近況

楽天マート(旧西友ネットスーパー)で政府備蓄米(古古米)5kg が 1980円(税込み2138円)で売られていたので買って食べてみた(【数量限定】楽天生活応援米(備蓄米))のだが、普通にうまかった。これで全然アリだと思う。スーパーやドラッグストアやディスカウントストアで備蓄米売っているところはほとんど見当たらない。どういうことなんだろう。政府から備蓄米を仕入れて、自分のところで精米して、パッケージ化してと一連の過程を独自でこなせるところとなると楽天とかイオンなどの大手にならざるを得ず、従来の流通を通して売っているところは大して値下がりしてないということだろうか。数量限定とあるがあとどのくらい買えるのだろうか。イオンのカルローズ米は売っているところではまだまだ在庫はありそうだ。

最近の楽天は良く頑張ってると思う。昔マイクロソフトは嫌いだったが今はまあぎりぎり我慢できるようになってきた。楽天も昔は嫌いだったが、今はけっこう好きになってきた(昔の楽天が好きなわけではない。今の楽天が許容範囲になってきたというだけ)。

最近は古い映画も(サスペリア2とか雲のように風のようにとか)オンライン配信で見れるようになって、しかしながら、ブルーレイも同時に発売されていて、値段も非常に安い。ほんとうになんども繰り返しみたいものはブルーレイで買っておく価値はあると思うのだ。

セブンイレブンは自分たちがコンビニという社会システムを作ってきたという驕りがある。自分たちが勝手にコンビニというものを定義して良いのだと思っている。イトーヨーカドーにも同じ匂いを感じるが、接客マニュアルが私にはまったく合わない。同じことは吉野家にも言える。こっちが接客を決めて客はそれに従えという態度が気に入らない。何が接客かということは客の側が決めるものだろう。あるいは、客の側が何を望んでいるかを予測してそれに合わせたものを提供するものだろう。客がどう感じているかなんてまるで無視して自分らの都合を最優先して、嫌なら来るな、と言っているように見える。

立花孝史が街頭演説で「NHKをぶっこわせ」と言っているのをNHKがニュースで流しているのをみて、政見放送ならともかく、ニュースでこれを流すとはずいぶん時代も変わってきたんだなと思った。NHK自身が変わらねばならんということを十分自覚しているのだと思う。それでも、今回の選挙の主たる争点は「外国人問題」とはNHKは口が裂けても言わない。いったい何を信じて何を参考にすれば良いのか。やはりオールドメディアは亡びるしかない。テレビなんて早く死ねばいいのにとしか思えない。

ちまちました研究

例によって吉原ビッグエー。イオンのカルローズ米「かろやか」4kg 2680円と、あかふじ「いつものお米」5kg 3480円の選択肢があり、今回は「いつものお米」にしておいた。普通の「こしひかり」が 5kg 3980円で売ってあったんだが、まあずいぶん安くなっては来たけれど、銘柄米とミックス米食べ比べても私は大した違いはわからない。今後は押し麦なんかを混ぜて食べようかとも思っていてそれだとなおさら違いはわかるまい。なんならオートミールを食べても良い。世の中の人はまだまだ旨い国産米というものにこだわり続けるらしく見える。しかしなぜ?

Youtube や twitter を読むのも無駄だが、このブログを書くのも時間の無駄には違いない。このところちと久しぶりに研究というものをやってみたが、論文書いたり実験したりしているとあっという間に時間が過ぎていき、おかけで youtube や twitter なんぞをだらだらみたり書き込んだりしなくて良い。

テレビに比べれば youtube はまだましだが youtube もみすぎるともう見たくなくなる。たぶん1週間に1度くらい、あるいは移動中にスマホかなんかで見る程度にしたほうが良い。部屋の中にいてだらだらみてるのはよろしくない。

都議選とか参院選とかみてると、NHK党が一番まともな政党に見えてくる。ましかしこの年になって政治に何か期待してもそれもまた時間の無駄だ。無駄をなくして時間を節約したからといって定年過ぎればその時間も持て余すのだろうが、死ぬ日が来るまで何もしないのが一番良い生き方な気がする(時間があるからと無理に何かしようとするのが良くない)。

住んでみてわかったが吉原のあたりはほんとうに交通が不便だ。雷門か蔵前、新御徒町あたりに住むべきだった。家賃も大した違いはない。新御徒町はつくばエクスプレスにも乗れるし、大江戸線にも乗れるし、御徒町か上野まででればどこへでもいけるし、とにかく便利だ。ただ定年後まで東京に住む気はまったくないが。

都会はなんだかんだでうるさくて困る。人も車もビルも多すぎる。ビルは建て替えたり修繕したりでうるさい。車はうるさい。普通の家とみせかけてときどき工務店みたいに騒音を出す家がある。自転車も多い。ランニンガーも多い。ほんとうに邪魔で危険だ。マフラーを改造した原付が真夜中走り散らかしたりする。とにかくいちいち気に障る。便利なのは良いが不快でもある。そんなわかりきったことを言っても仕方ないが。実は、新しい建物も立たず、新しい人も入ってこず、しかし昔作られた社会的インフラがまだ機能している地方都市なんかが一番快適に住めるのではないか。いや絶対そうに違いない。仕事をしているときは東京の引力に負けて都心に引き寄せられてしまうが、定年後はわざわざ東京に住む必要はない。今のうちせいぜい東京の娯楽を楽しんでおき、東京を離れよう。

私はもう30才くらいに自分の研究者としての才能を見切ってしまった。私は研究者としてアカデミズムの世界で一定の地位を保てる程度の研究はできる人間だろうと思う。ここはまあまあ居心地の良い世界だから、定年まではここに居続けるだけの努力はしてもよい。しかしそれ以上の努力をしたとしても、私の研究が世の中を変えたりすることはまずない。特に私の専門分野はCGなので、CGなんてものは個人の研究者がああだこうだする時代はとっくに過ぎてしまい、GAFAMみたいな大企業が、日本でいえば任天堂とかソニーなんかが大金を投資してよってたかって研究する時代になってしまった。恐竜が闊歩する時代に蟻ごときが何をしても無駄だ。企業にはできぬ、個人にしかできぬような基礎研究をやる才能が私にあるかといえば微妙だ。そういう研究は、もしかしたらできるかもしれないが、成果が出る保証がまるでない。

