「文科系」が日本を滅ぼす

早稲田の大槻教授が書いた本「「文科系」が日本を滅ぼす」という本を借りて読む.題名に少しわくわくさせられたのだが,中身は陳腐.定量化の尺度として大学の偏差値を持ち出しているところなぞ笑止.なんでもかんでも定量化しようというのは理系人間の宿痾だね.小渕と角栄を同列に扱うなんともおおざっぱな論調で,ああ彼は根っからの理系人間なんだなあと落胆させられた.こういうロジックの振り回し方をするから理系人間は理屈ばかりで説得力がないと言われる.

さて,この本の最後で言っているのは大学教育改革で「希望者全員合格,少数卒業」というもの.日本の私学の場合,授業料は年間百万円以上はざらだから,大量に合格させて大量に退学させると訴訟沙汰になりかねない.大学の事務で煩瑣なのは不良学生の処理である.不良学生を大量に合格させては全体の質が低下し,まじめで良い学生へのサービスがおろそかになる.本末転倒である.今の大学は託児所と化しているのだが,その一因は高すぎる授業料にある.金を受け取る以上,その分の付加価値をつけてやらなくては詐欺である.しかし,この本では,その点授業料を五万円に抑えろ,といっているのは筋が通った話である.その代わり,大量教育なのでテレビやインターネットで在宅授業は当たり前で,四年のゼミだけ大学に来て研究室に所属して指導を受ける,というシステムにするとよい,などと言っている.

よいとも悪いともなんともいえない.まあしかし,最初の一,二年の間は仮入学扱いにして,不良学生はどんどん落とした方がよく,そのためには授業料を最初の年次だけ安くし,入試はそのぶん簡素化しても良いかもしれん.

ともかくも,この手の改革は個別の大学でやろうとしても無理である.何か学校法人そのものを変えてしまうような法改正か強力な指導が必要だろう.でも,法律さえ改正すればすんなりこの手の改革はできてしまうような気がする.学部四年次の定員だけたとえば 200 名と定めておき,一年次は無制限,二年次は 10000 名,三年次は 1000 名,とかにすればよいのだ.今はずんどうみたいに一年次も四年次も定員は同じ.これでは小中学校のような義務教育と同じ内容になっても仕方ないよね.

定員制限をピラミッド型にすると,大学経営者というのは欲張りだから入れるだけ入れようとするだろう.そうするとすべての学生をキャンパスに収容するのは不可能だから,メディアによる教育とか放送大学みたいなことを必然的にやらざるを得なくなる.今のようにメディアによる授業の単位をいくつまで認める,とかいう文部省の改正では,大学側の負担だけが増えてメリットはほとんどないので,どこも動かないね.もっと根本的な改革をやらなきゃだめだろ.

なかなか良いことも書いてある.うちの学生で「大学に入っても勉強するんですか.私の兄/姉は大学では勉強なんかしないと言ってました」と質問したやつが居たそうだ.なんとも嘆かわしいことだ.学生や父兄だけでなく教員もそう思っている.もちろん理系の教員はそんなことは思っていないのだが・・・。

1955 年,私は東京の国立大学の理学部理学科に入学した.大学は文京区にあったが,通学に 40 分以上もかかる埼玉県にある学生寮に無理矢理入り込んだ(注:東大朝霞学生寮,というものがあったのだろうか).
・・・その寮では理工系学生(私と数学科 1 名,生物学科 1 名,それに農学部の学生 1 名の計 4 名)は少数派であった.
寮生は 25 名ほどであったから,多数が文化系学生だったのである.
朝 7 時半,食堂に顔を出すのは,きまってわれら 4 名の理系の学生だけだった.文化系の連中は,このとき決して起きることはなかった.したがって,朝から大学の講義に出席するのも理系の学生だけだった.

大槻教授のこの部分を読んだだけでも,理系が文系とくらべてどれほど時間を拘束されノルマを課されているかわかるだろう.さらに大槻教授は,文化系の学生が,毎月支給される育英会費を一日で吉原で使い果たしたと書いている.育英会費を使ったあとはバイトで生活費を稼ぐのである.しかし,理系の学生は年中バイトをやっているほどヒマではない.

