龍ノ口

いま発作的に、「江の島合戦」というのを書いているのだがその取材を兼ねて江の島、鎌倉に遊びにいく。江ノ電の江ノ島駅からすぐに龍ノ口というところがあり、その隣が腰越、その隣が小動岬、その隣が七里ヶ浜、その隣が稲村ケ崎、その隣が由比ヶ浜、由比ヶ浜のどんづまりが材木座海岸。材木座海岸から滑川をさかのぼり、大町大路と若宮大路が交差する下馬という交差点まで、これが今日の散歩道だったのだが、距離にして10kmちょいくらいだろうか。全然普通に歩ける。

一つ確かめたかったのは、龍ノ口というところから狼煙をあげるとそれが平塚から見えるかどうか、であった。龍ノ口の山の上にはかなり目立つ真っ白な仏舎利塔が建っている。なんでもインド首相のネルーから送られた仏舎利を収めているそうだ。仏陀の骨ってどんだけあるんだ。後光明天皇が庭にぶちまけた気持ちがよく分かる気がする。

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そんで平塚のほうを眺めてみたが、ぼんやりしててよくわからん。拡大してよく見ると島か、海に突き出した桟橋のようなものがみえる。これらは茅ヶ崎であるらしい。だから茅ヶ崎まではまあ肉眼でも楽勝で見えるだろう。早朝でガスってなければ平塚だって見えるだろう。夜に火を焚けば当然見えるだろう。というか茅ヶ崎で誰かが中継すれば平塚には届くだろう。むしろ龍ノ口の仏舎利塔がどのくらい離れて見えるかを確かめたほうが話は早かったはずである。書き直すのも面倒なのでそのままにしておく。

龍ノ口は有名な刑場だ。ここで、蒙古人の使者が次のような辞世の詩を残したという。

出門妻子贈寒衣
問我西行幾日帰
来時儻佩黄金印
莫見蘇秦不下機

ウィキペディアの元寇#第七回使節にこれ以上ないくらい見事に現代語訳されている。

さてこれは李白の次の詩に基づくものだと考えられている。

出門妻子強牽衣
問我西行幾日帰
来時儻佩黄金印
莫見蘇秦不下機

意味も言い回しもほとんど同じ。オリジナリティはほとんどゼロだ。辞世の詩というにはちと恥ずかしいレベルだと思う。杜世忠はしかしモンゴル人であるというから、この程度の漢詩が作れるのは、かなりインテリだったということか。

ふと思ったのだが、これが蒙古から日本に来た使者であるとすれば、問我西行幾日帰、ではなく、問我東行幾日帰とひねらねばならぬのではなかろうか。そもそもこの詩はほんとうに蒙古の使者が作ったものなのだろうか。いろいろ不審だ。

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材木座あたりのかつての大町大路はこんな感じなのであるが、
かなり寂れてはいるものの、かなり最近まで商店街であった雰囲気が残っている。道の幅も昔の街道ならこんなもんだろう。

連休間近で人ごみをできるだけ避けて歩いたつもりだったが、やはり鎌倉は人が多い。とても困る。何度も訪れたのでもうだいぶ詳しくなった。やはり面白いところだ、鎌倉は。外国人にもそのへんはよくわかってるらしく、いろんなやつがたくさんたかっている。

切通というのは鎌倉七口といって鎌倉の出入り口、のちの城郭で言えば見附のようなものだといわれているが、単に谷地と谷地を短絡したもののように思えてならない。むろん主にこの切通で敵の侵入を防いだのだろうが、一度に七か所も防ぐことができるのだろうか。かなり謎である。

ややこしい(鎌倉公方)

とりあえずまとめておく。

足利満兼 によれば、満兼は義満を討って自分が将軍になろうとした、という。西国六国の守護大内義弘が乱を起こすと挙兵して上洛をうかがうが、乱がおさまったので鎌倉に帰っている。義満はこれに怒り陸奥国伊達政宗に反乱を起こさせるが、満兼は上杉禅秀を大将として派遣して平定する。

満兼が死んだとき(1409)、息子の持氏はまだ満11歳で、元服前だっただろう。満兼の弟 満隆 は不服として自分が鎌倉公方になろうとする。当然、満兼を嫌っていた京都将軍家の支持があっただろう。しかし結局満隆は折れて持氏の弟満仲を養子とする(1410)。

持氏と上杉禅秀は不仲で、禅秀は関東管領を辞する。不服とした理由は家人が持氏に領地を没収されたからとあるが、まあいろいろあったのだろう。このとき当然禅秀は満隆に接近したであろう。持氏と満仲も不和だった可能性がある。こうして、満隆・満仲・禅秀は持氏に謀反を企てるが、このとき足利義嗣、足利満直らも同調して時の将軍 義持に対抗しようとしたのかもしれない。それだけ義持の基盤が脆弱だと思われていたのかもしれない。

禅秀の乱によって持氏は鎌倉を逐われるが、結局は満隆よりも持氏を支持する家人が多かったのだろう、乱は失敗する。禅秀は上杉氏宗家である犬懸上杉氏であったが、以後は山之内上杉氏が関東管領となる。

持氏は義持の次の将軍義教に反発し、山之内上杉氏と対立するが、結局討たれてしまう。
義教が暗殺され、持氏の子成氏が鎌倉公方に復帰すると、当然成氏と山之内上杉氏は不仲となる。成氏と京都将軍家も対立する。成氏を排除して義教の子政知を鎌倉公方に送り込もうという動きがあり、成氏は上杉氏の家宰長尾氏と太田氏に鎌倉を逐われる。いわゆる江の島合戦であるが、結局、やはり成氏を支持する関東武士団によって成氏は鎌倉に戻る。

思うに持氏が討たれるというのは関東武士団にとっては異常事態なのだが (その他の場面ではたいてい関東の意向が通っている。鎌倉公方が慕われているというよりは、京都の支配下にはいるのが嫌なのだろう)、義教が赤松氏に討たれたのも実は関東武士による画策ではなかったか。関東は西国よりも武士が倍多い。西国の細川・山名などが京都で政争を繰り広げているようにみえるが、実は関東の影響というのはそうとう大きかったのではなかろうか。

