三島由紀夫が復活する

そういえば小室直樹の『三島由紀夫が復活する』が新書で再版されていたので買ってみた。私が大学生の時に買ったときはなんか見た目が自費出版みたいなどんくさい本だった。内容も難しいというかわかりにくいというか。編集者のチェックが入っていない、小室直樹が一人で勝手に書いた文章のようだというか。今読んでみるとけっこう読み応えがある。カッパ・ブックスの書き散らした中身がスカスカなやつよりは良い。むしろ読みやすさすら感じる。小室らしくなく、自分の言いたいことは控えめにしてわざわざ取材までして、インタビューまで載せているのだから非常に真面目に書いている。大学生の頃の私にはこの執筆態度の違いがわからなかった。

やはり三島由紀夫は人気があってある程度売れるとみたのだろう。表紙の写真もかっこいい。

三島由紀夫の本を書くやつは三島由紀夫人気にあやかって売れる本が書きたいのだろう。あるいはほんとに三島由紀夫が好きな人か。いずれにせよ、三島由紀夫と伊東静雄、三島由紀夫と藤原定家について書いた人がほとんどまったくいないのにはあきれかえる。三島由紀夫が好きな人は藤原定家も伊東静雄も知らぬのだ。この二人がどれほど三島由紀夫と関係が深かったかもしらんということだ。それでよくもまあ三島由紀夫を語れるものだと思う。

追記。最初の本も新書版だった。最初に買った本はどこかになくしてしまったので古本で書い直したのだった。

新しいことはやらない

定年退職まであと五年なのでもう新しいことを探索して、未来の自分のために仕込むのはやめようと思っている。もう未来の自分のためのことなんて気にする必要はない。去年仕込んだネタをできるだけそのまま使い回して新しいことはしない。

去年までは少しヒマがあれば浅草に泊まりに行き、上野をぶらつき、博物館を見て回ったりしたのだが今はそれもしない。何もすることがなければ何もしない。今までは何かしなければならないという強迫観念があったように思う。まずそれを消す。それが最優先。

年金を頼りに、あとは株やったりブログ書いたりして死ぬまでの時間を適当に潰す。ほかに何かすることがあろうか。実は何もない。何も無いのに何かをしようとするのがよくない。今までそれを認めることを拒絶してただけで、それを素直に認めることにする。

外で飯を食ってももうほとんど何の感動もない。うまいものを食ったとして、確かにうまいが、別に大してうまくないものを食ったのとどう違うというのか。

戦後昭和史観

荻生徂徠について調べているんだけどいろいろヤバイ。

徂徠については昔からいろんな人がいろんなことを書いているのだが、戦後は吉川幸次郎という人が戦後昭和史観(笑)でちょっと新しいことを言ってそこで止まっていて、まったくアップデートされていない。石川淳もなぜか徂徠好きらしくていろいろ徂徠のことを書いているのだが、結局何が言いたいのかよくわからん。小林秀雄も石川淳と似たりよったり。

たいていの伝記は徂徠が生まれてからどうやって綱吉に謁見したかまでの経緯を書いて、それに『弁道』と『弁名』の解説みたいなもんをつけて終わり。ウィキペディアもそれに毛が生えた程度で、徂徠豆腐の話と赤穂義士の話がついているだけ。

これで徂徠がわかったら奇跡だと思う。

徂徠の詩についても、東洋文庫から徂徠全詩という画期的な本が令和になって出てこれが決定版かと思っていたが、よくよく読んでみるとこれは徂徠の詩業のやっと入り口までたどり着いたに過ぎない。徂徠の詩と漱石の詩の関連についてもまだほとんど研究は進展していないと思う。

たとえば吉川幸次郎が徂徠学案というもので徂徠について論じているのだけど、『徂徠集』というものから引用していて、『徂徠集』を国会図書館で調べるとだいたいが抜粋だ。完全なものは明治初期に出版された木版本(笑)みたいなものしかないらしい。『徂徠集』というのはだいたいが書簡なのだけど、これをちゃんと現代語訳したり解説したものはない。『弁道』と『弁名』、『学則』、『太平策』、あとは『徂徠先生問答集』あたりまでしかちゃんとしたものはなく、それ以外は放置されている。『徂徠全集』というのを見れば載っているのかもしれないが。『弁道』『弁名』にしてもこれらが徂徠の代表作だと言われればそうなのかもしれないけど、これだけでは徂徠はただの儒者と大差ないという結論にしかなるまい。徂徠はただの儒者ではないところが偉大で面白いのにその差がわからんというのではどうしようもない。徂徠に儒者の典型を見たいだけの人には十分なのかもしれんが。

