テレビでマダガスカルを見る。 マダガスカル2広報用にぶつぶつに編集されCMを挿入されたやつだが、まあおよその雰囲気はわかった。 これは、ジャングル大帝などでは曖昧にぼかされていた禁断のテーマをパロディ的に解決したものであって、動物園を逃げたライオンが仲間の草食動物ではなくて寿司を食うことによって野生の本能をコントロールするというもの。 なんかかなり納得できないというかそれでいいんかいというものを感じた。
カテゴリー: 映画・ドラマ
未来少年コナンDVD
なぜか未来少年コナンDVD全7巻購入。絵コンテ担当が最初とか最後はさすがに宮崎駿で固めているが、途中がけっこう違う人。高畑勲も混ざってたりする。その気になって観察したらけっこう違うのかも。
中東の地図を見てて、カラチャイ・チェルケス共和国とか、カバルダ・バルカル共和国とか、一度も聞いたことないような長い名前の国を発見。チェチェンやアゼルバイジャンほど暴れないので注目もされないのだろう。キヨスミ・シラカワとかアンナカ・ハルナとかキョウドウ・ミヤノサカみたいなものか。けっこう地名の括りがアレというか。ウラジカフカースという名前の町も。これはウラジヴォストークが「東方を支配せよ」という意味のように、「カフカスを支配せよ」という意味のようだ。カフカスにしてみれば迷惑な話だな。同じようなロシア語名に「ウラジミール」(世界を支配)、「ウラジスラブ」(スラブを支配)、などがあるようだ。
踊る大捜査線
踊る大捜査線、テーマは「警察から政治を排除して、命懸けで仕事している現場の人間に納得いく仕事ができるようにしよう」であっているでしょうか。危険思想なんだよな。危険思想に満ちあふれているよ。戦前の青年将校だって同じことを言うだろう。
警察は政治そのものなんだよ。世論が「たとえ警官が撃たれても警官は撃ってはいけない」と言うなら、たとえ現場の人間がそうではないと思っても、またドラマを見ている人間がそれに同意したとしても、主権者である国民の意思に背いてはいけないだろう。
同僚が撃たれたから普段よりも真剣に捜査するというのであれば、民間人が撃たれたときは相対的に不真面目に仕事していることになるだろう。現場の人間の心理によって仕事の質が変動するのは事実であろうが、それを肯定するのはどうであろうか。
「現場の警官にもっと権限を持たせて、現場の判断で拳銃を撃てるようにする」ということが正しいかどうか判断するのは主権者である国民だし、それこそまさに政治なのだが。
National Geographic はお説教臭いのと、アメリカ中心主義なのが鬱陶しいが、そこに目をつぶればまあまあだ。同じ番組を何度も流すのも、復習できてむしろよろしい。
9.11にしろ煎じ詰めればアメリカの国内問題なのに、「世界が変わった」みたいな言い方されると不愉快なんだよね。
CNNj はなんかもう。あの同時通訳みたいのが鬱陶しいだけ。BBC も bloomberg も似たりよったり。
ディスカバリーチャンネルも、アニマルプラネットもいまいちおもしろくない。この程度のドキュメンタリーなら、地上波垂れ流しでもまま見られるし。
地上波のドキュメンタリーも悪くないんだが、National Geographic スタイルにして1チャンネルまるごとドキュメンタリーみたいにすると、クオリティもさらに良くなるのでは。オンラインのビデオレンタルみたいになるのが理想型かな。
幻魔大戦
すごく久しぶりに幻魔大戦 (DVD) を見た。1980年代の紙と木でできたぺらぺらの家屋に住む日本人って感じが良く出てた。1983年ですよ。まだCDプレイヤーとかもなかった時代。
いや、一部にはあったかもしれんが。アニメとしては非常に稚拙だが、中身はかなり濃い。超能力モノのアニメとしてはバビル二世がかなり古いような。ガンダムもイデオンもそうだしね。なんか超能力はやってたよねー。ユリゲラーのせいかな?めちゃくちゃ手を抜いて静止画で済ませてたり、ほんとまじで紙芝居並に止まってたりして、しかしサビんとこはディズニー並にこまかく動かしてたり、作り込みにムラがあるのよねー。まー、昔のアニメってそうだよね。破裏拳ポリマーもそうで、ときどき気合い入れて動きが良い場面とかあると、あー、ほんとは全編通してこのくらい作り込みたいんだろうなあとか同情したりして。
つーか、そういう意味じゃ、技術的には当然進歩したけど、大して進化してないんじゃないかなと思うね日本のアニメって。
あと、今じゃ絶対作れないくらい原色の明滅がきつい(笑)。私は全然平気だけど。ナムジュンパイクとか新興宗教の自己啓発セミナーとかこんなだよねきっと。
FF XI はすごいと言えばすごいんだろうけど、今時これくらいできて当たり前な気もするし、じゃあ自分でやりたいかって言われたらどうかな。
なんか、ガソリンスタンドでバイトしながらお金貯めて、バイク買って首都高とか峠をつるんで暴走するとかいうゲームなら、ちょっとやってみたいかも。追体験というのかな。事故っても死なないし。
シェンムーオンライン横須賀どぶ板編とかさ。毎日フォークリフトのバイトするとかさ。バイト仲間で弁当食いながら会話するとかさ。カモメにエビ天のしっぽ投げるとみゃーみゃー鳴きながら寄ってくるとかさ。
あるいは戦後の新宿の闇市で成り上がっていくヤクザ者のオンラインゲームとか。
初代ガンダムのDVDを見る.
