埴輪と仏像

日本人が仏像を作り始めるよりもずっと前から日本人は埴輪を作っていた。

そして日本人が仏像を作り始めると日本人は埴輪のような造形を作り出すことをやめてしまった。日本人の創造性が固定化され様式化され、技巧的になり、宗教に絡め取られると同時に、多様性が失われてしまった。自由な創作活動が不可逆的にできなくなった。

もし日本に仏教が伝わらず、仏像を崇め拝むという習俗に染まらなければ、日本人は埴輪的な造形物を作り続けていただろう。仏像は確かに芸術的に非常に価値が高い。洗練されている。しかし所詮仏像は外来のものだ。別に日本で作るまでもない。必要があれば輸入すれば済む話だ(まして奈良の大仏なぞ作る必要はまったくなかった)。日本固有のものは日本でしか作れないのだから、日本はまずもって埴輪を作り続けるべきだった。しかし仏教は伝来し、仏像へ日本人の意識がすべて向けられてしまった結果、仏像以外の造形が絶えてしまったのは非常に惜しいことだと思う。

もちろんこれは仏像に限った話ではない。仏教、儒教、すべてに言える。日本人が日本だけでできたことの多くが外来思想や外来文化によって途絶してしまい、その発展が妨げられた。

実は同じことが明治にも起きたのである。弥生古墳時代には当たり前だった芸術が飛鳥奈良時代に混淆し、平安時代には捨て去られた。明治初期には西洋文芸理論との混淆も見られたが中期以降はただ単に江戸時代の文芸は切り捨てられ西洋文芸理論だけがもてはやされるようになった。

もちろん埴輪と神道は違う。しかし、古代神道と仏教の関係は、埴輪と仏像を見ればだいたい想像がつく。儒教や仏教は、キリスト教やイスラム教に比べればまだ日本と親和性が高く、日本に与えた良い影響ももちろんたくさんある。だが外来宗教には違いない。日本古来の固有の伝統だと言われるのはかなり違和感がある(アザーンはだめだが寺の鐘は良い、など)。

ただ、埴輪にせよ、もとは中国から渡ってきたもので、兵馬俑の模型を真似たものであったかもしれない。或いはもっと近い時代の唐三彩なんかの影響かもしれない。

ついでに言っておくが神社で朝、ブロワーで掃除しているのはなんとかならんのか。うるさくて非常に不愉快だ。別に機械を使って掃除するのがだめだというつもりはない。静かにしてほしい。早朝神社に参拝して清らかな気分になりたいのに、神経を逆なでする。境内を静寂に保つことは神道とは関係ないことなのだろうか?神社の周りを暴走族が取り囲んでエンジンふかしても良いのか?

一葉の歌

をちこちに 梅の花咲く さま見れば いづこも同じ 春風や吹く
春風は いかに吹きてか 梅の花 咲ける咲かざる 花のあるらむ
明日といはば 散りもやすらむ 庭桜 今日の盛りをとふ人もがな
くろづたひ 行く人多く なりにけり 山田の里に 梅咲きしより
楽しさに 里のわらべは とく起きて 若菜摘みにと出づる春日野
降る雨に 濡るとも花を 見に行かむ 晴れなばやがて 散りもこそすれ
咲きにほふ 花にも酔ひて 澄田河 うつし心の 人なかりけり
世の人の 心の色に 比ぶれば 花の盛りは 久しかりけり
ねぜり摘む 里のわらべの かげ絶えて 田河の末に 蛙鳴くなり
月待ちて いざ見に行かむ 角田河 こよひを花は 盛りなるらむ
散りて行く 花もさこそは つらからめ 我のみ惜しむ 風の音かは
散りぬとて 忘られなくに 山桜 青葉のかげの ながめられつつ
水の色も ひとつみどりに なりにけり 夏草茂る 野辺の細川
夏の夜は 短きものと 知りながら 見果てぬ夢ぞ はかなかりけり
夏衣 替へて干す日も なかりけり 降り続きたる 五月雨の頃
帰るべき しほこそなけれ 山桜 暮るればやがて 月の出でつつ
いとどしく 濡れてぞ色は まさりけり 春雨かかる 山桜花
昨日まで 固くふふみし 桜花 今朝降る雨に ほころびにけり
世の人の 宝とめづる 玉もなほ みがきてのちの 名にこそありけれ
世の中の 憂さもつらさも 忘れけり ただ一杯の これのなさけに(酒)
寒けれど 小簾開けてみむ 角田川 漕ぎ行く舟の 今朝の白雪
うつし絵に 見るここちして 箱根山 月こそのぼれ 湖の上に
不忍の 池のおも広く 見ゆるかな 上野の山に 月はのぼりて
風ばかり とふと思ひし 松の戸を こよひは雨も 叩きつるかな
吹き迷ふ 筑波根おろし なほさえて ふもとの野辺は 春としもなし
咲く梅も 月もひとつの 色ながら さすがに折れば まがはざりけり
我が庭は 萩も薄も あらなくに 秋なる風ぞ おどろかし行く
いざさらば 起き居て聞かむ 夜もすがら 寝られぬ閨の こほろぎの声
おもふどち 雪まろげせし いにしへを 火桶のもとに しのぶ今日かな
凍りけむ いささ小川の 細流れ 今朝は音なく なりにけるかな

