定点観測に某ディスカウント店に行った。なんと、「いつものお米」5kg が 200円値上がりして 3680円になっていた。このタイミングで値上げ?どういうことなのか。イオンのカルローズ米も売っていた。こちらも余り気味。どうしてみんなイオンのカルローズ米を買ってあげないのだろう。備蓄米を売り出したら徹夜して並ぶくせに。結局こうした消費者心理のせいで米の値段は上がってしまうのだとしか言いようがない。

コーヒーもトップバリュの ChillBreakはあるんだが 1kg ではなくて 200g くらい?のもので、非常に高い。

コーヒーにせよ玉子にせよ、二度と安くはならないような気がする。国産米ももう二度と昔の価格には戻らないのではないか。

で、結局何も買うものがなく、トイレットペーパーを備蓄用に一つ買っておいた。

追記。某ドラッグストアに備蓄米が売られていた。私は備蓄米が売られているのを初めて見たのだが、販売者のところにシールが貼ってあり、どうもこれは、アイリスオーヤマが売り出した備蓄米の転売のように思われる。安いといえば安いがアイリスオーヤマが 5kg で 2000円で売っているのに比べるとかなり高い。アイリスオーヤマのネット販売は数量制限などかけてないらしく、転売ヤー(?)が買い占めたものを利ざやつけて売っているようにみえる。どうもこれを買うのは負けな気がした。

都議選

いろいろと面白すぎる(笑)

さとうさおりさん。普通にすごい。好きか嫌いかといわれれば微妙。深田萌絵さん的なキャラだよな。二人とも非常にあやうい感じだけど、どんどん世の中を引っかき回せば良いと思う。冷静に考えれば今回たまたま一都議になっただけだ。歴史上都議や府議や県議になった人なんて何万人もいる。まだその一人になったに過ぎない、とも言える。だけど普通の都議よりは期待値は高い。

さとうさおりさんといえばつい最近もクラファンで参院選の供託金集めようとしてたよな。たしか今年、千代田区長選挙で江戸城の天守閣再建を公約にしてたよね。もとはといえば菅義偉が言い出したことらしいが。それについては最近 twitter にも書いたのだけど、

2024年12月5日
江戸城再建(笑)

菅義偉が天守閣を再建しようって言ったのか。それで300億円くらい?
午前2:02 · 2024年12月5日

2024年12月5日
せっかくなので本丸とかもろもろも再建しよう。

2024年12月5日
ていうか江戸城を再建するんなら天守閣は無しのまま本丸だけ再建するのが筋なんじゃないの。
天守閣だけあって本丸は無い状態なんて江戸時代には一切なかったわけだし。

2024年12月5日
ついでに首都高を撤去してお濠も昔通りの姿にしようよ。

2022年8月10日
城(特に華美な天守閣)は贅沢品なので、戦時でなければ、財政負担を減らし領民を慈しむためにも、火事や雷で焼けたら再建しないっていうのが善政、という認識があったからではないかね。
江戸城の天守閣などもそう。むしろあるべきところに無いのが平和と治世のシンボルみたいなところあったと思う。

ま、だから、さとうさおりさんが減税党などというのであれば徳川幕府の精神を受け継いで、天守閣は建てないままにして、本丸などを復元して、博物館代わりにすれば良いと思うよ。天守なんてものは織田信長が発明したただのはったりに過ぎないよ。江戸城の価値はあの壮大な縄張り、内堀に外堀にある。だから本気で江戸城を再建しようと思うなら外堀を復活させないと。

天守再建に300億円かかるとして本丸を再建するにはたぶんもっと金がかかる。外堀復活にはもっと金がかかる。しかしそれ以上の観光収入があれば問題無いわけだよな。これ以上東京に観光客が来られても困るがね。だからまず首都移転を先にやって、首都高もみんな撤去して、外堀を復活させて、江戸城を江戸時代のままに戻す。それがほんとうの保守だよ。

さとうさおりさんみたいに積極的にガンガン選挙に立候補してネットに露出していれば今の時代けっこう効き目があるってことなんじゃないのかな。

自民の票が、大阪では維新に、東京では都民ファーストに流れて、全体的にばらけてきていて、ネットに露出している個人(元NHK党やその他のいわゆるネット政党などを含めて)が当選するケースが増えている。以前は自民がダメだから民主に流れたりしたがそれじゃダメだったことがわかったから、自民がダメなら分散するという傾向になっているように思える。私だって今の自民党には入れたくない(笑)。でもその代替で民主党にはもっと入れたくない。となれば第三の選択肢になる、しかない。自民がふがいなさすぎるのがよくない。自民が割れて政党が再編されるまでいってほしい。

自民党は保守とは言っているけども薩長政権がやったことを保守しようと言っているだけで、徳川幕府なんかがやってたことを保守しようと言っているのではない。今のネットウヨなんかはもっと混乱している。何を保守なきゃいけないかってことがわかってないように思える。もちろん明治政府は良い仕事もした。徳川の治世にも問題はあった。どれが良くどれが悪いと取捨選択すること自体が難しい。革新は古いものは全部ダメだといえばそれで済むから簡単だ。わかりやすい。それが良いかどうかはともかく。いっぽう保守は難しい。難しいにもかかわらず、革新と同じノリで、簡単にこれは保守しましょうというのが好きになれない。人は足利幕府のダメだったところしか見ない。室町時代は文化芸能だけが栄えて発展したなどと軽々しく言う。そんなことは全然無い。あの無茶苦茶な後醍醐天皇、南北朝にしても、ある種の、痛みを伴う改革だったと言えなくもないし、その反省から出てきたのが足利幕府で、あんまりうまく機能しなかったけれど当時としてはそれなりに成果は残したと思う。

ていうような話を司馬遼太郎なんかはまるでわかってないし、坂本龍馬好きな連中もわかってないし、いわゆる保守とかネトウヨという連中はみんなそのたぐいだから、保守は好きだけど保守と言われているもしくは自称している連中は好きじゃない。リベラルとかパヨクに対抗するためにネトウヨはある程度いるほうが良いと思うが、ネトウヨとは歴史認識が違うから賛同できない。

