ソラリス

自分で小説を書くようになると、むかし読んだ小説が違って見えてくる。『ソラリス』を読み解くのはなかなか厄介だ。まず原作のスタニスワフ・レムという人がややこしい。『ソラリス』を読んだだけではよくわからん人だ。それをアンドレイ・タルコフスキーというソビエトの監督が映画化した。これまたよくわからん映画だし、映画版『ソラリス』を見ただけではタルコフスキーという人はわからない。

さらに『ソラリス』をよくわからなくしているのはハリウッド版の『ソラリス』なのだが、ハリウッドという存在をある程度知っていれば、このような脚色になるのは理解できるし、その知識に基づいてリバースエンジニアリングすれば元の『ソラリス』をある程度「復元」することも可能だ。

タルコフスキー『惑星ソラリス』:悪しき現実逃避映画。山形浩生もまたそのややこしさに目くらましされているように思う。もしかすると彼は東宝が配給した日本語吹き替え版を見たのかもしれない。この日本配給版は、冒頭で説明的なナレーションをかぶせたり、
意味深な前振りをざっくり省略したりしている。この前振りはラストと呼応しているわけだが、前振り抜きでラストだけ見させられると、どうしても山形浩生のように、

タルコフスキーは最後の最後でそこから逃げる。

という印象になってしまうだろうし、そこから

現実との直面を妄想との置換で逃げるやりかたのあらわれでもある。

という結論に導かれてしまいがちなのである。レム原作の『ソラリス』は現実逃避な話でもなければ、「愛が世界との関係の比喩になっている」作品でもない。最初から最後まで完全純粋なSFである。SFというか、物語仕立てにした、科学的手法に基づいた思考実験、というべきか。その「まな板」の上で「恋愛」が調理されているに過ぎない。この「まな板」はレムの他の作品と共通なものだから、それを知った上で『ソラリス』を見れば、ああ、レムは今回は「恋愛」をSF的手法で徹底的に切り刻んだわけだと、簡単に理解できるのである。

大嫌いです。冷たくて人工的で。だいたい兄は映画で、家族への思慕を繰り返し描きますが、実際には実家にも全然帰らず、まったく家族に会おうとすらしなかったんです。あんなの全部、口先だけのインチキです

変なことを言う、と思う。創作者はみな自分を狂気に追い込まなくてはならない。狂気の中に身を置かねばならない。いつも自分がほんとうに狂ってしまわないように自分の理性をコントロールしながら生きていくものだ。家族が好きかどうかということはあまり関係ない。それに妹に兄のことがわかるはずがない。親にも子にもわかるはずがない。映画監督の気持ちなんて。

それでまあ、山形浩生は律儀な人だから、レムの原作も読んでみたわけだ。感情なき宇宙的必然の中で:スタニスワフ・レムを読む。ところが彼はレムの小説ではなく彼が書いたSF評論を先に読んでしまったようだ。山形浩生は作家ではなくて評論家であるから、評論家としてレムを見ようとしたのかもしれないが、レムの評論に何か意味があるとは思えない。レムはSF作家以外の何者でもないからだ。

さようなら、人間嫌いのレム。死んで、水のつまったべちゃべちゃの醜悪な肉体から解放されたあなたは、機械に生まれ変われたでしょうか、それとも情報の炎を放つ星になれたでしょうか。もうしばらくして人間の時代が終わり、宇宙の主役が交代して機械となったとき、その機械たちにあなたの慧眼が伝わりますように。もっとも……あなたが正しければ、おそらくぼくたちは、その交代が起こったことにすら気がつくことはないのでしょうけれど。でもその一方で、かれを悼む人々に対してレムなら平然と言い放つだろう。悲しむことはない、と。

「機械に生まれ変われた」というのは『砂漠の惑星』のことを言っているのだろうし、
「情報の炎を放つ星になれた」というのは惑星ソラリスのことを言っているのだろう。
しかし、レムはおそらくただの「人間嫌い」ではなかったはずだし、宇宙の主役が機械になってしまうことを望んでもいなかっただろうし、自分自身が機械になりたいとも思ってなかったはずだ。

レムが嫌っていたのは、例えばウェルズの『宇宙戦争』のように、地球に人間が住んでいるのならば、火星には火星人が住んでいるはずだ、とか、火星人がいたら、地球人が民族どうし戦争するように、戦争するはずだ、文明人が野蛮人を征服するように、火星人のほうが地球人よりも文明が進んでいれば、先に火星人が地球に征服に来るはずだ、という「あまりにも人間的」な発想だ。19世紀のヨーロッパ帝国主義的と言ってもよい。

このウェルズ型の素朴な「宇宙人」「侵略者」は、徐々に洗練されていく。人間と良く似た宇宙人がいて、地球を侵略しに来て、時には宇宙人と地球人の間に恋愛が成立して、子供まで出来てしまうという、実にご都合主義的なSFも出てくる。そのご都合主義は、イデオンのように宇宙人も地球人ももともとは同源であるとか、キューブリックのように、キリスト教的な、地球のすべての生命体のスーパーバイザーとしての知的生命体の存在を仮定したりする。『未知との遭遇』のように、戦争に倦んだヒッピーたちは人間の形に似ているが友好的な宇宙人像を求めた。すべて馬鹿げたことだとレムは思っただろう。そんな人間に都合の良いような、人間の想像力で説明が付くような宇宙人が存在するはずがない。人間の都合で宇宙人を作るな。それは、人間の都合で神を作ってきたのと同じくらい馬鹿げたことだ。人間固有の発想に囚われている。先入観を捨てて、人間的発想から脱出しなくてはホンモノのSFは書けない。レムはそう思ったはずだ。

