小説の書き出し

> アマストリーにギリシャ語を教えるよう、王は私にお命じになった。

2013年3月17日にKDPで『エウメネス』を出したときの書き出しはこうなっていた。 ずっと最近までこの出だしのままだった。これを私は

> My Lord charged me to teach her the Hellenic language.

と訳してみた。「命じる」だが、command, order, charge, assign, appoint など、いろいろ候補がある。 ここでは王から私に一方的に仕事を課した、という意味合いで charge にしてみた。 discharge だと任務を解く、兵役を終わらせる、というような意味がある。

Greek という言葉は使いたくなかったので、Hellenic とした。 Hellenistic だとさらに意味が違ってくる。 Greek はラテン語由来であり、ローマから見たギリシャを意味する。 ギリシャ人自身は自分たちを Hellene と呼び、自分たちの国を Hellas と呼んでいた。 ローマが勃興する以前の話なのでラテン語由来の単語をできるだけ使いたくなかった。 日本語だとラテン語を使わず、たとえば漢語で代用するってことは割と容易だが、英語だとそうはいかない。 漢語はギリシャとローマの関係に中立だから良いが、ギリシャのことをローマの用語で書くとローマ史観や西洋史観がそこに混入してくるので嫌なのだ。ギリシャ史観が入ってくるのはある程度仕方ないとして、私としてはこれを西アジア史観で書きたいのである。

逆に日本語だと、「ギリシャ」を「ギリシャ」以外の単語で代用するのはほぼ不可能だ。この問題についてはもう少し時間をかけて検討したい。

「王」をどう訳すかも少し悩んだ。King にしようかと思ったが、あまりに唐突なのでここではやめておいた。あきらかに The King ではない。My King か Our King で良いかもしれないが、無難に My Lord にしておいた。以下作中では King と Lord どちらも使っている。

英訳だと Amastri という固有名詞すら出てこない。 で、この書き出しは、自分としては割と気に入ってるのだが、これだと、宮廷のどこかでお姫様が執事か何かに勉強を習う話のように思えるが、先まで読んでみたら違った、みたいなことを言われた。王様とお姫様が出てくると何かディズニーランドかトランプの絵札かチェスの駒のようなものを思い浮かべるのは日本人の悪い癖、西洋の悪い影響なので、わざとそのように勘違いさせておくのが良いと思い、そもそも私がこの書き出しにしたのは読者にそういう勘違いをさせのちに意外な方向へ話を展開させる、という意図もあったのだが、私としては少し思い改めて、出だしを次のように書き換えることにした。

> カイバル峠を過ぎ、ヒンドュークシュの山嶺から下界に降りると、ようやく春が我らを出迎えてくれた。雪が消え残る岩山は新緑に萌える草原に連なり、トネリコの枝にはそよ風が渡り、クロウタドリが口笛を吹いている。王は進軍を駐め、ここを今日の宿営地に選んだ。
> 兵士らが薪を集め火をおこし、幕舎を建てている合間に、私は木の間に天幕を張って日除けにし、テーブルと椅子を出して文房具を並べる。勉強を教えるにはあまり適していないところだ。さっきからずっと彼女は、岩場の隙間に咲いている黄色いスミレソウや、青い空を飛ぶ白い蝶に気をとられている。

> At last the spring welcomes us who now descend the Kaukasos mountains crossing the Khyber Pass. Snowy rugged scenery turns into green grass fields, warm wind blows and black birds are whistling in ash trees. Our Lord stops marching here to fix today’s camp.
> While soldiers are collecting woods, pitching tents and making fires, I spread a sheet between trees to avoid sun exposure, place a table and chairs under the shadow, prepare for writing. This is not a good place to study something, for the yellow primroses blooming in rocky meadows and white butterflies flying over the blue sky constantly attempt to attract her attention.

一箇所に定住していれば住民が春が来るのを迎えるのだが、逆にここでは、遠征軍が山から下りたので下界で春が出迎えてくれた、というわけで、そこは少しひねった。出だしをひねろというリクエストがあったので。 トネリコやクロウタドリや黄色いサクラソウや白い蝶というのは『フローニ』の使い回しだ。 英文中ではヒンドュークシュを Kaukasos と書いているのだが、これはアッリアノスなどがそう書いているからだ。当時この山がアヴェスター語もしくはサンスクリット語でなんと呼ばれていたのか、よくわからない。

カイバル峠やガンダーラを知ってる人にとってこの序章はある種の旅情を喚起させるのだろうが、知らない人にとってはいきなり未知の地名がわらわら出てきて読む気が失せるのだろう。私がトールキンのファンタジーを読むときのように。これはもうしょうがない、想定する読者ではなかったと諦めるしかないと思う。

クレイトス殺害

アレクサンドロスがクレイトスを殺害する場面、簡単に描けるかと思っていたが、なかなか難しい。 一番の難所かもしれない。

アレクサンドロスのザグロス山脈越えは、まあわりとどうでも良い。 森谷公俊著『アレクサンドロス大王東征路の謎を解く』を読んだのだが、 結構高齢になってから、科研費もらってザグロス山脈の現地調査したというのはすごいが、 実際どのルートを通ったかというのは大した問題とは思えない。 別にどのルートでも結果に大差ないように思える。 アリオバルザネスというペルシャの将軍との戦い、いわゆるパールサ門の戦いだが、これも大したものだったとは思えない。

