吉田松陰歌集

留魂録

身はたとひ 武蔵の野辺に 朽ちぬとも 留め置まし 大和魂

処刑されてこの身はたとえ武蔵野の野辺に朽ち果ててしまおうとも、せめて私の大和魂だけはとどめておきたいのだが。

「まし」は「反実仮想」なので、上のように訳するのが正しいのだろう。

心なる ことのくさぐさ 書き置きぬ 思ひ残せる ことなかりけり

心の中にあったいろいろなことは遺書に書きおいたので、思い残すことはもうない。

呼び出しの 声まつほかに 今の世に 待つべき事の なかりけるかな

処刑場に呼び出される声を待つほかにもはやこの世で待つことは無い。

討たれたる 吾れをあはれと 見む人は 君を崇めて 夷(えびす)払へよ

処刑される私を哀れと思うひとは、尊皇攘夷にはげめ。

愚かなる 吾れをも友と 愛づ人は わがともどもと めでよ人々

愚かな私を友として愛してくれる人は私の友人たちも愛してほしい。

七たびも 生きかへりつつ 夷をぞ 攘(はら)はんこころ 吾れ忘れめや

七回生まれ変わっても攘夷の心を私は忘れない。または「えみしらを」。

獄中より妹に与ふるの書

たのもしや 誠の心 通ふらむ 文見ぬさきに 君を思ひて

妹の身を案じて手紙を書き始めたところ、妹から先に手紙が届いたので。

高輪泉岳寺前を通過するとき赤穂義士のことなど思い出して

かくすれば かくなるものと 知りながらや むにやまれぬ 大和魂

こうすればこうなるとはわかっていながら、そうせぬわけにはいかないのが私の大和魂だ。

回顧録・白井小助宛

世の人は よしあしごとも いはばいへ 賤が心は 神ぞ知るらむ

世の中の人たちは私のことをどうとでも言えばよい。私の心は神が知っているだろう。

松陰詩集

ものおもひ 筑紫の道のいとながき みじかき文に いかで尽きなむ

ものおもひ つきずばつきそ つきずとも 思ふ心は 知る人ぞ知る

八汐路を たやすくわたる もろこしの 海の城とふ なくてやまめや

旭さす 軒端の雪も 消えにけり わがふるさとの 梅や咲くらむ

まどかにと 祝ひ初めにし 鏡餅 君が心を 照らしてぞみる

大空の めぐみはいとど あまねけり 人屋の窓も 照らす朝の日

大空のめぐみは不偏で、牢獄につながれている私の部屋にも朝の日をさしてくれる。

「人屋」は罪人を閉じこめておく建物。牢獄。

文うつす 硯の氷 解けにけり 梅なき家も 春は立ちぬる

清らかな 夏木のかげに やすろへど 人ぞいふらむ 花に迷ふと

懸香(かけごう)の 香をはらひたき 我もがな とはれて恥ぢる 軒の風蘭

一筋に 風の中行く 蛍かな ほのかに薫る 池の蓮の葉

うらやまし 心のままに 踏み行かむ 春の東の 山の霞を

今日よりぞ 幼心を うちすてて 人となりにし 道を踏めかし

九重の 悩む御心 思ほへば 手に取る屠蘇も 含み得ざるなり

我ひとり 醒めたる人の 心しは 昔も今も ゆかしかりける

箱根山 越すとき 汗の出でやせむ 君を思ひて 拭き清めてむ

若芽刈る 磯のあま人 こと問はむ 異なる国の 春やいかにと

事しあらば 君の都に 詣づべし 今朝きくかげに 声劣らめや

花や鳥 今を盛りの 春の野に 遊ばでなほも いかで待つべき

からくにに 宮仕へする おみたちは 君の無き世も 蕨とるかも

伯夷・叔斉の采薇の歌にちなむのだろう。

古き書 読めばくさぐさ 思ふなり かからむときに われ生まればや

岩間なる こずゑの雪は 溶けぬなり 心して吹け 春の山風

心なき 春の寒さの はげしさに 柳の色も 萌え出でざるなり

いましめの ひとやは今日も 人ぞ来ぬ なほ人の日と 人はいふらむ

人訪はぬ 人屋も春は とひにけり 窓の日影に 梅の香ぞする

