AIに映画を探してもらった(追記あり)

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送信したメッセージ: 昔見たことのある映画を探しています。砂漠の中で遭難した若い男女二人が協力して砂漠を抜け出すという映画です。

砂漠で遭難した男女が協力して脱出する映画はいくつかあります。もう少し情報があれば、探している映画を特定しやすいかもしれません。

年代: いつ頃見た映画か、年代が分かると絞り込みやすくなります。

男女の年齢: 若い男女とのことですが、具体的な年齢層は覚えていますか?

その他の情報:

  • 飛行機が墜落して遭難する話だったか?
  • 遭難した場所はサハラ砂漠だったか?
  • 男女は恋愛関係になるか?
  • 何か印象的なシーンは覚えていますか?

これらの情報があれば、検索エンジンでより具体的なキーワードで検索できる可能性があります。

参考までに、砂漠で遭難した男女が協力して脱出する映画の例をいくつか挙げます。

  • 「ブルー・ラグーン」(1980年): 飛行機事故で無人島に漂着した幼い男女が成長し、恋愛関係になる映画。
  • 「サハラ – 砂漠に眠る秘宝」(1995年): アメリカ南北戦争の英雄の息子が、サハラ砂漠で遭難した女性を助ける映画。
  • 「サバイバル・ウォーズ」(2006年): 砂漠で遭難した男女が、互いに疑心暗鬼を抱きながら脱出を試みる映画。
  • 「サンド・ストーム」(2016年): 砂漠で遭難した女性3人が、過酷な状況の中で生き抜こうとする映画。

これらの映画の中に、探している映画が含まれている可能性があります。

また、以下のサイトも参考にしてみてください。

これらのサイトでは、砂漠を舞台にした映画をジャンルや年代で検索することができます。

その他、情報提供のお願い

上記の情報に加え、映画を見た当時の状況など、少しでも記憶に残っている情報があれば、さらに絞り込みやすくなります。

ご協力よろしくお願いいたします。

送信したメッセージ: 男女は砂漠を脱出する寸前に愛し合い結ばれます。最後、砂漠を抜け出したところで映画は終わります。

情報ありがとうございます。男女が結ばれるという情報で、探している映画が絞り込みやすくなりました。

該当する可能性のある映画をいくつか挙げます。

  • 「ブルー・ラグーン」(1980年): 飛行機事故で無人島に漂着した幼い男女が成長し、恋愛関係になる映画。ラストシーンでは、二人は島を脱出し、新たな生活を始める。
  • 「サハラ – 砂漠に眠る秘宝」(1995年): アメリカ南北戦争の英雄の息子が、サハラ砂漠で遭難した女性を助ける映画。二人は困難を乗り越え、愛し合うようになる。
  • 「サバイバル・ウォーズ」(2006年): 砂漠で遭難した男女が、互いに疑心暗鬼を抱きながら脱出を試みる映画。ラストシーンでは、二人はようやく心を通わせ、結ばれる。

これらの映画の中で、特に「ブルー・ラグーン」が該当する可能性が高いと思われます。

その他の可能性

上記以外にも、以下の映画が該当する可能性があります。

  • 「シェルブールの雨傘」(1964年): 戦争で引き裂かれた男女の愛を描いた映画。ラストシーンでは、二人は再会を果たし、結ばれる。
  • 「タイタニック」(1997年): 豪華客船タイタニック号の沈没事故を舞台にした映画。ラストシーンでは、主人公たちは海に沈みながら結ばれる。

これらの映画は砂漠が舞台ではありませんが、男女が困難を乗り越え、愛し合うという点は共通しています。

情報提供のお願い

上記の情報に加え、映画を見た当時の状況など、少しでも記憶に残っている情報があれば、さらに絞り込みやすくなります。

例えば、以下の情報があると助かります。

  • 映画を見た時期
  • 映画のカラー/モノクロ
  • 主演俳優の名前
  • 印象的なシーン

ご協力よろしくお願いいたします。

最終的に、探している映画が見つかることを願っています。

送信したメッセージ: サバイバル・ウォーズについてもうすこし詳しく教えてください。監督は誰ですか。

映画「サバイバル・ウォーズ」は、2006年に公開されたイギリス映画です。監督は、ポール・グリーングラスです。

主なスタッフ・キャスト:

  • 監督: ポール・グリーングラス
  • 脚本: ポール・グリーングラス
  • 製作: スコット・ルーディン, エイドリアン・アーליך
  • 撮影: バリー・アクロイド
  • 編集: クリス・イニス, ピーター・マック
  • 音楽: ハリー・グレッグソン=ウィリアムズ
  • 出演: ドン・チードル, イドリス・エルバ, マイケル・ケネス・ウィリアムズ, ルイス・ガスマン, メアリー・エリザベス・ウィンステッド

あらすじ:

アメリカ軍の特殊部隊員4人が、アフガニスタンの砂漠で拉致され、武装勢力に追われる。彼らは過酷な状況の中で生き延び、脱出を試みる。

評価:

この映画は、リアルな戦闘シーンと緊迫感のあるストーリーで評価されました。第79回アカデミー賞では、編集賞にノミネートされました。

関連情報:

この映画が、あなたが探している映画と同じかどうか、確認してみてください。

送信したメッセージ: 全然違いますね。戦争とは関係ありません。歴史ものでもありません。単純なラブロマンスです。

ご指摘ありがとうございます。情報不足で誤った回答をしてしまい申し訳ありません。

ご提供いただいた情報に基づいて、再度探してみます。

条件:

  • 砂漠が舞台
  • 遭難した男女が協力して脱出する
  • 男女は脱出する寸前に愛し合い結ばれる
  • 戦争や歴史ものではない
  • 単純なラブロマンス

これらの条件に合致する映画は、以下の通りです。

  • 「ブルー・ラグーン」(1980年): 飛行機事故で無人島に漂着した幼い男女が成長し、恋愛関係になる映画。ラストシーンでは、二人は島を脱出し、新たな生活を始める。
  • 「サハラ – 砂漠に眠る秘宝」(1995年): アメリカ南北戦争の英雄の息子が、サハラ砂漠で遭難した女性を助ける映画。二人は困難を乗り越え、愛し合うようになる。

この2つの映画は、ご提示いただいた条件に最も合致していると考えられます。

その他の可能性

上記以外にも、以下の映画が該当する可能性があります。

  • 「シェルブールの雨傘」(1964年): 戦争で引き裂かれた男女の愛を描いた映画。ラストシーンでは、二人は再会を果たし、結ばれる。
  • 「タイタニック」(1997年): 豪華客船タイタニック号の沈没事故を舞台にした映画。ラストシーンでは、主人公たちは海に沈みながら結ばれる。

これらの映画は砂漠が舞台ではありませんが、男女が困難を乗り越え、愛し合うという点は共通しています。

情報提供のお願い

上記の情報に加え、映画を見た当時の状況など、少しでも記憶に残っている情報があれば、さらに絞り込みやすくなります。

例えば、以下の情報があると助かります。

  • 映画を見た時期
  • 映画のカラー/モノクロ
  • 主演俳優の名前
  • 印象的なシーン

ご協力よろしくお願いいたします。

最終的に、探している映画が見つかることを願っています。

送信したメッセージ: カラー映画です。30年くらい前テレビで見ました。

カラー映画で、30年くらい前にテレビで見たとのことですね。情報ありがとうございます。

さらに絞り込むために、以下の情報も教えていただけますでしょうか?

  • 主演俳優の名前は覚えていますか?
  • 映画の雰囲気は明るかったですか、暗かったですか?
  • 印象的なシーンは覚えていますか?

これらの情報があれば、より具体的な検索が可能になります。

参考までに、30年くらい前に公開された砂漠が舞台の映画をいくつか挙げます。

  • 「ブルー・ラグーン」(1980年)
  • 「サハラ – 砂漠に眠る秘宝」(1995年)
  • 「シェルブールの雨傘」(1964年)
  • 「タイタニック」(1997年)
  • 「アラビアのロレンス」(1962年)
  • 「博士の異常な愛情 または私は如何にして心配するのを止めて愛することを学んだか」(1964年)
  • 「ベン・ハー」(1959年)
  • 「十戒」(1956年)

これらの映画は、すべて砂漠が舞台の映画ですが、年代やジャンルは様々です。

情報提供のお願い

上記の情報に加え、映画を見た当時の状況など、少しでも記憶に残っている情報があれば、さらに絞り込みやすくなります。

ご協力よろしくお願いいたします。

最終的に、探している映画が見つかることを願っています。

結局、最後にはアラビアのロレンスとかベン・ハーとか十戒なんかを出してきて、まったく役に立たないってことがわかっただけだった。ちなみに copilot はもう少し馬鹿だった。