だが、アレクサンドロスがクレイトスを殺す。 簡単なようでこれがなかなか書けない。 ただ酒に酔って勢いで殺したのではない。 アレクサンドロスという人がどんな人だったのかを正確に把握してないと書きようがない。

森谷公俊氏はアレクサンドロス研究に関しては日本の第一人者と言える人だろう。 だが私は彼といくつかの点で見解が異なる。 アレクサンドロスのバビュロン入城や、パールサプラ略奪に関しては、私はギリシャ人がペルシャ人に報復したのではなく、 バビュロニア人がペルシャ人に報復したのであり、アレクサンドロスはバビュロニア人に加担、あるいは譲歩したのだ。 パールサ侵攻はバビュロン入城の交換条件のようなものであったろうと思う。 バビュロニア人だけでなく、アッシリア人も、スーサのエラム人も、ペルシャに恨みを抱いていた。 パールサを焼かねばならぬと考えたのはマケドニア人というよりは、それらの諸民族であったはずだ。 パールサ侵攻はそれゆえにアレクサンドロスが自ら望んで行ったものではないと思う。 パールサはアレクサンドロスにとって寄り道にすぎない。 パールサに長居したのも、ペルシャ高原を冬に移動するのは困難だったというだけのことだろう。

マケドニアやトラキアやオレスティス、エペイロスには山が多く、山羊や羊を飼う遊牧民が多く住んでいたはずだ。 ディオドロスの逸話は面白い。ザグロス山脈を越えたときに現地の羊飼いに道案内を頼んだ。 身軽な羊飼いにしか通れない山道を通ったというのは、つまり、マケドニア兵はもともとそういう山岳地帯に慣れていたということだろう。 だからイリュリアやゲタイなどトラキアの奥地に住む原住民とも互角に戦えたのだ。 アレクサンドロスにとって、ペルシャ王と戦うよりも、ザグロス山脈に住む山賊と戦うほうが面白かったかもしれない。

スーサも書こうと思ってなかなか書けない。スーサはいかなる町であったのか。 スーサについてはドイツ語のウィキペディアの記述がやや詳しい。スーサには城壁がなかった。 ダレイオス大王の王宮があり、城下町(Künstlerviertel)があっただけだ。 ペルシャに征服される前には当然スーサにも城壁はあったのだろう。

あと書かなきゃならないことは、 パールサ侵攻、ダレイオス三世の死、ベッソス捕獲、バクトリア征服。 このあたりでクレイトスは殺害される。 バクトリアでラオクシュナ、アマストリー、アパマなどのペルシャ王女らを確保する。 それから第一巻に書いたガンダーラ、インダス川、ゲドロシアへ続き、スーサに帰ってきて、ハルパロスらと一悶着あって、結婚式を挙げる。 スーサの合同結婚式より後のことを書く気は今のところない。

アレクサンドロスはなぜバビュロンを王都に定めたのだろう? 当たり前のようだが全然当たり前じゃない。 別にバビュロンにいたかったわけではあるまい。 たまたまバビュロンでアレクサンドロスが死んだので、バビュロンが王都であることになったのではないのか。

ともかく、第五巻までで書くのをやめてしまっても別に大して支障はない。 とはいえ、完結させた方が読者にとっては便利かもしれない。

アンティオキア湖。イッソスからタプサコスまで。

アンティオキアはセレウコスの父アンティオコスにちなんでセレウコスが建設した都市だが、 もともとここにはアララハという古代都市があったが、セレウコスの時代には廃墟になっていたと思われる。

アンティオキアはオロンテス川が流れ込み、流れ出す、アンティオキア湖のほとりにあった。 今は灌漑されて小さくなったが、かつてはもっと大きな湖であったはずで、したがって、イッソスからハルペへ行く途中はこの湖を迂回せねばならなかったはずだ。

google maps で地形を表示すると真っ平らなので、かつてこの平原が湖であったことは明白である。

イッソスからアンティオキア湖まではかなり急峻な山道を通らねばならない。

オロンテス川は大地溝帯の北端に当たっていて、このアンティオキア湖はその地溝帯の谷間にあったのである。 地形的にはイスラエルの死海やガリラヤ湖と同じ。

タプサコスの渡し場のあたりは、地形図で見ると平地ではなくて山地になっている。 エウフラテスの川幅が狭まっている箇所ということだろうと思う。 川の中に中州というか島がある。 ここに舟を並べて舟橋にして渡ったのであろうと思う。

クセノフォンの『アナバシス』に、ミュリアンドス Myriandros という地名が出てくる。フェニキア人が住むシリアの海辺の町。ここはイッソスのアレクサンドリア、今のイスケンデルンである。 商業の中心地とある。