なぜか中国繁体字字幕.フラウボウがなぜか「美美」とか呼ばれている.ガンダムは「高達」.二十年ぶりくらいに見てみると新たな感動がある.アニメーション技術的にはきわめて稚拙だが,それなりに手をかけているようにも見える.ストーリー展開のなんとみごとなことか!
フラウボウの家族がみんな死んでしまう.アムロのお父さんは宇宙に吸い込まれる.なんかとても残酷で衝撃的だ.
シャアはいつもこむつかしい独り言ばかり言っていて違和感ある.
バッドエンド (パーフェクトストーム)
「パーフェクトストーム」はアメリカ映画には珍しいバッドエンドで,軽い衝撃を受けた.
普通のアメリカ娯楽映画なら,たとえば主人公のうちの一人くらいは大波を乗り切って救出される,などの救いが残されているものだが,この映画では乗組員全員が行方不明になるのだ….
ラストシーンはお葬式でみんなが泣いている….
ハリウッド特有のぐいぐい引き込む手法でバッドエンドに持って行かれるとなかなか辛いものがあるかも.
ていうか,どうせハリウッド映画だから,ピンチでも助かるだろうと油断してたところで不意打ちをくらった,というべきか.
追記: パーフェクトストームは事実に基づいているので、ハッピーエンドにしようがなかったということだろう。
伏線がなかったとは言えない.
「オレたちゃ男だ!」とか時代錯誤的で無謀なことを言うやつは,アメリカ映画では死ぬことになっている.
特攻精神をちょっとでも賛美したら,パールハーバートラウマ的に罰せられるのだ.
これはジャンヌダルクにもちと当てはまる.
インディペンデンスデイでも特攻するやつがいるが,アメリカ人が特攻するには何重にも理由付けが必要なのである.
犠牲対効果が極めて大きい,機体が故障した,別に犯した罪をつぐないたい,冷静な自意識によって判断した結果,などなど.
カミカゼとキリスト教的殉教は違うんだ,という冗長で神学的な説明付けが必要なのであり(大した差はないと思うのだが),これによってアメリカのキリスト教的ボランティア精神は少しだけ洗練されたものになったかもしれない.
「アイアンジャイアント」も見たが,これもバッドエンドだったらもう少し切れ味があったかもしれない.
しかし,ハリウッドアニメの性なのか,最後にちょっとだけ救われる.
アメリカ映画でハッピーエンドでないのは珍しい.
ベトナム戦争もの以外では.「ジャンヌダルク」「ジーザスクライストスーパスター」は宗教映画で且つ史実をあらかじめ知っているから,必ずしもバッドエンドとは言えないのかも.
あ,「危険な情事」もバッドエンド?
椿三十郎
ラストシーンで,お互い立ったまま向き合って抜き打ちで勝負を決するのがあるが,あれは明らかに西部劇の決闘シーンの影響だろう.あのような「立ち合い」が一般的であったとは思えない.居合は「後の先」と言って先に抜かせることを良いことのように言ったりもする.これは西部劇にもある考えだが,向こうのは正当防衛ということをいいたいのだろうか.日本に正当防衛という考え方があったのだろうか.ちょっと信じられない.