追記。パラダイス (1982年の映画)という映画だったらしい。AIはだいぶ賢くなっている。

NHK大河ドラマの終焉

Disney+のShogunが流行ったことで、ディズニーは、NHK大河ドラマを真似ればアメリカでも流行って儲かるということがわかってしまった。これからディズニーはどんどん大河ドラマをパクってくる。ディズニーはNHKとは違って日本史に閉じたドラマは作るまい。東アジア史をやり、西アジア史をやり、ヨーロッパ史をやり、アメリカ史をやり、そして世界史のドラマを作るだろう。日本史しかやりたがらない大河ドラマは絶対に勝てない。

大河ドラマが扱うネタにしても、鬼滅の刃みたいなアニメのほうが面白いとなればますます大河ドラマの存在価値は失われる。タレント事務所と制作委員会とNHKに阿(おもね)ったドラマ制作はもう終わりだ。実に良い気味だ。これはNHKだけの責任ではない。旧態依然、伝統芸能と化した大河ドラマを飽くまでも延命させようとしてきたファンの責任でもある。

今ははや心にかかる雲もなし

花山信勝『平和の発見 巣鴨の生と死の記録』を読んだ。私がわざわざこの本を図書館から借りてきて読んだのは、東条英機の辞世の歌

今ははや 心にかかる 雲もなし 心豊かに 西へぞ急ぐ

を調べるためであった。この歌は実はすでに『虚構の歌人 藤原定家』にも載せていたのだが、その頃から、この歌が和歌についてそれなりにある程度学んだ人でなくては詠めない歌であることに気づいていた。戦時中、日本人はみんな和歌を詠んでいた。本土決戦が迫ってきて、敗戦の恐怖におびえ、人々は日本古来の和歌を心のよりどころとするようになって、私の祖父でさえも和歌を一日一首詠んだ日記を書いていたのである。

この東条英機の歌は、『虚構の歌人』を書いていた時には気づいていなかったのだが、実は足利尊氏が詠んだ

今ははや 心にかかる 雲もなし 月を都の 空と思へば

の本歌取り、というよりも露骨な焼き直しなのであった。しかしそのことについて私は東条英機を咎めるつもりは毛頭無い。なにより歌をまったく詠めない現代人よりはずっと優れている。東条英機は素人歌人に毛の生えた程度の人だっただろう。同じ時に詠んだ辞世「さらばなり 有為の奥山 今日越えて 弥陀のみもとに 行くぞうれしき」「明日よりは 誰にはばかる こともなく 弥陀のみもとで のびのびと寝む」など見ると、大田南畝の狂歌に近い歌を詠む人だったことがわかる。ならばパロディに近い本歌取りも芸のうちだったわけである。

尊氏の本歌は中先代の乱の最中に関東で詠んだものと思われる。決して戦の歌には見えない。武士の歌にも見えない。しかしながらこれほどよく出来た武士の歌がまたとあろうかと思えるほどよくできた歌である。これほど武士らしい歌はない、とも思えてくる。

もののふの 矢並つくろふ 籠手の上に あられたばしる 那須の篠原

なるほどこの歌は実によく出来ている(正岡子規『歌詠みに与ふる書』「もののふの矢なみつくろふ」の歌のごとき鷲を吹き飛ばすほどの荒々しき趣向ならねど、調子の強きことは並ぶものなくこの歌を誦すれば霰の音を聞くがごとき心地致候、等々)。この源実朝の歌(おそらくは贋作)は武士の歌の絶唱とされている。しかしいかにもわざとらしくしつらえてある。実朝がこんな歌を詠むはずがない、と私には思える。それにくらべて尊氏の歌はどれも素晴らしい。なぜみんな実朝の歌を褒めて、尊氏の歌の素晴らしさに気づかないのだろう。ほんとに不思議だ。

夜空には一点の雲もなく月が明るく輝いている。都で眺める月も、今こうして戦場で眺めている月も同じ月であるから、どこにいようと同じである。尊氏はそれほど京都に執着も愛着もなかっただろう。足利氏の頭領であるからにはどちらかと言えば北関東の足利よりも京都に住むことが多かったのだろうけれども。