ミュリアンドスを出て行程4日、20パラサンゲス(1パラサンゲスは30スタディア、5.4km)でカロス川についた、とある。 このカロス川というのは、今のアレッポの町の中を流れるクウェイク(Queiq) 川であるという。 従ってこのカロス川が流れる町はアレッポ、古代の呼び名で Khalpe となる。 ハルペの住人は魚と鳩を食べないとある。 これはおそらく魚はダゴンの使いであり、鳩はイシュタルの使いであるからだ。 ダゴンはもともとはフェニキア人の神であり、それもハルペ南西55kmにあったエブラという町の主神であったろうと考えられる。 ハルペ住人がダゴンを信仰していて魚を食べなかったのはほぼ間違いないように思われる。 日本語のウィキペディアには、ダゴンはヘブライ語由来だと書かれているのだが、そんなことはない。 ダゴンはクトゥルフ神話で有名だが、これはラヴクラフトが適当に考えた世界観である。

鳩を食べないというのは、おそらくイシュタル信仰のためだ。イシュタルは鳩が好きで、自らも鳩の姿をしている。 それゆえイシュタルの羽根と足は鳩のものなのだ。

クセノフォンの『アナバシス』はヘロドトスの『歴史』に比べると描写がずっと具体的である。

カロス川から行程5日、30パラサンゲスでダルダス川に着くとあるが、 これは al-Bab という町を流れるDhahab 川 であろう。

エウメネス

『エウメネス』を最初書いたときは、アッリアノスの『アナバシス』しか読んでなかった。 その中の名場面を切り抜いて一本にして、それ以外を書く気はなかった。

連載ものにしたのは、続編が読みたいというレビューが書き込まれていたためでもあるし、 また、『エウメネス』が良く売れるので、一から書いてみようかという気になったのだ。

それで、アレクサンドロスの東征の開始からイッソスの戦いまでを書いてみようとして、これは一本では書き切れないってことがわかって、 二本にわけた。 もともと出してたやつを『エウメネス1 ゲドロシア紀行』とし、 つづいて『エウメネス2 グラニコス川の戦い』、『エウメネス3 イッソスの戦い』としたのだった。

『エウメネス4』と『エウメネス5』では、それまでと違って、 アレクサンドロスの金魚の糞みたいな位置づけだったエウメネスを単独行動させてみた。 わざとアレクサンドロスを登場させず、アレクサンドロスの三人称視点としてのエウメネスを独立させて、 一人称視点のエウメネスを書くことにしたわけだ。 ついでにカッサンドロスやセレウコスなどの若者も登場させてみた。

『エウメネス』シリーズはすべて一人称視点で書かれているのだが、 一箇所だけ、イッソスの戦いでダレイオス三世が敗走するところだけ、 ダレイオスの一人称視点で書いてある。 というか、エウメネスでもダレイオスでもない三人称視点のような書き方になっている。 これは反則技というか、不統一というか、文章の稚拙さともいうべきものなわけなんだけど、 個々の箇所はエウメネスの回顧録のような形で読んでもらえればと思う。 イッソスの戦いの後でエウメネスが知り得た事実を総合したらダレイオスの心理とはこんなふうなものだった。 それをエウメネスが語った、ということにしてほしい。 ところどころ、「今から思えば」とエウメネスが言う箇所がある。 この作品全体が、アレクサンドロス大王がバビュロンで死んだ直後くらいにエウメネスが王を追想して語ったものなのだが、 没入感を出すために、多くは現在形で語られているのだと了解してもらえるとありがたい。

古代ギリシャのことを書きながら、いつの間にか、結局現代社会のこと、私自身の思想のことを書いているのだけれども、 それは私が書いているフィクションなのだから仕方あるまい。 なんなら他の人はほかのように書けばよいだけだ。

あとは、パールサの戦い、ハグマターナ、バークトリシュの戦いを描くのみとなった。 たぶんこれらは『エウメネス6』『エウメネス7』という形で書くことになるはずだ。 そして時系列的に言えば『エウメネス1』に戻る。

最後はゲドロシアを抜けてスーサに至るまでのアレクサンドロスの帰還を描いて『エウメネス8』としたいと思っている。 『エウメネス8』の主役はカラノスというバラモン僧になる予定だ。 この人はもともと出てこないので、『エウメネス1』に追記した。 『エウメネス1』だけで完結するには要らないキャラだが、 『エウメネス2』から『エウメネス7』まで来て『エウメネス1』に戻って、『エウメネス8』で完結するためには、必要なキャラだと考えている。 アレクサンドロスが死ぬところやその後のディアドコイ戦争を書く気はない。

アレクサンドロスとは何だったのか。 彼にはエパメイノンダス、フィリッポス2世という先達がいた。 ペルシャ帝国が瓦解しかけ、そのコスモポリタニズムを新興のマケドニア王国が引き継いだ。 さらに彼の個人的資質、特殊能力としてはダイモニアというものを仮定している。 ダイモニアはソクラテスが言っていたことで、アリストテレスもエウダイモニアなどと言っている。 ダイモニアは守護神とか守護霊のようなものであるし、バラモン教的に言えば阿頼耶識とでもなろうか。 無意識的自我とでもいえばよかろうか。