たとえばアインシュタインみたいな天才的な科学者がいたとしよう。しかし1年間南の島にバカンスにでかけて、再び研究の世界に戻ってきた頃にはもうとっくに別の誰かが相対性理論を発表し、別の誰かが「アインシュタイン」というアイコンになって世の中でもてはやされていたはずだ。アインシュタインという人がもしいなかったとしても、1年かそこらで同じようなことを思いつく人はいたはずだ。あの天才数学者ガウスにしても、せいぜい10年も待てば彼と同じことを思いつく人は出たはずだ。

自然科学にはそうしたむなしさがある。芥川龍之介もなんか同じようなことを言っていたような気がする。自分が書かなくても近い将来同じようなことを書くやつは出てくるに違いないと。

ま、ともかく今回、ちょっとばかしの業績が業務上必要になったので研究をやってみたけど、さらにその研究を進めるつもりはない。私がやらなくても誰かがいずれはやるに違いないからだ。そんなちまちました重箱の隅ほじるような研究に時間を費やすくらいなら、何もせずぼーっとしていたほうがいさぎよい。科研費当てたとか外部資金とか助成金をいくらもらったとか。そういうのは所属している機関には評価されるかもしれないが、自分にとっては別段面白くもなんともない。そういうのが面白いと思う人は単に自分が属している組織や学会や世間に評価されるのがうれしくてたまらないのだろうけど、私は全然うれしくない。

今の生成AIとか暗号資産とか、ビッグデータというのはみんな同じで、ただひたすら金をかけて計算力を消費すればするほどもうかるからやっているに過ぎない。資本をもっていればいるほど結果が出せる。そんなことやって何が面白いのかと思う。昔のアポロ計画の頃はいくら国家予算がでかくてもAIに予算をかけることができなかった。かけたとしても成果がでなかった。今はやっとその社会的環境が整った。

今のアメリカは明らかにAIバブルなのだが、このバブルがいつはじけるか。AI技術は結局大企業や資産家にしか利益をもたらさず、経済格差が広がり、治安は悪化し続ける。だがアメリカ経済というかアメリカの国力にはまだ余裕があるから、それがただちに社会不安にはつながらない。アメリカ社会がフェンタニルで崩壊していくのを、アヘン戦争で煮え湯を飲まされた中国はざまあみろという気持ちで見ているだろう。

中国も(おそらくインドも)アメリカと同じ道をたどり、それでも国力に余裕があるうちは今のバブルははじけない。だが私はそんな世界に住みたくはない。そんなに儲かってはいないが、世界から隔絶した日本に住んでいるのが結局一番楽だという時代に入りつつあるのは確実で、そうなった先にどういうカタストロフィが待っているのか。

天長節

天皇も庶民も江戸時代までは数え年で、正月をもって誕生日としていたのだから、明治より前に天長節などというものがあったはずがない。太陰太陽暦で閏月があり、月の長さも一定ではなかったのに誕生日などというものが重視されたはずがない。閏月に生まれた人はいったい何年に一回誕生日が来るのだろうか(笑)。

今の右翼はただ明治政府が西洋の猿真似で始めたことを伝統とか保守とか言っているだけで、ほんとうの保守を知らぬ。夫婦同姓しかり(左翼は左翼で、関東大震災の後に植えた、たかだか100年ばかりしか立たない神宮外苑の銀杏並木を切るのが環境破壊だのなんだのと騒いでいる。中野サンプラザに至っては何が気に入らないのかさっぱりわからん)。

まず、明治政府がやったことで良かったことを復活させ、まずかったことを廃止する。

次に徳川幕府がやってよかったことを復活させ、悪かったことを廃止する。

足利幕府がやってよかったことを復活させ、悪かったことを廃止する。

鎌倉北条氏がやってよかったことを復活させ、悪かったことを廃止する。

摂家がやってよかったことは律令であろうと復活させ、悪かったことは廃止する。

それでやっとなんとかまともな保守と言える。

そこから先は記録が残っていないか曖昧だから、だんだんに手を付けていけばよかろう。

大和言葉だけで日常会話ができるくらいでなければ真の保守とは言えない。

今の右翼の(左翼も)知能はAIレベル。何が正しくて何が間違っているかなんてまるでわかってない。世間一般で信じられていることを事実だと思い込んでいるだけ。

alt und lebensgesättigt

創世記25:8

アブラハム遐齡に及び老人となり年滿て氣たえ死て其民に加はる

明治元訳聖書

アブラハムは長寿を全うして息を引き取り、満ち足りて死に、先祖の列に加えられた。

共同訳

「年満ちて」もしくは「満ち足りて死に」と訳されることが多いようだが、「生きるに飽きて」と訳されることもある。マックスウェーバー著、岩波文庫版『職業としての学問』など。

『職業としての科学』

アブラハムは、あるいは昔の名もなき農民は、「年老い人生に満足して」死をむかえた。

と訳している。この箇所、原文は

Abraham oder irgendein Bauer der alten Zeit starb »alt und lebensgesättigt«, weil er im organischen Kreislauf des Lebens stand, weil sein Leben auch seinem Sinn nach ihm am Abend seiner Tage gebracht hatte, was es bieten konnte, weil für ihn keine Rätsel, die er zu lösen wünschte, übrig blieben und er deshalb »genug« daran haben konnte. Ein Kulturmensch aber, hineingestellt in die fortwährende Anreicherung der Zivilisation mit Gedanken, Wissen, Problemen, der kann »lebensmüde« werden, aber nicht: lebensgesättigt.

