難四之可他延

近代デジタルライブラリーに[難四之可他延](http://kindai.ndl.go.jp/BIBibDetail.php?tpl_wid=WBPL110&tpl_wish_page_no=1&tpl_select_row_no=1&tpl_hit_num=1&tpl_bef_keyword=&tpl_action=&tpl_search_kind=1&tpl_keyword=&tpl_s_title=&tpl_s_title_mode=BI&tpl_s_title_oper=AND&tpl_s_author=&tpl_s_author_mode=BI&tpl_s_author_oper=AND&tpl_s_published_place=&tpl_s_published_place_mode=ZI&tpl_s_published_place_oper=AND&tpl_s_publisher=&tpl_s_publisher_mode=ZI&tpl_s_publisher_oper=AND&tpl_s_nengou=AD&tpl_s_published_year_from=&tpl_s_published_year_to=&tpl_s_ndc=&tpl_s_ndc_mode=ZI&tpl_s_heading=&tpl_s_heading_mode=ZI&tpl_s_heading_oper=AND&tpl_s_jp_num=41001712&tpl_s_toc=&tpl_s_toc_oper=AND&tpl_item_oper=AND&tpl_sort_key=TITLE&tpl_sort_order=ASC&tpl_list_num=20&tpl_end_of_data=)
というものがある。
「なしのかたえ」と読み、「梨の片枝」という意味らしい。
三条実美の私家集で、彼の死後、高崎正風が編纂したものらしい。
うわー。すげえマニアック。
しかも、崩し字で書かれているで簡単には読めないのだよ。
この際、崩し字覚えようかい。

将門記

* [将門記(現代語訳)](http://hanran.tripod.com/japan/masakado11a.html)
* [将門記 (原文)](http://www.j-texts.com/chuko/shomon.html)
* [口訳・常陸国風土記](http://nire.main.jp/rouman/sinwa/hitatihudoki.htm)

ふーむ。
行方(なめかた)郡というのは、今の霞ヶ浦と北浦に挟まれた半島部分で、その南端が潮来、西岸に行方市がある。

> 郡の西の渡し場から望む行方の海には、海松や、塩を焼く藻はあるが、魚に珍しいものはなく、鯨も見ない。

とあるから、行方の西、つまり今の霞ヶ浦は、塩辛い海だったが、鯨は来ない。
しかるに、麻生と呼ばれた行方郡南部、潮来の北辺りでは、

> 池の南の鯨岡は、古へに、鯨がここまではらばって来てそのまま伏せって息絶えた場所である。

とあるから、この辺りまで鯨が来なかったわけではなさそうだ。

大岡昇平『将門記』にはここらの内海のことを「流海(ながれうみ)」と呼んだという記述があるが、
ググっても全然でてはこない。
しかし、wikipedia の「香取海」の項を見ると、

> 流海(ながれうみ)、浪逆海(なさかのうみ)、内海(うちつうみ)とも呼ばれた。

などと書かれている。しかし、いずれも常陸国風土記に出てくる名称ではない。学術用語なのか。
将門記の記述でもよくわからない。

いざ調べてみると、わからんことだらけだ。

華国鋒

毛沢東は1893年生まれで1976年82歳で死去。
当時の中国としては十分高齢なほうだっただろう。
鄧小平は1904年生まれだから、当時すでに72歳。
若いと言われた華国鋒も1921年生まれだから、当時55歳。
江沢民は1926年生まれなので、華国鋒と江沢民はほとんど同年代。
華国鋒は毛沢東の死後、四人組を追放して、最高権力者となるも、
鄧小平と対立して事実上引退。しかし、2008年まで生きていて、実権はなくとも失脚したわけではなかったらしい。
鄧小平、江沢民、胡錦濤と国家主席が三人代わって、
87歳まで長生きしたことになる。
なんか不思議な人だな。

『毛沢東の私生活』によれば、毛沢東が瀕死の床についていて、
鼻から胃にチューブを通して栄養を送り込みたいと主治医の李志綏が提案したとき、
華国鋒がまず自らチューブを通す実験台になったという。
毛沢東の孝行息子的存在だったのだろう。
李志綏は、華国鋒が毛沢東の後継者になったのは、適任だった、などと言っている。

周恩来は1898年、林彪は1907年、劉少奇は1989年生まれ。

スーパーホーネット

うるさすぎる。
ていうか、市街地上空を飛ぶのは、おかしいだろ。頭おかしいだろ。
ファントムは許せる。ふつうに。
ボーイング747ならまだ許しても良い。しかしF-18は許せない。

米軍様が、日本を守ってくれているのだなと、感謝したい気持ちがあるとして、
しかし、
F-18だけは絶対許せない。

諡号

花山院師賢は後醍醐天皇から「文貞公」という諡号を贈られているのだが、正二位のままになっている。
臣下で諡号をもらうのは、摂政・関白、あるいは太政大臣に限られていて、
[Wikipedia臣下の諡](http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%AB%A1%E5%8F%B7#.E8.87.A3.E4.B8.8B.E3.81.AE.E8.AB.A1)
には、九例。いずれも、従一位か、贈正一位。
摂政・関白・太政大臣は、生きてるうちに従一位でないとおかしいのでないか。
皇族だと正一位、臣下だと従一位とか。
そんな決まりはないですか。
ほんとは贈従一位くらいもらったのではなかろうか。

花山院師賢は南北朝のごたごたの時のマイナーな人なので、敢えて wikipedia に加筆すべきかどうか、迷う。