『エウメネス5』ではたくさんの神が出て来た。 ダゴン、イシュタル、ナブー、マルドゥク。 占星術、七曜にも多く言及した。 ユダヤ教にもちょっと触れた。 『エウメネス3』ではフェニキア人やエジプト人の神の話も出た。 ペルシャ人の神アフラマヅダは当然出てくるし、 ギリシャ人の神はディオニュソスを初めとしてこれまたたくさん出てくる。

これだけたくさん神様を出したのは単に私の趣味だからでもあるが、 私は、アレクサンドロスがパールサプラを焼いたのは、アレクサンドロス自身が意図したのではなく、 バビュロニア人とペルシャ人の間の宗教的な対立があったからだと思うからだ。 もちろんギリシャ人も、ギリシャに侵攻したクセルクセス王には恨みがあった。 そのクセルクセスが完成させたパールサプラを略奪し焼いたのはギリシャ人自身の復讐であったかもしれないが、 しかし、バビュロンに入城したアレクサンドロスが為政者として市民らに最初に期待されたのは、 ペルシャ人への報復だったと思うのである。 つまりバビュロンへの無血入城には、パールサ征服という交換条件があったのではないか。

ディオドロスの『歴史叢書』も最近になって目を通している。 概要はアッリアノスと、ウィキペディア英語版など読めば十分なのだが、 ディオドロスにしか書いてないディテールなどが割と作品に風味を加えてくれるので、 できるだけ拾いたいと思う。 他にもクセノフォン、トゥキュディデス、アテナイオスなども読んでいる。 森谷公俊氏の本も読み始めた。 しかしプルタルコスを参考にするつもりはない。

まともかく『エウメネス』シリーズは完成させなくてはならない。 そのため『エウメネス1』はだいぶ加筆修正した。 『エウメネス2』にはアンフィポリスの戦いを加筆した。 完成させるまでには、いやもしかすると完成させたあとも、加筆や修正は続くんじゃないかと思う。

エウメネス5

11月30日に出版開始してそれからさらに書き足してしまい、211枚まで増えてしまった。 私の場合どうしても出版した後にも修正したり書き足したりしてしまい、 しかもキンドルは改版するのが難しいから、出ました、とはなかなか宣伝できない。

でも読んでもらいたい気持ちはあるから、ツイッターなどで告知したい気もする。

一応完成はしているが未完成なのだ。

今あらためて『エウメネス1』を読み直すと幼稚だ。 『エウメネス』を最初に書いたのはもう4年前だ。 あの頃はアッリアノスの『アレクサンドロス大王東征記』だけ読んで、イッソスとガウガメラはある程度知っていたが、 その後のゲドロシアのところが面白かったので、そこを切り取って書いたのだった。 今『エウメネス5』を書いているが、これはアリアッノスだけでなく、ヘロドトス、トゥキュディデス、クセノフォンなどいろんな歴史書を少しずつつまみ食いして補完して書いているのである。 もちろんウィキペディアとかペルセウスとかその他の文献も見ているが。 当時と今では知識量がまるで違う。 私は4年前、ほとんど何も知らずに書いていた。 4年前の私に『エウメネス5』を読ませたらどんな気持ちで読むだろうか。 まったく予測がつかない。

『エウメネス1』の頃の私はわりと読者目線に近かったと思う。 ふつう読者はエウメネスを知らないからエウメネスを知ろうと思ってエウメネスの本を読むわけだ。 私もエウメネスを知らずにエウメネスを書いていた。

今の私は読者目線にはなれようがない。著者としてしかエウメネスを見れなくなってしまっている。 どちらが良いともいえない。 著者としては今の私のほうが優れているはずだが、読者にとっては、自分に近い目線の人が書いたもののほうが面白いはずだ。

『エウメネス1』を書いたとき私は傑作を書いたつもりでいたが、今見るとなんとも物足りない。 あの頃はあの80枚をものすごい努力で書いたのだった。 今は200枚くらい平気でかける。 いろんなエピソードを挟んだり、架空の人物を登場させることで、いくらでも分量を増やすことはできるようになった。

ディアーキー

スパルタは君主制ではあったが、モナーキーではなかった。スパルタには常に王が二人いたのでモナーキーではなくディアーキーと言うべきなのである。このディアーキー状態が500年以上に渡って、ほぼ純粋な形で持続したらしいのだが、私は他に類例を知らない。ローマ帝国など見るとディアーキー状態は不安定で一時的なものに過ぎない。 スパルタはアテナイほど饒舌でなく、自ら何も歴史を書き残さなかった。だから私はエウメネス4で、スパルタの王制をほとんど推測で書くしかなかった。 私はスパルタを原始共産王制と表現してみた。蟻や蜂の群れと同じく、王や女王はいるが、彼らも他の個体と同様に分業しているに過ぎないのだから、一種の共産制であると言える。 スパルタが建国当初から安定してそのような政体を維持し得たのは驚くべきことのようでもあるし、必然でもあったようにも思える。彼らはまさに蟻であり、蜂であったのだ。全体主義。滅私奉公。