追記: 居合いは、不意打ち、だまし討ちのたぐいであって、つまり暗殺剣の集大成であって、あのように立ち会いで使われたとは、やはり信じがたい。少なくとも、一対一の決闘というものが、もし起こりえたとしたら、きっと江戸時代になった後だろうが、それすらあったとは思えない。やくざの出入りだって集団戦だったはずだし、喧嘩に勝つには必ず加勢を頼むものだ。
一対一というのはやはりマカロニウェスタン的演出だろう。
タルコフスキー
タルコフスキーという映画監督がおもしろいというので,いくつか借りてみた.「惑星ソラリス」はずいぶん前に見たので今回は借りなかった.話せば長いことながら,富田勲の「宇宙幻想」というアルバムを中学一年生の頃聞いた.その最後に富田勲が編曲した「惑星ソラリス」があった.で,スタニスラフ・レムの原作「ソラリスの陽の下に」(のハヤカワの和訳)を読んだり,ビデオを借りて見たりした.原作の方を先に読んだから,というのは,僕が高校生の頃までビデオレンタルというのはほとんどなかったからだが,映画がそれほど優れたものだとは思わなかった.だけど,その映画の監督だと言えば多少は期待がもてるというもの.
さて,「僕たちの村は戦場だった」と言うのをまず見たのだが,これはずいぶんダークな映画だ.12才の少年斥候兵が戦後ドイツ軍に絞首刑になったことがわかるというオチ,少年とその妹が無邪気にみずべで遊ぶラストシーン.みなきゃよかったと思った.それから,「アンドレイ・ルブリョフ」という二本組の長編だが,これは途中であまりにも退屈なのでみるのをやめた.
ポーランドの森を思い出した.僕は1994年くらいにポーランドに国際会議で出かけたのだが,会場が森の真ん中の少年自然の家みたいなところだった.お金がかからないようにと気をきかせてくれたのだが,僕たち日本人ならワルシャワの一番高いホテルに泊まってもぜんぜん平気だっただろう.その方が観光もできてよかったのに,森の中じゃ退屈きわまりなかった.ポーランドの子供たちが屋内プールで泳いでいるところを眺めてもおもしろくない.楽しみは夜パブでビールを飲むくらいだった.毎日,食べたこともないようないろんな種類の雑穀を食べさせられた.森と言っても日本の雑木林のようなウラジロやヨモギやそういった下草がほとんどなくて,白樺みたいな木の幹がすっとのびていて,どこまでもどこまでも歩いていける恐ろしい空間だ.迷い込んだら出られなくなるだろうな.
ムッソリーニ
「ムッソリーニ」という映画を借りる.
イタリア映画的美しさがある.
しゃべってるのは例によって英語だが.
これ見てると,ムッソリーニって,それほど邪悪な政治家ではない.
と思えてくる.
イタリアという,類まれに自由奔放な国で.
個人主義的な国で.
怠惰で.退廃的で.
政治的にはぐちゃぐちゃで.
そんな国で 1922 年に 39 才で首相になった,ムッソリーニというおっさん.
これだけでも他の独裁者,たとえば,スターリン,
ヒットラーなどとは性格的に違うものになって当然だと思える.
汽車を時間どおりに走らせようとしたり,
密造酒を取り締まったり,
昼寝をやめさせようとしたり.
すっかり堕落した古代ローマ人の末裔を勤勉な民族に変えようと思えば,
多少手荒な手段は必要だっただろう.
でもラテン人をピューリタンのような勤勉な民族に作り変え,
イタリアを第 2 のローマ帝国にしたてあげる,というのは,
もともと無理があったような気はする.
ドイツという,がんらい謹厳実直な気風の国に,
ファシズムが台頭し,
ヒットラーという精神的にいびつな人間が指導者となったのは,
イタリアにとって不幸なことだっただろう.
ヒットラーはムッソリーニにすりよってきた.
ヒットラー政権.ムッソリーニに遅れること 11 年.
ヒットラーはムッソリーニを尊敬していたが,
ムッソリーニはヒットラーを気にいらなかったようだ.
結果的にイタリアはドイツと同盟し,
日本も調子にのって同盟してしまった.
うーむ.なんという不幸だろうか.
豪姫
豪姫という映画を借りて見た.原作は富士正晴という人だ.富士正晴なんて誰も知らないと思うが,伊東静雄関連で知っていた.で,先にその文庫本を買って読んだのだが,カバーに宮沢りえ主演で映画化されたということが書いてあったので,それでその映画の存在をしったのであった.
思ってたよりはずっと良くできた映画だった.すじがきはかなり原作に忠実で,ごく地味なもので,なんでこんなもんを映画化したのかと思うくらいで,まあ宮沢りえの絶頂期だからこそできた冒険のようなもんかもしれん.でも私はこの映画は好みだなあ.地味な中に戦国の美しさが現れている.
仲代達也が古田織部の役なんだが,なんとも恰好良い.「大地の子」や「秀吉」の仲代達也も良かったが,この「豪姫」の仲代達也も,実にかっこいい.