桂園派批判

国会図書館の本を物色していて、木俣修「日本秀歌 第7 増訂版」春秋社というものを見た。この木俣修という人は北原白秋の心酔者らしいのだが、桂園派についていろんな意味でいろいろひどいことを書いている。およそ明治の歌人らの歌を紹介しているのだが、旧派歌人、桂園派の歌人の歌は一人一首ずつしか挙げておらず、紹介するさえおぞましいといわんばかりだ。一番多く挙げているのは与謝野晶子。なるほどこの人は北原白秋や与謝野晶子のような歌が良い、つまり明星派の歌が好みなのであろう。彼は要するに敵であるところの旧派をけなし、味方であるところの現代短歌を擁護するにあった。

桂園派にはまず高崎正風を筆頭とする御歌所派があり、ほかには井上通泰らによる新桂園派(単に御歌所寄人ではなかっただけでほぼ御歌所派と同じと言って良い)、大八洲学会・東洋学会に属する歌人は古典派と呼ばれたという。民間にいた桂園派としては佐々木弘綱つまり佐々木信綱の父や与謝野礼厳つまり与謝野鉄幹の父などがあったという。

高崎正風が「題詠で終始した」と言っているのは明らかに事実ではない。桂園派歌人がみな春夏秋冬恋雑の歌しか詠まなかったと思っているとしたらおそらくその人は歌を何も知らないのだろう。

朝凪ぎに 沖の鰯や 寄り来らむ しほさき追ひて かもめ群れ飛ぶ

「叙景歌において、一つの事実をふまえて、他を推量するというような手法は、桂園歌風の常套であるから、一読してその固定した歌調の古さにつきあたる」とはひどい言い方だ。新派の歌にだってそんな歌はいくらでもあるだろう。おそらく木俣修という人は、写生の歌、目の前の情景をありのままに切り取った自然主義的な歌が良い、そう言いたいかもしれない。

古今集を宗とする桂園派は、古今集の美意識からほとんど一歩も外に出ることはできなかった。「風雅」という理念にしばられていた彼らは、現実の生活意識や時代感覚などとは全く没交渉であった。中世的な風雅というようなものの生きる現実的な基盤は、すでになくなっていたにもかかわらず、こうしたものの追求をこととし、その境に陶酔していたところに、旧派歌人たちの錯誤があり、短歌が他の文芸ジャンルの進展に添うことのできなかった原因が見られるのである。

これまたひどい。確かに高崎正風などは香川景樹の影響を受けて(事実は八田友則などから聞いた又聞きのたぐいだろう)古今調崇拝であったかもしれないが、香川景樹自身、必ずしも古今調に縛られていたわけではない。桂園派とは万葉調から江戸後期までのすべての古典的和歌を継承したものであって、木俣修は鎌倉、室町、江戸の和歌など何も理解できないのだと思う。

明治に入って新しい文芸ジャンルが次々に生まれてきたのであれば、そちらの新しいジャンルでせいぜい頑張れば良いのであって、和歌にまで口出しされるいわれはない。新派歌人こそ、明治以来の文明開化という理念に縛られていたにすぎないではないか。

正岡子規や伊藤左千夫ら根岸短歌会、つまりいわゆる根岸派、のちのアララギ派のことも、さほど詳しく知っているわけではないようだ。「根岸派は閉鎖的で歌壇的勢力も片隅的なものであった」というのもおかしい。アララギ派は明星派のライバル、新派の二大勢力だったわけで、相手のことを攻撃しているとみられても仕方あるまい。

伊藤佐千夫の歌を見るに、彼はほぼ完璧な大和言葉で歌を詠んでいる。これはまぎれもない和歌である。ごくまれに黒楽とか芍薬などの漢語を用いることもあるが、固有名詞だから、まあ仕方ないともいえる。根岸短歌会を立ち上げた明治30年以降の正岡子規に至っては、漢語はほぼ無制限に使っているから、伊藤佐千夫は子規よりもまだ和歌の伝統を守っていたというべきだ。

木俣修って紫綬褒章もらってるんだなあ。しかも昭和天皇の和歌指導までしている。

酒を飲みたいという欲求が減ってきた

今年度に入っておおかれすくなかれ気負いがあったのは確かだ。未知の要素がだんだん減ってきて自分の状況が見えるようになってきた。あれもやろうこれもやろうと思っていたことを、しないことにした。そうしたら明らかに仕事が減ってきた。心配することが減った。昨年度までやってきた役職と比べても減った。

