吉田松陰歌集

> 身はたとひ 武蔵の野辺に 朽ちぬとも 留置まし 大和魂

処刑されてこの身はたとえ武蔵野の野辺に朽ち果ててしまおうとも、せめて私の大和魂だけはとどめておきたいのだが。

「まし」は「反実仮想」なので、上のように訳するのが正しいのだろう。

> 心なる ことのくさぐさ 書きおきぬ 思ひ残せる ことなかりけり

心の中にあったいろいろなことは遺書に書きおいたので、思い残すことはもうない。

> 呼び出しの 声まつほかに 今の世に 待つべき事の なかりけるかな

処刑場に呼び出される声を待つほかにもはやこの世で待つことは無い。

> 討たれたる 吾れをあはれと 見む人は 君を崇めて 夷(えびす)払へよ

処刑される私を哀れと思うひとは、尊皇攘夷にはげめ。

> 愚かなる 吾れをも友と めづ人は わがともどもと めでよ人々

愚かな私を友として愛してくれる人は私の友人たちも愛してほしい。

> 七たびも 生きかへりつつ 夷をぞ 攘(はら)はんこころ 吾れ忘れめや

七回生まれ変わっても攘夷の心を私は忘れない。

> かくすれば かくなるものと 知りながらや むにやまれぬ 大和魂

こうすればこうなるとはわかっていながら、そうせぬわけにはいかないのが私の大和魂だ。

> 世の人は よしあしごとも いはばいへ 賤が心は 神ぞ知るらむ

世の中の人たちは私のことをどうとでも言えばよい。私の心は神が知っているだろう。

> 大空の めぐみはいとど あまねけり 人屋の窓も 照らす朝の日

大空のめぐみは不偏で、牢獄につながれている私の部屋にも朝の日をさしてくれる。

「人屋」は罪人を閉じこめておく建物。牢獄。

> 親思ふ こころにまさる 親こごろ けふの音づれ 何ときくらむ

親を慕う子供の心よりも、親が子を心配する心が勝るのに、今日の私の処刑の知らせを私の親はなんと聞くだろうか。

> 何事も ならぬといふは なきものを ならぬといふは なさぬなりけり

何事も、できないということはないのに、できないというのはやらないだけだ。

> 皇神の誓ひおきたる国なれば正しき道のいかで絶ゆべき

皇祖が誓っておいた国だから、正しい道は決して絶えることはない。

> 小夜更けて共に語らむ友もなし窓にかをれる月の梅が香

夜更けになって一緒に語り合う友もいない。ただ牢獄の窓に月がかかり、梅の香りがする。

牢獄であるかどうかは定かではないが、安政六年の作なので、すでに牢獄にあるものとした。

> 歳月は齢と共にすたるれど崩れぬものは大和魂

年月がたつにつれて年をとっても私の大和魂は崩れない。

> 骨を粉にし身を砕きつつ大君にあかき心を捧げてしがな

粉骨砕身、大君に真心を捧げたい。

> 我が心ふでにつくして留めぬれば又思ひ置く事なかりけり

私の心はすべて書き記したので、さらに思い残すことはない。

> しもと打つ庭に出でよと呼ぶ声の外に待つべき事なかりけり

笞を打って処刑場に出よと呼ぶ声以外に待つことはない。

「しもと」は刑罰用の笞。

> 呼び出しの声まつ外に今日の世に待つ事もなき身こそ安けれ

処刑の呼び出しの声以外に待つことがない今日の私にはもはやこの世に何も悩み事もない。

> かしこくも君が御夢に見ゆと聞けば消えむ此の身も何か厭はむ

おそれおおくも我が君の夢に私が見えたと聞けば、死んでいくこの身をどうして厭うことがありましょう。

> 賤が身は 世に遇はずとも 大空に 曇りなき日の 照らさざらめや

私は今の世の中では不遇でしたが、大空の曇りなき日の光が照覧なさるでしょう。

> あけくれに 憂きことのみを 思ふ身は 夢を楽しむ ばかりなりけり

毎日つらいことばかり考えている私にとって楽しみは夢ばかりだ。

> かへらじと 思い定めし 旅なれば ひとしほぬるる 涙松かな

二度と故郷の萩には戻らないと思い定めた旅なので、よけいに涙に濡れる涙松だ。

涙松は萩往還という道の、萩城下を見下ろす峠の松並木のこと。安政の大獄で江戸に送られる時の歌。

> 五月雨の 雲に此の身は うづむとも 君の光の 月と晴れなば

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