宇宙には人間とはまったく異なる知的生命体が存在するに違いない。それはどういうものであり得るか、ということを(20世紀に生まれた人間という限界の中で、ぎりぎりまで)追求したのがレムという人だった。他のSF作家が「あまりにも人間的」なSFばかり書くのでそれに反発したのがレムであったというだけであり、そここそがレムのオリジナリティーなのである。作家が自分のオリジナリティーに過度にこだわり、必要以上にのめり込むのは当然といえる。レム自身が人間嫌いだったとは言えない。

飯田規和氏の訳はともかくとして、『ソラリスの陽のもとに』という早川文庫の邦題は余計だ。「ソラリス」はもともと「太陽」の意味でかぶってるし、「ソラリスの陽」ではまるでソラリスは恒星のように思える。まあ、惑星をソラリスと名付けるのがそもそも問題だが。『ソラリス』だけでわかりにくいというのであれば『惑星ソラリス』くらいにしておくのが一番良かろう。『ソラリスの海』というのは冨田勲の命名。

タルコフスキーが『ソラリス』をあんな恋愛ものに仕立ててしまった理由はよくわからない。レムは反発してそして抵抗を諦めたのに違いない。『僕の村は戦場だった』で、白樺林の中でマーシャがくるくる回るシーンがある。そしてあの暗く冷たい湿地帯のイメージ。まさにポーランドの原野だ。『ソラリス』では東京の首都高をぐるぐる走ってる。要するにタルコフスキーはそういう映像表現が好きな人であって、それを『ソラリス』に投影すればあんなふうになるのだろう。としか言えない。

ハリウッド版の『ソラリス』はまあどうでもよい。タルコフスキー版からヒントを得て、きちんとしたSF恋愛ものにリメイクしてしまった。ヒロインは悲劇のアンドロイドとして描かれている。和食がみんな醤油味なのと同じで、ハリウッドの『ソラリス』はハリウッド味のハリウッド映画、としかいいようがない。

レムの『ソラリス』だが、導入からして完全にSFである(タルコフスキーとはまったく違う!)。第一章の終わりで、スナウトの手に干からびた血がこびりついている、という記述がある。この日の朝、ギバリャンは死んだとスナウトは言っているのだから、スナウトがギバリャンを殺したか、あるいはその死に深く関わっているだろうということが暗示される。うまいひっかけだと思う。読者はこのひっかけにひっかかってさらに読み進めざるを得なくなる。多くの謎が第一章で投げかけられるが、そのほとんどすべてがあとで裏切られていく。そこがまあこの作品のおもしろさだろう。第二章ではさらに昔死んだ恋人が現れる。これがだめ押し。ここまで読めばとりあえず読者は中盤までは読み進めるだろう。レムの他の作品にもあると言えばあるが、これほど巧妙な仕掛けはしてないと思う。

私もこういう仕掛けを使わなきゃならんなと思わせる。

ま、しかし、レムの代表作が『ソラリス』なのはタルコフスキーの映画のせいであって、『ソラリス』が真に理解されたからではないし、『ソラリス』だけに恋愛要素があるからでもないだろう。『ソラリス』は確かに傑作だが、その評価はかなり本質からずれていると思う。

『ソラリス』の多くの部分は、おそろしく退屈だ。恋愛なんて一言も語られない。ここはレム自身による作品解説になっている。タルコフスキーもハリウッドもこの部分はざっくり省略している。多くの読者もそれらはよみとばしているのではないか。

真ん中あたりに「バートンの飛行日誌と調査委員会における証言」というエピソードがある。巨大な人間の赤ん坊がソラリスの海の中で、ソラリスに操られて無意味な動きをしているという場面などが出てくる。実は『ソラリス』は他を一切読まず、ここだけ読んでもわかる。『ソラリス』という話の核とも言える。もしかするとレムは最初にここを書いて、前後を付け足したのかもしれない。

レムはおそらく科学者に憧れた人だっただろう、宇宙時代を開拓したソビエトという国家に現れた科学者たちに。少なくともレムの作品にはオカルト的な、不条理な、ファンタジー的な要素はひとかけらもない。100%ピュアな科学小説だ。レムにしてみれば、この作品は小説の体裁をした「学術論文」あるいは「哲学書」という性格のものであり、徹底的につじつまを合わせ、ネタばらしをしなくては気が済まなかった。実は私も「エウメネス」や「マリナ」ではそうしている。前半部分は読者サービス。中盤以降の解説部分は、たぶん読者にはあまり興味ないのだろうと思うが、著者としては書かずにはおれない。

finis vitae, sed non amoris

などと言った、恋愛小説めかした文句は結局は飾りなのだ。

イソクラテス弁論集

この解説がいきなり「カイロネイアの敗報」から始まっているのだが、私は暫くこの文章をイソクラテスが書いたのかと思って読んでしまったのが、なんだかおかしい。あきらかにおかしい。読み返してみたら解説が始まっていたのだけど、イソクラテスがデモステネスを褒めるはずがない。

デモステネスの演説がもつ決断の力強い表現は、都市国家が最後に放った閃光であり、ギリシャの弁論術の最高の達成である。

などというはずがない。イソクラテスはデモステネスに対して真逆の評価をしていたのに違いないのである。

私に言わせればデモステネスはただのバカだ。

カイロネイアの戦いが終わって酒に酔ったフィリッポス2世がデモステネスの決議文を韻文にして吟じたなどというのは、これも誰が言ったかわからない俗説だし(フィリッポスはデモステネスを嫌っていたが、そこまでするとは思えない)、イソクラテスがカイロネイアの敗報を聞いて断食して死んだというのも後世の俗説である(イソクラテスがそんな馬鹿なことをするはずがない。イソクラテスの死とカイロネイアの戦いがどちらが先かは不明)。むろんそういう俗説もあると参考までに取り上げるのはかまわないが、いきなり解説の冒頭にもってくるとはどういうことか。ミスリーディングだろ?