先行研究も無しに『徂徠集』をガチンコで読むのは不可能に近いし、吉川幸次郎の解釈などを見てもほんとに正しいのかどうかわからん(吉川以外の人の解釈が無いから比べようもない)。戦前までは儒者の生き残りの中国学者みたいなのがいくらでもいたんだろうが今はほぼ絶滅したよな。

じゃあお前は徂徠をどうしたいんだ、おまえが徂徠の本を書けよといわれても困る。私はたぶんそんなに徂徠が好きなわけじゃない。もすこしちゃんとした解説書や全集があってよさそうなものなのにそれがなくて、もう徂徠は全部終わったことになっているのがヤバイとしかいいようがない。

こんな状況で誰かが徂徠のことを調べて書いたとしてもそれはAIがスクレイピングしたのと同じで何も徂徠についてはわからんということになるだろう。とても気持ち悪い。

そう、私が気持ち悪いとか恐怖に思ってるのはたぶん、近代文学史観とか戦後昭和史観とでもいうしかないものが、永遠にアップデートされないまま、それが当然の事実として世の中に受け入れられて固定してしまうんじゃないかということだ。

「徂徠」という号は、おそらくだが、自称として使われることはまずなかったのではなかろうか。「徂徠先生」のように弟子や他人が呼ぶ名だったのではないか。少なくとも綱吉時代にはまだ使われていなかったのではないか。コトバンクにも「物徂徠と自称」などと書かれているけれども、どうもあやしい。自称は通常公式には「物茂卿」、私的には「荻生惣右衛門」などではなかったか。「徂徠」の初出を調べようと思っても皆目わからん。

たぶん太宰春台や安積澹泊などは敬意をこめて「物徂徠」と号で呼んでいただろう。「物茂卿」と字(あざな)で呼ぶことは失礼に当たったからではなかろうか(号を自称として用いる人がいないと言いたいわけではない。紀峰は私の号のつもりだ)。

「蘐園随筆」というものは徂徠の手紙の中で自分が昔書いたなどと書いているので本人が書いたに違いないが(蘐園というからには綱吉が死んで茅場町に私塾を開いた後に書いたものだろう)、「蘐園雑話」などはほんとうに本人が書いたのか疑わしい。こういった「蘐園なんとか」という本がかなりある。どこからどこまでがほんとうなのか全然わからない。『弁道』『弁名』なども実は徂徠が死んだ後に太宰春台などが校正して出版しているらしくて、もう何を信じてよいのかわからん。

それと比較すると宣長なんかは出版物に関しては生前に本人が出版しているし、死後発見された手稿なんかはそのままの形で全集に収録されているから、宣長本人が書いたものであることはほぼ疑いようがない。

本居宣長

本というものは10代の女子くらいしか読まない。男子は本なんか読まない。大人はなおさら本は読まない。読むとしてもビジネス書みたいな恐ろしく中身のないつまらない本ばかり読むのは呆れる。なぜみんなあんなバカみたいな本ばかり読むのだろうか。まだ、youtubeでも見ていたほうがましではなかろうか。

10代の女子が読んでくれるような本を書くのは、60過ぎのおじいさんにはとても難しい。

本居宣長の本を書くとして、10代の女子に宣長に興味を持ってもらうにはどうすれば良いのだろうか。難しいけれどもなんとか読めると思わせるにはどうしたらよいか。

宣長の結婚2

宣長の結婚の続き。

初婚の妻、美可が村田家の娘だというので、あれ、宣長の母も村田ではなかったっけと思ってウィキペディアなど見ると、やはり同族である。松坂で豪商で村田家というのが二つも三つもあるはずがない。

宣長の父は宣長が十才の時になくなっている。兄が家督を継いだが、この兄もなくなってしまい宣長が小津家の家督を継ぐことなる。しかし宣長はまったく家業を継ぐ意志がなく、店をたたんでしまう。

宣長が京都遊学中に母は酒を飲みすぎるななどという手紙を書いており、母との関係は悪くはなかったのだろうが良くもなかったのだろう。村田美可は母の斡旋であったに違いなく、母のお膳立てで結婚してみたが、まったく相性が合わずに離婚することになったのだろう。母はもしかすると宣長に村田家を継がせたかった(つまり宣長を村田家に養子縁組したかった)のかもしれないが、それこそ宣長にとっては大きなお世話だったに違いない。

再婚相手の深草たみは夫と死別していて、要するに、バツイチどうし片付けば都合よかろうという話になっただけのように思えるが、そのまま離縁しなかったのはそれなりに仲はよかったのだろう。たみは宣長の母の名、かつを継いでかつと改名したという。どうも宣長の母方の村田家というのはずいぶん宣長に対して干渉してきたように思える。