ともかく政治資金をクラファンで集めるのが主流になり、ネットで名前を売り人に知られさえすれば議員になれるとしたら、もはや自民党のような政党は不要で、タレント議員みたいにマスコミを踏み台にして有名になるまでもないということになるわな。

世間一般では、きちんと歴史を勉強して、和歌が詠めるようになってから保守になるのではない。そんな保守いるわけない。私だって子供の頃は歴史も知らなかったし和歌も詠めなかった。ただ保守の表面ではなく根っこのほうに興味があって好きだったから続けられたというのはあると思う。

それはそうと和歌についての本を書き終えてもうだいぶ経つ。和歌のことばかり考えていると和歌のことがわかるようになり歌も自然に詠めるのだが、歌にばかり集中してるわけにはいかないし、飽きも来る。他のことに集中し出すととたんに歌が詠めなくなる。詠もうと思って詠めないことはないが時間がかかるし、頭を無理矢理切り替えなくてはならない。良いものも出てきにくい。和歌が詠める人というのは要するに毎日和歌のことばかり考えて毎日歌を詠んでいる人なのだ。作曲も同じで、作曲のことばかり毎日考えているとそのうちそれらしきものが少しは作れるようになる。しかししばらく離れているとまた作れなくなる。研究も同じだな。ずっと研究し続けてないと研究はできなくなってしまう。ブランクが長ければ長いほどリハビリに時間と努力を要する。

ましかし、それで客観的に、冷静に、自分が書いたものを読めるようになるのは良い。

追記: やはりいよいよテレビの影響力が落ちて、ネットがそれに置き換わっていて、自民党はなんだかんだ、マスコミには攻撃されてはいても、与党であるからにはテレビへの露出は一番大きく、それが票につながり、組織票につながっていたのだろう。逆に自民党はネットの基盤がまったくない。今の若者なんて youtube どころか、tiktok や instagram なんかのショート動画しか見ない。タレント議員はノリがテレビタレントなのだろう。そういうものを今の若者は古くさいと感じるのかもしれない。

買い急ぎ

またまた浅草のアジトに戻ってきて、備蓄米でも買ってみようかと吉原のビッグエーに行ったところ、イオンのカルローズ米しか売ってなかったので、仕方なくこれを買った。すでにまいばすけっとで買って食べたことがあるので、他の違うやつが食べたかったのだがしかたない。この「かろやか」だが、普通に旨い。冷えてもそんなにまずくはならない。この品質で、ブラインドテストで品種や銘柄を当てられる人がいたら見てみたいものである。

ただし米粒の色や形が微妙に違うので(左が国産ブレンド米。丸くて少し黄色くて大きい。左がカルローズ米。やや細長く、白く、小粒)。

江藤拓(前)農水相が

ご家庭を守ってらっしゃる主婦の皆様が不安に駆られ、買うコメの量を増やしている。そのためコメの価格が上昇し、品不足になっている

などと発言して更迭されてしまったのだが、これは私が以前、米不足近況などで書いたことと同じだ。江藤氏はさらに米の不作についても否定している。大臣ともあろう人が何も根拠が無くてそういう発言をするはずがない。彼自身は売られている米を買ったことがないという。それは親戚に米農家がいれば普通のことだ。私も、米が余っている年、つまり米の価格が安い時には、30kgの米袋をただでもらったりしたことがある。彼は個人的に親しく農家の実態を知っている上でああいう発言をしたのだ。それをマスコミに揚げ足を取られて、更迭に追い込まれてしまった。農家の実感とマスコミの思い込みは明らかに乖離している。

マスコミ向けの記者会見だったからマスコミ批判はしたくてもできなかっただろう。マスコミは真実はどうあれ大臣の発言は叩くのが社会正義だと信じ込んでしまっている。しかしながら、マスコミの煽りが米不足の一因になった、という反省がマスコミ側からまったく出て来ないのは不誠実というべきではないか。国家的な危機においてマスコミがまったく役に立たないどころか逆に危機を増大させていることが今回再び明らかになった。かつ、消費者は自分たちが一番の原因だという反省をすることもない。消費者が、一般大衆が聞く耳持たぬということはあるまい。一部識者による分析が語られていないわけでもない。知識の送り手と受け手が何者かによって壟断されている。これでどうやって今後の対策の検討につなげていくことができようか。マスコミはおそらく薄々わかっているに違いないのに消費者の無知につけ込んで消費者を煽りヒステリックにさせて政治家を陥れて世間の注目を集めようとしている。ジャーナリストが死んだ後に落ちる地獄というものがきっとあるに違いない。

木徳神糧「ステークホルダーのみなさまへ」では米高騰の原因を

記録的猛暑や豪⾬による収穫量の減少や、⽣産コストの上昇、インバウンドを含む消費の増加、ひっ迫感を受けた買い急ぎといった複数の要因が重なり、安定供給に対する不安が増⼤した現象があるものと考えられます。

などと分析している。要するに、主たる原因は、消費者による「逼迫感を受けた買い急ぎ」なのである。それをあからさまに言うと批判を受けるから、しかし事実を伝えようとしてこのような表現になっている。本来無知な(情報弱者、または一次ソースと無縁な生活をしている人たち、とでも言うべきか)庶民が勝手に逼迫感を抱くはずがない。逼迫感を煽った犯人がいるはずだ。「ご家庭を守ってらっしゃる主婦の皆様が不安に駆られ」るようにさせたのは誰か。自明ではなかろうか。

米卸が意図的に値をつり上げたことはなかったのに違いない。単に市場原理に米価を任せただけだというのも事実であろう。消費者が買い急いで買いだめして値段が上がっているのは市場原理によるもので、売り手はできるだけ安く仕入れて高く売りたいに決まってる。それ以外のことはできようがない。