この、「イソクラテス弁論集」という極めてマイナーな本を読もうという人は、ソクラテス、プラトン、アリストテレス、或いはデモステネスと続いた正統派の古典ギリシャ哲学に、多少の疑問をもち、イソクラテスに同情的な人ではなかろうか。フィリッポスと同時代で、彼の理解者であったイソクラテスの生の声を聞きたくてこの本を読むのではなかろうか。この本の解説はその期待を完全に裏切る。この本をさらに読む気が失せるほどに。この本の著者は、単に学術業績のために、ペルセウスの英文をたまたま翻訳しただけなのではなかろうか? イソクラテスに対する「愛」は持ち合わせてないのだろう。

少なくとも、イソクラテスの本なのだからイソクラテスのことを、客観的に、中立公平に、学術的に論じてほしい。そして単に今日定説となっていることを羅列して解説とするのではなく、イソクラテスという人の意義を掘り下げてみせてほしい。でなければ解説など邪魔だ。

それから、「平和について」と題するイソクラテスの演説も、これはデモステネスのような主戦論者に反対して言っているのだ、マケドニアと争うな、テーバイと同盟してマケドニアと戦争するなど大きな間違いだと。そしてこれは大国ペルシャに対して言っているのでないことも他の演説によってわかる。ペルシャの脅威に対してはギリシャ人全体の問題として、一致団結して、適切に対処しろと言っているのだから。そりゃそうだ。スパルタ、テーバイ、アテナイ、マケドニア、ギリシャ人が内輪もめしてる場合じゃないよと。さっさとギリシャ諸ポリスはマケドニアを盟主と認めて外敵ペルシャに対抗しろ。イソクラテスはそう言っているのだから。

月報の論評は日本の「平和憲法」や「九条」と絡めて話してしまっている。おかしな左翼思想を持ち込むなよ。そういうコンテクストで戦争を放棄しろ、平和条約を結べ、などと言っているわけではない。読めば明らかではないか。

ともかくイソクラテスファン(そんな人がいるかは知らぬが)が読んだら、腹を立てるに違いない。しかしおそらくそんな人は今のギリシャ哲学研究者にはいないのだろう。

それはそうとイソクラテスがスパルタという「王国」を褒めているのは面白い。結局マケドニアはスパルタと最終的に雌雄を決することになったのだが。まあ、マケドニアが好きなイソクラテスが同じ王国のスパルタを好きなだけかもしれないが。そんな彼がアテナイの敗戦を悲しんで断食して死ぬはずない。

世界から猫が消えたなら

どういう本が人によく読まれるのかということを知るために読んでみたのだけど、まあこのくらいあざとくないといけないんだろうなと思った。

悪魔と契約して「猫を消せなくて自分が消える」という、基本的なコンセプトはこれだけで、コンセプトがシンプルだというのも売れる本にとっては良いことなのだろう。ものごとは単純化したほうがよいこともある。

そして、飼い猫を消せなくて自分が消えることにしたということに、共感できる人には面白い本で、
それ以外の読者は捨ててる潔さもよい。

文体は、よくわからんのだが、これが村上春樹風というのだろうか。「文章が稚拙」というレビューもあったがそれは違うだろうと思う。「稚拙」にみせるテクニックはあるかもしれない。「あれ、これなら自分にも書けるんじゃないかな」と読者に思わせるくらいが親近感があって良いのかもしれない。中島敦とは正反対な戦略と言える。

神や悪魔については、これもこのくらいシンプルなほうが一般受けするのだろうが、私には絶対受け入れられないものだ。完全にステレオタイプ化され、ブラックボックス化されていて、そういうものだというのが前提で話が構築されているが、そうね、私の書くものはまず、そのブラックボックスを壊して開いてみるところから始まる。なので、こういう話の展開には決してならない。

猫がかわいい。家族や恋人は大事。友情は大切で、戦争は悪いこと。ここをまず疑い否定するところから近代文学は始まるのではないか(?)というのはたぶん私の思い込みなのだろう。前提がまず違っている。これを「感動的、人生哲学エンタテインメント」とうたっているところがもう不倶戴天な感じがする。

まともかくこういうのを喜んで読む読者というのがいて、そういう読者に本を買って読ませる業界というものがあるというのはなんとなく理解した。私が抱いていた「売れる本」というものに対する漠然とした疑問と不安を、明確に突きつけてくれた本、と言える。そう。こういう本を、私は書いてはいけない。というより、こういう本を否定するために、私は本を書かなくてはいけない。

さらに余計なことを書くと、この本の著者は、「「文系はこれから何をしたらいいのか?」この本は、理系コンプレックスを抱える文系男が、2年間にわたり理系のトップランナーたちと対話し続け、目から鱗を何枚も落としながら、視界を大きく開かせていった記録だ。」 というコンセプトで 『理系に学ぶ。』という本を書いているのだが、 この人は文系でも理系でもない。学問とは無縁な世界の人だと思う。学問と無縁な人を文系というのならアリかもしれないが。

機動戦士ガンダム THE Origin

「機動戦士ガンダム THE Origin」なんだが、comic-walker などで無料の試し読みが見れるので、読んでみたのだけど、これはねえ。安彦良和の悪いところが出てしまっているというか。「王道の狗」「虹色のトロツキー」なんかは好きで読んだけど、それとおなじノリをガンダムでやられると、正直つらいところがある。「麗島夢譚」的なノリというか。