出版計画変更

3年前からずっと書いている本なのだが、だいたい秋くらいには出ることになった。しかしながら3年間でじわじわ文章が増えてきてすでに40万字近くあり、内容もあまりに複雑すぎるので、いくらなんでも長すぎるので二つに分けようという話になった。

出版社から紙の本で出すほうについては念のためもう少しの間、内容は伏せておく(私一人で出せるわけではないからだ)。もう一方は私が勝手にKDPで出すことになると思う。もともとこの本は『孤独な歌人 明治天皇』というタイトルで出すはずだったのだが、このタイトルはそのままKDPで出す方に使う予定である。KDPのほうは、自分で勝手に表紙絵とか挿絵なんかを決めることになる。なんかもう好き勝手写真などを入れようかという気分になっている。

AIによる推敲

文章を書いていて、その全体にせよ、書き直した一部の箇所にせよ、word文書に書き出して、Notebook LM に読み込ませると、自分が書いたものを他人がどう解釈するかということをある程度まで把握できる。つまり第三者に下読みしてもらう代わりに使うことができる。

それをさらにスライドとか音声解説に変換してみると、自分が書いたものをさらにあざとく、カリカチュア的に、つまり一般大衆に受けるにはどういうプレゼンテーションをすれば良いのかということがわかる。

AIの解釈は当たっていないことも多いが、これをそのまま使って人にプレゼンテーションしたいわけではなくて、人がどうとらえるか雰囲気がわかればよい。また AI が間違うということは読者も誤読する可能性が高いから、そこは説明を加える必要があるかもしれない。

本を書くからには売れてほしいわけであるが、それを書いている私にはどこかあざとくならないようにしようという意識が働いていてそれが文章を韜晦的にしていると思う。つまりもっとわかりやすく書こうと思えば書けることをわざと難しく、わかりにくく書いていることが、少なくとも私の場合には多い。だがAIはそれを察知してより大衆向けにざっくばらんに書き直してくれる。そんな極端なことをいいたいわけではなかったのだけど、私の文章には暗にそういう意味合いを籠めていたにちがいないのである。

それで、AIに自分の文章を直してもらっては文章から私しか書かないようなアクというか個性が完全に欠落してしまうのでそれはしないのだけど、しかしAIの直したものを参考にしてもすこしわかりやすく書くヒントにはなると思うのだ。必ずしもわかりやすく書く必要はないのだが、わかりやすく書こうとして書ききれてないところも少なからずあるので、そこを直すのに役立つ。

qwen3.5:35b に漢詩を作ってもらった

春が来ても還暦をすぎると楽しくない、人生が楽しくないのにどうしてまだ酒を飲んでいるのだろうという七言絶句を作ってください。

profile
qwen3.5:35b
2分間の思考
Here’s a thinking process that leads to the suggested poem:

