雍正帝

宮崎市定の「雍正帝」という本を読むと、

康煕帝はどこまで漢文化に対する理解があったかは別として、しきりに文化事業を起こして大きな書物を編纂させた。その十中八九は徐乾学が編纂の総裁官であったというが、そのたびごとに弟子を編纂官に任用し、事業が終わると部下は恩賞を受けて大官に抜擢され、或いは試験官となって地方に赴く。芋蔓式に目に見えない広範な組織が出来上がるわけである。

とある。康煕時代の文化事業といえばまず康煕字典だが、そもそもなんのために康煕字典というものが作られたかということなど考えたこともなかった。康煕帝は文武両道に秀でた名君だとみんなが漠然と考えるところだが(陳舜臣もそう考えたらしい)、満州から移り住んで間もない康煕帝が自分の意志で漢和辞典なぞ作ったはずはなかった。学者連中が自分の学閥を肥え太らせるために、喧嘩は強いが無教養な天子様からお金をせびったのである。

モンゴル

宮崎市定によれば、宋の時代というのは、コークスと製鉄の技術革新に基づく産業革命が起きていて(日本の刀鍛冶などは家内制手工業で、優れてはいるが大量生産には向かない。これに対して宋では基本的に今日の近代工業と同じであり、陶磁器や農具、武器の大量生産が可能であった。マルコポーロも、中国人が薪ではなくて石炭を使うのを驚いている)、それが元による世界征服を惹き起こしたというのだ。これは西洋では 17~20 世紀の帝国主義に相当する。また、中東では 7~10 世紀の、アッバース朝ハールーンアルラシッドを絶頂期とする、イスラムによる文芸復興に相当するという。

モンゴル帝国というのは西洋ではたいへん残虐な、破壊的な征服だったように言われている。またはタタールの軛、などと。でもそれは、冷静に考えれば、西洋によるアジアアフリカアメリカの植民地化と大して違わない。モンゴル族が剽悍でかつ組織力に優れ、たまたまあの時代にそれを束ねる偉大な英雄が生まれたから、なのではなく、単に、東洋の技術革新が他を圧した結果だったのだ。

中東やイスラムに関心が薄い日本人の場合、モンゴルの支配というのは、極めて短期間に終わったと思っているが、ムガール帝国やその他の群小のハーン国はともかくとして、イルハン国、キプチャクハン国、ティムール帝国などは1500 年くらいまで続いた。これを宋からの一連の流れとしてとらえれば、およそ 500 年の長きにわたったことになる。

アドニヤ

たとえばダビデの第四子の名はアドニヤというが(サムエル記 3:4、列王記上 1:5, 2:13、歴代誌上 3:2)、これがアドンに由来するのは間違いあるまい。他にもアドニラム、アドニカム、アドニ・ツェデク、アドニ・ベゼクなどの名前もある。ただしアドニ・ツェデク、アドニ・ベゼクは、ヨシュアが滅ぼした王の名であって、ベゼクの主、ツェデクの主、と言う意味にも取れるのだが。

YHWH

いろいろ読んでみると、 YHWH をヤーウェとかエホバと読んでいるのはキリスト教徒だけであり、ユダヤ人は、いつからかは知らないがそうとう昔から今日に至るまで、アドナイと読んでいるのだそうだ。

昔は、YHWH にはちゃんとした発音があったのだが、神の名をみだりに称えてはならないために、アドナイという新しい呼び名が考え出され、本当の名前はいつのまにか忘れられた、のだそうである。