かしこくも ちよにめでたき 大君に しづが摘み得し 芹ささげばや

大江なる 川の御裔は いと長し 君が浮舟 載せてこそ行け

色変へぬ 松にひとしき 人なれば 末頼もしき 恋もこそすれ

うぐひすも 訪ひ来ぬ里の 梅の雪 積もりてこそ知れ 花の操を

大丈夫の 死ぬべき時に 死にもせで なほ蒼天に 何と答へむ

春風に 峰の白雪 拭き消せど 心に積もる 憂ひ消えめや

世の人は 我をめくらと言いばいへ 海渡り来る エビスに怖じず

思ふかな また思ふかな 心ある 人の心を わが心もて

君こそは 神の御心 慰めて 栄ある名を 世々に伝へむ

亜墨奴が 欧羅を約し きたるとも 備へのあらば 何か恐れむ

アメリカを亜墨利加とも表記する。亜墨奴(アボクド)はアメリカ人の意味であろう。アメリカ人がヨーロッパと盟約して攻めて来たとしても、の意味。

備へとは 艦と砲との 謂ひならず わが敷島の 大和魂

秋風に 手折りし園の 草花を つぼみながらに 散るぞかなしき

ひとたびは 咲かせてみたき 蓮の花 手折りし人の あだ心かな

起き伏しに ふるさと思ふ わが心 父見る人は 知るや知らずや

降らば降れ 四方の軒端は 雨しづく つき見ぬ檻に すむ身なりせば

たらちねの たまふその名は あだならず 千代よろづ代へ とめよその名を

ゆくりなき 雲のたちまひ かくろひて 今宵の月を 見でややむかな

明月の 晴れ着と妹も 薄絹を 着ては座敷へ うちころびたり

入相に むかしをしのぶ 寒さかな 折りて手向けむ 早咲きの梅

くれなゐの 梅やまことの 神ごころ 擁護を仰ぎ 暖き日の晴れ

世話任す 今年は婿を もらひ得て 独り手に汲む 楽しみの酒

冷しき 風は下弦と なればにや 渡りそめにし 雁のひとむれ

常盤なる 松の緑の 色添へて なほいく千代の よろづ代や経む

時を得て ひらくや梅の 二つ三つ 色かたへなる 神の庭面

いたづらに 春をや人の すぐすらむ にほふさかりの 花も見なくて

花は今 盛りなりしに 人皆の いつを見るべき 時と待つらむ

かき一重 へだてて外は 春の月 どことも知れぬ 花の香ぞする

かつてなむ 嘆きつつ見し ひのき葉を ひととせ頼む色を見せてよ

力なし 才なし智なし 学もなし けれどもさすが 死にたくもなし

おそらく林子平の「親もなく 妻なく子なく 版木なし 金もなければ 死にたくもなし」のパロディであろう。

すめがみの みことかしこみ しづがみは なりゆくままに まかせこそすれ

えびすらに 眺めよとてや 出づるらむ 高輪潟の 三五夜の月

三五夜は十五夜に同じ。

雲となり 雨と変はれる 世の中に 眺めは同じ 三五夜の月

よそにのみ 見てややみなむ 常陸なる 仙波が沼の 波のけはしさ

わが頬は 桜色にぞ なりにけり 春来にけりと 人や見るらむ

十あまり 四とせの秋を あだに経て けふこころよく 菊をながめむ

道守る 人も時には 埋もれど 道し絶えねば あらはれもせめ

やよまてと いふにいとまも なかりけり 君が出で行く よべの別れは

いでたちを ともにと思ふ 君なるに しばしはよしと 思ひたまふか

西の海 東の空と かはれども 心は同じ 君の世のため

「忠僧信海へ。」

大君の ためには何か 惜しからむ 薩摩の瀬戸に 身は沈むとも

「忠僧月照へ。」

曇りなき 心の月の さつまがた せとの波間に 今ぞ沈める

月照と信海は松陰と同じく安政の大獄で追われる身となり、西郷隆盛とともに錦江湾に入水した。隆盛は助かったが月照は死亡した。信海は江戸で獄死した。

「大君の為にはなにか惜しからむ 薩摩の追門(せと)に身は沈むとも」(月照)

「西の海東の空と変われども 心は同じ君が代の為」(信海)