普通の人は応仁の乱を無意味で無駄な内乱だった、と思っている。私も日本史をほとんど知らなかったころは漠然とそう思っていた。関ヶ原とか大坂の陣などは意味のある大事な戦争だと思っていた。でも今はそんなことはない。応仁の乱や室町時代について知らなすぎるだけなのだ。室町時代は一言でいえば守護や将軍家の家督争いが延々と続いた時代なのだ。

ゴッドファーザー追記

今では映画が一つあたるとシリーズ化するのが当たり前のようになっているが、ゴッドファーザーの頃はそうでもなかったらしく、続編を作ることにいろんな抵抗があったようだ。二作目は一作目の前の話と後の話でサンドイッチする形で作られており、一作目に相当する時期のちょっとした逸話も挿入されている。もしマーロン・ブランドがヴィト役を引き受けていたらもっとその部分を膨らましただろう。

興行的にはともかくとして、またこの作品が結果として非常に優れているということもおいておいて、この二作目はおそらく作る必要のないものだった。少なくとも一作目から必然的連続的に出てくる話ではない。

コッポラはのちに地獄の黙示録を作ったように、キューバ革命を描きたかったのだろう。 いや話はほんとは逆で、当時同時進行していたベトナム戦争が、かつてのキューバ革命をコッポラに思い出させたのだろう。彼の関心はアメリカという国の大義名分というものではなかったか。あるいはアメリカ人を負かしたベトナム人やキューバ人に興味があったのかもしれない。マフィアの話を書きたいのでもなかったかもしれない。コッポラはヴィトやマイケルになんとかして表の世界、つまり知事や上院議員などの仕事に就かせようとする。裏社会の話は彼にはどうでも良い気がしていたのではないか。

コッポラにはゴッドファーザーという持ちネタがあったから、ある意味それに引きずられて、続編という形で作ることになる。キューバのバチスタ政権と結んで、フロリダ州マイアミを拠点して大儲けしていたユダヤ系のマフィアがマイヤー・ランスキー、彼はHyman Rothのモデルである。友人のベンジャミン・シーゲルは同じユダヤ系でMoe Greeneのモデルである。

コッポラは一作目から二作目へ話を橋渡しするためにモー・グリーンを使った。一作目でモー・グリーンとロスはヴィトの商売仲間であり、ヴィトはモーがラスヴェガスでホテルやカジノを経営するための資金を提供し、その代りできの悪い息子のフレドをモーに預けている。モーは一作目で死に、ロスは二作目から出てくる。モーはイタリア系マフィアのナンバーツーでコルレオーネ家に敵対する黒幕のEmilio Barziniと親しかった。バルジーニは、麻薬に手を出さず政治家を独占しているヴィトの勢力を切り崩そうとしていた。それは割と映画の中で丁寧に説明されている。マイケルは父ヴィトと相談の上でラスヴェガスのモーを圧迫し、ヴィトの死後モーやバルジーニを殺害する。ロスはハバナでヴィトと商売をした仲であったが、やはりヴィトの死後、友人モーの件を遺恨に持って、マイケルを殺そうとする。だがそのモーとロスの関係がいまいち弱い気がするんだよなあ。

上院議員のPat Gearyはものすごく緻密に描かれているのに対して、ロスはいまいちとってつけたようだ。コッポラという人はよほど政治家(政治、戦争、革命etc)に興味があるように思える。

ゴッドファーザー2でコッポラはキューバ革命をやりたかったのでしょうか。というよりキューバ革命だけ独立させた別の映画を作ればよかったようにも思えます。いろんなことを詰め込みすぎています。

その視点は非常に鋭く、映画史や映画批評の観点からも実に多くの議論がなされてきた本質的なポイントです。

結論から言うと、コッポラ自身が「キューバ革命を描く映画」を単独で作りたかったというよりは、「マイケル・コルレオーネという男の精神的没落」と「アメリカン・ドリームの光と影」を極限まで描ききるために、キューバ革命という歴史的大事件がどうしても不可欠だったというのが真相に近いと言えます。

なぜコッポラがキューバのパートを独立させず、あえて『ゴッドファーザー PART II』の中に組み込んだのか、いくつかの理由に分解して整理してみます。

1. キューバ革命は「コルレオーネ帝国の崩壊」の象徴

『PART II』の核は、「父ヴィトーの築き上げた家族の絆」が、「息子マイケルの冷徹な事業拡大」によって崩壊していく対比です。

マイケルがキューバに進出したのは、カジノやホテルビジネスを国家(バティスタ政権)と癒着して合法的に支配し、帝国の頂点を極めるためでした。しかし、その頂点に立った瞬間にキューバ革命が勃発し、すべてが一夜にして霧散します。

  • 資本主義と欲望のピーク(ハバナの豪華ホテル)
  • 一瞬での絶望的な瓦解(カストロ派の勝利による逃走)

この一連のドラマは、マイケルが手に入れた巨大な権力が「いかに脆く、虚しいものか」を鮮やかに浮き彫りにします。もしキューバ革命がなければ、マイケルの「事業的失敗」を描く説得力が弱くなってしまったのです。

2. 「金で買えないもの」を知る重要なシークエンス

映画の中で、マイケルが「カストロ率いる反乱軍が勝つかもしれない」と直感する有名な場面があります。

ゲリラの兵士が捕まる際、手榴弾で自爆して政府軍の警官を道連れにする様子を車内から目撃したマイケルは、ハバナのホテルでマヤー・ランスキー(作中ではハイマン・ロス)らにこう語ります。

「政府軍の兵士は給料のために戦っているが、反乱軍の兵士は信念のために戦っている。だから彼らは勝てる」

「金や恐怖で人間を支配できる」と信じ切っていたマイケルが、命を捨ててでも信念に生きる人間(革命軍)の圧倒的なエネルギーに直面し、自分の支配体系の限界を悟るという、マイケルの内面的変化を描く上で極めて重要な意味を持っています。

