司馬遼太郎2

司馬遼太郎は案外著作は少ない。長編が多いせいかもしれない。
歴史小説で時代が古い順に並べてみる。

#### 秦漢

項羽と劉邦

#### 平安初期

空海の風景

#### 平安後期

義経

#### 室町

妖怪

#### 戦国初期

箱根の坂

#### 安土桃山

梟の城、夏草の賦、新史太閤記、尻啖え孫市、功名が辻、城をとる話、国盗り物語、
戦雲の夢、風神の門、播磨灘物語、城塞、関ヶ原

#### 明末清初

韃靼疾風録

#### 戦国・江戸初期

覇王の家、宮本武蔵

#### 江戸初期

大盗禅師

#### 江戸中期

菜の花の沖

#### 幕末

上方武士道、風の武士、龍馬が行く、燃えよ険、北斗の人、俄 浪華遊侠伝、十一番目の志士、
胡蝶の夢

#### 幕末・維新

最後の将軍 徳川慶喜、峠、歳月、世に棲む日日、花神、

#### 維新

翔ぶが如く

#### 明治

坂の上の雲、ひとびとの跫音、殉死

司馬遼太郎

「燃えよ剣」を読むまで、まったく気がつかなかったのだが、結構重大なことのようなので調べてみる。

「燃えよ剣」の中で司馬遼太郎は、近藤勇が日本外史の愛読者であり、 また頼山陽にまねた書を書くなどと書いている。近藤勇は当時の平凡な田舎武士、あるいは町道場主として描かれており、その趣味が頼山陽なのであり、それ以上のことは書いてない。

また、「項羽と劉邦」の後書きで、頼山陽と日本外史について次のように触れているそうである。

日本人が中国大陸から漢字・漢籍を導人するのははるかなのちのことになる。以後、日本社会はその歴史を記録として織りあげてゆくのだが、人間のさまざまな典型については自分の社会の実例よりも、漢籍に書かれた古代中国社会に登場する典型群を借用するのがつねであった。このことは、ひとつには江戸末期に日本社会が成熟し、頼山陽が出て『日本外史』を書くまで自国の通史が書かれなかったことにもよる。中国文明の周辺の文化というのは自国を鄙であるとするらしく――朝鮮やヴェトナムも同じだと思うが――通史が成立しにくい。たとえ成立しても、人間についての彫琢にとぼしい。『日本外史』にもそのきらいがあるが、それは山陽の罪ではなく、多くは日本社会の性格によるといえるであろう。中国社会の場合、すでにのべたように田園にみずからを飼い養っていたひとびとがに挙に柵を脱し、山野へ奔りだすということがあるために、そこに浮沈する人間たちは、浮沈の力学として彫琢が深刻にならざるをえない。典型ができやすいということがあり、とくに戦国から秦末の争乱にかけてはそうであった。まだその典型たちの塚が古びていない時期に、記録者の司馬遷があらわれている。かれは宋代以後の学者よりもはるかにこんにち的な感覚をもち、二十世紀に突如出てきても違和感なく暮らせるほどに物や人の姿を平明に見ることができた。

日本外史が日本初の通史であろうか。水戸藩の大日本史は確かに日本外史よりも完成は遅れたが、それよりも先に編纂が始まっていた。北畠親房の神皇正統記は、日本の通史とはいえまいか。ほかにも日本外史に先立つ日本通史に近い著作はあるだろう。また、日本書紀は明らかに当時としての通史であっただろう。それらについて、司馬遼太郎ともあろう人があまりにも無関心すぎないだろうか。

また、日本外史が、史記と比べて、「人間についての彫琢にとぼしい」と言っているのはどうにもわからない。史記は司馬遷が書いたというよりは、地方に伝わった伝承を蒐集したものであろう。民間伝承とはつまり平家物語や義経記、あるいは太平記などの軍記物語に近いものだったろう。それらをつなぎ合わせて史記ができている。それを後世の宋代の学者と比べて「はるかにこんにち的な感覚をもち」などと評するのはあまりにもとんちんかんではないか。

司馬遼太郎が「南北朝時代」を書かなかった理由その1、司馬遼太郎が「南北朝時代」を書かなかった理由その2。なるほど、これは詳しい。よく読んでから、また書いてみる。

司馬遼太郎と日本外史

司馬遼太郎の「燃えよ剣」を読んでいたら、近藤勇の愛読書として「日本外史」が出てきた。その紹介はあっさりとしたもので、楠木正成についてもごくありきたりの解釈。もしかすると、司馬遼太郎は、平家物語や太平記辺りの日本史についてはあまり興味がないのかもしれんなと思った。日本外史についてもせいぜい江戸時代に流行った講談もの程度の認識なのではないか。ほとんど読んでないのではないか。そんな気がする。