となっている。旧約聖書はヘブライ語で書かれているからヘブライ語まで遡ってもともとのニュアンスを調べるべきかもしれないが、それは私には不可能だし、私にとっては、マックスウェーバーがどういう意図でこの言葉(ルター訳か)を引用したか知れば十分である。

lebensgesättigt は leben に gesättigt したということだ。gesättigt は wiktionary では nicht mehr hungrig 「もはや飢えていない」「おなかいっぱい」という意味であると記述している。英語では saturated という。語源となっている sat はおそらくラテン語由来であろう。

「おなかいっぱい」は満ち足りている、満足している、と解釈もできるが、飽き飽きしている、もうこりごりだ、という意味にもとれる。両方だとしてではどちらの意味に近いか。

マックスウェーバーは lebensgesättigt を lebensmüde と対比させて使っている。müdeは飽きたという意味もあるかもしれないが疲れた、眠い、だるいなどとという意味だ。昔の人は十分に長く生きて、つまり天寿を全うして死ぬことができた。しかし現代人は、人生に疲れることはできても、やることがもう無い、すべてやり尽くして死ぬことはできない、とマックスウェーバーは言っている。

なるほど彼が生きた20世紀前半はそうだったかもしれない。世の中には未解決の問題が山積みしていて、自分の一生では、自分の能力では、とうていそれらのすべてに手を付けることもできないし、すべてを解決することもできないし、結論を見てから死ぬこともできない。そもそもすべての事象を把握することすらできない。自分の周りのごく狭い領域の問題を認識できるに過ぎない。

マックスウェーバーは56才で死んだ。まだまだやり残したことがたくさんあっただろう。

しかるに現代に生きる私はどうだろうか。もう60才になったが、まだ今のところ死にそうにもない。

80才まで生きられるとしてあと20年間でいったい私に何ができるというのか、今までの60年間の人生と比べてこれからの20年間にどれほどの意味があるのか、いったいどんな未知の可能性が残されているのか、残されているとしても、それをやり遂げる気力が残っているのか、と思う。死ぬのは嫌だから生きてはいるけどそのことに積極的な意味が見いだせない。

若者が良く、20年間生きてみたがもう人生に飽きた、などと良く言うのだが、年寄りが、60年間生きてみたがもう人生に飽きたというのとは少し違う。というより、若い頃は人生に飽き、年を取ると人生に未練がましく執着するのが人間の習性のように思える。

或る人が1回目の還暦を迎えた。3回目の還暦まで生きたい、などといっていたが、180才まで生きて何が面白いのだろう。実に不思議だ。

ところでアブラハムはユダヤ人の始祖であるはずが、どうして民に加わるとか先祖の列に加えられる、などと言うのだろうか。アブラハムが最初のユダヤ人であるなら加わるというよりは最初にユダヤの民になった、というべきではなかろうか。違うのだろうか。

ユダヤ教では死後霊魂は復活の日まで封印されることになっている。天国も地獄もない。民に加わるとはそのことをいうか。

買い急ぎ

またまた浅草のアジトに戻ってきて、備蓄米でも買ってみようかと吉原のビッグエーに行ったところ、イオンのカルローズ米しか売ってなかったので、仕方なくこれを買った。すでにまいばすけっとで買って食べたことがあるので、他の違うやつが食べたかったのだがしかたない。この「かろやか」だが、普通に旨い。冷えてもそんなにまずくはならない。この品質で、ブラインドテストで品種や銘柄を当てられる人がいたら見てみたいものである。

ただし米粒の色や形が微妙に違うので(左が国産ブレンド米。丸くて少し黄色くて大きい。左がカルローズ米。やや細長く、白く、小粒)。

江藤拓(前)農水相が

ご家庭を守ってらっしゃる主婦の皆様が不安に駆られ、買うコメの量を増やしている。そのためコメの価格が上昇し、品不足になっている

などと発言して更迭されてしまったのだが、これは私が以前、米不足近況などで書いたことと同じだ。江藤氏はさらに米の不作についても否定している。大臣ともあろう人が何も根拠が無くてそういう発言をするはずがない。彼自身は売られている米を買ったことがないという。それは親戚に米農家がいれば普通のことだ。私も、米が余っている年、つまり米の価格が安い時には、30kgの米袋をただでもらったりしたことがある。彼は個人的に親しく農家の実態を知っている上でああいう発言をしたのだ。それをマスコミに揚げ足を取られて、更迭に追い込まれてしまった。農家の実感とマスコミの思い込みは明らかに乖離している。

マスコミ向けの記者会見だったからマスコミ批判はしたくてもできなかっただろう。マスコミは真実はどうあれ大臣の発言は叩くのが社会正義だと信じ込んでしまっている。しかしながら、マスコミの煽りが米不足の一因になった、という反省がマスコミ側からまったく出て来ないのは不誠実というべきではないか。国家的な危機においてマスコミがまったく役に立たないどころか逆に危機を増大させていることが今回再び明らかになった。かつ、消費者は自分たちが一番の原因だという反省をすることもない。消費者が、一般大衆が聞く耳持たぬということはあるまい。一部識者による分析が語られていないわけでもない。知識の送り手と受け手が何者かによって壟断されている。これでどうやって今後の対策の検討につなげていくことができようか。マスコミはおそらく薄々わかっているに違いないのに消費者の無知につけ込んで消費者を煽りヒステリックにさせて政治家を陥れて世間の注目を集めようとしている。ジャーナリストが死んだ後に落ちる地獄というものがきっとあるに違いない。

木徳神糧「ステークホルダーのみなさまへ」では米高騰の原因を

記録的猛暑や豪⾬による収穫量の減少や、⽣産コストの上昇、インバウンドを含む消費の増加、ひっ迫感を受けた買い急ぎといった複数の要因が重なり、安定供給に対する不安が増⼤した現象があるものと考えられます。

などと分析している。要するに、主たる原因は、消費者による「逼迫感を受けた買い急ぎ」なのである。それをあからさまに言うと批判を受けるから、しかし事実を伝えようとしてこのような表現になっている。本来無知な(情報弱者、または一次ソースと無縁な生活をしている人たち、とでも言うべきか)庶民が勝手に逼迫感を抱くはずがない。逼迫感を煽った犯人がいるはずだ。「ご家庭を守ってらっしゃる主婦の皆様が不安に駆られ」るようにさせたのは誰か。自明ではなかろうか。

米卸が意図的に値をつり上げたことはなかったのに違いない。単に市場原理に米価を任せただけだというのも事実であろう。消費者が買い急いで買いだめして値段が上がっているのは市場原理によるもので、売り手はできるだけ安く仕入れて高く売りたいに決まってる。それ以外のことはできようがない。

トイレットペーパーだってコロナのときのマスクだって消費者がちょっとでも買い急ぎ、買い溜めすれば流通はあっという間に破綻するのだ。そんなことはこれまで何度も経験してきたことではないか。私の親戚にも一部屋まるごとティッシュペーパーやトイレットペーパーなどの備蓄に当てている人がいるのだが、それが消費者というものだろう。

備蓄米だが、おそらく国に備蓄米として買い取ってもらっているのは、米を作りすぎて、市場に出すと米価格が下がって儲からないからであろう。銘柄米として人気があって高値で売れるような米をわざわざ備蓄米として国に提供するなんてことはないはずだ。

米の品質が良くないので備蓄米に回しているのではないかとも思ったが、そういうこともあるかもしれないが、ごく普通の米を普通に作って余ってしまったから備蓄米にした、というケースが多いのではないか。そうした米は多少古くとも、保管状況が良ければ普通に食べられるのではないかと思う。本当に食べて旨くない備蓄米は最初から飼料用に回すのではなかろうか。そういう本音のところをちゃんと調べて報道してくれるマスコミはいないのだろうか?