トイレットペーパーだってコロナのときのマスクだって消費者がちょっとでも買い急ぎ、買い溜めすれば流通はあっという間に破綻するのだ。そんなことはこれまで何度も経験してきたことではないか。私の親戚にも一部屋まるごとティッシュペーパーやトイレットペーパーなどの備蓄に当てている人がいるのだが、それが消費者というものだろう。

備蓄米だが、おそらく国に備蓄米として買い取ってもらっているのは、米を作りすぎて、市場に出すと米価格が下がって儲からないからであろう。銘柄米として人気があって高値で売れるような米をわざわざ備蓄米として国に提供するなんてことはないはずだ。

米の品質が良くないので備蓄米に回しているのではないかとも思ったが、そういうこともあるかもしれないが、ごく普通の米を普通に作って余ってしまったから備蓄米にした、というケースが多いのではないか。そうした米は多少古くとも、保管状況が良ければ普通に食べられるのではないかと思う。本当に食べて旨くない備蓄米は最初から飼料用に回すのではなかろうか。そういう本音のところをちゃんと調べて報道してくれるマスコミはいないのだろうか?

日本の米農家はもう、高く売れる一部の銘柄米だけ作るしかないと思う。市場競争力の無い米を作っても仕方ない。私は普通の米の味に満足しているからわざわざ高い銘柄米を買う気はない。日本の農家が普通の米を作らなくなるとしたら外米を食うだけのことだ。国産米にこだわる気など無い。そんなことには何の根拠も必要性もない。

日本食はなるほど旨いとは思うけど、その中で銘柄米と和牛にこだわる気持ちは私にはない。どちらも高級志向だが、別に私は牛肉や米に一定水準以上の品質や高級感、ましてブランド力など求めてない。沢庵や梅干しだって高いから買うのではない。スーパーに売られている普通の梅干しや沢庵が安いから買わないのでもない。

私は、備蓄米を放出して強制的に米の価格を下げる、というのは決して良くないことだと思っている。外米を民間企業が輸入して、市場に流通する米の量を増やせば自然に米の価格は安定したはずだ。しかし日本人は国産米にこだわりが強すぎる。もはやそんなものにこだわる理由などないということは(ツイッターも含めて)何度も書いたつもりだ。結局消費者が、日本人が自分で自分の首を絞めていて、それをマスコミが煽っているというのが現実だ。だから多少高い米を黙って食えばいいのだ。

レギュラーコーヒーの高いのはそれとはまったく違う別の理由だ。これも困ったもんだ。

三社祭のハッピイオン外米米の値段いつもの米ベトナム米

沢庵なのだが、真ん中辺りはうまいのだが端っこが歯ごたえがなくてうまくないというものがある。これは困る。どこの何とはいわないがこれからは買わない。

二宮金次郎の沢庵

内村鑑三は二宮金次郎について「後世への最大遺物」にも書いているし、「代表的日本人」にも書いている。その影響を受けて私も、二宮金次郎が菜種を植えた川の土手に架かっている菜種橋を見に行ったり(正確には油菜(アブラナ)橋かもしれん)、金次郎の生家やら尊徳記念館を見に行ったりもした。金次郎が柴狩りした山に登るツアーにも参加したりした。もちろん小田原城下にある二宮報徳神社にも行ったし、報徳博物館にも行ったのである。

ところで二宮金次郎と沢庵の話なのだが、ある若者がやっとのことで金次郎に弟子入りして、金次郎の下で修行を始めた矢先、金次郎が彼に沢庵を切らせたところ、ちゃんと切れてなくて一つながりになっていたので、金次郎はこの若者を無慈悲にも破門にした、というのである。

どうもこれはおかしい。苦労人の尊徳翁ともあろう人が、弟子入りしたばかりの若輩者で、まだ世の中のことを右も左も知らないうちに、いきなり問答無用に、沢庵ごときで破門にするというのは、ちょっと考えにくい。厳しく叱り、教え諭すということはあっても、たかが一度の失敗でおまえはダメ人間だと決めつけ、いきなり前途ある若者からチャンスを奪うなどということはあり得ないと思う。おそらく二宮金次郎に対して悪意あるものが話をねじ曲げているのではないか。金次郎は厳しい指導者ではあったかもしれないが、尊大で傲慢な権威主義者、専制君主ではなかったはずだ。

それでいろいろ調べていくと元ネタはおよそ二つに絞られてきた。一つは明治41年8月に出た「二宮翁逸話」、そして同年11月に出た「報徳之真髄」。いずれも留岡幸助 編で警醒社から出ている。なんとこの人、同志社を出たキリスト教徒である。二宮金次郎はキリスト教徒に人気が高かったのだろうか。

柴田順作(権左衛門。堅節とも)という人がいた。金次郎の27才年下である。順作は駿河国で製紙業を営む富豪の息子で取れ高八百石の田を持ち、五万両の金も貯めていたが米相場に手を出して破産した。それでも貸した金が八百両ばかりあったのでそれを取り立てようと親類が世話をしてくれたのだが、貸した相手が百八十人ばかりもいて、彼らから貸金を取り立てるとどうしてもその中から二人や三人は自殺者が出るだろうと思って、親類には猶予を願い出て、小林平兵衛という知人を訪ねたら、この人が熱心な報徳主義者で、二宮翁のところへ連れて行かれたのだそうだ。それで「二宮翁逸話」によれば

順作はつらつら思ふのに一旦国に帰らば決心が崩るるに相違ないといふので、二宮翁の台所に居る浦賀の宮原瀛洲といふ人の助手となって、翁には内緒で三年の間炊事をしつつ報徳の道を学んだ。さうして遂には翁の黙許を得て時々その給仕に出たことがある。で或る時、翁の言はれるのに「お前はかういふ人間だからいけない」と言ふて香の物の切れかかったのを箸で挟んで「この通り全く切れて居ない。切るならばシッカリ切るがよし、切らぬならば切らぬがよし、切ったでもなく切らないでもなく中ぶらりして居るから失敗するのである」と言はれたことがある。その後順作は当時のことを思ひ出しては「あの時くらいつらかったことはなかった」と一つ話にしたと言ふことである。