特務内親王遼子の蓬莱国もモナーキーのようで実はディアーキーだったというのが落ちで、広げた話になんとか落ちを付けるための苦肉の策だった。スパルタの事例は知らずに書いた。ある意味、事実は小説より奇なりだなあとおもう。

エウドキア

最近『エウドキア』が割と良く読まれているのがうれしい。

『エウメネス』のついでで読んでもらえているのだろうか、第一次十時軍前史というあたりで興味を持ってもらえているのだろうか。 いずれにしてもありがたい。 『エウドキア』はKDPでは「古代ギリシャ史」に分類されているのだが明らかに「中世ギリシャ史」である。 しかし「中世ギリシャ史」というカテゴリーがないから仕方ない。 また『エウメネス』は「古代ギリシャ史」に違いはないのだが、どちらかといえば「ヘレニズム史」「西アジア史」というべきだ。 しかしそんなことを言っても、仕方ない。 ともかく西欧史観というのがじゃまくさい。 最近よく思うのは、たしかに自然科学というものは西欧の発明だが、それゆえにあまりにもキリスト教との親和性が高すぎて、 自然科学とキリスト教の癒着は非常に強くて、しかも無意識的なものなので、 すぐに本卦還りして、疑似科学とか精神世界とかに引きずられちゃうんだよね。 だから before and after science とかポスト自然科学とか言いながら、スピノザの汎神論まで戻っちゃうバカが現代でもどんどん湧いてくるんだよなあ。 儒教なんかだとそんな傾向はもっと薄いんだけどなあ。 でも儒教を下敷きに自然科学が出てくる可能性はないしな。 まともかく自然科学がキリスト教神学から生み出されたのは人類にとって一つの不幸であるには違いない。

話を戻すと、『エウドキア』は、もともとは、One Upon a Time in Eurasia というとてつもなくでかい話を書いてその一部を切り取ったものである。 One Upon a Time in Eurasia ではあまりにわけがわからないのでのちに『セルジューク戦記』という名前にした。 オスマン・トルコは知ってても、セルジューク・トルコを知っている人はあまりいない。 ましてマラズギルトの戦いを知っている日本人は滅多にいない。 アルプ・アルスラーンは少し(名前だけは)知られているようだ。 この話、 主人公はもとはといえばオマル・ハイヤームだった。 私は西行、太田道灌など詩人を主人公にしたがる傾向があり、 エウメネスという書記官を(アレクサンドロス本人ではなく)主人公にしたがるのも同じといえば同じである。 全般的に文人を書きたいので、新井白石や大塩平八郎も同じ理由で主人公になっている。 エウドキアもギリシャ古典文芸が好きな文学少女なので、やはりヒロインにしてみたかったのだが、まあ、歴史的にはほとんど無名なひとだよね。 エウドキアとエウメネスには共通点があるわけで、そのあたりがまあ、私が描きたい歴史上の人物、ということになる。 オマル・ハイヤームは数学者でもあって、私の場合そういう学者を主人公に書きたがる傾向もある。 『安藤レイ』『生命倫理委員会』『司書夢譚』『妻が僕を選んだ理由』『西京極家の秘仏』などがそうだ。 といった傾向をわかって読んでもらえているのだろうか? オマル・ハイヤームはその上酒飲みでもあって、私が主人公で書かないはずがないのだが、書きにくい。それはやはり中央アジアという、面白くもわかりにくい世界を舞台にしなきゃならないためでもある。一度あのへんに住んでみたいなあという気持ちはある。だがもうこの年になっては無理はきかないだろう。 『エウメネス』が最初ゲドロシア編から始まるのは、やはり私に、そういうペルシャとか西アジア、中央アジアなどの世界を書きたいという願望があるからだ。それは、多分に、宮崎市定の影響によるものだろうと思う(東アジアを書いてないわけではない。『特務内親王遼子』とか。これまた全然読まれないのだが)。

ついでだが、「エウメネース」は完全にギリシャ語の名だが、「エウ」「ドキア」はギリシャ語とラテン語のちゃんぽんで、 東ローマまで時代が下るとギリシャ語とラテン語が完全に混淆しているのが当たり前なのだが、ヘレニズム時代はきちんとギリシャ語だけで書かないと恥をかくことになる。 そこがけっこうたいへん。

話は戻るが、一番最初に疑問に思ったのは、オマル・ハイヤームはトルコ人だったのかペルシャ人だったのかということで、 少し調べればわかるがトルコ人であるはずがなく、ペルシャ人であった。 しかも生涯、今のイラン東北部のホラサーンとか、トゥルクメニスタンのメルヴあたりに暮らした人だった。

メルヴはアーリア人共通の故地であり、仏教語では須弥山と言い、西へ行った種族はペルシャ人になり、東のインドに入ってアーリア人になった。

オマル・ハイヤームの父イブラーヒムがアルプ・アルスラーンとともに西征してマラズギルトの戦いに従軍した、というのは創作であって、 そのとき若い頃のゴットフリード(ゴドフロア)、バルドヴィン(ボードワン)兄弟と遭遇したというのも創作だった。

それで余りにも話が大きすぎて、特にオマル・ハイヤーム当たりが書きにくいので、書きやすいところだけを切り取って残したのが『エウドキア』と『ロジェール』なのだが、 イェルサレム王バルドヴィンの後妻のアデライーデの息子がロジェール2世なのである。