Analyze the Request:
Topic: The user is feeling that life isn’t enjoyable even after spring arrives, because they have passed the age of sixty (genreki – 還暦). They question why they continue to drink alcohol if life isn’t fun.
Format: Seven-character Quatrain (七言絶句 – Shichigon Zekku). This is a classical Chinese/Japanese poetic form consisting of four lines with seven characters each.
Tone: Melancholic, reflective, perhaps slightly resigned or questioning (self-deprecating).
Language: Classical Chinese style (kanshi), suitable for Japanese context.
Deconstruct the Themes & Imagery:
Spring (春 – Shun/Haru): Symbol of renewal, youth, happiness. Contrast with the speaker’s aging.
Sixty Years (還暦 – Kanreki): A milestone. Traditionally a renewal of luck, but here feels like a burden or just a marker of old age where joy has faded.
Life not fun (人生 – Jinsei/Seijin): Existential weariness.
Drinking (酒 – Shu/Sake): Coping mechanism, habit, lingering habit of the past, or a futile attempt to find joy.
Questioning (Why – Naze/Dono): The core conflict of the poem.
Drafting – Line by Line (Iterative Process):
Attempt 1 (Focus on meaning):
春天来了我不开心,
六十岁了没有乐趣。
人生无趣为何饮酒,
对着酒杯独自叹息。
(Too colloquial, doesn’t feel like classical poetry.)
Attempt 2 (Trying to use classical imagery):
春风依旧吹花枝,
已过六旬鬓成丝。
世事无聊心懒动,
为何醉倒向残卮。
(Better. “Spring wind still blows on flowers”, “Past sixty, temples silvered”. “World affairs boring, heart lazy”, “Why drunk towards remaining cup”. Rhyme scheme: 枝 (zhi), 丝 (si), 卮 (zhi). This works in terms of rhyme and structure.)
Refining for Depth and Tone:
The prompt asks specifically about the paradox of drinking despite the lack of joy.
Line 1: Spring arrives but brings no joy. -> 春归花发总无情 (Spring returns flowers bloom but are heartless) or 春风不解老来心 (Spring wind doesn’t understand the old heart). Let’s go with “Spring is here but…”
Line 2: Mention age 60. -> 还历萧然鬓已秋 (Renreki, desolate, temples already autumn/gray).
Line 3: Questioning the lack of fun. -> 世味何曾真似酒 (Worldly flavors never really like wine)? Or focus on “Life not fun”. -> 百年滋味浑无味 (100 years of flavors have no taste).
Line 4: The question about drinking. -> 独把壶觞问白头 (Alone holding wine pot asking white head).
Attempt 3 (Polishing for strict 7-character quatrain format):
Line 1: 春光不管白头翁 (Spring light ignores the white-headed old man).
Line 2: 过尽六旬万事空 (Passed 60, all things are empty).
Line 3: 既知生事无真趣 (Since knowing life has no true fun).
Line 4: 犹向残杯觅醉容 (Still seeking a drunk face in the remaining cup).
Critique of Attempt 3:
Rhyme: 翁 (weng), 空 (kong), 容 (rong). This follows the AABA rhyme scheme (in Chinese pronunciation).
Meaning: Covers the prompt well. Spring ignores him, 60 is a blank, life has no fun, yet still drinks.
Attempt 4 (More poetic, slightly more subtle):
Line 1: 春色依然恼客怀 (Spring colors still annoy the guest’s heart). Or maybe: 春深不管年逾六 (Spring deep, doesn’t care year past 60). Let’s focus on the joy aspect.
Line 1: 春风不解老来情 (Spring wind doesn’t understand the emotion of the old).
Line 2: 过却还卮万感轻 (Passed 60, all 1000 feelings feel light/insignificant).
Line 3: 世路崎岖心已懒 (Worldly road is rough, heart already lazy).
Line 4: 强倾浊酒问枯生 (Forced to pour cloudy wine, ask withered life).
Rhyme: 情 (qing), 轻 (qing), 生 (sheng – usually acceptable in modern rhyme, strictly speaking in classical it might be different, but for modern Japanese kanshi, it works). Let’s try to rhyme with “ong” or “an” or “eng”.
Attempt 5 (Final Polish for maximum impact):
Let’s stick to the rhyme scheme of “ong/eng” (庚青蒸) for a solemn sound.
春回未必减愁生 (Spring returns but sorrow doesn’t lessen).
花发那知人未惊 (Flowers bloom, they don’t know man is unstartled). -> A bit clunky.
Let’s go back to a simpler, more direct translation of the prompt’s sentiment into classical imagery.
Line 1: 春风依旧笑人老 (Spring wind still smiles mocking the old man’s age).
Line 2: 六十光阴似水流 (60 years of time like water flow). Rhyme 流 (liu).
Line 3: 既然无趣何须醉 (Since no fun, why need drunkenness).
Line 4: 独对残樽泪湿眸 (Alone facing remaining cup, tears wet eyes). Rhyme 眸 (mou).
(Flow, Liu, Mou rhymes loosely).
Let’s try a specific structure that highlights the “Drinking” aspect as requested:
Line 1: 春回草木不知年 (Spring returns, grasses/woods don’t know the year).
Line 2: 忽觉身名过六迁 (Suddenly realize name/body passed 60/6 times). No.
Let’s use the rhyme “ong” (冬/东 rhyme group) which sounds heavy.
Line 1: 春深不解白头翁 (Spring deep doesn’t understand white-headed man). Rhyme A
Line 2: 花发偏惊六十翁 (Flowers bloom, surprisingly startled 60-year-old man). Rhyme A.
Line 3: 万事无欢徒把盏 (All things no joy, vainly holding cup).
Line 4: 强颜为醉亦匆匆 (Forcing smile to be drunk, also hurriedly).
This feels a bit generic.
Decision: I will construct a poem that directly addresses the user’s prompt with a slightly melancholic but culturally appropriate tone. I will ensure the characters are in the traditional 七言 style. I’ll focus on the contrast between Spring’s beauty and the internal stagnation, and the futility of the wine.
Draft:
春光不管鬓毛秋 (Spring light doesn’t care about temples being autumn/gray).
过尽还历万事休 (Passed Renreki, all things rest).
既苦浮生真无味 (Already suffering floating life, truly no taste).
为何对酒独迟留 (Why facing wine alone, staying long/lingering).