それでストレスが減ったので酒を飲みたいという衝動があまりなくなったのだと思う。

酒を飲むことに飽きたというのもあるし、年を取って酒に酔うこと(酔いが残ること)がだんだん不快になってきたというのもある。明らかになにか美食をしたり飲み歩き、食べ歩きをすることに興味を失ってきている。

20代後半から毎日、夕方になると、飲酒という強制イベントが発生していた。それがなくなると余計に時間があまって楽になる。困るのは新しい出会いがなくなるとか、人付き合いが減るとかそのくらいだろうか。

日によって忙しいと(対人的に)、やはり飲みたくなるけれど、でも惰性で独り呑みはもうこのままやめてしまおうかとも思う。

それはそうとこのブログで読まれる記事とそうでない記事には明らかに偏りがある。なぜこうなるのか。

homeland 8

昼は暑くて明け方は寒い。飯をくうと暑い。暑かったり寒かったり忙しい時期だ。

割と時間的に余裕が出てきたのと、amazon prime で homeland が見れるようになっていたので、homeland の最終シーズン 8 を改めてみてみた。ディテールはだいぶ忘れてたし、飛ばしてみたところもあったようでかなり楽しめた。最終シーズンにふさわしいすばらしい出来だった。

ただ一つ非常に違和感があったのは、アフガニスタンにある米軍に空爆されて死んだ人の墓標に2014とキリスト教暦の年が書かれていたことだ。まさかキリスト教徒の墓ではあるまい。逆に、キリスト教徒に殺された人の墓だ。現地人には現地の言葉をしゃべらせておきながら、うっかりボロを出したなと思った。アメリカやフランスなど、普通のキリスト教国のテレビドラマがそうした間違いをおかしても全然普通なのだが、homeland は違う。キリスト教とイスラム教の軋轢というものをテーマにした話なのに、これは無いよなと思った。

話のもって行き方として少し、いやかなり強引だなと思ったのは、キャリー・マティソンがアメリカ合衆国大統領にアフガンで停戦を宣言するよう提案するところまではよかったが、そこからさらに大統領自身の判断で前線基地まで軍用ヘリで出かけ、そのヘリが故障して墜落し、アメリカ大統領もアフガン大統領も死んでしまう、という、ほとんどまったくあり得ない設定が使われているところか。いくら話を盛り上げるためとはいえちょっと作りすぎという感じがする。副大統領とその側近の設定やら、CIAアフガン支局長の設定もかなり強引だ。作り話に、作りすぎだと批判するのもおかしいといえばおかしいんだけど。いくら作りすぎていても例えば blacklist にはこんな批判はしないだろう。たかがアメリカのテレビドラマに野暮だというだけだ。それだけまあ私はこの homeland というドラマを画期的な、よくできた作品だと評価しているともいえるが。

ま、しかし日本でキリスト教暦を西暦と呼んでいることも変だ。西アジア発祥のイスラム暦も、ユダヤ暦も日本から見れば西暦なのだけれども。

homeland などみていると、CIAやFBIの職員なんかにはなりたくないなと思う。心静かに、人と関わらず余生を送りたい。ああいうものは作り話だと思ってみるからみれるのであって、いちいち感情移入していたら疲れ果ててしまう。

春の雪 外伝。

還暦

若い頃は遥か遠くにあるもののように見えていた還暦というものが間近に迫ってくるとやはり人は誰しも苛立ちとか焦りのようなものを感じるのだろう。また二度目のアブレーションを受けることが決まり、結局私の考えていたことよりも医者が言っていたことのほうが正しかったことがわかって、それもまたいら立つ原因になっていたと思う。

ある立ち飲み屋のおばさんは、確かな年齢は知らないが私よりたぶん10才くらい年上だろう。一時期大病を患って店を閉めたり開けたりしていたが、普段からテニスやスキーなどをやっているせいか今は極めて健康であるという。

私の周りの60過ぎたおっさんおばさんたちは、健康な人も病気がちな人も、みんなあっけらかんとしていて、私だけがくよくよ気にしているような気がしてしかたない。私の場合46才から今までずっと入院したり退院したり通院したり、また入院して手術を受けたり、薬を毎日飲まなきゃならなかったりで、病気と常に真正面に向き合っていなくてはならず、体はともかくとしてメンタルをやられてしまった。若くして癌にかかってしまい闘病生活を続けている人も同じような気持ちなのだろうと思う。定年後時間が有り余るようになって病院に通うようになるのはもう覚悟も決まっているしそんなにストレスにはならないのではなかろうか、などと考えたりもする。

