なぜか安彦良和の「麗島夢譚」というマンガを読んだ。麗島というのは台湾のことらしいが、処刑された天草四郎は替え玉でオランダ人に台湾のゼーランディア城につれていかれる。そこにはなぜか宮本武蔵がいる。当時の台湾だから当然平戸から鄭成功がやってくる。なんかもうすげえ。しかし、「三河物語」とか「王道の狗」のような地味なストーリーの原作では良い味出す安彦良和ではあるが、「ジャンヌ」とか「神武」とか「ナムジ」などの自由度が大きくて歴史上の英雄を主人公にした途端とんちんかんになってしまう。「虹色のトロツキー」はけっこう危なかったがなんとかまとまった感じ。彼が「麗島夢譚」のようなマンガを描きたい気持ちは良くわかる。しかし、鄭成功と宮本武蔵と天草四郎をどうやって一つのストーリーにまとめるのか。無茶だろ。救いは、どうやら、主人公は平戸松浦党の名もない一青年だというところか。
カテゴリー: 読書
啓蒙挿画日本外史
儒林外史を借りてきた。がまんして読むとなかなかおもしろい。主人公は次々と入れ替わるのだが、その一人で范進という人が書いた論文が、一度読んでも二度読んでもつまらないが三度読むとたいへんな名文に思えたというくだりがあるのだが、まさにそんな感じ。 辛抱して何度か読むと少しおもしろくなってくる。
それはそうと儒林外史を借りるとき検索して見つけた大槻東陽著「啓蒙挿画日本外史」
というもの。明治35年発行(初版は明治20年)。ネットで検索するとなかなかこれは珍本らしい。大槻東陽という人は日本外史をいくつか出しているようだ。「啓蒙日本外史」、「訓蒙日本外史」など。啓蒙、訓蒙ともに啓蒙という意味で、中等教育に用いられたらしい。推測するに、「啓蒙日本外史」なるものがあり、それに挿絵を追加した版なのではないか。平将門や源為朝らの挿絵がなかなか興味深い。いわゆる漢文読み下し文、ふりがなと簡単な脚注付き。
外史とは天皇家ではなく武家の歴史だから外史というのかと漠然と理解していたのだが、 それでは儒林外史の外史の意味がわからなくなる。外史というのは外伝というのと同じで、正史に対する外史、正伝に対する外伝ということなのだろうけど、意味合いとしては、本来歴史を編纂する立場にない人が勝手に書いた歴史、とでもいうことか。単に「別伝」とか本編から派生したエピソード集とか本編に入りきれない拡張版とか、そんな使い方もあるようだが。清朝初期に成立したというから、頼山陽も当然読んでいただろう。
静岡刑務所の三悪人
戸塚宏著「静岡刑務所の三悪人」飛鳥新書を読んだ。戸塚宏の割と最近出た本らしい。戸塚先生、おもしろすぎます。
昔のインテリが、入獄するとひとつの外国語を習得したと言われるように、私も時間はたっぷりあるから、仏教を学ぶときに必須の言語であるパーリ語を学ぼうと思った。
受刑者たちは犯した罪によって序列が決まっており、思想犯は国家権力に立ち向かっているから最上級ランクになる。反省を拒否し、仮釈放も拒否した私も、そういった意味では思想犯だろう。
などなど。
太陽のない街
徳永直「太陽のない街」とか読み始めたが、これはやばくないか。小石川に植物園があり、これに沿った谷に千川という川が流れているが、ここが昔は「東京随一の貧民窟トンネル長屋」で、梅雨と秋の長雨には必ず千川ドブが氾濫し、労働争議が起きた印刷会社は今も同じ場所に存在するらしい。物語冒頭、摂政宮殿下(昭和天皇のこと。時代設定は大正末期)が行啓したという、「高師」とは東京高等師範学校、つまり戦後の東京教育大学→筑波大学付属小学校辺りのことか。「太陽のない街」は「蟹工船」と違いDVDが出てるらしい。案外蔦屋で手に入るかも。
坑夫
夏目漱石「坑夫」も小林多喜二「蟹工船」も描いている世界は同じ、作家によって描き方はだいぶ違うがな~と思った。
どうも夏目漱石の「坑夫」というのは、反小説だとか、漱石作品中では異質な存在だとか、取材してたまたま他に題材がなくてうっかり使っちゃっただけとか、軽視される傾向にあるが、私は夏目漱石の中では一番好きかもしれない (他を全部読んだわけじゃないが)。 で、ごくかいつまんでいうと「比較的育ちがよく教育もきちんと受けた自意識過剰な若者が若気の至りで失敗する」という、「坊ちゃん」「三四郎」「こころ」などと共通のパターンでできていて、おそらく一連の自画像的作品の一つであって、特に「坊ちゃん」とはうり二つな構造になっている。夏目漱石はああいう偏屈な人だから、あまりに小説っぽくないんで、実は小説のつもりで書いたのでないとか言い訳してるのに過ぎない。これだけの長編を時間と労力かけてただ埋め草に書くはずはなく、やはり自分でおもしろいと思い人にも読ませたくて書いたに違いない、と思う。虚心に読めばただそれだけのことに思えるのだが、そういう読み方をした人はあまりないようだ。