また「報徳之真髄」によれば

さて柴田氏は陣屋の炊夫となって居った事が四年、その間にひどく叱られた事が一つある。それは或る日食事の時、香の物の切り方が悪かったことで、翁がその香の物を食べやうとして箸で挟みあげると、切り方が充分でなかったので、一切れつながって釣り下がった。翁は大そう立腹して、「権左衛門、この切り方はなんだ、切ったのか切らないのか、こんなふうだから貴様は財産をなくしたのだらう。この切り方には心が入って居ない。こんな不親切な切り方をしては食べない」ときつく叱られた。氏は平身低頭詫びたけれども、到頭翁はこの時食事を中止してしまったさうである。

だからもともと若者をいきなり破門にした話ではなかったのだ。そして「沢庵」で検索してもなかなか出てこない。「香の物」でなくてはならなかったのだ。

最初から切って売られている沢庵はたいていうまくない。だから私は切れてない沢庵を買ってきて自分で切って食べている。沢庵を切るときは二宮金次郎の逸話を思い出し身の引き締まる思いがする。切れてない沢庵だからといってうまいとは限らない。沢庵はほんとうにむずかしい。

金次郎は、沢庵は三年ものの、すっぱい古漬けしか食べなかった、などとも言われる。しかしながら夏に茄子を食べて秋なすの味がするので冷夏が来ることを察したなどという逸話もあるから、沢庵だけでなくて茄子の漬物も食べたのに違いない。漬物はなんでも食べたに違いない。漬物は三年物の沢庵しか食べない、などというはずがあろうか。古漬けでも浅漬けでも食べたに違いない。

以下「後世への最大遺物」より。

二宮金次郎氏は十四のときに父を失い、十六のときに母を失い、家が貧乏にして何物もなく、ためにごく残酷な伯父に預けられた人であります。それで一文の銭もなし家産はことごとく傾き、弟一人、妹一人持っていた。身に一文もなくして孤児です。その人がドウして生涯を立てたか。伯父さんの家にあってその手伝いをしている間に本が読みたくなった。そうしたときに本を読んでおったら、伯父さんに叱られた。この高い油を使って本を読むなどということはまことに馬鹿馬鹿しいことだといって読ませぬ。そうすると、黙っていて伯父さんの油を使っては悪いということを聞きましたから、「それでは私は私の油のできるまでは本を読まぬ」という決心をした。それでどうしたかというと、川辺の誰も知らないところへ行きまして、菜種
なたね

いた。一ヵ年かかって菜種を五、六升も取った。それからその菜種を持っていって、油屋へ行って油と取換えてきまして、それからその油で本を見た。そうしたところがまた叱られた。「油ばかりお前のものであれば本を読んでもよいと思っては違う、お前の時間も私のものだ。本を読むなどという馬鹿なことをするならよいからその時間に縄を
れ」といわれた。それからまた仕方がない、伯父さんのいうことであるから終日働いてあとで本を読んだ、……そういう苦学をした人であります。どうして自分の生涯を立てたかというに、村の人の遊ぶとき、ことにお祭り日などには、近所の畑のなかに洪水で沼になったところがあった、その沼地を伯父さんの時間でない、自分の時間に、その沼地よりことごとく水を引いてそこでもって小さい
くわ
で田地を
こしら
えて、そこへ持っていって稲を植えた。こうして初めて一俵の米を取った。その人の自伝によりますれば、「米を一俵取ったときの私の喜びは何ともいえなかった。これ天が初めて私に直接に授けたものにしてその一俵は私にとっては百万の価値があった」というてある。それからその方法をだんだん続けまして二十歳のときに伯父さんの家を辞した。そのときには三、四俵の米を持っておった。それから仕上げた人であります。それでこの人の生涯を初めから終りまで見ますと、「この宇宙というものは実に神様……神様とはいいませぬ……天の造ってくださったもので、天というものは実に恩恵の深いもので、人間を助けよう助けようとばかり思っている。それだからもしわれわれがこの身を天と地とに
ゆだ
ねて天の法則に従っていったならば、われわれは欲せずといえども天がわれわれを助けてくれる」というこういう考えであります。その考えを持ったばかりでなく、その考えを実行した。その話は長うございますけれども、ついには何万石という村々を改良して自分の身をことごとく人のために使った。旧幕の末路にあたって経済上、農業改良上について非常の功労のあった人であります。

この著書の中で

『少年文学』の中に『二宮尊徳翁』というのが出ておりますが、アレはつまらない本です。私のよく読みましたのは、農商務省で出版になりました、五百ページばかりの『報徳記』という本です。この本を諸君が読まれんことを切に希望します。

などと内村鑑三が言っているので、国会図書館デジタルコレクションで見てみると(初期のスキャンらしくて汚くて困る。国書データベースのものが綺麗)、なんと幸田露伴が書いていて、確かに内村鑑三が「つまらない」というのが良くわかる、子供を啓蒙しようとやたらと図版が入ってるが面白くもおかしくもない、やけに堅苦しい、幸田露伴らしい文章だ。「報徳記」の方は、内村鑑三が言っているのは、明治19年に出た「正七位富田高慶述 報徳記 全 農商務省版」のことであろう。しかるにこれは

茲に二宮金次郎尊徳先生の実績を尋るに、歳月久しくして其の詳細を知ることあたはず。且つ、先生は謙遜にして自己の功績を説かず。いささか邑人の口碑に残れりといへども、万が一に及ばす。

といったような文体で、味わいはあるが、今の人にはちと読みにくいのに違いない。しかし現代口語訳がいくらでも出ているのでそっちを読めばとりあえず用は足りるだろう。

大野晋が『日本語で一番大事なもの』で森鴎外を「あんな下手な擬古文はありゃしないですもの。」などと言っているのだけど、鴎外の「舞姫」など見ると、やはり幸田露伴と同じで実に面白くない。つまり、露伴も鴎外も漢文の素養はあるが、和文がからきしダメなのだと思う。大和言葉というものに対する感覚、感性が全然ダメだと思うのだ。文法は正確だけれども砂を噛むように味気ない。漢学ばかりやって和学をやらない武家などにありがちなのだろう。だからああいうとてつもなく退屈でつまらない文章になる。鴎外も「阿部一族」などは基本的に口語で書いているからまだ読みやすく面白い。「舞姫」みたいな文体でドイツ女に惚れられたなんて話を書いたって面白いわけがない。