3. 歴史の渦と「詰め込みすぎ」の構造

確かに『PART II』は、以下の要素が重なり合っており、要素が極めて多い作品です。

  1. 若きヴィトーの成長伝(1900〜1920年代:ファミリーの誕生)
  2. マイケルの冷徹な権力闘争(1950年代:ファミリーの空中分解)
  3. ワシントンの公聴会(国家権力との対決)
  4. キューバ革命(国際政治と巨額ビジネスの暗雲)
  5. 兄弟の裏切りと粛清(フレドとの悲劇)

コッポラと原作者のマリオ・プuzoは、単なるマフィアの復讐劇だった1作目を越えて、「アメリカという国家の近代史そのもの」を映画の中に凝縮しようとしました。

「移民が苦労して一族を成した時代(ヴィトー)」から、「資本主義の欲望が国境や政治までをも飲み込み、最後には身内すら殺し合う時代(マイケル)」への変遷を描くにあたり、1950年代末のハバナはアメリカ合衆国の強欲さと挫折を映し出す最高の舞台だったのです。

もしキューバ革命だけで別の映画を作っていたら?

おっしゃる通り、「キューバ革命とマフィアの癒着」だけに焦点を絞った映画(たとえば『ハバナ』やマフィアのハバナ会議を中心にしたサスペンス)としても、間違いなく見応えのある単体作品になったはずです。

しかし、コッポラがあえてそれを『PART II』という巨大なジグソーパズルの一片として組み込んだからこそ、「父のノスタルジックな時代」と「息子の冷酷な時代」の対比がより一層際立ち、単なるマフィア映画を超えた「大河悲劇」としての映画史的金字塔になったと言えます。

「詰め込みすぎ」と感じられるのは至極当然の密度の濃さですが、その過剰なまでのスケール感こそが『PART II』が持つ独特の凄みや重厚みを生んでいる理由でもあります。

モー・グリーン

ざっとネットを検索した限りでは、ゴッドファーザーについて書かれているブログやらwikiというのは、ゲーム版の攻略サイトであったり、或いはアル・パチーノがかっこいいとかマーロン・ブランドがしぶいとかそんなことばかり書かれていて、ウィキペディアを見ても情報量が少なすぎて何のことやらわからない。小説の Godfather をまずは読むべきなのかもしれない。

でまあ、映画1作目のゴッドファーザーではコルレオーネ一家が突然ニューヨークを捨ててラスヴェガスに移る。クレメンザやテシオなどの部下は独立してニューヨークに一家をかまえる。ラスヴェガスにはモー・グリーンというユダヤ系のマフィアがずっと前から仕切っている。

なぜマイケルはラスヴェガスに移ろうとしたのか。なぜにニューヨークを捨てるのか。かなりわかりにくい。ラスヴェガスで堅気の仕事を始めようとしたという説明もあるようだが、納得しがたい。

モー・グリーンのモデルであるベンジャミン・シーゲルはユダヤ系移民の子でブルックリンに生まれる。主にユダヤ系のマフィアとつるんだが、イタリア系のマフィアとも関係した。ニューヨークからカリフォルニアに移って成功し、それからラスヴェガスに進出した。ヴィト・コルレオーネに敵対する黒幕エミリオ・バルジーニは、ニューヨークの五大ファミリーの一つのボスで、アメリカ全土でも、コルレオーネ一家に次ぐ勢力である。


追記 20260927

コルレオーネ一家はなぜニューヨークからラスベガスに拠点を移したのですか。

映画『ゴッドファーザー』シリーズにおいて、コルレオーネ一家が1950年代にニューヨークからネバダ州ラスベガスへ拠点を移した主な理由は、合法ビジネスへの脱皮(表の経済活動への移行)と組織の存続・再構築を果たすためです。

具体的な背景には、以下の3つの大きな要因があります。

1. カジノ産業を通じた「合法化」の推進

ヴィトー・コルレオーネの後を継いだマイケル・コルレオーネは、コルレオーネ一家をマフィアという裏社会の組織から、合法的な企業グループへと変革させることを最優先事項としていました。

当時、ラスベガスはギャンブルが合法化された一大成長都市であり、カジノやホテルへの投資・経営は、膨大な裏金を合法的な利益(洗金)へと変換し、真の「ビジネスマン」へシフトするための絶好の機会でした。

2. ニューヨークにおける旧来型抗争の限界

第一部で描かれた「五大ファミリー」との全面戦争により、ニューヨークでの裏社会のパワーバランスは極めて不安定になり、警察や取締当局からの監視も急速に強まっていました。

売春や裏ギャンブルといった従来の犯罪ビジネス依存から脱却し、急速に発展する西部の新興地へ移ることで、政府の取締網や泥沼の抗争から距離を置く狙いがありました。

3. 一家の一極集中支配と権力強化

ラスベガスでは、既にヴィトーの長男ソニーの死後、次男フレドが現地に派遣され、モー・グリーンとともにカジノ事業の基盤を築いていました。

マイケルはモー・グリーンらを排除してカジノの利権を全面的に手中に収めることで、西海岸・ラスベガスにおける強大な経済的支配権を確立しようとしました。

※ただし『ゴッドファーザー PART II』で描かれるように、ラスベガスへ移転した後もキューバの事業進出をめぐる陰謀や組織内の裏切りに巻き込まれ、マイケルが望んだ完全な「合法化」は容易には達成されませんでした。

ゴッドファーザー2

面白いんだが、よくまあこんな複雑な話を作ったものだと思う。しかも長い。

少し無理があるなと思うのは、マイケルがネヴァダからマイアミへロスに会いに行き、その後ニューヨークでフランクに面会したときに、マイケルを襲撃した黒幕がロスであることに気づいてたということだ。ネヴァダにいた頃から気づいていたのか。マイアミで直接ロスにあって直感したのか。それともフランクの反応を見て最終的に確信にいたったのか。語られていないことが多いのだが、いずれにせよ、あれだけのヒントでどうしてロスが黒幕と断定できるのか。そこにかなり無理を感じる。

ロスのモデルはマイヤー・ランスキーというユダヤ系ロシア人であろう。革命前のキューバでのしあがったマフィア。カストロが親米政権を倒すとラスヴェガスの賭博に目をつける。晩年イスラエル国籍を得ようとするが拒否される。映画の中の設定と同じだ。

