月別アーカイブ: 2012年8月

epub3.0

ワープロでルビを振ってからpubooのエディタにコピペするのが楽だなと思っていたのだが、 『新井白石』でそれをやったらフォントサイズがばらばらで困った。 そこで一からやり直すことにした。 すでにいろいろ追記してしまった後だったので、 ブラウザからテキストを一太郎2012承にコピペしようとしたのだが、改行が余計に入ったりしてあまり相性がよろしくない。そこでword2010にまずコピペして、それからフォントサイズや行間などを修正し、 puboo の編集画面から入力していく。 フォントはHGSゴシックM、フォントサイズは12にする。 これでコピペするとだいたいうまくいく。 ブラウザからwordにコピペするときに不要な半角空白文字が入るので置換ですべて削除する。 明朝体とか教科書体にすると、 『大塩平八郎』のように文字が汚くみえてしまうので、適当なゴシック体を使うことにした。 wordでは横書きにしておいた。 これを縦書きの一太郎にコピペして、epub 形式でエクスポートして windows 用の epub3.0 reader である EAST espur reader で確認する。 または、google chrome 用の epub3.0 reader 拡張 readium で確認する。 firefox 用の epub reader プラグインは epub3.0に対応していない。 rea… 続きを読む »

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御用提灯

ふと、御用提灯というのはほんとにあったのだろうか、 同心やら岡っ引やらが大勢あんなものを持って御用御用と言いながら捕り物をしたのであろうか、と疑問に思ったので、 つまりアレは時代劇にありがちなステレオタイプではないのかと思ったので、少し検索してみると、 なるほど青空文庫にいくつか事例があっていずれも戦前の時代小説。 その中で直木三十五の『[相馬の仇討](http://www.aozora.gr.jp/cards/000216/files/1716.html)』というごく短い話があるのだが、その四節目、少し長いが面白い語り口なのでまるごと引用すると、  喜遊次が高座を降りて、楽屋――と云っても書割のうしろで坐る所も無い。碌に削りもしない白木を打交えた腰掛が二つばかり、腰を下して渋茶をすすっていると、 「喜遊次とは御前か」  と背後からぴったり左手へ寄りそって立った男。田舎の同心だけは知っている。右手へ立つと抜討というやつを食うが、左手へ立つとそいつが利かない。 「ヘイ、手前」 「一寸外まで」  と、云ったが蓆一枚撥ると外だ。四五人が御用提灯を一つ灯して立っているからはっとしたがままよと引かれる。何かのかかり合いだろう。真逆露見したのじゃあるまい。と思いながら役宅へつく。  白洲――と云っても自い砂が敷いてあるとは限らない。赤土の庭へ茣蓙一枚、 「夜中ながら調べる。その方元佐々木九郎右… 続きを読む »

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宮将軍擁立説

徳川四代将軍家綱が嗣子なくして死去したときに、後継者としては、 弟の綱吉、家綱より早く死んだ綱吉の兄で家綱の弟の綱重の子の綱豊、その他に、 有栖川宮幸仁親王を宮将軍として迎えようという案もあったという。 徳川実記に書かれているという。 有栖川宮幸仁親王は家康の血を引いているというので、調べてみると、 家康の次男・秀康は結城家に養子に出たが後に松平家に復帰、 その息子・忠直は越前松平家(福井藩松平家)当主でかつその妻は二代将軍秀忠の娘・勝姫。 忠直と勝姫の娘で秀忠の養女となった亀姫(寧子)は高松宮好仁親王の妃。 好仁親王と亀姫の子・明子は後西天皇の妃で、有栖川宮幸仁親王はその皇子である。 たしかに、男系・男系・女系・女系・男系と来て家康の五代後の子孫なのである。 ここで一番問題になると思われるのは徳川宗主である家綱の遺志なのだが、 これがまったくはっきりしない。 血筋で言えば家光に一番近い綱吉であると徳川光圀や堀田正俊が主張したという。 長子相続の原則にのっとれば綱豊であるが、誰かが擁立しようという話はなかったようだ。 有栖川宮幸仁親王を推したのは大老酒井忠清。 酒井家は三河時代からの譜代であるが、その主張に根拠なしとは言えない。 鎌倉幕府が宮将軍を迎えたのは、 頼朝の子孫が皆絶えてしまったからであるが、 家康の子孫は、親王・内親王を含めてけっこういたようである。 ただし家康の血を引… 続きを読む »

