司馬遼太郎3

つまり、司馬遼太郎は、義経は書いているが、鎌倉幕府とか北条氏の時代から何も書いてない。太平記の時代になり義満の時までない。

つまり、源頼朝から足利義満までの間のことは小説に書いてない。

なるほど、織田信長や豊臣秀吉や徳川家康は武士であろう。薩摩や長州も武士だし、新撰組も武士だろう。明治の軍人たちは武士の子孫に違いない。

だが、執権北条氏も、足利氏、新田氏、楠木氏らもまた武士であろう。南北朝や応仁の乱のごたごたもまた武士であろう。それらを全部ひっくるめて武士なのである。しかし、司馬遼太郎は、吉川英治「私本太平記」を例に挙げて、吉川ですら残念ながら水戸史観を頼りにこの時代を見ている、などと批判している。水戸史観を通してみれば悲壮美にみちたきらびやかな時代だが、それを取り払えばただのごたごたでなんでもない時代だ、と言っている。なるほど、なんでもない時代ならなんでもない時代として淡々と描写すれば良いのではないか。あるいはそれこそ水戸史観を司馬史観とやらで置き換えれば良いではないか。まあ、新田次郎などはそれをやろうとして、派手に失敗しているし、吉川英治も中途半端にやろうとして適当にごまかしているがな。歴史家か歴史小説家が、ある特定の時代を取り出して、なんでもない時代、なにもなかった時代などというのは怠慢に過ぎない。 プロじゃない。そもそもなにもない時代なんてものがあるはずがない。逆に、なにもかもおもしろかった時代というのも幻想に過ぎない。

南北朝時代と応仁の乱の時代は、時期的にも近接していて、非常に良く似たものだっただろう。どちらも、ほんとうの歴史というものは、ごたごたしただけのものだ。司馬史観というが、幕末や安土桃山時代ばかりとりあげて、武士の、日本史の暗黒の歴史、つまらなく、ごたごたどろどろした部分はほったらかして、それじゃただミーハーなだけではないか。頼山陽の立場で考えれば、彼はまあ彼の生きた時代なりに、日本の通史を書こうとして、武士の良いところも悪いところも全部彼なりに最初から最後まで書いてみた。さらに日本政記やら日本楽府も書いた。そして彼は彼なりに、日本に武士がおこった所以を説明してみた。藤原氏による国家の私物化、武家による簒奪(或いは王家の傀儡化)、さらに北条氏という、天皇家でも貴族でもない階級による一時的な「善政」と崩壊。長引く混乱の中で荘園制から守護大名、戦国大名への変遷。そして封建制の完成。すべては連続的にかつ必然的に起こってきたこと。だが、司馬遼太郎は日本の歴史をつまみ食いしただけだ。彼が、宋学とか、水戸史観とか、そういうものを嫌っていたのはわからんでもないが、
それもまた武士の思想なのであり、それをどうにかこうにか自分なりに消化しなくては武士を描写することなどできまい。

思うに、太平記がただのつまらない歴史だと言うのであれば、史記に描かれた項羽と劉邦の話だって、脚色を取り払えば、ほんとうの歴史はごくつまらないものだっただろう。安土桃山にしろ幕末にしろ、史実が明らかになればなるほど、ふつうのごくつまらない事実の積み重ねに還元されるだけだろう。そんなことは当たり前のことなんじゃないのか。歴史小説を書くには何かの脚色が必要で、だから司馬史観などと言われるのではないのか。

司馬遼太郎2

司馬遼太郎は案外著作は少ない。長編が多いせいかもしれない。
歴史小説で時代が古い順に並べてみる。

#### 秦漢

項羽と劉邦

#### 平安初期

空海の風景

#### 平安後期

義経

#### 室町

妖怪

#### 戦国初期

箱根の坂

#### 安土桃山

梟の城、夏草の賦、新史太閤記、尻啖え孫市、功名が辻、城をとる話、国盗り物語、
戦雲の夢、風神の門、播磨灘物語、城塞、関ヶ原

#### 明末清初

韃靼疾風録

#### 戦国・江戸初期

覇王の家、宮本武蔵

#### 江戸初期

大盗禅師

#### 江戸中期

菜の花の沖

#### 幕末

上方武士道、風の武士、龍馬が行く、燃えよ険、北斗の人、俄 浪華遊侠伝、十一番目の志士、
胡蝶の夢

#### 幕末・維新

最後の将軍 徳川慶喜、峠、歳月、世に棲む日日、花神、

#### 維新

翔ぶが如く

#### 明治

坂の上の雲、ひとびとの跫音、殉死

司馬遼太郎

「燃えよ剣」を読むまで、まったく気がつかなかったのだが、結構重大なことのようなので調べてみる。

「燃えよ剣」の中で司馬遼太郎は、近藤勇が日本外史の愛読者であり、 また頼山陽にまねた書を書くなどと書いている。近藤勇は当時の平凡な田舎武士、あるいは町道場主として描かれており、その趣味が頼山陽なのであり、それ以上のことは書いてない。