ラスヴェガスのカジノ産業を創始したモー・グリーンというマフィアのモデルはベンジャミン・シーゲル という人らしい。モー・グリーンは一作目のゴッドファーザーでコルレオーネ一家の敵役として登場しているのだが、ロスはモー・グリーンと同じユダヤ系マフィアであって、それゆえにラスヴェガスに進出してこようとしているマイケルを敵視しているらしいのだが、これも本作だけを見ている限りではよくわからない。

でまあ、これらの実在したユダヤ系のマフィアと、イタリア系のマフィアが、ラスヴェガスのカジノの利権を巡って対立したという抗争はあったのだろうし、それがストーリーの下敷きになっているのだが、それをあの映画を見ただけでわかれというのはちと難しい。

最初、マイケルの息子のアンソニーの初聖体式を祝うパーティーが開かれていて、その場にネヴァダ州選出の上院議員パット・ギーリーという人が出てくる。ギーリーはマイケルにカジノを認可する代わりに賄賂を要求するが、マイケルは拒絶。ギーリーはイタリア系移民を嫌う生粋のアメリカ人(アングロ・サクソン?)として描かれている。次にロスの手下ジョニー・オラと会って、ロスの協力を得る。次にフランクとあって、ニューヨークでロスの一派のロサト兄弟と和解するよう告げる。その夜にマイケルはマシンガンで襲撃されるのだが、この時点で黒幕は、ギーリーなのか、ロスなのか、フランクなのか、それとも他に誰かいるのかわからない。

ギーリーは後にマイケルの兄フレドが経営する風俗店で女の死体と一緒に寝ていたところを発見されるのが、理由は語られないが、おそらくコルレオーネ一家にはめられたということだろう。以後弱みを握られたギーリーは公聴会に召喚されたマイケルを擁護する立場を演じる。

フランクは公聴会に証人で呼ばれるのだが、彼はマイケルに殺されかけたと疑っており、 マフィアのボスとしてのマイケルの実像を公聴会で話すはずだったが、フランクの兄が急遽イタリアからかけつけてきて、それを見たフランクは一転してマイケルの容疑を否認する。ここがまたよくわからない。兄がマイケルと一緒にいたからマイケルを恐れたのか。 或いはマイケルに対する信用を回復したのか。フランクはなぜFBIによってずっと拘留されているのか。なぜフランクは、ロスが殺されると同時に自殺しなくてはならなかったのか。ここらへんもきちんとは説明されていない。

その上、マイケルの父ヴィトーの前半生も同時に描かれているので、ややこしいことこの上ない。

追記20260927

マイケルを機関銃で襲撃させたのは誰ですか。

ネバダの自宅でマイケルとケイが寝室で襲撃された事件(銃撃事件)の手引きをした黒幕は、ハイマン・ロス(Hyman Roth)です。

ただし、「襲撃の実行」と「黒幕」の関係には、映画の中で重要な二つの要素が絡んでいます。

1. 黒幕(指示を出した人物):ハイマン・ロス

マイケルを排除し、キューバでの巨大なカジノ利権やビジネスを独占するために、陰で糸を引いていたのはハイマン・ロスでした。

マイケル自身も最初からロスを疑っていましたが、犯人を油断させて裏のネットワークを暴き、キューバでのビジネスを進めるために、あえて「ロスを信頼しているフリ(親交を保つフリ)」を続けていました。

2. 内通者(家の中に手引きした人物):フレド・コルレオーネ(マイケルの兄)

屋敷の敷地内や寝室のカーテンが開け放たれていたことなどから、屋敷の「内部人間」の手引きがあったことは明確でした。その内通者となっていたのがマイケルの実の兄であるフレドです。

フレドは「自分は家族の中でずっと軽視され、落ちこぼれ扱いされてきた」という強いコンプレックスを抱えていました。そこをロスの側近であるジョニー・オラにつけ込まれ、「お前にしかできない重要なビジネスだ」「マイケルにも利益になる」と唆されて情報を流してしまったのです。

※フレド自身は「マイケルを殺すつもりだった」とは知らず、単にマイケルを脅迫して交渉のテーブルに着かせるためのものだと騙されていた可能性が高いですが、結果的にマイケルを絶体絶命の危機に晒すことになりました。

まとめ

  • 黒幕(首謀者): ハイマン・ロス
  • 手引きした内通者: フレド・コルレオーネ(兄)
  • 実行犯: ロスが雇った刺客たち(襲撃直後に口封じのため殺害され、遺体で発見される)

この襲撃事件こそが、マイケルに「実の兄であるフレドを粛清する」という哀しい決断をさせる決定的な引き金となりました。

マイケルはロスとフレドの関係にいつ気付きましたか。

マイケルがフレドとロスのつながりを確信したのは、キューバ(ハバナ)のナイトクラブでショーを見ている最中です。

それまでの経緯と、決定的な瞬間の流れは以下の通りです。

1. 確信に至るまでの流れ

  • 襲撃直後:マイケルは「屋敷の内部に裏切り者がいる」ことを見抜いていましたが、それが実の兄であるフレドだとはまだ確信していませんでした。
  • ハバナでの接触:マイケルはビジネスの交渉のためにハバナに入り、後からやってきたフレドに「ハイマン・ロスやその側近(ジョニー・オラ)を知っているか?」と尋ねます。この時、フレドは「会ったこともない、名前くらいしか知らない」と嘘をつきました。

2. 決定的な瞬間(ナイトクラブのシーン)

マイケルは上流階級の要人やフレドを連れて、ハバナのナイトクラブ(アダルトショーの観覧)へ行きます。

そこで酒に酔ったフレドが、テンションが上がって周りの客にこう自慢げに話してしまいます。

「ジョニー・オラが俺をここに連れてきてくれたんだ。あいつは最高の場所を知ってるんだよ!」

この発言を聞いた瞬間、マイケルは固まります。

「会ったこともない」と言っていたはずのジョニー・オラと、フレドが以前から深く付き合っており、ハバナの街を案内されるほど密接な関係だったことが完全に露呈した瞬間でした。

3. その後の有名な「死のキス」

自分が裏切られていたこと、そして屋敷襲撃を手引きした内通者が実の兄だったことを悟ったマイケルは、カウントダウンの年越しパーティ(1959年のカウントダウン)の混乱の中、フレドを引き寄せて強烈なキス(シチリアのマフィアで「お前の裏切りを知っている」「死」を意味するキス)をし、こう言い放ちます。

「知っていたぞ、フレド。お前だと分かっていた。俺の心を折ったな……俺の心を!」

(I know it was you, Fredo. You broke my heart. You broke my heart!)