とあるので、これらの歌はもしかすると月照と信海の間で詠み交わされた時世であったかもしれない。

何事も ならぬといふは なきものを ならぬといふは なさぬなりけり

何事も、できないということはないのに、できないというのはやらないだけだ。

皇神の 誓ひおきたる 国なれば 正しき道の いかで絶ゆべき

皇祖が誓っておいた国だから、正しい道は決して絶えることはない。

小夜更けて 共に語らむ 友もなし 窓にかをれる 月の梅が香

夜更けになって一緒に語り合う友もいない。ただ牢獄の窓に月がかかり、梅の香りがする。

牢獄であるかどうかは定かではないが、安政六年の作なので、すでに牢獄にあるものとした。

歳月は 齢と共に すたるれど 崩れぬものは 大和魂

年月がたつにつれて年をとっても私の大和魂は崩れない。

骨を粉にし 身を砕きつつ 大君に あかき心を 捧げてしがな

粉骨砕身、大君に真心を捧げたい。

我が心 ふでにつくして 留めぬれば 又思ひ置く 事なかりけり

私の心はすべて書き記したので、さらに思い残すことはない。

呼び出しの 声待つほかに 今日の世に 待つ事もなき 身こそ安けれ

処刑の呼び出しの声以外に待つことがない今日の私にはもはやこの世に何も悩み事もない。

賤が身は 世に遇はずとも 大空に 曇りなき日の 照らさざらめや

私は今の世の中では不遇でしたが、大空の曇りなき日の光が照覧なさるでしょう。

あけくれに 憂きことのみを 思ふ身は 夢を楽しむ ばかりなりけり

毎日つらいことばかり考えている私にとって楽しみは夢ばかりだ。

涙松集

かへらじと 思い定めし 旅なれば ひとしほぬるる 涙松かな

二度と故郷の萩には戻らないと思い定めた旅なので、よけいに涙に濡れる涙松だ。

涙松は萩往還という道の、萩城下を見下ろす峠の松並木のこと。安政の大獄で江戸に送られる時の歌。

そのかみの こころづくしを 思ふかな 身を東路の 旅にやつして

君こそは 蛙の声も ききわかめ たがため夜ただ 鳴きあかすらむ

降り続く 五月の雨の やめばまた あつきに人の なやむ暮れかな

とらはれて 行く身にさへも もち鳥の かかるめぐみを いかでむくいむ

よそに見て わかれ行くだに かなしきを ことにもいでば 思ひ乱れむ

安芸の国 むかしながらの 山川に はづかしからぬ ますらをの旅

いさをしは なほ世に高き 厳島 思へば今も 涙こぼるる

世の中を 思ふも狭き 身にはあれど なほ見まほしき 広島の城

ほととぎす まれになりゆく 夕暮れに 雨し降らずば きかざらましを

わかれつつ またも淡路の しまぞとは 知らでや人の よそに過ぐらむ

ひと夜寝て 月にあかしの うらなみに あはれも深き こよひならまし

一の谷 討ち死に遂げし ますらをを 起こして旅の 道連れにせむ

かしこくも 君が御夢に 見ゆと聞けば 消えむ此の身も 何か厭はむ

おそれおおくも我が君の夢に私が見えたと聞けば、死んでいくこの身をどうして厭うことがありましょう。これは孝明天皇の夢に松陰が出たということではなく、後醍醐天皇の夢に楠木正成が出たという故事にちなんだ歌である。

こととはむ 淀の川瀬の 水車 いくめぐりして 憂き世経にきや

見ず知らぬ 昔の人を 恋しとや おぼさばおぼせ 今もあるものを

帰るさに はつかりがねの 声聞かば わが音信と 思ひいでてよ

待ち得たる 時は今とて 武蔵野に いさましく鳴く くつわむしかな

やすみしし 君の国だに 治まらば 身を捨つるこそ しづが本意なれ

五月雨の 雲にこの身は 埋むとも 君が光の 月と晴れては

または「月と晴れなば」。

いまさらに 言の葉草も なかりけり 五月雨晴るる 時をこそ待て

君のみは 言はでも知らむ わが思ふ 心のほどは 筆も尽くさじ

いまさらに おどろくべしや かからむと かねて待ちつる つひの旅路を

心あれや 人の母たる 汝(いまし)らよ かからむことは もののふの常

「妹に遣わす」。

ほととぎす 今を限りの しのび音を 君が心に 飽かずとや聞く

鳴かずあらば 誰かは知らむ ほととぎす 五月雨暗く 降り続く夜に

箱根山 こごしき道を 越えむ日は 過ぎにし友を なほやしのばむ

「東へ出で立つとき亡友金子重助がことを思ひ出でて」。

しづが身は 世にあらずとも 大空に 曇りなき日の 照らさざらめや

「冷泉雅次郎におくる」。

なれぬれば 人屋もさすが ゆかしくて わかれにしぼる 五月雨の袖

「囹圄にともにありける人に別るとて」。「囹圄」は牢獄。「人屋」に同じ。

晴れ続く 小春の空の しぐるるは 討たれし人を 嘆く涙か

「きのふ三人の義士(橋本佐内、頼三樹三郎、飯泉喜内)を誅したりと聞きて」。

つひに行く 死出の旅路の いでたちは かからんことぞ 世の鑑なる

国のため 討たれし人の 名は長く 後の世までも 語りつがまし

親思ふ こころにまさる 親こごろ けふの音づれ 何ときくらむ

親を慕う子供の心よりも、親が子を心配する心が勝るのに、今日の私の処刑の知らせを私の親はなんと聞くだろうか。

わが心 筆に尽くして とめおけば 思ひ残さる ことなかりけり

「留魂録を書き終はりて」。

しもと打つ 庭に出でよと 呼ぶ声の ほかに待つべき 事なかりけり

笞を打って処刑場に出よと呼ぶ声以外に待つことはない。

「しもと」は刑罰用の笞。

露の身の 散るをあはれと 見む人は 草むすびても 夷賊はらへよ

愚かなる 我をも友の 数にして すぐなる道を たどれ人々

前野喜代治『素顔の吉田松陰』「和歌の部」

大村武一『涙松集 : 註釈

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