月別アーカイブ: 2011年2月

東京女子高等師範学校

相変わらず、関東大震災のことを調べているのだが、 東京女子高等師範学校とは今のお茶の水女子大学のことだが、 1923年に震災でほとんど焼失しているはずなのだが、 大塚への移転は1932年となっている。 その間、女高師はいったいどういう状況だったのだろうか。 移転先、つまり現地は、もともと震災当時は東京陸軍兵器支廠というものだった。 これが女高師と陸軍憲兵大塚分遣隊という二つの敷地に分かれたのであると言う。 netでもいろいろ調べてみるがよくわからん。 [お茶の水女子大学生活科学部本館](http://maskweb.jp/b_ocha_1_1.html)によれば、 > 1923年(大正12年)の関東大震災により校舎が焼失したため、 1928年(昭和3年)に現在地への移転を決定し、1936年(昭和11年)に移転を完了しました。 などと書かれているから、お茶の水から大塚へ移転するのが決まったのが 1928年、移転は徐々に進んで 1936年に完了したことになる。 その間、たとえば1923年から1928年までの5年間はいったいどういう状態だったのだろうか。 1932年とは、移転が始まった年、ということか。 不思議すぎる。

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evernote

いろいろ人にも勧められて使わずにいたevernoteを試してみる。 うーんと。 ドラッグアンドドロップで使える単なるネットワークドライブとして使いたいだけなのだが、 そのためには金を払わねばならないらしい。 そこまでやる気は起きないなあ。 今は小さなファイルならgmail添付自分向け送信ってのが一番ありがちで、 も一つはファイルサーバにwinscpで送るかだな。

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おなくなり

結局我が家のvistaマシンは、クリーンインストール直後に harddisk failure でお亡くなりになった。 なんだー。HDDのせいだったのか。 死ぬ前にバックアップ取れただけ良しとせねばなあ。 HDD取り替えて余生は fedoraかなかんかで。 しかし、OpenOffice から LibreOffice に乗り換えようかと思って使ってみたけど、 Microsoft Office 2010の使いやすさには遙かに及ばない。 ルビとか原稿用紙レイアウトとかにもできないしなあ。 マイクロソフト製品を使い続けざるを得ないな。

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explorerの病気

vistaたんが遅くて仕方ないので defrag とか chkdsk などやってみると、 動きは速くなったものの、explorerが10秒おきくらいに停止と再起動繰り返す病気になった。 システム復元してもだめ。 こういう現象はぐぐるとざらにあるようだが、 原因が良くわからん。 しょうがないので工場出荷状態に戻すことにしようと、 バックアップをとろうとしたんだが、 何しろ explorer が頻繁に再起動するので困る。 sata を他のマシンにつないで、というのをややこしいので、 結局 xcopy を使うことにする。 これもまあなんか共有違反がどうとかいろいろうるさいのだが、なんとかなりそうな気がしてきた。ともかく膨大な時間がかかる。

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サドンデスソース

立ち飲み屋でおでんを食べたときにタバスコみたいのをかけたらやたら辛かったので、 調べてみたら「サドンデスソース」というものだった。 普通のタバスコの20~40倍くらい辛いと思われる。 体感的には100倍くらい辛かった。 こういうものを食べると翌朝おしりが痛くなると脅されたのだが、 少しひりひりするかなという程度でどうということはなかった。

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封建

広辞苑など読むと、日本の封建時代というのは、鎌倉時代から、明治維新までと書いてある。 しかし頼朝や北条氏は別に自分で土地を持っていたわけでもないし、 家臣に土地を俸禄として与えたわけでもないから、封建というにはかなり不完全な感じがする。 室町時代の応仁の乱までの守護大名はかなりきれいな形の封建領主であるが、 その後の戦国大名は自分で勝手に領国を支配したのだから、封建領主とは言い難い。 室町時代に典型的な封建制が成立したのは、まあ簡単な理由であって、 南北朝や室町時代初期には戦乱が続いて、 足利氏が細川氏や山名氏や赤松氏などに気前よく領国を分け与えたから、 地方分権が進んだ。同時に、彼ら家臣は一応京都に幕閣として住んでいて、 後の戦国大名のように領国に住み着いて京都と関係なしに領国を支配したわけでもなかった。 守護大名は足利将軍が任命する形をとっていたのである。 徳川幕府の旗本も千石以上のお殿様は自分の領地を持っていて、そこからの年貢を俸給としていたから、 これはまあ封建と言えるが、米を俸給としてもらっていた普通の旗本はサラリーマンと変わりがないから、 封建とは言えない。 外様大名は徳川の家臣とは言い難いから封建とは言えない。 江戸時代は一種の封建社会には違いないが、ほんとうの封建社会からはかなりはずれている。 明治の日本や戦前の昭和の日本などを「封建的」などというのはかなり違和感が… 続きを読む »