このハバナの夜に、マイケルの中で「兄フレドへの絶望」と「冷酷な粛清への決意」が完全に固まることになります。

マイケルは、ロスがハバナでケーキを切ってみなに食べさせていたときに、すでにロスが黒幕だと確信していたのでしょうか。

はい、ケーキのシーンの時点(それどころかハバナに行く前)で、マイケルはロスが黒幕であることを完全に確信していました。

あのケーキのシーンは、マイケルが「ロスが黒幕だと知りながら、それを隠して探りを入れ合っている」という極めて高度な化かし合い(心理戦)の象徴的な場面です。

時系列とマイケルの思考を整理すると、真相がよく分かります。

1. ハバナに行く前にすでに確信していた

自宅襲撃の直後、マイケルは信頼するトム・ヘイゲンに対してはっきりと「ロスが自分を殺そうとした」と明かしています。

マイケルは、自分とロス、そしてペンタンジェリ(ニューヨークのボス)の三角関係を冷徹に分析していました。ロスはペンタンジェリを排除しようとしており、マイケルが邪魔になったため殺そうとしたのだと即座に見抜いていたのです。

2. なぜ黒幕だと知りながらハバナへ行き、ケーキを食べたのか?

マイケルがロスをその場で殺さず、笑顔でハバナまで赴いてビジネスの交渉を続けた理由は2つあります。

  1. 屋敷の手引きをした「内部の内通者(裏切り者)」が誰かを見極めるため
  2. ロスの命を奪う前に、彼のビジネスや狙いの全貌を掴み、罠にハメ返すため

ハバナのホテルのテラスで、ロスが自分の誕生日を祝ってキューバの地図が描かれたケーキを切り分け、「みんなで分け合おう」と投資家たちに配る有名なシーンがあります。

あの時、マイケルはロスの「キューバをアメリカのビジネスマンたちで山分けしよう」という強欲な提案を静かに聞きながら、「こいつが俺を殺そうとした男だ」と完全に分かった上でケーキを受け取っています。

3. ケーキの後の「マイケルの反撃」

マイケルはこのケーキのシーンのすぐ後に、病床のロスを訪ねて「誰がペンタンジェリを殺そうとしたのか?」とあえて尋ねたり、病院でロスの暗殺を試みたりします。

つまり、ハバナでのマイケルの行動はすべて、「ロスが黒幕である」という絶対の確信の上に立った演技と復讐の準備だったのです。

そして、その化かし合いの最中に、思いもよらず「実の兄フレドがロスの手先(内通者)だった」という最悪の事実をナイトクラブで知ることになり、マイケルの絶望が頂点に達することになります。

ペンタンジェリとはつまりフランキーのことですね。

はい、その通りです!

劇中で「フランキー」または「フランク」と呼ばれている人物の本名(フルネーム)が、フランク・ペンタンジェリ(Frank Pentangeli)です。

作中での彼の立ち位置を整理すると、より分かりやすくなります。

  • 本名: フランク・ペンタンジェリ(Frank Pentangeli)
  • 愛称: フランキー(Frankie)、または「ペンタンジェリ」
  • 立場: かつてクレメンザ(1作目でヴィトーの右腕だった男)の部下で、クレメンザの死後にニューヨークの旧コルレオーネ縄張りを引き継いだ古参の幹部。

彼の存在が重要だった理由

フランキーは古き良きシチリアの伝統や「家族」の絆を大切にする熱血漢で、ビジネスライクに割り切るマイケルのやり方や、ハイマン・ロスとの提携にずっと不満を持っていました。

しかし、ロスらの罠によって「マイケルに裏切られて殺されかけた」と勘違いさせられ、公聴会でマイケルに不利な証言をする検察側の「決定的な証人」になってしまいます。

映画の後半、公聴会の場でシチリアから連れてこられた実の兄(ヴィンチェンツォ)の姿を見たフランキーが、マフィアの掟(沈黙の誓い=オメルタ)を思い出して証言を翻すシーンは、『PART II』の中でも屈指の名場面です。

ロスを枕で窒息させようとして兵士に射殺されたのは誰ですか。黒幕はマイケルですか。

その男はマイケルの側近(ボディガード/ヒットマン)であるブスセッタ(Bussetta)です(劇中では単にマイケルの「用心棒」や「ボディガード」として描かれています)。

そして、黒幕(指令を出した人物)は間違いなくマイケルです。

このハバナの病院での暗殺未遂シーンの経緯と意図は以下の通りです。

1. 事件の流れ

  • 指示: マイケルはハバナ滞在中、ロスの病状が悪化して病院に運び込まれたタイミングを見計らい、自らのボディガードに「ロスを抹殺しろ」と命じました。
  • 実行: ボディガードは夜間に病院のロスの部屋へ潜入し、ベッドで横たわるロスの顔に枕を押し当てて窒息死させようとします。
  • 結末: あと一歩のところで、バティスタ政権の警備兵(政府軍の兵士)が部屋に踏み込んできて、ボディガードはその場で射殺されてしまい、ロスの暗殺は失敗に終わりました。

2. なぜこのタイミングだったのか?