アメリカでは従軍聖職者のことをチャプレンという。死刑執行に立ち会う聖職者もチャプレンと言う。死刑囚がキリスト教徒の場合は神父か牧師、ユダヤ教徒の場合はラビ、イスラム教徒の場合にはイマーム、仏教徒の場合には僧侶、などと宗教や宗派によって変わるというのが、宗教国家アメリカの古くからの習わしなのだという。いわゆる教誨師というのもまたチャプレンだが、東京裁判における死刑囚の場合には僧侶が呼ばれた。それが著者の花山信勝であった。彼は死刑囚がみな死ぬ前に仏教に帰依したと書いているのだが、それはある程度割り引いて考える必要があると思う。

死とは単に生の終わりに過ぎない。死後の救いとか魂の不滅など虚構だ。なるほど宗教には美しい側面もあると思うが、死んだ後にも天国があるだの地獄があるだの生まれ変わるだの奇跡があるだの、根も葉もない作り話をでっち上げて、人の精神的な弱さにつけこんでたぶらかすのもいい加減にしろと言いたい。

私ならば死ぬ間際に宗教に頼りたいとは思わない。できれば無神論者として死にたいと思う。死の恐怖を宗教なぞで紛らわしたくない。死ぬと決まってから悔い改めたくはない。教誨師に懺悔して死ぬなんてまっぴらごめんだが、それはまあおいといて、東条英機もまた仏教くさい辞世をいくつか詠んでいる。この「西へぞ急ぐ」も明らかに死後浄土で救われることを願ったものだ。

「これ(「今ははや」の歌)はこの前のものです」と東条英機は言っている。「この前」がいつかはわからないが、死刑判決の言い渡しは昭和23年11月12日には済んでいるのだが、12月6日にアメリカ大審院が訴願を受理しており、死刑執行は自動的に停止された。ところが20日になって訴願を却下し、これによって最終的に死刑執行が行われることになり、23日に執行された。

いずれにせよ、東条英機は12月22日16:00より前に「今ははや」を詠んでおり、他の(思いつきで詠んだ)辞世の歌よりも前に詠んでいたにもかかわらず一番最後にこの歌を取り上げたということは、この歌が自分の辞世の歌であるということを意識して、じっくり考えて用意したものだと思われるのである。いや、この歌がそんな簡単に、即興で詠めるはずがないのである。

戦前教育では南朝が正統で北朝の尊氏は逆賊とされていた。わざわざその尊氏の歌を引いて自分の辞世の歌としたことにはそれなりに深い意図があったのだろう。尊氏の立場と、謀反人、逆賊、戦犯として死んでいく自分の立場に通じるものがある。死を宣告され、歴史の皮肉、真相というもの気付いていたに違いない。

ともかくも、尊氏の本歌は仏教臭さなどない、きりっとした、武士らしい良い歌なのだが、東条英機の歌はそれを仏教くさい、抹香臭い歌に作り替えてしまった。そのことに私は不満なのであるが、しかしそれでも、これはよく出来た歌だと私は思う。和歌としてはともかく狂歌としてみれば相当優れた歌だ。これほどの歌を詠める人はそうたやすくは見いだせまい。

ブラックリスト

ブラックリスト見た。面白いんだが、何かが物足りない。homelandやvivantとは違って、エピソードがぶつ切りで、敵役は次から次に移り変わっていく。24 -twenty-four- 形式か。メインのキャラクターには何か裏設定があってそれをラストまで引っ張っていくという戦略なのだろうが、これって全部見る必要ある?と思ってしまう。

脚本はよく練られていて、これまで作られてきたFBIものCIAもの、いわゆる政治サスペンスものの王道を行っていて、俳優もみな魅力的なんだが、なんというのかなあ、悪い意味で幕の内弁当的というか。homelandだとここのエピソードはともかくとして全体のストーリーというものがあったし、キャラクター設定は破綻寸前のようにみえて一応の統一感を保っている。そういう危なっかしいところ、優等生的な作品ではないところ、ある種実験的なところに魅力があった。ブラックリストにはそのどれもがない。だから意外性が無い。ああ面白かったな、でもなんとなく既視感がある、で終わってしまう。でもまあテレビドラマなんてものはそれで良いわけで、成功した作品と言って良いのだろう。当たるかはずれるか一か八かの作品なんて商業的には作ってられない。

ある意味最近の少年ジャンプの作品なんてみんなそんなものではないのか。私もドラゴンボールあたりまではみていた。ドラゴンボールも途中で飽きて見るのをやめた。ワンピースも連載初回から見てしばらく見ていたが、途中で飽きて見るのをやめた。作り込まれれば作り込まれるほど意外性はなくなっていって、見る気がしなくなる。テレビ番組もみなそうだ。

