クレイトス殺害

アレクサンドロスがクレイトスを殺害する場面、簡単に描けるかと思っていたが、なかなか難しい。 一番の難所かもしれない。

アレクサンドロスのザグロス山脈越えは、まあわりとどうでも良い。 森谷公俊著『アレクサンドロス大王東征路の謎を解く』を読んだのだが、 結構高齢になってから、科研費もらってザグロス山脈の現地調査したというのはすごいが、 実際どのルートを通ったかというのは大した問題とは思えない。 別にどのルートでも結果に大差ないように思える。 アリオバルザネスというペルシャの将軍との戦い、いわゆるパールサ門の戦いだが、これも大したものだったとは思えない。

だが、アレクサンドロスがクレイトスを殺す。 簡単なようでこれがなかなか書けない。 ただ酒に酔って勢いで殺したのではない。 アレクサンドロスという人がどんな人だったのかを正確に把握してないと書きようがない。

森谷公俊氏はアレクサンドロス研究に関しては日本の第一人者と言える人だろう。 だが私は彼といくつかの点で見解が異なる。 アレクサンドロスのバビュロン入城や、パールサプラ略奪に関しては、私はギリシャ人がペルシャ人に報復したのではなく、 バビュロニア人がペルシャ人に報復したのであり、アレクサンドロスはバビュロニア人に加担、あるいは譲歩したのだ。 パールサ侵攻はバビュロン入城の交換条件のようなものであったろうと思う。 バビュロニア人だけでなく、アッシリア人も、スーサのエラム人も、ペルシャに恨みを抱いていた。 パールサを焼かねばならぬと考えたのはマケドニア人というよりは、それらの諸民族であったはずだ。 パールサ侵攻はそれゆえにアレクサンドロスが自ら望んで行ったものではないと思う。 パールサはアレクサンドロスにとって寄り道にすぎない。 パールサに長居したのも、ペルシャ高原を冬に移動するのは困難だったというだけのことだろう。

マケドニアやトラキアやオレスティス、エペイロスには山が多く、山羊や羊を飼う遊牧民が多く住んでいたはずだ。 ディオドロスの逸話は面白い。ザグロス山脈を越えたときに現地の羊飼いに道案内を頼んだ。 身軽な羊飼いにしか通れない山道を通ったというのは、つまり、マケドニア兵はもともとそういう山岳地帯に慣れていたということだろう。 だからイリュリアやゲタイなどトラキアの奥地に住む原住民とも互角に戦えたのだ。 アレクサンドロスにとって、ペルシャ王と戦うよりも、ザグロス山脈に住む山賊と戦うほうが面白かったかもしれない。

スーサも書こうと思ってなかなか書けない。スーサはいかなる町であったのか。 スーサについてはドイツ語のウィキペディアの記述がやや詳しい。スーサには城壁がなかった。 ダレイオス大王の王宮があり、城下町(Künstlerviertel)があっただけだ。 ペルシャに征服される前には当然スーサにも城壁はあったのだろう。

あと書かなきゃならないことは、 パールサ侵攻、ダレイオス三世の死、ベッソス捕獲、バクトリア征服。 このあたりでクレイトスは殺害される。 バクトリアでラオクシュナ、アマストリー、アパマなどのペルシャ王女らを確保する。 それから第一巻に書いたガンダーラ、インダス川、ゲドロシアへ続き、スーサに帰ってきて、ハルパロスらと一悶着あって、結婚式を挙げる。 スーサの合同結婚式より後のことを書く気は今のところない。

アレクサンドロスはなぜバビュロンを王都に定めたのだろう? 当たり前のようだが全然当たり前じゃない。 別にバビュロンにいたかったわけではあるまい。 たまたまバビュロンでアレクサンドロスが死んだので、バビュロンが王都であることになったのではないのか。

ともかく、第五巻までで書くのをやめてしまっても別に大して支障はない。 とはいえ、完結させた方が読者にとっては便利かもしれない。

アンティオキア湖。イッソスからタプサコスまで。

アンティオキアはセレウコスの父アンティオコスにちなんでセレウコスが建設した都市だが、 もともとここにはアララハという古代都市があったが、セレウコスの時代には廃墟になっていたと思われる。