幸田露伴はしかし大町桂月なんかと一緒に「日本外史」の現代語訳などを監修したりして、そういう仕事は実に立派で面白い。鴎外は東大の医学・文学博士で、露伴は東大の文学博士だからああいう文章になるのだろう。夏目漱石が死ぬまで博士の学位を嫌がったのも、ああいう連中と一緒にされたくないという気持ちがあったからかもしれん。

ところで二宮金次郎が描かれた絵を見ると素足にわらじを履いている。わらじというのは編み上げブーツのように藁の縄で足をぐるぐる巻きにするものだ。国定忠治なんかはみんな足袋と脚絆で足を固めてその上にわらじを履いている。

いや、昔の人は足の皮が厚かったから平気だったのだろうと思うかもしれないが、小田原辺りは山に入ると蛭が多かったはずだ。そんなところへ裸足で入ってはひとたまりもない。素足にわらじ履きというのはとても信じられない。渡世人なんかは多少金がかかっても足回りには万全の対策をしていたのではなかったか。

もしかすると田んぼで田植えというような場合は素足にわらじであったかもしれない。旅に出たり山登りをするようなときは足袋にわらじであったかもしれない。また里山などはよく整備されていて蛭が出ることもなかったのかもしれない。

梅干し

小田原駅前に「ちん里う本店」という店があって、そこに天保5年に漬けた梅干しが展示してあった。

少し調べてみると、日本最古(世界最古)の梅干しは天正5 (1576)年のものであるという。

ちん里うの梅干しはどれもちょっとお高め(とはいえ都内の百貨店の食品売り場よりはずっとリーズナブル)。5年干しのものを買ってみた。

だるまという料亭に行った。ここはたぶん2度目だと思う。おみやげに800円の梅干しを売っていたから買った。これはたぶん、店で食事をした人向けにかなりお得な値段設定になっていると思う。だるまは明治26年創業ちん里うは明治4年創業らしい。

家に帰り、だるまとちん里うの梅干しを食べ比べてみた。ちん里うは、古漬けだけあって味わいが濃く深い。だるまはたぶん去年漬けたものだろう。味わいは浅いがうまい。

単純でさっぱりした味が良いか、複雑でコクのある味が良いか。どちらが好きかとは言えないが、ふだん気軽に食べるには味わいが浅くてうまい梅干しのほうが食べやすいかもしれない。

ともあれ小田原に行ったら、金目鯛の干物やかまぼこよりは梅干しを買うべきだと思う。良い梅干しというものはそんなにどこでも手に入るものではない。曽我梅林は地元では別所梅林と呼ばれている。

水戸の偕楽園にも梅林があって、やはり梅干しを作っているらしい。一度食べてみたい。

HP Wolf Security

HPのPCはHP Wolf Security というセキュリティソフトが勝手に入っていて、こいつが勝手にネットからダウンロードしたMicrosoft Wordファイルを保護モードか何かで開くようにしてしまい、まったく使い物にならないので、脅威からの保護というやつを無効にするのだけど、PCを再起動するたびに勝手に有効にしてしまい、アンインストールすることにしたのだが、以前のバージョンを先にアンインストールしないと現在のバージョンはアンインストールできないなどという。

しかしWindows のアプリ一覧には以前のバージョンなどというものはでてこない。

それで仕方ないんで、インストールとアンインストールのトラブルシューティングとかいうツールを落としてきてアンインストールしようとすると、アプリ一覧には出て来なかった wolf security の chrome 拡張だのなんだのというのがわらわら出てきたので、そいつらをひとつひとつアンインストールしていった。

途中突然再起動したりもしたが、最終的に全部アンインストールできた。

私は小説などの原稿は全部 google drive に置いている。それを落とすたびに HP君が余計なことをするのでもう我慢の限界だった。

沢庵

日曜日の浅草は観光客が多すぎてほんとうに苦痛だ。駅の改札を通れないで立ち往生する人、道の真ん中に固まってどっちへ行こうか思案している人、スマホを見ながらだらだら歩く人。こちらも観光気分で何かまだ見落としているものでもないかなと物色する気分の時は良いが(実際浅草というところはそんな簡単に見尽くせるところではない)、普段道を歩く時と同じ感覚で歩くととにかく精神衛生に悪いから近寄らないほかない。

上野のヨドバシで品物を取り置きしてもらい、散歩がてら上野まで歩く(40分くらいか)。私がここらをくまなく散歩して回れるのも浅草に部屋を借りている数年限りだから、せっせと見て回ろう、などと思う。途中下谷神社に寄る。正岡子規の碑が立っていた。

寄席はねて上野の鐘の長夜かな

下谷神社が寄席発祥の地であるという。上野の寄席とは鈴本演芸場のことだろうか。寛永寺の鐘であろうか。暮れ六つの鐘であったろう。長夜は秋の季語なので、早く日が暮れてしまい、これから長い夜が始まる、というような意味合いであったか。それとも当時すでに西洋式に18:00に暮れ六つを打っていただろうか。

上野の博物館は異様に混んでいる。特に西洋美術館がいつもとんでもなく混んでいて建物の外まで行列しているがあれはショップに並んでいるのかもしれない。今はミロ展の最中で、こないだはモネ展だったが、とにかくモネだかミロだかのグッズをどうしても買わねば気が済まない人がたくさんいるらしい。とりあえず上野の博物館群は人の多さにあきれて素通りした。