庖丁人味平

「こたつむり伝説」はいまなら「ひきこもり伝説」だな.なんという先見の明.木村千歌偉い.

先週も昨日も見忘れた北条時宗見たけど.喜望峰を見つけたのはバーソロミュー・ディアス 1488 年,インド航路を発見したのはバスコ・ダ・ガマ 1498 年じゃろ.なんでモンケ・ハンの時代(1250 年頃)の世界地図に,アフリカ大陸があんなはっきりと書き込まれてるんかのう.まあ確かにイスラムは当時すでにアフリカ東海岸を含むインド洋全域を航海していたが,しかしインド洋が大西洋につながっててヨーロッパまで行けるかどうかということは知らなかったはずだ.

しかしまあ庖丁人味平は傑作だよなあ.庖丁人味平は今の料理漫画の草分けなんだが,最初の包丁試しとか肉裁きとか荒磯の船の上の料理とかは,ただ手際の良さというか,奇術というか,なんかわけのわからん荒唐無稽なものだった(おそらく当時流行していたスポーツ漫画の強い影響を受けていたのだろう)が,うしお汁当たりからほんとの味勝負になり始めて,このカレー勝負は全編中でも一番「人々の記憶に強く刻み込まれた」インパクトの強いあたりだ.カレー屋を食べ歩いたり,漬け物を食べ比べたり,真の味勝負と言えるのはこのあたりからだ.しかしこの勝負は相手が香辛料に麻薬を混ぜるという反則負けで終わる.結局味と味の真っ向対決で優劣を決したのと違うのが悔やまれる.しかしこれは今日の視点で言ってのことなのだ.今はそんなんばっかりだが.そういう意味では後世の料理勝負モノとはじゃっかんニュアンス違う.うしお汁も味平の汗という不確定要素によって勝ち負けが決した.包丁貴族との戦いはどう決着したんだったっけ.

そういえば「真中華一番」の第一巻を読んだらば,時代設定は清町末期と明記してあった.宮廷調理師とかいう肩書きもあったようだ.だとすれば男子は全員弁髪しなきゃ弁髪.だとすれば女子は全員纏足しなきゃ纏足.だとすれば清朝の領土には外モンゴルが含まれてなくちゃ.ついでに刺身食うなよな中華料理でよ.まあそんなのいまさらどうでもいいか.

袴だれ保輔

吉川英治全集 48「短編集(二)」講談社の中の「袴だれ保輔」というものも読んだ.吉川英治は良く調べたようだ.しかし,自害したとは書いてあるが,どこにも切腹したとは書いてない.検非違使に追いつめられ,やけくそで腹を切って腸を投げつけた,という話は,そうすると「続古事談」だけに見られるのだろうか.この「続古事談」というのはなかなか手に入らず困っているのだが.

「袴だれ保輔」は,昭和 26 年に書かれたものだそうだが,いかにも当時の世相を反映していてわざとらしい.しかしいくつかおもしろいインスピレーションを得もした.「袴垂」というのは没落貴族を言うのだそうだ.おそらく,平安盛期から末期にかけて,世の中がよどんでしまい,貴族と庶民の間の階級格差はとてつもなく広がっただろう.日本の歴史の中でも最もはなはだしかったのではないか.この差別というのは,もしかすると,日本社会に猛烈なストレスを生んでいたかもしれない.ところが日本ではこのころやっと鉄器というものが庶民にも普及してきたころで,庶民はほとんど野蛮人か未開人の状態にあったものと思われる.そうすると,ケルト人もゲルマン人も女真人でもそうだが,彼らはきわめて無分別でかつ剽悍であるから,きちがいに刃物とは言うが,とにかく支配者階級に対して,めったやたらに強盗を働いたり人殺しをしたりしただろう.そうして捕らえられたときに,やけくそ,或いはいやがらせ,或いはせめてもの反抗の表明,としてやった自害の様式,として,切腹は最初は始まったのではないか.それが当時の盗賊集団で,なんかのはずみで(ここが重要),流行になって,「役人に捕まったときは腹を切ってはらわたを投げつけてできるだけ醜く死んでやろうぜ.てやんでい.べらぼうめ」とかなんとかそういうことになったのではないか.