「燃えよ剣」自体はなかなか面白い。特に調布から八王子辺りの地理をある程度知っている人には楽しめるだろう。なんというか、関東に来てみないとよくわからない小説というものは実際ある。志賀直哉の「城之崎にて」など冒頭、山手線にはねられて背骨を痛めてどうのという話があるが、そもそも山手線というものがどんなもので、それが大正時代にはどんなふうでという具体的なイメージがつかめないと、面白みがだいぶ減るのではないか。

眼福至極。

氷川清話

氷川清話もじっくり読むとなかなか面白い。勝海舟も面白いが、江藤淳の意気込みがまたすごい。

> 全体大きな人物といふものは、そんなに早く顕れるものではないヨ。通例は百年の後だ。今一層大きな人物になると、二百年か三百年の後だ。それも顕れるといつたところで、今のやうに自叙伝の力や、何かによって顕れるのではない。二、三百年も経つと、ちやうどそのくらゐ大きい人物が、再び出るぢや。其奴が後先の事を考へて見て居るうちに、二、三百年も前に、ちやうど自分の意見と同じ意見を持つて居た人を見出すぢや。そこで其奴が驚いて、成程えらい人間が居たな。二、三百年も前に、今、自分が抱いて居る意見と、同じ意見を抱いて居たな、これは感心な人物だと、騒ぎ出すやうになつて、それで世に知れて来るのだヨ。知己を千載の下に待つといふのは、この事サ。

今の人間はどうだ、そんな奴は、一人も居るまいがノ。今の事は今知れて、今の人に誉められなくては、承知しないといふ尻の孔の小さい奴ばかりだらう。

まったくそのとおりだヨ(笑)。中途半端に有名になって、数十年で忘れられるくらいならば、あくせくせず自分の好き勝手やった方がましだろう。

白南準は「芸術家には誰でもなれる」と言ったが、誰もが白南準になれるわけではないのだがノー。

今昔物語

平凡社東洋文庫の今昔物語集を読破しようとしているのだが、なんかヤバイ本だよねこれ。インド、中国、日本、のいろんな説話を集めたものなんだが、執筆者はおそらくヒマを持て余した僧侶だろう。それも共同執筆かな。

インドもひどいが中国もひどい。日本の説話に至ってはこれはもう日刊ゲンダイか夕刊フジかというレベル、しかしインドや中国の説話にくらべればまだかわいげがある。中世の仏教が、いかにして恐怖と罪悪感によって純真爛漫な庶民を改宗させようとしたか、中国の儒教が、いかに孝行を絶対視して人間性をゆがめてきたか、今昔物語集をとばさず全部読むとわかるだろう。魯迅が中国や儒教を批判したのがピンと来ない人は今昔物語集を読むときっとわかる。魯迅の副読本というのかな。

適当に有名なやつだけ拾い読みしたり、子供向けに脚色したやつ読んだのではわからないだろう。

ひとつだけ例を挙げておこう。

あるところに天真爛漫な漁師が住む島があった。そこに魚がたくさん押し寄せてきて人間のように「阿弥陀仏」としゃべるので、漁師たちはわけもわからず「阿弥陀魚」という名前をつけた。「阿弥陀仏」と呼ぶとさらにたくさん押し寄せてくる。捕まえて殺して食べたが逃げもしない。「阿弥陀仏」と唱えれば唱えるほどおいしく感じる。あまり唱えない人は少し辛く感じる。そこでみんな味の良さに夢中になって「阿弥陀仏阿弥陀仏」と唱えまくる。そのうち最初にその魚を食べた人の一人が寿命で死んで、三ヶ月してから紫の雲に乗って戻ってきて人々に告げるには「魚は阿弥陀仏が姿を変えたものである。私たちが仏の教えも知らず愚かなのを憐れんで、念仏を勧めにやってきてくれたのだ。この縁によって私は浄土に生まれ変わった。」これを信じた漁師たちはみんな慈悲の心を起こし、永久に殺生をやめて阿弥陀仏を念じ奉った。やがてみんな浄土に生まれ変わって、島には一人も人が居なくなった。
(今昔物語集巻4第37)

うーむ。私には、狂信的宗教のために島民が全滅した話にしか思えないのだが。

日露戦争物語

江川達也が「BE FREE」「ラストマン」「東京大学物語」と来て、今は「日露戦争物語」。
教育モノが好きなんだね。で、今は日清戦争にさしかかったところ。

江川達也が「王道の狗」を読んで影響を受けていたかどうかは微妙。金玉均の描き方がまるで違うところをみれば、おそらくは読んでないか。では「坂の上の雲」を読んでいるかといえば、もちろんそうだろう。司馬遼太郎は「坂の上の雲」を原作とした映画やらを禁じているそうだが、原作というほど似てはいない。しかし秋山真之が主人公なところはそっくりだがなー。