日本の米農家はもう、高く売れる一部の銘柄米だけ作るしかないと思う。市場競争力の無い米を作っても仕方ない。私は普通の米の味に満足しているからわざわざ高い銘柄米を買う気はない。日本の農家が普通の米を作らなくなるとしたら外米を食うだけのことだ。国産米にこだわる気など無い。そんなことには何の根拠も必要性もない。

日本食はなるほど旨いとは思うけど、その中で銘柄米と和牛にこだわる気持ちは私にはない。どちらも高級志向だが、別に私は牛肉や米に一定水準以上の品質や高級感、ましてブランド力など求めてない。沢庵や梅干しだって高いから買うのではない。スーパーに売られている普通の梅干しや沢庵が安いから買わないのでもない。

私は、備蓄米を放出して強制的に米の価格を下げる、というのは決して良くないことだと思っている。外米を民間企業が輸入して、市場に流通する米の量を増やせば自然に米の価格は安定したはずだ。しかし日本人は国産米にこだわりが強すぎる。もはやそんなものにこだわる理由などないということは(ツイッターも含めて)何度も書いたつもりだ。結局消費者が、日本人が自分で自分の首を絞めていて、それをマスコミが煽っているというのが現実だ。だから多少高い米を黙って食えばいいのだ。

レギュラーコーヒーの高いのはそれとはまったく違う別の理由だ。これも困ったもんだ。

三社祭のハッピイオン外米米の値段いつもの米ベトナム米

沢庵なのだが、真ん中辺りはうまいのだが端っこが歯ごたえがなくてうまくないというものがある。これは困る。どこの何とはいわないがこれからは買わない。

二宮金次郎の沢庵

内村鑑三は二宮金次郎について「後世への最大遺物」にも書いているし、「代表的日本人」にも書いている。その影響を受けて私も、二宮金次郎が菜種を植えた川の土手に架かっている菜種橋を見に行ったり(正確には油菜(アブラナ)橋かもしれん)、金次郎の生家やら尊徳記念館を見に行ったりもした。金次郎が柴狩りした山に登るツアーにも参加したりした。もちろん小田原城下にある二宮報徳神社にも行ったし、報徳博物館にも行ったのである。

ところで二宮金次郎と沢庵の話なのだが、ある若者がやっとのことで金次郎に弟子入りして、金次郎の下で修行を始めた矢先、金次郎が彼に沢庵を切らせたところ、ちゃんと切れてなくて一つながりになっていたので、金次郎はこの若者を無慈悲にも破門にした、というのである。

どうもこれはおかしい。苦労人の尊徳翁ともあろう人が、弟子入りしたばかりの若輩者で、まだ世の中のことを右も左も知らないうちに、いきなり問答無用に、沢庵ごときで破門にするというのは、ちょっと考えにくい。厳しく叱り、教え諭すということはあっても、たかが一度の失敗でおまえはダメ人間だと決めつけ、いきなり前途ある若者からチャンスを奪うなどということはあり得ないと思う。おそらく二宮金次郎に対して悪意あるものが話をねじ曲げているのではないか。金次郎は厳しい指導者ではあったかもしれないが、尊大で傲慢な権威主義者、専制君主ではなかったはずだ。

それでいろいろ調べていくと元ネタはおよそ二つに絞られてきた。一つは明治41年8月に出た「二宮翁逸話」、そして同年11月に出た「報徳之真髄」。いずれも留岡幸助 編で警醒社から出ている。なんとこの人、同志社を出たキリスト教徒である。二宮金次郎はキリスト教徒に人気が高かったのだろうか。

柴田順作(権左衛門。堅節とも)という人がいた。金次郎の27才年下である。順作は駿河国で製紙業を営む富豪の息子で取れ高八百石の田を持ち、五万両の金も貯めていたが米相場に手を出して破産した。それでも貸した金が八百両ばかりあったのでそれを取り立てようと親類が世話をしてくれたのだが、貸した相手が百八十人ばかりもいて、彼らから貸金を取り立てるとどうしてもその中から二人や三人は自殺者が出るだろうと思って、親類には猶予を願い出て、小林平兵衛という知人を訪ねたら、この人が熱心な報徳主義者で、二宮翁のところへ連れて行かれたのだそうだ。それで「二宮翁逸話」によれば

順作はつらつら思ふのに一旦国に帰らば決心が崩るるに相違ないといふので、二宮翁の台所に居る浦賀の宮原瀛洲といふ人の助手となって、翁には内緒で三年の間炊事をしつつ報徳の道を学んだ。さうして遂には翁の黙許を得て時々その給仕に出たことがある。で或る時、翁の言はれるのに「お前はかういふ人間だからいけない」と言ふて香の物の切れかかったのを箸で挟んで「この通り全く切れて居ない。切るならばシッカリ切るがよし、切らぬならば切らぬがよし、切ったでもなく切らないでもなく中ぶらりして居るから失敗するのである」と言はれたことがある。その後順作は当時のことを思ひ出しては「あの時くらいつらかったことはなかった」と一つ話にしたと言ふことである。

また「報徳之真髄」によれば

さて柴田氏は陣屋の炊夫となって居った事が四年、その間にひどく叱られた事が一つある。それは或る日食事の時、香の物の切り方が悪かったことで、翁がその香の物を食べやうとして箸で挟みあげると、切り方が充分でなかったので、一切れつながって釣り下がった。翁は大そう立腹して、「権左衛門、この切り方はなんだ、切ったのか切らないのか、こんなふうだから貴様は財産をなくしたのだらう。この切り方には心が入って居ない。こんな不親切な切り方をしては食べない」ときつく叱られた。氏は平身低頭詫びたけれども、到頭翁はこの時食事を中止してしまったさうである。

