人斬り鉤月斎

「人斬り鉤月斎」というものを書いているのだが、
またどこかの新人賞に応募すると思う。百枚ぎりぎりくらい。

タイトルどおり普通の剣豪小説、時代小説のたぐいなのだが、
自分的に剣豪小説書くのはすごく珍しい。たぶん初めて。
書いてみるとわかるが、普通の陳腐な剣豪小説と差別化するのが難しいってのと、
膨大な過去の蓄積があるから、やっぱどうしてもそれと比較されるのでやはり書くのがむずかしい。
同じことか。
これ普通の剣豪小説とどこが違うのとか言われそうで怖い。

まあじぶんなりに分析すると、
戦前の菊池寛あたりの剣豪小説というのは古き良き体制的な剣豪小説であるが、
戦後はそれを否定した反体制的、つまり、
幕府とか主君というものに反抗するとか、庶民の目線でとか、
個人主義的なとか、そんな剣豪小説が流行った。

しかし今の自分にとってはそういう反体制的な匂いのする剣豪小説というものがすでに、
鼻もちならん説教臭のする陳腐な話なのであって、
その否定、つまり、反反体制的、みたいな。
しかし、反反体制的だからといって体制的でも戦前的でもないみたいな。
あれ、なんかポストモダンってもしかしてこんな話なのかな。
ポストポストモダン、みたいなもんかな。
まあともかく、既存の戦後民主主義的テレビドラマ的時代小説を破壊したくて書いてみました(笑)
これまで、時代小説というか歴史小説みたいなの書いて、
チャンバラが出てこないのはそういうのに反発感じてたからだと思う。

三月末までにもう一本くらい書けそうな気がしてきた。

更新できない

いろいろググってみると、
kindle direct publishing で小説本文を修正して、
最新版が自動的にダウンロードさせるようにするのは非常に困難なようだ。
まだ一冊も売れてないので、古いのを削除して新しいのをアップすることにする。

同じタイトルの本を出版することはできるようだ。
異なるASINがふられる。

けっこう疲弊する。

精米

たまたま玄米をもらったので、
どうやって食おうかと思い、
最初はすり鉢とすりこぎみたいのでごりごりやっていたが、うまくいかない。

まず、わかったことは、
玄米は玄米モード(長時間モード)で炊けば炊飯器でも炊ける。
通常モードとか速炊モードとかでは無理。
発芽玄米も玄米モードで炊いた方が柔らかく炊きあがる。
おかゆにしてもまたそうであろう。
味もそんな大差ない。
米ぬか臭い味になるかといえばそんなことはない。
そもそも米ぬか臭い味ってどんな味だ。
ぬか漬けみたいな味?まさか。

[自力で精米してみよう](http://siboono.web.fc2.com/cooking_seimai.htm)
に書かれている「はだしのゲン」的方法が実はすばらしく有効だということがわかる。
そして、米を研ぐときにものすごくヌカが出るので、
なるほど手早く洗う必要はあるんだろうなと思う。

私は長年、研いだ米と研がないで炊いた米の味に大差ないことが不思議だった。
だって美味しんぼにはよく研げと書いてあるのだから。
「米を洗う」というと「米を研ぐ」だろう、とむきになって訂正されたりもした。
そのとき思ったのだが、ではおまえは「洗っただけの米」と「研いだ米」の味のみわけがつくのかと。
「洗った米」と「研いだ米」の境界がどこにあるかわかるとでもいうのか、と。

今は無洗米というものもあるが、たぶん普通の精米でも無洗米とは大差ないのだと思う。
やや余計に精米したのが無洗米であろう。
普通に売っている米を買ってくればほとんど研ぐ必要などないのである。
普通にだまされてきた。

柳生宗矩

wikipedia [柳生宗矩](http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9F%B3%E7%94%9F%E5%AE%97%E7%9F%A9)
に、

> かなりの喫煙者であり、沢庵より癌になるので煙草を吸うのはやめるよう忠告を受けている(『沢庵和尚書簡集』)。

とあるが、これはいかにもおかしい。
当時、煙草が(肺)癌の元であるなどという説があるはずがない。

[うわづら文庫](http://uwazura.cocolog-nifty.com/blog/2007/01/post_ac84.html)

> たはこ御やめ候はすハ、むねのいたみやみ申間敷候(もうしまじくそうろう)。たはこにて、かくに皆々成申候(なりもうしそうろう)

つまり、煙草をやめないと、胸の痛みはやまないでしょう。煙草のせいでみんなそのようになるのです、と言ってるだけではないか。

なんか知らんが最近の人がそう書いたことをそのまま載せてるっぽいよね。

幕末の頃の剣術というのは、割と知られているようだが、
もっと江戸中期から後期にかけての道場というものが、
どのようなものであったか、
どのような建築であったか、
どのような教え方であったか、
調べようとすると案外わからない。

[剣道日本に講武所の記事が](http://blogs.yahoo.co.jp/mikangaminorukoro/20808714.html)
とあるが、講武所は幕末であるし、剣術だけの道場ではあるまい。
近代兵器を教えた道場だと思うのだが。

> 玄武館道場で8間四方

とあるから、ざっと60坪くらいだろうか。
お寺の本堂くらいの広さだろうか。
どういう構造だったのだろうか。
玄武館も幕末で一番大きな町道場だったわけだから、
その他の道場はもっと小さかったのにちがいない。

ま、ともかく、江戸時代の道場の考証はけっこうむずかしい。
相撲の稽古部屋が最も古態を残すといわれればそうかもしれんと思う。

思うに、戦というものはほとんどが夜戦である、当たり前だが。
従って初期の稽古というのはもっぱら屋外で行われていただろう。
ところが幕末になると町人や農民などの弟子があまりに増えすぎて、
それらを収容するための娯楽施設として稽古場、つまり道場というものが出来たのではなかろうか。
竹刀や防具もまた同じ。