アンティオキアはオロンテス川が流れ込み、流れ出す、アンティオキア湖のほとりにあった。 今は灌漑されて小さくなったが、かつてはもっと大きな湖であったはずで、したがって、イッソスからハルペへ行く途中はこの湖を迂回せねばならなかったはずだ。

google maps で地形を表示すると真っ平らなので、かつてこの平原が湖であったことは明白である。

イッソスからアンティオキア湖まではかなり急峻な山道を通らねばならない。

オロンテス川は大地溝帯の北端に当たっていて、このアンティオキア湖はその地溝帯の谷間にあったのである。 地形的にはイスラエルの死海やガリラヤ湖と同じ。

タプサコスの渡し場のあたりは、地形図で見ると平地ではなくて山地になっている。 エウフラテスの川幅が狭まっている箇所ということだろうと思う。 川の中に中州というか島がある。 ここに舟を並べて舟橋にして渡ったのであろうと思う。

クセノフォンの『アナバシス』に、ミュリアンドス Myriandros という地名が出てくる。フェニキア人が住むシリアの海辺の町。ここはイッソスのアレクサンドリア、今のイスケンデルンである。 商業の中心地とある。

ミュリアンドスを出て行程4日、20パラサンゲス(1パラサンゲスは30スタディア、5.4km)でカロス川についた、とある。 このカロス川というのは、今のアレッポの町の中を流れるクウェイク(Queiq) 川であるという。 従ってこのカロス川が流れる町はアレッポ、古代の呼び名で Khalpe となる。 ハルペの住人は魚と鳩を食べないとある。 これはおそらく魚はダゴンの使いであり、鳩はイシュタルの使いであるからだ。 ダゴンはもともとはフェニキア人の神であり、それもハルペ南西55kmにあったエブラという町の主神であったろうと考えられる。 ハルペ住人がダゴンを信仰していて魚を食べなかったのはほぼ間違いないように思われる。 日本語のウィキペディアには、ダゴンはヘブライ語由来だと書かれているのだが、そんなことはない。 ダゴンはクトゥルフ神話で有名だが、これはラヴクラフトが適当に考えた世界観である。

鳩を食べないというのは、おそらくイシュタル信仰のためだ。イシュタルは鳩が好きで、自らも鳩の姿をしている。 それゆえイシュタルの羽根と足は鳩のものなのだ。

クセノフォンの『アナバシス』はヘロドトスの『歴史』に比べると描写がずっと具体的である。

カロス川から行程5日、30パラサンゲスでダルダス川に着くとあるが、 これは al-Bab という町を流れるDhahab 川 であろう。

shutter island

シャッター・アイランドをみたのだが、実に後味の悪い映画だった。 ディカプリオ主演なら、レヴェナントのほうがずっと好きかな。

ミステリー、謎解き、最後のどんでん返しで、高く評価する人が多いようだが、どうなんだろうかこれは。 冒頭のシャッターアイランドの描写やダッハウ収容所のシーンなどはあまりにもどぎつく、煽りすぎているように思える。

除夜の鐘

除夜の鐘はなかった?~江戸町人の研究

除夜の鐘というのは、そんなに古いものじゃないと思うし、 無理に残すほどのものではないと思うなあ。

入相の鐘とか暮れ六つの鐘というものはあっただろう。

除夜の鐘というものができた当初から108回も叩いてたわけはないと思う。 108回なんてただのこじつけに過ぎない。叩きすぎ、うるさすぎなんだよな。

除夜の鐘にしろ年越し蕎麦にしろ、むやみやたらと日本の伝統というものをありがたがるのは決してコンサバティブでも保守でもない。 ほんとうに古くて良いものだけをありがたがるのが正しいコンサバティブというものであり、 そのためには、必ず、それはほんとに古いものなのかどうか疑ってみる理性が必要なのだ。

除夜の鐘はフェイクコンサバティブだと思うね。 あんなものはね、冷静に考えればただの迷惑だったことがわかるよ。

歌詠みの死滅

和歌を詠み始めの頃は、やまとことばだけで、五七五七七に詠むのがとても難しいと感じる。 だけどその習慣を10年、20年と続けていくうちに、自然に歌が詠めるようになる。

今私はシラフのときにはほとんど歌を詠まないが、なぜか酒に酔って知性や理性というブレーキが利かなくなると歌を詠む人になってしまった。 そして詠んだ歌を忘れて翌朝、ツイッターか何かに書き込んだのをみて、 こんな歌自分で詠んだんだなと驚く。