だからもともと若者をいきなり破門にした話ではなかったのだ。そして「沢庵」で検索してもなかなか出てこない。「香の物」でなくてはならなかったのだ。

最初から切って売られている沢庵はたいていうまくない。だから私は切れてない沢庵を買ってきて自分で切って食べている。沢庵を切るときは二宮金次郎の逸話を思い出し身の引き締まる思いがする。切れてない沢庵だからといってうまいとは限らない。沢庵はほんとうにむずかしい。

金次郎は、沢庵は三年ものの、すっぱい古漬けしか食べなかった、などとも言われる。しかしながら夏に茄子を食べて秋なすの味がするので冷夏が来ることを察したなどという逸話もあるから、沢庵だけでなくて茄子の漬物も食べたのに違いない。漬物はなんでも食べたに違いない。漬物は三年物の沢庵しか食べない、などというはずがあろうか。古漬けでも浅漬けでも食べたに違いない。

以下「後世への最大遺物」より。

二宮金次郎氏は十四のときに父を失い、十六のときに母を失い、家が貧乏にして何物もなく、ためにごく残酷な伯父に預けられた人であります。それで一文の銭もなし家産はことごとく傾き、弟一人、妹一人持っていた。身に一文もなくして孤児です。その人がドウして生涯を立てたか。伯父さんの家にあってその手伝いをしている間に本が読みたくなった。そうしたときに本を読んでおったら、伯父さんに叱られた。この高い油を使って本を読むなどということはまことに馬鹿馬鹿しいことだといって読ませぬ。そうすると、黙っていて伯父さんの油を使っては悪いということを聞きましたから、「それでは私は私の油のできるまでは本を読まぬ」という決心をした。それでどうしたかというと、川辺の誰も知らないところへ行きまして、菜種
なたね

いた。一ヵ年かかって菜種を五、六升も取った。それからその菜種を持っていって、油屋へ行って油と取換えてきまして、それからその油で本を見た。そうしたところがまた叱られた。「油ばかりお前のものであれば本を読んでもよいと思っては違う、お前の時間も私のものだ。本を読むなどという馬鹿なことをするならよいからその時間に縄を
れ」といわれた。それからまた仕方がない、伯父さんのいうことであるから終日働いてあとで本を読んだ、……そういう苦学をした人であります。どうして自分の生涯を立てたかというに、村の人の遊ぶとき、ことにお祭り日などには、近所の畑のなかに洪水で沼になったところがあった、その沼地を伯父さんの時間でない、自分の時間に、その沼地よりことごとく水を引いてそこでもって小さい
くわ
で田地を
こしら
えて、そこへ持っていって稲を植えた。こうして初めて一俵の米を取った。その人の自伝によりますれば、「米を一俵取ったときの私の喜びは何ともいえなかった。これ天が初めて私に直接に授けたものにしてその一俵は私にとっては百万の価値があった」というてある。それからその方法をだんだん続けまして二十歳のときに伯父さんの家を辞した。そのときには三、四俵の米を持っておった。それから仕上げた人であります。それでこの人の生涯を初めから終りまで見ますと、「この宇宙というものは実に神様……神様とはいいませぬ……天の造ってくださったもので、天というものは実に恩恵の深いもので、人間を助けよう助けようとばかり思っている。それだからもしわれわれがこの身を天と地とに
ゆだ
ねて天の法則に従っていったならば、われわれは欲せずといえども天がわれわれを助けてくれる」というこういう考えであります。その考えを持ったばかりでなく、その考えを実行した。その話は長うございますけれども、ついには何万石という村々を改良して自分の身をことごとく人のために使った。旧幕の末路にあたって経済上、農業改良上について非常の功労のあった人であります。

この著書の中で

『少年文学』の中に『二宮尊徳翁』というのが出ておりますが、アレはつまらない本です。私のよく読みましたのは、農商務省で出版になりました、五百ページばかりの『報徳記』という本です。この本を諸君が読まれんことを切に希望します。

などと内村鑑三が言っているので、国会図書館デジタルコレクションで見てみると(初期のスキャンらしくて汚くて困る。国書データベースのものが綺麗)、なんと幸田露伴が書いていて、確かに内村鑑三が「つまらない」というのが良くわかる、子供を啓蒙しようとやたらと図版が入ってるが面白くもおかしくもない、やけに堅苦しい、幸田露伴らしい文章だ。「報徳記」の方は、内村鑑三が言っているのは、明治19年に出た「正七位富田高慶述 報徳記 全 農商務省版」のことであろう。しかるにこれは

茲に二宮金次郎尊徳先生の実績を尋るに、歳月久しくして其の詳細を知ることあたはず。且つ、先生は謙遜にして自己の功績を説かず。いささか邑人の口碑に残れりといへども、万が一に及ばす。

といったような文体で、味わいはあるが、今の人にはちと読みにくいのに違いない。しかし現代口語訳がいくらでも出ているのでそっちを読めばとりあえず用は足りるだろう。

大野晋が『日本語で一番大事なもの』で森鴎外を「あんな下手な擬古文はありゃしないですもの。」などと言っているのだけど、鴎外の「舞姫」など見ると、やはり幸田露伴と同じで実に面白くない。つまり、露伴も鴎外も漢文の素養はあるが、和文がからきしダメなのだと思う。大和言葉というものに対する感覚、感性が全然ダメだと思うのだ。文法は正確だけれども砂を噛むように味気ない。漢学ばかりやって和学をやらない武家などにありがちなのだろう。だからああいうとてつもなく退屈でつまらない文章になる。鴎外も「阿部一族」などは基本的に口語で書いているからまだ読みやすく面白い。「舞姫」みたいな文体でドイツ女に惚れられたなんて話を書いたって面白いわけがない。

幸田露伴はしかし大町桂月なんかと一緒に「日本外史」の現代語訳などを監修したりして、そういう仕事は実に立派で面白い。鴎外は東大の医学・文学博士で、露伴は東大の文学博士だからああいう文章になるのだろう。夏目漱石が死ぬまで博士の学位を嫌がったのも、ああいう連中と一緒にされたくないという気持ちがあったからかもしれん。

ところで二宮金次郎が描かれた絵を見ると素足にわらじを履いている。わらじというのは編み上げブーツのように藁の縄で足をぐるぐる巻きにするものだ。国定忠治なんかはみんな足袋と脚絆で足を固めてその上にわらじを履いている。

