デーテ 2. 姉夫婦と遺された姪

 姉のアーデルハイトの夫、つまり私の義理の兄だったトビアスという人は、生まれも育ちも、よく分からないひとなの。

 私がまだ子供の頃、トビアスは、流れ者のアルムおじさんに連れられて、デルフリに住み着いた。

 アルムおじさんというのは、トビアスの実の父で、つまり私の義理の叔父なのだけど、村では皆がそうあだ名で呼ぶの。お察しの通り、アルムに住み着いて、なかなか里には下りて来ないからなのだけど。

 デルフリという村は、アルプスの豪雪を避けるように、山の渓谷のくぼみにへばりついて、ぽつんと取り残されたような、ほんとうに小さな田舎の村なので、村人みんなが親戚のようなものなのよ。デルフリの村人たちはみんな似たり寄ったりの私たちのように貧しい暮らしぶりで、親戚知人どうしお互いに助けあい、なんとかやりくりして、つつましく暮らしていた。母とアルムおじさんはドムレシュクの出身で同郷だし、母のおばあさんがアルムおじさんのおばあさんのいとこだから、たぶん私の母方の縁を頼って、おじさんはデルフリに居着くことにしたんじゃないかしら。私の父方は代々デルフリの家系なのだけど。デルフリではみんながアルムおじさんを、アルムに登ったきりになる前はただ「おじさん」って呼んでいた。

 アルムおじさんにトビアスという子供がいるということは、その母親もいなきゃおかしいわけだけど、おじさんは決して自分のおかみさんの話には触れようとしなかったし、トビアスも自分の母親のことは、あんまり覚えていないようだった。

 デルフリに来た頃から、おじさんは髪の毛も髭も生やし放題の山賊みたいなかっこうで、村の中でも特に偏屈で愛想の無い人だったけど、トビアスは優しくて明るい性格だったから、すぐにデルフリの子供たちの中にとけこんでいった。私たち姉妹や、幼なじみの女の子ブリギッテや、お調子者の男の子のペーター、パン屋の息子なんかは、年も近く気も合ったから、いつもつるんで、野山で楽しく遊び回ったり、長い冬の間は学校で一緒に勉強したりした。

 私たちが村の学校を卒業すると、女はすぐに働き始めて、男は州兵に取られるのだけど、その兵役も、普通は1年、長くて2年で終わるわ。でもそのあと、おじさんは、トビアスをそのまま軍隊に残して、彼を傭兵にしようとしたのよ。姉のアーデルハイトは、とても悲しんでね。トビアスと姉は、ずっと前から恋人どうしで、もう公然とつきあい始めていてね。おじさんに泣いて頼んだのよ。トビアスを兵隊に取られるのだけは、嫌だと。

 それで、フランス革命とナポレオン戦争の後、スイスにも新しい風が吹き始めて、それぞれが独立した自治州政府の連盟体だったスイスが、いよいよ連邦政府を持つことになって、さらにそれまで小国が割拠していた周辺のドイツやイタリアなどの地域が統一戦争で国民国家に変容していくと、「やはり我々も対外的に強力な連邦政府を持たなくてはならない、」という機運が盛り上がってきたのね。それで、一部自治州の独立戦争などの結果、スイス憲法が改正されて中央政府に権限が集中されると同時に、州が独自に傭兵を輸出したり海外派兵するのが禁止されたの。つまり、中世から続いた、伝統あるスイス傭兵の時代がついに終わったということよ。それで、トビアスは兵隊にならずにすんで、代わりにメールスの大工の学校に進学することになった。

 おじさんにはもう昔持ってた元手もほとんど残ってなかった。おじさんは軍隊では工兵だったから、自身も多少大工の心得があったのだけど、せっかくだからと、なんとか学費を捻出して、トビアスを徒弟に行かせて、それから彼は立派に親方の資格を得て、デルフリに戻ってきたの。

 姉とトビアスは、まもなく結婚したわ。2人ともとても幸せそうだった。

 ペーターとブリギッテが結婚してから、3年目くらいのことだったかしら。

 ペーターは木こりで、村の山羊を集めてアルムに連れて行って草を食べさせる仕事もしていたわ。少し村から外れた、アルムへ登る途中の、わずかに風雨を除けられる岩陰に、ペーターの家はある。とてもおんぼろで貧しい家だけど、ブリギッテはけなげに家事を切り盛りしていた。しばらくは2人とも幸せに暮らしていたのだけど、夫のペーターは、息子が一人出来てすぐに、切り倒した木の下敷きになって死んでしまった。今じゃブリギッテは、父親と同じ洗礼名の息子ペーターと、目の見えない姑さんの3人で暮らしている。