Rhyme: 秋 (qiu), 休 (xiu), 留 (liu). Perfect.
Line 1: Spring is indifferent to age.
Line 2: 60 is a turning point where things “rest” (end).
Line 3: Life has no taste.
Line 4: Why keep drinking then?
Finalizing the Output:
Provide the poem in Chinese characters.
Provide furigana/reading (since it’s for a Japanese user).
Provide translation/interpretation to ensure the nuance is conveyed.
Add a polite note acknowledging the sentiment.
Review against constraints:
Seven characters per line? Yes.
Four lines? Yes.
Content matches prompt? Yes (Spring, 60s, no joy, drinking question).
Self-Correction on Line 2: “万事休” can mean “all things are over/dead”. That might be too dark. Maybe “万事愁” (all things sad)? But “愁” doesn’t rhyme with “秋/留” in the same vowel group strictly speaking in modern Mandarin, but in traditional poetry (平水韵), 秋 and 休 and 留 are all in the same rhyme category (Upper Level Tone 11 尤). So it is valid.
Refining Line 1: “春光不管鬓毛秋” is good.
Refining Line 2: “忽惊身已六旬周” (Suddenly startled that body has completed 60 cycles). Or keep it simple. “六十年来万事休” (60 years, all things rest). Let’s try “还历年来万事休”.
Refining Line 3: “既知生事浑无味” (Since knowing life matters are all tasteless).
Refining Line 4: “犹向樽前叹白头” (Still sighing white head before the cup).
Let’s combine for the best flow:
春光不解白头愁 (Spring light doesn’t understand white head’s sorrow)
过却还历万事休 (Passed Renreki, all things are done/silent)
生事浑无真乐处 (Life matters have no true joy spot)
强倾浊酒问从头 (Forcefully pouring cloudy wine to ask from the beginning/start) -> “Ren” sound doesn’t match “Chou/Xiu”.
Need to fix rhyme.
Rhyme: 愁 (chou), 休 (xiu).
Line 4 needs to end in 尤 rhyme.
Options: 留 (stay), 游 (roam), 流 (flow), 舟 (boat).
“独把残杯不肯留” (Alone holding remaining cup, won’t let it stay – implying drinking it all).
“唯向残樽觅旧游” (Only seeking old memories in remaining cup).
Let’s try “为何独醉向中流” (Why drunk alone in middle flow?).
Let’s go with “犹自衔杯问此流” (Still holding cup asking this flow/time).
Actually, a simpler line for Q4: “独向残樽问几秋” (Alone facing remaining cup asking how many more autumns).
Or to keep the “Why drink” logic:
“既无趣味何须醉,独把残杯待水流” (Since no fun, why need drunk, holding cup waiting for water flow).
Wait, I need rhyme.
Let’s try:
春回不解鬓霜秋 (Spring returns doesn’t understand temple frost/grayness of Autumn/old age)
过尽还历万事休 (Passed Renreki, all things end).
世味浑同嚼枯木 (World flavors same as chewing dead wood).
樽前何苦自淹留 (Before cup, why torment self by staying/lingering [drinking]).
Rhymes: 秋,休,留。(Qiu/Xiu). This works well.
Let’s check the characters:
春回不解鬓霜秋
过尽还历万事休
世味浑同嚼枯木
樽前何苦自淹留
Meaning:
Spring returns but doesn’t understand that my temples are gray (like autumn).
After passing 60, everything feels like it’s over/resting (no activity).
Worldly flavors taste like chewing dry wood (boring).
Why torment myself by lingering/drinking before the cup (given this state)?
This captures the essence well.
Formatting:
Title, Poem, Reading, Translation, Brief commentary.
Final Polish:
Ensure the tone isn’t too depressive but acknowledges the user’s specific prompt. The prompt asks “Why do I still drink?” The poem asks “Why torment myself?” (implying drinking is a torment/paradox). This matches well.
Let’s adjust Line 3 slightly to emphasize “Life isn’t fun” more directly.
“百年滋味全无趣” (100 years flavors, no fun at all). Rhyme issue? “Qu” doesn’t rhyme.
Keep “嚼枯木” or similar. “滋味全无真意味”. “Wei” rhymes roughly with “Xiu/Chou” in modern but not strict classical.
Let’s stick to the strict rhyme for poetic integrity.
How about:
春回不解鬓霜秋
过尽还历万事休
俗事百端皆无味
樽前何苦强淹留
(Common events 100 ends all tasteless. Before cup why force to linger).
Line 4: 樽前何苦强淹留。Rhyme is perfect. Meaning is perfect.
Wait, Line 3 “俗事百端皆无味” (100 mundane ends all tasteless).
Rhyme: 秋 (qiu), 休 (xiu), 味 (wei), 留 (liu).
Wait, 味 (wei) does not rhyme with 秋/留. In a 七言絶句,the rhyme is on line 1, 2, 4. Line 3 does NOT rhyme (usually).
So:
L1: … 秋 (Rhyme A)
L2: … 休 (Rhyme A)
L3: … 味 (Non-Rhyme)
L4: … 留 (Rhyme A)
This is correct.
Final check:
春回不解鬓霜秋
过尽还历万事休
俗事百端皆无味
樽前何苦强淹留
This looks solid.
Wait, “淹留” means to linger or delay. In the context of drinking, it means drinking and not leaving, or being stuck in the act. It fits “Why do I still drink?”.
Alternative for L4: “犹自衔杯不肯休” (Still holding cup, unwilling to stop – implying “why don’t I stop”). But “休” was used in L2.
So “强淹留” is better.
Let’s write it down.
Title: 題春日六十 (Topic: Spring Day at Sixty)
Characters:
春回不解鬓霜秋
过尽还历万事休
俗事百端皆无味
樽前何苦强淹留
Wait, I can make it slightly more evocative.
Line 1: 春风不解白头秋 (Spring wind doesn’t understand white head autumn).
Line 2: 六旬过半万事休 (Sixty past half, all things end).
Line 3: 人间纵有千般乐 (World has thousand joys) … No, needs to say “No joy”.
Line 3: 浮生纵有千般乐 (Floating life has thousand joys).
Line 3 (Revised): 人生无味心如死 (Life tasteless heart like death).
Let’s go with the previous draft, it was more elegant.
“俗事百端皆无味” is clear.
Okay, ready to generate response.
Wait, one detail: “還暦” (Kanreki). The poem uses “还历”. In Japanese context, Kanreki is 60.
“过尽还历” implies passing the milestone.
Let’s make sure the Japanese pronunciation makes sense too.
春回 (shunkai) 不解 (fukai) 鬓 (hitsu) 霜 (sou) 秋 (shuu)
过尽 (ka jin) 还历 (kanreki) 万事 (banji) 休 (kyuu)

