきながら爆発させるしかないそうである. ところが,対戦車用の地雷は, 爆発すると半径8mくらいのクレータができてしまうくらい強力なもんだそうで, 爆発するたびにローラを交換しなくちゃならないそうだ.

なんでも,探知機というのは,地雷と周りの土の誘電率の境界面を検出するんだそうだが, 土の具合や湿り具合などで,境界面がまったく検出できないこともあるんだそうだ. 地面がでこぼこしてたり,草が生えてても深刻な影響を受けるという. 対戦車地雷は人が踏んだくらいじゃ爆発しないが, その周りに対人地雷が埋めてあったり, 取り除こうとすると爆発するような仕掛けがしてあったりするという. で,地雷除去の研究をしてる技官も,実際に地雷除去の作業をしたことはないそうで. まー,なんとも危なっかしい話だね.

自動走行車なども見た. 防衛庁の研究所というのは,けっこうすごいことやってるのだが, メディアへの露出はきわめて消極的だ. もっと情報公開すればいいのにね. その点民間企業は,見せるとこと見せないとこをうまくやってるのかなあ.

切腹の起源 2

いろいろ調べ始めたがさっぱりわからん.とりあえず岩波新書「武家の歴史」を借りた.わかったことといえば,平安時代の武家の源氏とか平氏とか藤原氏とか言うのは,かなりいい加減だということだ.あと岩波文庫の日本外史も借りる.頼山陽は,最初に切腹した人が誰か知っていただろうか.そういえば,靖国神社で「日本外史を読む」とか言う講座をやってたような気がする.

ちょっと検索してたら徳川慶喜所有の日本外史の版木で作った火鉢と言うのが出て来た.うーむ.たとえば ここ には「尊皇攘夷運動のバイブル「日本外史」」とか書いてあって,まさにそうなのだが,倒幕された側の慶喜がその版木で火鉢を作って使っていたとは.どういう心境だったんだろうなあ.慶喜が駿府に移って住んだ寺にあったものだというから,ほんとに使ってたんだろうな.昭和 15 年に失火したときに,住職が庭に放り投げて守ったとか書いてある.

ところで上の二つの頁はどちらも ntt.co.jp なのだが,NTT って郷土の歴史に力いれてるのかなあ.

切腹の起源

切腹は日本固有の風習だと言われている. 日本人以外に切腹という自殺方法を発明した民族はいないのである. 十八史略などを読むと, 武人はたいてい喉に刃物を当てて, 前に倒れて自分の重みで自決している. これは西武劇で拳銃で自殺するのと意味的には大した違いはない. 作法として形は決まっているが,極めて合理的な死に方である.

で,誰が切腹を発明したか. 誰が最初に切腹して死んだのだろうか. という疑問が沸いて来た. おそらく戦国時代に何かのきっかけで急に普及したんじゃないかと想像したが, goo で調べても大したことはわからない. 図書館に行って調べてみると, なんと平安時代からあり, 源平合戦のころには既に一般化した, とものの本に書いてある. 1000 年の長きに渡って日本人は切腹して来たのである. 明治政府によって非合法化されたが….

平安時代から,ということは, 日本に源氏,平氏という武家が登場したと同時に切腹も生まれたということだろう. じゃあ最初に切腹した人は? 源氏か平氏か. その原初的形態はどのようなものであったのか. どのような経緯で普及したのか. いつから介錯人が付くようになったのか. まだ何もわからない. もしかすると,もっともっと大昔からあったのだが, 武家が正式の自殺方法として採用しただけなのかもしれん. もともとは宗教的な意味があったかもしれんなあ. 江戸時代の作法については詳しく書いたものがあるようだが, 起源がわからん.

ところで最後に切腹した人は三島由紀夫(の介錯人?)だろうか.

カオス

昨日は友人が遊びにきた.聞き取りにくい携帯電話で話をして,僕が「松陰神社前で待つ」と言うと,「改札はどこにあるのか」と聞くので,「世田谷線の駅に改札なんかない.ホームしかない」と言うと,なんか納得できないふうだった.世田谷線には終点の三茶と下高井戸にしか,改札はない.彼は世田谷線のことを時代錯誤だとかアナクロだとか言った.それはひどい.せめてレトロとかアンティークとか言ってやれば良いのに.世田谷線の電車の内装は,壁も床も板張りだ(樹脂のもいくらかはある).