フラウボウとアムロ、ミライとブライトの関係なんかも見ててはがゆい。

本人が描きたかったということもあるんだろうけど、描けば必ず売れるという計算もあっただろうと思う。安彦良和のオリジナル漫画なんてマニアック過ぎて誰も読まないからね。

ネタバレはあります。

CGや特撮がしょぼいのはシャレもあるだろうから、そこは批判しないようにしようと思ってたが、だいたいは良かった。それなりにきちんとしている。この映画のCGをハリウッド映画なんかと比較して叩くとかむなしいだろ。

ただ、いろんな路線の電車に爆弾積んでゴジラにぶつけるCGはダサかった。いろんな電車がプラレールかなんかみたいにとびちっててなんであんなことするのかと思った。あれは何か、鉄オタへのサービスのつもりなのだろうか。電車ぶつけても先頭車両の爆薬くらいしか効かないだろう。

で、呑川をさかのぼってくるサンショウウオだかなんかみたいな形態のゴジラは面白かった。ああこれがネタバレかと思った。

自衛隊とゴジラの戦闘シーンはよかった。たぶんこの映画の一番良いところはここだ。多摩川を挟んで自衛隊とゴジラが対決してゴジラが勝っちゃう。米軍との戦闘もまあまあだった。しかしゴジラの背中からビームが何本も出るのは「イデオンかよ」と思って引いた。ゴジラの口から出すビームが「なんだ巨神兵かよ」と思った。

でまあ電車をぶつけるのはどっちらけだった。ビルに仕掛けた爆弾でゴジラが下敷きになるのもどうかと思った。それで口から凝固剤を流し込むのだが、血管注射するならともかく口から入れても入るかしれないし、入っても胃があるなら胃酸で変質してしまうだろうし、注入している間ゴジラがおとなしく気絶しているのがもう全然間抜けで、自衛隊や米軍に対してあんなに強かったゴジラがなんでこんななのかと思う。でそのタンクローリーみたいなのが瓦礫の山の中をどうやってゴジラまで近づくんだよ、近付けたのは奇跡に近いんじゃないかと思う。ともかくこのヤシオリ作戦というのがとてつもなくひどい、と私には思えた。北の丸の屋外に指令本部みたいなのを設置して、なんか迷彩の網みたいなのをかぶして、放射能防護服着てるのだが、なんでそんなことする必要があるのかと思った。別に指令本部は立川にあっても良いんじゃないかと思った。立川じゃなくても良いから北の丸よりもずっと離れた地中とかにあっても良かったはずだ。そういうご都合主義が多すぎた。

首相官邸のすったもんだとかは別にどうでもよかった。石原さとみも言われているほど大根役者ではなかった。ノリとしては政治ドラマというより警察ドラマに近い。政治臭もあるのだが、そんなに良い出来とは思えなかった。例えば「ブラックホークダウン」みたいな、胃に穴が開きそうな緊迫感は無い。あれも結局はアメリカマンセー臭さがあるんだけど、ああいうふうに、実際に戦争してる国が作る映画とはまるで違う物だ。アメリカの属国とかいう言葉も、言いたかったんだろうが、軽い感じがした。

あと、主人公が最初から事故原因を巨大不明生物だと見抜いていたのが不自然過ぎる。

東映のデビルマンを1デビルマンとすれば、シン・ゴジラは1000デビルマンくらいはある。でもいろいろ不満な点はあるので、10000デビルマンではない。

深読みすると、シン・ゴジラは冒頭で行方不明になる牧悟郎なる科学者が生み出したものであり、その「倒し方」も牧悟郎が残した「暗号化資料」にすべて明記されていて、すべては牧による自作自演であり、シン・ゴジラは牧が作った「使徒」なのであるから、これに忠実に沿って実行されたがゆえにヤシオリ作戦は成功したのだ、と解釈できなくもない。「私は好きにした、君らも好きにしろ」という牧の置き手紙もそういう意味。だとしてもやはりあの「倒し方」は納得いかない。

摂政

日本では、摂政というのはずっと天皇の外戚のことだった。具体的には藤原氏のことだった。昭和天皇が即位する前に摂政宮となったのは例外であった。

藤原氏が摂政である場合、藤原氏は天皇家の祭祀まではやらない。藤原氏には藤原氏の氏長者がいて、藤原氏の祭祀があるからだ。

天皇家の祭祀は天皇の専権事項であり続けた。皇太子や上皇が行うことはあり得ない。大正期の摂政宮がどうであったか。詳しくは知らないが、天皇以外が天皇家の祭祀を行うことはちょっと考えにくい。それはいかなる法律にも、憲法にも書き得ない、天皇家の家訓に関わることであって、国民とか、日本という国家が変更のしようがない。介入のしようがない。昔ならば天皇が譲位して上皇になればよかったがそれは現在認められてない。明言はまったくされてないが、

「天皇の高齢化に伴」い「行為を限りなく縮小していくことには、無理があろう」

とか

摂政を置いても「生涯の終わりに至るまで天皇であり続けることに変わりはありません」

とはこのことだろうと思う。天皇が必ずやらなくてはならないこと、摂政に任せられないことは、他には考えにくい。国事行為ならば、摂政や大臣が代行できる。問題はそれ以外の部分なのだ。

摂政が全部代行すれば良い、と言っても、外戚の藤原氏が摂政だったという長い長い伝統があるし、天皇家の内規では天皇しかできないことがあるのだ。結局伝統に則るためには明治政府が作った皇室典範は邪魔になるのである。

今上天皇としては、フィリピンを訪問したことによって、為すべきことはすべてなし終えたと思ったのに違いない。長い、戦後の贖罪の旅だった。譲位の意向というのはその区切りを付けたことによると思う。