多くの後世の軍記物が創作しているように,武士の頭領らが,自ら率先して,切腹というものを普及させた,というのはいかにも唐突であって,ありえなさそうだ.少なくとも平家はやってないし,また,源氏も(北条氏に取って代わられるまで)実は一度もやってなかったと思う.むしろ酒呑童子などの反乱分子らによって発明されたと考えるのが妥当だろうと思う.

それがいつの間にか,おそらく鎌倉幕府北条氏の頃だと思うが,下級武士全体に広まり,
さらに室町戦国時代を経てどんどん上級の武士にも広まり(というか,もともと身分の高い武士などいないのだが),徳川の時代に武士の正式な自害の仕方として確立されてしまった.しかし,このときにはもはや,反逆とかいやがらせという意味合いはまったくなくなってしまい,はらわたをさらすということも禁じられてしまった.

切腹に先行する,日本古来の,類似の民間習俗があったかどうか,というのはなんとも言えない.しかし,切腹というのは単なる犠牲を捧げる儀式とは思えない.かなりの精神的圧迫と異常心理が作用してないと発生しないと思う.それはやはり平安時代の被支配階級という暗部から生まれたと考えるとつじつまが合わないだろうか.要するに,なぜ日本にだけ切腹という異常な自殺形態が生まれたのか,ということなのだが,当時の世相と,偶発的なきっかけ,ということで説明できないだろうか.たとえば,日本ではやくざものが指を落としたり入れ墨をしたりという一種の自虐行為を,仲間内の特殊な様式としてやるが,このような心理が平安期の強盗集団にもあったとして不思議ではない.

こうしてみると,武士の発生と切腹の発生とはほとんど軌を一にしているようにも思える.つまり源平のやんごとなき辺りはともかくとして,武闘集団としての武士は,このようにして発生した,と思われるからだ.そこで切腹は武士の根本教義として今日まで強い影響を維持してきたのではないか.切腹の意義の変遷はすなわち武士そのものの変遷なのである.

山本書店

市ヶ谷の山本書店に行ってみた。駅からだとすごくわかりにくい。しかし防衛庁正門からはわずか 1~2 分の距離か。そのあと上野の東京国立博物館に行く。この博物館は実に広い。四大文明エジプト展最悪。人が多いのは耐えられない。常設展だけで十分だ。

不忍池は一面蓮だった。これは壮観だ。蓮と葦では葦の方が強いので、ほうっておくと葦だらけになる、と思われるのだが、そうではないのか。葦は河原などに生えて、池には蓮の方が適しているのだろうか。

中島敦全集

ちくま文庫の「中島敦全集」全三冊,これは本物の全集である. 書簡や日記までありとあらゆる著作が収められている. これの二冊目の解説を群ようこが書いているのだが,これが笑える. どうしてこの人は子供のときに考えたことや感じたことをこんな詳しく覚えているのだろうか. この人の著作の大半は,子供の頃の思いでばなしだ. そういう意味では西原理恵子に似ていなくもない. というか,よく雑誌で対談してるなこの二人は.

・・・だから私たちの間では,中島敦という作家は「とっても難しい中国の話を書いて,若くして亡くなった,眼鏡をかけた人」で終わってしまったのである. ・・・これではいかんと,私は昨年,ちくま日本文学全集に収録されている,中島敦の本を読んだ. そこで初めて,彼が「マリヤン」「鶏」といった,南の島の物語を書いているのを知った. 「山月記」の印象が強かった私は,その内容の違いにびっくりした. ほのぼのとしていて,ユーモラスで,これが「山月記」を書いたのと,同じ人が書いたとは思えなかったからだ.

いやはや,まったく率直で的確なご意見. 国語の教科書はなぜか中島敦といえば「李陵」「山月記」「弟子」「名人伝」のどれかしか採らない. また,中島敦の文庫本で,「マリアン」などの南国譚を併せて載せてるものは少ない. 従ってわれわれは子供の頃「中嶋敦 == 漢文調の難しい小説」という先入観を植え付けられてしまうのだ.

