江戸繁盛記

深川の 流れの末の 浮かれ妻 つひのよるせや いづくなるらむ

船底の 枕並べて 深川の 遊びは客の 舵をこそとれ

まことなしと 人に言はるる 身ぞつらき 客に情けも 深川の里

身揚がりを して呼ぶ客は たをやめの 心のうちも 深川の里

柳橋新誌と併せて江戸繁盛記も読んでいるのだが、吉原と深川の対比が面白い。吉原は北にあるので、里(ほくり)。深川は南東にあるので、辰巳(たつみ)。吉原は幕府公認だから、いわば公娼。深川は民間、私娼。

吉原は芸と色では色の方が重く、それぞれの妓楼が芸者も料理人も幇間も雇っている。ところが深川では芸者は置屋というところにいて、客は酒楼に遊びに行き、料理屋から肴を取り寄せて、置屋から芸者を呼ぶ。また芸者も芸と色では芸の方が重い。

柳橋芸者は、天保の改革で深川はつぶされてから出来たもので、辰巳芸者の流れをくむ。ここでは、酒楼ではなくて船宿が主体となる。船宿と言っても必ず楼(二階)があって、一階は船宿の亭主や女将が住み、客は二階に上がるものらしい。船宿には厨房のようなものも、ないようだ。亭主の他に船頭が居て、つまり亭主というのは実は何もしない。ただばくちを打ったりして遊ぶだけらしい。女将の滑舌によって船宿というものは儲けたり儲からなかったりするのだという。

柳橋芸者は普通、柳橋南詰め、西両国広小路の北の、下柳原同朋町というところに住んだらしい。その母と二人暮らし。他には猫くらい。客が芸者の自宅に来て遊ぶこともあったようだ。

甲子太郎

前田愛『成島柳北』には、

甲子太郎は、柳北の本名で彼が誕生した天保八年(一八三七)二月十六日の干支が、甲子であったことから命名されたという。

と書かれているのだが、これは紛らわしい記述だ。 1837年は大塩平八郎の乱があった年だが、この年の干支は丁酉。柳北の生きていた時代で、甲子は1864年、元治元年に当たる。 たとえば伊東甲子太郎は、上洛の年が1864年だったので、それを記念して甲子太郎と名乗ったとされる。

『濹上隠士伝』冒頭

濹上の隠士、その名を惟弘といひ、字を保民と呼ぶ。幼名は甲子麻呂、長じて甲子太郎と改む。天保丁酉の年二月甲子に生れし故なり。

「天保丁酉の年」は天保八年という意味。「二月甲子」の「甲子」は、干支紀日法というもので、60日を周期とした日にちの表記法によるものと思われる。和暦で1937年2月の甲子は確かに16日で、西暦に換算すると3月22日になる。ふむ。やっと納得が行った。

主人公

最近だと、物を書き始めてざっくりといったん最後まで書いて、それから後でディテールを肉付けして10倍くらいに嵩を増やすのだが、まず短いうちに人に読んでもらう。あまり長くなると読ませるのに迷惑だし、まあいろいろ差し障りがあるので、すかすかなうちに読んでもらう。そうするといつもだいたい言われるのは、「神の視点で書かれている」「主人公が居ない」「主人公が居ないから感情移入できない」「感情移入できないから、面白いか面白くないか判断できない」「面白い箇所もあるのだが」「最初に主人公についてある程度のボリュームを書いて、読者を引き込んでから展開すべきだ」などだ。いろんな人に読ませてほとんど同じリアクションなので驚く。

しかしまあ、思うのだが、たとえば中国の古典文学、『水滸伝』には主人公がたくさんいて、その中には一応主役が何人かいるわけだが、やはりこれは、主人公がいるとは言えない。『儒林外史』などは次々に主人公が交代していくから、オムニバス型と言えるが、これもやはり、最初に感情移入すべき主人公が居ない。最初に出てくる人は、元末明初の王冕という人だが、この人の話は第一話で完結してしまう。

『紅楼夢』はまだ読んだことはないが、一応主役が三人ほど居るらしいが、ほかに四百人ほど登場人物が居るらしい。何しろ一度読んだだけではわからないが、三度読むと中毒になるらしい。よくわからんが、感情移入しにくい小説であることはたしかだわな。