私の場合、拡大性心筋症というやつなので、心臓にはできるだけ負担をかけないようにしなくてはならないし、そもそも運動とかスポーツというものが嫌いだからやる気もないのだけど、これからは心臓に負担をできるだけかけないようにして、心臓をできるだけ長持ちさせて死ぬまでだらだら生きていくしかない。私の場合自覚症状はないし日常生活には何も困っていないのだが、でも重症であることには変わりないわけで、運が悪かったとも言えるし、この程度ですんでよかったということもあるのかもしれない。ともかく問題は体というよりは気の持ち方だと思う。考えすぎるのが良くない。だが考えないというのがこれがまた非常に難しい。こういうふうにブログに吐き出したほうが楽になるともいえるし、書けば書くほど考えてしまうからよくないともいえる。なんとも言えない。

私の祖父は75才くらいで死んだのだが、最期の頃は足がむくんでいた。つまり心臓が弱っていたのだが、ある日突然心臓が止まって死んだ。まあそんな感じで死ねたら別に悪くもない。むしろあまり長生きして家族に面倒をかけたり、老人ホームに入って無駄飯を食うのは嫌だ。しかしぼけてしまった方が自我がなくなって楽に死ねそうだから、そうなりたいという気持ちもどこかにある。

いずれにしても今後年寄というものはどんどん社会のリソースを食ってしまう。どうにかすべきではなかろうか。できるだけ社会に負担のかからない方法で年寄を本人が気のすむまで生かしておく方法というものはできないものなのだろうか。正直私は定年後は、遊んでも良いが仕事はもうしたくない。こりごりだ。

話は全然違うんだけど、普通の人にとって読書とは、今日はどこそこのレストランで食事したとか、どこそこの温泉に泊まったとか、そういうイベントというか、趣味というか、余暇の過ごし方の一種のように思える。

若いうちは、本をかたっぱしから乱読するのも良いかもしれない。

しかし今の私にとって、ゆっくり本が読める喫茶店とか、ファミレスとか、あるいは図書館などというものはまったく必要ない。むしろ、図書館にいると本が読めなくて困る。東京都立中央図書館とか国会図書館で紙の本を読むのが一番苦手だ(この二つの図書館は本の貸し出しをやってないので館内で読むしかない)。

私にとってはすべての本がデジタル化されていて、読みたい箇所がただちに検索できればそれでよい。ゆっくり本が読みたいと思うことはあるが、読み始めるとすぐに読み続けるのがつらくなる。基本的につまみ食いしかできないたちなんだと思う。

昔の人はLP盤のレコードを擦り切れるまで聞いたとかいうけど、ほんとかどうか知らないが、そういう読書をする人が案外多いのだろう。レコードや本の蒐集家にはそういう人が多そうな気がする。私はもちろん蒐集家ではない。手元に置いておいたほうが便利な本だけを身の回りに置いている。ただそれだけだ。

最初から最後まで著者が書いていることが自分が読みたいことであれば読めるかもしれないが、たいていはそうではない。著者に付き合って読み続けることが苦痛になってくる。どうしようもなく退屈になってくる。だから途中でやめてしまう。若い頃は本に書いてあることすべてが珍しく新鮮で面白く全部読んでしまう。読了した時点ではまだその本のことがわかってない。二度、三度と読んでいるうちにだんだんわかってくる。この本好きとか嫌いとか、この著者好きとか嫌いというのが、5年とか10年後にわかってくる。

そうやって好き嫌いというものがはっきり最初から固まってしまったから、今は1冊読み終わる前に飽きてしまう。いろんな本を読み過ぎたせいで先がだいたい読めてしまう。たぶんそういう状況なんだと思う。

村上春樹は1Q84を最初の1章だけ読んでみたのだが、ははー、こんな文章を書く人なんだなと思い、それで読むのをやめてしまった。私の場合、続きを読んでみたいとか、結末まで読んでみたいという気にはならなかった。

たぶんそんなふうになったのが、40代半ばくらいで、読みたい本がなくなってしまったので、それで自分で小説を書くようになったのだと思う。小説を自分で書くと言うことと、その小説をうまくかけるようになるというのはまた違うのだけども。

これまた全然関係のないことではあるが、世の中には、柳田国男はどうして桂園派にこだわり現代短歌を拒絶したのかとか、江藤淳はなぜアメリカ留学までして戦後に保守派、右翼になったのかとか、最初から結論ありきで論文を書く人がいる。どんな愚かなことを書いているかと思って読んでみると、どうでもよいことをいろいろ調べ上げて、こまかなことをだらだら書き記して、読んでみても結局、だからどうなんだという感想しかでてこない(そういうユーチューブの動画やブログ記事は多い。長いだけで結局何も言ってない。カマラ・ハリスの演説みたいなもんだろう)。そして、柳田国男や江藤淳の考え方を理解しようとか、寄り添おうという気持ちは一切無い。自分の先入観を書き換える気ははなから無いのだ。世の中にはこういうたぐいの研究者しかいないわけではなく、きちんとまじめに地道な仕事をする人もいる、世の中にはそうした当たり外れがあるものだとあきらめるしかない。