やっと私も「山月記」を読んで,じーんとできるような歳になったのかと,しみじみとした. 彼は私の想像以上に,いろいろな種類の作品を書いている. 先入観は恐ろしい.
それは読書するチャンスを奪う. 私は四十歳近くになって,やっと中島敦を読む機会を得たわけだけれど,今まで読んでいなかったことを後悔し,そしてこれから新参者として,彼の作品を読むのが,とても楽しみになってきたのである.

ぎゃははは.そのとおり.さあみんなも中島敦を読もう!

「牛人」というのは,同じネタで宮城沢昌光も書いている.読み比べると面白いかも.

中島敦

「宝島」を借りてきた.あまり面白そうではない.

世間一般では中島敦というものをひどく誤解しているというか,深く理解していないというか,あるいは深く広く理解させようという努力が足りてないというか,そんな気がする.
「文字禍」には,病床にふせる作家とそれを取り巻く妻や父母の姿が,前世がエジプト人であったペルシャの兵士に投影されているように思われるし,「巡査の居る風景」は,作者が京城中学校二年生の冬に見たソウルの町の,言うに言われぬ痛ましい光景,また,おそらく自分自身が深く考えもせず差別した朝鮮人達の記憶,自己嫌悪,などが描かれているのだと思う.
中島敦は漢学者の家系に生まれ,父が朝鮮ソウルの中学校教諭に赴任したために,小学生高学年から中学生の間ソウルに住んでいたのである. 「巡査の居る風景」の舞台は 1923 年のソウル,これを,朝鮮総督を暗殺しようとして失敗した朝鮮人を逮捕した巡査の目で描写している. この巡査もまた朝鮮人である. この巡査に生意気な口をきく日本人中学生というのが登場するのだが,これは中島本人だったのではないか. 私はこれほど生々しく戦前の植民地下のソウルを描写した小説を知らない.

光と風と夢

「光と風と夢」これはもとは「ツシタラの死 — 五河荘日記抄」という名前だったのだが,編集者に言いくるめられてわけのわからない名前に変えたのだそうだ.中島敦も当時駆け出し作家で,強情が張れなかったのか,かわいそうなことだ.「光と風と夢」じゃあまるで少女漫画か西部劇か.中島にしては珍しく長編で,タイトルがわけわからず,また冒頭も実に退屈だから,誰もが読むのは後回しにするのではないか.しかし,中島の作品の中では一番作家の「地」が出た,面白い作品だ.「李陵」「山月記」などは,ちょっときどった娯楽短編に思えてしまう.そういうふつうの中島敦体験を一通り済ませてから読むのも良い.

「ツシタラ」というのはサモア語で「物語作家」というような意味らしい.スティーブンソンというイギリスの作家がいる.代表作は「宝島」という冒険小説と「ジキル博士とハイド氏」,そういわれれば誰でもわかるに違いない.彼は大変有名になったのだが,体が弱いたちで,熱帯以外では喀血してしまうので,サモアに移りすむことにした.で,そのすむところに五つの川が流れているので,「五河荘」.スティーブンソンの日記と,中島敦のナレーションが交互に繰り返されるという斬新な構成.オリジナルの日記が実在するのか,中島の創作なのかは不明.最初は実にのんびりとした南の島の描写が続くが,次第にきな臭い話に発展する.当時サモアには王が君臨していたが,ドイツ,イギリス,アメリカの三国の勢力が手を伸ばしてきており,その中でも植民地後発のドイツが露骨な砲艦外交で干渉をしてくる.イギリスとアメリカが反発し,サモアはドイツが支持する傀儡王政府と,英米が支援する反乱軍の戦争に発展,三国の艦隊があわや会戦というところで,台風が襲来し,ほとんどすべての戦艦が沈没してしまう.スティーブンソンは政治嫌いながらも,白人の圧制に反発し,土人の王や副王,ドイツの裁判官などの間でさまざまな調停役を買って出る.で,なんだかんだがあったあと,かの地でスティーブンソンは死去し,山の頂上に土人らによって手厚く葬られる.というストーリーなのである.簡単に言えばサモアにスティーブンソンが来てから死ぬまでの日記風の話なので,「ツシタラの死 — 五河荘日記抄」というわけだ.