Netflix でいうと Surviver というのがある。これも最初はプロットの面白さで見ていたが途中で飽きた。これ、最後まで見る必要ある?ただ惰性で続けて引っ張ってるだけだよな、と思えてきた。Lupin もそうだ。面白い着想だが、全部見る必要ない気がした。

おそらく homeland は、この先どういう展開になるか、もしかしてドラマ自体が破綻して終わるのではないか、というような心配を見ている側にさせる。しかし blacklist は、テレビドラマの水戸黄門を見ているように、どうせ一件落着するんだろうと安心して見ていられるから、メタな意味で面白くないのではなかろうか。

ククルスドアンの島

ククルスドアンの島を見たのだが、最近の日本アニメってすごいんだな、というのが感想だった。モビルスーツはCGでかっちょよく動くし、キャラクターは正真正銘安彦良和の絵がなめからに動く。ストーリーもさすが富野由悠季、まったく破綻がない。セイラさんの口調がなんだか気持ち悪いのがなんとなく歴史修正主義みたいだがまあいいか。技術が向上し、お金も人もかければこのくらいは作れるんだな、という印象はあるが、意外性は少なかった。そりゃしょうがないよね。ドラえもんもクレヨンしんちゃんもそのほかいろんな日本アニメはみんなそうなのだ。長谷川町子原作のサザエさんは長年テレビでアニメ放送されているうちにすっかり毒気を抜かれてしまった。同じことがガンダムでも進行中なわけだ。ガンダムもまたどこかで見たことある日本アニメの一つになってしまった。

正直な話私はそうした類いの作品を見たいわけではないのだが、このククルスドアンはあまりにもよくできていたから最後まで一気に見てしまった。しかし何度も繰り返し見るタイプのものではないかもな。

改めてこの最新ガンダム作品を見てみるとアムロなんかがいちいち「アムロ中尉」などと呼ばれているのが気になる。昔からこんなにいちいち階級で呼んでいたのだろうか。さらに日本が作る戦争ものには共通のウェットさがある。義理と人情。浪花節。同じ感覚をvivantにも感じたし、タランティーノも日本映画(仁義なき戦いのことか)に影響されてレザボアドッグスを作った、などという人もいる。このククルスドアンでも特有の暑苦しさを感じた。日本料理に必ず醤油が使われているような。特色でもあるが呪縛でもあると思うんだ。もっとすかっと作れないんだろうか。

Reservoir Dogs

レザボアドッグスだが、話自体は単なるチンピラ映画ではあるのだけど、何度かじっくり見てみるとやはり、タランティーノの処女作だけあって価値の高い作品だ。

タランティーノ自身が演じるブラウンだが、一番みっともないダサい役だけども、役者というものはこういう役は敢えてやりたがらないだろうか、それを監督が自分で演じた、と言えなくもない。パルプフィクションでも同じなのだろう。

ブラウンを殺したのは潜入捜査官のオレンジだった。映像として見せてはいないが他には考えられない。

オレンジはまた、たまたま巻き込まれた民間人を殺してしまった。これもくどくど説明されていないが、反射的に殺してしまったのだろう。

ブラウンはさらにブルーも殺したとされているのだが、これはそもそもまったく映画の中で描かれてない。最終的にざっくり省略したのだろう。そもそもこの作品は強盗がダイヤモンドの卸を襲撃して奪うという筋書きであるのにその強盗シーンはさくっとカットしてあり、時系列もパルプフィクションと同じくわざとバラバラにしてあり、見せるところ、撮るところを大胆に取捨選択して順番を入れ替えている。ぼーっと見ているとかなりわかりにくいところもある。映画館で一度見ただけではわかるまい。映画館で見るなら何度か繰り返し見る必要がある。DVDならスロー再生したり、コマ送りしたりしないとわからないシーンも多い。そういう意味では『カメラを止めるな』に近い。

ブロンド役はキル・ビルに出てきた、ビルの弟役。

ピンクは最後まで生き残り、ダイヤモンドを持ち逃げすることに成功した、という解釈なのか。それとも外で張り込みしていた警察に結局は捕まったのだろうか。いろいろと裏設定はあるらしいが、すべてが説明されているわけではない。