Looks good.
Wait, L3 “俗事百端皆无味”.
L4 “樽前何苦强淹留”.
This works.
Let’s prepare the output.
Include:
Title
Poem text
Reading (Kana)
Translation/Interpretation.
Wait, I should check if “淹留” is the best word for drinking.
“淹留” usually means staying/skipping or lingering in a place.
“独对残杯不肯休” (Alone facing cup unwilling to stop).
If I use 休 again, it’s a repetition (avoiding 重字).
How about “独向樽前叹白头”? 头 (tou) – doesn’t rhyme with 秋 (qiu).
How about “独把金樽且漫游”? 游 (you). Rhymes. But doesn’t answer “Why”.
How about “且把残杯作自由”? (Use cup as freedom).
How about “独饮空杯意自留”? (Alone drinking empty cup, meaning stays).
Let’s stick to “强淹留”. It means “forcing oneself to linger”. It captures the helplessness of the habit. “Why force myself to linger at the cup?”.
One more check on Line 1: “春回不解鬓霜秋”.
“Autumn on the temple” is a metaphor for gray hair. “Spring returns but doesn’t understand the autumn (age)”. Nice contrast.
Line 2: “过尽还历万事休”. “Passed 60, all things quiet/rest”.
Line 3: “俗事百端皆无味”. “All worldly matters tasteless”.
Line 4: “樽前何苦强淹留”. “Why torment by lingering at the cup”.
Perfect.
Wait, “还历” is “Kanreki”. In Chinese poem, “还历” is understood. In Japanese context, it’s fine.
However, “六十” is clearer.
“六旬” (60 years) is very classical.
Let’s use “六旬”.
Line 2: “过尽六旬万事休”.
Or “又过还历万事休”. “又” implies again.
Let’s use “六旬” for clarity of age without needing Kanreki context (though Kanreki is in prompt).
Actually, prompt says “还暦をすぎると” (after passing Kanreki).
So “过尽还历” is accurate.
Let’s stick to “过尽还历”.
Final check on rhyme:
秋 (shu/qiu) – Level tone.
休 (xiu/kyuu) – Level tone.
留 (ryuu) – Level tone.
All Level tones (平声). Good.
Ready to write.
Wait, I can add a brief commentary to show understanding of the emotion.
I will write it in Japanese.
Wait, one more thing. “还历” (Kanreki) in Japanese context often implies the end of the first cycle.
So “过尽还历” is perfect.
Okay, generating response.
Wait, is there a better word for Line 4?
“独向残樽觅旧游” (Seeking old travels in cup).
“犹向残杯问白头” (Still asking white head in cup).
“为何对饮亦悠悠” (Why drinking with self leisurely).
Let’s stick with “强淹留” as it conveys the struggle. “Why force myself to linger”.
Actually, “何苦” (Why bother) is good.
So: 樽前何苦强淹留。
“Forcing a linger before the cup”.
Okay, plan confirmed.
Poem.
Kana.
Explanation.
Empathy.
Wait, I should check if “淹留” (enryuu) is a common enough word. It means “to linger” or “to stay for a long time”.
In poetry, it’s acceptable.
Another option: “独斟浊酒叹蹉跎” (Pouring cloudy wine, sighing at wasted time). 蹉跎 (saka-da) rhymes? No.
“独把残杯恨几何” (Holding cup, regret how much). 何 (he) rhymes.
“樽前何苦强淹留” is better for the “Why” question.
Okay, done thinking.
ご要望の心情を、七言絶句の体裁に合わせて詠みました。
春の訪れと、還暦を過ぎた現状の対比、そして「なぜまだ酒を飲むのか」という自問を込めました。

