浅草 のんき屋

いっぷく横丁、翁そばの向かいにある立ち飲み屋。

ネットで検索してもなかなかでてこない。食べログにはある。

まあわりと好き。とりあえず人のブログのリンクを貼っておく。

https://kansai-onna.com/nomitabearuki/shop-style/standing-bar/tokyo-asakusa-nonkiya/

昔は渋谷も明治通りを南の方へ行くと場外馬券場があって周りになんだか楽しげなうさんくさげな飲み屋街が広がってして、予想屋の屋台なんかが出ていたりしたが、今はもうそういうものはなくなってしまったのだろう。浅草の飲み屋は土日になると場外馬券場代わりになり、店のカウンターにも投票券がおいてあり、みんなでテレビを見ながら観戦するのだそうだ。

私は近頃千葉に行く用事ができてときどき浅草にも寄って立ち飲み屋などを冷やかしたりするのだが、平日にしかいかないので競馬をやる連中と会うことはない。土日に大勢の客をさばいているせいか店もそんなかしこまってなくてすっとはいってすっと出られるのは良い。私自身最近はあんまり無茶な飲み方はしなくなったし、自分から見ず知らずの人に話しかけるということもしない。私自身は競馬もパチンコも何が面白いのかさっぱりわからない。最近、株はやるようになったが、上がれば売り下がれば買うだけだから、あんまり博打とか投資の要素はなくてむしろ貯蓄目的でやっている。

コロナでみんなスマホで馬券も買えるし中継も見れることがわかりわざわざ浅草に来る必要はないんだろうが、他に何か楽しみがあるわけではないので惰性で来ている感じではある。

コーヒーや玉子や牛乳なんかの値段が二倍になったからといって急に困るわけではないのだが、やはり気にはなる。卵や牛乳はともかくコーヒーは円高になれば多少は値段が下がるはずだ。そのほかの食料品も餌や原材料が円高になれば下がるんだろう。観光客も適度に減り、円高で困ることなど特に無いと思うんだな。変動金利で不動産に投資してるやつが少し困るくらいかな。そんなことやるから自業自得だがな。今はほんとに観光客が多すぎる。こないだ名古屋に行ったら土曜日全然コインロッカーが空いてなくて困った。地下鉄の地下道の一部に穴場があってそこに入れられたのだけど、ふだん歩き馴れてないとパニックになりかけるね。

コーヒーはMJBアーミーグリーンが100gあたり100円くらいで買えればそれでいいんだが、今はそれよりかちょっと高いくらいかな。300gとか400g入りのレギュラーコーヒーが500円とか600円からしかないのはちょっと高く感じる。

豆乳もずいぶん値上がりした。一時期これからは豆乳が牛乳より安くなるかと思えた時があったが、今はまったくそうではない。これまた円安のせいに違いない。

昔はブラジルあたりのアラビカ種のコーヒーがほとんどだったが今はベトナムのロブスタ種が非常に多いらしい。ベトナムコーヒーを多く混ぜればコーヒーはどんどん安くなるという仕掛けになっているそうだ。私は今のところあんまり気にして飲んでない。

浅草 安兵衛

https://yasubei.furima-kirakuya.com/index.html

「浅草 立ち飲み」で検索するとすぐにたくさん出てくる。割と有名な立ち飲み屋らしい。

この店には

安兵衛の サワーを飲めば 浅草に 通はまほしき ここちこそすれ

という歌が壁に貼ってあるのだが、それは私が詠んだ歌をお店の人が貼ってくれたのだ。

feed reader

今時 rss feed reader 使ってブログ巡回している人ってどのくらいいるのだろうか。ずっと feedly を使っていたが、google chrome の拡張機能でrss feed reader というものを使い始めた。なぜかここのサイトの rss を見つけてくれない。/?feed=rss2 でみつかるはずなのだが見つけられないようだ。仕方ないのでアイコンをつけておいた。

推敲

文章は推敲すればするほど良くなるってことがわかってきて、それは良いことなのだが、例えば31字しかない和歌と同じてまひまをかけて10万字の小説を推敲するととんでもない時間がかかることになるし、『エウメネス』なんかは軽く50万字以上あるから、ちゃんと推敲するとたぶん死ぬまでやっても終わらない。私が本格的にものを書き始めたのは40代半ばくらいだが、どんなに少なく見積もっても100万字以上書いているから、それを全部推敲して死ぬことは不可能だ。それに60才を過ぎるとだんだん頭がぼけてくるからなまじ推敲しないでもとのままにしておいたほうがましだ、という限界点がいずれきてしまう。80才の爺さんが推敲なんかしたらかえって作品を悪くしてしまう。

今から見直すと20代に詠んだ和歌にも良いものはある。20代に思いついたアルゴリズムにも良いものはある。しかし文章は今見るとどれもダメだ。40代に投稿した小説なんかを今見ると全然ダメで直しようがない。

『虚構の歌人』はしかしまあ割とあの年にしてはよく書けたほうではないか。『読めば読むほどわからなくなる本居宣長』は今見ると全然ダメだ。構成からやりなおさなきゃダメだ。宣長について全部一から書き直したくなるが、そんなことをしてたらあっという間に人生が終わってしまう。