マイケルはハバナに入る前から「ロスが自分を襲撃させた黒幕である」と知っていました。

しかし、あえてキューバでビジネスの話を進めるフリをしていたのは、ロスの暗殺計画と同時にロスの手先(ジョニー・オラら)もまとめて排除し、自分の命を狙ったツケをハバナの地で一気に支払わせるためでした。

実際、この病院での襲撃とほぼ同じ時刻(大晦日の夜)に、マイケルの命を受けたブシェッタの仲間(別の刺客)がジョニー・オラを絞殺しています。

3. 直後に起きた「計算外の事態」

マイケルにとって誤算だったのは、この暗殺事件のまさにその夜にキューバ革命が完結してしまったことです。

ロスをあと一息で殺せるという瞬間にカストロの反乱軍がハバナに突入し、バティスタ大統領は亡命、街は大混乱に陥りました。警備兵が病院に押し寄せてボディガードが撃たれたのも、この革命勃発による混乱の最中でした。

結果として、ロスの暗殺はこの時点では失敗し、マイケルもハバナからの緊急脱出を余儀なくされることになります。

バティスタ政権の警備兵はなぜ来たのですか。革命が始まったのでロスを保護しにきたのでしょうか。

結論から言うと、「バティスタ大統領の退陣(亡命)が決まったため、重要人物であるロスを救出・護衛(あるいは政権崩壊を伝えるため)に兵士たちが駆けつけた」というのが主な理由です。

彼らは暗殺者(ブスセッタ)がいると分かって撃ち込んできたのではなく、「部屋に入ったらたまたま枕でロスを殺そうとしている男を見つけたので射殺した」というシチュエーションでした。

この展開には、映画の背景とファンの間での考察を含めていくつか重要なポイントがあります。

1. バティスタ政権とロスの「深い蜜月関係」

ハイマン・ロス(モデルは実在の大物マフィア、マイヤー・ランスキー)は、バティスタ大統領に巨額の賄賂を贈り、キューバのカジノやホテル利権を牛耳る「最大級のビジネスパートナー(VIP)」でした。

そのため、政権崩壊の土壇場においても、バティスタ側にとってロスは優先的に身の安全を確保し、国外へ逃がさなければならない最重要人物の一人だったのです。

2. 暗殺失敗の真相(運悪く重なった革命)

マイケルのボディガード(ブスセッタ)は、病院に潜入して枕でロスを窒息死させようとしました。あと数秒で完了するというまさにその時、兵士たちが部屋に踏み込んできました。

  • 革命軍がハバナに迫り、バティスタ大統領が正式に辞任を発表する直前、政権側は急いで要人の保護と避難の手配を進めていました。
  • 兵士たちは「ロスを緊急避難させるため」部屋に入ったところ、目の前で枕を押し当てているブスセッタを目撃し、反射的に射殺したのです。

3. もうひとつの裏考察(フレドが密告した説)

ファンの間や脚本の解釈として「フレドが通報したのではないか」という有名な説もあります。

マイケルはハバナのカフェでフレドに対し、「ロスは新年(カウントダウン)を迎えられない(=今夜殺す)」と告げていました。パニックになったフレドが、マイケルの企みを阻止しようと(あるいはロスの陣営に連絡して)警備を向かわせたという解釈です。

まとめ

演出上の最大の意味は、「マイケルの完璧な計算が、歴史の巨大なうねり(キューバ革命)によって狂わされた」という点にあります。

どれだけ冷酷で用意周到なマイケルでも、一国の政権崩壊とそれに伴う兵士たちの予期せぬ動きまではコントロールできず、あと一歩のところでロスの暗殺を取りこぼしてしまったのです。


いやはや。よくわからずに見ていたことがはっきりした。ネタバレは AI に聞くに限るな。これをネットであちこち検索していたらものすごい時間がかかるところだ。

漫吟集

契沖の「漫吟集」なんだが、これ読むのはかなり骨が折れる。たまに秀歌が混じるが他は凡作としかいいようがない。数が多くてきちんと分類されているから、読んでいるとだれる。全体的に退屈と言われても仕方ないと思う。

菅の根に 雪は降りつつ 消ぬがうへに 冬をしのぎて 春は来にけり

悪くない。「菅の根の」が「長き」にかかる枕詞だと知っていればすんなりわかる。古今集の

奥山の 菅の根しのぎ 降る雪の 消ぬとかいはむ 恋の繁きに

の本歌取りだわな。

うぐひすも 鳴かぬかぎりの 年のうちに たが許してか 春は来ぬらむ

これもまあ、悪くない。「たが許してか」が珍しい。

宿ごとに いとなみたてし 門松の まつにかならず 春は来にけり

どうやらこれも本歌取りらしい。藤原顕季

門松を いとなみたてる そのほどに 春あけがたに 夜やなりぬらむ

ときどきすごく良いのがある。

ねや近き 葉広がしはに 音立てて あられし降れば 夢ぞやぶるる

「夢ぞやぶるる」が良く効いている。

軒ばなる 蛛のいがきは 知らねども 山の嵐に 夢ぞやふるる

なんとこの正徹の歌の本歌取りらしい。

踏めば消え 消ゆれば摘みて 春の野の 雪も若菜も 残らざりけり

少し面白い。

立ち出でて 涼むそともの 木陰より かへりもあへぬ 夕立の空

木陰で涼んでいたら夕立がふりそのまま雨宿りした。なかなか良い歌。

しづのをが 刈りにし跡の 日だに経ず 一つに茂る 野辺の夏草

「一つに茂る」が面白い。

池の上の 菱の浮き葉も わかぬまで 一つに茂る 庭のよもぎふ

この良経の歌の本歌取りか。

おほかたの 常は水無き 山川も 石さへまろぶ 五月雨の頃

「石さへまろぶ」が斬新。

春雨は 今年のみやは 花散らす 昔をかけて 今日は恨めり
霜の上に 寝るここちして 夏の夜の 床に影しく 月ぞ涼しき
なには潟 堀り江にのぼる ゆふ潮の 限り知らるる 朝氷かな
水のおもに 散りて浮かべる 木の葉より まさりて薄き 朝氷かな
諏訪の海の こなたかなたに あひおもふ あまもこほれば かちよりぞ行く