日本の南洋の委任統治領はもともとドイツ領で,第一次大戦で日本が火事場泥棒的に奪い取った.中島は南洋庁役人としてパラオに療養をかねて赴任する.中島はスティーブンソンと同じ喘息持ちの作家なのである.結核は当時 fatal な病であった.事実彼は一時帰国後まもなく死んでしまう.世は日中戦争,日独伊三国同盟の殺伐たる時代.新たな世界大戦の到来を感じつつ,自分の境遇をスティーブンソンに重ねて,白人,土人,植民地,帝国主義やら,また,日本や自分自身がこれからどのように行動すべきかということを考え,それを訴えたかったのに違いない.わたし的には非常に面白い.「パパラギ」よりももっと広く,少なくとも日本人には知られて良い作品だと思う.大東亜戦争前夜,日本人は国際感覚が麻痺していたととかく考えられがちだが(司馬史観と言うこともあるようだが),そんなことはなく,中島のような正常な物の見方をする人たちも少なからず居たのだろう.

中島敦はともかく非常に面白い.全集を熟読してみたい.「ツシタラの死」は芥川賞候補となり,選考委員の川端康成ただ一人が絶賛したという.誰か他に受賞者が居たのではなく,「該当者なし」で落とされたのだ!確かにこの作品は非常に新しくかつ変則的で,ふつうの日本の純文学とはかけはなれている.直木賞にもなりにくいかも.「李陵」が長編小説だったら,中島はやすやすと芥川賞を取ったかもしれない.しかし,中島は自分の書きたいことを自由に書きたかったのだ.

「まんだら屋良太」の中で,円生はつまらん,談志は最悪,林家三平は落語が文学的芸術的に堕落していくのをくい止めた最高功労者,という話が出てきた.これは作者の畑中純の見解だろうか.私は円生が一番面白いと思うが.談志は…ようわからん.

王道の狗

ふと思った.漫画家というのは必ずしも絵がうまくなくてもよいわけで,個性的な絵が描ければよろしい.さらに言えば,原作は他に居てもよいわけで,ストーリーを考える能力はなくてもよろしい.

シナリオもネタ集めも,絵のアシスタントも,良い漫画がかければなんでも使えるものは使えばよいわけである.

それはまあよいとして,では一番絵のうまい漫画家というのは誰かというと,それは池上遼一か安彦良和だろうと思う.いや,もしかしたら黒鉄ひろしとかもうまいのかもしれない.そういうこと言い出すとバカボンドとか北斗の拳の作者もうまいうちに入るかもしれない.まああまり追求するのはやめておこう.

で私がなにを言いたいかと言えば,それは安彦良和の「王道の狗」 (ミスターマガジン) である.これはすごい.作・画ともに安彦良和.安彦良和といえば「ガンダム」のキャラクターデザインである.ここまでは誰でも知っている.そして「アリオン」.これもわりと有名.「クルドの星」.うーむ,これも私は読んだけど,あまり有名じゃないかな.「アリオン」を描いた理由はなんとなくわかるような気がする.ギリシャ神話ってなんとなく描いてみたいよね.「アリオン」と「クルドの星」はわりと連続性があると言える.ギリシャとトルコはエーゲ海を挟む隣国だから.取材か何かでギリシャに行けばトルコにも足を延ばすでしょう.ちなみに「クルドの星」というのは,トルコとイラクの国境辺りに居るクルド人のゲリラの話である.で,そこから「王道の狗」に来るのはちょっと飛躍があるようにも思えるが,しかし,トルコから日本の明治維新へ来るというのは,なんとなくわかるような気がするのである.

今度の「王道の狗」はすごい.そしてほとんど誰も注目してるふうがないところがまたよい.売れる漫画ではなく,描きたい漫画を描いているのだろう.読者にこびるようなところがまったくないのがよい.最初はすげー地味で難解な展開だったが,これから派手になるので,どんどん注目されるようになるのではないか.