天海僧正毛髪塔というものがあった。この天海というやつが家康をたぶらかしておかしな宗教にはまらせたのだ。

上野松坂屋地下食品売り場で沢庵を買った。それから吉池でカマスの一夜干しとかメザシのようなものを買った。吉池は地上部分はユニクロ化してしまったが地下の食品売り場はすばらしい。浅草のいかなるスーパーよりも吉池のほうが良い。御徒町に来たら吉池に寄って晩御飯の支度をするべきだ(これからの季節、保冷剤は持参したほうが良いかも)。

沢庵は難しい。宮崎県産の沢庵は好きだ。野崎漬物、道本食品のは安心して買える。しかし九州の沢庵はどうも甘味が気になる。甘味料を入れないか、もっと減らすわけにはいかないのだろうか。と思って和歌山産や山形産の沢庵を買ってみたのだが、山形のやつ「田舎たくあん」は販売者が山形の晩菊本舗三奥屋だが、製造所はキムラ漬物宮崎工業株式会社で、キムラ漬物は愛知県の会社である。甘味は強くない。おいしい沢庵なのでこれは良しとする。和歌山の沢庵は甘くはないがすっぱい。漬物が乳酸発酵してすっぱいのはよくあることなんだが、私はすっぱい沢庵が食べたいわけではないのである。熱海の七尾たくあんも甘くはないが、かなりすっぱく、しかも固い。もしかするとそういう沢庵が本格派なのかもしれないのだが、私が食べたいのはそういう沢庵ではないのである。

なんというのかな。私が食べたい沢庵というのは、色も白っぽくて、塩分もそんな高くはなく、しゃりしゃりした浅漬けのような歯ごたえではなく、きちんと漬かっていて、しかしながらあまり筋っぽくもなく固くもなく、砂糖など甘味料はいっさい使ってないものが食べたい。食塩とぬかと大根だけで作られたものが(もし現代にそんなものがあるなら)食べてみたい。煮干しとか昆布だしとか鰹だしとかそんなものは入れてほしくない。どこかにそんな沢庵は無いものか。燻製にしたいぶりがっこは好きではない。壺漬けもべったら漬けも好きではない。

沢庵というのは沢庵和尚が発明したのだろうか。となると江戸初期、家光の時代だ。当時の沢庵とはどんな味だったのだろうか。沢庵に適した白首大根を大量に生産しているのは宮崎や鹿児島くらいらしい。つまり、消費者に近い関東などでは生食用の青首大根を、消費地から遠い九州南部などではあまり一般的ではない漬物用の品種をもっぱら栽培している(かつ南国なので育ちやすい、火山灰の砂地で育ちやすい?)、ということではないか。となるとその他の地域の漬物屋でも大根は宮崎産を使ったり、全国展開するような大きな漬物屋は宮崎に工場を作ったりするのかもしれない。

沢庵にこだわりのある人というのはごく一部で、老若男女、特に子どもが食べるのには柔らかくて甘い沢庵が好まれるのだろう。私も子どものころはそうした沢庵を食べていたのかもしれないが。スーパーに売られている量産品はみんなそんなやつだ。

伊勢沢庵は名高いけれども東京ではほとんど売られていないようだ。沢庵は結局、百貨店の食品売り場などをしらみつぶしに探してみるしかなさそうだ。

6月6日になってイオン(まいばすけっと?)が外米を売り始めたらさっそく買うつもりだ。実に待ち遠しい。

イオン外米

イオンが4kg税抜2680円でカリフォルニア米「かろやか」を売るそうだが、私が普段ビッグエーで買っているブレンド米やベトナム米よりも安い。発売開始が6月6日というのも、絶妙のタイミングだ。ほんとはもっと安く売れるのだろうけど、値下げ競争が始まるまではできるだけ高値を付けて売りたいというのが本音であろう。

イオンはかつて日本の小売業者を敵に回して懲りている。米の価格が高止まりしているのはイオンに錦の御旗を与えた。イオンの外米を食べて、なんだ普段食っている国産米と違わんじゃないかとなれば、消費者に長年かけられていた呪いがやっと解ける。みんな悪夢から覚めたように外米を食べるようになるだろう。

そうすると結局国産米は今の和牛と同じ運命をたどる。高級銘柄米だけが残って、一部の金持ち、一部の好き者だけが食べるようになり、海外にもばんばん輸出されるようになる。米の値段なんて原価全体からすればたかが知れてるから、旅館や料亭などが国産米を売りにしたからといって別段困ることもあるまい。価格に転嫁すれば済む話だ。今時その程度の金を使いたがるやつはいくらでもいる。

高級銘柄米を作れない農家、或いは補助金に依存する零細兼業農家は淘汰されて農地の整理統合が進み、稲作も多少は合理化されるかもしれん。あまり悪いところが見当たらない。

米は2kgの上はいきなり5kgでその上は10kgでしか売ってない。10kgを3ヶ月くらいで食べきるのであれば10kgを買えば良さそうに思える。イオンは2kgと5kgの間の空白を狙ってきたとも言える。ともかくいろいろと計算尽くで「かろやか」を投入してきている。

ましかしこんなことは私が今更指摘しなくても米業界ではとっくにわかっていたことだ。なるべくしてなるようになる。米は日本人の主食で安全保障上国産しなくてはならないなどという嘘八百はもう通用しない。

ワークマン最強

ソラマチ、またの名を tokyo skytree、またの名を押上、というところに行った。

ソラマチ、大層な名だが、東武百貨店もしくは東武ショッピングモールと思えばなかなか使える施設である。ららぽーとやイオンモールなんかと比べても優秀だと思う。というのはやはり立地が良いから、立地が良ければ人も金も店も集まるわけだ。郊外型の(車でアクセスする)モールとはひと味違う。開発の余地がもうほとんどない浅草と違い、ほとんど一から開発したこのソラマチは、乗換駅としては最悪だが、買い物をする場所としてはかなり理想的、というか、浅草を補完する存在として非常に便利だと思う。

浅草自体が今日の東京の中では東に偏りすぎている。新宿より西に住む人にとって東京の西の果てはせいぜい銀座までであって、新幹線に乗るには品川か新横浜までいけば十分であり、羽田に行くには京急に乗れば良く、東京や上野、浅草なんかまでいこうとはしない。