少し面白い。

続後撰集

続後撰集 だが、西園寺入道前太政大臣というのが西園寺実氏で、単に前太政大臣というのが若死にした九条良経であろうか。この二人は太政大臣だから入選が多いのだろうが、非凡な歌もあるようなので、よく調べてみる必要がある。定家がダントツに多いように見えるが、定家は巻頭・巻末には一つもないのにたいして、俊成はなんと春上巻頭、春中巻末、春下巻末、夏巻末、冬巻末に置かれていて、別格の扱いを受けていると言ってよい。

年のうちに 春たちぬとや 吉野山 かすみかかれる みねのしら雪

これはまあ巻頭歌なんでこんなもんだろうが、

つらきかな などてさくらの のどかなる 春の心に ならはざりけむ
ゆく春は 知らずやいかに 幾かへり 今日のわかれを 惜しみきぬらむ
鳴る滝や 西のかは瀬に みそぎせむ いは越す波も 秋や近きと
なかなかに 昔は今日も 惜しかりき 年やかへると 今は待つかな

そうそう。これが俊成。平明で抒情的で優美。さすがに為家はわかっている。でもなんで「西の川瀬」なんだろう。深い意味はないのか。たまたま滝の下流が西だったのだろうか。てことは東山だろうか(追記。鳴滝とは京都の西、嵐山のことであろう。愛宕山の中腹に鳴滝という地名がある)。

思うに、定家は俊成の子だから、俊成のような素直な歌も割と詠んでいる。為家はわざと父のそういう歌ばかりみつくろったのではなかろうか。たとえば

こころあてに わくともわかじ 梅の花 散りかふ里の 春のあはゆき
あとたえて とはれぬにはの 苔の色も 忘るばかりに 花ぞふりしく
小倉山 しぐるる頃の あさなあさな 昨日はうすき よものもみぢ葉

など。あまり定家らしくない(追記。いや、かなりひねくれていると解釈することもできる)。「見渡せば花も紅葉もなかりけり」とか「駒とめて袖打ち払ふかげもなし」みたいに、ひねくれてもいないしいじけてもないし世をはかなんで落ち込んでもいないし、モノトーンでも幽玄でもない。いわゆる、素直な「優なる姿の歌」である。俊成の歌に似ている。

後鳥羽院ほか、順徳院、土御門院など、承久の乱で流された人たちの歌が多いほか、選者の為家、為家の子の為氏の歌も若干入る。

はる風の ふかぬ世にだに あらませば 心のどかに 花はみてまし

これを入れているのもうれしいよね。これ宇多上皇の歌なんだよね、醍醐天皇に間違われてるけど。

ざっと見ただけだが、センスの良い歌の選び方だと思う。さらに詳しく読んでみる。

家康転封

秀吉が家康を東海道から関八州に転封したのは左遷であるとか、居城を鎌倉や小田原ではなく辺鄙な江戸にしたのも秀吉の指図であるとか、いろいろ言われているわけだ。しかし、頼朝が鎌倉に幕府を開いて以来、日本は近畿と関東の二箇所に拠点を置くのが常態となった。室町時代は足利尊氏の子孫を鎌倉公方とした。近畿は西日本から中部まで、関東は甲信越から奥州までを支配下に置く。

これらの流れでみるとき、秀吉が近畿を、家康が関東を押さえるという二局体制にしようと考えたとすべきである。もし家康に異心があれば、彼を関東に放つのは極めて危険である。関東は常に騒乱の拠点となってきたからだ。であればやはり秀吉は生前ずっと家康を信頼し評価していたとすべきではないか。

家康は戦功があるから、三河・遠江・駿河の三国で足りなければではどうするかというときに、関東をまとめて与えようと考えても不思議ではなく、左遷とは言いがたい。秀吉の狙いは明や朝鮮であっただろうし、関東には苦手意識があったと思う。江戸は上杉氏や後北条氏の頃からすでに関東の要衝となりつつあった。小田原や鎌倉は関東全域を治めるにははずれすぎる。室町時代関東は、西の上杉氏と東の古河公方に分かれて対立した。その最前線に太田道灌が築いたのが江戸城と川越城。その前例がある。つまり、関東全域を治めるには、パワーバランス的に江戸川越のラインに主城を置かねばならぬが、江戸は海に面していて物資を調達しやすい。やはり江戸でなくてはならなかった。世田谷城では内陸すぎる。それらの判断はやはり小田原攻めの最中、石垣城において、秀吉と家康の間でなされたのであろう。

なるほど、近畿と関東の二局分割を解消するために、たとえば愛知とか岐阜に首都をもってこようというアイディアもある。しかし今までそれは一度も歴史上実現しなかった。橋下市長のように大阪都を作って二都態勢にするというのが、結局東京一局集中を回避するための現実策ではなかろうか。

詠歌一体2

詠歌一体の前半部分は単に題詠の作法のようなことをうだうだ述べているだけである。藤原清輔が「和歌一字抄」という、一字題の詠み方について書いているのに対して、「池水半氷」のような長い具体的な題をどう詠むか。題のすべてを詠み込むのでなく全部あるいは一部を連想させるようにするとか。初句や上三句にすべての題を詠み込むのは良くないとか。そんな技巧上の話をしていて、為家の趣味や嗜好とは直接関係ないように思えるが、

からにしき 秋のかたみを たちかへて 春はかすみの ころもでのもり

これは「すべて歌がらもこひねがはず、衣手の森をしいださんと作りたる歌なり」と手厳しい。誰の歌かと調べてみると、明日香井雅経。父定家の親友である(雅経は一時鎌倉に住んだので、源頼家、実朝とも親しい。実朝と定家に交流があるのも雅経のおかげである)。定家と雅経は歌風も近い。どちらかと言えばなんかもやっとした、作った歌を詠む人である。これはやはり遠回しに定家を批判していると言えないだろうか。これに対して次の二首

春がすみ かすみていにし 雁がねは 今ぞ鳴くなる 秋霧の上に

これは古今集に出る詠み人知らず。

ほととぎす 鳴く五月雨に 植ゑし田を 雁がね寒み 秋ぞ暮れぬる

こちらは新古今に載る善滋為政の歌。これら二つは雅経の歌と同様に春と秋を一つの歌に詠み込んでいるが、雅経の歌ほどはわざとらしくないから良い、などと言っている。まあそう言われればそうかもしれない。