風俗・時代考証がものすごく正確 (だと少なくとも私の目には思える).陸奥宗光がでてる,それだけでもすごいが,李鴻章やら孫文やら大院君やら袁世凱やら閔妃やら勝海舟やらどんどんでてくる.ものすごくすごい.陸奥宗光の描写がすごくよい.その他の公人,民間人,武道家などの日本人の描写がうっとりするくらい良い.清や朝鮮の宮廷や市街の描写がまたよい.弁髪の支那人と総髪の朝鮮人がみごとに描き分けられている.今回,金玉均が漢江河畔に晒された.この描写がまた凄絶だ.また,上海のジャンクを蹴散らして進む清の砲艦.このガンボートの描写がまたすごい.

砲艦!!
李! きさまっ (手書き)
そこまでやるか!! (手書き大)

安彦良和の手書き文字はとても色気があるっ.

安彦良和はたぶん北海道の出身だったが,主人公が政治犯でアイヌの格好で身を隠す.その習俗の描写がまたすごい.なにからなにまですごい.そのうち日清戦争だとか安重根の伊藤博文暗殺だとか日露戦争だとか日韓併合だとか辛亥革命とかもやるのだろうか.すごいなあ.

柳沢教授を読んでいて思ったのだが, Have you been living here? の独訳は Wohnst du hier? なのか ?
なぜドイツ語では現在形で,英語ではわざわざ現在完了進行形なのか ?
英語はむしろ Do you live here? の方がましではないか.
いやこれは些細なことにすぎない.
ドイツ語の口語は現在形を多用するのかもしれん.
しかし,いくら子供とはいえ,また,柳沢教授の性格から言って,
見ず知らずの外国人に Wohnst du hier? というのはなれなれしすぎではないか.
Wohnen Sie hier? というべきではないか.
柳沢教授はフランス語でも尋ねたのだが,私はフランス語は知らないので,フランス語については省略する.
もちろんもっとおかしいところはある.
モンゴルのウランバートルの浮浪児にいきなり英語,ドイツ語,フランス語で質問するのは大学教授だからっていくらなんでもバカすぎないか.
まずモンゴル語,つぎに漢語,さらにロシア語か英語の順で質問するのが筋というものだろう.

パパはニューギニア

パンダ密猟は死刑。アブラハムはイサクを殺した。バイトをオクテットと言うとかっこいい(笑)。

相原コージが「例に出して悪いけど、…「パパはニューギニア」の連載と共に「ギャグマンガは死んだ」のだ」などとほざいている。そんなことより、最近の吉田戦車がつまらないことの方が重大問題だ。「いじめて君」のころは面白かったのに。

中島敦@南洋庁パラオ支庁

割合ひまだったので中島敦をまとまった分量読むことができた。

彼は南洋庁パラオ支庁に居た。第一次大戦でドイツから取った領土だ。そこへ行ったのは、喘息の療養を兼ねてのことだったようだ。小説の評判が良いので帰国したら、横浜で早速風邪をこじらせた。スティブンソンはロンドンで死にかけて、南洋に引き返して命をながらえたが、中島敦はそのまま日本で死んでしまった。日本に帰らなくとも、すぐに戦争が始まって大変な思いをしたことだろう。ただ中島は、

いや、そうではない。お前が南方に期待していたものは、こんな無為と倦怠ではなかったはずだ。それは、新しい未知の環境の中に己を投げ出して、己の中にあってまだ己の知らないでいる力を存分に試みることだったのではないか。さらにまた、近く来るべき戦争に当然戦場として選ばれるだろうことを予想しての冒険だったのではないか。

という恐るべき覚悟を記している。

山月記、名人伝などはもちろん高校生の頃読んでいたのだが、その異常な世界は、中島敦が熱烈な西遊記ファンであるところからきているようだ。彼が生きていた時代が精神主義全盛期だったことも関係あるかもしれんが。文字禍、悟浄出世、悟浄歎異、など、寓意の体裁であるがあからさまに彼自身が投影されていて、私小説よりもむしろ直接的だと思えた。