『ロジェール』がほとんど読まれないところを見ると、どうも十字軍がらみで『エウドキア』が読まれているらしいってことがわかる。 それでまあ、第一次十字軍そのものについて、当時の東ローマ皇帝アレクシオスを主人公にして書けばそれなりに注目はされるかなと思い、 多少構想はあるのだが、書くからにはきちんとしたものが書きたいなとはおもう。すでにアレクシオスは『エウドキア』にも『ロジェール』にも登場している。 彼はすごくキャラの立ったひとだなあと思う。

僭主と王

僭主(τυραννος)と王(βασιλεύς)の違いはなんだろうかということをずっと考えていた。

Wikipedia の「僭主」を読んでもよくわからないと思う。英語由来のタイラントだともっとわからない。タイラントには「暴君」という意味しかない。これは一般化するよりは、古代ギリシャ世界における特有の呼び分け方だと思ったほうが理解しやすいと思う。

王というのは、血縁と地縁があって、その族長がなるものである。だから王には血統があって、血筋というものが重視され、才能などはまあどちらでもよいということになる。族長というものはどんな原始社会にもある。王は、歴史に残らぬ古代から現代までずっとある君主の形態である。人の集団は多かれ少なかれ、地縁と血縁、宗教や習俗でできているからであり、それは昔も今も大差ない。

これに対して、僭主はある程度文明が発達した社会にしか生まれ得ないはずである。

たとえば、地縁や血縁が強固なスパルタには僭主は生まれ得ない。王しかうまれない。

いっぽうアテナイやテーバイなどでは、無産階級が生まれ、奴隷や富豪などさまざまな、
地縁とも血縁とも関係のない市民がいた。同じことはペルシャでもいえるのだが、ペルシャのような巨大な国では皇帝独裁というものが発達した。アテナイのようなミニチュアのような国では逆に、市民全員が政治に口出しする直接民主制というものが生まれた。

アテナイでもペルシャでも、一代で財をなしたり、あるいは領主となったり、あるいは領地を相続したり、あるいは武力にうったえて政治権力をもったり、戦争に功績があった将軍が民衆の支持を得て独裁を行ったり、そういう形で僭主が生まれることがあるわけだ。

アテナイでは直接民主制もしくは貴族による寡占政治から逸脱した状態として、僭主が嫌われた。

しかし、ペルシャのように、大昔に支配者と被支配者が完全に分離した社会では、ある日突然、一般人が領主になることがある。それは婚姻によるものであったり、跡取りがない領主が親しい奴隷に領地を相続させたりする。宮廷の官僚や宦官などが王位を簒奪して領主になることもある。

アテナイではペイシストラトスとかテミストクレスが僭主と呼ばれる。ペイシストラトスは貴族の親玉だった。無産階級をたくさん雇って農地や鉱山を開発させて一代で巨富を得た。テミストクレスは戦争の英雄だった。サラミスの海戦でペルシャ艦隊を覆滅させた。
どちらも大衆を扇動して権力を独裁しようとしていると疑われたわけだ。

だけど、同じギリシャ人のポリスでもシチリアあたりだと全然違う。どちらかといえばペルシャ世界と近い。

ギリシャ本土以外では、領主が血縁以外で継承すると僭主と言われる。娘婿でもたぶん僭主扱い。ただそれだけだ。

アテナイでは血縁や地縁が薄れてきたので、王政が貴族政に移行したのだろう。直接民主制に移行したのは直接的にはペリクレスのせいだが、狭いポリスで、アゴラに無産市民が集まって好き勝手いう環境が民主制というものを生み出したのだ。でも同じギリシャ人でも、スパルタではそうはならなかった。無産市民が発生せず、市民はみな農村にはなればなれで暮らしていたせいだろう。


追記: 要するに世襲でない王、一代で成り上がった権力者のことを僭主というのだ。西アジアでは、僭主がその部下や召使い、奴隷に財産と権力を継承することがあった。これは父から子への相続ではないから、僭主から僭主が生まれることになる。実の男子だけでなく、娘婿に継がせる場合は世襲である。ゲルマン法、ローマ法というが、ローマ法(ローマ皇帝の継承法)というのはマケドニア王国の継承法を真似たものであろう。当然、東ローマはマケドニア王国の王制をそのまま引き継いでいる。一方でゲルマン法では不動産(領地)は男子にしか所有権、継承権が無い。

タイラントが暴君か独裁者かなどということは関係ない。単に私有財産制、相続制度の問題なのだ。

水尾の里と小野の里

清和天皇と惟喬親王の扱われ方というのは良く似ている。二人は文徳天皇の皇子で、異母兄弟なのだが、二人ともほぼ同じころに宮廷を追いだされて、山の中に幽閉された。惟喬親王は貞観14年(872年)、京都の東、比叡山中の小野の里に。清和天皇は元慶3年(879年)5月、京都の西、嵯峨野の山中・水尾の里に。まあ要するに、藤原基経高子兄妹によって、傀儡陽成天皇を立てて、要らなくなったから追放されたのだ。