本当にそうなのだろうか!? むしろ、YHWH という神聖四文字の方が新しく、アドナイという呼び方の方が古いのではないか、と思えるのだが。

アドナイと同じくらい古いのはエル(神)、シャダイ(全能者)などか。

アトン

どうもいろんなものを読んでみて思うに,イスラエル 12 部族のうち,ヨセフの一族(エフライム族)というのは,もともとエジプト人だったか,エジプトに寄留し,半ば隷属した遊牧民(ヘブル人)だったか,あるいはエジプト人とヘブル人の混じり合ったものだったのだろう.あるいはエジプト人の中で零落した階級がヘブル人だったかもしれない.ヨセフの一族はイクナートン派で,一神教の継承者だった.それでエジプトを脱出し,当時のエジプトの辺境であるイスラエルに来た.もともとイスラエルに住んでいた人たちは多神教,というかそれほど明確な宗教を持ってなかった.そこで,エジプトから脱出してきたヨセフの一族の宗教を中心にして,共同体を作った.部族ごとにばらばらに伝承があったが,それをうまく混ぜ合わせたのがユダヤの神話だということになる.そうすると,まるで,一神教というものがイスラエルという遊牧民族に自然発生したようにみえる.しかし,遊牧民族の中で一神教が生まれるというのは理解しがたい.もし遊牧民族に一神教が生まれる性質があるというなら,世界中に生まれていただろう.「専制君主が人民に契約を命じる」という形を取っているのだから,エジプトや,あるいはバビロニア,ヒッタイト,アッシリアなどのような,当時のオリエントの大国の影響を受けたと考えるのが自然だろう.

「主 == アドナイ or アドーナイ == アトン」という珍説はなかなか面白い.フロイトが初めてそれを言ったというのも面白い.出エジプト記や申命記の中の「主」を「アトン」で置き換えると,すらすらと意味が通るところがいくらもある.例えば出エジプト記 6:2~

神はモーセに仰せになった.私はアトンである.私は,アブラハム,イサク,ヤコブに全能の神として現れたが,アトンという私の名前を知らせなかった.私はまた,彼らと契約を立て,彼らが寄留していた寄留地であるカナンの土地を与えると約束した.私はまた,エジプト人の奴隷となっているイスラエルの人々のうめき声を聞き,私の契約を思い起こした.それゆえ,イスラエルの人々に言いなさい.私はアトンである.私はエジプトの重労働の下からあなたたちを導き出し,奴隷の身分から救い出す.腕を伸ばし,大いなる審判によってあなたたちを救う.そして,私はあなたたちを私の民とし,私はあなたたちの神となる.あなたたちはこうして,私があなたたちの神,アトンであり,あなたたちをエジプトの重労働の下から導き出すことを知る.わたしは,アブラハム,イサク,ヤコブに与えると手を上げて誓った土地にあなたたちを導き入れ,その地をあなたたちの所有として与える.私はアトンである.

ヨセフが仕えたエジプトの王がイクナートンだったとする.イクナートンは,エジプトの伝統的な上流階級の人々ではなくて,ヨセフのような寄留者たちを自らの改革に抜擢したかもしれない.その見返りとして,当時エジプトの領土の一部であって,ヨセフたちがかつて寄留していた,辺境の地カナーンをやる,という約束をしたかもしれない.これはごくありそうな話である.イクナートンという人は地方で反乱が起きても鎮圧したりせず,放っておいたくらいだから,イスラエルを自分の言うことを聞いてくれた現地人にくれてやる,ということくらいは言ったとしてもおかしくない.というかこれは封建制度そのものだ.

ところがイクナートンの改革は失敗し,ヨセフらは奴隷の身分に落とされた.ヨセフの子孫はイクナートンとの間の「契約を思い起こし」,エジプトで奴隷となっているよりはと,イスラエルを目指して脱出したのではないか.つまりイクナートンの宗教改革は確かに一神教というものを創始したのだが,それを「神との契約」という形に完成させたのはやはりイスラエル人なのだ.

ヨセフらの神には名前はなかったのだが,このとき初めて「アトン」という名前が明らかにされた.「主」が一般名詞であれば,「私はあなたたちの神,主である」などというくどい言い方をするだろうか.「主」は本来固有名詞,つまり「アトン」だった可能性は高い.

一神教の起源

今日、ステーキのドンで山川出版の世界史小事典をながめていて、ふとヒラメいたのだが、それはユダヤ教の起源ということだ。山本七平は、ユダヤの一神教は、オリエントの専制君主制が宗教化したものだ、と言っている。また、ユダヤ教はオリエントの多神教の中では唯一例外だ、とも言っている。しかし最も古い一神教というのはエジプトのアトン信仰である。エジプト新王国、第 18 王朝のアメンホテプ 4 世、またの名をイクナートンと言うが、彼の宗教改革によって、世界史の中に忽然と現れたのが、最古の一神教だ。イクナートンの宗教改革は失敗し、彼は BC 1354 年に死ぬ。そのあと第 18 王朝は滅びて、古くからのアメン神を中心とする多神教が復興し、アメン祭司長が王に即位し、第 19 王朝が始まる。この王朝の基礎が固まったのは、BC 1290 年に即位したラメス(ラメセス) 2 世からである。