いや、昔の人は足の皮が厚かったから平気だったのだろうと思うかもしれないが、小田原辺りは山に入ると蛭が多かったはずだ。そんなところへ裸足で入ってはひとたまりもない。素足にわらじ履きというのはとても信じられない。渡世人なんかは多少金がかかっても足回りには万全の対策をしていたのではなかったか。

もしかすると田んぼで田植えというような場合は素足にわらじであったかもしれない。旅に出たり山登りをするようなときは足袋にわらじであったかもしれない。また里山などはよく整備されていて蛭が出ることもなかったのかもしれない。

イオン外米

イオンが4kg税抜2680円でカリフォルニア米「かろやか」を売るそうだが、私が普段ビッグエーで買っているブレンド米やベトナム米よりも安い。発売開始が6月6日というのも、絶妙のタイミングだ。ほんとはもっと安く売れるのだろうけど、値下げ競争が始まるまではできるだけ高値を付けて売りたいというのが本音であろう。

イオンはかつて日本の小売業者を敵に回して懲りている。米の価格が高止まりしているのはイオンに錦の御旗を与えた。イオンの外米を食べて、なんだ普段食っている国産米と違わんじゃないかとなれば、消費者に長年かけられていた呪いがやっと解ける。みんな悪夢から覚めたように外米を食べるようになるだろう。

そうすると結局国産米は今の和牛と同じ運命をたどる。高級銘柄米だけが残って、一部の金持ち、一部の好き者だけが食べるようになり、海外にもばんばん輸出されるようになる。米の値段なんて原価全体からすればたかが知れてるから、旅館や料亭などが国産米を売りにしたからといって別段困ることもあるまい。価格に転嫁すれば済む話だ。今時その程度の金を使いたがるやつはいくらでもいる。

高級銘柄米を作れない農家、或いは補助金に依存する零細兼業農家は淘汰されて農地の整理統合が進み、稲作も多少は合理化されるかもしれん。あまり悪いところが見当たらない。

米は2kgの上はいきなり5kgでその上は10kgでしか売ってない。10kgを3ヶ月くらいで食べきるのであれば10kgを買えば良さそうに思える。イオンは2kgと5kgの間の空白を狙ってきたとも言える。ともかくいろいろと計算尽くで「かろやか」を投入してきている。

ましかしこんなことは私が今更指摘しなくても米業界ではとっくにわかっていたことだ。なるべくしてなるようになる。米は日本人の主食で安全保障上国産しなくてはならないなどという嘘八百はもう通用しない。

土日は呪われている

どこかの家電量販店で switch2 でも売り出したのかと思うくらいに、皇居の周りも隅田川沿いも土日はやたらと走る人が多く、邪魔である。これみよがしにゴミ拾いをしている集団がいてこれまた通行の邪魔である。ゴミを拾うのは良いが通行人の邪魔にならないように土日の昼間を避けて分散してやってくれといいたい。平日と違いフェリーも頻繁に往来するし、プレジャーボートとか水上バイクなんかをかっとばす集団もいる。屋台船も蔵前あたりまで、普段はいない桟橋みたいなところに停泊している(あのボロボロに錆びた川の中の階段はかつて屋形船を停めていた桟橋だったのだ)。あとなぜか駒形橋周辺に特にタバコを吸うやつが多い。隠れてこそこそ吸うくらいならかわっぺりに降りてこずに堤防の裏側ででも吸えばいいのに。他にもとにかく子連れとかなんかしらんふらっと遊びに来たような連中が多い。飲食店もたいてい混んでて殺伐としている。だから土日はやはり浅草には近寄らない、浅草にいたら部屋に閉じこもって出てこないのが良い。

奥湯河原

湯河原はぎりぎり神奈川県なのだがあんなにさびれた温泉街がまさか神奈川にあるとは思わなかった。こんなに交通の便が良いところがオーバーツーリズムにまったく飲み込まれていないのは、千と千尋的な木造旅館が立ち並んでいるわけでもなく、今どきの鉄筋コンクリート造りのホテルか、さもなくば朽ちかけたバブル遺産みたいな廃屋しかなくて、都心に近いということが慢心となって、もっと媚びている温泉地に人の関心が向いているからだろうと思う。またやはりあまりにも東京に近い近すぎるというのが盲点になっているんだろう。まさかこんな温泉街が神奈川県にあろうとは。みんなそう思っているに違いない。

以前も一度湯河原には行ったことがあったが駅より東側、海のほうの、どこにでもある普通の街並みと変わりないあたりしかうろつかなかったので、ああいうものが湯河原だと思っていた。しかしずっと山の中、奥湯河原とか理想郷とか源泉郷とかいうあたりまでいくと、温泉の井戸のやぐらというか骨組みがあちこちに建っていて、お湯を通すパイプが乱雑に河原などに敷かれていて、修善寺と鬼怒川を足して二で割ったような雰囲気のところで、温泉街にはまったくコンビニやスーパーなどはなく、旅館の売店にしか酒が売ってなくて、しまった、駅前でビールとつまみを買っておくのだったと思ったときにはもう遅かったが、こうなってはもはや浮世とは隔絶した世界を堪能するしかないのだった。

そのあと浅草に戻ってきたのだが、やはり安心感がある。外国人もそうなのだろう。初めて日本に来る人はまったく土地勘がないわけだから、いきなり難易度の高い田舎にいくのはリスク高すぎる。とりあえず一通りなんでもあって、スーパーもコンビニもまいばすけっともある浅草とか京都とか鎌倉に来て、もう一度来ようかということになったら、もっと自分の好みにあった地方の観光地に行けば良いわけだ。

私だっていきなり東向島や曳舟や新御徒町なんかにいかない。まず浅草を一通りマスターしてから、その周辺にとりかかっている。

新御徒町の佐竹商店街なんかはもう少し流行ってもよさそうなものだ。合羽橋商店街から少し足を延ばして新御徒町、そこから上野あたりまで歩いても大したことはない。

そんでこのオーバーツーリズムが一息ついたら外国人もバカではないから、だんだんにもっと空いてて快適なところへ移っていくだろうと思う。浅草の公衆便所の女子トイレなんかは行列ができていてもうひどいありさまだ。エキミセやROXなんかにいけばトイレはあるんだけど、初めて来た人にはどこのトイレが比較的空いているかなんてわかるわけがない。