ゲイとか黒人とか、今のポリコレ時代にはもう二度と作れないようなゲスい映画ではあった。

平淡美

藤原為家は「平淡美」を理想としたとか「平淡美」を主張したとか、「平淡美」の理念を説き、などといろんなところに書いてあって、その根拠となるのが彼が書いた歌論書『詠歌一体(八雲口伝)』であるというのだが、この『八雲口伝』を読んでもどこにも「平淡」が良いなどとは書いてないように思える。たとえば『日本歌学大系 第三卷』の解題、これはおそらく編者の佐佐木信綱が書いたのだと思うが、

平淡美を理想とした彼の態度もよくあらはれて

とあるのだが、これは佐佐木信綱がそう思ったというだけではなかろうか。そして佐佐木信綱がそう書いたことを孫引きしてみんなが為家は平淡美なんだと思い込んでしまったのではなかろうか。

『八雲口伝』だが、まず「題をよくよく心得解くべきこと」とあり、題詠するときには与えられた題をおろそかにしてはならんというようなことが書いてある。次に「歌も折りによりて詠むべきさまあるべきこと」として、百首の歌を詠むときには中には地歌(平凡な歌)が混じっても良いが、二十首、三十首を詠むときには(ちゃんと精選して)良い歌だけを詠むべきだ、歌合では晴れの歌だけを詠め、などと書いてある。

三つ目は「歌の姿の事」。「詞なだらかに言ひくだし、きよげなるは姿の良きなり。」同じ風情でも悪く続けては台無しになる。同じ詞でも「聞き良く言ひ続けなす」のが上手、聞きにくい詞は三十一文字をけがす。

春立つと 言ふばかりにや みよしのの 山もかすみて 今朝は見ゆらむ

ほのぼのと 明石の浦の 朝霧に 島隠れ行く 船をしぞ思ふ

すべて優れたる歌は面白き所無き由(と『九品十体』で)申すめり。

『九品十体』は何のことかよくわからないが、藤原清輔あたりだろうか。ここで優れた歌と言っているのは上品な歌、下品ではない歌という意味だ。「春立つと」は壬生忠岑の歌。「ほのぼのと」は『古今』詠み人知らずの歌。為家は下品な歌の例として

世の中の 憂きたびごとに 身を投げば 深き谷こそ あさくなりなめ

を挙げている。この例の対比から彼が何を上品、何を下品と言っているかはわかるだろう。下品とは要するに狂歌のような歌、俳諧歌、戯れ歌という意味だ。面白くても戯れ歌ではダメだよと言っているだけのことだ。ちなみに中品の歌として

春来ぬと 人は言へども うぐひすの 鳴かぬかぎりは あらじとぞ思ふ

を挙げている。為家が上品として挙げた例は確かに平淡な歌と言って良いのだけれど、思うに佐佐木信綱は為家を平淡で単調でつまらない歌を新古今以降に流行らせた張本人だと決めつけているだけのように見えるのだ。まして私には彼が平淡を理想としていた、とはとても思えない。それは彼が詠んだ歌を見ればわかることだ。そして、佐佐木信綱だけでなくありとあらゆる人が「平淡美」「平淡美」と口をそろえて為家を評するのは滑稽というしかない。為家の歌論に「平淡」を言及した箇所が無いとはいわないが、彼は必ずしもそこばかりを強調したわけではない。もっといろんなことを言っている。

満(み)つ潮(しほ)の 流(なが)れ干(ひ)る間(ま)も なかりけり 浦(うら)の湊(みなと)の 五月雨(さみだれ)の頃(ころ)

早苗(さなへ)取(と)る 賤(しづ)が小山田 (をやまだ)麓(ふもと)まで 雲(くも)も降(お)り立(た)つ 五月雨(さみだれ)の頃(ころ)

為家は非常に用心深く技巧を凝らした跡を残さぬようにしている。それゆえ一見平淡にも見える。しかしそこにあるのは絵画のような美麗な世界であり、動きがあって、匂いや温度や風の流れさえも感じられて、自然描写ですら、宮殿に飾られた風景画のようにゴージャスで、絢爛で、妖艶と言っても良いくらいだ。定家が選んだ『新勅撰集』が平淡だったからそれにならって為家も平淡なのだという主張もまったく見当違いだと思う。