天皇と上皇がいる状態というのは、もともと珍しくはなかったのだが、政治的にはあまりよろしい状態ではない。天皇と上皇は政治的には対等だったという、これも長い長い伝統があるからだ。天皇が上皇になっても上皇の権力は天皇の時とまったくそのまま、或いはさらに権威づけられて存続するし、上皇が再び天皇に即位することだってあったわけだし、上皇もまた国事行為を行ってもよいと解釈することは可能だし、上皇もまた日本国の象徴だと見なすことすら可能だし、とにかくいろいろややこしいことが発生する。だから明治の元勲たちは、天皇は譲位できず、その代わり摂政が天皇の国事行為のすべてを代行し得るというやり方を決めたのだったが、国事行為ではない天皇家の身内の宗教的行事までは縛りようがない。そこを修正しようと思うと、皇室典範だけではなく、憲法も、天皇のあり方も、全部一度見直さなきゃならなくなる。

譲位を認めると、天皇を強制的に退位させられるようになるからダメだという意見もあるようだが、これは、現代ではあまり関係ないのではないか。

堅信礼の贈り物

ヨハンナ・シュピリ処女作出版の経緯についてはこちらの記事に詳しく記されている。

> Johanna Spyri und Bremen: ein Beitrag zu den schweizerisch-hansestädtischen
Literaturbeziehungen und zu den schriftstellerischen Anfängen der “Heidi”-
Autorin

後書きに書いた通り。ほんとはもっとたくさん書きたかったが、あまりに「後書き」が長すぎてもかっこわるいので、必要最小限しか書かなかった。中途半端に書いておくとあとで自分も忘れてしまって困るので整理しておく。

> Autor(en): Richter, Dieter

Dieter Richter はドイツ語学者。

> Zeitschrift: Librarium : Zeitschrift der Schweizerischen Bibliophilen-
Gesellschaft = revue de la Société Suisse des Bibliophiles
Band (Jahr): 31 (1988)
Heft 2

「Liberarium」という、スイス愛書学会(?)から出ている論文誌に載っているらしい。

> Die kleine Schrift kostete in Bremen sechs Grote (30 Pfennig) und wurde im Kolportagevertrieb auch von Pastor Vietor selber verkauft.

その小さな著作は、ブレーメンで6グローテ(30ペニヒ)で売られた。また、フィエトル牧師は自ら販売した。Kolportage は行商、Vertrieb は販売。出典は

Titelblatt-Faksimile bei J.Winkler, a.a.O., 123. Ein Exemplar dieser Auflage befindet sich in der ZB Zürich.

Titleblatt は製本された本の中に挟まれる標題紙。当時販売された書籍から採られたコピーということ。ZB Zürich == Zentralbibliothek Zürich はチューリヒ市とチューリヒ大学共同の図書館。おそらく記事に掲載されているこの画像のことだ。

vietor


> Das Büchlein ist für 6 Grote zu haben in Bremen bei C. Hilgerloh, am Brill No. 19, und bei Pastor C. R. Vietor, Domshof 27. Bestellungen von auswärts werden durch C.Hilgerloh ausgeführt.

「この小さな本はブレーメンのAm Brill 19番地の C. Hilgerloh で、また、Domshof 27番地の C. R. Vietor牧師から、6グローテで手に入る。国外販売は C. Hilgerloh が行う」と書かれている。
つまり、フィエトルは自ら売り歩いたわけではなく、セールスして回ったわけでもなく、出版社の C. Hilgerloh から分けてもらった本を、自分の教会に置いて頒布していた、ということであろう。
Domshof(教会広場) 27番地はまさにその教会(Die Kirche Unser Lieben Frauen)やらブレーメン市庁舎が建ち並ぶ、市の中心地である。
Am Brill 19 というのはその北西へ1kmほど行ったところ。
ブレーメン中心部はかつて川を挟んで[星形要塞](https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Bremen_Old_Map.jpg)
の中にあったようだ。

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> Das «Bremer Kirchenblatt» empfiehlt das Büchlein als Konfirmationsgeschenk: «Manche Eltern werden gern in dieser Zeit mit ihren Kindern etwas Geeignetes lesen’.»

Konfirmation 堅信礼 Geschenk プレゼント。

Konfirmation はルター派の用語らしく、英語では Confirmation。英訳すると、affirmation of baptism、すなわち、生まれたばかりのときに受けた洗礼を、成年に達してから自らの意志で肯定する儀式。「堅信礼」より「洗礼肯定」のほうがいくらかはわかりやすいのではなかろうか。この儀式は通常16歳に行われた。それまでにゲマインデにおける初等教育は終了する。上流階級の子らはその後で海外に留学したり、さらなる高等教育を受ける。そうでない普通の子らは社会に出て働き始める。

「ブレーメン教会新聞」は、この小冊子を堅信礼の贈り物として推薦した。この当時の相当の父母たちが、子供たちと読むのに適したこの本を読むのを好んだ。

出典は

Meta Heusser-Schweizer, Hauschronik, hg. von K. Fehr, Kilchberg 1980, 58.