しかしながら拠点を東側に移してみれば全然東京の見え方は違う。東武は浅草と日光を押さえているからどう考えても安泰である。そこにスカイツリーが建ってソラマチを開発して、浅草と緊密に連携させれば未来は明るいと思う。人口の稠密さ、商圏としては、新宿より西、世田谷辺りに勝るとも劣らないと言える。

ソラマチにはワークマン女子がある。靴2足とズボン1本(アスレシューズハイバウンスエヴォ27cmネイビー、トレックシューズエンリル27cmメサグレー、ワイドフィットパラシュートカーゴパンツグリーン)を買っても、某靴屋でスニーカー1足買うよりか安い。品質はユニクロや有名国産靴メーカーにも劣らない。これはもうユニクロ一択ではなかろうか。ワークマンは東京スカイツリー駅改札の真ん前の1Fにあり、浅草辺りから歩いてくる、もしくは東武浅草駅から来る人には至極便利である。しかしながらソラマチの中でははずれであって、ここにもまたワークマンのポリシーを感じる。

ソラマチには成城石井は無いが代わりに北野エースというよく似た店があって、ここで塩だけで漬けた梅干しや道本食品の沢庵など買えるのでとりあえず私としてはほぼ用が足りる。ある意味で上野よりも便利かもしれない(北野エースは松屋浅草にもあるようだ)。

例によってビッグエー吉原店にも行って、例によって神明 あかふじ「いつものお米」5kg 3480円を買った。今まで米が安すぎたとはいえ適正価格は 2000円くらいだと思うが、まあ仕方ない。この米アマゾンでは売り切れてるし、ヨドバシで買うと税込みで 4780円もする。何がいったいどうなっているのだろうか。

東武ストアで丸干しイワシを買って焼いて食う。最近は頭もまるごと食べる。そのほうが絶対旨い。

徒然草

「わたしは度たびこう言われている。―「つれづれ草などは定めしお好きでしょう?」しかし不幸にも「つれづれ草」などは未だ嘗て愛読したことはない。正直な所を白状すれば「つれづれ草」の名高いのもわたしには殆ど不可解である。中学程度の教科書に便利であることは認めるにもしろ。」と芥川龍之介は言い放ち、渡部昇一はこれについて「芥川龍之介にはずいぶんと嫌われたものですな。芥川の言葉は若い文学青年の心をとらえるけれども、古希も過ぎ、喜寿も過ぎた者が見ると、何と生意気なことを言っていることか(笑)。いま読んでみると、やはり芥川は若い。全然わかってません、」などと評している(谷沢永一、 渡部昇一『平成徒然談義』)。共著者の谷沢永一は、もう少し冷静に芥川龍之介を理解しようと試みている。『徒然草』には教訓的な話が多く、物語性が強いので芥川がカチンと来たのではないか、自分なら説話物を元にもっとうまく書いてみせる、せっかくの材料を兼好は生のまま放り出している、などと言っている。

徒然草が名高いのは芥川も認めている。中学(今日における高校の文系、もしくは大学の教養課程程度、と読み替えてもよかろう)の教科書に使われていてそれなりの効用があることも認めている。「名高い」のが「殆ど不可解」とは(世間の評判はともかく)文芸作品として高い評価を受けていることが理解できない、という意味合いで言っているのだと思う。

芥川はだから、一種のメジャー嗜好を嫌っているだけだと思う。メジャーなものだけを持ち上げてマイナーなものには価値がないというような考え方が嫌いなのだ。既に有名になったものをさらに褒めても仕方ない。むしろ無名だが価値あるものを掘り起こして世に知らしめる方が徳が高い、と考えているように思えるのだ(もちろん私もそう思う)。

試みに京都書房『新訂 国語図説 三訂版』という学習参考書を見てみると、『枕草子』に二ページ、『徒然草』に三ページを費やしているのに対して、近松門左衛門、井原西鶴、上田秋成、本居宣長らはそれぞれ一ページ、『折たく柴の記』新井白石や『花月草紙』を書いた松平定信はそれぞれ四百字程度、『西山公随筆』を書いた水戸光圀、『なるべし』を書いた荻生徂徠、『独語』を書いた太宰春台などは一字も言及されていない。ちなみに樋口一葉は二ページ、森鴎外は三ページ、夏目漱石には六ページを割いている。小中高および大学生にとって試験に出るか出ないかということは最重要な指標であり、試験に出ないことはイコール存在しないことに等しい。

私も少年ジャンプみたいな小説を書いてくれと言われたことがある。大河ドラマの原作になるような、そのまま映画化されるような、おもしろおかしい話を書いてくれと言われたことがある。それで書いてみようと思ったがどうしても書けない。そういうメジャーなものを書こうとするときには、自分が書きたいことを抑えて、自分が書きたくないところを膨らませて書かなくてはならない。それが精神的に苦しい。苦しくても仕事と割り切って書けば良いのだが、今まで何度も試してみたが一度もできたことがない。ある映画の批評をもっと褒めておもしろおかしく書いてくれと言われたことがある。やはり苦しい。苦しまずに書ける人は世の中にいくらでもいるのだろう。自分が書きたいものというよりは人が読みたいと思っているもの、書けば金になるものを、精神的苦痛を伴わず、むしろ職業的快感とする人がいくらでもいる。そうした人たちがライターをしているのだと思う。

そうでないライターは幸いにも世の中が読みたい知りたいと思っていることと自分が書きたいことが一致しているのである。

僕は時々かう考へてゐる。――僕の書いた文章はたとひ僕が生まれなかつたにしても、誰かきつと書いたに違ひない。従つて僕自身の作品よりも寧ろ一時代の土の上に
えた何本かの
くさ
の一本である。すると僕自身の自慢にはならない。(現に彼等は彼等を待たなければ、書かれなかつた作品を書いてゐる。勿論そこに一時代は影を落してゐるにしても。)僕はかう考へる度に必ず妙にがつかりしてしまふ。