「坂の上の雲」では金玉均についての描写はあまりなかったような気がする。一応全部通して読んだはずだが。

江川達也「日露戦争物語」司馬遼太郎「坂の上の雲」安彦良和「王道の狗」を読み比べるというのはなかなかおもしろいんだが。「坂の上の雲」は超ベストセラーで、「日露戦争物語」もそこそこメジャーだと思うが、ミスターマガジンに連載された「王道の狗」を読んでる人というのはきわめてまれだろう。安彦良和は最初ガンダムのキャラクターデザイナーとして現れ、それからアリオンという空想的というか浪漫的なギリシャ神話ネタの漫画を書いた。はっきり言ってアリオンは大した漫画ではない。ところがギリシャ神話を取材にギリシャに行って、それからトルコでクルド人というのを知って、「クルドの星」という漫画を書いたのだが、これがなかなかの傑作。またトルコで日本近代史というものに開眼したのだと思われる。日本神話にも関心を持ち神武天皇とか大国主の命の話も書いているが、こちらはどうにもこうにも。さらに幕末から日清戦争までを書いた「王道の狗」は傑作だと思うが、ノモンハン事件あたりを書いた「虹色のトロツキー」はかなり異常で難解。割と好きなのは「三河物語」で、大久保彦左衛門と一心太助が大阪の陣に徳川方で参戦するという話。これはメディア芸術祭か何かで賞をもらってたようだが、知名度はほとんどないんじゃないか。

「王道の狗」は前振りをざっくり省略すれば、自由民権運動で投獄され脱獄した主人公が金玉均の用心棒となり、その遺志をついで日清戦争後も朝鮮でゲリラ活動を繰り広げるというもの。「日露戦争物語」みたいに読んでわかった明治時代、みたいな書き方にはなっていない。

なんかとりとめのない話になってしまったな。

で、金玉均もそうだが陸奥宗光がまた。PHP文庫に岡崎久彦「陸奥宗光」というのがあり、また新潮文庫に角田房子「閔妃暗殺」というのがあるのだが、読んでも読んでもようわからんのだが、その中でも江川達也の描写というのはなかなか的確でわかりやすいなあと思った。彼はそうとうに努力していると思う。

ただ、江川達也の書き方だと、陸奥宗光も金玉均も、日本と清が一戦交えることで、清、朝鮮でそれぞれ日本の明治維新のような改革が進んで、日本、清、朝鮮の三国によって西洋による東洋の侵略をくい止めることができる、と考えていたことになる。それでいいんだろうか。

田舎教師

マテ茶はうまくもまずくもない.

田山花袋「田舎教師」を読んだ.日露戦争の戦勝で日本中が沸き立つ中,若く無為に病死する田舎教師を描いたもの.戦争の捉え方がけっこう冷静客観的で,かつ哀れで感動的であった.この「田舎教師」を映画化してみるとしよう.江戸から明治に移り変わる帝都東京,日露戦争を CG で再現するのはとてもたいへんそうだが,なかなかおもしろそうだ.

「文科系」が日本を滅ぼす

早稲田の大槻教授が書いた本「「文科系」が日本を滅ぼす」という本を借りて読む.題名に少しわくわくさせられたのだが,中身は陳腐.定量化の尺度として大学の偏差値を持ち出しているところなぞ笑止.なんでもかんでも定量化しようというのは理系人間の宿痾だね.小渕と角栄を同列に扱うなんともおおざっぱな論調で,ああ彼は根っからの理系人間なんだなあと落胆させられた.こういうロジックの振り回し方をするから理系人間は理屈ばかりで説得力がないと言われる.

さて,この本の最後で言っているのは大学教育改革で「希望者全員合格,少数卒業」というもの.日本の私学の場合,授業料は年間百万円以上はざらだから,大量に合格させて大量に退学させると訴訟沙汰になりかねない.大学の事務で煩瑣なのは不良学生の処理である.不良学生を大量に合格させては全体の質が低下し,まじめで良い学生へのサービスがおろそかになる.本末転倒である.今の大学は託児所と化しているのだが,その一因は高すぎる授業料にある.金を受け取る以上,その分の付加価値をつけてやらなくては詐欺である.しかし,この本では,その点授業料を五万円に抑えろ,といっているのは筋が通った話である.その代わり,大量教育なのでテレビやインターネットで在宅授業は当たり前で,四年のゼミだけ大学に来て研究室に所属して指導を受ける,というシステムにするとよい,などと言っている.

よいとも悪いともなんともいえない.まあしかし,最初の一,二年の間は仮入学扱いにして,不良学生はどんどん落とした方がよく,そのためには授業料を最初の年次だけ安くし,入試はそのぶん簡素化しても良いかもしれん.