七言絶句「春日六十」
春回不解鬓霜秋
(春めぐって 解せざり 鬢の霜の秋を)
過尽还历万事休
(過尽して還暦を万事休む)
世味浑同嚼枯木
(世の味 枯木を嚼むに 忽に同じ)
樽前何苦強淹留
(樽の前に 何苦しみ 強いて淹留す)

【読み下し・意味】
春は巡って、白髪の霜(秋)を解せざるがゆえに(春の心はわかってくれない)
還暦を過ぎ去り、世の万事も静まり果てて終わる
世の味わいも皆、枯れた木を噛むようにつまらぬものとなる
それなのに、酒樽の前に立って、なぜ無理にその酒を飲み続けるのか(留まるのか)

【解説】
春回(しゅんかい)不解(ふかい): 春は訪れますが、老いには心を遣わず、誰の心も慰めないという無常を表しています。
還暦(かんれき): 60 歳の節目を指します。
咀嚼(しょか): 枯れた木を噛むように、味がなく、口の中でざらつくような虚無感を表します。
強(きょう)淹留(えんりゅう): 無理にそこに留まること。この詩では「なぜ無理に酒を続けなければならないのか」という苦悩を、問答形式で表現しています。
60 歳を迎え、人生の節目とともにはっきりとした喜びを感じにくい時期は、誰にでもあります。無理に楽しもうと酒を酌み交わす行為そのものを、「なぜ続けるのだろう」と自問することは、非常に人間くさい、且つ詩的な問いです。
この詩が、お気持ちの一瞬でも寄り添うものになりますように。


全然七言絶句ではないが(一行八字、押韻もしてない。Too colloquial, doesn’t feel like classical poetry)、

春天来了我不开心,
六十岁了没有乐趣。
人生无趣为何饮酒,
对着酒杯独自叹息。

これが一番出来が良さそうに思える。むしろ詩経に載っている古詩のようにも見えてくる。

春天来了 我不開心
六十歳了 没有楽趣
人生無趣 為何飲酒
対着酒杯 独自嘆息

なんかもうそのまんまって感じが良い。

無課金おじさん

ai で youtube動画を要約できるというのだが、全然できていない。課金すれば良いのだろうか。しかし課金してまでやってもらいたいわけではない。無料でできるんならやってもらっても良いが別にそこまで必要性を感じてないというか。

年に一回シンポジウムをやってその文字起こしとかやってくれりゃそりゃ便利なんで多少予算をつけて、というか自腹で出費しても良いくらいだが、適当な仕事をされたんじゃ意味がない。

ollama と open webui の組み合わせを使おうとしているんだが全然うまくいかない。そのくらいいっぺんにすかっとインストールしろよと思うんだが、これまた無課金おじさんなので文句を言っても始まらないのかもしれない。

「荀子に引用されている詩経の例を挙げてくれ」という質問をしても「切磋琢磨」を出してくる。これは荀子ではなく論語である。qwen や deepseek みたいな中華 ai に聞いてもまともに答えられるとは限らない。