『虚構の歌人』は結局そうとうに推敲したのがよかったのだと思う。一つの作品をどれくらいの時間をかけて書いて削って書き足してまた削って、推敲しててまひまをかけたかである程度良さは決まってくると思う。『宣長』は書いて書きっぱなしだから良くなかった。

もし私の本が読まれるようなことがあったら『エウメネス』と『関白戦記』くらいはちゃんと推敲しなおして出し直したいな。

『民葉和歌集』なんかは今見るとまったく出来損ないで、どうしようもない。手の付けようがない。

もちろんこういうブログなんかは書きっぱなしで良いんだよ。じゃなきゃ書けないよ。

SEO

今時はグーグル検索も全部チートだし、大学入試もチートだし、なんちゃら対策とかなんちゃら最適化というものが進めば進むほどつまらなく、当てにならなくなっていく。昔はこのブログも「はかもなきこと」で検索すれば一番最初に出てきたものだが、今は何ページも後ろまでみていかないとでてこない。最初に出てくるのは和泉式部日記で、そりゃまあ「はかもなきゆめをだにみであかしては」という歌から取ったタイトルだから和泉式部日記がまず出てくるのは仕方ないとして、その後は全然関係サイトがずっと出てくる。ここのサイトはしばらく休止して、再開してまだ半年も経っておらず、あまり活動もしてないので仕方ないのだけど、google ではなく bingで検索すると結構上に上がってくるので、bing なんかは昔ながらの検索方法で順位を決めていて、google はなんだかよくわからないアルゴリズムでもって順位を決めているのだろう。そしてその順位の決め方だって来年になればまた変わっているかもしれない。とにかくみんな検索上位に出てくるために必死になっているから、不正とまでは言わないがチートとしかいいようがないことが世の中に蔓延しているってことはわかる。

追記。「はかもなきこと」で検索しても出てこないが「”はかもなきこと”」で検索すると一番目に出てくる。

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最近ツイッター見たり書いたりしてるとすごくイライラするようになってきたので、もうやめようかと思っている。ツイートしたデータはダウンロードして取っておくとして、現状のまま放置しつつ、そのうちフェードアウトしようかなと。facebookとかカクヨムとかハテナとかいろいろSNSに手を出したもののどれも気に入らないので、サーバー再開したついでにここのブログにすべて集約しようかなと思っている。

昔は(高校生の頃とか)マスコミって馬鹿だなって思っていたが、一般人もマスコミと同じことができるツールを与えられるとマスコミとまったく同じことをやり始めた。要するにマスコミが馬鹿なのではなく人間が馬鹿なのである、ということを再認識した。

土屋文明が、俳句や和歌は誰でも鑑賞しまた自分も作るが、映画はそうはいかないと『短歌入門』で言っているが、今や映画だろうとなんだろうと自分で作ってユーチューブで公開できる時代となり、いまさら俳句や短歌なんぞという辛気くさい媒体で自己表現しようとする者など昭和生まれの年寄りだけになってしまった。

青空文庫を最近非常に良く読むのだが、世の中はずいぶんいろんな文人がいて、中には面白いことを書く人もいるんだなとすごく感心したりもするが、一方で九割以上の文人はゴミだとしか思えない。共通一次やセンター試験の現国の問題がわけわからないし面白くもなんともないと思っていたが今もまったく同じ感想しか持たない。なんで世の中の人たちはあんなものを好き好んで読むのだろうか。

魯山人の書いた食べ物や骨董の蘊蓄とか、谷崎潤一郎の陰影礼賛なんかは面白いなと思ってはいたが、ああいうのよりも、夢野久作が書いた随筆などがすごく面白いと感じる。他にも専門の文筆家ではない人、例えば画家などが書いたものですごく面白いものがあったりして、それについては今はまだ書かずそのうち書こうと思うが、非常に不思議な気がする。中学とか高校生くらいまでは内村鑑三とか小室直樹などを面白がって読んでいたが彼らがものを書いていたのより自分が年を取ってしまって改めて読んでみると、内村鑑三なんかは科学者ではないから当たり前なのだが、科学的にかなりあやしげなことを書いている。小室直樹も当時としてはすごかったが、今読むとまあこんなものかなと思う。

現代の人だとたとえば山形浩生は面白いが、しかし私とは専門性がかなり離れているので、ある程度までしか共感できない。

誰が書いたものがつまらないかといえば、たとえば折口信夫とか、寺田寅彦なんかはまったく面白くない。昔は面白かったのかもしれないが、今改めて読むようなものではないと思う。海野十三とか中谷宇吉郎とか宮本百合子とか和辻哲郎とか。全然面白くない。小林秀雄の『本居宣長』はまあ面白いんだが、中根道幸の『宣長さん』などと比べてしまうとかなり落ちる。八時だよ全員集合を今見るとつまらないと同じで、そういう見方をすると昔のものはだいたいにおいてつまらない。まだ宣長の『玉勝間』や白石の『折り焚く柴の記』など読んだ方が楽しい。