メタ・ホイッサー・シュヴァイツァー(ヨハンナ・シュピリの母で詩人)の家の歴史、という本らしい。

新撰和歌2

「新撰和歌」みてるとけっこうわけのわからない歌とか、あまり面白くない歌も含まれている。 わけのわからない歌を「古今集」などで確かめてみると、 貫之本人のせいか途中で写した人のせいかは知らないが、間違っているものも多い。

「古今集」に比べれば「新撰和歌」のほうが雑な印象だが、 そりゃまあ、「古今集」はいろんな人がきちんと校正した結果が今日に残っているわけだから、 それにくらべて貫之の私撰集のほうにあらがあるのは仕方がないのかもしれない。

で、「本朝文粋」が藤原明衡によって後冷泉天皇の時代に成立していたのは間違いないことだし、 その中に紀淑望による「古今和歌序」が当初から収められていたのもうたがいようがない。 でおそらくこれはもともと「序」として書かれたのではなくて、後で「本朝文粋」の「序」の章にまとめられたのであろうということがうかがえる。 そして「序」は「詩序」と「和歌序」に分かれており、 「詩序」には一から四がある。
和歌序は

* 古今
* 新撰
* 奉賀村上天皇四十御筭
* 中宮御產百日
* 女一宮御著袴翌日宴
* 左丞相花亭遊宴
* 賀玄宗法師八十之齡
* 讚法華經廿八品
* 春日野遊
* 泛大井河各言所懷
* 泛大井河詠紅葉芦花

となっており、みな漢文である。 歌合の序はもともと仮名で書かれたものもあって、仮名序というものがもともとなかったわけではない。

古今仮名序の初出は「元永本古今和歌集」であり、白河院の頃に源俊頼が作ったと考えてよい。 そしてこの仮名序も、おそらくは俊頼が真名序を適当に和訳したものだ。 俊頼は確かに和歌は優れているが「俊頼髄脳」などみると歌論はさんざんであって、「古今仮名序」の支離滅裂な文章と良く似ている。

それにくらべて古今の真名序は内容はともかくとして、簡潔で理路整然としている。 おかしなことをくどくど書いたり、脱線したりしてない。 貫之の新撰和歌序にしても、まあ内容や簡潔さというものはともかくとして、まっとうな文章であって、俊頼髄脳や古今仮名序のような悪文ではない。 そもそも貫之は「土佐日記」のような見事な名文を書けるひとなわけだから、 それほどの人が「古今仮名序」のような頭のおかしい文章を書くはずがない。

それで私としてはますます古今集仮名序は源俊頼がでっちあげたものであろうという確信を深めた。 古今集仮名序を、貫之が書いた、仮名文の歌論の先駆などとして持ち上げるのは大問題だ。私としてはさらにすすめて、「竹取物語」や「伊勢物語」も貫之が書いたことを立証したいが、こちらはまだ手つかずだ。

だが文体を「土佐日記」と比較すれば良いだけだから、貫之著かどうかを突き止めること自体は(要する手間ひまはともかくとして)それほど難しくはないだろう。

それでまあ、これも新撰和歌を見ていて気付いたのだが、

内侍のかみの右大将ふぢはらの朝臣の四十賀しける時に、四季のゑかけるうしろの屏風にかきたりけるうた
素性
かすが野に わかなつみつつ よろづ代を いはふ心を 神ぞしるらむ

内侍のかみ、つまり内侍の長官の尚侍は、ここでは藤原満子のこと、その兄の藤原定国が右大将でその四十の賀、という意味。 つまり、新春に若菜を摘んで献上するというのは主君の長寿を祈念する祝賀行事であった。 ここでは素性が藤原定国を祝っている。 単に春の七草を食べれば寿命が延びると信じられていただけではない。 ということは、

仁和のみかど、みこにおはしましける時に、人にわかなたまひける御うた
君がため 春の野に出でて わかなつむ わが衣手に 雪はふりつつ

これは、光孝天皇が即位する前、時康親王であったときに、父の仁明天皇か兄の文徳天皇に奉った歌ではなかったか。 年下の清和天皇、陽成天皇にささげた歌である可能性は低いだろう。

また、これも新撰和歌を見ていて気付いたのだが、『後撰集』読み人知らず

ふる雪は 消えてもしばし とまらなむ 花ももみぢも 枝になきころ

定家はこれを本歌取りして

みわたせば 花ももみぢも なかりけり 浦の苫屋の 秋の夕暮れ

を詠んだのは間違いなかろう。 もちろん「秋の夕暮れ」は清少納言「枕草子」の影響だし、 『源氏物語』第十三帖「明石」

いとさしも聞こえぬ物の音だにをりからこそはまさるものなるを、はるばると物のとどこほりなき海づらなるに、なかなか、春秋の花紅葉の盛りなるよりは、ただそこはかとなう茂れる蔭どもなまめかしきに、

の影響も受けているのである。 ただ単に禅的ダダイズムの歌ではなくて、どちらかといえば平安王朝の雰囲気をコラージュした作品であったと言うことができよう。

新撰和歌 巻第四 恋・雑 荓百六十首 (2/2)

