浅草に部屋を借りて3ヶ月が経った。いいかげん浅草に飽きてきた。そりゃそうで、どんだけ新宿が好きでも毎日遊んでりゃ嫌になる。渋谷だろうと池袋だろうと。飽きて当然だ。どんだけ新宿が便利でも毎日通勤で通過していると神経をすり減らしてしまう。
しばらく実際に住んでみなきゃわからんこともあるから無駄だったとは思わないし、私の人生の中では割と有意義な時期だと思う。
中島敦の「山月記」ではないが、還暦を迎えて、二十代、三十代の頃に一緒に仕事していた人などと会って話をすると、仕事の選び方でずいぶんと境遇が違ってしまっているのを感じる。私も彼らのような人間になることもできたはずだし、やり方次第ではもっと大きな仕事もできた気がする。
しかし大きな仕事をしたからなんだというのだろう。10億円100億円の金が動く大プロジェクトをマネージしたとか、国際的な仕事をしたとか、世界中を渡り歩いて人脈を広げたとか。そういう人もたくさん見てきたが、自分がそういう人間になりたいとはあんまり思わない。例えば大企業の重役になったとしてそれだけで歴史に名を残すわけではない。ただ単に社会的地位が高くて多少贅沢ができ便利な暮らしができるというだけのことではないか。死んでしまえば人魚のように泡に戻ってしまうだけのことだ。
そう思うからこそ私は結局、何の仕事をしていようと、どんな人生の選択をしてこようと、一人でできる仕事、他人に頼らない仕事、創作活動、執筆活動に最後には戻っていただろうと思う。おそらくソレだけは確実に言えると思うのだ。自分がどういう人間なのかはいまだにわからないし、そもそもそんなものは自分の周りの環境次第で、わかりようがなく決めようがないのかもしれないが。
もちろん仙人のように社会から孤立して一人だけで生きていて意味のある仕事ができるはずもない。人の世に交わってそれでも結局自分一人の世界に戻っていくのだろうと思う。
会社の中で出世するとか、スポーツのように誰かと競い合って1番になるとか、そういう他人との関係性の中で自己実現するということに私はたぶんまったく価値を認めていない。人と違ったこと、人が思いつかないようなことをしたい、まだ誰も手をつけていないことを最初にやって始めたいのであって、人と同じことで競い合って人よりうまくやったところで仕方ないと思う。
私は仕事の傍ら、仕事とは直接関係ない著作をかなり残してきた。余暇を、余力を、ほとんど著作に費やしてきた。それで良いのだと思う。私以外の誰かがやることもできる仕事を私がやる必要はない。私にしかできない仕事、私が死んだ後にも残る仕事をやればそれでよい。
最寄り駅として入谷を使いたいが日比谷線はいつも混んでいてまず座れない。仕事場までそれなりに時間もかかる。とりあえずいろいろ試してみる。
最近書いた記事を見ると鴎外に比べてはるかに漱石のほうがみんな関心が高いことがわかるね(笑)。
カラヒグ麺を食べてから生麺に興味が出てきて蕎麦も乾麺ではなく生麺を食べるようにしている。中華の生麺をゆでて粉末のナポリタンの素をまぶして食べてみたが、安いわりにそれなりにうまい。どこがどううまいか説明しにくいがともかく生感が良い(笑)。
月曜早朝の吉原はさすがにひとけもなく送迎車もほとんどおらず快適。ビッグエーに謎の米を買いに行ったが、いつものお米、アカフジしかなくて、しかも税込みで4200円。また値上がりしたんじゃないの?米不足と値上がりの原因は私は絶対家庭の主婦と彼女らを煽るマスコミのせいだと思っている。家庭の主婦が5kgの米を1袋ずつ備蓄するだけで世の中から米は消え失せてしまう。マスクの時も、トイレットペーパーの時もそうだったではないか。