私たちは考えてしゃべるのではない。 歌もそうだと思う。 自然に詠めるまで訓練することが大事なのだ。 そこまでいけば歌など勝手に詠めるのだ。 昔のうまい歌詠みたちもみんなそうだった。 うまい歌を詠もうと思って詠むのではない。 歌というものはほとんど無意識に詠まなくては良い歌にはならない。 良い歌を詠もうと巧んではならない。 そんな歌はたいてい出来損ないだ。

もちろん酔っ払って下手な歌を詠むこともある。 あとからみて陳腐だなあと思うことも多い。 しかしシラフのときには決して詠めない、詠まないような歌を詠んでいて我ながら驚くこともある。

そして、いろんな人たちのブログやSNSなど見てて、 やまとことばだけで、五七五七七に、きちんとした和歌を詠んでいる人が、 私以外にはもはや一人もいないのではないかという気がしてならない。 まだきちんと平仄あわせした七言絶句などの漢詩を作る人のほうが多いように思う。

きちんと和歌を詠む人、桂園派の生き残りは柳田国男くらいまでだった。 今の人たちは昔の人たちのように和歌を詠むことなんてできないとはなから諦めている。 佐佐木信綱あたりがそう決めてしまった。 佐佐木信綱ですら詠めないのだから私たちも詠めるはずがないと思い込んでしまった。 諦めるから詠めないのだ。 一つの伝統が尽きようとしている。死に絶えようしている。 このままではほんとうに日本人は和歌を詠めなくなってしまう。 実に恐ろしい。

エウメネス

『エウメネス』を最初書いたときは、アッリアノスの『アナバシス』しか読んでなかった。 その中の名場面を切り抜いて一本にして、それ以外を書く気はなかった。

連載ものにしたのは、続編が読みたいというレビューが書き込まれていたためでもあるし、 また、『エウメネス』が良く売れるので、一から書いてみようかという気になったのだ。

それで、アレクサンドロスの東征の開始からイッソスの戦いまでを書いてみようとして、これは一本では書き切れないってことがわかって、 二本にわけた。 もともと出してたやつを『エウメネス1 ゲドロシア紀行』とし、 つづいて『エウメネス2 グラニコス川の戦い』、『エウメネス3 イッソスの戦い』としたのだった。

『エウメネス4』と『エウメネス5』では、それまでと違って、 アレクサンドロスの金魚の糞みたいな位置づけだったエウメネスを単独行動させてみた。 わざとアレクサンドロスを登場させず、アレクサンドロスの三人称視点としてのエウメネスを独立させて、 一人称視点のエウメネスを書くことにしたわけだ。 ついでにカッサンドロスやセレウコスなどの若者も登場させてみた。

『エウメネス』シリーズはすべて一人称視点で書かれているのだが、 一箇所だけ、イッソスの戦いでダレイオス三世が敗走するところだけ、 ダレイオスの一人称視点で書いてある。 というか、エウメネスでもダレイオスでもない三人称視点のような書き方になっている。 これは反則技というか、不統一というか、文章の稚拙さともいうべきものなわけなんだけど、 個々の箇所はエウメネスの回顧録のような形で読んでもらえればと思う。 イッソスの戦いの後でエウメネスが知り得た事実を総合したらダレイオスの心理とはこんなふうなものだった。 それをエウメネスが語った、ということにしてほしい。 ところどころ、「今から思えば」とエウメネスが言う箇所がある。 この作品全体が、アレクサンドロス大王がバビュロンで死んだ直後くらいにエウメネスが王を追想して語ったものなのだが、 没入感を出すために、多くは現在形で語られているのだと了解してもらえるとありがたい。

古代ギリシャのことを書きながら、いつの間にか、結局現代社会のこと、私自身の思想のことを書いているのだけれども、 それは私が書いているフィクションなのだから仕方あるまい。 なんなら他の人はほかのように書けばよいだけだ。

あとは、パールサの戦い、ハグマターナ、バークトリシュの戦いを描くのみとなった。 たぶんこれらは『エウメネス6』『エウメネス7』という形で書くことになるはずだ。 そして時系列的に言えば『エウメネス1』に戻る。

最後はゲドロシアを抜けてスーサに至るまでのアレクサンドロスの帰還を描いて『エウメネス8』としたいと思っている。 『エウメネス8』の主役はカラノスというバラモン僧になる予定だ。 この人はもともと出てこないので、『エウメネス1』に追記した。 『エウメネス1』だけで完結するには要らないキャラだが、 『エウメネス2』から『エウメネス7』まで来て『エウメネス1』に戻って、『エウメネス8』で完結するためには、必要なキャラだと考えている。 アレクサンドロスが死ぬところやその後のディアドコイ戦争を書く気はない。