> 281 おもふどち まとゐせるよの からにしき たたまくをしき ものにざりける

> 282 人はいさ 我はなき名の をしければ むかしもいまも しらずとをいはむ

> 283 わが身から うき名のかはと ながれつつ 人のためさへ かなしかるらむ

> 284 あまぐもの よそにも人の なりゆくか さすがにめには 見ゆるものから

異本歌、いづくにか世をばいとはむ世中に老をいとはぬ人しなければ

> 285 いづくにか 世をばいとはむ 心こそ 野にも山にも まどふべらなれ

> 286 月夜には こぬ人またる かきくもり あめもふらなむ わびつつもねむ

> 287 おそくいづる 月にもあるかな 足引の 山のあなたも をしむべらなり

> 288 露だにも なからましかば 秋の夜を たれとおきゐて 人をまたまし

> 289 ながれても なほ世の中を みよしのの 滝の白玉 いかでひろはむ

> 290 いまはとて かれなむ人を いかがせむ あかずちりぬる 花とこそ見め

> 291 ひかりなき たにには春も よそなれば さきてとくちる もの思ひもなし

> 292 色見えで うつろふ物は 世のなかの 人の心の 花にぞ有りける

> 293 あまのすむ さとのしるべに あらなくに うら見むとのみ 人のいふらむ

> 294 いろもなき 心を人に そめしかば うつろはむとは おもはざりしを

> 295 ふる里は みしごともあらず をののえの くちしところぞ こひしかりける

> 296 ありそ海の はまのまさごと たのめしは わするることの かずにぞ有りける

> 297 すみよしの きしのひめ松 ひとならば いく代かへしと とはましものを

> 298 ゆきかへり ちどりなくなり はまゆふの 心へだてて おもふものかは

> 299 すみよしと あまはいふとも ながゐすな 人わすれぐさ おふといふなり

> 300 おもひつつ ぬればや人の 見えつらむ 夢としりせば さめざらましを

> 301 もののふの やそうぢ川の あじろぎに ただよふなみの ゆくへしらずも

> 302 わすらるる 身を宇治ばしの 中たえて こなたかなたに 人もかよはず

> 303 いまぞしる くるしきものと 人またむ さとをばかれず とふべかりけり

> 304 わすれ草 なにをかたねと おもひしを つれなき人の 心なりけり

> 305 おほあらきの もりのしたくさ おいぬれば こまもすさめず かる人もなし

> 306 あきの田の いねといふとも かけなくに ををしとなどか 人のいふらむ

> 307 うつせみの よにしもすまじ 霞たつ みやまのかげに 夜はつくしてむ

> 308 いそのかみ ふる野の道も こひしきを しみづくみには まづもかへらむ

> 309 神無月 しぐれふりおける ならのはの なにおふみやの ふることぞこれ

> 310 またばなほ よりつかねども 玉のをの たえてたえては くるしかりけり

> 311 ながれくる たきのしら玉 よわからし ぬけどみだれて おつる白玉

> 312 世の中に たえていつはり なかりせば たのみぬべくも 見ゆるたまづさ

> 313 たがために ひきてさらせる いとなれば 夜をへてみれど しる人もなき

> 314 いまさらに とふべき人も おもほえず やへむぐらして かどさせりいはむ

> 315 わくらばに とふ人あらば すまのうらに もしほたれつつ わぶとこたへよ

> 316 我が宿は みわのやまもと 恋しくは とぶらひきませ すぎたてるかど

> 317 うれしきを なににつつまむ から衣 たもとゆたかに たたましものを

> 318 秋くれば 野にも山にも ひとくだつ たつとぬるとや 人の恋しき

> 319 わがせこめ きませりけりな うくやどの 草もなびけり 露もおちたり

> 320 おくしもに ねさへかれにし 玉かづら いつくらむとか われはたのまむ

> 321 山のはに いさよふ月を とどめおきて いくよみばかは あく時のあらむ

> 322 我がやどの 一むらすすき かりかはむ きみがてなれの こまもこぬかな

> 323 あさなけに 世のうきことを しのぶとて ながめしままに としをへにける

> 324 あはれてふ ことにしるしは なけれども いはではえこそ あらぬものなれ

> 325 世の中は うけくにあきの おく山の この葉にふれる 雪やけなまし

> 326 あさぢふの をののしのはら しのぶとも 人しるらめや いふひとなしに

> 327 やまびこの おとづれじとぞ 今は思ふ われかひとかと たどらるる世に

> 328 わびはつる ときさへものの かなしきは いづれをしのぶ 心なるらむ

> 329 みはすてつ こころをだにも はふらさじ つひにはいかが なるとしるべく

> 330 伊勢のうみの あまのたくなは うちはへて くるしとのみや おもひわたらむ

> 331 かくしつつ よをやつくさむ 高砂の をのへにたてる まつならなくに

> 332 おもふとも こふともあはむ ものなれや ゆふてもたゆく とくるしたひも

> 333 あはれてふ ことのはごとに おく露は むかしをこふる なみだなりけり

> 334 思ひやる こころやゆきて 人しれず きみがしたひも ときわたるらむ

> 335 ありはてぬ いのちまつまの ほどばかり うきことしげく おもはずもがな

> 336 あひ見ぬも うきもわが身の から衣 思ひしらずも とくるひもかな

> 337 われしなば なげけまつ虫 うつ蝉の 世にへしときの ともとしのばむ

> 338 おもひいづる ときはの山の いはつつじ いはねばこそあれ こひしきものを