平淡美とはあまり為家には当てはまっていないと思う。

定家の『新勅撰集』や為家以降の二条派など、特に三条西実隆あたりにはふさわしい形容かもしれないが、為家は違うだろう。もっとほかに適切な評価のされ方があると思う。後世の二条派の悪いところを全部為家のせいにしている、為家は濡れ衣を着せられている、そんなふうにも思える。

家康の和歌

井上宗雄『中世歌壇史の研究 室町後期』、明治書院改訂新版とあるがところどころに誤字など残る。あるいは改訂後の加筆か。近衛信尹の「姉前子」とあるが、これは妹でなくてはならない。前子は信尹より10才年下のはずだ。

「近衛殿、様狂気に御成候、竜山様、御子様の事也」「宮中、異形にて御注進也」「以外之儀間、九州薩摩へ御下被成」

などと書かれていて笑う。

「近衛殿は海上にて生害了と」「実否は知らず」

とはつまり海上で自殺したと言われているが真否はわからんなどとも書かれている。

信尹の側近が作ったという『犬枕』という仮名草子があるそうだ。『犬之草紙』というものもあるらしい。

p.657 天正16年8月15日「衆妙集によると家康のは幽斎の代作であった。」p.673「その晴れの歌の一首が幽斎の代作であることは分かっている」

などと書いているのだが、根拠はあるのだろうか。『衆妙集』は細川幽斎の歌集だが、いったいどこにそんな話が載っているのだろう。たしかに『衆妙集』には「人々にかはりて」詠んだ歌というものがいくつも載っているが、家康の歌と同じものはないように思う。

リアリズムとファンタジー

vivantについて、続きなのだが、そういえば私も特務内親王遼子とか潜入捜査官マリナとか、特殊な任務についた軍人や警官の話を書いたりもしたのだが、普通に考えて、そういう特務機関の存在を完全に隠蔽するのは不可能であろうと思う。特務内親王遼子では

「我が軍には、特務、などという機関も職種もないはず。それに軍命であれば、なおのこと、上官の命令によらなくては、私はあなたにお手伝いのしようがありません。」

「そんなことは、上等兵のおまえに言われなくてもわかっている。特務は特務だ。軍隊とは直接関係ないから、おまえが知らなくて当然だ。おまえの上官は誰だ。」

などという会話をさせたりしている。そういう特務機関が現代の日本に存在するという設定自体がこのvivant というドラマをファンタジーにしてしまっている。まあ、ファンタジーで良いんだというのであればそれはそれで良いのだけど。また、いくら射撃の腕前が天才でも、心臓の付近を撃って急所を外すというような撃ち方ができるはずがない。できたとしたら魔法だ。拳銃などというものはそんなに正確に狙えるものではない。

リアリズムとファンタジーは混在できない。リアリズムにファンタジーを混ぜようとすると結局すべてが夢の国の魔法の話になってしまう。それがvivantの最大の弱点であって、とりあえずシーズン1はそれでなんとか完結させたとしてもシーズン2以降の続編を作ろうとするとますますその設定が足枷となり、ちぐはぐなものになっていくような気がする。

homelandで登場人物はみな優秀だが欠点も持ち失敗もする。それが現実でありリアリズムである。ゴルゴ13は常に単独行動し狙撃を必ず成功させるがそれはゴルゴ13が漫画でありファンタジーであり、劇画でありギャグ漫画であるから許されるのであって、vivantで実はこれはファンタジーなんですと言われたらしらけるだろう。

vivant

最近ホッカイロレンという youtubeチャンネルをよくみるのだが、そこで viviant が紹介されてて、 netflix にも公開されているから、では見てみるかと見てみると面白くて一気見して2度目も見始めている。ドラマにしろ映画にしろあまり私はこういうことはしないので、よほど面白かったのは確かだ。

主人公が半沢直樹にしか見えないのは新鮮さを欠くと言って良いと思う。ちなみに半沢直樹は見てないのだが、印象が強すぎる。じゃあ他に誰を主人公にすれば良いのかと言われても私にはわからんが。たぶん半沢直樹の続編、和製ciaドラマを作ろうというのがおおもとの企画だったのだろう。俳優はみなだいたいはまってる。脇役がよく固めているのだが、二宮和也だけが浮いてる。演技はともかくとして、せめて顔をこんがり日焼け色にして髪の毛をぼさぼさにしてモンゴル人っぽくしてくれればだいぶなじんだと思うのだが、なんだろうこれは。これがいわゆる事務所の都合というやつなのだろうか。役所広司は必ずしもこの人でなくても良かったとは思うがこれも良い演技だった。阿部寛はなかなか良かった。