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従甥

メモ。 稲葉正休は政吉の子。政吉は正勝の弟。 正則は正勝の子。正則の娘が堀田正俊の妻。 つまり、正則と正休はいとこである。 正休にとって正俊はいとこの義理の息子となる。 いとこの息子のことをいとこ甥というらしい。 ややこしい。

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迷走する国道一号線

なんだかよくわからんのだが、たぶん、本来の東海道というのは、 江戸城本丸中雀門を出て、下乗橋を渡り、 桔梗門を出て、桜田門、虎ノ門を出て、増上寺の西を抜けて、 品川宿、川崎宿を経て、神奈川宿へ至るのが正しいと思う。 品川宿というのは今の京急線の北品川駅から青物市場駅辺りまでを言う。 品川駅の南にあるのに北品川駅とはこれいかに、 ということについてはググれば書いてあるからまあ良いとして。 ここは第一京浜国道15号線なんだよね。 国道1号線は三田で15号線にぶつかる寸前で急に西に折れる。 直進して15号線に合流する三田通りというのがあるのにもかかわらず。 ちょうど慶応大学の辺りである。 ほんとうの東海道はこの三田通りを直進して15号線に入り、泉岳寺を通り品川を通り神奈川に至るまでずっと15号線。 この三田通りの交差点に「札の辻」というのがある。 おそらく京都から下向した来た武家はここから左の道を取る。 大名行列とか。 しかし、農工商は右の道を通る。 東海道の分岐点だったのだろう。 1号線はどんどん西へそれて五反田へ。 ここから中原街道に分岐する。 しかし中原街道になりきるのではなく、今度は東に向きを変える。 そしてなぜか第二京浜と呼ばれるようになるのである。 第二京浜とはなんぞや。 戦前の昭和に開発された国道らしい。 第二京浜は横浜の手前で第一京浜に合流する。 これで迷走する国道一号線… 続きを読む »

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筋違

筋違はスジカイと読むらしい。 中山道は大手門から神田橋、筋違橋を過ぎて、まっすぐ行けば上野、右へいけば秋葉原、を左へ折れて、 湯島聖堂の裏を抜けて、本郷通りをすすむ。ほぼ国道17号線。 Inkscape の練習にと江戸の地図を描いていたのだが、 わからんことだらけだ。 川越素描にも同じ地図を掲載したが、 小さくてわからんと思うから、もう少し解像度の高いのをここに貼っておく。 SVGで公開しても良いのだが、もう少し考えさせてほしい。 こういう地図はたぶんいままでなかったと思う。 あって当然であるし、もしかするとどこか知られてないところにはあるのかもしれない。 しかし、あまり見かけない地図である。 * [goo江戸切り絵図](http://map.goo.ne.jp/history/area_top.html) * [goo明治東京地図](http://map.goo.ne.jp/map.php?st=8) * [”超検索”大江戸八百八町](http://onjweb.com/netbakumaz/edomap/edomap.html) * [貴重資料画像データベース](http://metro.tokyo.opac.jp/tml/tpic/resprint_d/all/isbn001_0_30/isbn001_002_001.html) * [1590年頃の江戸](http://ww… 続きを読む »

