五位鷺伝説

またしても平家物語をだらだら読んでいたのだが、五位鷺という名前の由来が醍醐天皇の時代の出来事に由来するのだという話がある。これまた平家物語の本筋とはまったく関連がなく、後から追加された逸話だと思う。ゴイサギは頭の後ろに長い毛が生えていて、それが水の中の魚をついばむのはなかなかかわいらしい仕草である。日本中どこにでも水辺に見られる鳥だと思うのだが、それはともかくして。

醍醐天皇の時代は西暦930年までで、平家物語の成立は鎌倉時代中期の1250年から1300年くらいだと思われるのだが、およそ300年前の伝承が途中まったく他の文献にも見えずいきなり現れたというのはもうこれは当時の民間伝承か何かと思わざるを得ない。能の演目にもなっているがそれは後に室町時代になってから平家物語にあるんで能になっただけだろう。

平家物語は今昔物語的なところがあり、当時のいろんな説話が無造作に取り込まれている感じだ。

山といへば川

丸谷才一の「山といへば川」という文庫本の最初に「後朝」という文章が載っていて、「源氏物語は古今、後撰、拾遺の和歌をふまえて書かれた」と言い、「驚嘆に値するのは当時の上流階級がみなこれらの古歌をただちに連想できた」のであり、「呆れるばかりの教養だった」と言っている。

確かに古歌と言えば古歌ではあろうが、時間の流れがゆっくりだった当時としては、比較的最近の流行歌くらいのものだったのではないか。というか、出版もなければ放送もない当時としては、すぐれた歌をまとまった分量集めてくるだけであっという間に百年は経つだろう。今でも、ガンダムのセリフを全部そらんずるくらいのオタクはいくらでもいる。歌謡曲やJ-POPなるものの歌詞を暗唱しカラオケで歌えるくらいのものはたくさんいる。娯楽にしろ学問にしろ何もかも限られていた当時、「古今」「後撰」「拾遺」の歌を全部覚えていたって全然不思議じゃないじゃないか。

しかも「含蓄、余韻、ほのめかし、余白、などといふ抑制と沈黙の技法はわれわれの文明の基本の型、生活の特徴的な様式になっている」などと結論づけているのだが、源氏物語は当時としてはもっと世俗的な、風俗小説かパロディー小説のたぐいだったのではないか。今の漫画やアニメと同じく。古くてよくわからんから、含蓄だとか隠喩のように思えるだけなのではないか。たとえば同人漫画などは読んでもよくわからんが、これをほのめかしなどとは言わないだろう。わかる人にはわかる身内ネタというだけのことだろう。

頼山陽記念館

羽田 10:50 発。広島空港着。 15:00 頃広島バスセンター着。雨。原爆ドームや平和記念館などを見たあと、頼山陽記念館に行く。ここには頼山陽の親類縁者の書画しかない。戦前は多少はあったのが、原爆ですべて灰塵となったか。或いは京都のあたりにあるのかもしれん。 1500 円の中央公論「頼山陽」という本を買う。これは「日本外史」の一部和訳が載っていて、なかなかおもしろい。が、しかし、北条氏、豊臣氏、徳川氏などがごっそり抜けていて、全訳だったらもっと良いのにと思った。

耕雲

モーニングをだらだら読んでたら「ぶっせん」に「耕雲」というのが出てきた。どうもこれは禅宗(曹洞宗)用語らしいな。「耕雲種月」というのは「(心の)雲を耕し(心の)月に種を蒔く」という意味らしい。私の祖父が昭和 45 年大晦日に「釣月耕雲慕古風」という書を書いたのだが、この「釣月耕雲」と「耕雲種月」は非常に良く似ている。「釣月耕雲慕古風」は中国人の漢詩にしてはあまりに浪漫的で妙に端正なので、私はおそらく日本人の、しかもかなり近世の漢詩だろうとみていたのだが、このたび確信を新たにしたね。

さて、ネットで検索すると武田耕雲斎というのがぼろぼろ出てくる。これは水戸浪士で天狗党という幕末に世間を騒がした連中の首領らしい。また、耕雲という号を使っていた人はほかにもいたようだ。また、耕雲寺という曹洞宗の寺もあるようだ。「釣月」に関しては、まったくみあたらない。「耕雲」というのは江戸後期にはかなり一般的な用語だったので、「釣月」で詩としてのひねりを加えたのだろうか。

梁塵秘抄

「梁塵秘抄」があったので借りてきて読む.

我が子は二十に成りぬらん 博打してこそ歩くなれ 国々の博党に
さすがに子なれば憎か無し 負かいたまふな 王子の住吉西の宮

という歌があり,冒頭の「我が子は二十に成りぬらん 博打してこそ歩くなれ」
の部分なんて,不良息子を持った母親の愚痴のようで面白いよなあ.

山伏の 腰に付けたる ホラ貝の ちやうと落ち ていと割れ
砕けてものを 思ふころかな

これはなんてふざけた歌だろうか.と思ったら,実は山伏の失恋の歌なのだそうだ.
ますますふざけてる.