新勅撰和歌集・岩波文庫版

戦後の版だけあって校訂・解題ともに至れりつくせり。

歌は、なんとも退屈で眠くなる。

藤原定家一人で選定していて、勅撰を指示した後堀河上皇も完成前に死去しており、 いったいぜんたいどういう目的でどういう基準で選んだのか。 ていうか、「新勅撰」という名前がまるでやる気を感じない。 定家の晩年の趣味を反映しているというが、単にやる気がなかっただけなんじゃないのか。

新古今と新勅撰の間には承久の乱があったわけで、 新古今は狭いながらも活発なコミュニティに属するさまざまなタイプの歌人らが、 好き勝手に歌いたいうたを歌っている。 しかし、新勅撰はまるでお通夜のようだ。

解題に言う、「必ずしも無気力蕪雑な集として、一概に軽視すべきでないように思われる」と。 つまり、一般にはやはり新勅撰は「無気力蕪雑な集」だと思われていたわけだ。

あきこそあれ 人はたづねぬ 松の戸を いくへもとぢよ つたのもみぢば 式子内親王

やはりかなり屈折した歌。 どこかスナックのママが言ってもおかしくないセリフ。 飽き(秋とかける)てしまったのだろう。人は尋ねてこない。松(待つとかける)の戸を何重にも閉じてくれ、蔦のもみじ葉よ。 という歌。 引きこもりの歌。 やはりこの人はあまり人付き合いはうまくなかったのではないか。 定家の趣味とはやはりかなり離れているように思うが。

夢のうちも うつろふ花に 風吹きて しづ心なき 春のうたた寝 式子内親王(続古今)

やはりこの人は寝ている。 一人で寝ているイメージしかわいてこない。

追記: 読んでるとじわじわ面白くなってくる。

追記: なるほどパッと見はお通夜のようだが、よく読むと、新勅撰はやっぱ面白いよね。

新葉和歌集

南朝で編纂された新葉和歌集がかなりおもしろい。特に後村上天皇の歌が力が入っててすごくおもしろい。

高御座 とばりかかげて 橿原の 宮の昔も しるき春かな
あはれ早や 浪収まりて 和歌の浦に 磨ける玉を 拾ふ世もがな
四つの海 波も収まる 徴しとて 三つの宝を 身にぞ伝ふる

南朝は、宮廷の貴族なども少なくて、明治になってから正統とされたからそれまでにきちんと記録に残らなかったことも多いのだろう。後醍醐天皇の皇子らの名前の読みが曖昧なのも、親王でよくわらかない人が居るのもそのためなのかもしれん。

幕末や維新までくだってきたならともかく、天皇が、「橿原の宮」や「三種の神器」を和歌に詠むというのはかなり異色だ。三つめの歌などは、明治天皇御製

四方の海みなはらからと思う世になど波風の立ち騒ぐらむ

を思わせる。おそらく関連はあるのだろう。

今なら岩波文庫版が新品で買えるようだ。確保しておくか。

耕雲

モーニングをだらだら読んでたら「ぶっせん」に「耕雲」というのが出てきた。どうもこれは禅宗(曹洞宗)用語らしいな。「耕雲種月」というのは「(心の)雲を耕し(心の)月に種を蒔く」という意味らしい。私の祖父が昭和 45 年大晦日に「釣月耕雲慕古風」という書を書いたのだが、この「釣月耕雲」と「耕雲種月」は非常に良く似ている。「釣月耕雲慕古風」は中国人の漢詩にしてはあまりに浪漫的で妙に端正なので、私はおそらく日本人の、しかもかなり近世の漢詩だろうとみていたのだが、このたび確信を新たにしたね。

さて、ネットで検索すると武田耕雲斎というのがぼろぼろ出てくる。これは水戸浪士で天狗党という幕末に世間を騒がした連中の首領らしい。また、耕雲という号を使っていた人はほかにもいたようだ。また、耕雲寺という曹洞宗の寺もあるようだ。「釣月」に関しては、まったくみあたらない。「耕雲」というのは江戸後期にはかなり一般的な用語だったので、「釣月」で詩としてのひねりを加えたのだろうか。

梁塵秘抄

「梁塵秘抄」があったので借りてきて読む.

我が子は二十に成りぬらん 博打してこそ歩くなれ 国々の博党に
さすがに子なれば憎か無し 負かいたまふな 王子の住吉西の宮

という歌があり,冒頭の「我が子は二十に成りぬらん 博打してこそ歩くなれ」
の部分なんて,不良息子を持った母親の愚痴のようで面白いよなあ.

山伏の 腰に付けたる ホラ貝の ちやうと落ち ていと割れ
砕けてものを 思ふころかな

これはなんてふざけた歌だろうか.と思ったら,実は山伏の失恋の歌なのだそうだ.
ますますふざけてる.