アレクサンドロスとは何だったのか。 彼にはエパメイノンダス、フィリッポス2世という先達がいた。 ペルシャ帝国が瓦解しかけ、そのコスモポリタニズムを新興のマケドニア王国が引き継いだ。 さらに彼の個人的資質、特殊能力としてはダイモニアというものを仮定している。 ダイモニアはソクラテスが言っていたことで、アリストテレスもエウダイモニアなどと言っている。 ダイモニアは守護神とか守護霊のようなものであるし、バラモン教的に言えば阿頼耶識とでもなろうか。 無意識的自我とでもいえばよかろうか。

『エウメネス5』ではたくさんの神が出て来た。 ダゴン、イシュタル、ナブー、マルドゥク。 占星術、七曜にも多く言及した。 ユダヤ教にもちょっと触れた。 『エウメネス3』ではフェニキア人やエジプト人の神の話も出た。 ペルシャ人の神アフラマヅダは当然出てくるし、 ギリシャ人の神はディオニュソスを初めとしてこれまたたくさん出てくる。

これだけたくさん神様を出したのは単に私の趣味だからでもあるが、 私は、アレクサンドロスがパールサプラを焼いたのは、アレクサンドロス自身が意図したのではなく、 バビュロニア人とペルシャ人の間の宗教的な対立があったからだと思うからだ。 もちろんギリシャ人も、ギリシャに侵攻したクセルクセス王には恨みがあった。 そのクセルクセスが完成させたパールサプラを略奪し焼いたのはギリシャ人自身の復讐であったかもしれないが、 しかし、バビュロンに入城したアレクサンドロスが為政者として市民らに最初に期待されたのは、 ペルシャ人への報復だったと思うのである。 つまりバビュロンへの無血入城には、パールサ征服という交換条件があったのではないか。

ディオドロスの『歴史叢書』も最近になって目を通している。 概要はアッリアノスと、ウィキペディア英語版など読めば十分なのだが、 ディオドロスにしか書いてないディテールなどが割と作品に風味を加えてくれるので、 できるだけ拾いたいと思う。 他にもクセノフォン、トゥキュディデス、アテナイオスなども読んでいる。 森谷公俊氏の本も読み始めた。 しかしプルタルコスを参考にするつもりはない。

まともかく『エウメネス』シリーズは完成させなくてはならない。 そのため『エウメネス1』はだいぶ加筆修正した。 『エウメネス2』にはアンフィポリスの戦いを加筆した。 完成させるまでには、いやもしかすると完成させたあとも、加筆や修正は続くんじゃないかと思う。

エウメネス5

11月30日に出版開始してそれからさらに書き足してしまい、211枚まで増えてしまった。 私の場合どうしても出版した後にも修正したり書き足したりしてしまい、 しかもキンドルは改版するのが難しいから、出ました、とはなかなか宣伝できない。

でも読んでもらいたい気持ちはあるから、ツイッターなどで告知したい気もする。

一応完成はしているが未完成なのだ。

今あらためて『エウメネス1』を読み直すと幼稚だ。 『エウメネス』を最初に書いたのはもう4年前だ。 あの頃はアッリアノスの『アレクサンドロス大王東征記』だけ読んで、イッソスとガウガメラはある程度知っていたが、 その後のゲドロシアのところが面白かったので、そこを切り取って書いたのだった。 今『エウメネス5』を書いているが、これはアリアッノスだけでなく、ヘロドトス、トゥキュディデス、クセノフォンなどいろんな歴史書を少しずつつまみ食いして補完して書いているのである。 もちろんウィキペディアとかペルセウスとかその他の文献も見ているが。 当時と今では知識量がまるで違う。 私は4年前、ほとんど何も知らずに書いていた。 4年前の私に『エウメネス5』を読ませたらどんな気持ちで読むだろうか。 まったく予測がつかない。

『エウメネス1』の頃の私はわりと読者目線に近かったと思う。 ふつう読者はエウメネスを知らないからエウメネスを知ろうと思ってエウメネスの本を読むわけだ。 私もエウメネスを知らずにエウメネスを書いていた。