サンテFX Vプラス

サンテFX Vプラスっていう目薬をさしてみたら、これがオレの目か、っていうくらい白目が白くなった。

最初から目薬させよって思った。

だがしかし今度から血管収縮剤の入ってない目薬にしようとは思った。見た目だけ充血が消えてもしかたない。

よく見たら使用期限2015年だった。今ではもうこの目薬ふつうに売ってない。

サンテPCなど買えばよかろうか。

カルト

白目が充血しているのは、手で目を無意識のうちにこすっているからではないかという仮説を立てて、意識して目をこすらないようにしてみたのだが、あまり効果はみられなかった。また、夕方よりも、朝起きたすぐのほうが充血が少なかった。

目が充血しているのはパソコンの画面の見過ぎ、目を酷使しすぎているせいだろうと思われる。右目より左目が充血しているのは左目を余計に酷使しているのかと思う。目が疲労して、栄養や酸素が足りなくなり、酸素や栄養を目にどんどん送り込まなくてはならないので、血量が増えその結果白目が充血するのだろうと思われた。

なので、暇な時間にはyoutubeを見るのではなくaudibleを聞くことにしてみた。ところが困ったことにaudible よりもyoutubeのほうが朗読にせよ講演にせよ音源がたくさんある。それでyoutubeで小林秀雄や渡辺昇一などを聞き始めた。

渡辺昇一が騎馬民族征服王朝説はおかしい、江上波夫が文化勲章を受けたのはおかしいと言っていて、その根拠としては古事記をはじめとする日本神話には馬が全然でてこない。出てくるのはスサノオノミコトが天照大御神の家に野生の馬の生皮を剥いで放り込んだという話だけだ、それに比べて神様が海からやってきたとか海の神様の娘と結婚したとか、陸を迂回して海を経由して攻め入ったなどという話はいくらでもある。

そもそも騎馬民族が大陸から渡ってきたのであれば、日本列島が島国であることすらわからなかったはずだ。なぜなら、本州の最北端まで騎馬民族が攻め入るまでは、日本が島でできていることはわからないはずだと。

そりゃまあそうなので、縄文時代からずっと日本は島国だってことは日本人は知っていたはずなので、その後に稲作が入ってきて、かなり短い期間で、稲作が広がっていって、その勢力がじわじわ東を圧倒していったということはあったかもしれないが、日本人というものは基本的には縄文時代と弥生時代では違いがないはずだ。

あと渡辺昇一は、小林秀雄という人は、ボードレールがポーなんかを批評していたのを真似して日本語で批評を始めた最初の人だなどと言っていた。なるほどそれ以前の例えば夏目漱石や正岡子規などの批評というのは荻生徂徠や頼山陽などの論説とほとんど連続していて、その根底には漢文の素養があるわけだ。小林秀雄が面白がられた理由は漢文ではなくフランス語の、当時のフランスの文芸批評の口ぶりをそのままそっくり輸入したからなのだ。

その小林秀雄が戦後敢えて本居宣長を書いた。誰も小林秀雄の「本居宣長」を理解できなかった。その理由の第一は小林秀雄自身にある。彼はもともと洋物の文芸批評をするはずの人だったのにそれがこてこての和物の評論を始めたのだ。しかも、敗戦後、国学などが徹底的に批判されていたときに。どうも小林秀雄という人は周りとことさら違うことがやりたい人らしい。戦前には、漢文調の論評が主流な中で欧文調の批評をやって読書人らに大いに受けた。戦後はその真逆をやってみたが、今度はさっぱり当たらなかった。そりゃそうで小林秀雄のファンというものはみな基本的に西洋かぶれで、和風な評論が嫌いなのだ。なのに、小林秀雄がまじめ腐って宣長を論じた。おもしろいはずがない。ただそれだけのことかもしれない。

それで、連載中は誰も話題にもしなかった『本居宣長』が単行本で出ると書いた小林秀雄本人がびっくりするくらいに売れた。これまたわけわからない。戦後しばらくたって、みんな宣長がわからなくなっていたころ合いに出たから、みんな読んでみようかと買ってみた。買ってはみたものの、結局読まず、まともに論評もされず、みんな書斎の飾りにしてしまった。実にばかげている。

それでも小林秀雄という人は恐るべき人で、本居宣長のかなり本質まで見抜いていた。見抜いていたけれどそれをおフランスの文芸批評の文体と論調で書いたものだから、とてつもなくちぐはぐなものができてしまった。小林秀雄はたぶん、ものすごく地頭(じあたま)の良いひとなのだろう。なんでも直感的に一瞬で見抜いてしまう。しかしそれを論理的に説明できる人では必ずしもない。だから彼の文章は悪文と呼ばれる。論理的に破綻している、または、何を言いたいのかわからない、ただのきどった美文だなどと言われ、私もほとんどの文章はそのたぐいだろうと思う。