『金瓶梅』『西遊記』などはだいたい主人公が居るわな。

『平家物語』にも主人公は、居ない。たぶん。あまり通読する人は居ないのかもしれないが、最初から順番に読んでいくと、最初の方はどうも清盛が主人公らしいのだが、あまり関係ないどうでもよいエピソードがどんどん挟まっていて、誰か特定の人に感情移入するようにはできてない。途中から、義仲とか義経とかが主人公になってしまうようにも見えるし。ていうか普通の人は『平家物語』をどういうつもりで読んでいるのだろうか。不思議だ。

いや、つまり何が言いたいかと言えば、主人公が確かに居る小説ばかりではないはずなのに、世間一般では、どうしてこう、主人公が居なければならない的風潮になっているのかというのが、不思議でならないのだ。おそらくだが、それが、少女漫画や少年漫画、ライトノベルなどの王道なのだろう。かつそれを原作としたドラマや映画の影響。たぶん私はそれらのまったく埒外で物を書いているので、なじまないのだ。

それはそうと『紅楼夢』はざっと『儒林外史』の三倍の分量がある。『儒林外史』は一人の作者・呉敬梓によって書かれたことがほぼ特定されているが、二十年近くかけて書いたそうだ。『紅楼夢』はどうなのだろうか。曹雪芹という人が作者となっているが、おそらく、数人がかりで書いたものではなかろうか。

軍記物

調べてみると、センター試験に軍記物が出たのは、今回が初めてではないようだ。平治物語、源平盛衰記が出てるし、平家物語も軍記物のうちだろう。

やはり、保元物語と言えば、為朝とか清盛とかだと思うのだけど、そこをあえてはずして、為義と義朝という当たりが、ひねってあるよね。

ていうか、いろいろ調べてみると、この「為義と義朝」の場面というのは、保元物語の中でも、割と有名人気の箇所、いわゆるクライマックス(の一つ)らしいことがわかる。そうだったのか。

センター試験「国語(古文)」を解いてみる。

センター試験「公民・倫理」を解いてみる。 のまねをして、私も国語の古文を解いてみる。 自己申告すると、ややケアレスミスはあったものの、ほぼ解けた。 問1と問2は、文法の問題とも言えるが、問1はかなりトリッキーな、つまり現代語では解釈不可能で、ひっかかりそうな単語をわざと混ぜている。もしかすると、これは、入試テクニックとして参考書や予備校の授業などで指摘されている、有名なひっかけなのかもしれないが、普通に古文を趣味で読んでいる人には、難解であって、文脈によって判断せざるを得ないから、読解問題に近い、と思う。

たとえば問1(ア)だが、これは「すかす」の意味を知らねば解けぬ。コンテクストでは、「催促する」ともとれるし「なだめる」とも取れる。むしろコンテクストから察すれば「催促」のほうが当たりではないか。(イ)(ウ)は読解で解ける。

問3から後は現国の読解問題にきわめて近い。私は昔、こういう、答えがあるのかないのかわからない問題が苦手だったが、最近やっとこつを覚えてきたようだ。問6なども、「まあ、これを読んで、自分は必ずしも、そんなふうには思わないけど、そういうふうに解釈する人もいるかもしれないな」というのが正解で、残りは「その解釈にはちょっと無理があるのじゃないかなあ。」と疑問を感じさせる文言が、ひとつずつ混ぜられているのだった。

そもそも、私は理系だったから、昔は理系でも古文や漢文もセンター試験でやらされたのだがそれはともかくとして、こういう問題を専門に解く訓練を受けていない。受験テクニックを駆使するともっと楽に解けるのかもしれないが、わからん単語はさっさと辞書を引きながら読む、ただの古文愛好家として言わせてもらえば、こんな文章を高校生が読めるのがおかしいと思う。難しすぎる。ますます、古文の受験者は減るだろうし、古文を嫌いになるに違いない。それが心配だ。出題箇所だが、『保元物語』というのは面白いけど、この義朝と為義の離別の場面は読んだことがなかった。なるほど確かに面白い箇所であって、へえ、こんなエピソードもあったのか、と気づかせてはくれるのだが、ちと、玄人好み過ぎやしないか。『保元物語』にはもっと面白い箇所がいくらでもあるのに。というか、この問題を解いて、古文っておもしろいなあと思う高校生は、皆無だと思うのだが、それで良いのだろうか。