昭和史発掘その2
昭和史発掘を未だに読んでいるのだが。ていうか昭和史を全然知らなかったことに愕然とするよ。だいたい小中高で昭和史なんてやらんし。やれないし。トラウマだし。日本人の。石原完爾は大それたやつくらいの印象しかないだろ普通。東条英機は無能だから首相になってA級戦犯になったのだな。だから彼がほんとうのA級戦犯じゃないというのは明らか。田中義一はかなりやばい。というか松本清張はよほど田中義一に恨みがあるのだろうな。その怨念が伝わってくるよ。今は戦争前の世相に似てるとか言うが、似てなくはないと思うが、深刻さの度合いがまるで違うよね。当時はプロレタリア運動やるのもそれを弾圧するのもどちらも理があった。今は無い。明らかに無い。どちらでも良い。
小林多喜二「蟹工船」が無性に読みたくなってきた。ていうかすでに映画化されているよね。今更入手困難だと思うが。
昭和史発掘
松本清張「昭和史発掘」など読む。面白いがねちっこい。さすがに元朝日の記者…。本田勝一よりはましだが。
昔の日本は農村だったわけですよね。株式会社とか大企業というものはない。ほとんど自営農家。もしくは小作。もしくは個人商店。田舎で一番大きな会社というのは役場か学校か郵便局。戦後なら農協や漁協。地方自治体くらいしかまともな雇用環境を提供できなかった。民間企業の力が今ほど強くないから、田舎の人間はみんな地域ごとにコミュニティを作って生きていくしかなかった。今は違う。民間の大企業がどんどんでかい店舗や工場を建てていく。そういうところのサラリーマンになればとりあえず安泰。車社会になったから4車線以上のでかい道路沿いが栄え、或いは特急や急行が止まる駅の周辺の住宅地に人が住み着く。人間関係も町の構造もどんどん変わっていく。
個人商店は赤字でも黒字でもないから法人税は払わない。土地ももってりゃ家賃も払わない。冒険もしないから急に倒産もしない。年金もそれなりにもらえる。となればこれは民間企業の形はしているが公務員と大した違いはない。いや本質的にはニートと変わりない。淘汰圧にさらされることなく滅びることもないが発展もない。特に悪いことをしているわけではないが社会に貢献しているわけでないのは確か。そういう個人経営の商店や農家が日本中の田舎にものすごくたくさんある。ほんとはそれがすごい問題なんじゃないかという気がする。
1929年世界恐慌の頃農村の収入の4割は絹だったそうだ。今じゃ考えられないな。絹のような輸出用の高級消費財が一番打撃を受けたわけだ。たしかに田中義一から226事件までの話は面白いな。浜口雄幸についてはほとんど書いてない。城山一郎は「男子の本懐」で浜口雄幸についてかなりポジティブに書いているが、松本清張は農村を困窮させクーデターを招いたダメな宰相という書き方しかしてない。まー結果的にはそうだな。しかし田中義一はひどい。こんだけ失政に汚職だらけじゃ国会が荒れ右翼が暴れ、首相がばたばた暗殺されるわけだよなあ戦前の日本って。
鳩のように
霊感というものは空から鳩が飛んできて頭に止まるようなものだ、
とは誰が言ったのか。
鳩のようにというのは福音書の話でした。
> マタイ 3:16
イエスは洗礼を受けると、すぐ水の中から上がられた。
そのとき、天がイエスに向かって開いた。
イエスは、神の霊が鳩のように御自分の上に降って来るのを御覧になった。
> ヨハネ 1:32
そしてヨハネは証しした。
「わたしは、“霊”が鳩のように天から降って、この方の上にとどまるのを見た。
> マルコ 1: 10
水の中から上がるとすぐ、天が裂けて“霊”が鳩のように御自分に降って来るのを、御覧になった。
> ルカ 3:21~22
民衆が皆洗礼を受け、イエスも洗礼を受けて祈っておられると、
天が開け、聖霊が鳩のように見える姿でイエスの上に降って来た。
仕事は、整理しようとするとふくらむ。
i.e.、
仕事は寝た子と同じ。起こしてはいけない。
起こすときには十分用心しなくてはいけない。
なんか仕事ないかな~と思っているのは、
無意識に仕事から逃げているか、
緊急の仕事も重要な仕事もないと思いこみたいだけである。
仕事がないと思ったら、まず To Do List を作り、
優先順位でソートしましょう。
日本離島センターの本
ほとんど品切れ。
どこか図書館に行けば全冊そろってるとか?