ciaドラマはよく研究されていると思う。本場アメリカのciaドラマにもアメリカ人固有の偽善というものがあり、それを克服しようとかなり努力した「ホームランド」ですらまだまだその「臭み」は残っている(視聴者がアメリカ人なのだから仕方ないのだが)。日本人にとっては当たり前の、フーテンの寅さん的人情話、浪花節というものが根底にあり、その上にciaものが乗っかっているので、だんだんとじわじわとものすごい違和感がわきおこってくる。「正義感」というベクトルが日本とアメリカでは似ているようで全然違ってて、警察もの、ciaものになるとその違いがよけい目立ってなんか気持ち悪くなってくる。

でも最後までなんとかそれをねじ伏せてまとめあげているから、これはこれで一つの前例として、よくできていると思う(つまり歴史的価値があると思う)。単なる妥協の産物に終わってない、よくできた作品だ。見終わった後にも、ではあそこはこうしたほうが良かったのではないか、というような瑕疵も出て来ない。ああするしかなかったんだろうなあとは思う。

日本でciaものを作るには、陸軍中野学校から三島由紀夫の盾の会みたいなものがどうしても絡んでくるのだろう。その絡ませ方が少し過剰な感じもしたがネトウヨにも多少サービスしたせいかもしれない。この程度であれば特に問題無いか。ただこの三島由紀夫的な方向へ続編をどんどん暴走させるということも可能であって、そうすると評価は分かれてくるんだろうなあ。

アクションものとしては派手さが足りないとか、韓国ドラマやアメリカドラマと比べてつかみが弱いとか映像的魅力が無い、エフェクトに迫力が無いなどという人もいるようだが、別にそんなくどい演出はしなくてよいのではないか。そういうポスプロ的な演出は本来おまけであって、それがシナリオより前に出てくるのは嫌味だ。映像作品なんだから絵で見せるというやり方もあるかもしれないが、どちらかと言えばこの作品の売りはストーリー展開なのだから、このくらい地味でも良いっちゃ良い。きちんと脚本が練れていれば派手なアクションシーンなんてなくて良い。

こういうciaもの特有の間の持たせ方とか焦らせ方とか伏線の張り方とかあるいは見る人間の予想をわざとはぐらかすやり方など、すべてはやり尽くされている手法ではあるので、私は用心しながら見ていったけれども、どれも丁寧に作られていて、飽きさせないのは良かった。

結局浪花節的なきれい事に終わっているのだがテロとか戦争というものはそんなきれい事じゃ済まないだろとも思うし、日本人に見せるだけならこれで良いかもしれんが netflix などで配信して海外からの収入も当てにするとなるとこれでは日本人の自己満足と言われても仕方ないのかもしれない。しかしアメリカのドラマだってディズニーアニメだってアメリカ人の自己満足には違いないのだから、これはこれでもう開き直るしかないのかもしれない。いろんなことを覚悟の上できれい事で逃げ切ったとも見える。

モンゴル、ロシア、中国(ウィグル)、カザフの国境が集まる地帯にバルカ共和国という架空の国のもうけるという設定も面白いし、そういう国に日本人の諜報部員が送り込まれたら当然そういうことも起きるだろうなという自然な設定になっている。ただ、ラスボスが自分の父親だったというのはスターウォーズを思わせるし、諜報部員が送り込まれて現地のテロリストの親玉になるというのは地獄の黙示録だし、大使館に逃げ込んで綱引き状態になるというのもどこかで見たような気もするし、いろいろと既視感のあるシーンも多いがどれも良く調べてうまく活かしたオマージュと言って良いかもしれない。逆に初めて見る演出やシーン、設定も多くて、どうやってこんなネタ仕込んだのかなとちょっと感心もした。

あと、ホッカイロレンに関して言うと、スターウォーズではマンダロリアンが一番(?)面白いとか言ってて共感したがしかし私はそもそもそれほどスターウォーズのコアなファンではないし、私は少年ジャンプとか特にワンピースみたいなのがまったく面白いと思わないので、感性とか好みにはかなり差はあるだろうなとは思った。ひろゆきと岡田斗司夫がスターウォーズネタで口論する動画など、面白いっちゃ面白いんだが、そこまで細かいことに別にこだわりはないしなーとも思った。