> 339 わすられむ ときしのべとぞ 浜ち鳥 ゆくへもしらぬ あとをとどむる

> 340 みちしらば つみにもゆかむ すみの江の きしにおふといふ 恋わすれ草

> 341 ほのぼのと あかしのうらの 朝ぎりに 島がくれゆく 船をしぞ思ふ

> 342 いはのうへに たてる小松の 名ををしみ ことにはいはず こひこそわたれ

> 343 あふさかの あらしのかぜの さむければ ゆくへもしらず わびつつぞゆく

> 344 あはれてふ ことこそうけれ 世の中に おもひはなれぬ ほだしなりけり

> 345 足引の 山のあなたに いへもがな 世のうきときの かくれがにせむ

> 346 こひこひて まくらさだめむ かたもなし いかにねし夜か 夢にみえけむ

> 347 みやこ人 いかがととはば やまたかみ はれぬ思ひに わぶとこたへよ

> 348 つつめども 袖にたまらぬ 白玉は 人を見ぬ目の なみだなりけり

> 349 ぬしやたれ とへどしら玉 いはなくに さらばなべてや あはれとおもはむ

> 350 こひしきも こころよりある ことなれば われよりほかに つらき人なし

> 351 あまのかる もにすむ虫の われからと ねをこそなかめ よをばうらみじ

> 352 ちはやぶる かものやしろの ゆふだすき ととひもきみを かけぬひぞなき

> 353 いまこそあれ われもむかしは をとこ山 さかゆくときも ありこしものを

> 354 ひさしくも なりにけるかな 住の江の 松はちとせの ものにぞ有りける

> 355 かぜのうへに ありかさだめぬ ちりのみは ゆくへもしらず なりぬべらなり

> 356 こひせじと みたらし川に せしみそぎ 神はうけずも なりにけるかな

> 357 若菜つむ かすがの野べは なになれや 吉のの山に まだゆきのふる

> 358 みわの山 いかにまちみむ としふとも たづぬる人も あらじと思へば

> 359 いく代へし いそべの松ぞ むかしより 立ちよるなみや かずをしるらむ

> 360 しら玉か なにぞと人の とひしより 露とこたへて きえなましものを

> 361 ながれては いもせのやまの なかにおつる よし野の滝の よしや世の中

紀淑望

古今251 「秋の歌合しける時によめる」または新撰和歌12。

紅葉せぬ ときはの山は ふくかぜの おとにや秋を ききわたるらむ

和漢朗詠集巻頭。

逐吹潛開、不待芳菲之候。
迎春乍変、将希雨露之恩。
内宴進花賦

五言でも七言でもない。なんだこれは。

吹かぜを逐おひて潛かに開く、芳菲の候を待たず。
春を迎へて乍たちまちに変ず、まさに雨露の恩を希はむとす。

芳菲は草花の香り。

新古今1866「猿田彦」

ひさかたの あめのやへぐも ふりわけて くだりし君を われぞむかへし

これも謎の歌だな。

これで紀淑望の知られている歌や詩は全部かな?

古今集真名序

夫和歌者、託其根於心地、發其華於詞林者也。
人之在世、不能無為、思慮易遷、哀樂相變。感生於志、詠形於言。是以逸者其聲樂、怨者其吟悲。可以述懷、可以發憤。
動天地、感鬼神、化人倫、和夫婦、莫宜於和歌。
和歌有六義。一曰「風」、二曰「賦」、三曰「比」、四曰「興」、五曰「雅」、六曰「頌」。
若夫春鶯之囀花中、秋蟬之吟樹上、雖無曲折、各發歌謠。物皆有之、自然之理也。
然而神世七代、時質人淳、情欲無分、和歌未作。
逮于素戔烏尊、到出雲國、始有三十一字之詠。今反歌之作也。其後雖天神之孫、海童之女、莫不以和歌通情者。
爰及人代、此風大興、長歌短歌旋頭混本之類、雜體非一、源流漸繁。譬猶擴雲之樹、生自寸苗之煙、浮天之波、起於一滴之露。
至如難波津之什獻天皇、富緒川之篇報太子、或事關神異、或興入幽玄。但見上古歌、多存古質之語、未為耳目之翫、徒為教戒之端。
古天子、每良辰美景、詔侍臣預宴莚者獻和歌。君臣之情、由斯可見、賢愚之性、於是相分。所以隨民之欲、擇士之才也。
自大津皇子之初作詩賦、詞人才子慕風繼塵、移彼漢家之字、化我日域之俗。民業一改、和歌漸衰。
然猶有先師柿本大夫者、高振神妙之思、獨步古今之間。有山部赤人者、並和歌仙也。其餘業和歌者、綿綿不絕。
及彼時變澆漓、人貴奢淫、浮詞雲興、艷流泉涌、其實皆落、其華孤榮、
至有好色之家、以此為花鳥之使、乞食之客、以此為活計之謀。故半為婦人之右、難進大夫之前。
近代、在古風者、纔二三人。然長短不同、論以可辨。
華山僧正、尤得歌體。然其詞華而少實。如圖畫好女、徒動人情。
在原中將之歌、其情有餘、其詞不足。如萎花雖少彩色、而有薰香。
文琳巧詠物。然其體近俗。如賈人之著鮮衣。
宇治山僧喜撰、其詞華麗、而首尾停滯。如望秋月遇曉雲。
小野小町之歌、古衣通姬之流也。然艷而無氣力。如病婦之著花粉。
大友黑主之歌、古猿丸大夫之次也。頗有逸興、而體甚鄙。如田夫之息花前也。
此外、氏姓流聞者、不可勝數。其大底皆以艷為基、不知和歌之趣者也。
俗人爭事榮利、不用詠和歌。悲哉悲哉。雖貴兼相將、富餘金錢、而骨未腐於土中、名先滅世上。
適為後世被知者、唯和歌之人而已。何者、語近人耳、義慣神明也。
昔平城天子、詔侍臣令撰万葉集。自爾來、時歷十代、數過百年。
其後、和歌棄不被採。雖風流如野宰相、輕情如在納言、而皆以他才聞、不以斯道顯。
陛下御宇于今九載。仁流秋津洲之外、惠茂筑波山之陰。淵變為瀨之聲、寂寂閉口、砂長為巖之頌、洋洋滿耳。思繼既絕之風、欲興久廢之道。
爰詔大內記紀友則、御書所預紀貫之、前甲斐少目凡河內躬恒、右衛門府生壬生忠岑等、
各獻家集并古來舊歌、曰「續万葉集」。於是重有詔、部類所奉之歌、敕為二十卷、名曰「古今和歌集」。
臣等、詞少春花之艷、名竊秋夜之長。況哉、進恐時俗之嘲、退慚才藝之拙。適遇和歌之中興、以樂吾道之再昌。
嗟乎、人丸既沒、和歌不在斯哉。
于時、延喜五年歲次乙丑 四月十五日、臣貫之等 謹序。