さて、出エジプトという事件が起きたのがまさに、このラメス 2 世の治世のことだと言われている。
モーセという指導者が(たまたまエジプトに寄宿し)、奴隷階級で圧政に苦しめられていたイスラエル人を率いて、エジプトを脱出し、カナーンへと旅立つのである。

さて我々はここに注目しなくてはならない。一神教というのはいったん成立してしまうと、なかなかしぶとくしつこいものだ。ユダヤ教、キリスト教、イスラム教、皆同じ。ところが、エジプト史では、ただ一代限りのこととして、雲のように消えてしまったことになっている。しかし、ほんとうは、BC 1354 年にイクナートンが死んでも、しばらく彼ら一神教徒は存在していただろう。その中には王族もいれば庶民もいただろう.彼らはおそらくは、政治闘争に敗れたのだから、被支配階級として!つまりは最下層民として、奴隷階級として,存在しており,抵抗運動も行なっていたに違いない.これがイスラエル人なのだ!

BC 1290 年にラメス 2 世が即位し、エジプトの新しい王朝がうまく行き出して、もはや挽回の機会はないと観念したイスラエル人たち、彼ら一神教の信者たち、或いは旧王朝の遺民たちは,自らの信仰と自由を守るために、エジプトを脱出したのだ。ピューリタンが新天地を求めてアメリカに渡るようなものだ。いわゆるカナーン、いまのパレスチナは、もともとエジプトの領土だったこともあるのだから、
国外逃亡というよりは、地方に反中央政権を作ろう、というくらいのつもりだったかも。

モーセの出エジプトは、イスラエル人がまだエジプト人だったころの遠い記憶をとどめているのだよ。

あまりにうまくすっきりと説明できるので私は驚いたね。このような説がいままで世の中に出てないとは信じられないのだが、誰かどこかで聞いたことはありますか。

あっ,ここにも同じことが書いてある.柄谷行人の本で、フロイトが「モーゼはエジプト人だった」と言ったという話.

補注.第 18 王朝は,イクナートンの次のツタンカーメンで BC 1345 年に終わる.名前でわかるように,彼はアメン信仰に改宗させられている.思うに,イスラエル人が生粋のエジプト人だったか,或いはどちらかというと辺境からきた寄留者だったかというのは微妙だ.旧王朝の王族だった連中はもともとのエジプト人だっただろう.しかし,新しい信仰に共感したのは,昔からのエジプト人というよりは,古い伝統には関心が薄い寄留民たちだったかもしれない.だからアトン信仰は主にエジプトに集まってきた外来の遊牧民たちに広まったのかもしれない.どちらにしろ,明確にどっちということはできないように思う.うーむ.しかし,イクナートンが遊牧民の影響を受けた,とも言えなくはない.

おおっ. これは詳しい.

西太后

西太后の辞世の言葉,「以後,再び女性に国政を担当させてはならない.それは本朝の家法に背くことで,厳に慎むべきである.」げしょっ.

西太后死後しばらくの間の,つまり同時代の中国人の彼女に対する評価は,現在の毛沢東に対する評価に良く似ている.現在の中国人は西太后を非常に憎んでいるように思う.が,毛沢東は必ずしも憎んでいるわけではない.西太后が頤和園で放蕩せずその金を北洋艦隊の強化に使っていれば,中国は日本に負けたりしなかったのだが,という話を以前私は北京郊外の頤和園で聞いた.

中台危機ダイジェスト

新聞が溜ってきたので,捨てる前に「中台危機ダイジェスト」でも書いておこうと思っていろいろ読んで見たら,ものすごい量なので,ちょっといやんになってきた.でも時間あるだし.やってみるか.

※追記: 1996年に起きた第三次台湾海峡危機のこと。

華声和語ものぞいて見たが,あんだけ大騒ぎになったわりにはあまり記事がない.かなり遠慮していると見た.

2月1日 台湾株価急落

国民党系企業,中央銀行の連日の介入.今から思えばこの時期の株は「買い」だったよな.

2月2日 米の不確実性有益

ナイ前米国防次官補に聞く.

--中台間で衝突が起きたらどうするのか.

米国政府はそうした質問には答えないことにしている.台湾を守ると言えば,台湾は冒険をしようとするかもしれないし,逆ならば,今度は中国がより攻撃的な姿勢をとるかもしれないからだ.