吉田松陰の墓にお参りした.もう日が暮れて神社の門が締まってたので,こそこそと入りこんだ.安政の大獄で,みな三十代で(つまり僕くらいの年で)獄死したのだった.吉田松陰はちょうど三十才で死んだ.思い残したことややり残したはあったのかなかったのか.僕なんていまじゃ Linux くらいしか生きる楽しみがない(Linux だって別にしいて生きていたいほど好きなわけではない).などとふと思った(単に落ち込んでるだけかも…).つい一週間ほど前に携帯電話を買った,とても便利だ,などというので,つき合っている人でも出来たのかというと,そうだと白状した.ふむ.それじゃ簡単に死ぬわけにもいかないね.

僕が死んだら親が悲しむだろう.僕はつくづく退屈な人間なので,彼女が出来ても話すことがない,遊びにいくところがない,それで納得してくれるならつきあっても良いのだが,それだといっしょにいる甲斐がないから,何もしない方がましかもしれぬ.困ったものだ.そもそも僕は電話をしても長電話はしない.たまにすることがあっても特殊なケースで,それを毎日繰り返すなどというのは,あり得ない.これからそういう性格になることもないと思う.昔からそうかというとそうでもなくて,中学生のころまではよく話す方だったのだが.

僕のカオスのとらえ方はちと違っていたようだ.カオスというのは,力学系の話なので,
初期値によって挙動が全く違ってしまうようなのをカオスと言うのだと言う.それはまあそうなのだが.カオスというのは無秩序に近いものであり,無秩序と秩序の間にあるのは複雑系というのだそうだ.ふーん.

ムッソリーニ

「ムッソリーニ」という映画を借りる.
イタリア映画的美しさがある.
しゃべってるのは例によって英語だが.
これ見てると,ムッソリーニって,それほど邪悪な政治家ではない.
と思えてくる.
イタリアという,類まれに自由奔放な国で.
個人主義的な国で.
怠惰で.退廃的で.
政治的にはぐちゃぐちゃで.
そんな国で 1922 年に 39 才で首相になった,ムッソリーニというおっさん.
これだけでも他の独裁者,たとえば,スターリン,
ヒットラーなどとは性格的に違うものになって当然だと思える.

汽車を時間どおりに走らせようとしたり,
密造酒を取り締まったり,
昼寝をやめさせようとしたり.
すっかり堕落した古代ローマ人の末裔を勤勉な民族に変えようと思えば,
多少手荒な手段は必要だっただろう.
でもラテン人をピューリタンのような勤勉な民族に作り変え,
イタリアを第 2 のローマ帝国にしたてあげる,というのは,
もともと無理があったような気はする.

ドイツという,がんらい謹厳実直な気風の国に,
ファシズムが台頭し,
ヒットラーという精神的にいびつな人間が指導者となったのは,
イタリアにとって不幸なことだっただろう.
ヒットラーはムッソリーニにすりよってきた.
ヒットラー政権.ムッソリーニに遅れること 11 年.
ヒットラーはムッソリーニを尊敬していたが,
ムッソリーニはヒットラーを気にいらなかったようだ.
結果的にイタリアはドイツと同盟し,
日本も調子にのって同盟してしまった.
うーむ.なんという不幸だろうか.

豪姫

豪姫という映画を借りて見た.原作は富士正晴という人だ.富士正晴なんて誰も知らないと思うが,伊東静雄関連で知っていた.で,先にその文庫本を買って読んだのだが,カバーに宮沢りえ主演で映画化されたということが書いてあったので,それでその映画の存在をしったのであった.

思ってたよりはずっと良くできた映画だった.すじがきはかなり原作に忠実で,ごく地味なもので,なんでこんなもんを映画化したのかと思うくらいで,まあ宮沢りえの絶頂期だからこそできた冒険のようなもんかもしれん.でも私はこの映画は好みだなあ.地味な中に戦国の美しさが現れている.

仲代達也が古田織部の役なんだが,なんとも恰好良い.「大地の子」や「秀吉」の仲代達也も良かったが,この「豪姫」の仲代達也も,実にかっこいい.