三社祭のハッピ

備蓄米を放出したのが三度目だなどと言っているのだが、備蓄米を含めて日本国内に存在する米の量は変わらないのだから、つまり備蓄米が減っていることもまた価格を高騰させる原因の一つとなるわけなのだから、米の価格が下がるわけないじゃんという話にならんか。米の価格を下げるには日本国内に存在する米の量を増やすしかない、つまり、輸入するしかない。というか輸入すれば価格は下がるに決まってる。米が足りないからとタイ米を輸入したなんてことが昔はあったが今はカリフォルニア米でもベトナム米でも日本と同じジャポニカ米を作っているんだから、国内の米と味に大差ない。

そもそも食糧自給率を上げなきゃいけない状況とは何なのか。どういう国際情勢を想定してそんなことを言っているのか。戦争になって日本に食糧を売ってくれる国がなくなる?国境を封鎖されて食糧を輸入できなくなる?そんな可能性が極めて低い場合に備えるよりも食糧供給を安定化することのほうがずっと大事だろう。それに、食糧が輸入できなくなったときに米を食いたいなんて贅沢を言っている場合じゃないだろ。トウモロコシだろうがカボチャだろうかサツマイモだろうがなんでも作って食えば良い。アスファルトを剥がして畑にすりゃ良いだけのことじゃないのか。というかカロリーベースの食糧自給率をあげたきゃサツマイモをどんどん増産すりゃいいだけのことだ。北海道ではジャガイモを作れば良い。でも誰もそんなことはやらんだろう?意味ないんだよ、そんなものは。食糧自給率などという数値目標に狂うやつがおおぜいいるというだけのことだよ。

日本がやることは、世界中と交易して、世界中でジャポニカ米を栽培してもらって、米を輸入もし、輸出もして、適性価格を安定させることなんじゃないの?要するに今の農家、特に補助金漬けになっている、零細個人兼業農家が、米市場を開放することに抵抗しているだけだろ。

そもそも米の値段が倍になったくらいで別に誰も困らないんだよ。飢え死にするような人はもういない。米が食えなきゃ蕎麦でもうどんでもパンでも食えばいいだけ。だから誰も真面目に対策しようとしない。米だけでなく玉子だってもともと安すぎたものは高止まりしている。そりゃしょうがないことだろ。

サザエさんは戦後まもなくのマンガだが米が高くなったと庶民が文句を言っている。いつの時代も庶民は米の価格に過剰反応する。ただそれだけのことだろ。

それはそうと浅草ではそろそろ三社祭だというのでなんとなくそわそわしている。神輿を担ぐときにはハッピ(法被、半纏、ハンテン)を着るのだが、町会から買えば数万円、一般人が町会を通さずオーダーメイドで仕立てれば20万から30万円もするという。居酒屋などでは町会から借りられるだけのハッピを借りておいて、祭りの日に常連の客などに貸し出すという。客はそのハッピを着て神輿を担ぐのだが、数千円のお礼を店に払うのだという。

そのハッピだが、紛失したりしようものならおおごとになるので、よほど信用のある人でないと貸さないのだという。

いやまあ、私は別に神輿を担ぎたいとも思わないし、祭りの人混みの中に繰り出したいとも思わないのでどうでも良いことなのだが、浅草は酉の市にせよ年の暮れにせよ、町会か何かがなにやら小屋やらやぐらを建てて熊手だの羽子板だのを売っているのだが、とにかくタバコがけむい。あれはどうにかならんのか。

浅草に住み始めて思うが、知らないうちは良いことも悪いこともない。住んでいろんなことを知っていくにつれて、好きなことと嫌いなことができていく。好きなことと嫌いなことの総和は打ち消しあってゼロくらいだ。浅草を知らなかった頃と今と、浅草を好きかどうか聞かれても、その返事には大差ない。好きなこともあれば嫌いなこともあるからだ。浅草は良いところか悪いところかと聞かれて、良いところと悪いところを合わせて総合的に判断すれば、浅草について何も知らなかったころと同じように、どちらとも言えないと答えるしかない。

京都だろうと鎌倉だろうと同じだ。そういう観光地に良い印象を持つのは短期間に良い側面だけを見て悪いところは見なかった人に限られるだろう。

年を取るということも同じだ。世の中を知れば知るほど好きなことも増えるが嫌いなことも増える。好きと嫌いが分離していく。その総和はたいしてプラスでもマイナスでもない。嫌いなことをよけて、好きなことだけやって生きていければ良いが、好きなことをやろうと思うと同じくらい嫌いなこともどうしてもやらなきゃならないように世の中はできている。そんな世の中が嫌ならば人の少ない田舎に引っ越すしかない。定年退職したら層したい。東京にいたくているわけじゃない。東京にいなきゃ収入がなくなるからいやいやいるだけのことだ。それでも浅草について少し知れたのはよかったと思っている。

年寄りは気が短く怒りっぽくなるというのもあるのかもしれん。でもただそればかりではない。

嫌なことがあっても原因は自分にあると今では思うようにしている。自転車の運転が荒いとか運転マナーが悪いのではなく、自分がせっかちで人混みをせかせか歩くのが悪いのだ、などと思うようにしている。だんどりをうまく組めないとストレスを溜めてしまう。だんどりなんか気にしないのが一番良いのだが、それができないので困っている。こんなふうに毎日いらいらしながら生きるよりは隠居して日々退屈してるほうがましなんじゃないかと思う。

隣の部屋の住人がタバコを吸っているのはほぼ明らかだ。ベランダが臭いし、廊下の変なにおいのかなりの部分はタバコのにおいであるらしかった。賃貸契約も法律も私に味方してはくれない。2年間はいやいや住むとして更新することはなかろうと思う。多くの問題は私の人間嫌いに由来しているから、私という存在自体どうにかしなくては解決しない。そしてそんな都合の良い場所などこの世にはどこにも無いのだろう(人間が嫌いというわけではない。好きな人間と嫌いな人間がいて、好きな人間とだけ関わって嫌いな人間をよけて生きるのが難しいということ、好き嫌いが激しいということだ)。

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