この問題では(米国がどう出るか分からないという)不確実性こそが戦略的に有益な役割を果たす.朝鮮戦争の際に何が起きたかを思い起こすべきだ.当時,米国はいったん韓国を防衛しないと表明,その後,朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)が韓国を攻撃し,結局,米国が韓国防衛に乗り出した.

この記事については既に3月8日にも言及している.さて,上の朝鮮戦争のときと全く同じことが南沙諸島問題についても言えるだろう.フィリピンから米軍基地が撤退したことが,現在の南沙諸島問題の遠因になっている.結局フィリピンは中国に対抗するために米軍の軍事力が必要なのであり,フィリピンはまっさきに,日米安保見直しに賛成した(日経 4/18.ラモス大統領「米国がアジア太平洋地域と軍事的関わりを持ち続けることがはっきりした.宣言を歓迎する.」).

2月8日 福建省で軍事演習

人民解放軍が 2/10 未明から福建省沿岸で陸海空軍の合同演習.旧正月(19日)前に終了.

2月10日 中台軍事力比較

米国介入なしでも台湾は自力防衛できる,との楽観的な見方も.ただしミサイル攻撃にはほとんど無防備.

ついでに台湾に旅行したとき見聞したことを書く.台湾では social service や military service がある.いわゆる徴兵・兵役である.蒋介石を祭った中正紀念堂というのがあって,ここで女子高生らしき連中が日曜の午後にブラスバンドとかバトントワラーとかやっている.一見なごやかな光景である.しかし,よくよく見るとバトンと思っていたものが銃剣なのである.つまりこれも軍事演習の一部と見てよい.日本では,普通の女子高生が武器の取扱いの稽古をしたりすることは,ない.つくづく日本は平和である.と思った.

2月13, 14日 中国の集結部隊「大規模ではない」

40 万人という数は,台湾の経済に影響を与えるために流された可能性がある.とのこと.
実際は 15 万人以下(台湾国防省発表).また,李登輝総統の得票率を下げるため,とも.

2月14日 米政府高官相次ぎ中国牽制

ペリー国防長官.

中国は今こそ正しいメッセージを米国に送るべきだ,

この段階では言葉による牽制.

2月23日 台湾の歴史

台湾には外省人(共産党政権誕生後,中国本土から移り住んだ人)と、本省人(それ以前から台湾に住んでいた人)がいる.

1947年,台湾住民は初め中国復帰を喜んだが,国民党の強権と腐敗に失望.本省人の騒乱を武力鎮圧.

1949年,国民党は共産党との内戦に敗れ,台湾に移動.少数派の外省人が権力の一切を握る.本省人の亡命者国外活動.

1988年,本省人の李登輝総統登場.独立運動も合法化.ちなみに李総統は本省人.京大 OB だそうだ.

2月29日 米国対中赤字急増

米国の対日赤字が減少する半面,対中赤字が急増し,対日赤字に迫る勢い.

そうか~.中国ってけっこう儲けてるんだな.それで米国は対中制裁とかって言ってるんだな.

3月4日 二・二八事件

1947.2.27 国民党政府の警官がヤミタバコ売りの中年婦人を殴打.翌日には台湾全体の騒動に.蜂起した人々が親日的であったことが災いし,国民党関係者との凄惨なリンチ合戦に.南京中央政府は精鋭部隊を派遣して暴動を鎮圧.二万人以上の台湾人が殺された.台湾人は国民党に失望.

3月5日 ミサイル演習発表

人民解放軍は 3/5 から 3/15 まで,台湾に近い東シナ海と南シナ海でミサイル発射訓練をすると発表.

3月6日 即時反撃

台湾国防部長.

中国軍の発射したミサイルが一発でも台湾の領海 12 カイリに着弾した場合,台湾は直ちに反撃する.

3月8日 ミサイル演習強行

発射されたのは地対地中距離ミサイル M9.台湾を緩やかな経済封鎖に置く形.

橋本首相

公海上では法的に問題ないのかもしれないが,不幸な方向にあると思う.

3月11日 空軍機避難打診

台湾が,フィリピン,シンガポール,インドネシアなどに,中国との軍事衝突になった場合に空軍機を避難させられるかどうか,非公式に打診した.中国は,空軍設備をミサイル攻撃して制海・制空権を握ったのちに,台湾に上陸してくると考えられるため.

3月12日 中国実弾演習

広東省沖海空軍実弾演習.