話は戻るが奥湯河原というところは都心から近いわりにさびれてて空いているから箱根や熱海に飽きたら行ってみると良い。奥湯河原は掛け値なしで源泉間近の源泉かけ流しの温泉宿がある。こういうのは箱根湯本にはない。あまり知られてないのが不思議だ。テレビでもめったに取り上げないよな。

私が泊まったところは夕食も朝食もいかにも昭和の旅館という感じで、夕食はまあまあとして朝食は塩分の多い漬物、梅干し、味噌汁、アジの開きも塩辛く、年寄り客ばかりなのにこんなに塩分摂らせていいのか、今風な献立にしたほうがいいんじゃないかと思った。たぶんごはんを何倍もお代わりしなくてはこれだけの漬物は食べきれないが今どきごはんお代わりなんてしないよな。若者はもちろん年寄りはなおさら。

ともかくも滝のそばに建っている茶屋なんかも昭和遺産とでもいうべき熟成された味のあるところで、行ってみる価値はある。

真鶴や湯河原には楠木の原生林があるというのがとても信じられない。楠木が群生しているのはずっと昔に人の手が入っているからだろう。もし気候的に楠木の自然林ができるのであれば、真鶴や湯河原に似た場所は伊豆や静岡、房総半島や三浦半島あたりにいくらでもあるのだからそういうところにもできなくてはおかしいではないか。

伊豆山温泉の伊豆山神社や走り湯にも行ったのだが、ここはすごいところだった。湯河原からバス路線はなく、熱海からならばある。私は実朝の和歌で知っていたから一度行ってみたいと思っていたのだが、昭和39年に掘りすぎて一度枯渇してしまい、掘りなおしたとはしらなかった。

動画をyoutubeにあげておいた。

JRのえきねっとで湯河原から東京まで踊り子を予約していたのだが、熱海からに変更しようとしたらアプリからWebサイトに飛ばされてなんかうまくいかないので、もいっかいアプリに戻って払い戻ししようとしたらバグって、Webサイトで変更しようとしてもなんかうまくいかないのでしかたなく熱海駅の激混みの緑の窓口にならばされて、結論としてはたぶん、湯河原は神奈川県で熱海は静岡県で区間が違うせいか、チケットレスのせいかしらんが、ともかく Webサイトでいったん払い戻ししなくてはならないらしかった。

今から思えばすぐさま対応窓口に電話すればやり方を教えてくれたのだろうけど、JRはチケットレスしたけりゃもう少しなんとかしてくれと思った。得られた知見としては、JRは変更しようとしてはいけない、手数料はかからんからいったん払い戻ししろってことのようだ。知らんがな。

航西日記8

6日、波風は昨日と同じ。午後4時、サルディーニャ山脈を望む。10時、コルシカとサルディーニャの間を過ぎる。コルシカはナポレオン一世が生まれた地であり、サルディーニャの一島にはガリバルディの旧宅がある。今その境を過ぎて心を打たれずにはおれない。詩を二つ作る。曰く、

往事如雲不可追 昔の事は雲のように過ぎ去り追うことはできない
英雄故里水之涯 水辺の英雄の故郷
他年席捲欧州志 かつて欧州を席巻しようと志した者も
已在小園沈思時 今は小さな園に永眠している
赫々兵威及米州 赫々たる兵威はアメリカにも及んだ
平生戦闘捨私讐 平生の戦闘では私讐を捨てた
自由一語堅於鉄 自由の一語は鉄よりも固い
未必英雄多詭謀 英雄が危謀を多く用いたとは必ずしも言えない

7日、雨。午後2時、フランス国マルセイユに着く。一時的に停船を命じられて上陸が許されない。そこで黄色い旗を掲げて船を退かせて、港の入り口にある一島に停泊する。4時になってやっと入港することができた。ポートサイドからここに至るまで2017里、船の中で詩をいくつか作った。雑詩に言う、

果てしない風と潮に一隻の船を浮かべてから
目に入る山の姿も絶えてない
闇夜にかかる一輪の月だけが
万里相伴って客の愁いを照らし慰めてくれた
透き通るような肌 金髪 青い瞳
髪飾りがちらりとみえれば心はさらに勇み立つ
浮き草が漂いヨモギが転ぶような危険があろうと恐れない
月明かりと歌舞が船の中にある

同行の諸氏に言うようなつもりで

みんなで同じように海外の雲に翼を広げて
兵事を談じたと思えばまた文事を論じ合う
こんな奇縁をいつの間に結んだのだろうか
こんな人間関係はただの雀やツバメの群れでは無い

某フランス人に贈って言う、

聞くところによればあなたは何年も税関に勤務したそうだ
異境の地にいるうちに容貌も変わってしまったあなたを憐れむ
あなたは再び颯爽として一家とともに
妻子を連れ立って故郷に帰っていく

海の光のことを記して言うには、

夜光何獨說秋螢 夜光るものは秋の蛍だけではない
水族幺麼却有靈 ごくちいさな海棲生物にも魂があるのだ
怪底無星又無月 星もなくまた月も無い怪しげな海底に
金波萬頃湧滄溟 金色の波が広々とした青海原に湧いている

海の光は海中の微生物が放つものである。船の波に刺激されて暗い夜に発光する。

船が港に入ると厄涅華ホテルの主管が出迎えた。そこで荷物を託してともに税関を通った。税関の役人が問うて言うには、紳士か、そのとおり、また言う、タバコや茶を持っているか、無い。それ以上は調べなかった。

7時にホテルに投宿する。時に雨がそぼふって深秋のように寒い。詩を作る。

頭を巡らせば故郷の山は雲路に遙かである
四十日間船の中にいて無聊を嘆いていたが
今宵はマルセイユ港埠頭の雨に降られている
旅人の愁いをすっかり洗い流してくれるようだ

また、

人がひっきりなしに通行し肩を触れあわんばかりだ
道を照らすガスライトが幾万とある
驚くことに激しい雨や冷たい雨の夜にも
その光は空の月明かりのように明るく照らす

8日、午餐の後に設哩路速家に着いて記念撮影する。午後1時、田中、片山、丹羽、飯盛、隈川、萩原、長與ら諸氏は先発する。ストラスブール方面へ行くためである。6時に汽車に乗りマルセイユを出発する。一等の車両は四区画に分かれており、一区画に二人が入る。ずっと座ってもいられないので、別に寝室を借りる人もいる。夜、リヨンを過ぎる。月や星がキラキラと輝いている。肌寒い。詩を作る。