ひどい話だなと思っていた。

でもまあよくよく考えるに、惟喬親王も清和天皇も生活も経済力も外戚に丸抱えされていたわけである。天皇や親王が個人所有している資産というものが、この時代にはなかった。飛鳥・奈良時代にはあったんだろうが、律令国家というものを作って、官僚組織を作って、中央独裁にした結果、天皇個人の財産と国家の財産というものの区別がなくなり、国家から切り離された天皇個人の財産というものがなくなった。桓武天皇とか嵯峨天皇のころにそうなっちゃった。

それで日本では、通い婚、婿取り婚の伝統があるから、本卦還りしてしまって、天皇は嫁さんの実家の経済力に頼らざるを得なくなった。摂関政治の本質はそこだよな。

摂家の陰謀で、清和天皇と惟喬親王は追放された、というよりは、二人とも隠居後の資産なんて何ももってなかったから、京都近郊の山の中を開拓して、水尾の里と小野の里というものを作って、そこに住民も移住させて、死ぬまで生きていけるようにした。ようは老後のための年金として水尾の里と小野の里が与えられたのだろう。今も山の中に老人ホーム作ったりしてるがあれと同じ。そんなふうに思えてきた。別に幽閉されたというわけではなかったようだ。京都近郊をうろうろしてた。

惟喬親王は宮中を追いだされて25年後に54才で死んだ。まあまあ長生きしたほうだ。

清和天皇は貞観18年(876年)突然譲位。まあ、失脚したんだわな。そして3年後、出家して水尾に入り、翌年あっという間に、30才で死んでしまった。よっぽど嫁さんに嫌われてたみたい。あんまり指摘されることはないのだが、清和天皇ってかわいそうなひとだったんだなってことに新井白石は気付いていた。たぶん。

で、似たような状況が後三条天皇までは続いた。だから、花山院みたいな悲惨な上皇もいた。皇太子や天皇の間はちやほやされるが上皇になったらもう見捨てられちゃうみたいな(時代は違うが後鳥羽院にもなんとなくそのけがある)。白河天皇は、その反省から、天皇家が自分で資産を持つようにしたわけよね。そうして、外戚の資産に頼らなくて済むようにした。それがまあ白河院が目指した院政というものだわな。

初出・初版一覧

私が最初に本を出したのは実は1990年で、出版社は工学社だった。共著だった。それから新紀元社とかオーム社から出したが、これらも皆共著だった。出版社からわかるように、当時は技術書しか書かなかった。しかも、いつも私の名前は共著者の中で最後だった。

そんなこともあって私は死ぬまでに単著の一本くらいは書きたいとずっと思っていた。

  1. 『アルプスの少女デーテ』初出2004年9月、某Wiki(匿名)
  2. 『超ヒモ理論: もし俺がヒモになったら』初出2011年4月Puboo(「山崎菜摘」名義、原題『超ヒモ理論』)
  3. 『スース』初出2011年6月Puboo(「山崎菜摘」名義)
  4. 『将軍放浪記』初出2011年8月Puboo
  5. 『西行秘伝』初出2011年8月Puboo(原題『山家物語』)
  6. 『川越素描』初出2011年8月Puboo
  7. 『司書夢譚』初出2011年9月Puboo
  8. 『安藤レイ』初出2011年11月Puboo
  9. 『将軍家の仲人』初出2012年8月Puboo(原題『新井白石』)
  10. 『紫峰軒』初出2013年1月Puboo
  11. 『エウメネス1 ― ゲドロシア紀行 ―』初出2013年3月KDP(原題『エウメネス』)
  12. 『巨鐘を撞く者』初出2013年4月KDP
  13. 『特務内親王遼子』初出2013年7月ブログPDF版
  14. 『古今和歌集の真相』初出2013年9月KDP
  15. 『フローニの墓に一言』初出2014年1月KDP(現在非公開。『ヨハンナ・シュピリ初期作品集』に再収録)
  16. 『エウドキア: ローマの女王』初出2014年2月KDP
  17. 『江の島合戦』初出2014年4月KDP
  18. 『生命倫理研究会』初出2014年12月KDP
  19. 『虚構の歌人 藤原定家』2015年6月初版(田中紀峰名義、夏目書房新社)
  20. 『ヨハンナ・シュピリ初期作品集』2016年3月初版(田中紀峰名義、夏目書房新社)
  21. 『エウメネス2 ― グラニコス川の戦い ―』初出2016年7月KDP
  22. 『エウメネス3 ― イッソスの戦い ―』初出2016年7月KDP
  23. 『斎藤さん ― アラカルト ―: 田中久三短編集』初出2016年8月KDP(『小説家になろう』に公開していた短篇などを集めたもの)
  24. 『潜入捜査官マリナ』初出2016年9月KDP
  25. 『妻が僕を選んだ理由』初出2016年11月カクヨム

『アルプスの少女デーテ』を最初に書いたのは2004年で、39歳。小説らしきものを書いたのはこれが初めてということになるが、 高校生くらいに書き殴って今はどうなったかわからないようなものとか、 そういえば小学生のころ書かされたものもあった気がするので、昔からその気はあった。 しかし私は自分で書いたものを読み返してみてやっぱり自分には才能がないと諦めていた。