江戸天保時代に宣長はあれほどの高さまで到達していたのに、今の人は全然宣長を理解できていないと思う。戦前の国粋主義者らもわかったようで何も理解してなかった。まして戦後の左翼には危険思想としか認識できなかった。小林秀雄はかなりのところまで肉薄していたが、しかしまだまだよくはわかっていなかったと思う。

渡辺昇一は宣長というひとはオカルティズムの人、スピリチュアルな人、精神主義な人であるという。小林秀雄が宣長は精神主義と言ったせいで国粋主義と誤解された、宣長や小林秀雄が言いたかったことはようするにスピリチュアリズムのことだ、などと言っていたがそれはそうだと思う。

宣長がカルトだったことはもちろん事実に相違あるまい。子供のころから仏教や儒教にはまり和歌を詠んだりするのはもともとそういう素養があったからだし、自分は親が神にお祈りして生まれた子だと宣長は生涯信じていた。この信仰心というものは、真正のものであれば仏教でも儒教でも神道でもなんでもよかったのだろう。

宣長に古事記伝が書けたのは、また、古事記を研究したいと思った動機は、彼がカルトだったせいではある。しかし、宣長も古事記もカルトであり、カルトとは古事記時代の原始神道、アミニズムでありシャーマニズムである、ということにはならない。

宣長は、いわゆる霊感の強い人、オカルティズムな人。古代日本のアミニズムのビジョンを見て、共感できる能力がある人だっただろう。しかし宣長の場合はそこで終わりではない。

宣長はもともと仏教にも儒教にもものすごく詳しい人だった。その彼が古事記を読んでいるうちに、さまざまな疑問がわいてきただろう。だから宣長はまず、日本古来の神道というものは本来どういうものであったかを再構築し、アミニズム、シャーマニズム時代の神道というものを仮定し、そこから、外来宗教の影響を受けずに自国内だけで純粋培養したらこうなったであろうという、本来あるべき、ピュアな、理想の神道を作ろうとした。つまり、キリスト教やイスラム教や儒教や仏教のような普遍性のある世界宗教を、それらとはまったく別にもう一つ、純粋に日本由来の素材から作ろうとした。そのためには理論武装しなくてはならない。理論武装した宗教とはすなわちカルトである。

宣長は、ナイーブな、外来思想と簡単に混淆し、免疫を持たなかった神道を作り直して、外来思想と簡単には混ざらない歯止めのある、理論武装した普遍宗教にしようとした。特に仏教やキリスト教に対抗しうる神学を構築しようとした。世界の原始宗教は、ギリシャローマの神話にしても、キリスト教やイスラム教などの普遍宗教によって駆逐されていった。同じことが日本でも、仏教や儒教の伝来によって起こっていた。宣長はそこに危機感をおぼえて、いつ外来宗教に浸食され滅ぼされるかもしれない弱い宗教である神道を鍛えて強い宗教にしようとした。彼はだから、不本意ながら、無理にカルトへ舵を切らざるを得なかったのである。彼はだから、上田秋成のナイーブさ、寛容さが我慢ならなかった。宗教とは不寛容でなくてはならない、さもなくばもっとものわかりの悪い不寛容な宗教、もっと排他的な宗教が現れたときに、おおらかで物わかりの良い寛容な宗教は一方的に浸食され、駆逐され、いつの間にか淘汰されてしまうからだ。つまり、神道もまた、世界の他の宗教と同じ程度には不寛容で排他的にならねばならない。日本人であるからには日本固有の宗教を最も尊び、他の宗教から守らねばならない。そのためには神道にも独自の神学が必要だ。宣長はそのロジックに初めて気づいた日本人であったかもしれない。逆の言い方をすれば宣長という天才が現れるまで、日本人は世界から隔絶していたおかげでそうした危機感をまったくもっていなかったということになる。今、川口市や蕨市で起きているようなことを宣長は天保時代に予見していたのである。宗教マニアの宣長だったからこそ、いちはやく、誰よりも先にそこに気付いた。

宣長が偉かったのはここまで完成度の高い神学理論を創始しておきながら、自分自身が教祖様になろうとは決してしなかったことだ。マルチン・ルターに似ているともいえる。

ところが、宣長の理論は彼の死後いろんな教祖様に利用され、あまたの新興宗教が生まれることになる。宣長にはそこまで制御することはできなかった。そしていまなお宣長は誤解されたままなのである。もし宣長がみずから新興宗教の教祖になっていたらこんな混乱と無理解は生じなかったかもしれない。

蒙を啓く

啓蒙、蒙を啓く、という言葉がある。文明人の俺様がおまえら未開人に教えてやるよ、というようなニュアンスがある。

蒙だが、もともとは高木や藪に覆われた、昼なお暗い森林、というようなイメージらしい。

啓は、口に、手で戸を開くという意味が組み合わさった字であり、未開の地を開いて言葉で教え諭す、という意味があるらしい。

つまりこれはまさしく、縄文人に対して弥生人がやったような、あるいはギルガメッシュがフンババにしたような、源頼光が土蜘蛛にしたようなことを言うわけだ。同様の文明開化の体験を日本は幕末維新に追体験した。