秋の空に月が明るく輝いている
塔の先端にも木の梢にも
暑い町も冷たい村もあっという間に通り過ぎた
詩を作っても推敲しているひまがない

9日早朝、田野の間を過ぎる。綿の葉はすでに枯れ、菜の花は半ばしぼんでいる。木を植えて畝を耕すのは日本と変わりない。鳩が群れ飛ぶのを見ると、背は黒く腹が白い。農家はみな小さい。ただ、石畳を敷いているのが異なっている。午後10時、パリに至り、咩兒珀爾ホテルに泊まる。佐藤佐と出会う。佐は長い間ベルリンに留学していた。今はまさにマルセイユに行こうとしている。木戶正二郞が病気に罹ったので送るのである。夜「夜電」部劇場を見る。客は6000人、客席は4層になっている。俳優には男も女もいる。イタリア人が多い。演じられた戯曲の名称は「宮中愛」である。およそ四つの場面に分かれている、最初は名妹が王に謁見する。次は壮士が決闘する。次は英雄が凱旋する。最後は夜の宴。女優の名妹に扮する者は媚態をまきちらして人の魂を虜にする。別に一場面があった。「騒擾の夜」という。波瀾万丈で観客は絶倒した。劇場内の器具は精緻を極めている。あるものは鏡で影を映し、あるものは色とりどりの照明を使っている。明月が林を照らしたり、噴水がしぶきをあげたりするのは、ほとんどほんものそっくりである。この日、佐藤氏に詩を贈る。

あなたと別れて三年が経った
あなたはずっとドイツにいた
思いもしなかったパリ城外の月に照らされて
暫時手を取り合って別れのつらさを語り合うとは

10日、公使館に着く。午後8時、汽車はパリを出発する。車両の両壁に鉄道図が貼ってある。ブレーキがかかっていて、急な時にこれを引っ張ると車両を停めることができる。また窓の上に小さな穴を空けて換気することができる。はなはだ便利である。

11日午前7時、ドイツ国ケルンに達する。私はドイツ語を解する。ここに来てやっと人の言葉がわかるようになった。愉快だ。午後8時30分、ベルリンに至る。ドイツ皇帝がホテルに訪れる。田中、片山らを問うに、皆まだ到着していなかった。

本文

初六日。風波如昨。午後四時望泪第尼山脈。十時過哥塞牙、泪第尼之間。哥塞牙者拿破崙一世所生之地。而泪第尼一島有加里波第之故宅。今過此境。不能無感。賦詩二首。曰。往事如雲不可追。英雄故里水之涯。他年席捲欧州志。已在小園沈思時。赫々兵威及米州。平生戦闘捨私讐。自由一語堅於鉄。未必英雄多詭謀。

初七日。雨。午後二時抵佛國馬塞港。偶有停船法。不許上陸。乃揭黃旗退舟。泊于港口一嶋。至四時。纔得入港。自卜崽至此二千零十七里。舟中得詩數首。雜詩曰。森漫風潮泛隻舟。絕無山影入吟眸。可憐碧落一輪月。萬里相隨照客愁。氷肌金髮紺靑瞳。巾幗翻看心更雄。不怕萍飄蓬轉險。月明歌舞在舟中。似同行諸子曰。鵬翼同披海外雲。談兵未已又論文。奇緣何日曾相結。不是人間燕雀群。贈佛人某曰。聞說多年官稅關。殊鄕憐汝改容顏。飄然又作全家客。手拉妻兒向故山。記海光之事曰。夜光何獨說秋螢。水族幺麼却有靈。怪底無星又無月。金波萬頃湧滄溟。海光者水中微生物之所放也。舟激波。則昏夜見之。舶之入港也。厄涅華客舘主管來迎。廼托以行李。俱至稅關。々吏問曰。紳士乎。曰然。曰有烟茶否。曰無。則不復査矣。七時投於客舘。時細雨霏々。冷如深秋。有詩。囘首故山雲路遥。四旬舟裏歎無聊。今宵馬塞港頭雨。洗盡征人愁緖饒。行人絡繹欲摩肩。照路瓦斯燈萬千。驚見凄風冷雨夜。光華不滅月明天。

初八日。午餐罷。至設哩路速家撮影。午後一時。田中、片山、丹羽、飯盛、隈川、萩原、長與、諸子先發。以取道於斯都刺士堡也。六時乘汽車。發馬塞。一等車箱。分爲四區。每區容二人。可坐而不可臥。故有別買寢室者。夜過里昂府。星月皎然。寒氣侵膚。有詩。淸輝凛々秋天月。影自塔尖遷樹梢。熱市冷村塵一瞥。無由詩句費推敲。

初九日早。過田野間。綿葉已枯。菜花半凋。植木畫畝。與我無殊。有鳩群飛。黑背白腹。農家皆矮小。唯磚石疊成爲異耳。午前十時至巴里。投咩兒珀爾客舘。邂逅佐藤佐。佐久留學於伯林。今將赴馬塞。送木戶正二郞有病歸鄕也。夜觀「夜電」部劇塲。容五千人。設座四層。俳優有男有女。多伊太利人。所演之戲。名「宮中愛」。凡四齣。曰名姝謁王。曰壯士決鬪。曰英雄凱旋。曰夜宴簪花。女優扮名姝者。媚態橫生。使人銷魂。別有一齣。名「騷擾夜」。戲謔百出。觀者絕倒。塲中器具。極其精緻。或借鏡影。或用彩光。若明月照林。噴水籠烟。殆不可辨其眞假也。此日贈佐藤氏詩。別來倐忽閱三秋。期爾依然在德州。豈憶巴黎城外月。暫時握手話離愁。

初十日。至公使舘。午後八時。滊車發巴里。車箱兩壁。貼鐵道圖。懸槓杆。有急之時動之。可停車行。又窓上設小孔換氣。甚便。

十一日。午前七時。達德國歌倫。余解德國語。來此。得免聾啞之病。可謂快矣。午後八時三十分。至伯林府。投於德帝客舘。問田中、片山等。皆未到也。

厄涅華ホテル。不詳。

設哩路速家。不詳。

斯都刺士堡。ストラスブールか。

咩兒珀爾ホテル。不詳。

外国地名および国名の漢字表記一覧。役に立ちそうで立たんかった。