ともかくも,この手の改革は個別の大学でやろうとしても無理である.何か学校法人そのものを変えてしまうような法改正か強力な指導が必要だろう.でも,法律さえ改正すればすんなりこの手の改革はできてしまうような気がする.学部四年次の定員だけたとえば 200 名と定めておき,一年次は無制限,二年次は 10000 名,三年次は 1000 名,とかにすればよいのだ.今はずんどうみたいに一年次も四年次も定員は同じ.これでは小中学校のような義務教育と同じ内容になっても仕方ないよね.

定員制限をピラミッド型にすると,大学経営者というのは欲張りだから入れるだけ入れようとするだろう.そうするとすべての学生をキャンパスに収容するのは不可能だから,メディアによる教育とか放送大学みたいなことを必然的にやらざるを得なくなる.今のようにメディアによる授業の単位をいくつまで認める,とかいう文部省の改正では,大学側の負担だけが増えてメリットはほとんどないので,どこも動かないね.もっと根本的な改革をやらなきゃだめだろ.

なかなか良いことも書いてある.うちの学生で「大学に入っても勉強するんですか.私の兄/姉は大学では勉強なんかしないと言ってました」と質問したやつが居たそうだ.なんとも嘆かわしいことだ.学生や父兄だけでなく教員もそう思っている.もちろん理系の教員はそんなことは思っていないのだが・・・。

1955 年,私は東京の国立大学の理学部理学科に入学した.大学は文京区にあったが,通学に 40 分以上もかかる埼玉県にある学生寮に無理矢理入り込んだ(注:東大朝霞学生寮,というものがあったのだろうか).
・・・その寮では理工系学生(私と数学科 1 名,生物学科 1 名,それに農学部の学生 1 名の計 4 名)は少数派であった.
寮生は 25 名ほどであったから,多数が文化系学生だったのである.
朝 7 時半,食堂に顔を出すのは,きまってわれら 4 名の理系の学生だけだった.文化系の連中は,このとき決して起きることはなかった.したがって,朝から大学の講義に出席するのも理系の学生だけだった.

大槻教授のこの部分を読んだだけでも,理系が文系とくらべてどれほど時間を拘束されノルマを課されているかわかるだろう.さらに大槻教授は,文化系の学生が,毎月支給される育英会費を一日で吉原で使い果たしたと書いている.育英会費を使ったあとはバイトで生活費を稼ぐのである.しかし,理系の学生は年中バイトをやっているほどヒマではない.

庖丁人味平

「こたつむり伝説」はいまなら「ひきこもり伝説」だな.なんという先見の明.木村千歌偉い.

先週も昨日も見忘れた北条時宗見たけど.喜望峰を見つけたのはバーソロミュー・ディアス 1488 年,インド航路を発見したのはバスコ・ダ・ガマ 1498 年じゃろ.なんでモンケ・ハンの時代(1250 年頃)の世界地図に,アフリカ大陸があんなはっきりと書き込まれてるんかのう.まあ確かにイスラムは当時すでにアフリカ東海岸を含むインド洋全域を航海していたが,しかしインド洋が大西洋につながっててヨーロッパまで行けるかどうかということは知らなかったはずだ.

しかしまあ庖丁人味平は傑作だよなあ.庖丁人味平は今の料理漫画の草分けなんだが,最初の包丁試しとか肉裁きとか荒磯の船の上の料理とかは,ただ手際の良さというか,奇術というか,なんかわけのわからん荒唐無稽なものだった(おそらく当時流行していたスポーツ漫画の強い影響を受けていたのだろう)が,うしお汁当たりからほんとの味勝負になり始めて,このカレー勝負は全編中でも一番「人々の記憶に強く刻み込まれた」インパクトの強いあたりだ.カレー屋を食べ歩いたり,漬け物を食べ比べたり,真の味勝負と言えるのはこのあたりからだ.しかしこの勝負は相手が香辛料に麻薬を混ぜるという反則負けで終わる.結局味と味の真っ向対決で優劣を決したのと違うのが悔やまれる.しかしこれは今日の視点で言ってのことなのだ.今はそんなんばっかりだが.そういう意味では後世の料理勝負モノとはじゃっかんニュアンス違う.うしお汁も味平の汗という不確定要素によって勝ち負けが決した.包丁貴族との戦いはどう決着したんだったっけ.

そういえば「真中華一番」の第一巻を読んだらば,時代設定は清町末期と明記してあった.宮廷調理師とかいう肩書きもあったようだ.だとすれば男子は全員弁髪しなきゃ弁髪.だとすれば女子は全員纏足しなきゃ纏足.だとすれば清朝の領土には外モンゴルが含まれてなくちゃ.ついでに刺身食うなよな中華料理でよ.まあそんなのいまさらどうでもいいか.