善滋為政はよくわからん人だが、幸田露伴連環記によれば、善滋は「かも」と訓み、文章博士・陰陽師の賀茂氏で、父賀茂忠行はおよそ醍醐・村上天皇の頃の人、兄慶滋保胤はこれも名字は「かも」と訓むらしく、道長の頃の人。為政の歌は拾遺集に初出だから、やはり道長よりかすこし前の人ではなかろうか。このあたりの時代背景を調べ出すと切りがないな。

中宮の内におはしましける時、月のあかき夜うたよみ侍りける 善滋為政

九重の 内だにあかき 月影に あれたるやどを 思ひこそやれ

宮中ですらこんなに月が明るい夜は、粗末な我が家などはさらに明かりが漏って明るいですよ、というかなりふざけた歌。

「泉」という題で「木の下水」、鹿を「すがる」、草を「さいたつま」、萩を「鹿鳴草」、蛍を「夏虫」などとわざと変名で詠むのは良くないと。なるほどまったくそのとおり。

名所の地名を詠み込むときには必ず有名な地名にしなさい、ただし、旅で実景を詠む場合にはそれほどこだわる必要は無い。これも素直に同意できる。

百首など定数の歌合で最初のとっかかりとなる歌を「地歌」というらしい。歌合の歌はその場の即興で詠むべきものであり、たとえ秀歌であってもあらかじめ用意しておいてはいけない(どうしても場の雰囲気とは違う内容になってしまうからだろう)が、地歌だけはその性格上、先に詠んでおかなくてはならない。後拾遺の能因の歌

ほととぎす 来鳴かぬよひの しるからば 寝る夜も一夜 あらましものを

このようなものが地歌だという。確かに歌合の即興というよりは巧んだ歌な感じだ。

やはり為家はわざとらしく作った歌が嫌いである。雅経や定家の歌風を嫌っていたはずである。そして小倉百人一首は定家の原型を為家が完成させたというのもなんか違う気がしてきた。小倉百人一首はあきらかに為家の趣味ではない(かといって定家の趣味でもない)。

為家が選んだ「続後撰和歌集」「続古今和歌集」の傾向を見ればもっとはっきりしてくるはずだ。それでなんとなくだが、小倉百人一首は定家・為家の二代で完成したのではなく、もう少し後の世に、つまり為氏・為世の時代に、なんとなくもやっと成立したのではないかと言う気がする。

詠歌一体

朦朧趣味を読み返してみると、やはり為家という人は、父定家には似ず、むしろ祖父の俊成に似て、素直なわかりやすい歌を詠む人であったように思う。丸谷才一は定家が好きで為家が嫌いなのだ。だからたぶん俊成もそんなに好きではなかろう。為氏は定家に輪をかけて幽玄チックな人だったらしい。どうも父より祖父が好きになるタイプらしいね、この家系は。だから趣味が代ごとに振動している。為氏の子・為世までくるとかなりもうへろへろになってる感じがする。

為家の歌論に「詠歌一体」というのがある。

和歌を詠むこと必ず才能によらず、ただ心より起これることと申したれど、稽古無くては上手のおぼえ取りがたし。おのづから秀逸を詠み出だしたれど、のちに比興のことなどしつれば、さきの高名もけがれて、いかなる人にあつらへたるやらんと誹謗せらるなり。

俊成・定家・為家・為氏という四代の歌風の変動を見るとき、上の主張はかなり意味深である。「比興」とは「他のものにたとえて面白く言うこと」とあり、つまりは、実景を詠まずに、作り事でおもしろおかしい歌を詠むこと、という意味であろう。まさに父定家や子の為氏はそういう歌を詠むのである。為家はゆえに祖父俊成のような素直な歌を詠みたいと言っているのではないか。しかしただ素直な歌を詠んでいても「上手のおぼえ取りがたし」つまり他人に評価されにくいから、稽古は必要だと。しかしあまり(定家や為氏のように)稽古しすぎると奇をてらいすぎていかんよと。

例に挙げている歌がまた興味深い。

紅葉浮水
藤原資宗
筏士よ 待てこととはむ みなかみは いかばかり吹く 山のあらしぞ

新古今に載る。ここで紅葉とは嵯峨野のことである。

月照水
源経信
住む人も あるかなきかの 宿ならし 蘆間の月の 漏るにまかせて

これも新古今に載る。この二つは題詠の心得のために例示したものであり、前者は題を読まないと何の意味かつかみかねる(おそらく上流で花か紅葉が散っているのであろうと予測されるが春なのか秋なのかはわからない)のだが、題をそのまま歌に詠むのはよろしくないと。後者は「月」は歌に出るが「水」はただ連想させているだけとなる。題に水とあるから蘆間からは月の光だけでなく、露も漏れているのだろう、ということになろうか。

其の所の当座の会などには、只今の景気ありさまを詠むべし。
たとひ秀歌なれども、儀たがひぬれば正体なきなり。

正論である。わざわざそれを言っているのは、正直に詠まず、作って飾って詠む輩が多いからだろう。

雪降れば 峰の真榊 うづもれて 月に磨ける 天の香具山

祖父俊成の歌だ。褒めている。確かにすばらしい。

見渡せば 波のしがらみ かけてけり 卯の花咲ける 玉川の里

相模。まあこれも実景の歌だわな。恋の歌は

しのぶれど 色にいでにけり 我が恋は ものやおもふと 人のとふまで
うらみわび 今はまだしの 身なれども 思ひなれにし 夕暮れの空

が良いらしい。前者は有名だが後者は無名の歌だわな。今はまだ思いが通じていない恋だが、うらみわびて眺めるのに馴れた夕暮れの空、という意味だわな。確かに面白い。

日も暮れぬ 人もかへりぬ 山里は 峰のあらしの 音ばかりして

源俊頼。なるほど確かに良い歌だ。実に単純明快。ま、いずれにせよ、俊頼や俊成、家隆などは褒めているが、定家の歌が良いとはどこにも書いてない。これは愉快だ。暗に父の歌風を批判しているようにも見える。