 ふむ。ペーターにブリギッテ。それに、姉のアーデルハイトと義兄のトビアスか。彼女は俺に相づちも打たせず勝手に身の上話を続ける。しょうがないので俺は彼女に勝手にしゃべらせて、聞き役に徹することにする。

 それで、姉のアーデルハイトが嫁ぎ先に片付くと、私は母と2人暮らしになった。私もそろそろお嫁に行く年になっていたので、未来の旦那様はいったいどんな人だろう、その人とどんな暮らしをするのだろうと、姉やブリギッテや、知り合いの村の夫婦たちを眺めながら、毎日空想してた。デルフリには特に幼なじみで好きあった男の子などなかったので、母方の親戚の紹介で、母の実家のあるドムレシュクの農家に、嫁ぐことになるんじゃないかなあって、母とは良く話していた。スイスでは、トビアスとアーデルハイトのように、村の中で縁組みが決まることもないわけじゃないけど、1つ1つの村はどれも小さいから、男が先祖代々、自分の村に続く家を継ぎ、女がよその村から嫁いで来るってことが多いのよね。ドムレシュク生まれの私の母もそうだし、つい最近デルフリにプレッティガウからお嫁に来たバルベルもそうだわ。

 もちろん私の家は、相変わらず女だけの所帯で貧しかったけど、私がお嫁に行ってしまえば、母には、死ぬまで暮らせるくらいの父の遺産があった。私が家を出ると、母も一人でデルフリに居るのではなく、故郷のドムレシュクの親戚のうちに厄介になって、余生を送るか、さもなくば、トビアスが引き取って養ってくれることになっていた。

 私の義理の兄となったトビアスは、なにしろメールスの職工学校仕込みの鳶職人で、親方の資格も持っていて、村でも特に頼り甲斐のある男だった。親戚にいてくれてよかった、と私にも思えた。父親と違い社交的で働きもので、村の人たちの評判も良く、大工の仕事も順調で、男手のない我が家にも良く手伝いに来てくれて、これからはやっと我が家の暮らし向きも良くなると思っていた。姉のアーデルハイトは、結婚してまもなくお腹が大きくなりだして、やがて女の子が1人生まれたの。牧師さんはその子に母親と同じアーデルハイトという洗礼名をつけたわ。でもいつも私たちはその子のことをただハイディと呼んでいたのだけど。

 私は、家事手伝いで忙しい合間に、ちっちゃな赤ん坊のハイディの子守を自分から買って出たりして、ハイディを抱いてデルフリ村の周囲を散歩に連れて行ったりした。おかげでずいぶん私の腕の筋肉も鍛えられたのよね。ああ、私もそのうち、トビアスみたいな夫にもらわれて、こんな赤ん坊を産むことになるのかしらって。ハイディをあやしたり、おしめを替えたり、寝かしつけたりしながら。そんな物思いにふけっていたの。

 そうやって、ハイディが生まれて1年程は、何事もなく夫婦と娘1人の幸せな暮らしが続いたのだけど、ある日、トビアスが出向いて働いていた建築現場で梁が落ちてきて、彼はその下敷きになって死んでしまった。突然の出来事だった。

 家に運び込まれたむごたらしい遺体を見て、姉のアーデルハイトは、悲嘆のあまり寝込んでしまい、数週間高熱を出してうなされた後、あっけなく死んでしまった。そうして、出来たばかりのトビアスのお墓の隣に、並んで葬られたのよ。

 私はどちらかと言えば体も大きく丈夫だったけど、姉はきゃしゃで病気がちで、夢遊病の発作をよく起こしていたわ。後には姉が生んだ娘、1才になったばかりのハイディが残されたのよ。アルムおじさんは、たった一人の身内のハイディを抱いて、何を考えているのか、無表情だったけど、「俺にはこんな女の子の面倒はみれない」からと、私の母にハイディの養育を全部押しつけてしまい、1人でアルムに籠もってしまった。息子のトビアスとはなんとか異国の地で、2人きりで生きてきたのに、孫娘はさすがに育てる自信がないと、今から思えば、おじさんは諦めて身を引いたのかもしれない。或いは、トビアスを育ててみて、育児にはもう半ば懲りていたのかもしれない。

 母はさすがにハイディの実の祖母だもので、やむなくハイディをうちの子として育てることにしたの。こうしてまた女ばかり3世代の暮らしが始まったのよ。

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