仮名序

歌はこの国のならはしにて、むかしあめつち開けて、とよあしはらの中津国の神のみ代にはじまり、記紀万葉の時代を経て、延喜の帝のおんときに伝はり、勅によりて古今の時をわかたずよろづの歌を集めさせ給ひしかば、人の心を種として言の葉ぞいやさかにしげりける。
中つ世には、さらにこの道ことにさかりにおこり、かしこくも後鳥羽院おんみづから歌を選ばさせ給ひ、また定家ら世に並びなき歌の名人を選者として良き歌をえりすぐらせ給ひて、言の花ちぐさに咲きみだれ栄えけれども、承久の乱などおこり、院、隠岐の島に流させられ給ひし後は、やうやくにすさびすたれゆきて、後花園天皇、新続古今和歌集を編まさせ給ひしのち、兵乱の世となりゆき、みやこも人の国もみないくさごとばかり茂き世となりしかば、おのづと歌選びのことなどのおこなはれずになりにしこそ口惜しけれ。
のちに四方の海しづまりて、うつせみの世の中みな太平を楽しむ世とはなりぬれども、しきしまの道は中つ世のごとくにはふるはず、代々の帝もなどかはかくてあるべからずとはおぼしめせど、世も末となりにしかばいかがせむ、長き世をむなしう過ぐさせ給ひつ。
さありつるほどに、当今の帝、後水尾院御製

> 恋ひつつも 鳴くや四かへり 百ちどり かすみへだてて 遠き昔を

を思ひおこさせたまひ、「四かへり百」とせの長きあひだにわたりて、敷島の大和の国のうちの、すがたかたち心ばへの良き歌どもをえりすぐりて、わがやまと歌の精華を後の世まで示し残させたまふならひの途絶えしことを嘆かせ給ひ、また、

> もののふも 大宮びとも くにたみも 行きづれにせむ しきしまの道

と詠みおほせられしこそ、ありがたく畏きことなれど、はたはいとうれしくもめでたけれ。
近き世に、勅撰集編まれざりしとて良き歌の世に絶えにしほどにはあらず、しかすがに、堂上将軍家諸侯僧侶らは言ふに及ばず、小田かへすしづのを、もしほ焼く海人、市のあきびと、ことしげき世のわざ人、あるいはちまたの幇間や遊び女らに至るまで、いよいよやまとくにたみらもろびとが、みな歌を詠まざる者もなく、やまと言の葉ぞ今の世こそさかりなりけれ。
また歌詠みの名人、秋成・蘆庵・景樹・良寛など国びとのなかにおほくありしかど、みな失せにければ、歌選びのこと、たれにかまかせましと、思ひなやませられしほどに、このごろは、をりしもあれ、異国のえびすらの船のわがやまとしまねのをちこちの海におしよせ来たりて、物情騒然たる世とはなりぬ。
海の防ぎ、国の護りをいかがせむと日に夜に御心をなまやさせたまふを、近くにはべりをりて見たてまつるこそ、数ならぬ我が身ながらにこころぐるしけれ。
うちつづきたる太平の、戦乱の世にふたたび戻らんとする今日、わが敷島の道、やまと魂のもとゐを堅めんとするは、真淵・宣長らのかねて言ひ残せしことなれば、臣・田中久三、身にあまる幸ひに、宣旨をたまはりて、みやこてぶりのみやびの歌のみならず、とほくは織田豊臣らの野山を駆けりし世のたけきもののふの歌から、近くは江戸の浮かれ世の狂歌、俳諧歌、ざれ歌に至るまで、わが大八島の北は千島も蝦夷が島も、南は筑紫薩摩の果てのうるまの島まで、高砂の浜のまさごの数も尽くし、残さずもらさず歌集めてよとのおほせなれば、臣らみな長き眠りより覚め、万葉の世に戻るここちして、およそ集めたる歌、千あまり五百、十あまり八巻、民草の言の葉どもあまた選り集めはべりけり、名付けて民葉和歌集(みんやふわかしふ)といふ。
万延元年十二月三日これを奏す。

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