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新聞

思うに、産経新聞あたりがいくら正論を吐こうと日本は変わらないけど、 読売が書き、さらにNHKが報道すれば、ああそれが今の世論かと、少し態度が変わってきて、 海外でも、ああ日本も今回ばかりは少し怒ってるみたいだな、と認識するらしいな。 読売ってやっぱすごいんだな。 影響力的に。 絶対購読しないけどな。

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通貨吹き替え

[新井白石](http://p.booklog.jp/book/55630) をパブーに公開する。 某新人賞選考漏れ確定のため。 今更読み返すと確かに娯楽的要素が足りない気もする。 いろいろ書き換えたくなるのでいじる。 もともとは「将軍家の仲人」というタイトルだが、 ネットに公開するにあたって検索にひっかかりやすいようにタイトルを「新井白石」とし、 「将軍家の仲人」をサブタイトルにする。 いつもやっていること。 新井白石といえば生類憐れみの令を廃止したとか、 朝鮮通信使の扱いを変えたとか、 通貨改革をやったとか、子供の頃ガリ勉だったとか、 そういう話が多いかと思うのだが、 そういうのはさくっと省略した。 みんなが書いているようなことを書くのはつまらん。 大石慎三郎「徳川吉宗と江戸の改革」を読む。 新井白石の通貨吹替えによって世の中に流通する通貨が半減してしまい、 デフレになったのだという。 よくわからん。 インフレであれば通貨供給量を減らす。 デフレであれば通貨供給量を増やす。 金本位制であれば、通貨供給量を増やすには金の含有量を減らせばよく、 通貨供給量を減らしたければ金の含有量を増やせばよろしい。 わかるようなわからんような理由だ。 江戸初期には商業経済が発達していなかった。 しかし金は新しい金山がたくさん見つかって非常に増えた。 日本では金がとても豊富で安くなった。 逆に言え… 続きを読む »

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江戸古地図

たまたま江戸の古地図を家族が買ってきたので見ると、 甲府藩邸が日比谷門の外に描かれていて、 しかも永代橋がまだない。 赤穂浪士は永代橋を渡って吉良邸に討ち入ったのだから、 赤穂浪士事件よりは前だとしれる。 良く見ると元禄六年と書いてある。 永代橋ができたのは元禄十一年、 赤穂浪士の仇討ちは元禄十五年。 甲府藩邸にはまだ綱豊という名前の家宣がいたはずだ。 溜池も心なしか大きく描かれていて、畔には山王神社がある。 年を取るといらん蘊蓄ばかり増えていくなあ。 こんな地図を眺めているだけでけっこう楽しめるのだから。

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魯迅

魯迅を読んでいる。 割と面白い。 電車の中にいて周りにたくさん人間がいるのが不思議な感じになる。 人間がいるのが当たり前なのだが、小説によって完全に異世界に連れて行かれてしまうのだろう。 阿Q正伝、故郷、孔子己などは読んだ記憶がある。 たぶん、教科書に載っていたのではなかろうか。 少し調べてみるとわかるがこれらは、魯迅の一番初期の作品(38才頃。ただし、32才のときに『懐旧』という小説を発表しているようだ)で、 社会的な影響力も大きかったようだが、 必ずしも、すごく面白くはない。 やはり初期の作品で狂人日記も今回読んでみたが、さほどでもない。 たぶんまだ書き慣れてなかったのではないか。 こういうのを高校の教科書に載せても生徒はおもしろがらないと思うよ。 他にもっといいのがあるのに、と思う。 四十代半ば頃、1925年とか1926年頃に書いたものがすごく面白いと感じた。 孤独者、眉間尺、祝福、藤野先生など。 藤野先生は、やはり読んだ記憶がある。これも教科書か。 必ず文末に日付が記してあるから、何歳の頃書いたかわかって便利だ。 結構短い期間に集中して書いている。 眉間尺(または「鋳剣」)は中国の昔の伝奇小説([干将・莫耶](http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B2%E5%B0%86%E3%83%BB%E8%8E%AB%E8%80%B6))を題材にしたも… 続きを読む »

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