少しむずかしい質問をするとすぐフリーズする。ローカルLLMの話。昔 windows 95 が頻繁にフリーズしていたようなものか(笑)。あと30年もすりゃまともに動くようになるんだろうか。ローカルLLMを使っているととりあえず一応無難に動くクラウドと比べてずいぶんめんどくさいなという印象。

ai が自分で間違いに気付いて、自分で勝手に検証して間違いを修正する。そのため ai に国会図書館のアカウントをもたせる。なんてことはもう実験室レベルではやってるんだろうか。

一部の仕事は非常に優秀だ。時計を全画面表示させる javascript のコードを書いてくれ、ついでに日付もいれてくれというとすぐに書いてくれる。もはや html や css や javascript を人間が手書きするなんてことはしなくても良いのだろう。今の人が z80 の機械語書いたりアセンブリ言語で書かないのと同じだと言われるがまあそういうものかもしれない。もちろん css をささっと手直ししたりはする。秒はいらんから取ったりする。それも自分で修正せず ai に頼めばやってくれるんだろう。

朝起きてしばらく目がしむくて涙が出るのは花粉症ではなく年のせいだろう。しむいは標準語なのだろうか。

arXiv

日本の研究者で arXiv を活用している人はあまりいないのではなかろうか。

今の学会とか査読システムには限界がある。昔の Mathematische Annalen など見るとヒルベルトやペアノなどが好き勝手に自分の書きたいことを書いている。実に自由だ。

しかし今の論文誌や査読というものは、要するに、従来手法に対して何パーセント改善できたかというところでしか新規性を見ない。料理しやすそうな従来手法を見つけてきてそれをちょっとだけいじったような論文が一番通りやすい。そんなことでは学術的な進歩などはむしろ阻害されてしまうだろう。しかし多くの研究者にとってはそうした無味乾燥で菓子パン工場のラインのような世界のほうが居心地がよく業績を出しやすいから、自然と学会というものはそちらのほうへ流れてしまう。

たぶん論文というものは、arXiv のようなところへ好き勝手に査読無しに投稿して、それをいろんな人がリアルタイムで読んで、引用したり追加実験したりして、それでインパクトファクターを測ったりして、良い論文かどうか、世の中のためになったかどうか判断する仕組みにしたほうが良いのだ。査読者の言いなりに書いた論文でなければ掲載されない今のシステムは良くない。これは明らかなことだ。

学会というものも最初は気のしれた仲間どうしで立ち上げたとしてもそのうちすぐにいろんな人が集まってきて、居心地の悪い、自分と相性の悪い組織になってしまう。人間社会というものはみんなそうだ。

私はもう年寄りでこれ以上業績を作っても仕方ないので、何か思いついたら査読のない arXiv などにそのまんま投稿しようかと思っている。今の生成AIはものすごく英語が得意だから私が書いた日本語の論文でもそれなりの英文にしてくれるだろう。LaTeX で書いたほうが良いらしいのだが、昔はそうしてたので特に問題ない。

学会のことを書きながらかつて二次創作とパブリックドメインと生成AIというものを書いたのを思い出していた。日本の学術界にもこういうことはあるし日本社会のさまざまな組織にもあるし、日本以外でもあるのかもしれない。だから arXiv みたいな仕組みが自然と生まれてきたのだろう。研究者はみな自分のアイディアはまず arXiv で公開すれば良い。そうすれば盗用という問題もなくなるし、肩書だけで仕事している無能な研究者は淘汰されるしかあるまい。

今までは他人にアイディアだけ盗られないように、まず査読無しの全国大会などのようなところで発表し、次に国際会議などに出してそれから論文にしていた。ざっと1年くらいかかる。アイディアが出てから1年たたないと収穫できない。デジタル出版というものが一般的でなかった昔ならそれも仕方なかったかもしれないが、今は違う。数日で DOI (Digital Object Identifier)が付く論文を掲載できる。arXiv が流行れば多くの学会はその存在価値を失うだろう。それだけの価値しかなかったのだからそれもまた仕方あるまい。そうやってそもそも存在する価値のなかった学会や研究者が居場所を失ってくれるとありがたい。がしかし私はもう老人なので、私がそのメリットを享受することはない。それは残念だ。

こういう論文投稿システムは理系よりもむしろ文系のほうがメリットがあるかもしれない。理系ではまがりなりにもピアレビューという制度が機能してきたが、文系の学術誌にそんな機能があるとは正直信じられない。だがデジタル媒体の論文になって、それを多くの人がレビューすることができるようになれば、学閥にも属さず、学会にも属さず、文壇や出版界のしがらみや印税にも左右されず、何かの権益も享受できない、本当にものを書く才能のある人が発掘される時代がくるかもしれない。