今の私は読者目線にはなれようがない。著者としてしかエウメネスを見れなくなってしまっている。 どちらが良いともいえない。 著者としては今の私のほうが優れているはずだが、読者にとっては、自分に近い目線の人が書いたもののほうが面白いはずだ。

『エウメネス1』を書いたとき私は傑作を書いたつもりでいたが、今見るとなんとも物足りない。 あの頃はあの80枚をものすごい努力で書いたのだった。 今は200枚くらい平気でかける。 いろんなエピソードを挟んだり、架空の人物を登場させることで、いくらでも分量を増やすことはできるようになった。

キリリと引き締まった短編

私が好きな作家、というか、天才だなと思えると言うか、尊敬する作家は芥川龍之介、志賀直哉、中島敦などなのだが、皆キリリと引き締まった短編を書く人たちだ。夏目漱石や村上春樹にそういう短編があるかと言えば無い。 では実際、芥川や志賀の長編を読んだことがあるかと言えばまともに読んだことは私はないのであって、短編の印象だけで彼らの才能を判断している。 中島敦は全集をたびたび読んだから、おそらく相当好きなのだろうと思う。だが長いものでもせいぜい李陵とか、スチーブンソンの伝記くらいでそんなに長いものはない。 菊池寛も好き。 長いものでまともに読んだのは日本外史くらいじゃないか。 あとはハイジとか? ヨハンナシュピリは好きな作家と言ってもよい。 嵐が丘は読んだ。エミリーブロンテはたしかに天才だ。スタンダールは挫折したが、嵐が丘はきっちり最後まで読んだのだから。あの気が狂ってる感じがとても良い。

昔良いなと思ったキンドル作家の作品を読み直すとそうでもないことがある。未知の作家には自分の趣味を投影して勝手に想像して読んでしまうからかも知れない。その作家を知り、作品傾向を知るにつれて初期作品のあらがみえてしまうのだろう。

ディアーキー

スパルタは君主制ではあったが、モナーキーではなかった。スパルタには常に王が二人いたのでモナーキーではなくディアーキーと言うべきなのである。このディアーキー状態が500年以上に渡って、ほぼ純粋な形で持続したらしいのだが、私は他に類例を知らない。ローマ帝国など見るとディアーキー状態は不安定で一時的なものに過ぎない。 スパルタはアテナイほど饒舌でなく、自ら何も歴史を書き残さなかった。だから私はエウメネス4で、スパルタの王制をほとんど推測で書くしかなかった。 私はスパルタを原始共産王制と表現してみた。蟻や蜂の群れと同じく、王や女王はいるが、彼らも他の個体と同様に分業しているに過ぎないのだから、一種の共産制であると言える。 スパルタが建国当初から安定してそのような政体を維持し得たのは驚くべきことのようでもあるし、必然でもあったようにも思える。彼らはまさに蟻であり、蜂であったのだ。全体主義。滅私奉公。

特務内親王遼子の蓬莱国もモナーキーのようで実はディアーキーだったというのが落ちで、広げた話になんとか落ちを付けるための苦肉の策だった。スパルタの事例は知らずに書いた。ある意味、事実は小説より奇なりだなあとおもう。

エウドキア

最近『エウドキア』が割と良く読まれているのがうれしい。

『エウメネス』のついでで読んでもらえているのだろうか、第一次十時軍前史というあたりで興味を持ってもらえているのだろうか。 いずれにしてもありがたい。 『エウドキア』はKDPでは「古代ギリシャ史」に分類されているのだが明らかに「中世ギリシャ史」である。 しかし「中世ギリシャ史」というカテゴリーがないから仕方ない。 また『エウメネス』は「古代ギリシャ史」に違いはないのだが、どちらかといえば「ヘレニズム史」「西アジア史」というべきだ。 しかしそんなことを言っても、仕方ない。 ともかく西欧史観というのがじゃまくさい。 最近よく思うのは、たしかに自然科学というものは西欧の発明だが、それゆえにあまりにもキリスト教との親和性が高すぎて、 自然科学とキリスト教の癒着は非常に強くて、しかも無意識的なものなので、 すぐに本卦還りして、疑似科学とか精神世界とかに引きずられちゃうんだよね。 だから before and after science とかポスト自然科学とか言いながら、スピノザの汎神論まで戻っちゃうバカが現代でもどんどん湧いてくるんだよなあ。 儒教なんかだとそんな傾向はもっと薄いんだけどなあ。 でも儒教を下敷きに自然科学が出てくる可能性はないしな。 まともかく自然科学がキリスト教神学から生み出されたのは人類にとって一つの不幸であるには違いない。