これは「続文芸的な、余りに文芸的な」に出てくる文章だが、私もまったく同じことを考えたことがある。アインシュタインの相対性理論にせよ、彼が思いつかなくとも、彼よりか半年か一年、せいぜい十年以内に同じことを言う人は現れたに違いない。

渡部昇一は「平成徒然談義」という本を書くにあたり、徒然草を思い切り持ち上げなくてはならなかった。なぜかというに自分の書いた本が売れて評判になるほうが良いに決まっているからだ。そのために彼は芥川を批判し、徒然草以外の随筆(たとえば枕草子)を貶め、或いは徒然草以外の中世日本文芸史を無価値なものとみなそうとした(徒然草を褒めたきゃ勝手にやれば良いのにそれ以外のものを相対的に貶めなくては気が済まないとすればそれはサドだ)。そういうことに特別躊躇なくできる人だったのだろう。芥川龍之介の周りにいた人たちもそうした人たちだった。菊池寛とか中村武羅夫とか。出版業界には基本的にはそうした人たちしかいない(基本的には)。そういう状況ではメジャーなものはよりメジャーになり、マイナーなものはよりマイナーになるしかない。

世人は新らしいものに注目し易い。従つて新らしいものに手をつけさへすれば、兎に角作家にはなれるのである。しかしそれは必ずしも一爪痕さうこんを残すことではない、僕は未だに「死者生者」は「芋粥」などの比ではないと思つてゐる、のみならず又正宗氏自身も短篇作家としては、「死者生者」を書いた前後に最も芸術的ではなかつたかと思つてゐる。が、当時の正宗氏は必ずしも人気はなかつたらしい。

「新らしいものに手をつけさへすれば、兎に角作家にはなれる」とはつまり「芋粥」のことだ。「芋粥」であれば、自分で書かなくてもいつかは誰かが同じようなものを書くだろう、一方、正宗白鳥の「死者生者」という作品は彼を待たなくては書かれなかった。「死者生者」はいまだに不評判だが「芋粥」は幸いなことに人の記憶に残った。そのくらいのことを芥川は言いたいらしい。

芥川には出版業界に対する暗澹たる不満があった。世の中で評判なものをことさら愛読する、ということはしたくない、ということを芥川は言いたかったのではないか。

「死者生者」は国会図書館デジタルコレクションで読めるので読んでみたが、何が面白いのか良くわからん話であった。

そういえば私も「芋粥」のように中世の物語を現代文で脚色してカクヨムに載せていたことがあった。「偽検非違使判官、僧都を欺く事」というもので、せっかくなのでここに引用しておく。

これもさほど遠くはない昔の話だが、奈良の興福寺に説法の上手と名高い、隆禅律師と号する僧都がいた。京都で按察大納言藤原|隆季《たかすえ》が催した法事に導師を勤めて、施主の隆季からたくさんのお布施をいただいて、庫裏《くり》に泊まっていると、外から門を叩く者がある。節穴からのぞいて見ると、そこには一人の尼が立っていた。
「お坊様。突然失礼いたします。私は大和の国から来ました。今日は亡き夫の命日で、墓参の帰りなのですが、途中気分が悪くなり、休んでおりましたら遅くなり、もう日が暮れてまいりました。とうてい家に帰りつくことができそうにありません。申し訳ありませんが、一晩こちらに泊めていただけませんでしょうか。」
ははあなるほど。亡くした夫の菩提を弔うために若くして仏門に入り、夫の命日に一人で墓参りに行った、その帰りであるか。
隆禅は尼をつくづくと眺めた。まだ若い。やっと三十路を過ぎたほどであろうか。夫を失ってまだ間もない、独り身の後家なのであろう。
隆禅は尼の顔が美しく、声がきれいなのにボーっとしてしまった。
「それは難儀なさいましたな。拙僧がそなたの夫の冥福を祈り、念仏を唱えてあげましょう。
おなかもさぞすいておろう。夕餉を召し上がるか。私たちと一緒に囲炉裏をお囲みなさい。夜着や布団もお貸ししましょう。」
そうして隆禅は親切に、尼に食事を与え、彼女を庫裏に泊めてやることにした。

暫くして、また門を叩く者があった。
「検非違使庁からの使いである。」と言う。
「先ほどここに尼が一人来たであろう。あの女は多くの盗みの容疑者として訴えられている者なのだ。決して逃がしてはならない。後ほどまた来る。」と言って帰った。
「尼よ、おまえは盗人なのか。私を騙して、物を取ろうとしたのか。いま検非違使庁から使いの者が来たぞ。申し開きしてみよ。」
隆禅は女を問いただしたが、しかし女は頑として、一言も口をきこうとしない。
そこで隆禅は尼を縄で縛りあげて、捕吏が到着するのを待った。

夜が更けて、また戸を叩く者がある。検非違使判官と名乗った。
「この尼を連行しようというのだろう」と思って、中に入れて、僧自ら対面した。
「この女に間違いありますまいか。」
ところがこの判官と名乗る者、いきなり僧の腕を捕らえて、刀を抜き僧の脇にさし当てて言う。
「動くな。いいか、ここにじっとしていろ。下手な真似をすれば即座にこの刀でおまえを刺し殺す。坊中の者どもも、決して声を上げたり、物音を立てるな。
おい坊さん、おまえ、今日たんまり檀家からお布施をもらっただろう。どこにある。」
「ここです。」
「蔵の鍵も寄越せ。」
「はい。」
男は尼を縛った縄を刀で断ち切り、塗籠《ぬりごめ》や蔵を引き開けて、資財・雑物などを運び取って、馬十頭に背負わせて、隆禅を馬に乗せて、東山の粟田口へ連れていった。
尼は僧に言った。
「お坊さん、命だけは助けてやるよ。でもこのことを検非違使庁に訴え出れば、三日のうちにおまえを殺しに戻って来るぞ。わかったか。今ここで神仏に誓え、決して訴えぬとな。」
「誓います。」
尼と偽判官は、隆禅を道に残したまま、馬を伴って悠々と逢坂の関を東へ越えていった。