なんでそんなことをいまさらいうかといえば、もののけ姫の本来のテーマはこの蒙を啓くということにあったはずだと思ったからだ。蒙を啓くとはつまり神を殺すことだ。神とは原始の森、蒙である。その蒙を開拓する。文明の光が差し込んで、タブーや呪術がなくなり、誰もが安心して合理的な社会に共存共栄できるようにする。神を殺したのは天朝様だ。日本の歴史というものはごくおおざっぱに言えば天皇が土着の神を殺した歴史であった。

というテーマというかコンセプトがもののけ姫には明らかに掲げられているのだが、おそらくジブリ自身がそのテーマについてあまり興味がなかったと見える。

設定がややこしすぎる映画

地上波は見たくないので、夕方飯を食う時などにてっとりばやくブルーレイとかネットに落ちている動画をみようということになる。

そんなわけで netflix だと私はもう「テキサスレンジャー」を何度みたかしれないが、私はこれが割と好きだ。

「もののけ姫」と「千と千尋」を比べたときに、ちひろに感情移入できる人はかなりたくさんいるのだろう。小さな女の子が突然世知辛い世の中に放り込まれ複雑な人間関係にもまれて、次第に仕事を覚え世渡りに慣れて行き、問題を解決して、聡明な女性に育っていく。運命的な彼氏もいれば、いじわるばあさんもいれば親切なお姉さんもいる。だから「千と千尋」がヒットするのはまあわかる。というか、宮崎駿は、モデルとなった少女にかんでふくめるようにわかりやすく、世の中の仕組みとか仕事とのかかわり方を教えようとしたわけだから、わかりやすくて当たり前なのだ。

いっぽう「もののけ姫」の主人公アシタカに感情移入できる人はほとんどいないだろう(アシタカは若いイケメンで戦闘能力高いという意味でファンになる人はいるかもしれないが、自分の境遇と重ね合わせられるキャラではないということ)。彼はエミシの族長となるべく生まれた男子だが、タタリ神の呪いを受けて、たった一人で郷関を出る。こんな境遇の人は世の中にはほとんどいない。大企業の社長の息子のようなもので、日本人の0.001%くらいしかいないだろう。

山犬に育てられた娘サンにしても、普通の女子がこの子に感情移入できるはずもない。

脇役のエボシ、ジコ坊にしても設定がややこしすぎて、こんな人たちの行動や思考をすんなり理解できるはずがない。

なんかよくわからない、破綻した話のように見えるのだが、しかし何度も見ているうちにこれらの人物やシナリオがすべてすっきりと説明できるように作られていて、おもしろいのである。だけどもののけ姫のほうが千と千尋より面白いと思う人は少ないだろう。

ラストも、あの時首をダイダラボッチに返していなければみんな死んでいたはずだが、ジコ坊はそのことに気づいていたかどうかはともかく、首をアシタカに手渡し、アシタカとサンは、まるでラピュタのパズーとシータのように二人でその首を差し出してダイダラボッチに返す。生と死をつかさどるダイダラボッチ(シシ神)が死んだことによってみな死なずに済み、アシタカの呪いも解ける。シシ神がいなくなることでタタリ神も存在しなくなり、呪いもなくなる。すべては丸く収まって(少なくとも人間にとっては)、ジコ坊もエボシもその結末に納得せざるを得ない。

そして天朝様にしても、不老不死の薬シシ神の首が欲しかったというよりは、シシ神という生死を操る制御不能な存在を地上から抹消し、人々が安心して住める土地を作ることが、シシ神退治の本当の目的であったかもしれない。古来、天皇がやってきたことというのは、縄文時代から続くわけのわからない呪術とか怨霊といったものを人間によってコントロールできるようにし、世の中というものを合理化して説明のつくものにしていくことであったともいえる。何もかも一応説明が付くように作られている話なので、たぶんもともと根底にはそういう設定があったように思われる。

今でも人間は宗教というわけのわからないものに脳を支配される存在であるが、一方で、理性と制度によってそうしたわけのわからないものができるだけすくなくなり、最終的になくしてしまうように努力している。そうしたものをもののけ姫はテーマにしているはずだが、となると、このもののけ姫というものは、あまり宮崎駿的ではなく(つまりストーリーがややこしすぎて宮崎駿的でない。だが映像演出は随所に宮崎駿的なものが満ちている。たとえばシシ神の森はトトロの森とナウシカの腐海を足したようなものだったり、タタラ場はラピュタの鉱山に似ていたり、乙事主らイノシシは明らかにオームの焼き直しだったり、とか)、誰か宮崎監督のほかに(民俗学的なものにこだわりがある)仕掛け人というか裏方がいたのではないかと疑われるのだ(高畑勲?うーん。そうかもしれないが)。