話を戻すと、『エウドキア』は、もともとは、One Upon a Time in Eurasia というとてつもなくでかい話を書いてその一部を切り取ったものである。 One Upon a Time in Eurasia ではあまりにわけがわからないのでのちに『セルジューク戦記』という名前にした。 オスマン・トルコは知ってても、セルジューク・トルコを知っている人はあまりいない。 ましてマラズギルトの戦いを知っている日本人は滅多にいない。 アルプ・アルスラーンは少し(名前だけは)知られているようだ。 この話、 主人公はもとはといえばオマル・ハイヤームだった。 私は西行、太田道灌など詩人を主人公にしたがる傾向があり、 エウメネスという書記官を(アレクサンドロス本人ではなく)主人公にしたがるのも同じといえば同じである。 全般的に文人を書きたいので、新井白石や大塩平八郎も同じ理由で主人公になっている。 エウドキアもギリシャ古典文芸が好きな文学少女なので、やはりヒロインにしてみたかったのだが、まあ、歴史的にはほとんど無名なひとだよね。 エウドキアとエウメネスには共通点があるわけで、そのあたりがまあ、私が描きたい歴史上の人物、ということになる。 オマル・ハイヤームは数学者でもあって、私の場合そういう学者を主人公に書きたがる傾向もある。 『安藤レイ』『生命倫理委員会』『司書夢譚』『妻が僕を選んだ理由』『西京極家の秘仏』などがそうだ。 といった傾向をわかって読んでもらえているのだろうか? オマル・ハイヤームはその上酒飲みでもあって、私が主人公で書かないはずがないのだが、書きにくい。それはやはり中央アジアという、面白くもわかりにくい世界を舞台にしなきゃならないためでもある。一度あのへんに住んでみたいなあという気持ちはある。だがもうこの年になっては無理はきかないだろう。 『エウメネス』が最初ゲドロシア編から始まるのは、やはり私に、そういうペルシャとか西アジア、中央アジアなどの世界を書きたいという願望があるからだ。それは、多分に、宮崎市定の影響によるものだろうと思う(東アジアを書いてないわけではない。『特務内親王遼子』とか。これまた全然読まれないのだが)。

ついでだが、「エウメネース」は完全にギリシャ語の名だが、「エウ」「ドキア」はギリシャ語とラテン語のちゃんぽんで、 東ローマまで時代が下るとギリシャ語とラテン語が完全に混淆しているのが当たり前なのだが、ヘレニズム時代はきちんとギリシャ語だけで書かないと恥をかくことになる。 そこがけっこうたいへん。

話は戻るが、一番最初に疑問に思ったのは、オマル・ハイヤームはトルコ人だったのかペルシャ人だったのかということで、 少し調べればわかるがトルコ人であるはずがなく、ペルシャ人であった。 しかも生涯、今のイラン東北部のホラサーンとか、トゥルクメニスタンのメルヴあたりに暮らした人だった。

メルヴはアーリア人共通の故地であり、仏教語では須弥山と言い、西へ行った種族はペルシャ人になり、東のインドに入ってアーリア人になった。

オマル・ハイヤームの父イブラーヒムがアルプ・アルスラーンとともに西征してマラズギルトの戦いに従軍した、というのは創作であって、 そのとき若い頃のゴットフリード(ゴドフロア)、バルドヴィン(ボードワン)兄弟と遭遇したというのも創作だった。

それで余りにも話が大きすぎて、特にオマル・ハイヤーム当たりが書きにくいので、書きやすいところだけを切り取って残したのが『エウドキア』と『ロジェール』なのだが、 イェルサレム王バルドヴィンの後妻のアデライーデの息子がロジェール2世なのである。

『ロジェール』がほとんど読まれないところを見ると、どうも十字軍がらみで『エウドキア』が読まれているらしいってことがわかる。 それでまあ、第一次十字軍そのものについて、当時の東ローマ皇帝アレクシオスを主人公にして書けばそれなりに注目はされるかなと思い、 多少構想はあるのだが、書くからにはきちんとしたものが書きたいなとはおもう。すでにアレクシオスは『エウドキア』にも『ロジェール』にも登場している。 彼はすごくキャラの立ったひとだなあと思う。