それから、これは、読み解くのにかなり時間を要する問題だった。こんなに時間をかけないと解けない問題で、良いのだろうか。もしかして、普通の受験者は現代文の箇所だけ解いて、古文や漢文を解く受験者というのは、相当マニアックな連中のみ、という設定なのだろうかな。

それで私は、ある人に、この問題の感想を聞いたのだが、その人が言うには 「(源氏物語のような)王朝女流文学だと誰と誰が会話しているのかさっぱりわからないことが多いが、これは、 主人と家来の会話が主だから、誰が誰に話した言葉かわかりやすく、良問だと思う。」 というのだった。 なるほどなあ。そういうものなのかなあ。

「センター試験」「保元物語」などでググると、いろいろ講評が読めて面白い。 軍記物は初めての出題、か。ふーん。ていうか、軍記物ってすげー面白いのに今まで一度も出題されておらず(※追記あり)、その初の出題例が「義朝と為義の離別」なのかよと。なんか、感覚狂ってないか。例年と比べて和歌が一つもないのが良かった、などという意見が多いが、おい、古文で和歌を避けて通るなよ。むしろ、和歌メインでやろうよ、古文なんだからさあ。なんか、和歌って、受験産業界で蛇蝎のように嫌われてるのかな。
悲しい現実だな。

歴史書と歴史小説

私の場合、愛読書が日本外史なので、どうしてもそういう小説を書きたがるのだが、よく考えると、日本外史は、
歴史書であって、軍記物語に極めて近いけれども、一応史実を記述してある。
そこには何百という登場人物が出てきて、そのどれも主人公ではないし、同時に全員が主人公なわけだ。

ところが、歴史小説というやつは、まず主人公が居て、読者を感情移入させるために、
前半部分で延々と、主人公がどんなやつかという説明があって、最後までその主人公は「生きている」。
死ぬ場合にも、だいたいその子孫が主人公として引き継いでいく。
リニアな展開。
しかし、歴史とはそんなものであるはずがない。
歴史書には主人公がいない。

それで、困ったことに気づいてしまったわけだ。私が書きたいものは、実は歴史小説ではないってことだ。
歴史小説の定義をねじ曲げて新しく定義し直すほどの、才覚もない。どうしたらよかろうか。
しかしまあ思うに昔の太平記とかに特に主人公が居たわけでない。平家物語などもそうだ。
明確に主人公が居るのは義経記とかそんなくらい。
今のように、物語が、一人の主人公を主軸に進むというのがそもそも歴史的に普遍性があるわけではない。
また、歴史を物語るとして、百年二百年のスパンで叙述しようとすれば、一人の主人公で完結するわけがない。
しかし今の歴史小説を見るに、そのたぐいのものはほとんどない。
ああ、ローマ人の物語が、それに比較的近いだろうか。しかしあれはもはや歴史書であって歴史小説ではないよな。

ええっと。歴史書と歴史小説の違いは脳科学的(笑)に説明できる。
歴史書を読むには、短期記憶と長期記憶を意識的に使い分ける訓練が必要になる。
つまり、今読んだところの登場人物が次の瞬間一斉に入れ替わるから、脳内でページングを意図的に行って、
またそれらのキャラが出てきたら、長期記憶から短期記憶に移し替えなくてはならない。
これは、つまり、今のコンピュータでやってるスタック領域とヒープ領域という考え方と同じだ。

歴史書を読みこなしていくうちに、これができるようになる。
量をこなすことによって質的な変化が生まれるのだ。
短期記憶と長期記憶の間のデータの入れ替えは本来本能的、無意識的に行うものであるが、
歴史書を読んでいればそれを自分の意思でコントロールできるようになるのだ。
しかし、歴史小説を読んでいるだけでは、これはできるようにはならない。決して。
小説というものは、そんな訓練にはむいてない。
だから、所詮、歴史小説は小説の一種なのだ。

もっと言えば、短期記憶、一次記憶だけで読める小説というのは、どんな長編小説でも、さらっと読めるのだ。
しかし、長期記憶と短期記憶を両方使わないと読めない小説(もしあれば)は、短くても一気には読めないだろう。
通常、脳内でメモリのスワッピングやガベージコレクションが起きた段階で読者は一旦休憩しようとする。
三、四度立て続けに起きた場合に、その内容に興味が持てなくなれば、読書自体を辞めてしまうだろう。
しかし、短期記憶だけでだらだら集中して二、三時間で読めれば、長編でもなんなく読み終えるものであり、
そういう軽い読み物というのは、世の中にたくさんあるのだろうと思う。

ナポレオン打ち切り?