横須賀を母港とする米第七艦隊空母インディペンデンスを台湾沖に派遣.原子力空母ミニッツ,ペルシャ湾から急行.ミニッツは通常パキスタン・インド間の紛争に備えてインド洋辺りにいる.

クリストファー国務長官

中国の演習は無謀な威嚇であり危険な威圧だ.米国は必要な場合に助けになるため台湾に近付く。

橋本首相

公海上で動いているわけだから,第三国がとやかく言うことはできない.

確かに.しかし限りなく当事者に近い第三国である.

外務省

西側諸国がさまざまな行動を起こしているにも関わらず,中国側は必ずしも期待したような自重と自制の方向にない。

わが国が自制を求めたにも関わらず,新たに実弾射撃訓練まで公告したのは,台湾周辺での軍事訓練を本格化させるもので,アジア全体の安定にとって好ましくない。

この日の産経新聞第三面「怪刀乱麻・江沢民さんの記念碑を」は,いかにも産経らしい論説.

  1. 中国がおっかない国であることを自分からみせつけた.
  2. 中国は安心できないと周辺諸国がつくづく思い知らされた.
  3. 日米双方で安保の重要性が増してくる

ことから,江沢民の記念碑を浦賀に建てよう,という話.

3月13日 米議会に「親台」広がる

イギリス,強い批判.ロシア,自制要望.中国,米艦隊派遣批判.

3月14日 防衛庁分析

3月15日 日経朝刊第一面左下

12~13日,米軍と自衛隊が,「演習を装って集結した中国軍部隊が台湾海峡にある金門,馬祖両島やそれ以外の台湾の島に対して限定的奇襲攻撃をかける恐れがある」と判断,極めて高度の厳戒体制に入っていたことが14日防衛庁筋が明らかに.

「防衛庁筋」とは?

この件については3月10日にも触れた.

金門島というのは,マカオのすぐ近くにある島で,福建省から数キロしか離れてない.台湾領土ではあるが台湾本島よりも中国本土に近い.

3月18日 福建省沖陸海空軍合同演習

3月19日 米下院台湾防衛決議可決

米下院.中国が台湾を攻撃した際に軍事介入を米政府に求める決議を可決.

アメリカは中国による侵略,ミサイル攻撃,海上封鎖から台湾を守らなければならない.

艦艇,航空機,対空防衛システム供与を政府に求める.

総統選候補者

李 登輝
与党 国民党
優先課題は中台敵対状態の集結
長期的には中台統一.
彭 明敏
野党 民進党,元台湾大学教授,政治学部長
台湾独立.日米による牽制望む.
林 洋港
無所属,前司法部長.前国民党副主席.
中台統一
国家は一つ.統治権は二つ.
陳 履安
無所属,前監察院長
中台統一
李総統のあいまいな態度が中台緊張の原因.

3月20日 米,台湾にミサイル供与

米政府.台湾に地対空ミサイル「スティンガー」供与決定.台湾要請の潜水艦供与は見送り.

3月21日 米上院決議

米上院も,下院同様決議.

3月23日 総統選開始

3月24日 台湾総統直接選挙

「中国世界初」の最高指導者直接選挙.アジア諸国のコメント慎重.中国に遠慮か.

中国発言「台湾は中華人民共和国の一部」から「一つの中国」へ軟化.

李総統勝利宣言,公用語の北京語ではなく台湾語で.

> 党派の利益を越えて一票を投じてくれた方にお礼したい.

中国の軍事演習の危機感のために,与党国民党ばかりでなく,野党民進党の独立派本省人の支持を広く受けて圧勝したことを指す.

民進党候補が 30% 得票すれば,選挙後国民党と民進党の連立政権が誕生するというシナリオであったが,結果的には国民党の一人勝ちになった.

開票結果

李 登輝 54.0 %
彭 明敏 21.0 %
林 洋港 14.9 %
陳 履安 10.0 %

3月27日 米艦隊撤収

26日,ペリー米国防長官

危機は今や過ぎ去った,と理解している.

中国は軍事演習を終え,自軍へ撤収した.楽観的な見方さえしている.

米国務省バーンズ報道官

米空母インディペンデンスは母港横須賀へ帰還を開始.米原子力空母ミニッツはオーストラリアへ移動.

参考文献

華声和語

[ 4/1 No. 80]
[ 3/26 No. 79]
[ 3/18 No. 78]
[ 3/12 No. 77]
[ 3/4 No. 76]