また、「項羽と劉邦」の後書きで、頼山陽と日本外史について次のように触れているそうである。

日本人が中国大陸から漢字・漢籍を導人するのははるかなのちのことになる。以後、日本社会はその歴史を記録として織りあげてゆくのだが、人間のさまざまな典型については自分の社会の実例よりも、漢籍に書かれた古代中国社会に登場する典型群を借用するのがつねであった。このことは、ひとつには江戸末期に日本社会が成熟し、頼山陽が出て『日本外史』を書くまで自国の通史が書かれなかったことにもよる。中国文明の周辺の文化というのは自国を鄙であるとするらしく――朝鮮やヴェトナムも同じだと思うが――通史が成立しにくい。たとえ成立しても、人間についての彫琢にとぼしい。『日本外史』にもそのきらいがあるが、それは山陽の罪ではなく、多くは日本社会の性格によるといえるであろう。中国社会の場合、すでにのべたように田園にみずからを飼い養っていたひとびとがに挙に柵を脱し、山野へ奔りだすということがあるために、そこに浮沈する人間たちは、浮沈の力学として彫琢が深刻にならざるをえない。典型ができやすいということがあり、とくに戦国から秦末の争乱にかけてはそうであった。まだその典型たちの塚が古びていない時期に、記録者の司馬遷があらわれている。かれは宋代以後の学者よりもはるかにこんにち的な感覚をもち、二十世紀に突如出てきても違和感なく暮らせるほどに物や人の姿を平明に見ることができた。

日本外史が日本初の通史であろうか。水戸藩の大日本史は確かに日本外史よりも完成は遅れたが、それよりも先に編纂が始まっていた。北畠親房の神皇正統記は、日本の通史とはいえまいか。ほかにも日本外史に先立つ日本通史に近い著作はあるだろう。また、日本書紀は明らかに当時としての通史であっただろう。それらについて、司馬遼太郎ともあろう人があまりにも無関心すぎないだろうか。

また、日本外史が、史記と比べて、「人間についての彫琢にとぼしい」と言っているのはどうにもわからない。史記は司馬遷が書いたというよりは、地方に伝わった伝承を蒐集したものであろう。民間伝承とはつまり平家物語や義経記、あるいは太平記などの軍記物語に近いものだったろう。それらをつなぎ合わせて史記ができている。それを後世の宋代の学者と比べて「はるかにこんにち的な感覚をもち」などと評するのはあまりにもとんちんかんではないか。

司馬遼太郎が「南北朝時代」を書かなかった理由その1、司馬遼太郎が「南北朝時代」を書かなかった理由その2。なるほど、これは詳しい。よく読んでから、また書いてみる。

司馬遼太郎と日本外史

司馬遼太郎の「燃えよ剣」を読んでいたら、近藤勇の愛読書として「日本外史」が出てきた。その紹介はあっさりとしたもので、楠木正成についてもごくありきたりの解釈。もしかすると、司馬遼太郎は、平家物語や太平記辺りの日本史についてはあまり興味がないのかもしれんなと思った。日本外史についてもせいぜい江戸時代に流行った講談もの程度の認識なのではないか。ほとんど読んでないのではないか。そんな気がする。

「燃えよ剣」自体はなかなか面白い。特に調布から八王子辺りの地理をある程度知っている人には楽しめるだろう。なんというか、関東に来てみないとよくわからない小説というものは実際ある。志賀直哉の「城之崎にて」など冒頭、山手線にはねられて背骨を痛めてどうのという話があるが、そもそも山手線というものがどんなもので、それが大正時代にはどんなふうでという具体的なイメージがつかめないと、面白みがだいぶ減るのではないか。

眼福至極。

切腹

腹を切って内臓露出しただけじゃ死ねないんだよ。 一日くらいは絶命しないこともある。
だから、江戸時代に様式化されると、苦しまないよう介錯が始末してくれる。

もともとは苦しんで恨みを残して、周りに迷惑をかけて汚く死ぬための死に方だったわけだし。

だから、今回の切腹は、割と正しいやり方だったと思うよ。 歴史的には自分の死をもって嫌がらせをするために切腹する場合もあり、 きれいに死ぬのが切腹とは限らない。

逆に、ブラックホークダウンみたいに、大動脈が切れれば30秒くらいで出血多量で死んでしまう。 手当が間に合わない。

青野春秋の謎

改めて、「俺はまだ本気出してないだけ」を3巻一気読みしてみた。電車の中ヒマだったので何度も何度も読み返した。そしてやっぱしゃれにならんマンガだなとは思いつつ、青野春秋という作家についていろんな疑問がわいてきた。マンガ自体は非常に良く出来ているので、われわれはついこれは作者の自伝的なマンガなんじゃないかと錯覚してしまうが、それは巧妙なるやらせのたぐいであって、作者は40のおっさんではなくて20代の女性かもしれない、とさえ思える。