原稿アップ。ありがとうございます。

あれっ。それって今月で連載打ち切りってこと?雑誌は見てなかったけど、単行本はかかさず買ってた俺様の立場は。まだ、皇帝にもなってないよね。確かエジプトに遠征したところくらいでは。あーあ。まあ、日露戦争物語も日清戦争までで打ち切りになったしなあ(笑)

自分的に今年一番のがっかりニュースです。はっ。まてよ。こうなることを予想して、最初にアウステルリッツの三帝会戦を描いたのでは。はうう。

ヴィンランド・サガが終わらないことを祈ります。麗島夢譚は・・・コメントしづらい。

マシュハド

現在、テヘランに次いでイランで人口が多い町はマシュハドといって、NHK のシルクロードものにはメシャドという名前で出てくる。 或いはマシャドとも。 英語表記では Mashhad。
マシュハドから西へ行けばニーシャープールを経てテヘラン。 東へ行くとアフガニスタンの首都カブール。さらに東へいくとハイバル峠を越えて、 インダス川上流のパンジャーブ地方のイスラマバード。 マシュハド北東にはマル、つまりシルクロードに古来から知られるメルヴがあり、ここから先はブハラやサマルカンドなどを経て天山北路または天山南路に入る。
要するにマシュハドは交通の要衝なのだが、 九世紀末までは単なる小村であって、すぐ近くのトゥースの方が栄えていたはずだ。 というか、近代になって呼び名がトゥースからマシュハドに変わったと考えた方があたっている。 トゥースにはアレクサンドロス大王も訪れていて、ギリシャ人にはススィアと呼ばれている。 またアッパース朝カリフのハールーン・アル・ラシッドはこの地で死んでいる。

マシュハドがビーナルード山脈の北麓にあるのに対して、ニーシャープールは南麓に位置する。 要するに、ニーシャープールと同様にかなり古くから栄えた町だということだろう。

パルティア

パルティア (Parthia) は、ペルシャ (Persia) と同語源であり、現在のファールス (Fars) 州のことだと思っていたのだが、 どうも違うようだ。 ファールス州というのはアケメネス朝とサーサーン朝の故地であり、 Fars == Persia であり、 時間軸で言うと、セレウコス朝シリアとサーサーン朝ペルシャの間にパルティア、つまり、アルサケス(アルシャク)朝パルティアがある。 アルサケスはギリシャ語のアルタクセルクセスに相当するらしい。初めて知った。 インド国内のゾロアスター教徒 Parsi も Fars と同語源。

パルティアは、トルクメニスタン、というかホラサーン北西部を故地とするのであるが、イラン人の王朝にしては、あまりにも外れにある。 パルティアの語源はイラン語の地名 Parthava であると言う。 パルティア初代王は、イラン系の古代スキタイ人だと言うが、
はて、スキタイ人はトルコ系ではなかろうか。イラン人がそんなに北に居るだろうか。わからん。 アーリア人の故地は、そんな北ではなくて、アフガニスタン辺りではなかろうか。 そこから東へ行ったのがインドのアーリア人で、イランのファールスへ行ったのがイラン人。 アフガニスタンに残留したのが、パシュトーン人。そんな感じではなかろうかと思うのだが。 印欧祖語の故地がどこかまではまるでわからん。

ていうか、パルティアは、バクトリアの次に来る王朝だから、王族はギリシャ人だった可能性の方が高くなかろうか。 その方がすっきりする。 「アルサケス朝ペルシャ」と言う言い方は間違いなのだろう。実に紛らわしい。

ついでに現在のトルクメニスタン共和国の首都のアシガバードは「アルサケスの町」という意味らしい。ふーん。