で、最初に書いたまともな小説は『将軍放浪記』で、これは2009年ころに新人賞に応募したのを2011年にパブーで公開し、 その後も加筆や修正をしてある。 最初の頃は、新人賞に応募する作品は田中久三で、そのままPubooに載せるやつは山崎菜摘名義で書いていたような気がする。 或いは歴史小説は田中、現代小説は山崎、という書き分けだったかもしれない。 2011年頃Pubooにたくさん出てるのはもともと書きためていたものを(紙の本で出版される見込みはないと見切って)ウェブに公開したのだ。 この頃の作品には今では公開してないものがいくつかある。

『アルプスの少女デーテ』は最初はもっと短いものだったが、どんどん肉付けしていって今ではどちらかといえば長編になった。 『西行秘伝』も『巨鐘を撞く者』も、もとはもっと短かった。 この頃はいろいろ試行錯誤してた。

村上春樹が、ジャズのインプロビゼイションのように、同じリズムで同じ繰り返しで毎日欠かさず書くと言っていたが、 確かに村上春樹の作品はジャズの即興演奏に似てて、ただひたすら文章が積み上げられているだけのように私には思える。 私の執筆方法はそれとはまったくことなる。それは『デーテ』のころから同じで、 まずアイディアがあってその骨格を書いて、段々に肉付けしていく。 読書というのものが、ライブハウスでジャズを聴くようなものであれば、それは村上春樹の作品のようなものがふさわしいだろう。 私の作品はおそらくはコンピュータ言語で書かれたプログラムのようなものではなかろうか。 私の場合、こういうキャラクターを書こうというキャラクター設定がある。 それは NPC (non-player character) の AIプログラミングに似ている。 そのキャラクターをある環境(ゲームプログラミングでいうところの map)に置けばキャラクターは勝手に動き出す。 そこに別のキャラクターを置くとインタラクションが生まれて展開していく。 だからストーリーは細かく書けば書くほどに長くなる。 ゲームのプレイ動画の長さは、プレイ時間を長くすればいくらでも長くなる。それと同じ。まあ、あまり長くすると飽きるが。

小説を書く前からゲームプログラミングらしきことはやっていた。 modを作っていた。
その影響は確実にあると思う。 小説はそんなふうに書くものじゃありませんよと言われても困る。 私にはそういう書き方しかできないから。 私が表紙絵に3DCGのキャラを使うのも、もとはといえばmodをやってたからだ。 もともと文章を書こうと思っても、なんかもやっとした、納得いくものが書けなかった私が、 人に読ませるための文章を書き始めたのは、自分が比較的得意とするプログラミングのテクニックを導入したからかもしれない。 それでなんとかこうとか書けるようになった(気がした)。

ともかく私の作品の中ではキャラクターは勝手に喋って勝手に行動しているとしかいいようがない。 キャラクターがなぜ勝手に動くかといえば作者が実在の人物や歴史上の人物をモデルにしていて、 彼らがこういうシチュエーションに置かれたらきっとこう動くだろうと予測しているにすぎない。 少なくとも歴史小説に関して言えば、他の人はどういう書き方をしているかしらないが、 私はそういう書き方しかできない。 私の場合歴史小説の書き方を現代小説や未来小説、SFに応用している、とも言える。

『妻が僕を選んだ理由』は最初『ジオコミューン』という名前にするはずだった。 『ジオコミューン』は核シェルターみたいなものをイメージしていたが、 fallout の影響をうけているからだ。 表紙にゲッコーが描かれているのもそう。 これもサンプルのつもりで気軽に書き始めたのだが、結構な長編になってしまった。 fallout の他にもいろんなものがオマージュに使われている。 『キル・ビル』『バクダッド・カフェ』『僕の村は戦場だった』『ソラリス』『レヴェナント』『007スカイフォール』。 『Marooned with Ed Stafford』とか植村直己にもかなり影響受けてるよな。 わざといろんなものをこてこて付け足していったらこうなってしまった。

セレブな美女と一般男性の恋愛というのは、今までもずいぶん書いてきた。 源懿子と西行、遼子と稗島、アマストリーとエウメネス、喜世と新井白石など、みんな同じといえば同じだ。 全然違うことを書いているようで実は通して見ると、かなりネタがかぶっている。 『安藤レイ』はアンドロイドの話だが、『妻が僕を選んだ理由』はサイボーグと人工知能の話で、私の中では比較的近いテーマなのである。 なぜ私がそういうものを書きたがるのかということはもちろん自分でもわかっている。 村上春樹もまたいつも同じような作品を書くがそれは彼がそういうものをどうしても書いてしまう何か理由があるのだろう。 その根っこの原体験というものが彼と私は根本的に違うし、 村上春樹の作品が好まれるのは彼の原体験が多くの読者の原体験に近いからだろう。 私と同じ原体験を持つ人はたぶんそんなに多くはないと思うので、私の作品がどのくらい読まれるのか、かなり私は悲観している。