[歌経標式序考](http://ypir.lib.yamaguchi-u.ac.jp/bg/metadata/1281)
> 臣濱成言。原夫歌者、所以感鬼神之幽情、慰天人弓懸心者也。
韻者所以異於風俗之言語、長於遊樂之精神者也。
【臣・藤原濱成が申し上げる。
そもそも歌は、鬼神の幽情を感じ、天人の恋心を慰めるものである。
韻は、風俗の言語と異なり、遊学の精神に長じたものである。】
「毛詩正義序」「動天地、感鬼神、莫近於詩」
> 故有龍女帰海天孫贈恋婦歌、味耜昇天會拙作称威之詠。
並尽雅妙之音韻之始也。
【それゆえに、豊玉毘売命が海に帰る際に、火遠理命は女を恋する歌を送った。】
赤玉は 緒さへ光れど 白玉の 君が装し 貴くありけり
沖つ鳥 鴨著く島に 我が率寝し 妹は忘れじ 世のことごとに
短歌形式に整いすぎているので、おそらく古歌ではあるまい。
【阿遅鉏高日子根(アヂスキタカヒコネ)神が天に昇るときの宴では、
その威を称える歌を詠んだ。】
あめなるや おとたなばたの うながせる 玉のみすまる あな玉はや み谷ふたわたらす あぢしき高ひこねの神ぞ
【いずれも、雅妙の音韻を尽くした初めである。】
> 近代歌人雖長歌句、未知音韻。
含他悦懌猶無知病。
准之上古既無春花之儀、傳之來葉不見秋實之味。
無六體何能感慰天人之際者乎。
故建新例則抄韻曲、合為一巻名曰歌式。
蓋亦詠之者無罪、聞之者足以戒矣。
【最近の歌人は歌句に長じてはいるが、未だに音韻を知らない。
他のことばかり喜んで、歌の「病」を知らない。
これを上古の風になぞらえているが、すでに春の花はなく、
これを後世に伝えようとしながら、秋実の味が無い。
六体が無くて、天人を慰めるということがどういうことか、何を感じることができようか。
そのために新例を建てて、韻曲を】
> 伏惟、聖朝端歴六天、奉樂無窮。
榮比四輪御賞難極。
臣含恩遇奉侍聖明、
欲以撮壌導滑之情而有加於賞樂焉。
若蒙収採、幸傳當代者、可久可大之功、並天地之眞観、日用日新之明、將金鏡之高懸。
臣濱成誠惇誠恐、頓首謹言。
> 寳亀三年五月七日参議兼刑部省卿守從四位上勲四等藤原朝臣濱成上