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聖橋

[震災復興再開発事業#関東大震災](http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9C%87%E7%81%BD%E5%BE%A9%E8%88%88%E5%86%8D%E9%96%8B%E7%99%BA%E4%BA%8B%E6%A5%AD#.E9.96.A2.E6.9D.B1.E5.A4.A7.E9.9C.87.E7.81.BD) などにも書かれているが、震災後、内堀通り、靖国通り、昭和通りなどが幹線道路として整備された。 このうち内堀通りというのは、本郷から聖橋、神田橋を経て丸の内に至る道で、 聖橋はこのときに初めて架けられたのだ。 遷都しないと決めたのは後藤新平、復興予算を30億円と決めたのも後藤。 しかし予算は5億円程度に削られてしまった。 思うに遷都した方が良かったのではなかろうか。 日比谷公園・上野公園・靖国神社参道などはバラックの難民キャンプで埋まっていたらしい。 当時の写真などもいろいろ見てみる。駿河台にはニコライ堂がそびえ立っており、 はるかお茶の水から遠望できた。 横浜中華街は、震災前は二階建ての洋館や蔵造りの商館がみっちり立ち並んでいたのが、 震災後は平屋木造バラック小屋みたいなのばかりになっている。 また当時は中華街とは言わず、南京通りと言っていたようだ。

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八股文

滝野邦雄氏の[明代初期の八股文について](http://ci.nii.ac.jp/lognavi?name=nels&lang=jp&type=pdf&id=ART0008638605) などを読むに、初めて「八股」という言葉に言及したのは明末清初の学者・[顧炎武](http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A1%A7%E7%82%8E%E6%AD%A6)であろうか。 > 経義の文、流俗、之を八股と謂う。蓋し、成化(1465-1487。第9代憲宗成化帝)以後に始まる。股とは、対偶のことなり。 天順(1457-1464。第8代英宗天順帝)以前は、経義の文、伝注を敷衍するに過ぎず。或いは対句にし、或いは散文にし、初めは定型なし。 その単句題も甚だ少なし。 とある。「八股」という語が俗語(おそらくは受験用語)として始まったと言っている。 明朝は 1368年から1644年まで。 1465年というのは、建国から100年経ったくらいだからまあ中期くらいと言えるか。 初期は、四書五経などの一部が出題されて、その意味について敷衍するだけであり、 対句を使ったり散文を使ったりして、その形式には定型がなかった。 出題も、長い文章の中から一句だけ取り出したりとか、わざと一部を切り出したようなもの、 つまり暗記力を必要とするようなものはごく少なかった。… 続きを読む »

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市岡鶴子

知りたいのは、清朝末期の、科挙制度の改革、変法と科挙の関係、 特に、康有為、梁啓超らの上奏文など。特に八股文の是非について。 つまり、清朝末期の学制改革について。 宮崎市定『科挙』も久しぶりに読んでみたが、これは、唐代から明清までの科挙の移り変わりについて、 おおまかに書いてあるだけ。 八股文については、「四書題」とあるのが、それに相当するか。 その内容・形式には一切触れてない。 まあ、あまり興味なっかたんだろうな。 清朝については、『儒林外史』が少々、第三回辺りに出てくる、 范進という万年浪人の話がおもしろおかしく引用してあるだけだ。 『儒林外史』は清朝の前半、せいぜい雍正・乾隆帝の頃の話が反映しているだけで、 清朝末期の光緒帝の頃のことがよくわからない。 しかし、資料としては、光緒帝のころのものがもっとも豊富に残っているはずだが。 康有為、梁啓超らの論文だが、あちこちの図書館でも、断片的にしか手に入らない。 ネットの情報も。 彼らは、科挙や八股文が不要だと主張したのではなく、 官吏や政治家を登用する制度が科挙に限られていること、近代的な学校制度がないこと、 などを批判しているのだと思う。 梁啓超の文章など読んでみると、科挙と平行して学校を作りましょうと言っているに過ぎない。 北京大学の前身である京師大学堂が創設されたのは1898年というから、 戊戌の政変で行われた改革の一つだっ… 続きを読む »

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眼鏡

昔、某安売り眼鏡屋が出たての頃に、眼鏡を三つばかりまとめ買いしたら、全部フレームがぽっきり折れて、使い物にならず、 それで腹を立てて、あと肩こりが酷かったので眼鏡のせいではないかと疑って、 高くて良いものを作ろうと思って、普通の量販店に行って、 レンズ3万円、フレーム4万円、併せて7万円ぼったくられて、 これはいくらなんでも高かったなあと反省して、 今回レンズだけ入れ直してもらい、またレンズとフレーム併せて一つ新調して、 フレームはチタンのにして、全部で3万円だった。 昔の安物眼鏡はフレームが樹脂のしかなかったが今は基本メタルはチタンなのな。 しかもそこそこ安い。 レンズがプラスチックで厚みがやや気になるが後は満足。

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