イキマンという作家発掘養成のための新人賞、いや、イッキという雑誌そのものをもり立てるための壮大なやらせなのかもしれない、ヘタウマ風の画風さえやらせであり、新人賞当時の画力を編集者らに無理矢理保持させられているだけなんじゃないかとさえ思える。いや、それならそれでもかまわんのだが、だまされたとわかったときのショックをできるだけ和らげたいと思うのだった。

ははあ。なるほど。ネットに散らばっている情報を集めるとおぼろげに見えてくる。イキマン「走馬灯」受賞時2005年11月に青野27才。素直に逆算して1978年生まれ、現在30才くらい。性別不明。2001年ヤングマガジンにて「スラップ スティック」が第45回ちばてつや賞優秀新人賞受賞、とあるがこのとき推定23才。10代から漫画家のアシスタントやってると。まあ、作者はごく普通の漫画家だわな。で、女性であればおそらく作者は鈴子に近い立場。もしくは読み切り「生きる」に出てくる女性。男性ならマクドナルドのバイトの田中とかか。

「走馬灯」掲載が06年2月。「いきる」掲載が07年1月。読み切り「俺はまだ本気出してないだけ」掲載が07年3月。連載開始が07年5月。

第3巻の発行が三ヶ月ほど遅れたのは作者の体調不良によるらしい。

同じイキマン出身の福満しげゆきは作家本人がそうとう露出しているのにくらべて青野はやはり謎に包まれている。


追記。青野春秋、普通のおっさんだった。東京新聞の取材に応え、顔出しもしている。

マダガスカル

テレビでマダガスカルを見る。 マダガスカル2広報用にぶつぶつに編集されCMを挿入されたやつだが、まあおよその雰囲気はわかった。 これは、ジャングル大帝などでは曖昧にぼかされていた禁断のテーマをパロディ的に解決したものであって、動物園を逃げたライオンが仲間の草食動物ではなくて寿司を食うことによって野生の本能をコントロールするというもの。 なんかかなり納得できないというかそれでいいんかいというものを感じた。

麗島夢譚

なぜか安彦良和の「麗島夢譚」というマンガを読んだ。麗島というのは台湾のことらしいが、処刑された天草四郎は替え玉でオランダ人に台湾のゼーランディア城につれていかれる。そこにはなぜか宮本武蔵がいる。当時の台湾だから当然平戸から鄭成功がやってくる。なんかもうすげえ。しかし、「三河物語」とか「王道の狗」のような地味なストーリーの原作では良い味出す安彦良和ではあるが、「ジャンヌ」とか「神武」とか「ナムジ」などの自由度が大きくて歴史上の英雄を主人公にした途端とんちんかんになってしまう。「虹色のトロツキー」はけっこう危なかったがなんとかまとまった感じ。彼が「麗島夢譚」のようなマンガを描きたい気持ちは良くわかる。しかし、鄭成功と宮本武蔵と天草四郎をどうやって一つのストーリーにまとめるのか。無茶だろ。救いは、どうやら、主人公は平戸松浦党の名もない一青年だというところか。

山といへば川

丸谷才一の「山といへば川」という文庫本の最初に「後朝」という文章が載っていて、「源氏物語は古今、後撰、拾遺の和歌をふまえて書かれた」と言い、「驚嘆に値するのは当時の上流階級がみなこれらの古歌をただちに連想できた」のであり、「呆れるばかりの教養だった」と言っている。

確かに古歌と言えば古歌ではあろうが、時間の流れがゆっくりだった当時としては、比較的最近の流行歌くらいのものだったのではないか。というか、出版もなければ放送もない当時としては、すぐれた歌をまとまった分量集めてくるだけであっという間に百年は経つだろう。今でも、ガンダムのセリフを全部そらんずるくらいのオタクはいくらでもいる。歌謡曲やJ-POPなるものの歌詞を暗唱しカラオケで歌えるくらいのものはたくさんいる。娯楽にしろ学問にしろ何もかも限られていた当時、「古今」「後撰」「拾遺」の歌を全部覚えていたって全然不思議じゃないじゃないか。

しかも「含蓄、余韻、ほのめかし、余白、などといふ抑制と沈黙の技法はわれわれの文明の基本の型、生活の特徴的な様式になっている」などと結論づけているのだが、源氏物語は当時としてはもっと世俗的な、風俗小説かパロディー小説のたぐいだったのではないか。今の漫画やアニメと同じく。古くてよくわからんから、含蓄だとか隠喩のように思えるだけなのではないか。たとえば同人漫画などは読んでもよくわからんが、これをほのめかしなどとは言わないだろう。わかる人にはわかる身内ネタというだけのことだろう。