ははあ。なるほど。梅原猛が関わっているのか。神殺し、ギルガメッシュとフンババの戦いか。梅原猛はヤマトタケルも好きだったはずだ。だから、アシタカもサンも、ジコ坊も、全然宮崎駿ごのみのキャラじゃないんだな。エボシとかタタラ場の女たちはちょっとくらいは宮崎駿好みの要素が入ってそうな気はするが。エボシはナウシカのクシャナ姫だろう。

というわけでなんだかすっきりしないわけのわからない終わり方のようにみえて、いろいろと補助線を引いてみると、実はすべてが予定調和ですっきりしているのだけど、そこに気づく人はあまりいないだろう。だから面白いのである。少なくとも私にとっては。千と千尋は誰にでもわかる面白さだが、もののけはわかる人にしかわからない面白さだから、それに気づいた自分えらいとなる。

要するにもののけ姫は宮崎駿以外の梅原猛とか糸井重里とかいろんな人がいろんな形でかかわってきたからあんななんだかカオスなものになってしまった。ジブリとしては初めてCGも採り入れたりして、いろんな模索をしてたんだと思う。でもよく分析してみると一本筋のとおったコンセプトがあってそれでかろうじて破綻してない。もののけ姫で宮崎駿監督はほんとは何を言いたかったのか、また、鈴木敏夫プロデューサーは何をやりたかったのか、というよりも、ジブリは当時制御不能な状態にあってああいうものができてしまった、というのが実情だろうね。

そんで、なんだかんだあって、もののけ姫の反省から結局宮崎駿の個性で作品全体をまとめるしかないねみたいなコンセンサスというか諦めのようなものがジブリの中にできあがって、それで千と千尋ができたのだろう。ジブリはほんとうはもっと早く宮崎駿とか高畑勲の「個性」から脱して、もっとニュートラルな、属人的ではないアニメーションスタジオになろうとしていたのだけど、結局それは失敗したようだね。

もののけ姫で迷走し、千と千尋で当たってしまい、五郎にまかせてみてコケた。もうどうしようもないね。もののけ姫の段階でもっと試行錯誤しておくべきだったんだよなほんとは。そしたら何か新しい突破口が見つかったかもしれないのに。ジブリは個人経営のまま終わるしかないのか。

もののけ姫とまったく同じ理由でテキサスレンジャーの主人公の立場を理解でき、すんなり感情移入できる人はほとんどいるまい。ケビン・コスナー演じる主人公と同じ境遇の人なんてこの世に滅多にいるわけないのである。いるとしたら、そうだな、いろんないやな仕事をやらされてきたが定年まぢかでそろそろ楽になろうとしたときにいきなりやっかいな役職を任された人くらいで、私の今の立場に似ていなくもないが、そんな人は世の中にはほとんどいないはずだ。こういう映画をわざわざ作るというのはどういうつもりなのだろう。

ケビン・コスナーはアンタッチャブルでも嫌われ者の警官役だった。

テキサスレンジャーというのももともとは正義のヒーローであると同時に人権を無視してネイティブアメリカンやメキシコ人を虐殺した鼻もちならないアングロサクソン人だった。

アンタッチャブルを元ネタに俺たちに明日はないの主役をひっくりかえしてこのテキサスレンジャーという映画が作られたわけだが、やはり、なぜ誰がこの映画を作ろうと思ったのか、だれがこれを喜んで見るのかがよくわからない。そういうひねくれた映画だから私にとっては非常に面白いのだろうなと思う。

ホームランドも設定がややこしすぎるドラマの一つだろう。

ブラックリストは、設定はややこしいといえばややこしいが、ぱっと見はただのFBIのアクションものなので、そこがホームランドとは違う。ホームランドはたぶん、911で芽生えたアメリカ人の「良心」「内省」というものが作らせたある種の「懺悔」だろう。だがブラックリストは明らかに一般大衆受けを狙って作られた娯楽だ。

噛めばかむほど味が出るスルメみたいな映画というのがつまり私には面白いわけだが、しかしそういう映画は世の中から評価されにくい。されるのに時間がかかる。見たあとに勉強してもう一度みないとわからない。たぶん一般大衆からの評判なんかどうでもよくて、そういう映画を作っても良いよといってお金を出す人がいて、そういう人が作らないような映画をどうしても作りたいという人がいて、それでこういう映画ができるんだろうなあ。

この、でっぷりとおなかがでたケビン・コスナーを見ていると、どうしても、パルプ・フィクションに出てきたジョン・トラボルタを連想する。タランティーノは一世を風靡した一発屋の、腹の出たトラボルタをわざわざ映画に使いたかったわけだ。同じいじわるさをこのテキサス・レンジャーズには感じる。タランティーノは顔がパンパンに膨らんだレオナルド・ディカプリオも使ってるよな。そういうのが好きなんだな(しかしシャッターアイランドやインセプションのほうが早いか)。