まー、ばんばん売れるようなものでもないし、
儲かりもしないのだろうが。
そして日本離島センターの
しましまネット、
名前が脱力。
そして話題の(?)
シマダス。
なんかおもしろそうだよねぇ。
南大東島とかさ。
毒ガス島歴史研究所。
なんなんだこれは。
日本の山。
なごむね。
最近またオートミールを食べるようになったが、
これはみるからに原始的な食べ物のように思われるが、
Wikipediaによれば
カラス麦
は歴史的に比較的最近栽培されるようになったという。
しかも、夏が冷たくて湿った地方、北西ヨーロッパ、
特にイギリスやスコットランドなどで栽培されるという。
ふーん。
氷川清話
氷川清話もじっくり読むとなかなか面白い。勝海舟も面白いが、江藤淳の意気込みがまたすごい。
> 全体大きな人物といふものは、そんなに早く顕れるものではないヨ。通例は百年の後だ。今一層大きな人物になると、二百年か三百年の後だ。それも顕れるといつたところで、今のやうに自叙伝の力や、何かによって顕れるのではない。二、三百年も経つと、ちやうどそのくらゐ大きい人物が、再び出るぢや。其奴が後先の事を考へて見て居るうちに、二、三百年も前に、ちやうど自分の意見と同じ意見を持つて居た人を見出すぢや。そこで其奴が驚いて、成程えらい人間が居たな。二、三百年も前に、今、自分が抱いて居る意見と、同じ意見を抱いて居たな、これは感心な人物だと、騒ぎ出すやうになつて、それで世に知れて来るのだヨ。知己を千載の下に待つといふのは、この事サ。
今の人間はどうだ、そんな奴は、一人も居るまいがノ。今の事は今知れて、今の人に誉められなくては、承知しないといふ尻の孔の小さい奴ばかりだらう。
…
まったくそのとおりだヨ(笑)。中途半端に有名になって、数十年で忘れられるくらいならば、あくせくせず自分の好き勝手やった方がましだろう。
白南準は「芸術家には誰でもなれる」と言ったが、誰もが白南準になれるわけではないのだがノー。
モーセと一神教
ジークムント・フロイト著、渡辺哲夫訳「モーセと一神教」筑摩書房、 勝海舟著, 江藤淳, 松浦玲編「氷川清話」講談社、など読む。
「モーセと一神教」はずっと読みたいと思っていたのをたまたま電車待ちの時間に本屋で見つけて買ったもの。フロイトは80才過ぎてからモーセ論に凝り始めたが、その主張するところは、「モーセはエジプト人」「主(アドナイ)はエジプトのアトン神」「出エジプトはアメンホテプ4世(イクナートン)以後の無政府状態のときにおこった(従ってエジプトの軍勢に追われたり、紅海が割れたというのはすべて作り話)」「ユダヤ教はアトン神(エジプト起源の唯一神)とヤハウェ神(火山の神)の融合」「モーセはユダヤ人に殺された」「割礼はエジプトの古い風習」などなど。アトンは、エジプトの歴史の中で現れた唯一神で、イクナートンの時代に完成され、一旦は破綻した。もともとは無色透明無形な抽象神なのだが、一方でヤハウェは怒りの神、嫉妬の神、えこひいきの神。その本来全く異なる相容れない二つの神が融合したことによって、精神性が非常に高められた一神教が生まれたのだという。フロイトの学説はすべてうさんくさいのだが、モーセ論だけはほんとうじゃないかと思う。多神教でも、すべての神様すべての神話を統合しようとして抽象的な神様を付け足すことはあって、日本神話だと天の御中主の神がそうで、具体的な人格もなければ自然現象や動物や植物などとも関連がない、ただ名前だけがある。しかし名前だけの存在だから、生き生きと動き出すことはまずないし、そもそも後世に人工的に作ったものだから、個別の神話から遊離している。抽象神なのに具体的で強烈な個性というか自我を持った神がどうやってできたのか、というのは実はまだよく解明されてないようだ。